コロナ感染者

『冬のいそぎ/…個展を終えて』

個展が終わった翌日の夜、見事な皆既月食と天王星食を視た。この二つの現象が同時に起こるのは442年ぶりというから1580年・天正8年の安土桃山時代(本能寺の変の2年前)。この年の信長は、石山本願寺、加賀、能登攻略戦の真っ最中。しかし知的好奇心が強い信長の事、間違いなく安土城の天守閣か戦場の野にいて、この天上の月が消えて赤く染まるという異変に強い興味を示したであろう事は、想像に難くない。……太陽と地球と月が一直線に列び、地球の影が投影して月が翳るという事を知る、今日の夢なき知識だけの時代と違い、何を想うてか、ともかく鋭い眼をぎらぎらさせて刺すように確かに視ていたように思われる。その信長の肖像画は20近くあるが、その中で最も似ているといわれる、宣教師ジョバンニ・ニコラオが画いた写実的な肖像画(織田家の菩提寺・三宝寺所蔵)を掲載しておこう。……次にこの現象が起きるのは322年後の2344年との事。……かつて無かった規模の自然界の崩壊と、人類による大惨事の嵐が去った後の全くの静寂の夜に、天上を観る人の姿などはこの地球には存在せず、僅かに咲く野の花に、朧な月影は何かを落としてでもいるのであろうか。

 

 

 

 

 

 

……個展の間は懸念していた台風もなく、連日晴天の3週間が無事に過ぎた。昨年もそうであったが、個展が始まる1ヶ月前辺りからコロナの感染者が次第に減り始め、故に来廊される方は多く、個展は盛況の内に終わったのであるが、今回も個展が終わるや正にその翌日から、感染者の数が急上昇を見せ始め、今月の20日頃はかなりの数に達しているように思われる。……個展が無事に終わった今想うのは、確かに私の運気は強く、何かのバリアにいつも守られているように思われて仕方がない。……思い出すのは3年前の3月初旬の事。……1月にこの国にも最初のコロナ感染者が出て以来、もの凄い勢いで全国的に感染が拡がって来た時に、富山のぎゃらり―図南で私の個展が開催された事があった。ほとんどの県は感染者が続々と出ていたが、何故か富山や山形はその時はまだ感染者がゼロであった。しかし、全国的に感染の包囲網が加速的に拡がり、富山にも明日か明後日に……と迫っているように思われた。私は初日に画廊を訪れ、画廊のオ―ナ―である川端さんご夫妻と再会し、翌日の夕方に横浜に戻った。その日、富山駅で列車に乗る前に私は強く「2週間の会期中は絶体に富山に感染者は出るな!!」と念じて、富山を去った。……連日、全国的に感染者が更に続出しているという危機の中、しかし富山はゼロの日が続き、私の念は効いているように思われた。……そして、2週間の個展の会期中は感染者ゼロが続き、会期が終わったまさに翌日、「会期中は出るな!」という私の念の有効力が閉じるように、富山に最初の感染者が出た時は、さすがに自分の念の強さは正に「陰陽師」並みだと思ったのであった。……川端さんには私が富山を去る時に「個展開催中は絶体に出るな!」と念じていた事をメールで伝えてあったので、それが叶った事を電話でお話したら、興味深く笑っておられたのを、今も懐かしく覚えている。

 

 

個展会期中の10月29日に韓国・ソウルの繁華街、梨泰院で156人が圧死したというニュ―スはリアルな事故として伝わって来た。なぜリアルかというと、あの事故と似た経験を昔、私も体験しているからである。……中学時代、学校の講堂で全校生徒が集まって何かの式典をやっていた時と記憶する。……式典が終わり、1つの狭い出口から生徒が次々と出る時に、前方と後ろから生徒が倒れでもしたのか、突然ねじれた人のうねる波が一斉に襲って来て、何層にも重なった耐えられない程の重さの生徒の山が出来、息が詰まる苦しさと痛さと叫び声の中、正に阿鼻叫喚と化したのであった。他人の体が予期しない凶器となり、叫びがいっそうのパニックと化すのである。……私が体験したそれは、韓国の事故の規模からすれば人数は遥かに少ないが、それでもその時の「死」を一瞬垣間見た恐怖は、今もトラウマとして残っているから、韓国のその現場の地獄絵図と化した様はリアルに想像出来るのである。……事故後、兎の長い耳を付けた数人が「押せ」「押せ」と言っていたのを聞いたという目撃談らしき話が出たが、政府と警察が事故の責任を散らす為の作られた談話とも思われる。ともあれ日常の中に「死」は、影を隠して潜んでいるのである。

 

 

……73点の新作オブジェの個展が終了した翌朝、私の頭の中は早くも切り替わって、次なる言葉による美の顕在化、……すなわち詩集の制作へと向かっているようである。……個展の最終日に画廊から戻った夜は、たまっていた疲れもあり、さすがに早く寝た。しかし、その翌朝、目覚めの時に、頭の中はひんやりとしていて、いつの間にか寝ている間に「水を包む話―ブル―ジュ」という言葉が立ち上がっていて、起きた時に、自分が既に詩集へと意識が向かっているのを実感した。……個展の会期中に出版者の人と画廊で詩集の打ち合わせをしたが、今はそこに集中する時である。第二詩集『自動人形の夜に』、言葉による新しい試みと挑戦が待っているのである。

 

 

 

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『……あたかも陰陽師!?』

富山のぎゃらり―図南での個展が先月の29日に無事に終了した。初日の14日に富山に行き、翌日の夕方に東京へと戻ったのであるが、富山駅で新幹線に乗る前に私は「個展が終了する29日迄は、富山にコロナ感染者が絶体に出ないように!!」と強い念を発して、帰途についた。その後、富山は持ちこたえているかのように感染者が出る事なく、私が念じた29日まで持ちこたえた。「富山に感染者が出るとしたら30日ですよ!」……私は、ぎゃらり―図南の川端秀明さんはじめ、予め何人かにそう予言していた。……果たして翌日の30日に、耐え忍んでいた何かが崩れるように富山に感染者が出始め、今もその数が増えている。 …………2月にも似たような事があった。版画家の重野克明君は、年下の版画家の中で唯一私が評価している異才の人である。その重野君から四人展のご案内状を頂いた。掲載されていた重野君の作品は、驢馬(ろば)を描いたモノクロ―ムの淡彩素描で、何とも面白く気になった。かつてアンダルシアのグラナダの坂道で見た、哀愁を含んだ驢馬の姿が思い出されて懐かしい。……画廊に行くと四人の作品がたくさん展示してあったが、ただ重野君の作品だけが独自性が感じられ、わけても、その驢馬の作品はますます私の気を引いた。重野君の作品は人気があるので、ファンが多く売約のシ―ルが各々に貼られていた。しかし、不思議な事に驢馬にはまだ売約の印が無い。案内状に載せただけに作者にとっても自信作の筈である。私は観ていて「この驢馬の作品は私の所に来る運命にあるな!」と直感した。私は思ったら動くのが速い!……さっそく重野君に電話を入れて作品の交換トレ―ドを申し出ると、重野君は「もし最終日まで残っていたら是非!」と喜んで言ってくれた。電話を切った直後に、私は静かに、しかしかなり強い念を発した。……重野君いわく、やはりあの驢馬の作品が一番人気があり評価が高いとの由。私もそう思う。今まで拝見して来た重野君の作品の中でも特に出色の作品である事は間違いがない。……そして長い会期が終わった後に、私は重野君に電話を入れた。やはりあの作品は、会期を通して最も人気があるのに、不思議と購入者が現れず残ってしまったという事で、重野君にとっても今までにない経験であるらしい。……かくして驢馬の作品だけが残り、近々に私のアトリエにその作品がやって来る事になった。直感はやはり現実の形になったのである。……念ずれば確実に叶う!……こういう事は、今までも実にたくさんあり、枚挙にいとまがない。……昨年末にブログでも書いたが、芥川龍之介の上海の紀行文を読んでいて、今は消えてしまった魔都上海に想いを馳せていたら、1週間後にNHKのTVで、その芥川龍之介の紀行文を下敷きにした番組が放送され、私は妖しい魔都上海の映像をたっぷりと愉しんだ。……また、2月~3月にかけてブログの連載で版画家・藤牧義夫の謎の失踪事件の事を熱く書いたら、これもすぐに『新・美の巨人たち』で藤牧義夫の特集が放映された。……時空間を自在に交感して私が飛ぶ。或いは向こうからそれは突然やって来る。

 

 

 

 

…………思い返せば、私が12才の時に、突然夢の中で、女性が浴室の風呂の中で幼児を絞殺している凄まじくもリアルな映像が30秒ばかり映った事があった。……何とも残酷な嫌な夢だったな……と生々しい記憶のままに床から出て、その日の朝の七時のニュ―スを見て、私は驚いた。……何とTVの画面でハンカチを手に第一発見者として泣いているその女性こそ、つい数時間前の夢の中に出て来た女性であり、中学生であった私は、心底凍りついたのを今もありありと覚えている。その女性は家政婦であり、名前を出せば誰もが知っている某芸能人夫妻の留守中の未明に起きた、浴室での幼児殺人事件として、当時かなり話題になった戦慄的な事件であるが、時系列に辿ってみると、事件は世田谷上野毛で起きたのであるが、何故か遠方の福井にいた私の脳の中に、実況中継のように映し出されてしまったのである。……犯人の家政婦側から見た、幼児の苦しみ溺れ死ぬ姿、次に映ったのは、意識が消えていきつつあるその幼児の眼から見えた、家政婦の鬼畜と化した凄まじい形相、かと思えば、カメラがメチャクチャに撮したかのような、浴室の天井や壁のタイルのフラッシュに映し出される映像。……家政婦は第一発見者として、「当日夜に窓の外を不審な男が歩いているのを見た」「長男が激しく泣いているのを聞いた」などと最初は証言していたが、幾つもの矛盾点を追及されて同日の午後に自白した由。……何故、私の脳がそれを受像してしまったのかは不明であるが、それ以来、違う場所で起きている事をリアルタイムに察知したり、また予知的な事や、想っている事が現実化するといった事は数知れず起きており、長きに渡って続けているこのブログでも、その事は度々書いて来た。昔はそれを不思議に思っていた時期もあったが、今は「あぁ、また起きたな」という、もはや日常の当たり前の感覚になっている。……この直感力が一番向いているのは制作の時である。……以前に、美術家の加納光於さんは「あなたが、そういう能力を持っている事は、最初に出会った時から気付いていました」と語り、坂崎乙郎さんや池田満寿夫さんは、私の異常な集中力や神経の鋭さを危ぶんだ。…………話を移せば、例えばジャンコクト―やマックス・エルンスト、ダリにもこういった予知や透視の力があったという。有名な話では、ミレ―の『晩鐘』の絵を見たダリが、「この絵の手押し車の布の中には、死んだ子供が描かれている」と突然語りだし、興味を持ったル―ヴル美術館がエックス線で調べたところ、果たしてダリが透視した通り、晩鐘に祈りを捧げる農夫妻の姿を描いただけと解釈されていた、その夫妻の脇に描かれた小さな手押し車の布の描写の下から、塗り隠された幼児の死体が現れたのであった。その絵が描かれた直後に、絵を見た友人が「不吉過ぎるので死体は消した方がいい」という忠告を受けたミレーが、それを隠す為に描き足した布を透かして、ダリの眼には、見える筈のない幼児の姿が見えてしまったのであるが、これに関して書かれた翻訳書があるので、ご興味のある方はぜひ読まれたし!!。

 

 

……今回はコロナウィルスから発して、例の731部隊について書く予定であったが、筆が滑ってしまったらしい。ともあれ、今朝のニュ―スでは、マスクの効能が実証された事を香港大学から発表された事と、免疫力の強化には黒ニンニクをお薦めする事を書いて、今回はおしまいとしよう。……次回も引き続き、乞うご期待。

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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