樋口一葉、三島由紀夫、浅草十二階、永井荷風

『Pensione Accademia―Venezia』

①オミクロンの猛威で人心が暗く鬱々としている昨今であるが、それを払うようなニュ―スが先日、海外から飛び込んで来た。樋口一葉、三島由紀夫、浅草十二階、永井荷風……等と並んで、このブログでも度々登場して頂いているダンスの勅使川原三郎氏が、ヴェネツィア・ビエンナ―レ・ダンス部門2022で金獅子賞を受賞という知らせが入って来たのである。氏の今までの実績や実力を考えれば当然と云えるが、やはりこれは快挙であろう。生前に親しくさせて頂いた池田満寿夫氏や棟方志功氏はヴェネツィア・ビエンナ―レ版画部門の国際大賞を受賞しているが、またそのお二人とは違った印象が、勅使川原氏のこの度の受賞にはある。たぶん、空間芸術のみの美術の領域と、勅使川原氏のように空間と時間軸を併せ持った表現との、それは違いであろうか。それとも同時代を生きている事の、それは違いででもあろうか。私はご縁があって、8年前から荻窪の『カラスアパラタス』で、氏と佐東利穂子さんによる絶妙な、そして毎回異なった実験性を追求した身体による美の顕在化、美の驚異的な詩的叙述を目撃して来たが、氏の、そして佐東さんとのデュオが如何なる高みまで登り詰めて行くのか、興味が尽きないものがある。

 

 

……勅使川原氏の金獅子賞受賞の知らせが入って来た時、まさに偶然であるが、アトリエの奥にしまってあった、初めてのヴェネツィア行の時、私が厳寒の冬のヴェネツィアで二週間ばかり滞在していたホテル―Pensione Accademiaのパンフが出て来たので、往時をまさに想いだし、次回の撮影の時はまた泊まろう!……と思っていた時であったのは面白い偶然である。運河に面したこのホテルは、もとロシア領事館だった建物で、庭に古雅を漂わせた彫刻が在り、何より部屋が広く、静かで、しかも安いという穴場のホテルなので、このブログの読者には、機会がある時はぜひにとお薦めしたい宿である。アカデミア橋近くに在る、須賀敦子さんが常宿にされていた『ホテル・アリ・アルボレッティ』も瀟洒で良いが、私がお薦めする宿は更に静かである。念のために住所を書いておこう。

 

 

1―30123 VENEZIA-Dorsoduro 1058-ITALIA

 

 

……私が最初にヴェネツィアを訪れた時(今から30年前)は、今のようなネット通信のない時だったので、住んでいたパリの部屋から電話で直に滞在の予約が簡単に出来、こちらの希望する条件も詳しく話せ、何より彼方のヴェネツィアからの肉声や空気感が伝わって来て、まさに旅の始まりといった趣があったものであるが…………。ヴェネツィアを訪れるならば、ぜひ冬の季節をお薦めしたい。……私はかつて『滞欧日記』なるものを書いているが、そこには次のようないささか古文調で書いた記述がある。「……1991年2月5日、薄雪の舞う中、夜半に巴里リヨン駅を立ち、一路ヴェネツィアへと向かう。深夜、雪その降る様いよいよ盛んなり。スイスの国境を越え、アドリア海へと至り、早朝にヴェネツィア・サンタルチア駅に着く。眼前に視る。薄雪を冠した正に現実が虚構の優位へと転じ、妖なるも白の劇場と化している様を。」

 

……またこうも書いている。「冬のヴェネツィアの荘厳さは、正にリラダン伯爵のダンディズムを想わせるものがあって実に良い。それに比べ、夏の真盛りのヴェネツィアは、腐敗を露にし、全身で媚びた娼婦のそれである」と。……これは今から想うに、私の好きな高柳重信の短詩「月下の宿帳/先客の名はリラダン伯爵」……から連想して書いたものであろう。とまれ、次回のヴェネツィア行は、冬のカルナヴァレの時に撮影に行き、フェルメ―ルが使用した暗箱を再現した器材を使って、原色の内に息づく狂気を引き出そうと思う。写真家の川田喜久治さんは、「ヴェネツィアでは、作品とするに足る写真を撮る事は実に難しい」と言われた事があるが、その至難の切り裂ける角度のまさぐりを、私は次回の撮影行の課題としているのである。

 

 

 

 

②昨日、東京都庭園美術館に行き、開催中の『奇想のモ―ド・装うことへの狂気、またはシュルレアリスム』展を観た。……庭園美術館学芸員の神保京子さんからお年賀と一緒に展覧会のご招待状が届いたので、この日を愉しみにしていたのである。

 

 

 

 

 

神保さんは特にシュルレアリスムと写真の領域に深く通じ、東京都写真美術館の学芸員の時に企画された『川田喜久治―世界劇場』展はあくまでも唯美的で、かつ危ういまでの毒があり圧巻であった。今まで観た展覧会の中でも特筆すべき完成度の高さであったと記憶する。……その時に私は初めて川田さんと神保さんにお会いして以来であるから、思えばお二人とは永いお付き合いになる。川田さんの写真は、以前に北鎌倉の澁澤龍彦さんのお宅で写真集『聖なる世界』(1971年刊行)を拝見した時に端を発しているが、その重厚な深みある川田さんの表現世界を、神保さんは見事に展覧会としてプロデュ―スされ、その手腕とセンスの冴えは正に〈人物〉である。そして、今回の庭園美術館での切り口も、シュルレアリスムとモ―ドを融合し、そこに「狂気」「奇想」という芸術表現に元来必須なものを絡ませ、この展覧会を、最近稀に視る内容へと鮮やかに演出したものであった。

 

ダリ、マン・レイ、デュシャン、コ―ネル、エルンスト……など既に歴史に入って久しい彼らの作品が、モ―ドを切り口とする事で鮮やかに別相へと転じ、むしろその本質が浮かび上がって来ることに私は唸った。ある意味、それらは今日現在形の新作となるのである。……以前から私は、展覧会の企画の妙は比較文化的な視点で着想するか否かで決まると度々このブログでも書いているが、その事が正解である事を、この展覧会は見事に証しているのである。その事を示すように会場はたくさんの来館者で埋まり、盛況であった。

 

 

 

 

以前に練馬区立美術館で開催された『電線絵画展』の企画をされた学芸員の加藤陽介さんと、昨年末に美術館でお会いして、開催中の『小林清親展』(1月30日迄開催中)を拝見する前にお話ししたのであるが、「むしろ美術愛好者や来館者の方が、美術館の企画者よりも先をよんでいる」という、加藤さんの言葉には、企画者としての鋭い分析があると私は思った。……昨今、ネットによる情報化が進み、美術館不要論なるものまで出ているが、それはあまりに不毛なものがある。要は、馥郁とした、そして先を仕掛けるセンスを持った学芸員のいる美術館にはたくさんの人が訪れるのである。……人は、やはり現物が展示してある善き展覧会を、間近で観たいのである。……今回の図録に神保さんが興味深い論考を執筆されていて、私はそれも勉強になり、多くの示唆を頂いた。

 

……それにしても、今回の展覧会図録は実に造本が美しい。そう思って見ると、やはり青幻舎が作ったものであった。青幻舎の代表取締役へと、すっかり偉くなってしまった田中壮介氏は、私が編集人の第一人者として推す人であるが、京都に行かれてからもお元気なのであろうか?東京時代は青山にあった青幻舎に遊びに行き、お仕事の邪魔をしたものであったが、……氏とは何故か無性に話したくなる時がある不思議な人である。今度、京都に行く機会があるときは、ぜひ深夜まで話そうと思う。とっておきの怪談話などをしてみたいのである。……というわけで次回のブログは、泉鏡花の怪談夜話、祗園の芸妓が深夜に語ってくれた怪談実話、ヴェネツィアの今も現存する謎の舘の話などを……書く予定。……乞うご期待。

 

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , , , , | コメントは受け付けていません。

商品カテゴリー

北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
Web 展覧会
作品のある風景

問い合わせフォーム | 特定商取引に関する法律