岸田劉生

『坂の上の歪んだ風景―熱海・代々木篇』

①熱海篇……司馬遼太郎の小説に『坂の上の雲』という、とてもロマンチケルな題名の作品がある。…確かに坂道は私達の詩情を煽って、たいそう穏やかで、春昼の浪漫的な夢想を誘う何かがある。しかし一方、永井荷風の『日和下駄』では、坂道を評して「坂は即ち地上に生じた波瀾である」と断ずるように書いていて穏やかではない。……確かに、坂はそういう一面も持っていて、時に坂は不穏に見える事がある。ましてや傾斜がきつい急坂は、いつか起きる凶事の予感を秘めて不気味でさえある。……その感の極まりが、先日の熱海の伊豆山中から崩れ落ちた土石流の惨事である。しかしこの惨事は、不法に大量の廃棄物を隠すために意図して盛り土を積み上げた悪質業者と、行政の指導の怠慢を突かれたくない県や市の責任転嫁に必死な様との、まさしく泥仕合で、つまりは集合的な人災の感は免れない。

 

……あれはもう何年前であったか?私はこの惨事となる現場を歩いた事があった。……頼朝関連の場所として、この崩落現場の上にある伊豆山神社に興味があり、後の現場となる盛り土があった道を通って神社に行き、正に崩れ落ちた坂道のあの場所を下って熱海駅に戻ったのであるが、傾斜がきつい坂道に奈落へと落ちるようにして点在する民家を見て、よくこういう場所に住んでいるな……と思ったのを記憶している。……あれは、熱海の海光町に住んでいた池田満寿夫さんが亡くなって、暫く経ってからの事であったかと記憶する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

②代々木篇……5月初旬に東京国立近代美術館で開催中であった『あやしい絵展』を観に行った。幕末から昭和初期までの病める側面をデロリと映した、妖美、退廃、エロティシズム…を一同に集めた展示でたいそう面白かった。熱心に観入っている観客をぬって、上の階に行くと『幻視するレンズ』展が開催中。やはり川田喜久治さんの『ラストコスモロジ―』連作の写真は圧巻であった。わけても、以前に川田さんから直接プレゼントして頂き、我がアトリエの壁にも掛けてある代表作『太陽黒点とヘリコプタ―』は実に怪奇にして玄妙なモノクロ―ムの結晶である。

 

次に常設の、靉光『眼のある風景』を観にいくも残念ながら展示されておらず、次なる岸田劉生の切通しの坂を描いた『道路と土手と塀(切通之写生)』(大正4年作)を観にいく。……実に不穏でミステリアスな坂道の描写で、紛れもなく近代絵画の秀作であるが、面白い符合があり、前述した永井荷風が、「坂は即ち平地に生じた波瀾である」と評したのと同じ年(大正4年)に、劉生は、それを強調したかのような視点でこの不穏な坂道を描いている点が面白い。

 

場所は道路開発中で切り崩されている最中の当時の代々木。……以前にこの現場を月刊誌『東京人』からの執筆依頼があって観に行く必要があり、劉生に詳しい、当時の京都国立近代美術館長の富山秀男氏に電話して場所を伺い訪れた事があったが、この坂はこの傾斜のままに現存する。

 

 

 

 

 

 

さて、この劉生の作品、暫く見ていると、画面下の道路を横断する黒い影(実際は電柱の影)が、何やら電柱に装うった怪しい人の気配のようにも見えて来ないだろうか?……この坂道の絵が不穏な気配を私達に直に伝えて来るのは、間違いなくこの黒い影の効果なのであるが、この絵をさらに怪しくしている点(劉生が意図的に仕掛けた)が、実はもう1つある。……それは画面上部左側の、塀と坂道の交わる消失点が微妙にずれており、更には先日の盛り土の惨事ではないが、不気味に不自然な僅かな盛り上がりがあり、その崩れそうな気配(気)が、この絵画を名作足らしめているのである。

 

 

 

 

 

 

……画面内に意図的に仕掛けられた異なる2つの遠近法、そして不穏な黒い影(シルエット)。この劉生の絵に最も近い近似値を他に探すと、たちまち私達はジョルジョ・デ・キリコの形而上絵画『通りの神秘と憂愁』(1914年作)へと辿り着く。…… (1914年、……期せずして、岸田劉生のあの坂道の不穏な絵と、正に同年時に、このキリコの絵は描かれたのである)。一つの画面に異なる複数の遠近法を仕掛ける事、また影(シルエット)による不協和音とでも言いたい不安な気配の屹立。……それは、近代に芽生えたモダニズム(近代主義)の精神や意識が産んだ具体的な一様態でもあるのだろうか?

 

 

 

 

 

 

……さて、ここに唐突にレオナルド・ダ・ヴィンチの名前が登場する。そして2004年に刊行した拙著『「モナ・リザ」ミステリ―』(新潮社)からの引用が登場する。

 

「……私は、今までの定説を否定するように「モナ・リザ」だからこそ必ず何か記しているに違いないという眼差しで、彼の遺した手稿の中に、それを追った。そして、遂に気になる一文に眼が止まった。それは昭和十八年に刊行された、今では古色を帯びた『レオナルド・ダ・ヴィンチの繪画論(翻訳書)』の中に在った。―109章の〈自然遠近法と人工的遠近法の混用について〉と題する中でレオナルドは、自然遠近法と人工的遠近法を一つの画面の中に混淆した場合、その絵は、〈描かれている対象が全部奇怪なものに見えてくる〉と記しているのである。これは音楽用語における「不協和音」と一致する。そのまま流せば素通りしてしまう、この記述。しかし私はこの一文に注視して、そこに「モナ・リザ」の絵を当て嵌めてみた。すると驚くべき事が透かし視えてきたのであった。

 

「モナ・リザ」の絵を今一度、見てみよう。手を組んだ女人像は私たちの視点と水平に描かれている。では、その視点のままに背景に目を移せばどうであろうか。…あきらかに背景は、上部から眼下を見下ろした俯瞰の光景として描かれている。つまり「モナ・リザ」には二つの異なる視点が、それと知れずたくみに混淆されているのである。レオナルドは記す。「自然遠近法と人工的遠近法を一つの画面の中に混淆した場合、その絵は、描かれている対象が全部奇怪なものに見えてくる」と。私たちが「モナ・リザ」を見て先ず最初に覚える印象は、美しさではなく、むしろ奇怪とでも云うべき不気味さである。しかし、それは私たちが共通して抱く主観というよりも、レオナルドの記述のとおりに解せば、それは前もって画家自身が意図したものという事になる。訳者はそれを「奇怪」と訳しているが、原書の言葉には如何なる解釈の幅があるのであろうか。残念ながら原書は入手不可の為、訳者を信じる他はないが、訳の幅はそれ程には無いのではあるまいか。ともあれ、私たちが「モナ・リザ」に対して抱く奇怪なる印象、それはあらかじめ画家がこの絵を描く際に秘めた一つの主題としてあった事は確かな事と思われる。果たして画家は「奇怪さ」を帯びさせることで、この絵に如何なるメッセ―ジを宿らせようとしたのであろうか。……」

 

拙著の記述はこの後も延々と続くのであるが、とまれ、ここで大事な事は、劉生はダ・ヴィンチからもかなりな事を学び、それを自己流に消化して自らの方法論の深部に取り込んでいるという事である。……モダニズム云々という、歴史を分断した直線的な切り方でなく、その深部に貫通する、美を美たらしめる為の思索の水流は、各々の時代の時世粧という変容を経ながらも、その本質の瑞々しさは変わらずに「今」を流れ続けているのである。

 

いや、次のように言い直すべきかも知れない。……すなわち、人類最大の知的怪物であるレオナルド・ダ・ビンチの透徹した認識の視座から視れば、近代はおろか現代までも、またその先までも、あらゆる物が彼の掌中に既にして、呪縛的なまでに包括されているのである、と。

 

 

 

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『真盛りの夏に想う事』

……駅からアトリエに戻る緩やかな坂道の途中で、不意の熱中症に襲われた老人が、まさに倒れていく瞬間を見た。全身から力が抜けていくように、膝から情けなくも崩れ落ちていくのである。たまたま、その老人の真横にいた男女の若いカップルが慌てて倒れている老人の手を取り、「おじさん、家は何処?連れて行ってあげるよ!……」と励ましている。その場に来た私は彼らに声をかけた。「家じゃなく、直ぐに救急車をよんで病院で点滴をしないと危険ですよ!」と。すると老人が切れ切れの声で「救急車は……イヤだ。」というので私はその老人に強く言った。「爺ぃさん、あんたそんな事言っていたら、急変して、今日間違いなく死ぬよ!!」と。かくして電話をして救急車が来る段になったので、私はアトリエに戻った。……急な脱力感で道端に倒れてしまったその老人の姿を目の当たりに見て、熱中症の恐ろしさを実感を持って知ったのであるが、その老人が倒れた坂道の片側の竹垣の向こうは、広い墓地である。石を擦るように油蝉が鳴いてかしましい。

 

……さて、「坂道」である。坂道とは、浪漫と不穏さをその傾斜に秘めて、私達を静かに待ち受けている。永井荷風はそんな坂道が持つ特異性を随筆集『日和下駄』(ひよりげた)の中の「坂」の章で「……坂は即ち平地に生じた波瀾である。」と一言で的確に、かつ文芸的に断じている。ではその坂道に「波瀾」という破調めいたものを覚える鋭利な感覚は、その後に誰に受け継がれて行ったか。……いうまでもなく、岸田劉生と彼の代表作『道路と土手と塀(切通之写生)』に、それは重なっていく。年譜を見ると、『日和下駄』の翌年に劉生はその坂道の風景画を描いているので、ほぼ同時代の感覚の覚えか。……そしてその坂道への強いこだわりは次に誰に跳ぶか!?……意外にも、タモリかと私は思う。彼の番組『ブラタモリ』は、云わば、地図、水、路地、閑地、崖、……そして坂の妙に拘り、江戸切図を手に東京の裏町を歩き、市中をひたすら散策して、その時間的断層の中に古き江戸を追想した荷風の名随筆『日和下駄』の、云わばヴィジュアル版のようなものかもしれない。私は昔は、その地で生きていく事の宿命と諦感をテ―マソングの重く暗い曲に込めた『新日本紀行』だけは何故か(特に中・高校時代は熱心に)欠かさず観ていたが、今は『ブラタモリ』をよく観ている。……疲れて凝り固まった頭の中を、あの番組は見事にほぐしてくれるのである。

 

何回か前に観た『ブラタモリ』は九州・熊本の阿蘇山の特集であった。その番組の中で解説する人が「活火山」という言葉を口にした時、タモリの巧みな連想力はその言葉に反応して、相撲取りの名前にその「活火山」を重ね、『熊本県出身・西前頭・活火山』というのがいたらいいね!と言って、タモリ自身がこの発想を面白がっていた。……私は、そういう言葉遊びが大好きなので、この瞬間にいたく反応して、頭の中はタモリのそれを越えるべく、相撲取りの名前で実際にいたら面白いだろうという、その名前作りに没頭した。もはや番組のその先を観ていない。…………先ず浮かんだのは『関の山』であった。関の山、……一見、実際にいそうで、通り過ぎてしまいそうな四股名(しこな)であるが、意味は、「一生懸命頑張ってはいるが、これ以上は、もう、もう出来ない、親方無理です!!!」という、自嘲、自虐的な四股名である。……おそらく関の山は、幕下からどう頑張っても、もはや上に上がる事はないようである。……さて、次に浮かんだのは、これは胸を張ってお伝え出来る自信作と言っていい四股名であるが……『内弁慶』というのはどうであろうか。……〈鳥取県三朝町出身・西前頭四枚目・『内弁慶』。〉……何とも自虐的でキュンと来て、母性本能の強い女性ファンがけっこう付きそうではないか!?。部屋の稽古ではめっぽう荒くて強いが、何か秘めたトラウマでもあるのか、この『内弁慶』。本割りの取組ではかなり脆い。親方夫人が気を揉んで国技館まで付いて来て、「いい?、ガンバよ!!」と励ますのであるが、やはり脆い。いっそ四股名を『弁慶』に変えるか!と親方は言うのだが、本人は、(親方、それじゃ返って荷が重いので)……と言って「内弁慶」にこだわっているところが芯がある。………………………。この四股名に関しては、もっと面白いのが浮かぶのではと、ふとした折りに考える日々が今も続いている。とにかく暑い日々である。水を小まめに飲んで、この四股名作りは、今年の最後の台風が去る日まで、まだまだ延々と続くのである。

 

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『個展 – ノスタルジアの光降る回廊』始まる。

 

爆弾低気圧が関東地方に16年ぶりという大雪を降らせた。そして翌日の一転した快晴は庭に積もった白雪の上に木々の青い影を映して、私はふと、モネの『かささぎ』という雪景の絵を思い出してしまった。

しかしそれにしても雪は良い。雪国で育った私などは、雪を踏みしめて歩くその感触だけで、幼い日の自分が我が身の内から立ち上がってきて元気が出る。先日、神田神保町の古書店で,私は30年ぶりくらいで古い友人のH氏と偶然に再会した。「久しぶりに話をしようではないか!!」という事でタンゴの店『ミロンガ』に入り、様々な話をした。彼は不出世の舞踏家の土方巽の弟子であったこともあり、話は身体論的な事にどうしても傾く。話し合った結論は,私たちは幼年期の自分から、その感性の本質が1ミリも動いてはいないという事であった。そして私たちは夢と記憶について更に話し合った。

 

ーーー或る夜、私は奇妙な夢を見た。ーーー長い渡り廊下、花壇に咲いたカンナの花、広い校庭、その先に延々と続く田畑ー。どうやら私は,自分が学んでいた頃の夏休みの小学校にいるらしい。しかし、それにしても全くの無人である。何かに導かれるようにして薄暗い校舎を歩いて行くと、無人の筈の、或る教室の中に、一人の生徒が椅子に座って正面の黒板をぼんやりと見ている姿が目に映った。見ると、その生徒は小学校時の隣の教室に確かにいた少年であった。ーーーしかし、友人としての仲間の中に彼はおらず、名前すらも覚えてはいない。たいした会話をした事もない遠い記憶の果てにもいなかったその少年が、何年も経て、何ゆえ或る夜の夢の中に、まるで亡霊のように彼は登場してきたのであろうか。そして、突然そういう不可解な現象を見せてしまう、私たちの記憶、記憶の構造、ーーーつまりは、夢の回廊とは、一体何なのであろうか。

 

そういう事は常につらつらと考えている事であるが、今年の第一弾として、明日(16日・水曜)から22日(火曜)まで横浜の高島屋7階の美術画廊で開催される私の個展のタイトルは、それを主題にして『ノスタルジアの光降る回廊』にした。個展はもう何十回と開催して来たが、意外にも、長年その地を愛し続けてきたわりには、横浜での個展は初めてである。今回の個展は50点近い展示であるが、普段はあまり展示しない旧作の中からもとりわけの自信作を出品しているので、ご興味のある方は御来場頂ければ嬉しい。

 

 

 

 

 

さて、正月のメッセージに掲載した一枚の古写真であるが、先日それを何ゆえにかくも惹かれるのであろうかと思い、しげしげと眺めていた。そしてようやく気付いた事があった。この堀川に橋が架けられたのは1880年(明治13年)。最初は木橋であったが、それが鉄橋化されたのは1887年(明治20年)。この写真は1887年以後の写真であることがわかる。それはさておくとして、この少女が輪廻しをしながら走って行く先は、日本大通りという広い道であるが、その道の一角に,100年後に自分が15年近く住んでいた事に、ふと気付いたのであった。何の事はない、私はこの写真の中に時を隔てた自分の「気配」を無意識裡に読みとっていたのであった。人は何かに惹かれる時、そこに決まって変容した自分の何らかの投影を透かし見ているものである。ー この写真もそうである事に私はようやく気付いたのであった。橋を渡った左側には、日本で初の和英辞典、ローマ字を広め、医師としても知られたヘボン先生(1815~1911)が住んでいた。患者の一人には岸田吟香(画家の岸田劉生の父)がいたというが、ヘボン先生の子孫にハリウッド女優のキャサリン・ヘップバーンが生まれているのは面白い。横浜からは掲載した写真のような趣は無くなってしまっているが、それでも横浜の街を歩いていると、ふと昔日の気配が立ち上がって、物語の断片が透かし見えてくる事がある。やはり、横浜は今でもノスタルジアが立ち上がる街なのである。

 

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『真の幻想絵画とは・・・』

神田神保町にある出版社の沖積舎に行く。社主の沖山氏と、私の写真集刊行の打ち合わせのためである。沖山氏は、私の最初の版画集「正面の衣裳」を企画・刊行した人であり、恩人である。会社の階段を昇っていく途中で携帯電話が鳴った。電話は映画プロデューサーのS氏からであった。S氏云わく「銀座の画廊で個展をしている或る画家の絵を見ていて、次第にいらだちを覚えた」との由。その画家は、いわゆる(幻想画家)を謳っているわけであるが、S氏は、いかにも(幻想絵画風)の小道具を並べただけの予定調和の画面を見て、はたしてこれが言葉の正しい意味での「幻想絵画」と云えるのか!?という疑問を抱いたのだという。S氏は数々の映画のヒット作を出してきた才人であり、いつもその発言は私には興味深いものがある。この度のS氏の疑問は正しい。

 

真の幻想絵画とは、物象を物象として描きながらも、なおも立ち上がってくる、あやしくも捕え難い想念を見る者に抱かせる力を持った絵画でなくてはいけない。例えば靉光の「眼のある風景」の直接的なものから、春草の「落葉」、劉生の「道路と土手と塀(切通之写生)」といった暗示的なものまでも含めて、、、。しかし今日の(幻想画家と称する)作家の絵からはそのような表現に至ったものはなく、ありていに云えば、70年代に入ってきたウィーン幻想派の作品をなぞったものにすぎなく、マリセル・ブリヨンが著した幻想の定義からも程遠い。事実、S氏が今見てきたという画廊の画廊主自身が、アートフェアーで他の画商たちに云われた言葉として、「今の傾向で見ると、あなたの画廊の作家たちが、一番癒し系に見えるよ」と、私に笑いながら語った事がある。まあ、この辺りが話の落ちと云えるところであろう。

 

そういった話をS氏と電話でしていると、扉のガラス越しに沖山氏が、早く入ってくるようにと、笑顔で促している。打ち合わせは1時間あまりで主だった話は決まった。特装本には、限定一部だけの様々な写真プリントを各々に入れても良いのでは・・・と私は提案した。複数制の逆説を行くのである。写真家の川田喜久治氏に書いて頂いた実に美しいテクストを英語と仏語で翻訳した文も入れ、また掲載する写真の各々に私が短い詩を書く事になった。これは私の好きな仕事であり、ランボーではないが、一晩で一気に書こうと思う。バタバタと慌ただしいが、そういう中で今日はめずらしくアトリエの庭の芝生に寝そべり、ぶどうを食べながら、空行く秋の雲をぼんやりと眺めた。気象のリズムは完全に狂ってしまっている。しかし、その中でも季節は確実に晩秋へと移ろっている。

 

 

追記:

現代美術を牽引した画商である佐谷和彦氏と、シュルレアリスム研究家の鶴岡善久氏が編集した『身振りの相貌(現代美術におけるヒューマンイメージ)』という美術書が1990年に沖積舎より刊行されたが若干の在庫があり、興味のある方にはお薦めしたい本である。本の帯に記された『39人の日本を代表する詩人・評論家・画家などの論客が迫った、クレーピカソデュシャンたち38人の画家の作品への言葉による活写』という文にある通り、スリリングな試みの本である。ちなみに私はコーネルについて書いている。書き手は他に、岡井隆寺田透大岡信吉岡実、、、など多彩である。

本のお問い合わせは、沖積舎(TEL:03-3291-5891)まで。

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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