松本竣介

『今年最後の個展を開催中』

……前回のメッセ―ジを読まれて、上野のデュシャン展に行かれた方がかなりおられたらしく、〈確かに『大ガラス』(この作品のみ和製)の、マチエ―ルへの配慮を欠いた作品のみが、著しく劣って見えた〉という感想が何通か届いた。やはり、表象に宿るマチエ―ルは重要であり、ある意味でそれが全てなのである事をあらためて痛感した次第である。

 

さて、そのマチエ―ルであるが、それの豊かな宿りを持った作品について具体的に考えていくと、幾つかの作品に思い至るのであるが、そこには「霊妙」といっていい境地に達した作品が幾つか浮かんで来て、陶然とした感慨に包まれる事がある。

 

……例えばダ・ヴィンチの『モナ・リザ』、宗達の『牛図』、劉生の『切通し』の絵や、菱田春草の『菊慈童』などがそれであるが、しかし今、脳裡に先ず鮮やかに浮かぶのは、それらを排して松本竣介のニコライ堂を描いた作品である(掲載画像参照)。竣介絶筆の『建物』は絵画の不思議さを映す一つの極であるが、『ニコライ堂』の持つマチエ―ルの権能が霊妙へと私達をして導く危うさはまた別格なものがある。……夢の中のノスタルジックな懐かしさと、見てはいけないものを見せられたような禁忌の韻の混交は、この絵画をして竣介の才能の高みを証して余りあるものがあるのである。

 

前回のメッセ―ジでお伝えした通り、12月1日まで、本郷の画廊・ア―トギャラリ―884で作品集刊行記念の個展『狂った方位―幾何学の庭へ』を開催中なので、日々画廊に通っているが、ある朝早めに御茶ノ水駅に着いたので、松本竣介の描いたニコライ堂の現場を探してみる事にした。基点は聖橋である。かつて中原中也が「去らば東京、おぉ我が青春」と橋上で叫び、また竣介がモチ―フを求めてさすらった聖橋は、まだその面影を色濃く残して、そのままにある。ただ、竣介のいた当時の静かな情緒はさすがに薄れ、彼が描いた地点に立つと、車に跳ねられてしまうのが少し辛い。湯島聖堂周辺は、竣介の眼差しをなぞるほどに気配は残っているが、彼の手法は、幾つかの視点を組み合わせたモンタ―ジュなので、ピタリと重なる地点はない。しかし、彼の生きた残余の韻は今も伝わって来て、暫しの感慨に私は包まれた。今日の美術界はご存じのように拝金主義に堕ちて久しい。竣介の生前は殆ど評価されない無名の人であったが、死後に、画家の岡鹿之助や評論家の土方定一らが寄せた評価によって、忽ちその才能が評価されるようになった。竣介の生涯などを見ると、やはり表現者は、その分野が未成熟な黎明期に生きるのが幸せであって、飽和期に生きるものではないなと、ふと思う。……その日の午前、私は竣介の生に己が身を重ねる試みをして暫しの時を過ごし、昼前に、我が個展の会場へと入ったのであった。……今年は例年になく多忙な一年であったが、今年最後の個展も12月1日に終わり、暫くの充電へと私は入る予定である。……しかし、このメッセ―ジはまだまだ続く。次回も乞うご期待である。

 

 

作品集刊行記念展『狂った方位―幾何学の庭へ』

ア―トギャラリ―884

東京都文京区本郷3―4―3 ヒルズ884お茶の水ビル1F

TEL03―5615―8843 11時―18間30分 月曜休み

最寄り駅・JR御茶ノ水駅

千代田線・丸の内線 新御茶ノ水駅より徒歩5分

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『松本竣介』

20年ばかり前の話であるが、親しくしている額縁屋のI氏宅に行った折に仕事場で一点の油彩画が立て掛けてあるのが目に留った。初めて見る作品であったが、深い詩情性と言いようのない孤独感を湛えたその画面から「・・・松本竣介だな!!」と直感した。「竣介の絵が何故ここに?」—- 私がI氏に問うと、氏はニヤリと笑みを浮かべながら或る逸話を語り出した。I氏の話によると、或る人物が信州の旅館に泊まった時、部屋にこの作品が掛かっていたという。一目で竣介だとわかったその人物はそれとなく旅館の主人に問うてみると、絵の事は門外漢で、その絵もたまたま持ち込んだ人がいたので掛けているだけだという。しかもあろう事か主人は、「そんなにその絵がお好きなら良かったら差し上げましょうか」と申し出た。その人物はドキリとしながらも、「いや、タダというわけにはいきませんから、では3000円で・・・」と言ってその絵を入手し、それが持ち込まれて今、その額を考案中なのだと云う。ちなみに竣介の絵は最高時で一億を超えたというから、果たして・・・その絵はいくら位の評価が付くのであろうか。

 

半世紀以上前まではほとんど無名に近い存在であった松本竣介。しかし今や彼は、靉光藤田嗣治佐伯祐三岸田劉生等と共に近代洋画史を代表する人気と高い評価を得ている。松本竣介が今日の評価を獲得するに至るには二人の人物の存在が大きく関わっている。一人は神奈川県立美術館館長であった土方定一氏と、今一人は画家の岡鹿之助氏である。二人とも生前の松本竣介と面識はなかったが、竣介の死後まもなく、彼の絵を見たこの眼識ある二人の人物の果たした動きが、急上昇するように竣介の絵の価値を世間に知らしめる事となった。土方氏は美術館で竣介の展覧会(二人展)を企画し、また、岡氏は画集出版に関しての労を取った事がその起爆剤となったのである。土方氏は、美術館の果たす役割として次代の可能性を持った画家を見出し、本物の形へと高めていく事もその仕事であるという理念を持っており、実際に動いていた。私も版画を作り始めたばかりの20歳の頃、土方氏から突然に作品を神奈川県立美術館で購入したい件に関する丁寧な手紙を頂き、それが作家としての自信を深める契機となっている。「お前さんは、もっと高みを目指していい作家だよ!!」—-これは、私が土方氏から頂いた言葉である。しかし私のような場合と違い、松本竣介は生前に自分を引っ張り上げてくれる人物とは出会っていなかった。非常に暖かい友情で支えあった画家や彫刻家の友人達はいたが—–。今では信じ難い話ではあるが、彼は経済的な困窮の中でのほとんど衰弱死的な形で僅か36歳で夭逝してしまったのである。今一人の岡鹿之助氏は、竣介の作品の中に自らが理想とする表現世界が在るのを見て、すぐに画集刊行を指示し水面下で動いたが、それが如何に松本竣介の名声の確立に寄与した事かは計り知れないものがある。秀れた眼識があり、しかもその発言が大きな力を持っているこの二人の人物との出会いがもっと早ければ—–という無念はあるが、それも又、運命なのであろうかとも今にして私は思う。

 

昨日、世田谷美術館で開催中の『松本竣介展』を観に行った。十代の初期から絶筆までの見応えのある内容であり、私はしばし竣介の哀愁を帯びた静かなポエジーと美しいメチエの世界に没入した。わけても私が好きなのは「Y市の橋」と「ニコライ堂」である。特に「ニコライ堂」を描いた連作の中の一点が持つメチエの深さは、既にして神秘を孕み、霊妙といっても過言ではない表現の深みに達しており、松本竣介の最高傑作の一点はこれであると私は見た。岸田劉生の遺した言葉の中に「いい画は皆、永遠の間に、夢の様にふっと浮かんでいる。」という名言があるが、まさしくこの言葉に竣介の「ニコライ堂」は当てはまる。竣介の最晩年の作品「建物」や「彫刻と女」を見ると、最後の表現の域は、更なる上昇を計りながらもあたかもイカロスの失墜のごとく力尽きているのが惜しまれる。生前に欧州に行く事を夢見ていたというが、もしそれが叶えられていたら確実に日本の洋画史は、藤田や佐伯とは異なる豊かな美の顕現を得ていた筈に相違ない。

 

横浜に住んでいる私は、時折、横浜駅の東口を出て高速道路が見える「或る場所」に立つ事がある。そこは名作「Y市の橋」が描かれた現場なのである。今から70年前に松本竣介はそこに立ち、まるで生き急ぐような素早い線画でそこを描き、帰宅してから別な風景もモンタージュとして加え、風景画の典型を刻印した。その連作も含め、竣介の風景画には謎めいた人物が黒のシルエットとして不気味に散見出来るのが気にかかる。ほとんどの人は気付いていない事であるが、実は佐伯祐三の晩年の風景画(カフェテラス等)にも同様な死を予感させる気配を帯びた謎の人物が、作品から作品へと渡り移るように度々描かれているのである。映画『アマデウス』ではないが、絶筆の「レクイエム」を作曲時に、ちらちらと不気味な人物が幻視のように出現している事をモーツァルトも語っている。—–まさか、死後の名声と引き換えに現れたデモニッシュなものの変容ではあるまいが、—–興味のある方は佐伯の画集を併せて御覧頂ければと思う。とまれ、多くの美術館で様々な展覧会が開催されているが、世田谷美術館の『松本竣介展』(2013年1月14日まで開催中)は、私が今一番に推す展覧会である。

 

建物

 

鉄橋近く

 

Y市の橋

 

Y市の橋(部分)

 

不思議な気配を帯びた人物の黒いシルエットが、硬質な画面に郷愁を奏でると共に不穏な韻を立ち上がらせている。

 

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