トラベラーズ・ジョイ

『東京日本橋・不忍画廊』

東京の日本橋にある不忍画廊で昨日から『名作のアニマ ー 駒井哲郎池田満寿夫・北川健次によるポエジーの饗宴』が始まった。私は最新作のコラージュ30点近くと、代表作として考えている銅版画を13点近く出品している。銅版画のパイオニア的存在であった駒井氏の作品は名作『果実の受胎』他、そして池田氏の作品は、その存在は知られていてもなかなか見る機会の無かった西脇順三郎氏との詩画集『トラベラーズ・ジョイ』全点が展示されている。この国が生んだ最大の詩人西脇順三郎氏の詩は英語で書かれていて版画集に所収されているが、その訳も展示されており、詩画集の金字塔的存在を直接見ることが出来る、今回はその最後の機会であるだろう。今回の展覧会に際し、私は画廊のオーナーである荒井裕史氏から、駒井・池田・そして私の自作に対しての小論を書いて欲しいという依頼を受け、展覧会直前にそれを書き上げた。駒井・池田両氏とも私をプロの作家へと導いて頂いた恩人であるが、私は客観的な視点を自分に強いて、その小論を書き上げた。三つの小論の題は『駒井哲郎という現象』『トラベラーズ・ジョイ小論』そして自作への文『コラージュ〈イメージの錬金術として〉』である。ご興味のある方は不忍画廊の公式ページでも配信されているのでお読み頂ければ有り難い。

 

普通に開催されている展覧会というものは、作家が作った新作を並べる事に終始しているが、今回の展覧会にはその核に秘めた強い骨子がある。ー それは、現代の衰弱を極めた版画界への鋭い切っ先が、問題提示として在るという事である。私のアトリエには毎日展覧会の案内状が送られてくる。そのほとんどが芸術とは無縁と化したイラストレーションのごとき内容であるが、その中でも悲惨を極めているのが〈版画〉である。強いアニマ、馥郁としたポエジー、つまりは見る事の愉楽からはほど遠い、ペラペラと化した状況へと陥っているのである。原因はある程度わかっている。技術(それも既存の)しか教えられない美大の形骸化した指導のやり方。唯のマニアしか読者として意識しない版画誌の編集スタイル。デューラーからクレー、さらにはルドンといった名作から何らかのエッセンスを盗んで自らの物としようという気概ある意識の向上を欠いた作家志望(?)の個々の問題etc。しかし、それにしても表現には不可欠なアニマやポエジーはことごとく、この版画というジャンルからは消え失せて、それも久しい。その貧しき現状への、この展覧会は問題提示が骨子として在るのである。

 

以前に、やはり不忍画廊の企画で私と池田満寿夫氏の二人展が開催され、また別な企画では私と駒井氏の作品が並んだ事は度々あった。しかし、駒井・池田両氏と私が並ぶ事は今までなかっただけに、そこから立ち上がってくる三者のアニマやポエジー、そしてそもそもの各人の在りようを検証出来る事は、私にとっても大きな意味がある。昨日、私は駒井氏の作品の前に立って、学生の或る時の自分を想い出していた。・・・・それは駒沢の駒井哲郎宅を一人で訪れた時の事である。私は駒井氏に向かって「あなたの考えておられる銅版画の理念とは、せいぜいその程度でしかないのですか!?」という暴言を吐露したのである。既に『束の間の幻影』という名作をはじめ、銅版画界の最高の表現者であった氏に向かって、私はかくの如き言葉を突き刺した。長州の久坂玄瑞ではないが、ともかくその頃の私は「激」であった。・・・そして、駒井氏と私はしばらくの間ひたすら睨み合った。池田満寿夫氏はそういう私を面白がり、「君の神経は表に出過ぎている!!」と言って笑われたものである。同じ頃、美術評論家の坂崎乙郎氏もまた私の作品を見て「君の神経は鋭どすぎる。これでは君自身の身が持たない!!」と言われた。私は池田・坂崎両氏共に敬愛していたために素直にその言を聞いた。・・・坂崎氏と会って深夜の新宿の雑踏の中を帰る時、私は「長距離ランナーになろう!!」・・・そう自分を一瞬で切り換えた。しかし切り換え過ぎたのか、私は「作る人」から「しばし考える人」に変わってしまった。すると、或る夜の二時頃に電話が鳴った。作品を作る速度が遅くなった私にいらだった池田氏からの激しい叱咤であった。それはかなり激しいものであった。「・・・とにかく、頑張ります!!」私はそう答えただけで、電話を切った。坂崎氏をはじめ、その駒井、池田両氏ももはやこの世にはいない。しかし、彼らが生の証しとして作り上げた作品は、今も私たちの前に或る光輝さえも帯びて燦然と在る。私は今月は、出版社と約束してある与謝蕪村の原稿の残りを書き上げなければならず、また個展ではないので度々は画廊には行けないが、それでも会期中には何度か訪れる予定でいる。そして泉下の駒井・池田両氏の作品から、出来るだけの更なる発見をしたいと思っているのである。

 

駒井哲郎『果実の受胎』

 

池田満寿夫・西脇順三郎による詩画集『トラベラーズ・ジョイ』全点

 

 

北川健次『鳩の翼 - ヴェネツィア綺譚』


 

北川健次 『青のコラージュ「廃園の中の彫像と鳩」』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『個展がまもなく終了』

画廊香月での個展も残り数日(27日まで)となった。今回の大きな成果は、今までに私の作品をコレクションされている方々に加えて、未知の方がかなりの数で、私の作品と直接出会い、コレクションされていっている事である。昨今の、存在感の薄い作品を作る作家が多い中で、「芸術は美と毒と深いポエジーを併せ持った強度なものでなくてはならない!!」という私の信条と、画廊香月のオーナーである香月人美さんの理念が一致しているせいか、この画廊を訪れた方の多くが、その事を理解しており、実に手応えのある個展になっている。今回の個展を勧めて頂いた先達の美術家の池田龍雄さんも時折、画廊に来られて成り行きを見守って頂いている。本当に有り難い事であるし、私は池田さんと御会いする度にとても良い波動を頂きプラスのエネルギーとなっている。昨年の秋から数え、七ヶ月で七回の個展を開催して来た。たいていの作家が、決められた、たった一つの画廊で二年に一回のペースで個展をやっている事を思えば、ギネス入りのようなペースで駆け抜けて来たわけであるが、この画廊香月での個展を節目として、しばらくは個展は行わない。「風林火山」ではないが、動く時は疾風のように駆け抜け、静まる時は無明に見る山影のごとく、全くの静まりの中へと私は入ってしまう。すなわち次に備えての、というよりも、次なる未知のイメージの領土に向かって行く為に、感性を研ぐのである。とは云え、個展は行わないが、五月は詩画集の刊行記念展(森岡書店)、六月は『名作のアニマ –  駒井哲郎池田満寿夫・北川健次によるポエジーの饗宴 』(不忍画廊)が続いて予定に入っている。

先日、早稲田大学の近くで、思潮社の藤井さん、装幀の伊勢さんと集い、詩画集に入れる作品の色校正の最終チェックを行った。実に美しい仕上がりで、今月末の完成が待ち遠しい。また不忍画廊では、六月の展覧会と合わせたように駒井哲郎氏の名作が集まり、池田満寿夫氏の作品は、普段はあまり見る事の出来ない、西脇順三郎氏との詩画集の名作『トラベラーズ・ジョイ』が展示される予定になっている。駒井・池田・両氏のポエジーの在りようは異なるが、各々に銅版画の権能において極を究めたものである。なかなか見応えのある、昨今に類のない展覧会になるであろう。

 

話は戻るが、画廊香月での展示は、香月人美さんのアイディアで、(壁面に、まるで映画などに登場するイギリスの館の壁面に夥しく掛けられた絵のごとく、)作品が全面に展示されている。私も以前から密かに一度はやってみたいと思っていたこの展示法を、遂に香月さんは断行し、今までになかった効果を上げてコレクターの方にも好評である。どの作家にも出来るという展示法ではないが、私の作品においては非常に画期的な良い効果を上げていることは確かである。そこから考えて、私のイメージの特質もまた見えて来ようかと思う。ともあれ、個展はしばらくは封印となる為に、まだ御覧になっておられない方には、ぜひ御覧頂きたい今回の個展である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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