『サラ・ベルナ-ルの捕らわれた七月の感情 』        

『風姿花伝』の著者で、能を完成させた世阿弥に〈離見の見〉という、何やら禅問答のような言葉がある。意味を要約すれば、客観的な複眼の視点をもって演じ手である自己の姿を見るという意味になろうか。…ここ最近、機会があって私は集中的に勅使川原三郎氏のダンス公演を観ているが、主題はその度に違っても、いつも氏のダンスから想い浮かぶのは、この世阿弥の遺した言葉なのである。ただ世阿弥が強調したのは、背後からの視線をも併せ持って見るという主に前後の関係であったが、600年後の現在を生きる勅使川原氏の視点は、踊っている一瞬一瞬に、360度の全方位と天地のベクトルを併せ持って感受するという難易度の高さを強いており、その先に立ち上がる予測不能なアニマを、あたかも稲妻捕りのような狩人の神経を持って、彼は一瞬一瞬の闇の無形から有形を紡ぐ〈気〉に即応して踊っているように思われる。その意味では世阿弥は前後、土方巽は天上性と重心の低さを持ってその対の〈踏む〉地上性に神経は注がれていたが、勅使川原氏の場合は、特に天上界と地上を繋いでいる〈中空的〉な感にその特徴が在り、アルカイックともいうべき神秘性と透明性、更には、魔的な不穏の気配をも、私はそこに併せ見ているのである。

 

…その世阿弥の〈離見の見〉を、次に私自身の制作に引き寄せて語れば、最近は、アトリエでのオブジェ制作と平行して、ガラス工房でガラスによる作品制作を行なっている。…作品のタイトルは『サラ・ベルナ-ルの捕らわれた七月の感情』というものであるが、1000度に近い高温で熱せられて官能的に歪む円筒状のガラス玉を引き裂いて、過剰なる加熱から冷却を経た、〈名状し難い或る感情〉の刻印とその形象化を試みているのである。…私はその歪んで冷却へと至るガラスの固まりを、女優のサラ・ベルナ-ルの激しく揺れる感情に見立てて、それを闇の無明から抽出して光の下での有形化を計っているのであるが、その加熱から冷却へと急ぐガラス玉の官能的に揺らぐ様や、高熱故にのたうつ様を見ていると、何やら逆なベクトルにも未生の物語の発生があるように思われて、最後は高温ゆえに触れる事の出来ないもどかしさも加乗して、このサラ・ベルナ-ルのさ迷える感情は何とも御し難いのである。…そして最終的な冷却の形に収まるのを待って、その中から、〈何かが確実に入った〉と思われる物のみを選んで、残りは破壊するのである。…その加熱時において私の視線は円筒形のガラスを性急に回す左手の指先に注がれており、作品と成る右側の引きちぎられる部分、、つまりは、それを引きちぎろうとする器具を持った私の右手側の視界はあえて見ずに視界外に置き、唯、〈気〉のみの中に激しく揺れるサラ・ベルナ-ルの感情を移入して、唯ひたすらに集中し、直後に一瞬で引きちぎるのである。… サラ・ベルナ-ル。パリで高級娼婦の娘として生まれて後に「椿姫」などの名演技で大女優の地位を獲得したこの蠱惑的な女性の逸話は多いが、私が特に気に入っているのは、彼女は毎夜就寝の際には、必ず黒の柩の中で眠ったという逸話である。… 今はモンマルトル墓地に永遠に眠る彼女を、いつか作品の中に登場させようと思っていたが、ガラスという、今までとは全く異なる素材に直面した時に、このタイトルは自ずと一瞬で生まれ出たのである。… 9月末から開催される高島屋の個展に、この作品は連作の形で出品する予定であるが、今暫くは未だ闇の中にて、その出番を密かに待っているのである。

 

……澁澤龍彦氏が1987年の8月5日に59歳で亡くなってから、今年で30年の月日が流れた。‥本当に早いものである。この節目を期に『澁澤龍彦没後30年を迎える会』が7月15日に神田駿河台の山ノ上ホテルで開催する由の案内状が、幹事を勤める河出書房新社から届いた。発起人は、高橋睦郎、 細江英公、 巌谷國士、 四谷シモン‥‥他の面々。ふと考えてみると1周期の時に集っていた、種村季弘、 池田満寿夫、 金子國義、 合田佐和子、 吉岡実 …‥ といった多くの先達諸氏が、その後に次々と鬼籍に入ってしまわれている事を思えばなにやら寂しいものがある。… 僅か30年の間に、個性ある一級の人達が次々とこの国から消えていって、既に久しい。 かくして、日本の文化がどんどん色褪せた薄いものへと変質し、卑小化していっているが、つまりはこれも、やむ無き必然の流れなのであろうか。

 

 

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