月刊誌『太陽』

『浅草の幻影』

1994年の5月に刊行した月刊誌『太陽』は江戸川乱歩の特集であった。この時の切り口はなかなか面白く、怪人二十面相に合わせて二十名の作家が探偵よろしく各々のテーマで乱歩の迷宮に挑んでいる。荒俣宏(窃視症)、高山宏(暗号)、赤瀬川原平(レンズ嗜好症)、団鬼六(ユートピア)、久世光彦(洋館)、鹿島茂(サド・マゾ)・・・・etc。そして私も原稿を依頼されて〈蜃気楼〉を主題に書いている。最初電話が編集部から入った時、私に与えられた主題は、実は〈洞窟〉であった。〈洞窟〉ならば『パノラマ島奇譚』になってしまう。私はその主題をお断りして、「蜃気楼だったら書きますよ」と提案した。〈蜃気楼〉を主題に乱歩の代表作『押絵と旅する男』について書いてみたかったのである。

 

『押絵と旅する男』の舞台は明治23年に浅草に建立され、大正12年の関東大震災で崩壊した浅草凌雲閣(通称十二階)である。高さは67メートルあり、その屋上からの眺めは絶景であったらしい。幻惑を求める人々は帝都にいながらにして乳色の官能に霞む、さながら白昼夢のような光景を堪能していたようである。乱歩はその小説の中で記している。

 

「あなたは十二階へお登りなすったことがおありですか?ああ、おありなさらない。それは残念ですね。あれは一体、どこの魔法使いが建てましたものか、実に途方もない変てこれんな代物でございましたよ」と。

 

美術大学の学生として私が上京したのは昭和45年。浅草十二階が崩れ去って半世紀近い年月が流れていた。しかし・・・浅草には、その残夢のような奇妙な建物が立っていた。昭和三十二年に十二階を模して建てられた浅草仁丹塔である。画像を御覧頂きたい。この写真はちくま文庫の「ぼくの浅草案内」からの引用であるが、撮影したのは著者である小沢昭一氏である。今は消えた都電を前景に、その背景にそびえ立つ建物が仁丹塔である。白く彩色されたその高塔はまさにキッチュなもので、浅草の雰囲気と奇妙に馴染んでいた。しかし、今日のスカイツリーのような話題性も当然無く、それを見上げて眺めやる人もおらず、時間の隙間にそれは消えていきそうであった。そして・・・事実、時の忘れ物として取り壊されるという噂も立ち上っていた。—–或る日、その仁丹塔をしげしげと眺めている男がいた。男は思った。「あの建物の中は果たして・・・・どうなっているのだろうか」と。—–そして男は思い立ったように、その塔へと向かった。その男とは・・・・私である。

 

塔の入口手前には、奇妙な世界への関門のように、〈蛇屋〉が店を開いており、ガラスケースの中には、数匹の蝮(まむし)が黒々ととぐろを巻いていた。入口から中へと入っていくと全くの無人で螺旋状に階段が上へと続いていた。構造的には配線盤が在るだけの、印象としては巨大なテーマパークの残骸のようである。更に上へと登る。すると・・・上の方からパタパタという奇妙な音が落ちて来た。真白い空間の中を上っていくと、そこに見たのはいささか現実離れのした光景であった。二羽の白い鳩がパタパタと羽撃きながら、出口を求めて空(くう)を彷徨っているのであった。真白い建物の中の真白い二羽の鳩。何故このような所に!?入口から何かに誘われるように迷い込んだのであろうが、まるでそれは〈浅草〉が持っているからくりめいた妖しい気が、私にふと見せた幻惑のように、その時は映ったのであった。まっさらな白い幻影のような、しかし眼前に今在る現実の光景。しかし、それから先の記憶がまるで無く、唯その時の光景だけが、乾いたパタパタという羽音と共に今も記憶の内にありありと在る。

 

記憶は時を経て、今ようやく作品という形で、それは形象化されようとしている。真白い張りぼてのような仁丹塔の中で見た真白い鳩の光景・・・。そして時を経て訪れたヴィチェンツア、パドヴァ・ヴェネツィア・・・の冬の旅の記憶。それらが絡まって秋の個展の為のオブジェやコラージュに今、変容しているのである。幾つか用意されている個展の中の或るタイトルは『密室論  - ブレンタ運河沿いの鳥籠の見える部屋で』である。私は記憶の中から今しあの二羽の鳩を空へと解き放つような想いで制作に没頭しているのである。

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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