甲子園

『戦前のこわい話』

今、甲子園では全国高等学校野球選手権大会が炎天下の熱戦をくり広げており、私の地元からは常連の福井商業高校が出場している。乾いたバットの打撃音、選手たちの掛け声、巨大な峰状の白雲、青い空・・・。それをTVで見ていると、蘇ってくる記憶がある。

 

私の家は、その福井商業高校の近くに在り、夏休みになると、小学生の頃の私は小さな自転車に乗り、度々そこへと向かった。目的はその高校のグランドの裏にある神社で昼寝をするためである。考えてみると私はずいぶんと準備の良い少年であったかと思う。昼寝のために自転車の荷台に愛用の枕と新聞紙を乗せていたのであるから、今思えば、なかなかに渋い小学生であった。その神社の近くには小川もあり、風が梢を揺らし、冷たいまでの風が吹いていた。蝉時雨の下、父や母や友達も遠くに在り、唯その時の私は、抒情とだけ結ばれていた。自分の将来がどのようになるのか,又、数十年後には地球が熱波に包まれて動植物が死滅の様相を呈する事など勿論想像する筈もなく、ひたすら私は心地よい午睡の中にいた。・・・私ばかりではない。・・・誰もが夏の到来を待ち望んでいた。誰もが白雲の彼方の青の蒼穹を見ては、今生きている事の喜びの中にいた。

 

時が経ち、1990年の冬の或る日、私はミラノからパリへと飛ぶ機中に在り、眼下にはアルプスの山頂の鋭く尖った白雪が見えた。更に20年の時が経った冬の或る日、再び私の眼下に見るアルプスの山頂には、以前に見た時とは全く異なる、鋭さの全く無い、例えるならば、とろりと溶けたアイスクリームのような雪が在り、溶けてむき出しとなった岩肌が汚く露出していた。それを見た時に、僅か20年での地球の病みと狂いの進行の早さを思い、「あぁ・・・もう、駄目だな」と思ったのであった。

 

夏は終わった。もはや私たちの知っている夏は、唯の観念の中へと消え去り、今、私たちの前に在るのは、熱くグロテスクな、未だ名状し難い不気味なまでの様態である。熱中症で多くの死者が出ているが、未だ見つかっていない死者たちが、クーラーの壊れた家の中でひっそりと横たわっている事は十分に考えられる事である。そのひっそりとした人家の屋根を、唯ひたすらに長雨が濡らしている。通りに歩く人影は絶え、(かつて経験した事のない)唯、しとどに降る長雨が地表を濡らし、家々を濡らし、・・・・・・風景を容赦なく濡らしていく・・・・・・・・

 

消えた抒情を求めるように、最近私は、古書店で一冊の本を見つけた。本の題は『戦前のこわい話』(河出文庫)である。副題に〈近代怪奇実話集〉とある。事実は小説よりも奇なりという言葉の通り、この実話集にはフィクションが適わない事実ゆえの凄みがある。凄惨で不気味極まりない七話集であるが、文中に息づいているのは、まぎれも無いこの国特有の風土が生んだ抒情である。

 

私はこの本を読んで、5年前の夏に訪れた岡山県の美作加茂駅を降りて向かった〈貝尾〉という名の寒村を思い出した。この地名を聞いてピンと来た方はかなりの通であるが、昭和13年5月21日の深夜に起きた、「津山30人殺し」の現場である。私はそこで二人の老婆と話しを交わした。その一人は犯人と幼なじみ、今一人は彼女を除く一家全員が殺された、その生き残りの女性であった。熱い夏であったが、私は今となっては貴重な証言を彼女たちから知らされたのであった。・・・・・・・・眼前の狂った夏は確かに怖い。しかし、もう一つ怖いのが、死者ではなく、現実に生きている人間の心の闇の底無しの無明である事を、この本は教えてくれる。興味のある方はぜひ御一読をお薦めしたい、この時期にピッタリの一冊である。

 

◀お知らせ▶

7月6日〜8月26日まで、和歌山県立近代美術館にて開催中の『美術の時間』展に私の版画三点「DiaryⅡ」「Friday」「ドリアンの鍵」(全て同美術館収蔵)が展示されています。他の出品作家は、ロバート・ラウシェンバーグクリスト河口龍夫工藤哲己他。

和歌山県立美術館:和歌山市吹上1-4-14 TEL.073-436-8690
詳しいお問い合わせは、学芸員・青木加苗氏まで。

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