中公文庫

『彼方に光る物—— あれは!?』

①先日、友人のTから電話があり、話の流れでTの伯父にあたる人が早朝に亡くなられたという事を知った。私はすかさず、「今日あたり、家の電気系統に何らかの異常が必ず起きる筈だから注意しておくように」と促した。しかしTは「伯父は現世に執着するような性格ではないから・・・」と笑って、本気にとりあおうとしなかった。

 

果たしてその翌日、Tからメールが入った。「居間のテレビが突然映らなくなってしまった。・・・原因は不明で、こんな事は初めてである」と。私はやはりと思った。というのは、このような現象は私の友人間で度々起きており、事実、父が亡くなった時も、家のブレーカーが突然切れて停電になった。ご存知のとおり、ブレーカーを切るには多少の人為的な力がなければ切れるものではない。それが無人の場所で起きたのである。察するに、私たちの意識の核にあるエクトプラズムと称される電気エネルギーを帯びた臨体が呈する何らかの交換作用と思われるが、私はこの現象を、死者が生者に見せる最後の感情 – 想いの変容だと分析している。だから私たちは身近に死者が出た場合には注視して、この現象を受容し、それをもって最後の決別とすべきだと思っている。この現象に対して、恐怖や嘲笑ではなく、静かなる意識と慈愛をもって、この「不思議」に応えることこそが、生者が死者に対して見せるやさしさではないかと思っている。

 

②中公文庫から刊行されている、地球物理学者の寺田寅彦著『地震雑感/津波と人間』と題する随筆選集の中に、「震災日記より」という章があり、そこに興味深い記述がある。「八月二十六日 雲、夕方雷雨。月蝕雨で見えず。夕方珍しい電光(Rocket lighting)が西から天頂へかけての空に見えた。丁度紙テープを投げるように西から東へ延びて行くのであった。一同で見物する。この歳になるまでこんなお光は見たことがないと母上が云う。」

 

それから六日後の九月一日、あの関東大震災が起きている。寺田氏は別章の「地震に伴う光の現象」と題する中で、徹底してこの予知的現象の実見録を古今東西の文献の中に求め、その多なるを詳細に記述している。資料の追求は日本だけにとどまらず、紀元前373年のギリシャの都市ヘリケで起きた大地震に、この現象の最も古い記述があった事、又、ドイツの哲学者のカント(1724〜1804)が執筆した「地震論」の中に、1755年に起きたリスボンの大地震(マグニチュード8,5)を実見したカントが、「大地の揺れ始める数時間前に空が赤く光った」と、大気の異変を表す徴候を記している事などを報告している。寺田氏は「地震の第一原因については、まだ少しも確かなことが言われないと言ってもいいかと思う。従って、原因の方から理論的に地震の予報の出来るようになるのは未だいつのことだか見込みが立たない」と記しているが、それは今日もなお同様かと思う。東大と京大が各々に発表した地震発生の確率の数字の全くの異なりを見るにつけ、私たちは、もはや学者たちに見切りをつけ、確たる予兆のひとつである、この発光現象に注視を向け、自衛を考えることの方がよほど現実的かと思う。今日ではツィッターなどがあり、(悪質な風聞には留意しつつも)一瞬にして、この情報の伝播は可能なのである。数日前から数時間前に現れる、この現象を重視する方が、直前に出るあの忌まわしい警告よりも、よほど生存の確率が高いかと思われる。

 

寺田氏の文は最後に、「地震がして空が光るという事が考えられるか、と云えば、それは考えられる事で、地上50メートルの辺りに真空放電のありやすい処があるし、これは空中の放電である、空が光るということである、と言う方が簡単に説明が出来るかとも思われる。どうも古今東西の記録を比較して見ると、その中には今度の実見者の云う事から推定される現象と、符節を合わせるようなものが多く、私はこの現象は、地震の研究上、かなり注目すべき現象で、これを研究してみたいと思っている。」と、結んでいる。これは80年以上前の記述であるが、日本人として初のノーベル賞候補にさえ挙った寺田寅彦氏の遺訓を継ぐような、開明的な真の知的な人材は果たして今日存在するのであろうか。残念ながら私は、寡聞にしてそれを知らない。

 

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