ダリ劇場美術館、サルバトーレ・ダリ、ジャンヌ・ダルク、坂本龍馬,中岡慎太郎、お龍

『白黒はハッキリと!!』 

今から27年前の1990年の晩秋のある日、私はスペイン・カタロ―ニャ自治区の北東部にあるフィゲラスのダリ劇場美術館にいた。前日にダリのアトリエ(通称―卵の家)のあるカダケスで過ごし、早朝のバスで、ダリの生地であるここフィゲラスに着いたのである。……奇想の画家・サルバド―ル・ダリの作品が数多く収蔵展示されているこの美術館は、元は朽ちた劇場であったのをダリ自らが設計改造して美術館に作り替えたものである。……部屋ごとに集められた数々の作品を観て行くと、突然、何も展示されていない全くの白くて広い部屋に行き当たった。(……ん、何だろう!?)。見ると、他の観客達はただの通路だと思ってみな足早に取り過ぎて行く。私はふと足下から強い気が来るのを感じて下を見た。……その床面には、「Salvador Dali 1904―1989』と銘が彫られており、私はそれが白い墓石であり、昨年亡くなったばかりのダリの遺体が、この足下の更に深くに眠っている事を知ったのであった。

 

……その墓が掘り起こされて、ダリの遺体がDNA鑑定されるという。……何とも穏やかでない話であるが、事の発端はダリの隠し子だと名乗る女性(マリア・ピラル・アベル・マルティアというタロットの占い師)が現れた事で、ダリの財産(約500億円……意外に安いのは、晩年に近親者たちが勝手に使い込んでいた為)を管理しているダリ財団と、この占い師をめぐって、遺産の相続に絡んだ権利問題に発展しかねない情況が出てきたからである。遺体をDNA鑑定する事を命じたのはマドリ―ドの裁判所である由。そして今年の7月に調査が始まり、先日、結果が出て白と判定され、この占い師には調査に要した多額の費用の賠償請求が近々に課せられるという。………………実は、結果が白である事は、私は当初から既に読んでいた。私事になるが、2004年に刊行した拙著『「モナリザ」ミステリ―』(新潮社刊)所収の「停止する永遠の正午―カダケス」で、ピカソ・ダリ・デュシャンを登場させたが、私はその執筆に際し、多くの資料や逸話までも動員して彼らの下半身事情―いわゆる性癖までも徹底して調べあげていた。その結果、確信を持ったのであるが、ダリは自らを蟷螂(雌に食べられる雄のカマキリに自身を同化する、男性性における性的な不能者)に見立て、ダリの頭上に君臨するガラの横暴に耐える事にのみ性的な恍惚を覚えるという、徹底した受動体であったのである。ダリの「隠し子」と名乗るその占い師が、ダリと自分の母親が関係したと主張する時期は、既にダリはガラの徹底した管理下にあったカダケス時代であり、精神的にも肉体的にもダリの実体の近似値を他に求めれば、浮かんでくるのは、あの谷崎潤一郎の『春琴抄』に登場する丁稚のマゾヒスト・佐助に限りなく近い。……ひたすら堪え忍ぶという忍従の徹底から放射する、独自で特異な美の結晶。谷崎は、マゾヒズムを極める事で、それを超越した耽美主義の誰にも真似の出来ない絢爛たる隱花を咲かせたが、ダリもまた独自な偏執抂の月下の美を顕した。ダリが美の規範(カノン)とした基準は〈可食的であるか否か〉であったが、自身の徹底した受動体の価値を、そこに合わせ見ていたように私には思われる。…………それはそうと、今回の、墓を掘り出してダリの遺体を調査するという話から思い出したのであるが、フランスでは数年前に、ジャンヌ・ダルクを火刑にしたその遺灰からDNA を調査する試みが実施されたというが、15世紀初頭の人物にまで調査する対象が向かうという、その白か黒かの徹底には、痒い所に手が届くという観があって私は好きである。……話を日本に変えれば、「坂本龍馬暗殺の真相」をめぐって何百冊もの本が書かれてきたが、その詰めになると皆一様ですっきりとしない。中岡慎太郎が最後に語り遺したという、死客達の斬り込み状況のみを信じて、それを鵜呑みにしているが、ズタズタに斬られて断末魔にある中岡慎太郎に、定番として語られているような暗殺時の状況を冷静に振り返って語れる筈がない。真相は、薩摩あるいは土佐の政治的な理由に拠って周到に隠蔽された観が強いのである。……いっそ、東山霊山に埋葬された龍馬、慎太郎、そしてその後に埋葬してある藤吉の遺骸(三人とも樽の中に座ったままの土葬)を掘り出して、その頭蓋骨や肩、背骨に残る刃傷痕の強弱、深浅を調べれば、より確実で具体的な惨事の状況と、新たなる真相が見えてくるのになぁ……と、京都に行って墓参の度に焦れったく思う私なのである。もっとも、調査を実践した場合、翌日の朝刊の一面を飾るトップニュ―スになる事は間違いないであろうが。……そして、その龍馬の墓の同じ場所から、三人以外の、(伏せられている)もう一人の人物の少量の骨が出てくる事は間違いない、云わば知る人ぞ知る……の真相であるが。その小さな骨が、龍馬の妻―明治39年に亡くなって、その遺言により、妹の光枝によって横須賀の信楽寺の墓以外に分骨されたお龍その人である事を知って、……これもまた話題になる事は間違いない事ではあるが。………………

 

 

 

 

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