サラサーテの盤

『異界への入口』

 

梅雨もいよいよ後半に入った。うっとうしい気分の毎日であるが、しかし少し視点を変えてみると、ふとした瞬間に、なにげない風景もハッとするように見える時がある。

 

三十年ばかり前であろうか、映画の『ツィゴイネルワイゼン』を見た。内田百閒の『サラサーテの盤』を映画化した幻想譚である。その中にサナトリウムの場面が出てきて、その雰囲気が妖しく、たいそう私の気に入った。その撮影に使った建物(実際のサナトリウム)が逗子と鎌倉の間の山中に在り、老朽化のために壊されるという記事を新聞で読み、さっそく私は現地へと赴いた。広大な敷地に、まるで木造の古い小学校の校舎のような雰囲気で、その建物はあった。受付で「大学で建築を専攻している者です」と、許可されそうな来意を言うと、あっさりと中の見学が許された。受付には二人いたが、建物の中に入っていくと、全くの無人。かつて結核が死の病であった事を想いながら進んでいくと、ひんやりとした気配が次第に濃くなってくる。しんとした無数の病室、入り組んだ長い廊下・・・。その或る角を曲がった瞬間、私はハッと息をのんだ。眼前の廊下に一直線に十数羽ほどの蝶の死骸が整然と並べられていたのである。人為的に誰かがしなければ在り得ないような眼前の光景・・・。しかし、二万坪以上の敷地の中で、私以外には受付の二人の病院関係者のみ・・・。しかも、その二人は三十分以上前に見かけただけで、他にこの病棟にいるのは、唯、私だけ。私は座り込んで、その一列に綺麗に並べられた蝶の死骸の一つを手にとってみた。すると羽はパラパラと崩れて、その粉が床へと落ちていく。・・・・つまり、死後かなりの時間が経っていたのであった。しかし見た印象は、今しがたそこにふと現れたような感がある。私はこの光景の「在り得ない事」を何かとの交感と受け止め、記憶に焼き付ける事にした。そして、それは今も鮮やかに目に浮かぶように私の記憶の内に残っている。

 

余談ながら、この建物の近くには心霊スポットで最も有名な「小坪トンネル」がある。異界への入口として噂され、何人かの人が、忽然と姿を消したまま消息を断ち、又、霊が出現する場としても知られている。ちなみに、あの川端康成が、このトンネルに興味を抱き、タクシーの運転手と二人で長時間その場にい続け、遂に早朝に二人とも女性の在り得ぬ姿を見てしまったという話は有名である。そして、数年後に川端は逗子マリーナで命を断ったが、その死体はここ小坪トンネルの上で焼かれた。そう、この「小坪トンネル」の山頂には、小さな火葬場があるのである。川端は生前よく「仏界易入  魔界難入」という一休の言葉を書にしていた。日本の哀しい抒情が主題であった川端にとっては、心霊スポットもまた、イメージの拠って立つ場所として映っていたのであろうか。彼においては死者こそは懐かしき隣人。3・11で私たちがありありと垣間見た〈この世とかの世は地続きである〉という醒めた眼差しを、生涯抱き続けたのであった。

 

さて私はといえば、いろいろと不思議な交感体験をしているが、それは時を経て変容し、作品へと転化している。三十年前の先述した体験はコラージュ作品『蝶を夢む』というタイトルを供なって先日、連作で完成した。この体感経験が作品へと化わっていく話は、次回も書きたいと思っている。次回の話の舞台は「浅草」である。

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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