#谷川渥

「涼風が吹き抜けていく箱根写真美術館に行く」

…昨年の夏よりも更に酷暑となった今夏の異常さはもはや尋常ではない。…北海道が40度に迫り、熱中症の患者も今年は実に多いという。…多いと云えば熊の被害も増えている。…テレビで、人家の庭から悠然と去っていく熊の後ろ姿を観たが、あたかも親戚の叔父さんが東京土産に亀屋万年堂のナボナを置いて帰っていくような……、そんな感じである。

 

……先日、東京恵比寿のLIBRAIRIE6で開催していた個展が盛況の内に終了した。…来廊された方がSNSで今回の個展情報を発信する回数が多いらしく、画廊に来廊者がいなかった時がない。…初めて私の作品を知った方もいて、美術に対する認識が広がったのか、長時間観入っている方がかなりいた。

 

 

 

…さて、一転して昭和の話を。……ずっと以前から気になっている事があった。…それは私が中学の時に福井から東京に修学旅行で来た時に泊まった旅館の事である。(それは日本学生会館という名前で、神田川沿いの中央線・御茶ノ水駅水道橋駅の間の坂道に在った)……生来不穏な怪しい気配に惹かれている私は、その旅館(と言っても、重厚な鉄筋コンクリートの建物)が放っている、何とも事件の匂いがするその入り組んだ造りや、隠し部屋さえありそうな、…そんな二重構造めいた気配の事が記憶に長く残っていた。…そしてひと頃、美術家と併せて私立探偵業をやろうと本気で考えていて、事務所の物件を探していた時に、イメ-ジの範として、その建物の事が頭にあった。

 

 

先日、古書店で川本三郎さんの『名作写真と歩く昭和の東京』という本を買ったら、その中に、その建物の来歴が載っていて驚いた。その本の中に一枚の写真が載っていた。陽炎の中に電車や車が浮かび上がったような幻想的な写真。…写真家・植田正治の初期の写真である。…川本三郎さんの説明によると、坂の左手の暗い固まりに、順天堂医院昭和第一工芸高校、…そしてモダンな鉄筋コンクリートの建物…お茶の水文化アパ-トがあった。…文化アパ-トは大正14年にアメリカの建築家ヴォ-リズの設計によって作られた高級アパ-ト。…それが戦後、進駐軍将校の家族宿舎になった後に旺文社が買い取り、修学旅行生の宿、日本学生会館となったが、老朽化のため取り壊されたとあった。

 

 

面白かったのは、その後の記述である。…このモダンな鉄筋コンクリートの建物、お茶の水文化アパ-ト(後の日本学生会館)は、江戸川乱歩が創造した名探偵、明智小五郎が昭和四年頃に住んでいた「開化アパ-ト」のモデルとされている。…という記述を読んだ時に、その建物への私の拘りが氷解したのであった。…私と同じく江戸川乱歩もまたあの建物に、不穏で怪しい気配を覚えていた事を知ったのであった。…そればかりか、島田荘司のミステリ-小説『網走発遥かなり』にも、乱歩ファンの女性が、まさに取り壊し中のこの建物を見るくだりがある事も知ったのであった。

 

 

…先日、箱根にある「箱根写真美術館」(館長は写真家の遠藤桂さん)から展覧会の美しいご案内状が届いた。…写真家・榎村綾子さんの個展『仮説から始まるロマネスクの幻視』である。…今年の1月に遠藤桂さんと日本記者クラブのカフェでお茶をした時に、榎村さんの個展を夏に開催するお話しは伺っていたが、それがいよいよ実現したのであった。…榎村さんの写真は、パリやロンドンなどに流れる硬質な時間や歴史の層に被写体を求め、巧みな表現力を駆使して、現実と幻のあわいに立ち上がる詩情を浮かび上がらせるという、写真の分野でも他に類が無い表現で知られる特異な存在である。……この国を代表する国際的な写真家で知られる川田喜久治さんは、榎村さんの写真集にテクストを書いて高く評価しているが、その写真を観た確かなプロの眼を持った遠藤さんが独自に評価して、今回の個展となったのであった。…………

 

 

遠藤さんとの出会いは、今から15年以上前になるであろうか。…銀座を歩いていた時に、ある画廊で開催されていた写真の個展を通りがかりに観た時に、一瞬でその写真から放たれている強い「気」を受けて、私は画廊の中に入った。…写真はパリの主に風景を撮した作品であったが、昨今ますます衰弱している写真の分野にあって、そこに展示されていた写真の数々からは、真逆ともいえる、パリの建物などの被写体を通した奥にある、何か言葉では名状し難い「光の魔力」といったものの潜みが感じられたのであった。…(私はあなたの作品、好きですよ!実にいいですね!!)…確かこのような言葉を、画廊にいた作者に話したのだと記憶している。…作者のその人は、その瞬間に実にいい笑顔を私に返してくれたのであった。…それが写真家・遠藤桂さんとの出逢いであり、以来親交が続いている。

 

…遠藤さんは海外からの仕事も含めて写真の様々な仕事をこなしておられるが、その中心には霊峰とよばれる富士山が存在し、その霊的ともいえる富士山の様々な相貌を捕らえる事を生涯の主題としている人である。…ここに遠藤さんの作品を一点、ご紹介しよう。タイトルは『楓月-KAZUKI』。昨年の12月にパリの個展で発表した作品である。

 


……(北川さん、箱根は別天地のように涼しいですよ。)…私のオブジェを数多くコレクションし、また広重の版画のコレクタ-としても知られるTさんは、箱根に別荘を持っていて夏は避暑で箱根に住んでおられるが、先日頂いたメールには、そう書いてあった。新幹線こだまで、新横浜から小田原駅までは僅かに15分で着き、箱根登山鉄道強羅駅で降りると箱根写真美術館はすぐであった。…楕円形の会場には榎村さんの写真作品がおよそ30点近く展示されていて、各々の作品から放たれている独自な気配が壮大な幻想の交響を産んでいて、素晴らしい個展だと実感する。

 

 

…何れも作品の完成度が高く、美的なものへの共振力が強い美学の谷川渥さんが、写真家の川田喜久治さんとはまた別な切り口で、テクストを執筆している理由も頷ける。…ここに榎村さんの写真作品を4点、ご紹介しよう。4点何れも表現の攻めるメソッドを変えながらも、しかし何れも美と毒と、深い詩情が作品の表象を領し、古典が放つ韻が今日性と絡み合って、強い引力を孕んだ表現世界を立ち上げているようである。

 

…………ここ箱根写真美術館は、猛暑とは無縁の、涼風が吹き抜けていく別天地のような美術館であった。遠藤さんご夫婦とも併設してあるカフェで久しぶりに愉しい時間を過ごす事が出来て日々の疲れが一掃され、充電も出来た。……会期は9月8日までだが、制作の合間を見つけて今一度訪れようと、私は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

榎村綾子写真展『仮説から始まるロマネスクの幻視』

 

 

2025年7月23日(水)~9月8日(月)。
AM10時~PM17時30分
〒250-0408 神奈川県足柄下郡箱根町強羅1300-432
TEL.0460-82-2717

小田原駅から箱根登山鉄道「強羅駅」下車・徒歩5分。「公園下駅」から下車してすぐ。カフェ併設。(休館は火曜・第3月曜)

 

 

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『あの夏が来る前に、いっそ、……』

…用事を済ませてアトリエに戻ったら、郵便受けに大きな封筒が。…差出人を見ると筑摩書房の大山さんからである。…!?と思って開けたら、美学者の谷川渥さんの新刊書『美学講義』が入っていた。…早速谷川さんに刊行のお祝いと御礼のメールを送る。…本の表紙には、〈バロックとの微妙な関係性のうちに展開する美学的言説をめぐる思考の軌跡…〉の文字が。

 

東大文学部の美学を出られた谷川さんの先輩になる、演出家で作家の久世光彦さんに生前〈美学って、つまるところ何ですか?〉と訊いたことがあった。久世さんの答えははっきりしていた。…〈結局わからない!〉であった。…そのわからないという所から谷川さんのこの本は出発しているので、かなり厄介だが、それ故に面白いと思う。………谷川さんの著作はこれで何冊になったのか?……これから書く四方田犬彦さんは既に300冊の著作をものにしているというが、突出した論客である、このお二人とは、どういうご縁があるのか、お付き合いが長い。

 

 

その四方田さんの著書『人形を畏れる』の冒頭は、私が持っていた不気味で土着的な人形に対する記述から始まり、次に私が登場する。

 

……(美術家の北川健次がいう。富山の方を廻っていて見つけたのだけれど、どうしたものだろう。北川は作品の素材を探しに行った先の古物商で、店の片隅に放置されている人形を見つけた。人目見て、何か因縁のあるものではないかと思い、あるかなきかの程度の金を払って引き取ってみたものの、はたして作業場に、他のオブジェや版画の間に並べておいていいものか迷っているという。彼はそれをなぜか「弥助人形」と呼んでいた。…以下続く)

…その人形がこれである。↓

 

 

 

自分とは違う作家が私の事を書いて、それが活字になると妙な感じがする。…自分であって、自分ではないような……。先に登場した久世光彦さんも私の事を何かの文章で書いているが、これはもう耽美な久世ワ-ルド一色で、危険な艶を帯びた姿で私の事が書かれており、あたかもルキノビスコンティ『地獄に墜ちた勇者ども』に登場する鋭くも怪しいナチスの将校のそれである。…しかし、いずれも、本になる前に自分が登場する事は知らされているのである程度予測はついている。

 

 

 

しかし、こんな事があった。……先だって、横浜の図書館で10冊ばかり本を借りて来て読んでいたことがあった。何冊かを読んで、次に森まゆみさんの著書『路上のポルトレ-憶い出す人々』を読んでいた。森さんが生前にお付き合いした人達の事を綴った点鬼簿のような本である。…私も生前に親しくして頂いた名書評家で作家の倉本史郎さんの章に来た。網野善彦別役実…の名前が出て来たと思った次に、突然私の名前が出て来た時は驚いた。…亡くなった方ばかり登場するので、一瞬自分も死んでいるのかと慌てたのであった。

 

…あらためて読むと、葉山の倉本さんのお宅に招かれた時に、翻訳家の河野万里子さん、森まゆみさん達とお会いした時の事が書かれていたのであった。…その時に過ごした時間は本当に愉しい時間であったが、文中で森さんはその時の事が至福の時間であったと書いていて、(そうか、森さんもそう思っておられたのか)と嬉しかった。

 

…文章は移って倉本さんのお通夜の場面が出て来て、森さんともう一度お会いして、夜半に一緒に横須賀線で帰った事も思い出したのであった。

 

…その時に私は『モナリザミステリ-』という本を新潮社から刊行していたので、森さんにお送りすると(美術家にこんな上手い文章を書かれたら困る!)という嬉しいご感想のお返事を頂いたことがあった。

 

……後日、私が森さんの著作の熱心な読者になる事など、その時は知るよしもなかったのである …… 書く人によって、私の姿が各々違うのは当然であるが、結局人は、自分なりの独自なレンズで相手を視ているのである。…それを拡げて考えると、或る作品も決して一様に見えておらず、各人によって、その受け取りかたも全く違うのである。…ふとそんな当たり前の事を何故かぼんやりと思ってしまった。

 

 

…前回のブログでお伝えしたが、今月の25日まで名古屋画廊でヴェネツィアを主題にした、私のオブジェ、コラ-ジュ、写真と共に、馬場駿吉さんの俳句を展示した展覧会を開催中である。

 

 

そして、今月の22日(木)から6月9日(月)まで、西千葉の山口画廊で、30点のオブジェから成る個展『謎/モンテギュ-の閉じられた箱の中で』展が開催される。…今までにない新しい試みによる作品も初めて本展で発表をしているので、ぜひのご高覧をお願いしたい次第である。

 

…画廊のオ-ナ-の山口雄一郎さんは、今回の個展開催に際して、『画廊通信』という画廊が刊行しているカタログで、『迷宮の詩学』と題して、実に緻密な論考を拙作への深い思索に充ちた文章で展開されていて、私はそのカタログがアトリエに届いて早々にあまりの面白さに読み耽ってしまった。…山口さんは寡黙で実に謙虚な方であるが、その内に実に鋭い直感を秘めていて、今回が4回目の個展になるが、未だに山口さんは私にとって尽きない〈謎〉なのである。

 

 

… 今回のカタログで山口さんは、北原白秋『邪宗門秘曲』の詩と、私の詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』を対比させ、その角度から私の文章に於ける方法論を絞り込んでいき、エルンスト澁澤龍彦も登場して、稀にみる硬質な分析になっていて実に読み応えがある。…私が無意識と思っている部分にも鋭いメスを入れて、そこから必然的な意味をも引き出して来て、なおも作品の謎が深化していくという、それは実にトリッキ-とさえ想わせてしまう文章なのである。…画廊に来られたらぜひ、カタログの方の山口さんの書かれたテクストも味読していただければと願っている次第である。

 

 

 

 

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『一から三へと拡がっていく話』

…まずは近況から。…先だって、法政大学出版局から『記憶と芸術』(共著)と題する本が出版され、その中の執筆者の一人として『記憶と芸術/二重螺旋の詩学』と題した文章(原稿用紙約30枚)を寄せている。

 

執筆者は13名。敬称を略して掲載順に書くと、私・小針由紀隆・谷川渥・水沢勉・宮下規久朗・海野弘・秋丸知貴・進藤幸代・萩原朔美・高遠弘美・虎岩直子・中村高朗・丸川哲史の諸氏。…執筆依頼が来た時は個展の作品制作で一番忙しい時であり、お断りしようと思ったが、送られて来た執筆者の名前を見て、美術作品の実作者は私と萩原朔美さんだけで、皆さんほとんどが美術評論家ばかりだったので、(これは読者の人に比較してもらうのに絶好の機会‼)と思って引き受けた。

 

…執筆者で私が面識があるのは、谷川さん中村さん萩原さんだけで他の方は全く存じあげない人ばかりで勿論その著書も知らない。しかし出来上がるであろう本の大体の予想はつく。ただ、海野弘さんだけは別格で、私はその著書を読んでおりひそかに尊敬もしている人。海野さんが参加されるならば…というのも引き受けたもう1つの理由。先月、駿河台の明治大学で出版記念会が開かれ、盛況であった。ただ、お会いしたかった海野さんはその途中で急逝され、掲載予定であった「プル-ストに関する未発表の文章」ではなく、『生の織物』という文章がご遺族の方からの意向で掲載されている。…実作者と評論家との視点や文章の違いにもしご興味がある方は、ぜひのご購読をお勧めする次第である。

 

 

…さて、では本題に入ろう。……昨年の末くらい頃であったか、私は友人の人たちと会って話をしている度に、決まってこの話を話題にしたものであった。すなわち「この世には決まって何らかの二元論的な摂理のようなものがあって、例えば善があれば悪がある。光があればその傍には決まってそれに相当するだけの闇が在り、そのバランスの絶妙な調和によって世界(特に人間関係)は成り立っていると思うわけですよ。しかし、あの二人にはそれが見えない。一見したところ明る過ぎるし破調が無い。その事がどうも不自然でならない。…その裏にもう一つの何かがある筈、きっと何かが動いているに違いない!」と。………途中でピンときた方もおありかと思うが、そうあの二人とは、大谷選手と通訳の水原一平の事である。…私がそう話すと決まって、皆さんお笑いになる。そして考え過ぎと言わんばかりに次の話題へと移ってしまわれるのであった。…しかし、見えない先に不穏を感受してしまう私のセンサ-は、話題が変わっても尚もピコピコと揺れるのであった。…ちょうど、雲一つ無い晴天の空の彼方に、遠雷の不穏な音を早々と聴きとってしまうように。

 

…はたして、年が明け、3ヶ月が過ぎた頃にその事件が明るみになった事は周知の通り。…私はやはりこの世には二元論的な摂理がある事を確認して得心のいくものがあった。…水原一平。…大谷選手の光の余波を受けて世間は、この人までも、実はよく知らないながらも自然と善いイメ-ジを抱いてしまっていたように思われる。…古い例で恐縮であるが、「何処の誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っている」という『月光仮面』のあの歌詞のように。

 

…想えば、水原一平という軽みある名前がそもそも、善い人と思ってしまう響きがありはしないだろうか。…(一平~ちょいと一平やぁ、何処にいるんだぁい)と、おかみさんが呼ぶと舞台の袖で(へぇ~い)とかん高い少年の声が返ってでも来るような。…これが水原一平でなく、例えば速水龍蔵、古鬼塚昌也、パンチ吉村…といった名前なら少しは警戒をしようものを。………桁外れの札束が動くギャンブル賭博、その重度の依存症であると本人は事件が発覚時に動機の理由に自ら挙げて来た。…そう話せば、多くの人間に有りがちな脳の病という普遍性に視点が転嫁して、賭博以前の犯行へと至る個的な闇が薄らいでいく事を、追い詰められた中で考えたのでもあろうか。

 

……信頼していた相手から裏切られる事を「飼い犬に手を咬まれる」というが、この事件にピッタリとすることわざは「吉凶禍福は糾える縄の如し」よりも、単純に「好事魔多し」の方が近いかもしれない。…江利チエミ島倉千代子の場合は信じていた身内に金銭を根こそぎ取られたが、要は、このような事件の犯人は自分の実力を勘違いし、自分が尽くした事は大きい筈、故にその見返りがあって然るべきという、見当違いの歪みを抱いてしまうのであろうか。…「七年目の浮気」というタイトルがあったが、その逆で「信じたい相手(雇い始めた人間)が七年間、何も事件を起こさなければ、漸くその相手を信用して大事を任せる事が出来る」という、商人の道の知恵があるという事を聞いた事があるが、ちなみに水原一平は、大谷選手とこのサポ-ト関係を築くにあたり、何年前にそれが成立したのか、ふと知りたいと思った。

 

 

…一平の事を話したのなら、三平についても何か話さないと片手落ちだよ、という読者の方からの声がいま一瞬聴こえたので、では三平についても少し書こう。先日の夜半にテレビで六代目桂文枝(昔の桂三枝)が大学で学生を相手に講義をしている姿が出たので、その話芸を観たくなり、話に聞き入っていた。…その講義の最後に林家三平の臨終時の話になった。

 

…三平がまさに今、逝くというその時に、主治医が三平の耳元で大声で叫んだ。(しっかりして下さい!…ご自分の名前が言えますか!!)と。…すると三平は切れ切れのかすれた声で、自分の名前をこう言ったという。…(……カヤ マ…ユウゾウ)と。…学生達は爆笑したが、私は三平という芸人の性(さが)を垣間見た思いがしてゾッとした。…人は亡くなる時はさすがに自分というものを留めおく事に固執するものだと思うが、この恐るべき自己放棄を知ってその笑いの底に暗澹たる不気味ささえも思ったのであった。

 

 

……この三平のように、最期の瞬間まで、虚構という芸の凄みに徹した俳優の例として、…正に死ぬ直前に、自分がデビューした時に演じた弁慶が、死んでもなお目を見開いたまま死んでいたという伝説を自らが演じて目を見開いたまま死んでいった名優の緒形拳がおり、また森繁久彌のライバルだった俳優の山茶花究が、末期の時に枕元に森繁久彌を手招きして呼び、森繁の肩に最期の力をかけて逃げられないようにして、掠れる声で森繁の耳元でこう言ったという(……なぁ繁ちゃん、……一緒に逝こう‼)と。瞬間、森繁は恐怖におの退いて真顔で腰を抜かすと、それを見届けた山茶花究は、してやったりとばかりに、にゃっと笑って息絶えたという。

 

…昔、学生の頃にベルクソンの名著『笑い』を読んだ事がある。笑いの底にある複雑な底無しの闇を知って驚いた事があるが、ブログを今書いていて、久しぶりにこの名著を再読したくなって来た。……今回のブログのタイトル『一から三へと拡がっていく話』は、そのまま拡がって、いつしかバラバラになってしまったようである。……次回のブログはゴジラや勝新太郎、丹波哲郎といった濃いキャラクターが続々と登場する予定。…乞うご期待である。

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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