ヴァルタ―・ベンヤミン

『洗濯女のいる池―ブルタ―ニュ篇・Part①』

久しぶりのブログである。少し間が空いてしまった為か、心配した友人から「もしやコロナでは?」という、温かいメールを頂いた。しかしコロナごときは掠りもせず、私はいたって元気である(以前から実行している二重マスクが効を奏しているのかもしれない)。……慌ただしかった詩集の刊行後は、昨年の9月に亡くなられた成田尚哉さんの遺作展を今年の9月に開催すべく、下北沢のギャラリ―『SMARTSHIP』の山王康成さんと一緒に、平井の成田さんの御自宅に伺い、奥様の可子さんと一緒に詳しい打ち合わせを行った(遺作展に関しては、後日のブログで詳しくお知らせします)。

 

……また、6月10日から7月3日まで銀座の永井画廊で開催予定の、私の版画の代表作を集めた展覧会の為に画廊主の永井龍之介さんと、案内状を含めた細かな打ち合わせを行った。この展覧会では私の他に、棟方志功、駒井哲郎、池田満寿夫さん達の代表作も一堂に並ぶ予定で、各々のご遺族の方から作品が画廊に提供され、大まかな準備が出揃った(この展覧会に関しては近々にまた詳しくお知らせします)。またそれらとは別に、今年の10月後半から日本橋高島屋本店の美術画廊Xで開催される私の個展に向けての制作に本格的な火がつき、タイトルも決まり、助走から次第に速さが増し、今や完全に集中の軌道に入った感がある。……その合間を縫っての、前回に続く「池」の話をこれから書くのである。

 

……その池の話はフランスのブルタ―ニュの話であるが、そこに至る前にパリでの寄り道を少々しなければならないので、先ずはそちらから始める事にしよう。……度々このブログでも書いて来たが、私は想った事や願った事が、不思議な念力の回路を通って、すぐか或いは暫くの時を経て、実現する事が実に多い。つまり、夢が現実になるのである。人には生涯においてそういう事が数回はあるが、私の場合はそれが異常なまでに多いのである。今回はそんな話から…………。

 

私は版画集を2001年から2008年までの間、ほぼ毎年刊行して来たが、2004年に刊行した版画集は『反対称/鏡/蝶番―夢の通路―Vero-Dodatを通り抜ける試み』というタイトルである。……この制作の伏線として、私はパリに実在するパサ―ジュVERO-DODATを訪れたのであるが、そこを訪れたのは、主たる目的といったものはなく、たまたま導かれるようにして、ふと、そのパサ―ジュの暗い通路に入ったのであった。パリにはその13年前に半年以上も住んでいたのであるが、不思議な事にパサ―ジュを訪れた事は無かった。それが何故かその時は(今思い出しても不思議なのであるが)ふと行ってみようかという気になったのである。午前の早い時間に訪れたそのパサ―ジュは、長くて薄暗い通路があり、その両側に巨大なガラスに覆われたように何軒かの店があるのであるが、そこに並んでいる物は、現代にというよりは、およそ50年以上も前の時間がそのまま停まったかのように、宙吊りになった停止した時間に向けて、ショ―ウィンドゥのガラス越しの中には、もはや何も映しはしない銀の手鏡(ヴェネツィア製か?)、骨格標本のようなコルセット人形、役目を終えた活版用印字、夥しい亀裂が入ったアンティ―クド―ルの巨大な頭部、三十二面体の幾何学模型…………、また別な店は古書店、その向かいは、ダリが作ったマヌカンの人形等を撮したフォトギャラリ―……と云った、時代や客に媚びる事のないダンディズムの韻を帯びて、それらの店々の店頭には不思議な品々が並んでいるのであった。しかも、店主もおらず、店は全て閉まったままで、薄暗い通路を歩くのは唯、私一人であった。床の大理石に私の靴音だけが唯、響くだけである。

 

パサ―ジュとは何か、……パリの右岸を中心に建てられた華麗な店が幾つも並んだ19世紀の遺構であるが、後に百貨店の台頭によって人々は去り、パリを彷徨する高等遊民だけが、そこの空間に息づく意味を見い出し、やがてブルトンアラゴンといった文学者やシュルレアリスト達が、詩神ともいうべき黄泉へと通じる驚異と神秘の磁場をそこに見い出したのであった。……「今まで何度となく、この豪華な巣窟のわきを通って来たのに、その入口に気がつかなかったのは不思議に思われた。」(ボ―ドレ―ル)。「パサ―ジュは外側のない家か廊下である―夢のように」(ヴァルタ―・ベンヤミン)

 

……さて私は、幾つものショ―ウィンドゥを眺めながら夢想した。ここに例えば私が今生きているこの時代の版画家達の作品を並べたらどうか?……答えは否である。彼らの作品は、たちまちこのダンディズム漂う強い気韻に弾かれて、居場所を失うであろう。……私は更に夢想した。「ならば、かく言うおまえ自身はどうなのか!?」。私は他者へ向けた刃の切っ先を今度は自分へと突き刺した。そして想った。「面白い!!……ならばやろうではないか!!……例え実際にこの空間での作品展示など実現不可能な夢想であるが、仮に無理だとしても、強い韻を放って来るこのショ―ウィンドゥ―の中に、他の不思議なオブジェ達に混じって、堂々とした空間を更に醸し出すような強い版画を作ってみようではないか!!」……空間への挑戦意識は、たちまち湧いてくるインスピレ―ション、啓示へと替わり、私はその場で次の版画集の主題とタイトルを忽ち立ち上げたのであった。題して『反対称/鏡/蝶番―夢の通路Vero-Dodatを通り抜ける試み』。帰国してすぐに私は版画集の制作に取りかかり、三週間で六点組から成る版画集を完成させ、その年の秋に全国五つの画廊で刊行記念展を開催した。作品は圧倒的に支持され、日本語版48部、フランス語版35部全てがAP版のみを残して、ほぼ三ヶ月で完売した。……私はその版画集に手応えを覚え、そのきっかけとなったパリのあのパサ―ジュでの事を思い出して回想に耽った。……パサ―ジュのあのガラスの奥の空間に入って行けないことが激しい反動となって創作への強い促しとなり、私は確かなテ―マを掌中に収めて、その場所から立ち去った、あの時の事を。

 

「パサ―ジュVERO-DODATで作品を展示してみないか?」……作家のⅠ氏から突然の吉報が届いたのは、それから二年後のことであった。

(次回に続く)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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