『澁澤龍彦頌』  

世の中に平然と流通している言葉の中で、何が最も詐欺的な言葉かと考えていたら「永代料」という言葉に行き着いた。言葉通りならば永遠に末代までの弔いを保証する意味になるが、現実にはだいたい30年~35年で墓と縁者との関係が薄くなり、無縁仏になって、別人がその墓の在った場所に入れ換わる場合が多いという。人が亡くなり、その生涯に残した業績と意味が、次代へと受け継がれていくか否か、つまり時間のふるいという淘汰の審判が、だいたいこの30年~35年という時の長さであるらしい。そして、生前に活況を呈していながら、実に多くの人々が忘却へと消えていっている。表現者にかぎって言えば、しかし、この淘汰をひとたびくぐり抜けた稀なる人物には、その後に古典としての普遍的な評価が待っている。だが、それは本当に稀な事なのである。

 

先日、神田駿河台にある山ノ上ホテルで開催された『澁澤龍彦没後30年を記念する会』に行ってきた。参列者150名以上を越える数でかなりの盛況であった。淘汰をくぐり抜けた、この人の作品の質の高さと、その人の人間的な魅力が合わさってそこに現れている。巌谷國士高橋睦郎平出隆谷川渥四方田犬彦諸氏らの挨拶があったが、最後の方で喋った、舞踏家で俳優の麿赤児の言葉は異彩を放っていて面白かった。「私は澁澤氏の本は一度も金を払って買った事はありません」と切り出した後で3秒の間を溜めて、次に、「全部万引きです!!」と低いドスのある声で語ったので会場は多いに盛り上がった。私はこの巧みなスピーチで、麿赤児がいっぺんで好きになってしまった。会場では久しぶりに会えた知人や友人が多くいて、私はこの会を多いに満喫する事が出来た。

 

澁澤龍彦文化圏という言葉を安易に使う事にはちょっと抵抗があるが、わが事として思い出せば、私を評価してくれた先達の人達は皆、澁澤氏と親交のある人達であった事には今さらながらある感慨といったものが立ち上がる。今から35年前に銀座のバルハラデンというレストランのとある一室に4人の人物がいた。澁澤龍彦、岡本太郎池田満寿夫、そして私であるが、私はまだ作家としてデビューしたばかりの頃であった。しかし澁澤氏がその時に放っていた艶のある不思議なオーラは今も鮮烈に覚えている。巌谷國士氏の挨拶の言葉の中で「澁澤氏は、人間の一生はまるで夢のようだという言葉があるが、実は夢そのものだと思う。」と澁澤氏が語っていたという話をしてくれたが、私も同感である。とまれ、澁澤龍彦という稀人の残した文芸の作品はこれからも色褪せる事のない古典として読み継がれていく事であろう。

 

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