かたつむり

『寺田寅彦 Part②』

夏目漱石が重度の「うつ」であった事は知られているが、弟子で物理学者の寺田寅彦氏も軽い「うつ」であった。その寺田氏は『春六題』という随筆の中で「桜が咲く時分になると此の血液が身体の外郭と末梢の方へ出払ってしまって、急に頭の中が萎縮してしまうような気がする。・・・・そうして何となく空虚と倦怠を感じると同時に妙な精神の不安が頭をもたげて来る。」と記し、「・・・此のような変化がどうして起こるのかは分からないが、一番重要な原因は、やはり血液の循環の模様が変わった為に脳の物質にどうにか反応する点にあると、素人考えに考えている。」と記している。~ 1921年の事である。

 

 

先日のNHKのTVで『ここまでわかった、うつ病の最新治療』というテーマの番組を見た。もはや日本人で100万人以上の患者がおり、私の知人であった大学教授や画廊主も、うつが原因で自殺をとげている。ために身近な問題事として見入った。番組はアメリカの先端医療で、実に七割ものうつの患者が普通の生活を取り戻している事例を紹介し、その治療法として抗うつ剤ではなくTMSと呼ばれる装置で磁気刺激を前頭部に与える方法を映し出していた。そして、うつが心の病ではなく脳の病であり、その原因が「前頭葉の血液量が少なくなる事にある」と語っていた。原因が血行不良にある事が判明したのは、ベトナム戦争後の1980年頃からの患者の急な増加からであったという。しかし、それより60年も早く、我が寺田寅彦氏は素人考えといいながら、早くもうつの原因を予見していたのであった。この直観力!!

 

『うつ病』を定義すれば、「前頭葉の血流不足により、不安や恐怖の感情を司る〈扁桃体〉が刺激され、その機能が暴走する事」であるという。アメリカの最新医療はここまで突き止めており、前述したTMS装置を多くの病院が取り入れて多くの患者が立ち直って日常生活を取り戻している。しかし、我が国の現状は、効き目が50%以下しかない抗うつ剤を使い、ために改善は見られず患者は日々増加し続けている。アメリカのTMS装置が画期的に効果があると判明しながら、日本は臨床実験からと称していっこうに取り入れる気配がない。理由は、利権か、それともビジネス故か・・・・。ともあれ、ゆるみ歪んだ日本という国は、うすら寒い国である。願わくば一日も早く日本にも導入される日が訪れる事を願うのみである。

 

扁桃体が、芸術・文学・そして犯罪に如何に深く関わったかの事例として、私は『モナリザ・ミステリー』という本の中で詳しく書いた事がある。その代表的例として、ダ・ヴィンチ三島由紀夫、〈少年A〉の三人を挙げ、扁桃体を共通のキーワードとした不気味なトライアングルを立ち上げた。私たちが自分の意志だと思っている事が、脳科学的に見れば、扁桃体が或る条件下において生じて見せた、ある反応の一様態であるという事は、考えてみれば怖いことである。煎じ詰めていくと〈自分の存在とは何か?〉のその先に、無化が立ち現れてくるからである。ともあれ、このままで書き終えれば、今回のメッセージはいささか暗いものとなる。ここは寺田寅彦氏の俳句を挙げて終るとしよう。あれ程の明晰な頭脳から・・・何故?と思わせるような迷句である。こと程さように脳は迷宮・・・と思わせる名句である。

 

蝸牛(かたつむり)の 角がなければ のどか哉

 

睾丸に 似て居るといふ 茄子哉

 

 

補記:かくいう私の24歳の頃に詠んだ俳句もついでに挙げておこう。

 

 

蜻蛉(とんぼ)捕り 十年ぶりの 帰宅哉

 

 

 

 

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