棟方志功

『2023年・晩秋を告げる四つの展覧会etc』

……来年秋の高島屋の個展のタイトルが早くも決まった。『YURAGI―レディ・パスカルの螺旋の庭へ』である。来年はつごう四つの展覧会が各地の画廊で予定されているので、各々に向けてスイッチが入るのが、いつもよりも早いようである。……さて今日は展覧会の話である。

 

①11月21日から12月27日まで、福島県立美術館で『現代版画の小宇宙』(金子コレクションから)展が開催中である。福島県の版画のコレクタ―の金子元久さんの膨大なコレクションが美術館に寄託されたので、それを基にした展覧会である。

 

 

金子さんは著名な精神科医である。何回かお会いした事があるが、ある時に真顔で「北川さんの脳を解剖して調べてみたい」と言われた事があった。どうしてですか?と訊くと、「……視覚表現(美術)などの感覚、直観を司る右脳と、言語表現(文芸)などの論理的思考を司る左脳の両方とも得意としている稀な例なので、医者の好奇心として興味があるのです」との事。

 

……「普通、ふつうですよ、開いてみてもグリコのオマケしか出てきませんよ」と話したが、それより、度々このブログでも書いている、かなりの頻度で視てしまう私の予知能力や、鋭すぎる異常な直観力は、自分に対しての客観的な興味として実はある。以前に、よく当たると評判の占い師の女性と、順番を待っている女性たちを視ていたら、その占い師が私に気づき、お互いに妙な緊張が走った事があった。そして占い師は手招きして私を招き寄せ、近づいた私の顔をじっと見据えながらこう言った。「あなた、……一体何者!?」……こうなるともはや陰陽師同士の対決である。

 

②前回のブログでご紹介した『禅と美』展を今一度観ておこうと思って、最終日の前日に、会場のスペイン大使館を訪れた。…凄い数の来観者に先ず驚いた。…会場におられた主催側の戸嶋靖昌記念館主席学芸員の安倍三崎さんから、ブログを読んで来られた方がけっこうおられますと言われたので、微力ながらもブログで紹介して良かったと思った。

 

 

 

2回目に観て、山口長男の黒い特徴的な額に絵具が数ヵ所僅かについているのを見つけて、山口長男は額を付けてからも、なお制作していた事が見えて来た。額とは何か!……山口長男の眼差しの一端がそこから見えて来る。(ちなみにこの制作法はパウル・クレ―と同じである。)

 

……さてこの『禅と美』展の妙味は、展覧会の企画の着想が比較文化論的な視点から立ち上がっている事である。今回は「禅」であるが、例えば「時間」「色」「黒」「詩」「寂」「無」……と様々な主題を立ち上げると、執行草舟さんの三千点以上ある膨大なコレクションから、たちどころに様々な作品が、あたかもそれに合わせて登場する役者のように選ばれて来る。……その企画構想の多層な幅を可能にしているのが執行さんのコレクションの多様な幅であり、美のカノンの横一線の高みなのである。

 

 

 

 

③竹橋の東京国立近代美術館で12月3日まで開催中の棟方志功展に行く。……前回のガゥディ展と同じくたくさんの観客である。会場内には初期の油彩画から晩年迄の作品がうまく展示してあり、また棟方さんの記録映像や肉声が流れていて懐かしかった。……21才の学生時に棟方さんは私の版画『Diary』 を視て絶賛してくれた事が以後のぶれない自信となった契機であるが、私に賞をくれた審査員としての棟方さんの口からスピ―チで私の名前が出る度に、私は自分がこれからの版画史に関わっていくであろう事を予感したのであった。……授賞式が終わり私がエレベ―タ―に乗ると、棟方さんと夫人、そして当時の神奈川県立近代美術館館長の土方定一氏が入って来て、その時に握手を交わした時の手の大きさと温もりを私は今も覚えている。

……かつては民藝運動の域で語られていた棟方さんの作品は、近年は次第に自立した極めて強度な現在形のモダンな作品として、その冴えを増している。衰弱した昨今の美術界の状況をすり抜けて、加速的に評価はますます高まっていくであろう事は間違いない事である。

 

……多くの人が棟方志功展を観て引き上げる中、私は4階までテ―マを変えて展示してある収蔵作品を観るのを常なる愉しみにしている。ベ―コン藤田劉生北脇、……そして、このブログで度々登場する藤牧義夫……などたくさんの作品が展示してあり、いろいろと考える切っ掛けや閃きのヒントを与えてくれるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

④昨日(24日)は、美術本出版の老舗で知られる求龍堂の「100周年記念展」の内覧会がある日であるが、私はその前に時間があったので、久しぶりに上野公園に行き、西洋美術館ブ―ルデルの彫刻作品『弓を引くヘラクレス』の写真を二枚(内一枚は股間下から)撮り、

 

次に、気分転換する為に行きたかった上野動物園に立ち寄り、念願のハシビロコウ、ゴリラ、サイ等を観てから根津駅から代々木公園駅で降り、会場の『ARKESTRA』に行った。

 

 

 

 

 

 

 

会場内には100年間の出版活動の歴史から選んだ刊行物が展示してあり、私の作品集『危うさの角度』も並んでいる。……この会場には求龍堂発足後間もなく刊行された『ドラクロアの日記』が展示してあるが、それは私の蔵書から、この展覧会の為にお貸しした本で、戦前に三島由紀夫が座右の書としていた名著である。

……私は以前に求龍堂の会長であった故・石原龍一さんに三島由紀夫の文を帯にして『ドラクロアの日記』の再版を提案した事があった。……近年、パリで再版をした時にベストセラ―となったのである。再版ならば文庫サイズが良い。しかし、求龍堂は文庫本は出版していない。ならば、このブログは出版業界の人も読まれているので、例えば、ちくま文庫、或は河出書房新社辺りが出版するのが妥当かもしれない。

 

 

……ドラクロアの日記に在る一文「今日、ショパンが死んだ。……」や、孤独で在る事の如何に豊かな事であるかが、随所にちりばめられている。誰か鋭い眼力と実行力のある人材は出版の世界にはいないのか!?……いれば、この『ドラクロアの日記』を私は喜んでお貸ししよう。

……さて、会場では私の作品集『危うさの角度』(普及版・特装本)、また『美の侵犯―蕪村×西洋美術』も販売されている。ご購入を希望される方は本会場、又はお近くの書店、或は直接、求龍堂(営業TEL03-3239-3381)までご連絡を、よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

『求龍堂100周年記念展』
日時11月25日(土)~12月3日―11時~18時(最終日は15時まで)
会場・ARKESTRA 東京都渋谷区上原1-7-20
TEL―090-8946-0541

 

 

 

 

 

 

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『強烈な火花―棟方志功』

どうやら記憶にも遠近法というのがあるらしく、出会った順番ではなく、その人の放つ個性の強度や印象の強弱で、記憶の中に存在の韻を各々に放っているようである。その遠近感でいくと、私の場合最も鮮やかな最前列にいる人物が二人いる。……勝新太郎棟方志功である。勝新太郎との面白い出会いについては以前のブログで書いたので、今回は棟方志功さんとの出会いについて書こうと思う。

 

私が銅版画を独学で作り始めたのは、美大の二年生の19才の時であった。『Diary-Ⅱ』という表現主義的な作品を作ったのは翌年の20才の時である。作り始めて二作目の版画『微笑む家族』という作品を私が住む神奈川の美術展に出して、神奈川県立近代美術館館長の土方定一氏の眼に止まり、美術館に収蔵されたという流れもあって、翌年、再びこの美術展にその『Diary-Ⅱ』を出品したところ、今度は版画部門で受賞した。賞金は当時の十万円。貧乏な美大生にとっては救いの神の賞金である。授賞式は展覧会の会場の神奈川県民ホ―ルであった。会場に着くと、受付の人から仰々しく私の名前を書いた名札を渡されたのであるが、その人が私を見て「あなたが北川さんですか!いや、もう審査の時が大変だったんですから!」と言って、審査時の事を詳しく話してくれた。版画部門の審査員は三人で、その中に板画家の棟方志功さんがおられたのであるが、私の版画が審査員達の前に現れた瞬間、棟方さんは急に席を立って私の作品の所にやって来て、係員から額に入った版画を奪い取るようにして床の上に置き、額のガラスの上から私の作品を掌で撫でまわし、「凄いなぁ、凄いなぁ……」と、あの特徴的なだみ声で呟きながら延々とその動作を続けた為に、審査が30分近く完全に止まってしまったのだという。…………棟方志功。この20世紀の日本美術を代表する巨人の名前はもちろん知っていたが、私はこの美術展の審査員に棟方さんが入っている事など全く知らなかった。しかも、その棟方さんが私の作品を見るや、そういう行動に出た事など、係員から言われるまで私が知るはずがない。……私は話を聞きながら、あの棟方志功の顔が浮かんで来たが、私の作品とその顔が今一つ、どうも結び付かないでいた。式の会場の中に行こうとすると、その係員の人が「今日、棟方さんが来られますので」と告げてくれた。

 

……授賞式が進んでいったが、しかし棟方さんの姿は会場に無かった。「まぁ、そういうものだろう」、私がそう思ったまさにその瞬間、会場にざわめきが走り、紋付き袴姿の棟方志功さんが、頭のてっぺんにかんざしをグサリと突き刺した奥様と同伴で突然現れ、そのまま壇上に上がった。確かにもの凄いオ―ラをこの人は放っていた。……挨拶の第一声は、今でもありありと覚えているが、「夫婦の枕は長まくら!!」であった。……つまり、式に遅刻した言い訳を、先ほどまで夫婦の愛の営みをしていたのだから、まぁ、そこは……と天衣無縫の表情で笑いながら話して、会場の雰囲気を一瞬で自分の話術に引き込んでいく。棟方さんは最初は上機嫌で笑顔であったが、版画部門の審査の話になるや表情が一変して鋭い口調になり、激しい怒りの表情へとそれは変わった。会場は一変して静かになり、ただ棟方さんの言葉だけが響いてくる。棟方さんの話でわかったのであるが、今回の審査で絶対に納得いかない不正があり、それを糾弾し始めたのである。棟方さんは私の作品を版画部門の受賞だけでなく、大賞に値する作品として強く推したのであるが、大賞は既に審査の事前に内々で決まっていたらしく、その受賞者は県の教育委員会関係の御曹司らしい事が、棟方さんの口からズバズバと明らかになっていく。最近よく話題に上がる「忖度(そんたく)」である。「北川さんのあの作品が、どうして大賞にならずに、そんな作品が大賞に決まるわけですか!!……そんな馬鹿な話がありますか。私はこんな馬鹿げた美術展の審査はもう絶対に今後やりません!!」。……棟方さんの怒りを込めた熱い語りはさらに続いたが、私の名前が何度も棟方さんから出てくる事に、私は自信へと繋がる熱いものが湧いてくるのを覚えていた。大賞の賞金は当時の100万円とパリ一年間の留学であるが、私は大賞よりも、遥かにもっと大きな、作家としての今後に繋がる大切な物をこの時に棟方さんから貰ったのであった。駒井哲郎氏からは既に評価を受けており、その後に出会う池田満寿夫氏や浜田知明氏、そして、パリで一緒に展示された、国際的な作家のジム・ダイン氏から受けた評価とはまた別なものが、棟方志功という人にはあるのである。当時まだ20才そこそこであった私に、しかし、この出会いと作品への評価はあまりに大きく、いま思い出しても貴重なものがあった。……式場の帰りに、私は棟方さんと握手を交わし、一緒にエレベーターに乗ったのであるが、この時に棟方さんの本領が発揮された。……棟方さんは、突然このエレベーターが欲しい!!、どうしても家に持って帰りたい!!と子供のような駄々を本気でこね始めたのであった。私は笑いながら、同乗している棟方さんの奥様を見ると、(またいつもの癖が始まった!)と呆れ顔であり、横にいた土方定一氏も爆笑されていた。……棟方さんは、その二年後に亡くなられたのであるが、私の作家への過程における巨きな恩人であり、今もその特異な存在の記憶は昨日の事のように煌めいて在る。……あの日、棟方さんと別れた数日後に、土方定一氏から一通の葉書が届いた。その手紙には、君はもうあのようなレベルの美術展ではなく、もっと高みの上を目指せ!!……という内容の文面が綴られていた。土方氏は、死後もまだ無名だった松本俊介を世に出す契機を作るなど、信じられる慧眼の人である。私はそれに従い、立体や大きな平面に混じって版画は画面が小さいので審査の上で不利である事は承知の上で、当時最大の難関であった現代日本美術展に応募し、ブリヂストン美術館賞を受賞したが、その時の審査委員長であった土方定一氏の強力な推薦があったときく。……とまれ、私は折に触れて、棟方志功という稀代の才能が産み出した作品を観る度に、あの日の貴重な、そして不思議な導きに充ちた〈一期一会〉という人生の妙を覚えるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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