『狂った夏の終わりに』 

8月25日、東京芸術劇場に勅使川原三郎氏のダンス公演「月に吠える」を観に行く。以前に私はこのブログで、彼の表現に於ける実験性と完成度の高さが共存する事の稀有な素晴らしさについて言及したが、それに加えて、知的洗練と原初的な獣性が同居する事の凄みにもまた触れるべきかと思う。月に吠える―萩原朔太郎。このイメ―ジのネクロフィリアの詩は、梶井基次郎、川端康成に通ずるものがあり、その湿った鈍い光は、私の初期の銅版画のマチエ―ルに深く吸収されていったように思われる。……この日に観た勅使川原氏の多彩多層な変幻と対を成すかのように、佐東利穗子さんの綾なす〈イノセント〉が、この舞台に不思議な艶を醸し出していた。無垢から無限まで、佐東さんの表現領域もまた無尽へと射程の拡がりを見せている。……公演終了後、私は興奮の汗の生々しく残る楽屋に行き、氏に「芸術というものは、虚構が紡ぎ出す砂上楼閣―水晶伽藍だと思っていたが、こと勅使川原氏のダンスに於いては、それだけでは言い切れない別なものがあるように思う」と語った。別なもの、……全ての概念を捨て去った身体の、更なる否定と懐疑の後に初めて立ち上がる、それは特異な未だ名付けえぬ領域に棲まうものなのかもしれない。

 

9月1日。昨年の今日、私は撮影のために、パリとブリュッセルに向けて出発した日である。……その時の成果は、今年の5月、日本橋濱町のギャラリ―・サンカイビでの写真展「暗箱の詩学―サン・ジャックに降り注ぐあの七月の光のように」で発表した。……パリでは、ISが次にテロをやるとしたら何処を狙うか……という話を友人として、私は、「ル―ヴル美術館かノ―トルダム寺院が危ないな」と話をしていた、まさにその時、直前に未遂で捕まったものの四人の女性テロ集団が、私が正に言ったノートルダム寺院に向けて、爆弾を積んだ車で突進するという事件があった事を、深夜のニュースで知った時には驚いた。

 

9月2日、恵比須のギャラリ―・LIBRAIRIE6で、澁澤龍彦没後30年展の第Ⅰ部「石の夢」に展示してあったパエジナ・通称―「風景大理石」を予約していたのを引き取りに行く。この石はイタリアの或る山でしか採れない石で、砕くとその断面に、不思議な支那の寺院や、カタストロフの光景、或いはタ―ナ―が描いたような落日の光景……が浮き出ていて、私達の想像力を煽ってやまない石なのである。ゲーテやミケランジェロもこの石に魅了され、そのコレクションをしていた事は、よく知られている。以前に英文学者の高山宏氏からの依頼で私は丸善で刊行している冊子に、この石について書いた事があるが、澁澤龍彦氏や、ロジェ・カイヨワの著書にも度々登場するのでご一読をお勧めしたい不思議な石である。……「絵のある石」パエジナは、わがアトリエに来て、ルドンやジャコメッティ、ゴヤ、川田喜久治、ホックニ―、ベルメ―ルといった秀作の中に混じって、壁面の一角に掛けられた。……そしてその不思議な波動を受けながら、私は秋に迫った個展、11月8日から11月27日まで日本橋高島屋本店・美術画廊Xで開催される個展に向けて、いま制作の真っ只中にいるのである。アトリエに設置した巨大なテ―ブルの上には、微温を帯びた不思議な漂流物のように、新作の未だ名付けえぬ物たちが次々と並べられており、その出番を待っているのである。

 

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