高橋お伝

『2023年夏・ホルマリンが少し揺れた話』

……30年ばかり前にロンドンに住んでいた時に、度々訪れて観た大英博物館内の展示は忘れ難い。わけても私が特に興味を持ったのは、ジョンとポ―ルが合作した『HELP』の直筆の草稿の真横に展示されていたモ―ツァルトの直筆の楽譜であった。

 

先ず最初の音が置かれた途端、何の躊躇いもなく次の音が疾駆し始め、恐るべき速さで曲が紡がれていくのが直に伝わって来るのであった。最初の音が決まった瞬間に、実はその一音の中にその曲の全てが凝縮されているのであろう。……出だし、出だしが重要なのである。名作というのは全てこの出だしに、得も言われぬ艶がある。

 

 

……それは文芸でも同じである。一葉の『たけくらべ』、漱石の『草枕』、川端の『雪国』、三島の『金閣寺』……等々、名作と評されている作品はみな出だしが美しく、フォルムと作者の眼差しが既に鋭く、ぶれる事なく定まっている。しかし近代文学の中で、最も見事に練り尽くされた出だしは、どの作品かと問われれば、私は躊躇なく谷崎潤一郎の『刺青』に指を折るであろう。その出だしは次のように始まる。

 

それはまだ人々が「愚」と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋み合わない時分であった。殿様や若旦那の長閑な顔が曇らぬように、御殿女中や華魁の笑いの種が尽きぬようにと、饒舌を売るお茶坊主だの幇間だのと云う職業が、立派に存在して行けた程、世間がのんびりとして居た時分であった。

 

女定九郎、女地雷也、女鳴神、当時の芝居でも草双紙でも、すべて美しい者は強者であり、醜い者は弱者であった。誰も彼も拳って美しからんと努めた揚句は、天稟の体へ絵の具を注ぎ込む迄になった。苛烈な、或は絢爛な、線と色とがその頃の人々の肌に踊った。…………………………

 

 

第一行の「愚」は、「おろか」と読む。間違っても「ぐ」と読んではいけない。……このおろかという言葉が持つ弛さの採用が、次第に刺青の鋭いエロティシズムへと移っていく伏線として緩急に鮮やかに効いている。

 

……谷崎潤一郎、25才にして、この『刺青』が処女作であるから、正に恐るべき天才である。この天才をいち早く発見して世に絶賛したのは永井荷風上田敏。とくに荷風は谷崎を「当代稀有の作家」と誉め称え「今一歩を進めるならば、容易に谷崎氏をしてボ―ドレ―ルポ―の境域を磨するに至らしむであろうと信じている」とまで書いている。

 

処女作にして名作の冠と眼識の高い先達からの評価を得た谷崎潤一郎。……今回のブログは、その名作誕生秘話と、その谷崎のインスピレ―ションを揺らして突き上げた或る女性の存在、そしてそこに絡んでくる私が綾なすトライアングルの話である。このブログも『刺青』から始まり、最後には『刺青』へと還って来る作りになっている。

 

 
……さて、その谷崎に波動を与えた導き人が、前々回の阿部定と並んで稀代の毒婦と称された高橋お伝。……実は、お伝が殺した相手の男の名前は、奇しくも阿部定が殺した相手の名前と同じく吉蔵であった。

 

……1995年に刊行された文芸誌『新潮』に、『水底の秋』と題した私の文章が載っている。それはヴェネツィアのムラ―ノ島のガラス工房を訪ねた話から始まり、本郷の東京大学医学部解剖学標本室を訪れた際の体験談へと移っていく話である。……その標本室は一般には非公開であるが、何故か私は、人柄の良さが効を奏したのでもあろうか、特別に見学が許され、時間の空いた時に度々訪れている。……都合5回ばかりは訪れたであろうか。しかし私はこの見学の際は、パリで非公開のフラゴナ―ルの戦慄すべき剥皮標本の見学を許された際も、5人ばかりの友人を誘っているが、この東大の解剖学標本室を見学する際も、友人に声をかけて誘っている。誘えばみな、好機とばかりにやって来た。

 

 

……思い出すままに書けば、土方巽夫人にして舞踏家の元藤燁子さんと、舞踏家の面々。國吉和子さん(舞踊研究/評論)、清水壽明さん(平凡社・『太陽』元編集長)、四方田犬彦さん(比較文化/映画評論)、中瀬ゆかりさん(新潮社出版部部長)、阿部日奈子さん(詩人)、それに廃墟専門に撮影している写真家、占星術師、画商……etc。こう書いてみると、本当に沢山の人をその度に誘っている事に改めて驚いてしまう。来る人も来る人である。皆さん好奇心の強い持ち主であり、眼の愉楽を好む人達なのであろう。

 
4回目に行った時は私一人であったが、その時に教授が手にして持ち去ろうとした、ホルマリンが入った硝子瓶の中の一物(切断された男子性器)を目敏く見つけて私は問うた。(それ、もしかして阿部定が切った物ですよね!?)と。……慌てた教授は(いや、これは或る突発事件で起きた標本です)と。……しかし、生殖器と睾丸が共に入ったそれは、確信するに足る裏付けがあった。……阿部定の調書記録にはこう書かれている。「……睾丸の付け根の一部だけを切り損ねたのを覚えています」と。……この一文、阿部定の執念を伝えて凄まじい。……突発事件、睾丸付きの生殖器のホルマリン漬けの瓶。……慌てて去って行く教授の手元のホルマリンがチャプチャプと揺れていた。……ちなみに5回目に来た時は、それはもう無かった。

 

 

……あれは3回目の時であった。……その時は、阿部日奈子さん、四方田犬彦さん達の時であったか。……私はオ―プンに誘うが、しかし秘めている事があった。……介錯人・山田浅右衛門によって斬首された高橋お伝。緒方洪庵の長男たち医者や軍医の立ち会いで解剖された高橋お伝の陰部(病理学の世界的権威・浅野謙次が実際にそれを診て書いた論文『阿傳陰部考』にその著しい特徴が記されている)と、全身に入っていたという『刺青』を視るのが、その日の主たる目的であり、私はそれを誰にも言わず、……ただ、その前に一人立ったのであった。……標本の各々にはもちろん、名前は記されていない。しかしその場所に在った三体の女性各々の陰部の標本を前にして、真ん中の特徴的な歪みを見せるそれが高橋お伝の物であるという確信が、様々な文献を読んだ記憶から私にはあった。

 

 

 

……………………さて、その時から20年ばかりが経った或る日、私は1冊の谷崎潤一郎に関する実に詳細な本(『谷崎潤一郎 性慾と文学』)を読んでいて、興味深い事実を知って驚いた。

 

……私が立ったその同じ場所に、若き日の谷崎潤一郎が110年前に立ち、高橋お伝のそれを熱心に凝視していた事を知ったのであった。……しかもその解剖学標本室には、長細い2mばかりの額に入った全身に画かれた刺青も、高々と掲げられているのであった。正に、日本近代文学に衝撃を与えた耽美的な名作『刺青』のインスピレ―ションの発芽がその瞬間に天才・谷崎潤一郎の脳裡に舞い降りて来たのであった。

 

 

 

 

(……次回は、コナン・ドイルの文体を模して、シャ―ロック・ホ―ムズワトスン医師に、阿部定事件と高橋お伝事件の2つの総括、……そして谷崎潤一郎が何故マゾヒズムを作品の主題にしたかの心理内奥に迫ります。……乞うご期待。)

 

 

 

 

 

 

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『2023年夏/カタストロフの予感の中で』

暑い!というよりは、もはや熱い!……そう言った方がピタリと来る、この夏の異常な照り返しである。息をすると熱を帯びた空気が口中に入って来るという、今までに無かったような夏の到来である。私が子供の頃は、夏休みは心が弾む待望の時間であったが、今の子供達にとって、それはどうなのであろうか。

 

……昔の夏は確か32度くらいで(おぉ今日は凄い!32度もある!危ないから日射病には気をつけないと)と言ったものである。……はたして当時の誰が、数十年先の夏の気温が6度以上も上がる事など予測し得たであろうか。だから、その頃に生きていた人間が、タイムスリップして2023年の今に突然現れたら、この暑さの異常さにおののき、過去の時間へと忽ち逃げ去っていくに違いない。今はこの異常な中で皆が耐え忍んで生きている。……みんなが頑張っているから、この異常さは若干散っていられるのかもしれない。自然は容赦がないので、来年はもっと残酷な事になる事は必至であろう。…………

 

思い出せば、私は7、8才の盛夏の頃は、自転車に愛用の枕(心が安心するために)を乗せて、近くの緑蔭の濃い森に行き、その奥の風が涼しく舞っている神社の裏の小陰で長い昼寝を貪っていたものである。高校の野球部の練習中の掛け声や、白球を打つバットの乾いた音が遠くから気持ちよく響いて来て眠りと溶け込み、それが更なる昼寝を促していた。……何も私だけではない。子供達はその時点において皆がみな抒情詩人であったと思う。……しかし今、真昼の熱い時に外で昼寝などしたら自殺行為である。(オ~イ、大変だぁ!……子供が神社の裏で熱中症で乾いて死んでるぞ!!)になりかねない、それほどに夏の姿が変わったのであろう。

 

……数日来、かつて無かった激しい豪雨が九州を襲っている。九州には福岡、熊本、鹿児島に親しい友人がいるので心配である。しかし、前線の移動次第では関東も襲われる可能性があるので、明日は我が身の、容赦ない豪雨、猛暑の日々である。……この異常気象、日本以外に世界に目を移せば、北極の氷は溶け、凍土の地域も温度が上がって濁流となり、世界の各地で大洪水が起きているのは周知の通り。……「人類は間違いなく水で滅びる」と500年前に早々と予告したダ・ヴィンチの言葉が、ここに至って不気味に響いてくる。

 

 

このように世界が加速的に明らかな狂いを呈して来たのは、やはりあの時がその始まり、いや世界のバランスを辛うじて括っていた紐が切れた瞬間ではなかっただろうか。

 

………………2019年4月15日午後6時半。

 

……パリのノ―トルダム大聖堂が炎に包まれたあの日を境にして、世界は一気に雪崩れるようにしてカタストロフ(大きな破滅)の観を露にしはじめたと私は思っている。

 

 

……30年前にパリに一年ばかり住んでいた時、私は幾度も大聖堂の鐘楼に昇り、眼下のパリの拡がりを堪能したものであった。……その懐かしい大聖堂が真っ赤に燃える様を観て、ある意味、何れの聖画よりも、この惨状の様は美しく映ると共に、私は「これは、何か極めて美しく荘厳であったものの終焉であり、これから世界中に惨事が波状的に起こるに相違ない!」……そう直観したのであった。

神や仏といった概念を遥かに越えた、もっと壮大な宇宙の秩序を成している大いなる「智」から、奢れる人類に発せられた醒めた最期通達として映ったのであった。

 

 

 

 

 

……其れかあらぬか、大聖堂の炎上から半年後の2019年12月初旬、先ずはコロナが武漢から発生して世界中に蔓延、そしてロシアのウクライナへの一方的な道理なき侵攻、環境破壊が産んだ加速的な破壊情況、AIの出現による人類の存在理由の消去と感性の不毛へと向かう変質化の強制、……つまりはもはや形無しの情況は、かつての名作映画『2001年・宇宙の旅』に登場した、人工知能を備えたコンピュ―タ―「HAL9000」の不気味な存在が示した予告通り、アナログからデジタル、そしてその先の人心の不毛な荒廃から、一切の破滅へと、今や崩れ落ちの一途を進んでいる状況である。

 

 

 

……その惨状を美しい言の葉の調べに乗せて三十一文字の短歌へと昇華した人物がいる。今年の1月にこのブログで最新刊の歌集『快樂』を紹介した、この国を代表する歌人・水原紫苑さんである。………「ノ―トルダム再建の木々のいつぽんとなるべきわれか夢に切られて」。……この短歌が収められた歌集『快樂』(短歌研究社刊行)が、先月、歌壇の最高賞である迢空賞を授賞した。快挙というよりは、この人の天賦の才能と歩みの努力を思えば当然な一つの帰結にして達成かと思われる。

 

 

……フランスでの現地詠など753首他を含む圧巻のこの歌集には……「シャルトルの薔薇窓母と見まほしを共に狂女となりてかへらむ」・「眞冬さへ舞ふ蝶あればうつし世の黄色かなしもカノンのごとく」・「寒月はスピノザなりしか硝子磨き果てたるのちの虚しき日本」・「扇ひらくすなはち宇宙膨張のしるし星星は菫のアヌス」………と、私が好きな作品をここに挙げれば切りがない。

 

とまれこの歌集には、芸術すなわち虚構の美こそが現実を凌駕して、私達を感性の豊かな愉樂へと運び去って行くという当然の理を、短歌でしか現しえない手段で、この稀なる幻視家は立ち上げているのである。……人々はやはり真の美に飢えているのであろうか、この歌集は刊行後、多くの人達に読まれて早々と増刷になっている疑いのない名著であるので、このブログで今再びお薦めする次第である。

 

 

……先年は友人の時里二郎さんが詩集『名井島』で高見順賞および読売文学賞を受賞。また昨年は、ダンスの勅使川原三郎さんがヴェネツィアビエンナ―レ金獅子賞を受賞。……そしてこの度の水原紫苑さんが歌壇の最高賞である迢空賞を受賞と、一回しかない人生の中で、不思議なご縁があって知己を得ている表現者の人達が、各々の分野で頂点とも云える賞を受賞している事は、実に嬉しい善き事である。またこのブログでも引き続き紹介していきたいと思っている。

 

 

………………さて次回は、以前から予告している真打ちとも云うべき毒婦・高橋お伝が登場し、文豪谷崎潤一郎、そして私が絡んで、近代文学史の名作『刺青』の知られざる誕生秘話へと展開する予定。題して『2023年夏・ホルマリンが少し揺れた話』を掲載します。乞うご期待。

 

 

(お詫び)前回の予告では高橋お伝について書く予定でしたが、歌人の水原紫苑さんが受賞されたというニュ―スが飛び込んで来たので、急きょ予定を変更した次第です。

 

 

 

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『1987年……阿部定が消えた夏・後編』

このブログは毎月2本、だいたい2週間に1本のペ―スで書いているが、前回のブログは阿部定に至る前の引っ張りが長かったせいか「後編を早く読みたい」との声を多数頂いたので、予定を早めて本日書く事にした。幸い、10月11日から開催される予定の高島屋(美術画廊X)の個展の制作も順調なので、忙中閑ありの気持ちで今日は暫し楽しんで書く事にしよう。

 

 

………………頭髪が伸びたので、昨日髪をバッサリと切りに行った。中年くらいの男性の美容師がカットをしている時に私が「阿部定という名前は知ってますか?」と突然問うと「あっ知ってますよ!」との答え。「では、その阿部定が愛人だった男性の局部を用意していた庖丁で切り取って逃げ去り、捕まった事件は知ってますか?」と問うと「え~マジですか?阿部定ってそんな事をやったんすか!」と驚いた。動揺したのかハサミをパチパチと動かしている。

 

…………どうやら〈ア・ベ・サ・ダ〉という名前の独特な毒のある響きだけは小さい時から覚えていたらしい。ナベサダ(ジャズの渡辺貞夫)でなく、阿部サダヲ(俳優)でもなく、やはりドスンと響く名前は阿部定に指を折る。阿部定という響きには毒がある。何か事件を犯さなくては収まらない濁った凄みがある。更に云えば、苗字の阿部よりも名前の定(サダ)の方に怨念の韻がある。阿部と定が絡んで暗い日陰にどくだみ草の花が咲く。

 

…………さてその阿部定。畳屋「相模屋」の末娘として神田に明治38年に生まれる。(阿部定は本名)。幼少時はお定ちゃんと近所でも呼ばれ、評判の美少女であったらしい。乳母日傘(おんばひがさ)の恵まれた環境であった。しかし14歳の時に慶應の学生に強姦されて以来、生活が一変して乱れはじめ浅草界隈を根城にした不良娘へと変貌。浅草の女極道「小桜のお蝶」と張り合ったりの乱行が目立つようになり、結局見かねた父親に勘当され、女街の世界に売られてしまう。

 

名前を吉井昌子、田中加代……などと、小林旭の名曲『昔の名前で出ています』のように変名しながら芸妓、娼妓、妾、仲居と流転した後に運命の男―石田吉蔵(料亭・吉田屋を経営)と不倫関係になる。やがて石田の妻の知るところとなり二人は出奔。……二子玉川、渋谷丸山町……などの待合や旅館を道行きのように転々と流れ、二人は漂着したように事件の現場となった東京都荒川区西尾久の待合『満佐喜』に逗留。……ひたすらの性愛に浸る時間を過ごした果てに吉蔵を絞殺して局部を切断し、それを持って逃亡。3日後に品川の宿で大和田直の偽名で潜伏中に逮捕される。時に1936年(昭和11年)5月16日、226事件が起きた3ヶ月後の世が政情不安の中での猟奇的かつ禁忌的な出来事に世の中が震撼し、かつ湧いた。

 

 

 

 

その後の裁判では、切断された吉蔵の局部のホルマリン漬けが法廷に登場し、裁判長から(これを見て、今、あなたはどう思いますか?)と問われ、阿部定は静かに、しかし張りのある声で答えた。(……とても懐かしい想いがします)と。

 

吉蔵を腰ひもで絞殺した後、部屋の額の裏に隠しておいた牛刀を取り出し定は局部を切断、現場の布団に血文字で「定吉二人キリ」と書いて失踪したこの事件。

殺された吉蔵はつまりはマゾヒストであったと処理され、定は法廷陳述の際に「あの人(吉蔵)は歓んで死んでいった」と語り、この吉蔵の抵抗なく従容と死んでいった事件が記されているが、果たしてどうなのか?……阿部定の動機と行為にばかり関心がいって語られているが、私には少し気になることがある。つまり、最期の最期に於いて何故吉蔵は抵抗しなかったのか?という事への疑問である。

 

 

 

……ここに1つ例を出そう。1948年に愛人の山崎富栄と玉川上水で心中自殺した小説家・太宰治の例である。どしゃ降りの雨で水かさが増す中、ようやく二人の水死体が上がった。二人は同意の上の心中と思われているが、死体は語るの言葉通り、そこには面白い現象が現れていた。

愛人の山崎富栄の死に顔は達成した満足感に充ちた顔であったが、一方の太宰は、水中の最期の時に至って、逃げ出そうともがき苦しんだ苦悶の相を浮かべながら死んでいたという。二人を縛った紐は何重にも固く結ばれ、あまつさえ、富栄の足が太宰の体をしっかりと絡めとり、逃げ出せぬまま苦悶の内に死んでいったと、現場を記録した伝聞にはある。

 

 

 

……もう1つ逸話を書こう。富栄は心中の前日に鰻屋に一人で行き鰻の肝焼を店にあるだけ注文して食べたという。

店の主人が不審に思ってこう訊いた。(お客さん、なぜそんなに鰻の肝ばかり食べるんだい?)と。富栄は静かにこう言ったという。(あした、ちょっと力の要る仕事があるのよ)と。

 

……私はこの逸話を知った時に背筋を冷たく走るものがあった。昔視た、交尾中の上に乗ったカマキリの雄を、下の牝が振り向くように雄の頭からパリパリと乾いた音を立てて食べはじめ、やがて跡形も無く雄を食い尽くしてしまった光景が甦って来たのであった。

 

 

……吉蔵は、その時、どういう想いで死んでいったのか?……机上の空論のように考えていても何も見えては来ない。蛇の道は蛇ではないが、阿部定、吉蔵に繋がるその筋の友人(輪島在住)に考えを訊く事にして電話を入れた。私の友人としては異色の存在に入るその男は西鶴の世界を地で生きているような性豪の徒であり、顔つきも吉蔵に似た艶のある男である。暗黒舞踏の土方巽ともかつて親交があったが、果たして何で食べているのか、私は今もって知らない。名前を出せないので仮にTとしておこう。

 

……私の質問にTは自らの実体験を重ねるように明るく答えてくれた。「連日の性愛で当然男(吉蔵)は放電し、その失っていく分、相手の女(阿部定)は充電し、無限連続のように艶を増してくるわけだよ。怖いよ女性性の心奥は(笑)。……そう云えば、以前に信州の旅館『大黒屋』という所で、痴戯のつもりで吉蔵のように女性に首を絞められた事があるが、頭が熱くなって思考が鈍るけど、その分脳内モルヒネが次第に溢れて来て、もうどうでも良くなって来るんだよ。今思えば危なかったね。

 

……その吉蔵という男に拍車をかけたのは、当時の軍の台頭によって時代が傾いていった世相とも関係があるんじゃないかな。……昔、君(私)が現場に行ったという岡山の津山三十人殺しの事件は確かその翌年だったよね。吉蔵と、その津山の犯人は刹那的になったという点で似ているんじゃないかな。」

 

 

…………先日、私は、出所後に阿部定が商っていたという台東区竜泉に在ったおにぎり屋『若竹』の跡地を訪れ、その足で三ノ輪駅から都電の荒川線に乗り宮ノ前駅で降り、現場となった待合『満佐喜』跡地を訪れた。

……現在その場所は、阿部定に入れ込んで活動中の女優、安藤玉恵さんの祖母が土地を買い取り、一部は駐車場になっていて昔日の面影は何もない。……ただ数ヵ月前に行った田端435番地の芥川龍之介の自宅跡地と同じく、その土地の記憶が語って来る物語りの余韻というものを私は現場跡から透かし取る事は出来た。……要するに、かつて起きた物語りに対する追憶の感覚と享受である。

 

 

……さて、本日のブログの終わりに来て、私が気にいっている逸話を1つ書こう。……待合『満佐喜』で阿部定事件が起きて世の中が騒然としている最中に、一人の好奇心の強い男性が現場となった『満佐喜』の女将に掛け合い、事件のあったその部屋を観に入った事があった。……新宿紀伊國屋書店を築いた創業者の田辺茂一氏である。田辺氏は、未だ凄惨な事件の余韻が生々しく残る部屋に一番乗りで入って満足気であった。……しかしその部屋の入り口で女将が静かに語った言葉で消沈してしまった。満佐喜の女将はこう語ったという。「この部屋を観に来られたのは、実は田辺様が初めてではありません」と。唖然とした田辺氏が「そいつは何処の誰だい!?」と慌てて訊くと女将は静かにこう言った。「殿方ではありません。和服を着た清楚な感じの物静かな御婦人でした」と。………………「怖いよ女性性の心奥は!」。そう私に語った友人のTの言葉がここでリフレインとなって響いて来る。

 

……とまれ、昭和史を駆け抜けた阿部定は、やがて消息を絶った。亡くなった愛人・石田吉蔵の眠る久遠寺(山梨県身延町)には、阿部定失踪後も命日には花束が届いていたが、それも1987年には絶えたという。

 

…………1987年……阿部定が消えた夏。

 

和服姿の彼女が去っていく、その老いた後ろ姿を追うように、浅草寺仲見世傍にある老舗の甘味処『梅園』。阿部定と吉蔵が事件の数日前に立ち寄ったというこの店の軒先に掛けてあった風鈴が、その時、風にそよいでチリリンとなったか否かは誰も知らない。

 

 

……さて前回にお約束した、もう一人の毒婦・高橋お伝と、文豪・谷崎潤一郎、そしてそこに絡んで来る私との不思議な巡り合わせのトライアングルを併せて書く予定でしたが、文章の流れから考えて後日に書く事にしましたのでご了承頂ければ有り難いです。……乞うご期待。

 

 

 

 

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『降り積もる雪に想う』

大正五年の12月9日に死亡した夏目漱石は、翌10日に東京帝国大学病理学教室で長与又郎の執刀によって解剖された。長与はその後の講演で、漱石の脳を持参しながら「脳を今日持って参りましたが、夏目先生の脳はその重量に於いてはさほど著しく平均数を超過しておりませぬが廻転(しわ)はどうも非常に著しく発達している、特に左右の前頭葉と顧頂部が発達している・・・・云々」と語っている。

 

現在の東京大学医学部本館三階の南翼には、窓内が全て白布で覆われた部屋がある。医学部標本室である。私が初めてこの部屋を訪れたのは秋であった。構内の銀杏並木の黄が白布を通して透かし入り、室内がまばゆい金色に映えていた。ここの標本室には日本の近代史の暗部というべき標本がズラリと並んでいる。毒婦・高橋お伝の刺青の入った皮膚と◯◯部、阿部定が切り取った◯◯、日本において初めてマゾヒズムが裁判内で問われた某M女の皮膚(それには千枚通しで刺された無数の刺し傷がある)、・・・・等々。その部屋の一角に先述した漱石の脳の標本が「傑出頭脳」と称される参考例として、斎藤茂吉横山大観等々と共に(およそ50以上が)展示されている。私はホルマリンに白々と浮かぶそれらの脳を見ながら、「これが「それから」や「門」、これが「赤光」の創造の巣であったのかと・・・・奇妙な感慨にしばし耽ったのであった。

 

一般人と差別化された「傑出頭脳」は、なるほど学者たちにとって研究の対象としては興味深いものがあり、その研究は体系づけるようにして今日まで受け継がれているようである。しかしポジがあればネガの研究もあってしかるべきである。つまり犯罪者たちが、なぜ糸が切れたようにそれへと暴走してしまうのかという、その因子も又、脳に何らかの共通した証しが見てとれるのではないかと思うのである。しかし、私が聞く範囲に於いては、そういった暗い研究は行われておらず、又、その脳もポジの文化人のようには入手しにくいのであろう。とはいえ、昨今の閉塞した社会の映しがかつて無かったような犯罪を生み出している今日に在っては、この方面の研究にも本腰を入れてみる意味があるのではないだろうか?

 

先日、関東地方が雪で白く染まった日、私はアトリエで、3月初旬から森岡書店(東京・茅場町)で始まる新作個展のための作品を作りながら、窓外に降る雪を眺めて、数日前に私に殺人予告の手紙を送りつけてきた犯人の版画家Kの事を、ふと考えていた。そしてPCの遠隔操作で、やはり同じく殺人予告をして遂に逮捕された男、又、グアムの無差別殺人犯や、かつての秋葉原の無差別殺人犯・・・の事を思い、彼らの内に棲まう「魔」の正体について考えていた。共通して云えるのは感情をコントロール出来ず、衝動に走ってしまう、その制御力の無さと脳との関係について・・・つらつらと想いを巡らしていた。自分はこれ以上の筈と思いながら、それが現実には充たされないと、その責任を自分ではなく社会、あるいは他の個人に向けて牙をむく。ちなみに昨今、増加している「鬱病」は、不安な感情を司る偏桃体が血行不良により暴走するのが主たる原因である事は分ってきているが、犯罪へと至る人間の脳は、おそらく共通したもっと根深い部分にその因が共通してあるのではないだろうか・・・。

 

昨日、130年の歴史を誇る神田の「やぶそば」が火事になり、建物が焼け尽くした。この店は明治からの風情が残っており、私もしばしば、その度に違う面々と訪れた事があった。その中に先述した犯人もいた。その時は確か二人の詩人達もいたかと思う。明るく夢を語り、笑い声が時折、店内にも広く響いた。つまりは、・・・若かったのである。そして、その若さの内に巣食っている魔が、ゆっくりとその脳の中に瞳孔を開き始めている事など・・・おそらく本人も知る由もなく。

 

論旨が矛盾するようであるが、私達、表現者の内にもまた、別相ではあるが、魔が棲んでいる。しかし、そのデモニッシュなるものは飼いならさなくてはいけない。故に文体や方法論がその檻として必要になってくるのである。表現者たらんとするならば、いっそう〈意識的〉でならなければいけないのである。脳の負の部分も表現と絡めて対峙していけば、冒頭の漱石のように名作も又、生まれるのである。漱石の脳は病跡学でいうと、分裂症・パラノイア・同一性危機による精神障害・・・など10以上が診断されている。こうしてみると漱石や茂吉に限らず、「傑出頭脳」は対極のそれと同義にもなりうる。犯罪者は日常に牙を向けるが、私どもはそのエネルギーをアーティフィシャルなものへと向けて感性の切っ先を突きつける。その鏡面の向こうに映っているのは、あくまでも自分自身の姿なのである。こうしてつらつら考えてみると、〈芸術心理学〉の最も近い所に位置するのは或は〈犯罪心理学〉であるかもしれないという想いが立ってくるのであった。

 

アトリエの庭が白くなり、雪はその降りがいっそう激しくなってきた。少し積もるかもしれない。薄雪・・・ふと、その言葉から何故か〈プレパラート〉が浮かんできて、漱石の横に並んでいた茂吉の脳の一部が、薄くスライスされていた事を私は思い出した。それは茂吉が『赤光』の短歌の中で詠んだイメージと同じものであった。顕微鏡に脳の切片を入れて、その赤い照射を茂吉は美麗なまでに詠んでいるのである。— 美しい入れ子状の皮肉か。・・・・私は久しぶりに『赤光』が読みたくなってきた。

 

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