『我、晩夏に思う』

以前にこのメッセージ欄で〈蝉が鳴かない不気味な夏の静けさ〉について書いた。すると、偶然とはいえ、その翌日から至る所で蝉がいっせいに鳴き出したのには驚いた。まるで「どっこい生きているぞい!」と自己主張するかのように。そこで私は思った。・・・ひょっとすると、何匹かの蝉も私のサイトを見ているのではないかと。しかし、そのかまびすしい夏の風物詩も一時の事で、地上に落ちた蝉のなきがらが哀しく目立つ、今は晩夏である。

 

近頃、余震は少なくなってきているが、今も時折は揺れを呈して落ち着かない。TVを見ていると弾むような地震の予知音が急に鳴り始め、数秒後に来る揺れを驚告する事がある。しかしそれをやられても実際はどうしようもなく、唯、「来るなら来い!!」と心構えるだけである。そして、私は思う。それって言葉の正しい意味での「予知」と言えるのであろうか!?と。実は、死への引導渡しのやわらかな警告音に過ぎないのではないかと。

 

幕末で最も聡明な女性の一人であったのは、大奥を仕切っていた篤姫である。彼女は江戸城の井戸水の水面がいっせいに引いたのを知り、昔からの言い伝えを信じて地震が必ず来ると察し、江戸城の中に被災者を受け入れる避難所を設けて時を待った。はたして数日後に巨大地震が起きた。7000人以上の死者を出した、世にいう安政の大地震である。

 

徹底した資料集めで知られる作家の吉村昭氏。彼が記した、今までに東北で起きた地震と津波の惨状を集めた本『三陸海岸大津波』の中でも、古老たちの実見録や古文書の中に、総じて地震の前兆として必ず井戸の水位が急速に引いたという記述が載っている。私は思うのだが、実際はさほどの効力もない気象庁が出す地震数秒前の恐怖音よりも、古くからかなり高い確率で当たっている井戸水の予兆現象の方を注視し、できれば全国の要のポイントに予知用の精密な井戸を作り、井戸検証課とも云うべき課を設けて人員を配するべきではないだろうか。地震のメカニズムからいっても、見えない地中深くに予兆は前もって必ず現れる。井戸の水がそれによって引くのは当然の理なのである。

 

今回の地震でも津波の直前にいっせいに海水が沖へと引き、海の底が遠くまで見えたという目撃談がある。前述した吉村昭氏の本の中にも同じ現象の記述があり、子供たちが面白がって近づいた為に、その直後に来た大津波によってさらわれてしまったという話が載っている。再び私は思うのだが、杖をかざすと海面が左右に分かれて水底が沖まで道のように開けたという、古代イスラエルの予言者モーゼの、あまりに有名な場面。あれはBC13世紀頃に起きた、同じ現象を目撃した人物によって紡がれたイメージなのではないだろうか・・・・・。広大なスケールの場面でありながら、どこか私たちの遺伝子の奥から来るようなリアリティーも同時に覚えてしまう説得力が、あの場面にはある。そこに私は、〈事実は小説よりも奇なり〉の言葉を、ふと見たりもするのである。

 

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