ほほえむ人びと

『永遠の少年 – レイ・ブラッドベリ』

SF界の巨匠レイ・ブラッドベリが亡くなった。九十歳を過ぎて尚も新作を書き続けて生涯現役を貫いた驚異の人である。ブラッドベリの世界を愛する日本人ファンも多く、翻訳書がかなり出ているが、私は『黒いカーニバル』という短編集が最も好きである。ブラッドベリはSF作家である以前に本質的に詩人であった。だから翻訳者にも高い能力が要求されるが、私はわけても伊藤典夫氏の訳が好きである。『黒いカーニバル』所収の中でも「みずうみ」「ほほえむ人びと」などは最も惹かれた作品であるが、「みずうみ」などは言葉による時間転移の巧みさにおいて、ある意味で川端康成を超えるものがあるのではあるまいか。—– 私はそれ程に「みずうみ」を評価し、折に触れ再読を重ねて来た。

 

ブラッドベリとの出会いは20歳の頃、つまり私が銅版画を作り始めた頃であった。私はその瑞々しい表現世界に潜むイノセントが孕む毒に影響を受け、それを銅版画に取り入れる事を試行した。三島とボードレールからの影響で「午後」という作品は生まれたが、ブラッドベリの「ほほえむ人びと」は、私に「微笑む家族」という作品を作らせた。この作品は、当時の日本の美術界を引っ張っていた美術評論家・土方定一氏の目にとまり、氏が館長を勤めていた神奈川県立近代美術館の収蔵に入った。銅版画を始めて二作目の作品が早くも評価された事で、私は銅版画への自信を一気に深めたわけであるが、それもブラッドベリのおかげである。ブラッドベリの感性の中には、年を取らない「永遠の少年」が最後まで住んでいたが、ピカソが残した言葉「芸術とは幼年期の秘密の部分に属するものの謂である」にならえば、ブラッドベリもまた言葉の正しい意味での真の芸術家であったといえよう。

 

或る時、私は間近に迫った個展の為にオブジェを制作していて、ふと無性にレイ・ブラッドベリへのオマージュを作りたい衝動が立ち上がって来た。私には度々ある事であるが、突然、イメージが向こうからやって来るのである。そして気がつくと僅か三十分程で一点のコラージュが出来上がっていた。・・・ビリヤード台のような物の上に配された小さな村の縮図。それだけで「物語」の舞台は出来上がっているのであるが、私はその背景に巨大な半円状の天球図を配し、手前に不気味に浮遊する不可解な小物体を暗示的に配した。私はその作品を個展に出品はしたが、展覧会の主題とは外れた私的な作品の為に、もし購入者がいなくても自分のアトリエに掛けようと思っていた。内心、とても気に入っていたのである。しかしその作品は個展二日目に早々と売れてしまったのであった。購入されたのは、以前から私の作品を度々コレクションされているN氏。N氏は仏文学者でジャン・ジュネなどの優れた翻訳でも知られる人である。伺うとN氏もまたブラッドベリのファンとの由。この作品はN氏の書斎にピタリと収まるに相違ない。そう思うと、私はこの作品がN氏にコレクションされる事の必然を直感して無性に嬉しくなってきた。作品のタイトルにブラッドベリの名を入れていた事もあってか、N氏は作品を見た瞬間に、自らの想うブラッドベリの世界と作品が一瞬で結び付いたとの事。ブラッドベリを介して私とN氏の感性がこの瞬間に直結したのである。

 

レイ・ブラッドベリは亡くなったが、しかし氏の残した珠玉のような数々の作品は、その瑞々しいイメージの深度と独自性ゆえに、次代の人々にも読み継がれていくであろう。そして私もまた折を見ては再読を死ぬまで重ねていくであろう。レイ・ブラッドベリを読む事、それは私にとって表現者になることを志した時の初心に帰る事なのである。〈 詩人レイ・ブラッドベリの魂よ永遠なれ。〉

 

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