森鴎外

『第10回菊池ビエンナ―レ展 現代陶芸の〈今〉を観る』

昨日の午後、アトリエでオブジェの制作と平行して詩を書いていたら携帯電話が鳴った。誰かからのEメールである。開いて見たら「三田文学に詩を書いています。お読み頂ければ有り難いです」とだけの短文で、全く知らない人の名前が……。現代詩手帖ならばいざ知らず、森鴎外永井荷風等の流れを汲んだ歴史ある「三田文学」での詩ならば面白いかも…と興味が湧き開いて見たら、忽ち〈悪質メール注意〉の警告が!……直ぐに消したが、その後で笑ってしまった。怪しい連中が「三田文学」の角度からも詐欺をやっている、その着想の幅の広さに半ば呆れて笑ってしまったのである。「三田文学」を知っている詐欺師とは、なかなかの知識があるようで面白い。……そして「そうか、この連中は私を詩人としてリストに入れているのか」と思うと、妙に励まされたような笑える気分であった。そして思った。(そうだ頑張って、遅れている第二詩集の為に詩作を急がねば)と。

 

……さてこの度の能登半島大地震であるが、惨事は他人事でなく、いつ私達を襲ってくるかはわからない。正に一寸先の事は誰も知らず、突然ガタガタッと窓ガラスが激しく揺れた時が、この世との訣別の瞬間かとも思われる。……もの凄い揺れに襲われ、玄関の扉も開かなくなったその瞬間、パニックになったあなたはどうするか?……先ず閃くのはテ―ブルの下への避難であるが、しかし大量の二階からの落下物がのし掛かってテ―ブルの脚も折れ曲がり、意に反して脱出が困難になる場合が多分にある。……ここで、先人が助かった例として提案したい場所がある。それは……「トイレ」である。構造が狭い分、重い落下物が周囲に分散し、またトイレは外に隣接しているので、脱出或いは発見される可能性が高い。そしてそこで大事な事は日頃から「笛」・ホイッスル(緊急用救助笛―ちなみに楽天で171円他)をトイレに予め用意しておく事である。……怪我をして次第に脱水症状が出て来ると、救助の呼び声に言葉で返す力も無くなってくる。そうした時に笛は僅かな息だけで遠方に音が響き、発見される可能性がきわめて高い。自力の微かな声よりも、遠くまで響く他力の音が遥かに実際的である。……一例として、阪神淡路大震災の時に自宅が全壊した俳人の永田耕衣さん(1900~1997)は、丁度使用中だったトイレに閉じ込められたが、たまたまそこにあった茶碗を箸で叩いて助かった事がある。とまれ参考にして頂きたく、一例としてこのブログで提案した次第である。

 

 

先日の快晴日に、東京の日比谷線の神谷町駅で下り、大倉集古館のそばに在る菊池寛美記念・智美術館で3月17日迄開催中の『第10回菊池ビエンナ―レ展』現代陶芸の〈今〉』を観に行った。…場所は虎ノ門に在りながら、都会の喧騒とは無縁の静謐な空間を帯びたこの美術館が好きで、私は度々訪れるのであるが、この菊池ビエンナ―レ展は、特に審査のレベルが高く、土でしか出来ないオブジェの可能性を追っている点からも、素材の妙を知る上で、特に私の興味をひいている展覧会である。

 

 

 

 

しかも今回は、女性初の受賞者である若林和恵さんが大賞受賞者であるが、その若林さんは私のアトリエの在る建物の階上に住んでおられ、地下の工房で日夜、磁器の制作に励んでおられるのを長年知っているだけに、感慨もまた深いのである。(私はつごう7回の引っ越しを経て、導かれるように現在のアトリエで制作しているが、世間が静まった夜半に階下から聴こえて来る、若林さんが作陶に挑んでいる土や水の響きが時おり伝わって来て、自分も頑張らねばと、一人の表現者として私は自ずと鼓舞されるのである。)………………

 

美術館の螺旋階段を降りて行くと広い会場である。若林さんの大賞受賞作品『色絵銀彩陶筥「さやけし」』(画像掲載)が先ず展示されている。古典の雅とモダニズムの華やぎとの共存を帯びた圧巻の存在感を放って尚も優美。…観る人をして鑑賞でなく、観照の深みへと引き込む存在の強さがある。…この存在感は、若林さんが芸大を卒業後にピカソの作陶でも知られるイタリア・ファエンツァの国立陶芸美術学校に留学して学んだマヨリカ陶の技術研鑽と共に、体感として享受したアドリア海の硬質な強い光が、感性の中に豊饒なままに息づいており、それが日本古来からの美の湿潤さと静けさの豊かな混淆の放射として産まれた、若林さんの作品だけに固有な独自の存在感のように思われた。

 

……実に照明の配慮が行き届いた館内には、今回の応募総数359点の中から第二審査迄を経て選出された53点の入選作品が展示されていて、各人の技術研鑽の苦労と作品への想いが伝わって来る。しかし、私にはあくまでも既存の「工芸」の領域に作者達の意識が総じて向かっているような一元性を感じさせて映った事は正直な感想である。優れた作品が他を排して存在するのは、作品が孕んでいるもう一つのイメ―ジの揺らぎ、西脇順三郎的に言えば「諧謔」的なものが在るか否かなのである。そして、私が作者を知っているからという単純な身贔屓でなく、私が審査員であったとしたら、やはり今回の大賞は若林さんに一票を投じたに違いないであろう、作品・色絵銀彩陶筥『さやけし』は、そのような作品なのである。………………いろいろと考える切っ掛けになったこの展覧会は、ジャンルを越えて得るところのあった経験であった。今年は元旦から不穏な事が続き、私達の気持ちが日々荒れている感がある。もし時間的に余裕があるならば、喧騒から離れた静かなこの美術館を訪れて、作品の数々に接して自身と向かい合う観照の場にされては如何であろうか。

 

 

 

 

 

 

…………さて、美術館を出ると、なおも日射しは真冬だというのに、夏のような烈々とした強い光である。神谷町駅から日比谷は近い。私は久しぶりのこの快晴の光をもっと浴びたくなり、日比谷公園に行き松本楼で昼食をとった。……そしてフットワ―クの良い私はその足で銀座線に乗って浅草寺に行き、珍しく御神籤をひいた。……「大吉」であった。

 

 

 

 

 

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『……大日本陸軍の闇がそこにはゴッソリと!!』

①……よく知られているように、江戸川乱歩は強度な「隠れ蓑願望」の持ち主であった。自分にまとわりついている社会的な属性を一切捨てて、見知らぬ町に隠れ家を見つけて住み、もう一人の自分として別な呼吸をして生きたいという、一種の変身願望である。私にもそれは多分にあって、時々遠方の地を歩きながら、隠れ家にむいたエリアを物色している時がある。

 

……最近気にいっている場所は谷中・初音町。…(はつねちょう)という響きが実にいい。森鴎外樋口一葉が愛した谷中の墓地からも近く、鴎外の『青年』の舞台としても登場する。必ずやいつか!……と思っていたら、この場所に先客がいるのを最近知った。その住人とは、……ゲゲゲの鬼太郎である。漫画にはこう書いてあった。

 

「……東京に、こんな古めかしいところがあるかと思われるような谷中初音町に……おばあさんと孫が、昔おじいさんが三味線を作った残りかすの猫の頭などを売っていたが、今時こんなものを買う人もない。そこで二階を人に貸したのだ。借りた人は鬼太郎たちである。……」 隠れ蓑願望の強かった水木しげるもまた、谷中初音町にアンテナがいっていたのかと思うと嬉しくなってくる。ともかくそこは、昔から全く時間が動いていない、停止した空間なのである。

 

 

 

②私の出身地である福井のギャラリ―サライ(松村せつさん主宰)では、10年前から隔年毎に私の個展が開催されている。今年はその開催年になり、4月1日から今月末まで開催中である。私は初日から3日間の慌ただしい滞在であったが連日画廊につめていた。……初日の夜は、福井県立美術館、そして福井市美術館の館長はじめ学芸員の人達が多数集まり、歓迎の宴を催してくれた。また3日目は、高校の美術部の後輩達がこれもまた小料理屋での宴を催してくれたりと、懐かしい人達との嬉しい再会の時間が流れていった。

 

中2日目は、福井新聞社編集局の伊藤直樹さんが記事の取材に来られ、私のオブジェの特質である「二物衝撃」と、観者の人たちの想像力の関係の不思議について話をした。伊藤さんは実に思考の回転が早く、話す事の核心を的確に汲み取る人なので、話をしていて実に手応えがあって愉しい。……また、画家のバルテュスとも個人的に親交が深く、近・現代版画の優れたコレクタ―であり、そして私の作品も多数コレクションされている荒井由泰さんが来られ、最近新しくコレクションされたという谷中安規の代表作「自画像」の版画(微妙に刷りが異なる珍しい二種類の版画)を見せてもらい勉強になった。

 

……ギャラリ―サライの松村さんは人望があるので、来客が実に多い。……その中で一人の男性の方が静かに語りかけて来られ、「北川さんは、戦時中に武生(福井県)に陸軍の中国紙幣の贋札工場が在ったのをご存知ですか?」と切り出して来られ、私の関心は一気に沸騰した。この魅力的な切り出しは「その話、じっくり聴かせて頂こうではないですか!」となって来る。……名刺を頂いた。見ると、先ほどの伊藤さんと同じ福井新聞社の論説委員の伊予登志雄さんという方であった。「北川さんのブログは毎回拝読しています。実に面白いので、あのブログは纏めてぜひ本にすべきです」と言われ、有り難いと思う。……それから、伊予さんが語られた話はどれも戦慄する内容の洪水であった。

 

……戦時中の「アメリカ本土を攻撃した風船爆弾」スパイのゾルゲ事件」「人体実験で知られる731部隊」「日本陸軍が作製した精巧な蒋介石の顔を印刷した贋札工場」「帝銀事件」……と、次々に伊予さんが話される大日本陸軍の闇、闇、闇の具体的な話。伊予さんは以前にその関係者や生存者に直接会って取材して来られたという経緯があるので、話の重みと迫真力が違う。そして、それらの実際の現物や資料が、神奈川県川崎市の多摩区東三田にある明治大学生田キャンパス内の『登戸研究所資料館』(この資料館の在る場所が、戦時中に実際の機密組織として様々な研究や活動をしていた場所)に保存されていて一般に公開されている事を教えて頂いた。……松本清張の『日本の黒い霧』『小説帝銀事件』など殆どの著書を読破している私としては、この伊予さんとの出会いは天啓であったと言えよう。

 

〈…………しかし、2年前にこのサライで個展があった時は、佐伯祐三について来客の方と話をしていたら、その隣にいた方が話に入って来て、実に佐伯について詳しく話され、「明日、北川さんに面白い本を持って来るので良かったら差し上げますよ!」と言われ、早速翌日にその方が来られて『二人の佐伯祐三』(馬田昌保著)という本を頂いた。いわゆる佐伯祐三にまつわる贋作事件、それに連座してのこの国の美術評論家の実態、福井の武生市が女性詐欺師に騙された話など、それまで切れ切れであった話がこの本で一気に繋がった。……私の気から発する何かがその人達を喚んでいるのか、ともかく不穏な話、興味深い話が何故か自ずと集まって来るのである。〉

 

 

 

③私はフットワークが実に早く、そして軽い。横浜に戻って直ぐに大日本陸軍の闇を書いた本を図書館で借りて来て読み、件の『登戸研究所』にさぁ行こうとして、ふと郵便受けを開くと伊予さんから詳しい資料が入ったお手紙が届いていた。正にこれから出発という、その絶妙なタイミングである。「今から行って来ます」と伊予さんにメールして電車に乗った。

 

小田急線の生田駅を下車して件の研究所を目指して坂を上がって行くと、まもなく大学構内に入る。……するとさっそく不穏な建物が出迎えてくれた。「弾薬庫」と呼ばれる暗い廃墟である。

 

研究所内に入ると係の方の説明があり、何室かに分けられた資料室があり、731部隊、スパイ養成所であった「陸軍中野学校」、特務機関、諜報・謀略活動……暗殺の為の腕時計…、贋札の実物、…等々、わけても私の注意を引いたのは、部屋の隅にさりげなく展示されていた帝銀事件の際に犯人が実際に使用したのと同じ型のスポイド、被害者の銀行員たちが呑まされて多数が毒殺された湯呑み茶碗であった。実に生々しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……敗戦と同時に「特殊研究」に関する書類や実験器具は焼却、埋設処分するなど証拠隠滅作業は徹底的に実施された由なので、この研究所内に原物がいろいろ展示されている事自体が奇跡に近いかと思われる。研究に関わっていた人達はGHQによって徹底的に尋問を受けたが、不思議にも実際に戦犯指名を受けた者はいないという。何故か!?……考えられる事は唯一つ、731部隊の隊長、石井四郎と同じく、当時のアメリカ軍に情報提供を条件に免責された可能性は大きいが、真相は遂に闇の中へ。………………今回は撮影して来た写真を掲載して終わりとしよう。とまれ百聞は一見に如かず。ご興味がある方は、この研究所見学をぜひお薦めしたいと思う次第である。

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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