『人生の不思議』

……人生とは偶然の重なりの連続であるが、それでもあの日の出来事がなかったら、或いは今の自分はなかったと思われる「時」があるものである。それが私の場合、池上線の池上駅であり、今もその駅を通過する時に、その改札口を出て、運命の「時」に向かって歩いていく私の後ろ姿を思い出す時がある。……その時の私は23歳、美大の大学院の2年の時であった。そして、その手には版画を入れたカルトンが携えられていた。私が向かって行こうとしている先には南天子画廊が主宰している版画工房があり、その中では、ニュヨ―クから帰国中の池田満寿夫氏が新作の版画集の制作に取り組んでいる最中であった。

 

……話は、それより3年前に遡る。大学2年の春に、私は偶然に友人宅で不思議な作品(それは印刷物であったが)に出会い、その表現の斬新さとポエジ―の深さに瞬間で魅了されてしまったのであった。友人に訊くと、その作品は銅版画であり、作者は池田満寿夫であるという。勿論その高名な名前は知っていたが、私はなによりその作品(『スフィンクス 森の中』)に、自分の感性と繋がる何かを直感し、銅版画をやってみようと瞬間で決意した日であった。……それから僅かに3年後、『プリントア―ト』という版画の季刊誌の編集長をされていた魚津章夫さんから深夜に1本の電話が入った。「北川さん、池田満寿夫さんに会ってみる気はありませんか!?」。……美大、芸大の版画科の学生四人と、ニュ―ヨ―クから帰国中の池田満寿夫氏との座談会を魚津さんは企画して、そこに私を選んでくれたのである。……そして、その座談会(新宿中村屋)の終わった後で、新宿から渋谷方面に帰るのは私と池田氏だけであったのは、今思い返しても不思議であるが、私は渋谷までの数分間の間に「池田さん、一度私の作品を見ていただけますか?」と切り出したのであった。「勿論いいよ、では近々に僕から電話するから!」と言って、私たちはお互いの住所と電話番号を書きあい、私は渋谷で下車したのであった。そして数日後の深夜に池田氏から突然の電話が入り、私は指定された池上線の池上駅に降り立ったのであった。

 

……駅から工房に向かう途中、緊張の中にも、しかし私には秘めた自信というものがあった。カルトンの中には、銅版画の詩人と云われる駒井哲郎氏から高く評価されていた処女作からの作品と、棟方志功氏が絶賛してくれた版画『Diary』などが入っており、当時の美術界を牽引していた鎌倉近代美術館館長の土方定一氏からは、美術館がバックアップして、南天子画廊での個展開催が約束されていたからである。私は詩人アルチュ―ル・ランボ―に自らを重ね、パリにいる詩人ヴェルレ―ヌに書いた手紙の1節「ヴェルレ―ヌさん、私をちょっと貴方のいる所まで引っ張ってくれませんかね」という生意気な一文があった事などを思い出しながら、不安と不遜の入り雑じった気持ちを抱きつつ、池上本門寺の方角を歩き……やがて工房に着き、ベルを押した。……満面笑顔の池田満寿夫氏が現れ、挨拶もそこそこに私はカルトンを開けて、大きな作業机の上に10点ばかりの版画を並べた。それを観る池田氏の表情が一瞬にして鋭いものになり、長い沈黙の後に「君はもう既に完成している。すぐに個展をやるべきだ!……序文は僕が書くから!!」と熱く語ってくれたのであった。私は駒井氏、棟方氏から評価を得た事、そして土方定一氏が個展を既に決めてくれている事を話した。すると池田氏は「いや、最初は番町画廊の方がいいと思う。」と強引に決めたのであった。私は土方氏には申し訳ないと思ったが、自分の運命を池田氏の直感に賭けた。そして数日後に池田氏は多忙なスケジュ―ルを縫って番町画廊に行き、社長の青木宏氏に私の個展開催の企画を話したばかりか、私と画廊とのプロとしての専属契約の手続きも全て完了してくれたのであった。私は学生でありながら、その日からプロの作家としての人生が始まったのである。……偶然はまだあった。……私の運命を変えた池田満寿夫氏の作品『スフィンクス 森の中』は、私が個展をする事になった番町画廊で発表された作品なのであった。そしてその出会いを知った池田氏は、その版画を私にプレゼントしてくれたのであった。私は夢見の中の気分のままに家路へと着き、…………時は流れ、今の私がここにいる。……導きのような作品との出会い、新宿中村屋での座談会、そして電車の中で切り出した、私の言葉……。あの時がなかったら、その後どのようになっていたかと時々想い浮かべる時がある。誠に人生とは不思議なアミダくじのようなものであるかと思うのである。

 

―池田満寿夫氏が急逝されてから早くも20年近い時が経つ。その作品のほとんど全作が池田氏の出身地である長野の池田満寿夫美術館に収蔵展示されている。池田満寿夫という極めて優れた多面体の突出した才能を様々な切り口から分析し、魅力的な企画展として長年展開しているのは、学芸員の中尾美穂さんである。中尾さんのその切り口の鮮やかさとセンスの良さに私は注目しているのであるが、各々の美術館の存在感と存在意義は学芸員の力量をそのままに映すという視点から見ても、独自な個性豊かな展示を、この美術館は継続しているのである。……その池田満寿夫美術館で、先日私は『天才の創造の舞台裏』と題して講演をおこなってきた。予定されていた以上の多くの方が来られ、私は、私の考えている池田満寿夫という人の多面体の魅力について語り、天才と定義したその意味について語った。……天才の定義、それはその分野の概念を大きく切り開いた才能のみに冠せられる一つの批評分析言語なのだと私は思うのである。……池田満寿夫。……この懐かしくも不思議な不世出の才能について語っている間、私は珍しくも高揚してくるものを覚えていた。講演を機に私は久しぶりにまとめて氏の作品の多くに接したのであるが、今も鮮やかな現在形として映る作品が数多くあるのを観て、時代の淘汰を潜り抜けて息づく氏の表現世界の確たる「今」を改めて確認出来たことに、高揚を覚えたのであった。……長野の広大な自然に囲まれた中に建つ池田満寿夫美術館。ぜひご覧になる事をお薦めしたい、確かな存在感を放つ美術館である。

 

……さて、日本橋浜町のギャラリ―・サンカイビで開催中の写真展『暗箱の詩学―サン・ジャックに降り注ぐあの七月の光のように』(30日まで)も、いよいよ会期が残り1週間となった。……池田満寿夫氏は版画、小説、詩、陶芸、美術評論、映画などに挑んでその多彩な才能を示した生涯であったが、やはり写真にも挑戦している。他に版画に挑みつつ写真にも挑んだ人を探せば、版画のパイオニアと評されている恩地孝四郎氏の存在が浮かんでくる。恩地氏はやはり詩も書いている。……その意味では、版画から始まり、オブジェ、コラ―ジュ、詩、美術評論、そして写真に挑戦している私は、何らかの影響をこの二人の先達から受けているといえるのかもしれない。しかし僅かにこの3人だけであって、あまりに他の表現者達(特に日本に於て)は大人しい。自分の可能性の扉を次々と果敢に拓いて行こうとする姿勢が見当たらない。そこには守りの姿が見えてくる。……というよりも、表現者としての焦点の意識、特異性が、恩地、池田、そして私が掴まんとしているのは、つまりは〈ポエジ―の形象化〉にあるのだと私は思う。直感と論理的整合性、言い換えれば、語りえぬものと語りえるものとのあわいに息づく何物かを照射して、そこからイメ―ジの核たるポエジ―の正体に迫りたいのである。……今回の写真展では色彩の不思議に加えて、写真の被写体の対象が様々である事に来場者は驚かれているようである。写真を撮る行為は、外界の客体を通しての自己表現であるという特異性が、私には常に手強く、またそれ故に尽きない妙がある。……ともあれ、私が挑んで止まない写真への挑戦の様を、ご覧頂ければ有り難いのである。

 

《ギャラリ―サンカイビ》

東京都中央区日本橋浜町2―22―5 TEL: 03―5649―3710

営業時間11時~18時 (日曜休廊)

〈交通のご案内〉

都営新宿線浜町駅A2出口「徒歩3分」

半蔵門線水天宮駅7番出口「徒歩6分」

日比谷線人形町駅A1出口「徒歩6分」

都営浅草線人形町駅A3出口「徒歩7分」

 

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