『作者は二人いる』 

日本橋高島屋本店6階の美術画廊Xで開催中の個展が27日で終了するが、かつてない手応えの中で、私は毎日会場に通いつめている。遠くは北海道や鹿児島の個展で知り合ったコレクタ―の方々をはじめ、画廊や美術館の学芸員、そして旧知のコレクタ―の方々が遠方からも駆けつけてくれて、今までの個展の中で最もクオリティ―の高い今回の個展を堪能されている。

 

多くの方々が、作者である私が会場にいるのに気づいて感想を言われていくが、先日来られた、日本美術史に詳しい方は、「今年観た展覧会の中で、運慶展とこの個展が最も見ごたえがあった」と率直な感想を真顔で語ってくれたのは、さすがに嬉しかった。制作の合間を縫って私も運慶展は観ているが、昨今の薄っぺらく浅い美術の在りように比べ、この濃密で奥深い運慶の強度な作品を観る観客の眼差しは真剣であった。……当然な事であるが人は皆、本物の芸術に出会いたいのである。

 

作品が優れているか否かの最もわかりやすい見分け方は、その作品の前で、どれだけの時間、観者が観ているかである。……つまり作品それ自体が持っている牽引力が、それである。運慶展の時の観客が作品を観る時間は確かに長く、皆、その時間の中で自分との内なる対話(観照)を交わしているのである。……そして私の作品を観る人々もまた長く、かつて見た事のない「不思議」に立ち会うように諸々の作品の前で、自分の肖像を映すようにして内なる対話を交わしている。……そして揃って人々が私に話す作品の感想は、「不思議な懐かしさを持っているが、しかし今まで全く観た事のない世界」という感想である。人は皆、誰もが実は素晴らしい想像力を持っている。そして、人々の記憶の深層には共通した記憶の分母(イメ―ジの心器)があると私は確信を持って思っている。

 

……人々が共通して持っている、共通してある記憶の原郷、……それをこそノスタルジアというのだと私は思っている。そのノスタルジアの核を揺さぶり、その遠い感覚を突いて立ち上がってくる想像力を顕在化させる装置を私は作っているのである。だから人々が私に語ってくれた感想は、その想いと見事に照応していることを、個展の会期中に確認する事が具体的に出来るのである。……画廊にいて、この世に一点しか存在しない作品が、何方に所有されていくのかを確認する事は、私の創造行為における最終行程である。私は作品をこの世に立ち上げた。後は所有した方々が自室に飾り、その作品との長く尽きない対話を自在に紡いでいくのであり、その意味でも、その人がその作品の活きた作り手、すなわちもう一人の作者になっていくのである。私はマチスが自らの芸術観に課した言葉―豪奢・静謐・逸楽を自分の作品にも課している。眼の至福、眼の逸楽をもって艶を帯びた「視覚によるポエジ―の顕在化」を追っているのである。……とまれ、今回の個展をまだご覧になっていない方々は、ぜひのご来場をお待ちしております。

 

 

(作品部分)

 

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