福山美術館、高崎市美術館

『なぜツルゲ―ネフでなければならないのか』

6月に入ると梅雨があるのでアトリエに籠りがちになるせいか、制作の速度が一気に加速するようだ。『サディの薔薇』、『NANCYの小さな矢印のある二つの門』……といったふうにタイトルが次々に浮かび、イメ―ジが日々新たに浮かんでくるのに、その実作の物理的な速度がそれに追いつかない…といった感じで、ともかく新しいオブジェが次々に誕生している。……しかしそんな中、では出歩かないかというと、けっこう出掛けてもいる。最近は毎週、多摩美大に行って喋っている。

 

喋りといえば、美術大学や美術館でけっこう連続的に喋っていた時期があった。……思い出すままに書くと、多摩美大・武蔵野美大・女子美大・名古屋芸大・立命館大学・京都精華大・國學院大・玉川大・北海道教育大・福島大……、美術館では横浜市美術館・福井県立美術館・宮城県立美術館・福山美術館・高崎市美術館……etc。また与謝蕪村の研究セミナ―から喚ばれて宇都宮で研究者達を相手に講演をした事もあった。……作品から作者もまた寡黙に思われがちらしいが、本人は真逆で、常々考えている事を確認する意味もあってか、よく喋る方だと思う。

 

今、喋っているのは多摩美大の演劇舞踊デザイン学科。……数年前に話が来た時は遠くの八王子校舎だと思い断っていたが、よく訊いてみると世田谷の上野毛校舎だという。上野毛ならアトリエから近いので引き受けた次第。……特別講義の題が必要だというので『二次元における身体論』という題にした。二次元における身体論、……いささか捻っているみたいだが、要は文芸に力点を置いた、イメ―ジの装置としての「言葉」の効用の事である。……学生相手に喋る面白さもあるが、「当世書生気質」ならぬ「当世若年者気質」、つまりネット社会の落とし子達の実態が肌でわかるので、近未来の姿がうっすらと、いや、ありありと見えて来て、その縮図がリアルに視えてくる。……喋る前日に講義の事前準備は一切しない。また参考書や資料なども持っていかず、いつも手ぶらの軽装で行く。講義時間は約三時間半。

 

私の話は学生に「未だ足らざる」を実感で伝える事。だから、例えば先日やった内容は、短歌の春日井建、寺山修司、石川啄木、そして源実朝の和歌から実作を選び出し、その文中の一番要の言葉を○○○にして隠し、学生達に作者になったつもりで言葉を捻り出させるという内容である。かくして、その日の講義のタイトルは題して『なぜツルゲ―ネフでなければならないのか』。美大の助手の方から、その時の問題用紙をサイトに送って頂いたので、参考までに以下に掲載しよう。

 

 

 

令和4年5月19日 北川健次先生 特別講義

『第一回『なぜツルゲーネフでなければならないのか』

 

●春日井建 歌集『未青年』より

・大空の斬首ののちの静もりか没ちし〇〇がのこすむらさき

・われよりも熱き血の子は許しがたく〇〇〇を妬みて見おり

・両の眼に針刺して◯を放ちやるきみを受刑に送るかたみに

 

 

●寺山修司 歌集『田園に死す』より

・新しき〇〇買ひに行きしまま行方不明のおとうとと鳥

・売りにゆく〇〇〇がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき

・たった一つの嫁入道具の仏壇を〇〇のうつるまで磨くなり

 

 

●石川啄木の歌集より

・そのむかし秀才の名の高かりし友◯にあり秋風の吹く

・死にたくはないかと言へばこれ見よと〇〇の◯を見せし女かな

・〇〇の夜のにぎはひにまぎれ入りまぎれ出で来しさびしき心

 

 

●源実朝の和歌より

・大海の磯もとどろに寄する波わけてくだけて〇〇〇〇〇〇〇

 

 

読者諸氏は、空白の○○○にどういう言葉を入れられたであろうか。
とりあえず正解は…………………………↓

 

 

春日井建

1.大空の/斬首ののちの/静もりか/没ちし日輪が/のこすむらさき

2.われよりも/熱き血の子は/許しがたく/少年院を/妬みて見おり

3.両の眼に/針刺して/魚を放ちやる/きみを受刑に/送るかたみに

 

寺山修司

1. 新しき/仏壇買ひに/行きしまま/行方不明の/おとうとと鳥

2.売りにゆく/柱時計が/ふいに鳴る/横抱きにして/枯野ゆくとき

3. たった一つの/嫁入道具の/仏壇を/義眼のうつるまで/磨くなり

 

石川啄木

1.そのむかし/秀才の名の/高かりし/友牢にあり/秋風の吹く

2.死にたくは/ないかと言へば/これ見よと/喉の疵を/見せし女かな

3.浅草の/夜のにぎはひに/まぎれ入り/まぎれ出で来し/さびしき心

 

源実朝

1.大海の/磯もとどろに/寄する波/わけてくだけて/さけて散るかも

 

 

 

…………………………以上である。
時代を越えて、名作とは、単に言葉が美しいだけでなく、実にイマジネ―ションに毒があり、危うさがあり、一言で言えば美とは形而上的犯罪と言っていいものがある事に、あらためて気づかされる。想像が紡いだ犯罪遺文、そう言ってもいいかもしれない。……俳句は、禅的な視点で世界を、宇宙を凝縮してつかみとって詠む為に、もっと大きいものがあるが、短歌や和歌の31文字は凝縮と拡散の相反するベクトルがミステリアスなまでに重なってあるので、そのままに二次元の身体学という話に使いやすいのである。

 

……しかし、最近つくづく思う事は、スマホなどの出現で、年々、若い世代の人達の語彙が少なくなって来ている事である。言葉を知らない事を恥じるでもなく、スマホがそこにあれば、彼、彼女達の脳もまた頭を離れてそこ➡スマホの中に在るので心配はご無用、そういった傾向(もはや症状)が加速的に蔓延している感がある。……言葉を知らない、故に思いを伝えられない。喋れない、……だから黙る、だから未熟なままに年を経る。

 

 

……言葉を知らない人間が増えている原因は幾つかあるが、辞書や教科書からルビ(振り仮名)が消えた事は大きい。……芥川龍之介三島由紀夫には一つの面白い共通点があった。それは幼い時の愛読書が辞書であった事である。しかもルビ付きの善き時代。もともと知能が研ぎ澄ましたように高いところに、辞書で毎日のように語彙が増えていき、悪魔的なまでに彼らは言葉の魔術師となっていった。……言葉だけに限らず、昨今の世の便利さはますます退化を促し、情緒は言霊から離れてカサカサの空無と化し、そのとどまるところを知らない。…………アトリエを出て時々外で喋っていると、その事を強く感じる事が本当に多くなった。

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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