神奈川県立美術館

『松本竣介』

20年ばかり前の話であるが、親しくしている額縁屋のI氏宅に行った折に仕事場で一点の油彩画が立て掛けてあるのが目に留った。初めて見る作品であったが、深い詩情性と言いようのない孤独感を湛えたその画面から「・・・松本竣介だな!!」と直感した。「竣介の絵が何故ここに?」—- 私がI氏に問うと、氏はニヤリと笑みを浮かべながら或る逸話を語り出した。I氏の話によると、或る人物が信州の旅館に泊まった時、部屋にこの作品が掛かっていたという。一目で竣介だとわかったその人物はそれとなく旅館の主人に問うてみると、絵の事は門外漢で、その絵もたまたま持ち込んだ人がいたので掛けているだけだという。しかもあろう事か主人は、「そんなにその絵がお好きなら良かったら差し上げましょうか」と申し出た。その人物はドキリとしながらも、「いや、タダというわけにはいきませんから、では3000円で・・・」と言ってその絵を入手し、それが持ち込まれて今、その額を考案中なのだと云う。ちなみに竣介の絵は最高時で一億を超えたというから、果たして・・・その絵はいくら位の評価が付くのであろうか。

 

半世紀以上前まではほとんど無名に近い存在であった松本竣介。しかし今や彼は、靉光藤田嗣治佐伯祐三岸田劉生等と共に近代洋画史を代表する人気と高い評価を得ている。松本竣介が今日の評価を獲得するに至るには二人の人物の存在が大きく関わっている。一人は神奈川県立美術館館長であった土方定一氏と、今一人は画家の岡鹿之助氏である。二人とも生前の松本竣介と面識はなかったが、竣介の死後まもなく、彼の絵を見たこの眼識ある二人の人物の果たした動きが、急上昇するように竣介の絵の価値を世間に知らしめる事となった。土方氏は美術館で竣介の展覧会(二人展)を企画し、また、岡氏は画集出版に関しての労を取った事がその起爆剤となったのである。土方氏は、美術館の果たす役割として次代の可能性を持った画家を見出し、本物の形へと高めていく事もその仕事であるという理念を持っており、実際に動いていた。私も版画を作り始めたばかりの20歳の頃、土方氏から突然に作品を神奈川県立美術館で購入したい件に関する丁寧な手紙を頂き、それが作家としての自信を深める契機となっている。「お前さんは、もっと高みを目指していい作家だよ!!」—-これは、私が土方氏から頂いた言葉である。しかし私のような場合と違い、松本竣介は生前に自分を引っ張り上げてくれる人物とは出会っていなかった。非常に暖かい友情で支えあった画家や彫刻家の友人達はいたが—–。今では信じ難い話ではあるが、彼は経済的な困窮の中でのほとんど衰弱死的な形で僅か36歳で夭逝してしまったのである。今一人の岡鹿之助氏は、竣介の作品の中に自らが理想とする表現世界が在るのを見て、すぐに画集刊行を指示し水面下で動いたが、それが如何に松本竣介の名声の確立に寄与した事かは計り知れないものがある。秀れた眼識があり、しかもその発言が大きな力を持っているこの二人の人物との出会いがもっと早ければ—–という無念はあるが、それも又、運命なのであろうかとも今にして私は思う。

 

昨日、世田谷美術館で開催中の『松本竣介展』を観に行った。十代の初期から絶筆までの見応えのある内容であり、私はしばし竣介の哀愁を帯びた静かなポエジーと美しいメチエの世界に没入した。わけても私が好きなのは「Y市の橋」と「ニコライ堂」である。特に「ニコライ堂」を描いた連作の中の一点が持つメチエの深さは、既にして神秘を孕み、霊妙といっても過言ではない表現の深みに達しており、松本竣介の最高傑作の一点はこれであると私は見た。岸田劉生の遺した言葉の中に「いい画は皆、永遠の間に、夢の様にふっと浮かんでいる。」という名言があるが、まさしくこの言葉に竣介の「ニコライ堂」は当てはまる。竣介の最晩年の作品「建物」や「彫刻と女」を見ると、最後の表現の域は、更なる上昇を計りながらもあたかもイカロスの失墜のごとく力尽きているのが惜しまれる。生前に欧州に行く事を夢見ていたというが、もしそれが叶えられていたら確実に日本の洋画史は、藤田や佐伯とは異なる豊かな美の顕現を得ていた筈に相違ない。

 

横浜に住んでいる私は、時折、横浜駅の東口を出て高速道路が見える「或る場所」に立つ事がある。そこは名作「Y市の橋」が描かれた現場なのである。今から70年前に松本竣介はそこに立ち、まるで生き急ぐような素早い線画でそこを描き、帰宅してから別な風景もモンタージュとして加え、風景画の典型を刻印した。その連作も含め、竣介の風景画には謎めいた人物が黒のシルエットとして不気味に散見出来るのが気にかかる。ほとんどの人は気付いていない事であるが、実は佐伯祐三の晩年の風景画(カフェテラス等)にも同様な死を予感させる気配を帯びた謎の人物が、作品から作品へと渡り移るように度々描かれているのである。映画『アマデウス』ではないが、絶筆の「レクイエム」を作曲時に、ちらちらと不気味な人物が幻視のように出現している事をモーツァルトも語っている。—–まさか、死後の名声と引き換えに現れたデモニッシュなものの変容ではあるまいが、—–興味のある方は佐伯の画集を併せて御覧頂ければと思う。とまれ、多くの美術館で様々な展覧会が開催されているが、世田谷美術館の『松本竣介展』(2013年1月14日まで開催中)は、私が今一番に推す展覧会である。

 

建物

 

鉄橋近く

 

Y市の橋

 

Y市の橋(部分)

 

不思議な気配を帯びた人物の黒いシルエットが、硬質な画面に郷愁を奏でると共に不穏な韻を立ち上がらせている。

 

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『永遠の少年 – レイ・ブラッドベリ』

SF界の巨匠レイ・ブラッドベリが亡くなった。九十歳を過ぎて尚も新作を書き続けて生涯現役を貫いた驚異の人である。ブラッドベリの世界を愛する日本人ファンも多く、翻訳書がかなり出ているが、私は『黒いカーニバル』という短編集が最も好きである。ブラッドベリはSF作家である以前に本質的に詩人であった。だから翻訳者にも高い能力が要求されるが、私はわけても伊藤典夫氏の訳が好きである。『黒いカーニバル』所収の中でも「みずうみ」「ほほえむ人びと」などは最も惹かれた作品であるが、「みずうみ」などは言葉による時間転移の巧みさにおいて、ある意味で川端康成を超えるものがあるのではあるまいか。—– 私はそれ程に「みずうみ」を評価し、折に触れ再読を重ねて来た。

 

ブラッドベリとの出会いは20歳の頃、つまり私が銅版画を作り始めた頃であった。私はその瑞々しい表現世界に潜むイノセントが孕む毒に影響を受け、それを銅版画に取り入れる事を試行した。三島とボードレールからの影響で「午後」という作品は生まれたが、ブラッドベリの「ほほえむ人びと」は、私に「微笑む家族」という作品を作らせた。この作品は、当時の日本の美術界を引っ張っていた美術評論家・土方定一氏の目にとまり、氏が館長を勤めていた神奈川県立近代美術館の収蔵に入った。銅版画を始めて二作目の作品が早くも評価された事で、私は銅版画への自信を一気に深めたわけであるが、それもブラッドベリのおかげである。ブラッドベリの感性の中には、年を取らない「永遠の少年」が最後まで住んでいたが、ピカソが残した言葉「芸術とは幼年期の秘密の部分に属するものの謂である」にならえば、ブラッドベリもまた言葉の正しい意味での真の芸術家であったといえよう。

 

或る時、私は間近に迫った個展の為にオブジェを制作していて、ふと無性にレイ・ブラッドベリへのオマージュを作りたい衝動が立ち上がって来た。私には度々ある事であるが、突然、イメージが向こうからやって来るのである。そして気がつくと僅か三十分程で一点のコラージュが出来上がっていた。・・・ビリヤード台のような物の上に配された小さな村の縮図。それだけで「物語」の舞台は出来上がっているのであるが、私はその背景に巨大な半円状の天球図を配し、手前に不気味に浮遊する不可解な小物体を暗示的に配した。私はその作品を個展に出品はしたが、展覧会の主題とは外れた私的な作品の為に、もし購入者がいなくても自分のアトリエに掛けようと思っていた。内心、とても気に入っていたのである。しかしその作品は個展二日目に早々と売れてしまったのであった。購入されたのは、以前から私の作品を度々コレクションされているN氏。N氏は仏文学者でジャン・ジュネなどの優れた翻訳でも知られる人である。伺うとN氏もまたブラッドベリのファンとの由。この作品はN氏の書斎にピタリと収まるに相違ない。そう思うと、私はこの作品がN氏にコレクションされる事の必然を直感して無性に嬉しくなってきた。作品のタイトルにブラッドベリの名を入れていた事もあってか、N氏は作品を見た瞬間に、自らの想うブラッドベリの世界と作品が一瞬で結び付いたとの事。ブラッドベリを介して私とN氏の感性がこの瞬間に直結したのである。

 

レイ・ブラッドベリは亡くなったが、しかし氏の残した珠玉のような数々の作品は、その瑞々しいイメージの深度と独自性ゆえに、次代の人々にも読み継がれていくであろう。そして私もまた折を見ては再読を死ぬまで重ねていくであろう。レイ・ブラッドベリを読む事、それは私にとって表現者になることを志した時の初心に帰る事なのである。〈 詩人レイ・ブラッドベリの魂よ永遠なれ。〉

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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