クレー

『個展開催中。―先ずは地面師の話から』

大学の後輩に佐藤弘之君という美術家がいる。知り合ってから40年くらいの旧友であるが、ベルギ―象徴派の影響を受けたその技術は細密を極め、特に天使像を描く事に於いては第一人者であるかと思われる。その佐藤君が五反田の画廊で個展を開催しているというので観に行った事がある。時期は、昨年の5月の連休の頃の夕方であったろうか……五反田駅を出てしばらく行くと大きな河畔へと出た。その川筋に沿って行くと、彼方に佐藤君がいて、画廊はここだよとばかりに手を振っているのが見えた。と同時に、視界の左側に鬱蒼とした木々に囲まれた古い屋敷が目にとまった。……まるで横溝正史の、怨念の血に彩られたような、見るからに怪しい気配を、その建物は放っており、好奇な興味を覚えた私は、向こうで待っている佐藤君に会う前に、高い塀を逆戻りして玄関へと廻った。……敷地に囲いはなく、見ると旅館の看板があり、玄関には、薄ぼんやりとした灯りだけがともっており、周りの庭は暗く深閑としていた。……誰かが建物の中からじっと私の動向を監視してでもいるような怪しい気配。……事件の匂い。…………

 

事件の匂い、……そう感じた私の予感は、一年後に現実のものとなった。地面師と呼ばれる土地や物件の所有者に成りすまして詐偽を働く集団が、積水ハウスを相手に55億円をせしめた物件、……その物件こそが、五反田にある件の建物と土地であり、私が関心を持った正にその頃に、私と入れ替わるようにして、地面師達もまたあの怪しい気配を放つ建物に寄ってきていたのであった。……昔、美大の大学院の時に、立教大学女子大生行方不明事件がおき、マスコミを騒がした事があったが、私は女子大生の死体は教授の所有する別荘裏に埋められていると推理して現場に赴いたが、現場に着くと、警視庁がやはり別荘裏が怪しいと分析して裏庭にたくさんの警察官が入って来たのであった。後で、この事件を書いたノンフィクション小説を読んで知ったのだが、私と警視庁が事件現場に入ったのは正に同日のほぼ同時刻なのであった。……ともあれ、私は実際の犯罪現場に度々入り込んでいく。事件のアニマが私を喚ぶのか、それとも私のセンサ―が不穏な気配を先に察知するのか、ともあれ、私はひたすらに「事実は小説よりも奇なり」を好んでやまない人間であるようである。

 

……さて、個展も中盤を少し過ぎる頃となった。たくさんの方々が来られるが、まだ尾道の三宅俊夫さんをはじめ、普段なかなかお会い出来ない方がいるので、個展のこの機会にぜひお会いしたいと思っている。三宅さんの事は以前にも書いたが、私の版画やオブジェを中心に個人のギャラリ―を開設して、優れた企画展示を開催している慧眼の人である。……今回の個展では、クレーやジャコメッティをコレクションしている人、或いはコ―ネルや北斎を所有している人などが新たに私の作品をコレクションに加えるなど、コレクタ―の人達の確かな眼力を日々確認出来て、毎日が多彩である。今回の個展は暗示や象徴性が最も深い作品群がたくさん展示してあり、作者の私は静かな手応えを覚える日々である。2回、3回と続けて来られる方もいて、盛況は最後まで続くように思われる。まだご覧になっておられない方は、ぜひこの機会にご高覧をお薦めしたい、自信のある個展になっている。

 

 

 

 

北川健次『吊り下げられた衣装哲学』展

日本橋・高島屋本館6階美術画廊X

10月10日(水)→29日(火)

 

 

 

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『東京日本橋・不忍画廊』

東京の日本橋にある不忍画廊で昨日から『名作のアニマ ー 駒井哲郎池田満寿夫・北川健次によるポエジーの饗宴』が始まった。私は最新作のコラージュ30点近くと、代表作として考えている銅版画を13点近く出品している。銅版画のパイオニア的存在であった駒井氏の作品は名作『果実の受胎』他、そして池田氏の作品は、その存在は知られていてもなかなか見る機会の無かった西脇順三郎氏との詩画集『トラベラーズ・ジョイ』全点が展示されている。この国が生んだ最大の詩人西脇順三郎氏の詩は英語で書かれていて版画集に所収されているが、その訳も展示されており、詩画集の金字塔的存在を直接見ることが出来る、今回はその最後の機会であるだろう。今回の展覧会に際し、私は画廊のオーナーである荒井裕史氏から、駒井・池田・そして私の自作に対しての小論を書いて欲しいという依頼を受け、展覧会直前にそれを書き上げた。駒井・池田両氏とも私をプロの作家へと導いて頂いた恩人であるが、私は客観的な視点を自分に強いて、その小論を書き上げた。三つの小論の題は『駒井哲郎という現象』『トラベラーズ・ジョイ小論』そして自作への文『コラージュ〈イメージの錬金術として〉』である。ご興味のある方は不忍画廊の公式ページでも配信されているのでお読み頂ければ有り難い。

 

普通に開催されている展覧会というものは、作家が作った新作を並べる事に終始しているが、今回の展覧会にはその核に秘めた強い骨子がある。ー それは、現代の衰弱を極めた版画界への鋭い切っ先が、問題提示として在るという事である。私のアトリエには毎日展覧会の案内状が送られてくる。そのほとんどが芸術とは無縁と化したイラストレーションのごとき内容であるが、その中でも悲惨を極めているのが〈版画〉である。強いアニマ、馥郁としたポエジー、つまりは見る事の愉楽からはほど遠い、ペラペラと化した状況へと陥っているのである。原因はある程度わかっている。技術(それも既存の)しか教えられない美大の形骸化した指導のやり方。唯のマニアしか読者として意識しない版画誌の編集スタイル。デューラーからクレー、さらにはルドンといった名作から何らかのエッセンスを盗んで自らの物としようという気概ある意識の向上を欠いた作家志望(?)の個々の問題etc。しかし、それにしても表現には不可欠なアニマやポエジーはことごとく、この版画というジャンルからは消え失せて、それも久しい。その貧しき現状への、この展覧会は問題提示が骨子として在るのである。

 

以前に、やはり不忍画廊の企画で私と池田満寿夫氏の二人展が開催され、また別な企画では私と駒井氏の作品が並んだ事は度々あった。しかし、駒井・池田両氏と私が並ぶ事は今までなかっただけに、そこから立ち上がってくる三者のアニマやポエジー、そしてそもそもの各人の在りようを検証出来る事は、私にとっても大きな意味がある。昨日、私は駒井氏の作品の前に立って、学生の或る時の自分を想い出していた。・・・・それは駒沢の駒井哲郎宅を一人で訪れた時の事である。私は駒井氏に向かって「あなたの考えておられる銅版画の理念とは、せいぜいその程度でしかないのですか!?」という暴言を吐露したのである。既に『束の間の幻影』という名作をはじめ、銅版画界の最高の表現者であった氏に向かって、私はかくの如き言葉を突き刺した。長州の久坂玄瑞ではないが、ともかくその頃の私は「激」であった。・・・そして、駒井氏と私はしばらくの間ひたすら睨み合った。池田満寿夫氏はそういう私を面白がり、「君の神経は表に出過ぎている!!」と言って笑われたものである。同じ頃、美術評論家の坂崎乙郎氏もまた私の作品を見て「君の神経は鋭どすぎる。これでは君自身の身が持たない!!」と言われた。私は池田・坂崎両氏共に敬愛していたために素直にその言を聞いた。・・・坂崎氏と会って深夜の新宿の雑踏の中を帰る時、私は「長距離ランナーになろう!!」・・・そう自分を一瞬で切り換えた。しかし切り換え過ぎたのか、私は「作る人」から「しばし考える人」に変わってしまった。すると、或る夜の二時頃に電話が鳴った。作品を作る速度が遅くなった私にいらだった池田氏からの激しい叱咤であった。それはかなり激しいものであった。「・・・とにかく、頑張ります!!」私はそう答えただけで、電話を切った。坂崎氏をはじめ、その駒井、池田両氏ももはやこの世にはいない。しかし、彼らが生の証しとして作り上げた作品は、今も私たちの前に或る光輝さえも帯びて燦然と在る。私は今月は、出版社と約束してある与謝蕪村の原稿の残りを書き上げなければならず、また個展ではないので度々は画廊には行けないが、それでも会期中には何度か訪れる予定でいる。そして泉下の駒井・池田両氏の作品から、出来るだけの更なる発見をしたいと思っているのである。

 

駒井哲郎『果実の受胎』

 

池田満寿夫・西脇順三郎による詩画集『トラベラーズ・ジョイ』全点

 

 

北川健次『鳩の翼 - ヴェネツィア綺譚』


 

北川健次 『青のコラージュ「廃園の中の彫像と鳩」』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『A・ランボーと私』

昨今の、ただたれ流すだけのCMと違い、昔のコマーシャルにはニヤリとさせる機知があった。例えば、30年以上前であるが、フェリーニの映像世界を想わせる画像がCMで流れ、小人の道化師や火吹き男たちが怪しい宴を催している。そこに、十代で『酔いどれ船』『地獄の季節』『イリュミナシオン』の文学史における金字塔的詩を発表した後、詩を棄て、死の商人となってマルセイユで37歳で死んだ天才詩人アルチュール・ランボーの事が語られ、最後に殺し文句とも云えるナレーションが入る。すなわち「アルチュール・ランボー、・・・こんな男、ちょっといない!!」という文である。そう、アルチュール・ランボー、・・・こんな男、ちょっといない!!

 

18歳で銅版画と出会った私が、最初から重要な表現のモチーフとしたのが、そのアルチュール・ランボーであった。現在、版画作品として残っているのは、僅かに4点であるが、おそらく40点近い数のランボーの習作が生まれ、そして散失していったと思われる。アルチュール・ランボー研究の第一人者として知られるJ・コーラス氏が私の作品二点を選出し、ピカソジャコメッティクレーエルンスト達の作品と共に画集に収め、二度にわたるフランスでの展覧会に招かれたのは記憶に新しい。又、20代から先達として意識していたジム・ダインのランボーの版画の連作は、私の目指す高峰であったが、そのジム・ダイン氏からの高い評価を得た事は、私の銅版画史の重要なモメントであり、そこで得た自信は、今日の全くぶれない自分の精神力の糧となっている。つまり私はアルチュール・ランボーによって、強度に鍛えられていったともいえるのである。

 

18日まで茅場町の森岡書店で開催中の、野村喜和夫氏との詩画集刊行記念展では、私のランボーの諸作も展示され、野村喜和夫氏収蔵のランボーの原書や、氏の個人コレクションも展示されて、異色の展覧会となっている。会期中は4時半から8時迄は毎日、会場に顔を出しているが、17日(金)の野村喜和夫氏との対談も控えている。当日は6時30分から受付が始まり、7時から対談がスタートする。定員制のため50人しか入れないが、聴講を希望される方は、早めに森岡書店まで申し込んで頂きたい。

 

この展覧会があるので、野村氏とはよく話をする機会があるが、つい本質的な内容にお互いが入り込んでしまうので、なるべく対談の時まで入り込まないように自重している。ぶっつけ本番となるが、今からどういう話が展開していくのか、自分としても多いに楽しみにしているのである。とまれ、この展覧会、会期が短いが緊張感の高い展示となっているので、ぜひ御覧頂ければと思っている。

 

 

 

 

 

 

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『中長小西』

1990年代のアートフェアーは横浜で開催された〈NICAF〉などに代表されるように、海外からも一流の画商が参加して質の高いものがあった。私も個展という形で当時の取扱画廊であった池田美術が出品したが、その時は真向かいのブースでドイツの画商がJ・コーネルの箱の作品を十点ちかく出品し、なかなかに緊張感の漂う見応えのある展示内容であった。

 

しかし、次第に個性のある画廊が姿を消して、代わりに右並えの流行ばかりを追った画廊(とは言い難い)がぞろぞろと出てきて、先述したアートフェアーも質の高さが次第に消えていった。数年前に訪れたアートフェアーもかくのごとくで、仕切られた各々の空間での展示は、そのほとんどが唯、並べただけの美的センスの伝わって来ないものが多く、私は未だ途中であったが帰ろうと思って出口へ向かった。すると、或る画廊の空間がふと目に入って来て私は足を止めた。他の画廊とは全く異なる緊張感がそこからは伝わってきて、私は引き寄せられるようにその前に立った。そこに展示されていたのは、私も生前にお会いした事のある天才書家、井上有一の今までに拝見した中でも最高の書(それはクレータピエスと同質の凄みを持っていた!!)、そして瀧口修造デカルコマニー山口長男など、決して数は多くはなかったが、圧倒的な質の高さと、何より張り詰めた美意識がその空間からは伝わってきて私を魅了した。画廊の名前は「中長小西」(NAKACHO KONISHI  ARTS)。初めて知る名前であった。その時、オーナーは不在であったが、私は一人の眼識を持った人物がそこにいる事を直感した。その中長小西のオーナー小西哲哉氏とお会いするのは、それから一年後のことであった。

 

中長小西が開廊したのは2009年の秋である。銀座一丁目にあるその空間は、まるで無駄をそぎ落とした茶室を連想させた。黒を基調とした壁面には、山口長男・斎藤義重李禹煥・・・といった現代作家から陶芸の加守田章二深見陶治、そして奥には村上華岳の掛軸がある。又後日訪れた時にはジャスパー・ジョーンズマルセル・デュシャン・・・といった作品があり、時代・ジャンルに促われずにトップクラスの作品だけを紹介していこうという画廊のコンセプトが静かに伝わってくる。オーナーの小西氏は、中長小西の開廊までは14年間、老舗の水戸忠交易で平安時代から現代までの美術に対する修行を積み上げてから独立したという筋金入りの歩みがあり、その眼識に一本のぶれない眼差しがある理由を私はそこで理解した。

 

その中長小西で私のオブジェの個展『立体の詩学 — 光降るフリュステンベルグの日時計の庭で』が今月の20日(木)から10月6日(土)まで開催される。私の持論であるが、或る作品が本物であるか否かは、例えば、洗練された美意識の極を映した茶室に掛けてみれば瞬時でよくわかる。本物はそこに同化し、偽物は弾かれる。例えばクレーデュシャンジャコメッティー、・・・彼らの作品を茶室に掛けてみる事を想像して頂ければ、私の云わんとするところが伝わるかと思う。その茶室の本質を画廊空間に移したような洗練が、この中長小西には存在する。その厳しい空間での展示は、私の表現者としての本能を激しく揺さぶってくるものがある。オブジェという、この名付けえぬ不可思議な存在物が、〈客体〉となってどう映るのか。個展を間近に控えた私の最大の関心がそこにあるのである。

 

〈マルセル・デュシャンの珍しいマルチプル作品〉

 

 

 

 

 

 

「中長小西」(NAKACHO KONISHI  ARTS)

住所:〒104-0061 東京都中央区銀座1丁目15-14 水野ビル4F

TEL/FAX:03-3564-8225

営業時間:午前11時~午後7時

日曜休 *22日(祝)は開廊


 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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