ランボ―

『美の速度』

……2週間ばかり前の事であるが、アトリエの前の桜の樹の上で蝉が鳴いていた。まさかの空耳かと思い外に出て樹上を仰ぐと、高みの色づいた葉群のところで確かに蝉が見えた。雌の蝉も仲間も死に絶え、蝉はたいそう寂しそうであった。……また先日は、上野公園のソメイヨシノが狂い咲き、観光客が不気味がっている光景を報道で観た。……明らかに狂っている。ここ数年来、加速的に世界の全てが異常の様を呈して来て、底無しの奈落へと堕ちていく観が見えて来るようである。若者達は灰色の閉塞感の中に在り、AIだけが先へと向かって優位の様を見せている。若者達は便利極まるスマホに追随し、自らの脳に知の刺激を入れて高めようという気概は失せ、皆が不気味なまでに同じ顔になっている。……薄く、あくまでも軽く。……

 

芸術は、人間が人間で在る事の意味や尊厳を示す最期の砦であるが、昨今は、芸術、美という言葉に拘る表現者も少なくなり、ア―トという雲のように軽く薄い言葉が往来を歩いている。元来、美は、そして芸術は強度なものであり、人がそれと対峙する時の頑強な観照として、私達の心奥に突き刺さって来る存在でなくてはならない、というのは私の強固な考えであり、この考えに揺らぎはない。……だから、私の眼差しは近代前の名作に自ずと向かい、その中から美の雫、エッセンスを吸いとろうと眼を光らせている。……美は、視覚を通して私達の精神を揺さぶって来る劇薬のようなものであると私は思っている。

 

 

 

 

 

……さて、いま日本橋高島屋の美術画廊Xで開催中の個展であるが、ようやく1週間が過ぎ、会期終了の11月7日まで、まだ12日が残っている。

 

今回発表している73点の新作は、ほぼ5ケ月で全ての完成を見た。換算すると150日で73点となり、約2日でオブジェ1作を作り終えた計算になる。頭で考えながら作るのではなく、直感、直感のインスピレ―ションの綱渡りで、ポエジ―の深みを瞬時に刈り込んでいくのである。……この話を個展会場で話すと、人はその速さと集中力に驚くが、まだまだ先達にはもっと速い人がいる。

 

例えばゴッホは2日に1点の速度で油彩画を描き、私が最も好きな画家の佐伯祐三は1日で2点を描き、卓上の蟹を画いた小品の名作は30分で描いたという。またル―ヴル美術館に展示されているフラゴナ―ルの肖像画は2時間で完成したという伝説が残っている。……話を美術から転じれば、宮沢賢治は1晩で原稿250枚を書き、ランボ―モ―ツァルトの速さは周知の通り。先日、画廊で出版社の編集者の人と、次の第二詩集について打ち合わせをしたが、私の詩を書く速度も速く、編集者の人に個展の後、1ケ月で全部仕上げますと宣言した。ただし、ゴッホ、佐伯祐三、宮沢賢治……皆さんその死が壮絶であったことは周知の通り。私にこの先どんな運命が待ち受けているのか愉しみである。

 

 

 

 

 

 

 

 

……ダンスの勅使川原三郎さんと話をしていた時に、私の制作の速度を訊かれた事があった。私は「あみだクジの中を、時速300kmの速さで車を運転している感じ」と話すと、勅使川原さんは「あっ、わかるわかる!!」と即座に了解した。この稀人の感性の速度もまたそうである事を知っている私は、「確かに伝わった」事を直感した。この人はまたダンス制作の間に日々たくさんのドゥロ―イングを描くが、先日の『日曜美術館』でその素描をしている場面を観たが、もはや憑依、自動記述のように速いのを観て、非常に面白かった。以前に池田満寿夫さんは私を評して「異常な集中力」と語ったが、かく言う池田さん自身も、版画史に遺る名作『スフィンクスシリ―ズ』の7点の連作を僅か3週間で完成しているから面白い。

 

 

……私が今回の個展で発表している73点の新作のオブジェ。不思議な感覚であるが、作っていた時の記憶が全く無いのである。7月の終わりになって完成した作品を数えたら73点になっていた、という感じである。……また、夢はもう1つの覚醒でもあるのか、こんな事があった。……夕方、作品を作っていて、どうしても最後の詰めが出来ないまま、その部分を空白に空けたまま眠った事があった。……すると明け方、半覚醒の時の朧な感覚の中で、作品の空白だった部分に小さな時計の歯車が詰められていて、作品が完璧な形となって出来上がっているのであった。(……あぁ、この歯車は確かに何処かの引き出しの中に仕舞ってあったなぁ……)と想いながら目覚め、朝、アトリエに行った。しかし、なかなかその歯車が簡単には見つからない。様々な歯車があって、みな形状が違うのである。アトリエに在る沢山の引き出しの中を探して、ようやく、その夢に出てきたのと同じ歯車を引き出しの奥で見つけ出し、取り出して空いた箇所に入れて固定すると、作品は夢に出てきた形の完璧なものとして完成を見たのであった。

 

……また、夢の目覚めの朧な時に、10行くらいの短い詩であるが、完全な完成形となって、その詩が出来上がっていた時があった。……私は目覚めた後に、夢見の時に出来上がっていたその詩の言葉の連なりを覚えているままに書き写すと、それは1篇の完成形を帯びた詩となって出来上がったのである。…………たぶん夢の中で、交感神経か何かが入れ代わった事で、作りたいと思っている、もう一人の私が目覚めて、夢の中で創るという作業を無意識の内にしているのであろうか。……とまれ、眠りから目覚めのあわいの時間帯に、オブジェが出来上っている、或いは言葉が出来上がっている……という経験は度々あるのである。………

 

私が自分に課しているのは、1点づつ必ず完成度の高みを入れるという事であるが、今回の個展に来られた方の多くが、作品の完成度の高さを評価しているので、先ずは達成したという確かな手応えはある。……今回の作品もまた多くの方のコレクションに入っていくのであろう。私は作品を立ち上げた作者であるが、それをコレクションされて、自室で作品と、これからの永い対話を交わしていくその人達が、各々の作品の、もう1人の作者になっていくのである。……個展はまだ始まったばかりであり、これから、沢山の人達との出会いや嬉しい再会が待っているのである。

 

 

 

 

 

 

 

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『人形狂い/ニジンスキ―と共に』

満開の桜がいよいよ散りはじめた今日は、3月31日。……イタリアでは3月の事を〈狂い月〉と云うらしいが、それも終わって、いよいよエリオットが云った〈4月は最も残酷な月〉への突入である。アトリエの私の作業机の上には、何枚ものニジンスキ―の様々な写真が無造作に置かれている。これから、ニジンスキ―を客体として捕らえた残酷な解体と構築、脱臼のオブジェが何点か作られていくのである。

 

「われわれはヨ―ロッパが生んだ二疋の物言う野獣を見た。一疋はニジンスキ―、野生自体による野生の表現。一疋はジャン・ジュネ、悪それ自体による悪の表現……」と書いたのは三島由紀夫であるが、確かにニジンスキ―を撮した写真からは、才気をも超えた御し難い獣性と、マヌカン(人形)が放つような無防備で官能めいた香気さえもが伝わってくる。私はその気配に導かれるようにして、この天才を題材にした何点かの作品を作って来た。……版画では『サン・ミケ―レの計測される翼』、『Nijinsky―あるいは水の鳥籠』、オブジェでは『ニジンスキ―の偽手』という作品である。

 

版画では、彼の才能を操り開花させ、ダンスそれ自体を高い芸術の域に一気に押し上げた天才プロデュ―サ―、ヴェネツィアのサン・ミケ―レ島の墓地に眠るディアギレフとの呪縛的な関係を絡めた作品であったが、オブジェの方はニジンスキ―を解体して、全く別な虚構へと進んだ作品である。しかし、全てはあくまでもオマ―ジュ(頌)と云った甘いものではなく、客体化という角度からの、ある種の殺意をも帯びて。

 

……以前に、来日したジム・ダインは、拙作『肖像考―Face of Rimbaud』を見ながら、パリの歴史図書館とシャルルヴィルのランボ―博物館でかつて一緒に展示されていた時の私の作品への感想を語り、彼の作ったランボ―をモチ―フとした連作版画(20世紀を代表する版画集の名作)の創作動機を、ランボ―への殺意であった事を話し、私の創作動機もそこにあった事を瞬時にして見破った。……難物を捕らえる為には、殺意をも帯びた強度な攻めの姿勢が必要なのである。

 

 

 

 

 

 

 

ロダン作 「ニジンスキー」

 

 

 

……かつてスティ―ブ・ジョブズから直々に評伝を依頼されて話題となった、ウォルタ―・アイザックソンが書いた『レオナルド・ダ・ヴィンチ』を読んだ。……ダ・ヴィンチに関しては拙作『モナリザ・ミステリ―』(新潮社刊)で書き尽くした感があったので、以後は遠ざかっていたが、久しぶりに読んだこの本はなかなか面白かった。その本の中でダ・ヴィンチが書いた手稿の一節に目が止まった。『……そこで、動きのなかの一つの瞬間を、幾何学的な単一の点と対比した。点には長さも幅もない。しかし点が動くと線ができる。「点には広がりはない。線は点の移動によって生じる」。そして得意のアナロジ―を使い、こう一般化する。「瞬間には時間的広がりはない。時間は瞬間の動きから生まれる」。………………』     読んでいて、先日拝見した勅使川原三郎氏のダンス理論、そのメソッドを垣間見るような感覚をふと覚えた。

 

 

 

3月25日。勅使川原三郎佐東利穂子のデュオによる公演『ペトル―シュカ』を観た。ストラヴィンスキ―作曲により、ニジンスキ―とカルサヴィナが踊った有名な作品を、全く新たな解釈で挑んだ、人形劇中の悲劇ファンタジ―である。ニジンスキ―、そして人形……。先述したように、私は今、ニジンスキ―をオブジェに客体化しようとしており、また人形は、今、構想している第二詩集『自動人形の夜に』の正にモチ―フなのである。天才ニジンスキ―に、天才勅使川原三郎氏が如何に迫り、また如何に独自に羽撃くのか!?また対峙する佐東利穂子さんが如何なる虚構空間を、そこに鋭く刻むのか!?……いつにも増して私は強い関心を持って、その日の公演の幕があがるのを待った。

 

ちなみに、この公演はヴェネツィア・ビエンナ―レ金獅子賞を受賞した氏が、7月の受賞式の記念公演で踊る演目でもあり、その意味でも興味は深い。……「人形とは果たして何か!?」「人形が死ぬとはどういう事なのか!?」「踊る道化」「内なる自身に棲まう、今一人の自分……合わせ鏡に視る狂いを帯びた闇の肖像」……そして命題としての……人形狂い。私は彼らが綴る、次第にポエジ―の高みへと達していくダンスを観ながら激しい失語症になってしまった。言葉を失ったのではなく、観ながら夥しい無数の言葉が溢れ出し、その噴出に制御が効かなくなってしまったのである。

 

…… 開演冒頭から巧みに仕掛けられた闇の深度、レトリックの妙に煽られて、ノスタルジアに充ちた様々な幼年期の記憶が蘇って来る。……不世出のダンサ―というよりは、闇を自在に操り、視覚による詩的表現へと誘っていく、危うい魔術師と私には映った。……そして、かつて『ペトル―シュカ』を踊ったニジンスキ―にも、どうしても想いが重なっていく。翔び上がったまま天井へ消えたという伝説を生んだニジンスキ―もまた魔術師であった。……開演して一時間の時が瞬く間に経った。……そして私がそこに視たのは、生という幻の、束の間の夢なのである。人形狂い……ニジンスキ―。1911年の『ペトル―シュカ』と2022年の『ペトル―シュカ』。時代は往還し、普遍という芸術の一本の線に繋がって、今し結晶と化していった。

 

 

 

 

 

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『市ヶ谷は、意外にも華やかだった』

……先日の10日の6時から、市ヶ谷アルカディア(私学会館)で、第五十六回歴程賞の受賞式があり出席した。……2011年に宇宙飛行士の毛利衛さん・山中勉さんが宇宙ステ―ションから『宇宙連詩』を発信したのが評価されて歴程特別賞を受賞して以来、私は七年目・2回目の受賞となる由。受賞した理由は、私の全業績に対してとの事で、作品が持っているポエジ―の具現化がその理由であるらしい。「自作を、人々の想像力を煽り、ポエジ―を立ち上げる為の詩的な装置」と昨今、特に強く意識しはじめているだけに、確かな後押しとなるタイムリ―な時期での受賞だったかと思われる。……歴程同人が内輪で集まった渋くて地味な式かと思って会場に入ると、意外にも実に華やかな雰囲気の中、100名以上が入る大きな室内のメインテ―ブルに、私や他の受賞者の名前が大きく記されていて、大切な友人・知人の方々が次々にたくさん来られたので、私は嬉しさと驚きでテンションが上がってしまった。予想よりも遥かに大きな、まるで結婚式か出所祝いのような賑やかな式だったのである。……私を含む三人の受賞者各々に、その人物について語るスピ―チの人が付き、私の場合は、美学の第一人者である谷川渥氏が、表現者としての私の像について実に雄弁に語られて、会場にピンと張り詰めた心地好い緊張感が漂った。谷川渥氏、さすがの役者であり、これ以上の人物は他にいない。氏の明晰な分析によって語られていく私の像について聴きながら、まるで名医の執刀によってさばかれる病める患者のような気持ちで、実に興味深く拝聴した。なるほどという部分と、そうか、そういうふうに映っているのか……という箇所が交錯して実に面白かった。……谷川氏に続いて、私は自作とポエジ―について語り、ランボ―にのめり込んだ20才の頃の話、駒井哲郎さんとの出会い、瀧口修造・西脇順三郎・吉岡実……といった今では伝説の中に入りつつある人との幸運な出会い、……また天才詩人アルチュ―ル・ランボ―の肖像をモチ―フとした拙作が、ジャコメッティ、ピカソ、ミロ、クレ―、エルンスト、ジム・ダイン……といった20世紀を代表する美術家達と共に選ばれて、ランボ―の生地のフランス・シャルルヴィルのランボ―ミュ―ジアムで展示された事や、その2年後にもパリ市立歴史図書館で展示された時の手応えある展示の事などを話した。そして、私は既に美術という狭い分野を越境して、今は独自なところから制作をしているという、自負にも似た認識を語って、スピ―チを終えた。……私は賞というものに、権威や名誉や、また徒な意味を抱いてしまうような凡夫ではないが、ポエジ―の可能性を、言葉による詩表現だけにとどまらず、各分野にもその対象者を探して顕彰するという高い理念を持っているのは、この国に於いては歴程賞だけであるので、私はその純度の高さに於て、快く今回の受賞を快諾した次第なのである。……さぁ、明日からはその事も忘れて、新たな表現の場へと進んで行こう。……次回は、再び観た『デュシャン展』について、新たに気付いた事などを書く予定。……乞うご期待!!

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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