寺山修司

『断章・二つの展覧会を観て』

 

先ずは写真展から。…先日、東京国立近代美術館で開催中の『中平卓馬 火-氾濫』展(4月7日まで開催)を観に行った。会場の展示が、中平卓馬の作品世界の固有な鋭さを映すように工夫がされていて、その知的配慮とセンスの良さに先ず感心する。

 

 

 

…中平の写真作品は、我が国を代表する写真家の一人川田喜久治の写真が持つ作品世界と共に、不穏な気配、凶事の予感に充ちていて特に惹かれるものがある。しかし川田の作品が個々に時代性を孕みながらも、普遍性という先の時間にもその効力を十分に併せ持っているのに対し、中平のそれはあくまでも60年代のオブセッションの闇に、そのレンズの切っ先が、あたかも同士討ちのように突き刺さっている、そう私には見えたのであった。

 

中平の言葉「…写真は本来、無名な眼が世界からひきちぎった断片であるべきだ」と語っているが、この世界という言葉はこの場合、彼が生きた60年代のそれに錐を揉むような鋭い集中を見せている。…中平の写真には、まるで殺人犯が逃げる時に視えているような風景の映しといった感の脅えがあるという意味の事を、以前に写真評論家の飯沢耕太郎さんに雑談の折りに話した事があったが、その特異なものが何から由来したものなのかを見つけ出す事が、今回、展覧会を訪れた主たる目的であった。…………広い会場の中で寺山修司と組んだ連載の雑誌が幾つか展示されていたのを見た瞬間、「これだ!」と閃くものがあった。…寺山の特異な言語空間(文体)を視覚化すれば、それはそのまま中平のそれと重なって来る。…もう一度、私は「これだ!」と思うものがあった。…寺山の文章が持っている固有な犯意性(犯人は本能的に北へと逃げる-北帰行の心理)とそれが重なったのである。……もう1つ思った事は、川田喜久治の作品各々が一点自立性を持っているのに対し、中平のそれは、引きちぎったメモの切れ端のように見えた事であった。…正に先に書いた中平の言葉そのものを映すように。……

 

 

先日の29日に、ア-ティゾン美術館で開催する展覧会『ブランク-シ/本質を象る』展の内覧会に行く。会の開始は3時からであるが、夕方に用事があるので午後の早い内に美術館に入った。取材中のプレス関係の人が沢山いたが、会場が広いので作品に集中して観る事が出来た。…先の近代美術館の展示と同じく、実に展示に配慮が行き届いていて感心する。展覧会への気合が伝わって来るというものである。…作品の高さ、そして最も大事な照明の具合。その配置。その何れもが作品各々に与えているのは、美というものが放つ超然とした品格である。

 

……周知のようにブランク-シは、ロダンから弟子になる事を求められたが拒絶した。ここに近代とそれ以前との明らかな分断がある事を彼の表現者としての本能が直観したのである。その独歩への意志と矜持と自己分析力が、彼をして時代を画するモダニズムの高みへと押し上げた。…そして、彼の作品の本質が意味するものを見極めていたのはマルセル・デュシャンである。その関係の豊かな物語りが、或る一角の展示の妙に現れていて、いろいろと再確認する機会ともなったのであった。

 

…内覧会の特典は展覧会の図録が付いて来る事であるが、今回の図録は読み応えのある内容で実に面白く、私は帰宅してから一気に読み終えてしまった。この図録はブランク-シについて考える時に今後の一級の資料ともなるに違いない。………中平卓馬の展示では、表現者として写真にも挑んでいる私にいろいろと考える機会を与えてくれ、またこのブランク-シ展では、今、正に制作中の鉄の作品、そして今、構想中の石の作品への善き刺激となる揺さぶりを与えてくれたのであった。…質の高い展覧会を折に触れて観る事は大事な事である。…中平卓馬展は今月の7日迄開催。…そして、このブランク-シ展は始まったばかりで7月7日迄の開催である。

 

 

…最近は制作に入り込んでいるので、なかなか出掛ける事は叶わないが、今、板橋区立美術館で4月14日迄開催している『シュルレアリスムと日本』展と半蔵門にある執行草舟コレクション/戸嶋靖昌記念館で4月30日から開催する予定の『砂の時間』展だけは、ぜひ観ておきたいと思っている。…………実は今回のブログでは、『一から三へと拡がっていく話』と題して昨今の事件騒動について書く予定であり、この展覧会の事はその序章のつもりで書き始めたのであるが、体力と字数がここで燃え尽きてしまったようである。…次回は、その事件の話から、優れた芸人だけが持っている性(さが)と、その狂気について具体的に書く予定。……その頃はさすがに桜も散っている頃か。ともかくも、…乞うご期待である。

 

 

 

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『なぜツルゲ―ネフでなければならないのか』

6月に入ると梅雨があるのでアトリエに籠りがちになるせいか、制作の速度が一気に加速するようだ。『サディの薔薇』、『NANCYの小さな矢印のある二つの門』……といったふうにタイトルが次々に浮かび、イメ―ジが日々新たに浮かんでくるのに、その実作の物理的な速度がそれに追いつかない…といった感じで、ともかく新しいオブジェが次々に誕生している。……しかしそんな中、では出歩かないかというと、けっこう出掛けてもいる。最近は毎週、多摩美大に行って喋っている。

 

喋りといえば、美術大学や美術館でけっこう連続的に喋っていた時期があった。……思い出すままに書くと、多摩美大・武蔵野美大・女子美大・名古屋芸大・立命館大学・京都精華大・國學院大・玉川大・北海道教育大・福島大……、美術館では横浜市美術館・福井県立美術館・宮城県立美術館・福山美術館・高崎市美術館……etc。また与謝蕪村の研究セミナ―から喚ばれて宇都宮で研究者達を相手に講演をした事もあった。……作品から作者もまた寡黙に思われがちらしいが、本人は真逆で、常々考えている事を確認する意味もあってか、よく喋る方だと思う。

 

今、喋っているのは多摩美大の演劇舞踊デザイン学科。……数年前に話が来た時は遠くの八王子校舎だと思い断っていたが、よく訊いてみると世田谷の上野毛校舎だという。上野毛ならアトリエから近いので引き受けた次第。……特別講義の題が必要だというので『二次元における身体論』という題にした。二次元における身体論、……いささか捻っているみたいだが、要は文芸に力点を置いた、イメ―ジの装置としての「言葉」の効用の事である。……学生相手に喋る面白さもあるが、「当世書生気質」ならぬ「当世若年者気質」、つまりネット社会の落とし子達の実態が肌でわかるので、近未来の姿がうっすらと、いや、ありありと見えて来て、その縮図がリアルに視えてくる。……喋る前日に講義の事前準備は一切しない。また参考書や資料なども持っていかず、いつも手ぶらの軽装で行く。講義時間は約三時間半。

 

私の話は学生に「未だ足らざる」を実感で伝える事。だから、例えば先日やった内容は、短歌の春日井建、寺山修司、石川啄木、そして源実朝の和歌から実作を選び出し、その文中の一番要の言葉を○○○にして隠し、学生達に作者になったつもりで言葉を捻り出させるという内容である。かくして、その日の講義のタイトルは題して『なぜツルゲ―ネフでなければならないのか』。美大の助手の方から、その時の問題用紙をサイトに送って頂いたので、参考までに以下に掲載しよう。

 

 

 

令和4年5月19日 北川健次先生 特別講義

『第一回『なぜツルゲーネフでなければならないのか』

 

●春日井建 歌集『未青年』より

・大空の斬首ののちの静もりか没ちし〇〇がのこすむらさき

・われよりも熱き血の子は許しがたく〇〇〇を妬みて見おり

・両の眼に針刺して◯を放ちやるきみを受刑に送るかたみに

 

 

●寺山修司 歌集『田園に死す』より

・新しき〇〇買ひに行きしまま行方不明のおとうとと鳥

・売りにゆく〇〇〇がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき

・たった一つの嫁入道具の仏壇を〇〇のうつるまで磨くなり

 

 

●石川啄木の歌集より

・そのむかし秀才の名の高かりし友◯にあり秋風の吹く

・死にたくはないかと言へばこれ見よと〇〇の◯を見せし女かな

・〇〇の夜のにぎはひにまぎれ入りまぎれ出で来しさびしき心

 

 

●源実朝の和歌より

・大海の磯もとどろに寄する波わけてくだけて〇〇〇〇〇〇〇

 

 

読者諸氏は、空白の○○○にどういう言葉を入れられたであろうか。
とりあえず正解は…………………………↓

 

 

春日井建

1.大空の/斬首ののちの/静もりか/没ちし日輪が/のこすむらさき

2.われよりも/熱き血の子は/許しがたく/少年院を/妬みて見おり

3.両の眼に/針刺して/魚を放ちやる/きみを受刑に/送るかたみに

 

寺山修司

1. 新しき/仏壇買ひに/行きしまま/行方不明の/おとうとと鳥

2.売りにゆく/柱時計が/ふいに鳴る/横抱きにして/枯野ゆくとき

3. たった一つの/嫁入道具の/仏壇を/義眼のうつるまで/磨くなり

 

石川啄木

1.そのむかし/秀才の名の/高かりし/友牢にあり/秋風の吹く

2.死にたくは/ないかと言へば/これ見よと/喉の疵を/見せし女かな

3.浅草の/夜のにぎはひに/まぎれ入り/まぎれ出で来し/さびしき心

 

源実朝

1.大海の/磯もとどろに/寄する波/わけてくだけて/さけて散るかも

 

 

 

…………………………以上である。
時代を越えて、名作とは、単に言葉が美しいだけでなく、実にイマジネ―ションに毒があり、危うさがあり、一言で言えば美とは形而上的犯罪と言っていいものがある事に、あらためて気づかされる。想像が紡いだ犯罪遺文、そう言ってもいいかもしれない。……俳句は、禅的な視点で世界を、宇宙を凝縮してつかみとって詠む為に、もっと大きいものがあるが、短歌や和歌の31文字は凝縮と拡散の相反するベクトルがミステリアスなまでに重なってあるので、そのままに二次元の身体学という話に使いやすいのである。

 

……しかし、最近つくづく思う事は、スマホなどの出現で、年々、若い世代の人達の語彙が少なくなって来ている事である。言葉を知らない事を恥じるでもなく、スマホがそこにあれば、彼、彼女達の脳もまた頭を離れてそこ➡スマホの中に在るので心配はご無用、そういった傾向(もはや症状)が加速的に蔓延している感がある。……言葉を知らない、故に思いを伝えられない。喋れない、……だから黙る、だから未熟なままに年を経る。

 

 

……言葉を知らない人間が増えている原因は幾つかあるが、辞書や教科書からルビ(振り仮名)が消えた事は大きい。……芥川龍之介三島由紀夫には一つの面白い共通点があった。それは幼い時の愛読書が辞書であった事である。しかもルビ付きの善き時代。もともと知能が研ぎ澄ましたように高いところに、辞書で毎日のように語彙が増えていき、悪魔的なまでに彼らは言葉の魔術師となっていった。……言葉だけに限らず、昨今の世の便利さはますます退化を促し、情緒は言霊から離れてカサカサの空無と化し、そのとどまるところを知らない。…………アトリエを出て時々外で喋っていると、その事を強く感じる事が本当に多くなった。

 

 

 

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『23日(日)まで開催中』

前回のメッセージで記したとおり、今月の23日(日)まで、東京の日本橋の不忍画郎で、『名作のアニマ ー 駒井哲郎池田満寿夫・北川健次によるポエジーの饗宴』が開催中である。先日の10日(月)に読売新聞の文化欄で大きく紹介された事もあり、たくさんの来廊者で賑わっている。30点近い新作のコラージュ作品や版画も、縁ある方々、高い美意識を持った方々との出会いを通してコレクションされていっている。今回の展覧会で、初日の最初に私のコラージュ作品をコレクションされたのは、寺山修司と共に60年代〜70年代の、時代を過激に演出してこられた、パートナーで女優・プロデューサーの九條今日子さんである。「寺山が生きていたら、間違いなくあなたの作品を気に入るに違いない。」という九條さんの評は、私を大いに高めてくれる。何よりも天才歌人であった寺山修司。短歌もまた言葉による(磁場を帯びた)コラージュ表現である。三島由紀夫と共に、私の表現の核に棲まう本物の才能を持った人物である事に間違いはない。

 

新聞でも、「美術作品が持つ生命・魂」と題して書かれているが、〈池田の版画は国際的名声を得た60年代の「落書き」風と違い、古典的な静けさの中に詩心を宿す。〉と評され、又、駒井氏の版画も、その深い陰影をたたえていると評され、〈明るく表層的な表現があふれる今日、美術作品から見失われたアニマ(生命・魂)や詩心を問い直す展覧会〉というふうに、本展の骨子が的確に紹介されている。強度なポエジーある作品を求めておられるコレクターの方々、表現すべき方向を見出せないでいる若い美術家たち、・・・・その他、多くの美術を愛する方々にぜひ見て頂きたい、この展覧会である。

 

会場内ディスプレイ

会場の不忍画郎にいた私は、最新作の自作のコラージュを見ていて、詩を書きたい衝動に駆られてその場で数点の詩を書き上げ、それも各々の作品の横に展示されている。今回の私は、あまり画廊には行かないつもりでいたが、本展を最後にしばしの沈黙(充電)に入る事もあり、なかなか親しい方々とも御会いする機会がないので、結局、23日まで毎日、画廊にいることになった。今回も又、多くの出会いが待っている。

 

 

駒井哲郎(上:「果実の受胎」下:「鳥と果実」)

 

池田満寿夫「メラグラーナ」(西脇順三郎との詩画集)より

 

北川健次『鳩の翼 - ヴェネツィア綺譚』

 

北川健次「幾何学の夜に」(銅版画・部分)

 

北川健次「拉致される貴婦人のいる室内楽」

 

北川健次「FROLENZの赤い石榴」

 

 

北川健次・オブジェ作品(部分)

 

北川健次・オブジェ作品(部分)

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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