富岡八幡宮

『12月のミステリー』 

〈今までの怨み、覚えたか!!〉…………まるで、吉良に刃を向けた浅野内匠頭か、はたまた横溝正史のどす黒い怨念因果小説を想わせるような凄惨な殺傷事件が冨岡八幡宮内で起きた。……この八幡宮、以前にも、誘拐された幼児が八幡宮境内の古井戸(現場は、たしか現在はセメントで埋めてある筈)に犯人に投げ込まれて亡くなっているが、その因縁話よりも、江戸時代に今の相撲興行のもととなった勧進相撲が行われて以来、冨岡八幡宮は相撲協会と互助なる密月関係を続けて来ただけに、昨今の貴ノ岩の事件と絡めて、なにやら一層の不気味さがある。昔、二十代の頃に、版画に使うリスフィルムというのを発注しに、江東区冬木にある工場に行く際に冨岡八幡宮の境内を通り、また帰りには度々、今回の殺人現場のすぐ真横にある赤い鉄製の橋上に佇んだり、境内にある歴代横綱の巨大な石に彫られた手形を度々見ていただけに、今回の凄惨な事件の報道画像を見て、同時になにやら懐かしくもあったのである。

 

……少年時を想い返せば、昭和30年代の頃はたいした娯楽もなく、経済の復興途上にリンクしてテレビ中継の大相撲の人気は熱狂的な渦中にあった。私の故郷の福井にも相撲巡業が来て、出来たばかりの体育館で興行相撲が行われた。相撲の黄金期―柏鵬時代がまさに始まった頃である。当時まだ小学3年生の頃であったが、興行相撲が体育館であった日の遅い午後、館内から聴こえて来るどよめくような喚声に突き動かされるようにして、私は体育館の周りを回りながら、何とかタダで相撲を観れる手段はないかと思案していた。……今でもそうであるが、どのような窮地でも必ずや突破口はある!!と考える前向きなたちなのである。そして遂に私は見つけたのであった。体育館のかなり上部に換気の窓が僅かに開いており、そのすぐ側に雨水が流れる排水筒が地上まで延びている。……「あれだ!……あれを伝って換気窓まで上がっていけば、まぁ後はなんとかなるだろう!」……少年の観たいという無垢な欲求は、恐怖に勝る。意を決した私は必死で登っていき、遂に窓の間近まで辿り着いた。……中を見ると、席の最上段にいる観客の後頭部がズラリと見えた。「……おじちゃん、お願いだから…中に入れて……」。掠れた子供の声に一人の男性が気づき振り向いた。まさかいる筈のない空中から小さな手を伸ばす私を見て驚くや、「―おぉ小僧、よく上がって来たなぁ!!」と言って、引っ張り上げて中に入れてくれ、私はご満悦の観客の一人と化したのであった。取組は関脇あたりから観れたので、お目当ての柏鵬の勝負はたっぷりと楽しめたのであった。…………昨今の白鵬などの唯の力任せの荒い相撲と違い、特に大鵬は、相手を余裕でふわりと受けながら懐の大きな器で次第に絞りこみ、ゆらりと倒していくという、正に横綱としての格の違いを見せてくれたが、何よりも相撲に華があり、頂点に立つ者としてのプライドと気品があった。白鵬も、かつては貴乃花を先達の目標として敬い、大鵬も自分を継ぐ力士として白鵬に目をかけていた感があった。……その白鵬の相撲が次第に変わってきたのは、大鵬が亡くなり、彼の優勝記録の32回を越えた辺りからかと思われる。……超然とした禅の境地を表す「木鶏(もっけい)」という言葉を引用して、70連勝のかかった大一番に敗れた名横綱の双葉山が打った有名な電報の一文、「未だ木鶏たりえず」という、神技への孤高な探求心からも遠く、今や相撲は、ガチンコ(本気の勝負)を欠いた、プロレスと変わらない唯の格闘技興行となった感があるのは、時代の流れとは云え、いかにも残念な事である。

 

ここに1冊の本がある。『泥水のみのみ浮き沈み』(文藝春秋刊)と題した勝新太郎対談集である。森繁久彌・瀬戸内寂聴・ビ―トたけし・三國連太郎……といった個性的な対談者が揃っていて、けっこう面白い。その中の三國連太郎との対談(1993年時)の中にオヤ?……と気を引く会話が載っていた。音に対する感性の話を三國連太郎が話している時に、勝新太郎が急に話題を変えて、隣室の相撲中継が気になり、勝(突然、付き人に)貴花田どうした? あっ、まだか。連ちゃん、相撲好き? 三國(好き好き。 勝(今、若花田だって。三國(やっぱり八百長ってあるんでしょ? 勝(ま、精神的にはね。勝ち越しちゃうと、ちょっとあると思いますね。三國(藤島部屋〈注-貴乃花の父親―元大関・貴ノ花が82年に設立した部屋〉はやらないんでしょ。勝(だから叩かれるね。三國さんにしても本当に映画を作ろうという人は叩かれる。だって困るもん、そんな人いたら、目をギラギラさせてだね、「この役はちょっと今日は中止にします。掴めませんから」なんて言ったら、みんなが嫌がるもの。俺なんかが出ても、みんな困るよね。〈勝―別室に相撲を見に行く。戻ってきて〉もうすぐ、貴花田〈注・今の貴乃花〉ですよ。三國(そりゃ、見なきゃ。(二人とも別室で相撲観戦) 勝(貴花田が出る直前に、ソファでいびきをかいて眠り始める) 三國(あれ、寝ちゃってる。……………… 今から20年前に出た八百長の話と、貴乃花のいた藤島部屋の相撲協会内での孤立化を匂わせる話。勝新太郎、三國連太郎、……社会の裏面を熟知しているこの二人の会話には、今にして読むと相撲界の今日に至る構図がうっすらと透けてくるものがある。今回の貴ノ岩の殴打事件、察するにガチンコ(本気の相撲)で白鵬を負かしてしまった貴ノ岩に対する、というよりも、その師匠・貴乃花への、これはどのみち起こるべくしていつかは起きた事件かと思われる。……結局一番、損な割を食ったのは、引退に追い込まれた日馬冨士と貴ノ岩であろう。モンゴル出身の貴ノ岩が、ガチンコにこだわる狂信的なまでにストイックな貴乃花部屋に入門してしまった事が、後の事件の伏線になった事は想像に難くない。……しかし、それにしてもパックリと開いた貴ノ岩(と思われる人物)の頭の傷口。私も撮影用の巨大なスクリ―ンの芯の鉄骨が落ちて来て頭部を激しく打ち、かなりの出血をした事があるが、自らの体験を話せば、頭部の肉は裂けやすく、意外に脆く、かつ出血が激しい。……さて、その貴ノ岩と云われる人物の顔を伏して頭部の傷口のみを撮した画像。その頭をゆらりと後ろにずらして顔をおもむろに上げれば、まさかの別人であったりすれば、これは、これで年末のミステリ―。ともあれ、12月という月は、本当に慌ただしく、かつ過ぎるのが速いのである。

 

 

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