キリコ

『京七条・油小路に雪が降る』

……あれは今から何年前であったか、パリで知り合った、国際芸術祭BIWAKOビエンナ―レの主催者の中田洋子さんという人から招待作家として出品を依頼された事があったので「いいですよ」と快諾し、その打ち合わせで会場予定の近江八幡に行く事になった。東京の作家4人が新宿で合流し1台の車で向かうわけであるが、その日の夜は、西から数年に1度という大型の台風が直に襲ってくるという最悪の日であった。かなり強い台風なので気にはなったが、「面白いではないか」という事で夜の9時過ぎに出発した。……浜松に近づいた辺りから車が揺れるくらいに嵐が激しく吹き荒れて来た。高速道路の脇から海水の飛沫が飛び散り、なおも行くと、何台かの車が横転したまま打ち捨ててあり、不思議な事に前も後にも先ほどまで見えていた車の姿が全く消え去り、ただ私達を乗せた車だけが、暗闇の中を不気味なくらい静かに走り続けている。あれほど吹き荒れていた風もいつしか止み、外に視る闇は全く静か、車内の4人もみな息を詰めたように無言である。……口火を切ったのは私であった。「ひょっとすると、我々はもう死んでいるのかも知れないね。……さっきの何処かで車が衝突し、今、冥土に向かって我々を乗せた車が静かに走っているのかも知れないねぇ」……その言葉にホッと安堵したのか、皆が一斉に笑った。

 

 

……先日の25、26日は名古屋~京都に行く事で予定が入っていた。25日のお昼に馬場駿吉さん(元名古屋ボストン美術館館長・俳人)と名古屋画廊で待ち合わせをして、画廊の中山真一さんと三人でお話しをしてから夕方に京都に行く予定であった。しかし、24日の夜半に中山さんから連絡があり、10年に1度という豪雪と寒波が明日来るので2月13日に延期しましょうというご提案があった。了解し、私は25日午前に直行で京都に入った。途中の米原辺りから新幹線の外はホワイトアウトで何も見えない。まるで映画「八甲田山」のようであり、京都もさぞやと思ったが、駅に着くと吹雪が去った後で雪は止んでいた。

 

 

 

京都では4人の人に会う予定で約束済みであった。その中のお一人が京都精華大学で教授をしている生駒泰充さん(画家)。生駒さんは旧知の友で、以前に私が『モナリザミステリ―』(新潮社)を刊行した際に、精華大で講演を企画してくれて喋った事がある。ドイツ在住の造形作家.塩田千春など沢山の人材を育てているが、生駒さんの感性と直感力は私と何故か重なるので話題が尽きないのが嬉しい。……10年ぶりに到来した寒波で大学が休校になった為に生駒さんの授業がなくなり、京都駅で私達は早く待ち合わせが叶い、先ずは三十三間堂に一緒に行く事になった。

 

……生駒さんが面白い話を切り出した。アンディ・ウォ―ホルの代表作のマリリン・モンロ―のあの作品の着想は、彼が1956年に来日した際に京都に来て三十三間堂の1001体の千手観音仏像を視たときに閃いたのでは!?という興味深い仮説を語ってくれた時に、私の直感が激しく揺れた

そして頭の中で1001体の(顔の表情が各々微妙に異なる)仏像と、マリリンの顔(しかし意図的な刷りの変化で顔の表情は各々に異なる)が、例えるならば完璧だったアリバイが一気に崩れるようにそれらはピタリと重なった。

 

 

……以前に私が拙著『美の侵犯―蕪村x西洋美術』(求龍堂)の中で見破ったキリコが隠している、あのキリコ絵画の特徴である異なった多焦点が、実は後期ルネサンスの建築家パラディオの作品『オリンピコ劇場』の多焦点の効果と遠近法の崩しから着想している!という着眼法と正に重なったのである。……机上で考えている評論家にはおよそ閃かない、私たち実作者だけに視えて来る舞台裏、現場主義の視線があるのである。私が前回のブログの最後に書いた「過去は常に今よりも新しい」という言葉の真意が正にそこにあるのである。

 

……私達の様々な話題は尽きなく、次に四条木屋町の老舗喫茶「フランソワ」でも熱く語り合い、次にお会いする約束の京都高島屋美術画廊の福田朋秋さん(福田さんは、このブログでも度々登場されている)に生駒さんをご紹介した後、3人で一緒に先斗町のおばんざい老舗『うしのほね』本店に席を移し、福田さんも交えて更に尽きない話の井戸の底へと私達は落ちていった。……先斗町のその店の窓外に見える夜の鴨川がいかにも情緒的であった。……恋人同士ならば柔らかな話の間もあるのだろうが、私達は、今話しておかねば後悔するという感じで様々な話に耽ったのであった。……なので、お二人と別れた後で、祗園一力の隣に予約していた宿に帰った時は、喉が乾いて水ばかり呑んでいた。

 

 

翌26日は3つの目的があった。……先ずは、美術.写真集などを数々出版している青幻舎の編集長、田中壮介さんに久しぶりにお会いする約束が午前10時からあるので、祗園から河原町を歩いて会社のある三条烏丸御池へと向かった。……途中で老舗旅館の俵屋、柊家が目に入ったので、柊家の方の古風な造りを眺めていた。文政元年(1818年)からの老舗であり、文豪川端康成の常宿としても知られている。……ここは文人墨客の店。……逆光で映った私の姿風情にオ―ラでも感じ取ったのか、中から「もしよろしかったら、中へお入りになりませんか?」という柔らかい声が。……では、と言って中へ入り、宿の人と暫く川端康成の逸話などをお聞きしながら時が過ぎていった。…………おっ、こうしてはいけない、田中さんとの約束の時間が……と思い、青幻舎の場所を訊くと、ご丁寧に詳しく書いた地図を渡してくれたのには更に感謝であった。「次回、京都に来た時はお世話になります」と言って旅館を出、目的地へと向かった。

 

 

青幻舎の中で田中さんとお話しをした後で席を移し、近くにある趣のあるカフェで続きのお話しを交わした。田中さんとの会話はいつも話が弾んで面白い。……しかし、私は予定を詰め過ぎていた。……次に会う約束をしている平尾和洋さん(立命館大学教授・建築家)と12時に近くの烏丸御池のカフェで待ち合わせなのである。田中さんとお別れした後で、カフェで平尾さんと10年ぶりくらいの再会。以前は立命館大学の工学部で私がダ・ヴィンチの建築家としての視点から講演をして以来かと思うが、気の合う同士なので、すぐに話は本題に。……しかし、私の京都行の目的がもう1つ残っていた。……京都七条.油小路にある、新撰組伊東甲子太郎ほか数名が暗殺された現場を訪ねる事が残っていたのである。……平尾さんにその話をすると好奇心の強い平尾さん、では一緒に行きますよ!との事。二人でタクシ―に乗り、現場である本光寺へと向かった。

 

現場に着いてみると既に先客の幕末史ファンがいた。若い男性、外人の二人組。……以前は赤穂浪士の忠臣蔵は海外で知られていたが、新撰組もそこそこ知られ始めているのであろうか。とまれ皆さん熱心である。……男性が持っているタブレットを見せてもらうと、伊東暗殺直後に駆けつけた伊東の門下生(かつては新撰組)達が惨殺された詳しい現場跡がわかって、私の興奮はしきりである。

 

伊東甲子太郎は容姿端麗、人望が高く、既にして名士。……元治元年(1864年)に新撰組に加盟する。参謀としていきなり要職に就くが、佐幕派の新撰組と伊東の倒幕の異なる方針をめぐって次第に対立、やがて脱隊して、薩摩藩の支援で東山高台寺の月真院に「御陵衛士」として本拠を置く。この時に新撰組発足以来の藤堂平助ほか多くの隊士が伊東を慕って新撰組から去った。

 

慶応3年(1867年12月13日―旧暦で坂本龍馬が暗殺された3日後。ちなみに伊東は近江屋に潜伏していた龍馬と、同席していた中岡慎太郎に、暗殺の動きがあることを告げて警告をしている)の夜に、伊東は新撰組局長の近藤勇から呼ばれ、近藤の妾宅で接待を受ける。酔った伊東はその帰途は上機嫌であったらしい。伊東は思ったであろう(…そういえば、先ほどの席に近藤はいたが、副長の土方(歳三)はいなかった。…おそらくあの男は私に臆したのであろう。新撰組の屋台も私によってほぼ分裂し瓦解した。…土方、…新撰組を作り上げたあの策士も、もう終わりだな……)

 

……その時、はたして土方は何処にいたか。……伊東甲子太郎が歩いて来る先の暗闇、七条油小路の民家の暗闇にいて、その切れ長の鋭い目を光らせていた。……そして数十名の新撰組もまた民家の陰で息を潜めながら、その時を待っていたのである。……一瞬、闇に光が走り、鋭い槍の切っ先が伊東の首を貫いた瞬間、北辰一刀流の剣客であった伊東の体はくるりと一閃し、自分を突き刺した男を切り下げて、絶命した。「奸賊ばら!」……闇に響いたこれが、伊東の最期の言葉であったという。

 

土方の作戦はこれに止まらず、伊東一派の粛清にあった。寒さで忽ち凍てついた伊東の遺体を路上に放置し、番所の役人を月真院に走らせて、これから遺体を収容しに来る伊東一派を誘い出す囮としたのであった。そして土方の読みどうりの乱闘となって三名が戦死。他は逃げ去り明治まで生き残る。……その乱戦の現場を、その場にいた幕末史ファンの男性のタブレットで知り、私と平尾さんは移動してその場所に立った。……その乱闘の様子を民家の中で秘かに目撃していた老婆の証言が資料として残っていて、私はそれを想いながら、京都行最後の目的を果たしたのであった。……ふと平尾さんを見ると、先ほどから寺の庭に出来ている大きな蜜柑に関心が移っているようである。……冷たい風が吹いて来た。小雪がその風に乗って京都がまた白くなって来た。京七条・油小路に今し雪が舞っている。…………平尾さんと再会を約しながら京都駅前で別れ、私は帰途についたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『坂の上の歪んだ風景―熱海・代々木篇』

①熱海篇……司馬遼太郎の小説に『坂の上の雲』という、とてもロマンチケルな題名の作品がある。…確かに坂道は私達の詩情を煽って、たいそう穏やかで、春昼の浪漫的な夢想を誘う何かがある。しかし一方、永井荷風の『日和下駄』では、坂道を評して「坂は即ち地上に生じた波瀾である」と断ずるように書いていて穏やかではない。……確かに、坂はそういう一面も持っていて、時に坂は不穏に見える事がある。ましてや傾斜がきつい急坂は、いつか起きる凶事の予感を秘めて不気味でさえある。……その感の極まりが、先日の熱海の伊豆山中から崩れ落ちた土石流の惨事である。しかしこの惨事は、不法に大量の廃棄物を隠すために意図して盛り土を積み上げた悪質業者と、行政の指導の怠慢を突かれたくない県や市の責任転嫁に必死な様との、まさしく泥仕合で、つまりは集合的な人災の感は免れない。

 

……あれはもう何年前であったか?私はこの惨事となる現場を歩いた事があった。……頼朝関連の場所として、この崩落現場の上にある伊豆山神社に興味があり、後の現場となる盛り土があった道を通って神社に行き、正に崩れ落ちた坂道のあの場所を下って熱海駅に戻ったのであるが、傾斜がきつい坂道に奈落へと落ちるようにして点在する民家を見て、よくこういう場所に住んでいるな……と思ったのを記憶している。……あれは、熱海の海光町に住んでいた池田満寿夫さんが亡くなって、暫く経ってからの事であったかと記憶する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

②代々木篇……5月初旬に東京国立近代美術館で開催中であった『あやしい絵展』を観に行った。幕末から昭和初期までの病める側面をデロリと映した、妖美、退廃、エロティシズム…を一同に集めた展示でたいそう面白かった。熱心に観入っている観客をぬって、上の階に行くと『幻視するレンズ』展が開催中。やはり川田喜久治さんの『ラストコスモロジ―』連作の写真は圧巻であった。わけても、以前に川田さんから直接プレゼントして頂き、我がアトリエの壁にも掛けてある代表作『太陽黒点とヘリコプタ―』は実に怪奇にして玄妙なモノクロ―ムの結晶である。

 

次に常設の、靉光『眼のある風景』を観にいくも残念ながら展示されておらず、次なる岸田劉生の切通しの坂を描いた『道路と土手と塀(切通之写生)』(大正4年作)を観にいく。……実に不穏でミステリアスな坂道の描写で、紛れもなく近代絵画の秀作であるが、面白い符合があり、前述した永井荷風が、「坂は即ち平地に生じた波瀾である」と評したのと同じ年(大正4年)に、劉生は、それを強調したかのような視点でこの不穏な坂道を描いている点が面白い。

 

場所は道路開発中で切り崩されている最中の当時の代々木。……以前にこの現場を月刊誌『東京人』からの執筆依頼があって観に行く必要があり、劉生に詳しい、当時の京都国立近代美術館長の富山秀男氏に電話して場所を伺い訪れた事があったが、この坂はこの傾斜のままに現存する。

 

 

 

 

 

 

さて、この劉生の作品、暫く見ていると、画面下の道路を横断する黒い影(実際は電柱の影)が、何やら電柱に装うった怪しい人の気配のようにも見えて来ないだろうか?……この坂道の絵が不穏な気配を私達に直に伝えて来るのは、間違いなくこの黒い影の効果なのであるが、この絵をさらに怪しくしている点(劉生が意図的に仕掛けた)が、実はもう1つある。……それは画面上部左側の、塀と坂道の交わる消失点が微妙にずれており、更には先日の盛り土の惨事ではないが、不気味に不自然な僅かな盛り上がりがあり、その崩れそうな気配(気)が、この絵画を名作足らしめているのである。

 

 

 

 

 

 

……画面内に意図的に仕掛けられた異なる2つの遠近法、そして不穏な黒い影(シルエット)。この劉生の絵に最も近い近似値を他に探すと、たちまち私達はジョルジョ・デ・キリコの形而上絵画『通りの神秘と憂愁』(1914年作)へと辿り着く。…… (1914年、……期せずして、岸田劉生のあの坂道の不穏な絵と、正に同年時に、このキリコの絵は描かれたのである)。一つの画面に異なる複数の遠近法を仕掛ける事、また影(シルエット)による不協和音とでも言いたい不安な気配の屹立。……それは、近代に芽生えたモダニズム(近代主義)の精神や意識が産んだ具体的な一様態でもあるのだろうか?

 

 

 

 

 

 

……さて、ここに唐突にレオナルド・ダ・ヴィンチの名前が登場する。そして2004年に刊行した拙著『「モナ・リザ」ミステリ―』(新潮社)からの引用が登場する。

 

「……私は、今までの定説を否定するように「モナ・リザ」だからこそ必ず何か記しているに違いないという眼差しで、彼の遺した手稿の中に、それを追った。そして、遂に気になる一文に眼が止まった。それは昭和十八年に刊行された、今では古色を帯びた『レオナルド・ダ・ヴィンチの繪画論(翻訳書)』の中に在った。―109章の〈自然遠近法と人工的遠近法の混用について〉と題する中でレオナルドは、自然遠近法と人工的遠近法を一つの画面の中に混淆した場合、その絵は、〈描かれている対象が全部奇怪なものに見えてくる〉と記しているのである。これは音楽用語における「不協和音」と一致する。そのまま流せば素通りしてしまう、この記述。しかし私はこの一文に注視して、そこに「モナ・リザ」の絵を当て嵌めてみた。すると驚くべき事が透かし視えてきたのであった。

 

「モナ・リザ」の絵を今一度、見てみよう。手を組んだ女人像は私たちの視点と水平に描かれている。では、その視点のままに背景に目を移せばどうであろうか。…あきらかに背景は、上部から眼下を見下ろした俯瞰の光景として描かれている。つまり「モナ・リザ」には二つの異なる視点が、それと知れずたくみに混淆されているのである。レオナルドは記す。「自然遠近法と人工的遠近法を一つの画面の中に混淆した場合、その絵は、描かれている対象が全部奇怪なものに見えてくる」と。私たちが「モナ・リザ」を見て先ず最初に覚える印象は、美しさではなく、むしろ奇怪とでも云うべき不気味さである。しかし、それは私たちが共通して抱く主観というよりも、レオナルドの記述のとおりに解せば、それは前もって画家自身が意図したものという事になる。訳者はそれを「奇怪」と訳しているが、原書の言葉には如何なる解釈の幅があるのであろうか。残念ながら原書は入手不可の為、訳者を信じる他はないが、訳の幅はそれ程には無いのではあるまいか。ともあれ、私たちが「モナ・リザ」に対して抱く奇怪なる印象、それはあらかじめ画家がこの絵を描く際に秘めた一つの主題としてあった事は確かな事と思われる。果たして画家は「奇怪さ」を帯びさせることで、この絵に如何なるメッセ―ジを宿らせようとしたのであろうか。……」

 

拙著の記述はこの後も延々と続くのであるが、とまれ、ここで大事な事は、劉生はダ・ヴィンチからもかなりな事を学び、それを自己流に消化して自らの方法論の深部に取り込んでいるという事である。……モダニズム云々という、歴史を分断した直線的な切り方でなく、その深部に貫通する、美を美たらしめる為の思索の水流は、各々の時代の時世粧という変容を経ながらも、その本質の瑞々しさは変わらずに「今」を流れ続けているのである。

 

いや、次のように言い直すべきかも知れない。……すなわち、人類最大の知的怪物であるレオナルド・ダ・ビンチの透徹した認識の視座から視れば、近代はおろか現代までも、またその先までも、あらゆる物が彼の掌中に既にして、呪縛的なまでに包括されているのである、と。

 

 

 

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『VICENZA – 私を変えた街』

旅の記憶というのは不思議なもので、僅かに一泊しただけであるのに、時を経るにつれて源泉の感情を突いてくるように忘れられなくなってしまう〈街〉というものがある。例えば私にとってのそれは、イタリア北部に在るビチェンツァ(Vicenza)がそうである。

 

別名「陸のヴェネツィア」と呼ばれ、16世紀の綺想の建築家パラディオによる建造物が数多く残るこの街は世界遺産にも登録され、中世の面影を色濃く停めている。私がビチェンツァを訪れたのは20年前の夏であった。パラディオ作の郊外のヴィラや、バジリカ、そして画家のキリコに啓示を与えたオリンピコ劇場などを巡り歩いた午後の一刻、歩き疲れた私は宿に戻り束の間の仮眠をとっていた。すると窓外に俄に人々のざわめきが立ち始め、嗅覚に湿った臭いが入り込んで来た。- それは突然の驟雨であった。私はバルコンの高みに出てビチェンツァの街を見た。

 

西脇順三郎の詩集「Ambarvalia」の中に、「・・・静かに寺院と風呂場と劇場を濡らした、/この静かな柔い女神の行列が/私の舌を濡らした。」という描写があるが、私はこの古い硬質な乾いた石の街を銀糸のようにキラキラと光る雨の隊列が濡らしていくまさにその様を見て、〈官能〉が二元論的構造の中からありありと立ち上がるのを体感し、私の中に確かに〈何ものか〉がその時に入ったという感覚を覚えたのであった。・・・・・・夜半に見るビチェンツァの街は私以外に人影は無く、私はオペラの舞台のような不思議な書き割りの中を彷徨うようにして、この人工の極みのような街を、唯ひたすらに歩いた。・・・そして私の中で、今までの私とはあきらかに違う〈何ものか〉が生まれ出て来るのを私は直感した。それは銅版画のみに専念していた私から、オブジェその他と表現の幅を広めていく私へと脱皮していく、まさにその契機となるような刻であったのだと、私は今にして思うのである。

 

今月の11日(月)から23日(土)まで茅場町の森岡書店で、私の新作展が開催される。タイトルは、そのビチェンツァの街に想を得た『VICENZA – 薔薇の方位/幾何学の庭へ』である。今回の個展は、今後の私にとっての何か重要な節になるという予感が漠然とではあるが、私にはある。タイトルにビチェンツァが入ってはいるが、それは私の創造の中心にそれを置く事であり、イメージは多方へと放射している。パリ、ブリュッセル、そしてイギリスのポートメリヨン等々、様々なイメージが〈ビチェンツァ〉を核にする事で立ち上がっているのである。まさに現在進行形の私の今の作品を見て頂ければと願っている。

 

〈追記〉

写真の撮影や取材などでヴェネツィアへはその後も幾度か訪れているというのに、私はその僅か手前にあるビチェンツァの街を再び訪れてはいない。イメージの深部にいつからか棲みついてしまったこの不思議な街のくぐもりに光を入れるのを恐れるかのように、私はこの街に対してまるで禁忌にも似たような距離をとっている。今年は本が二冊刊行される予定であるが、いずれは私は〈詩集〉という形でもこのビチェンツァの街の不思議を立ち上げてみたいと思っている。ビチェンツァは、様々な角度から攻めるに足る,捕え難い妖かしの街なのである。

 

北川健次新作展『VICENZA – 薔薇の方位/幾何学の庭へ』

2013年3月11日(月)〜23日(土)

時間:13:00〜20:00(会期中無休)

場所:森岡書店 tel.03-3249-3456

東京都中央区日本橋茅場町2−17−13第二井上ビル305

*地下鉄東西線・日比谷線「茅場町」下車。3番出口より徒歩2分。

永代通りを霊岸橋方向へ向かい橋の手前を右へ。古い戦前のビル。

(会期中は作家が在廊しております。)

 

 

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『年が明ける』

三方から除夜の鐘の音が響き始めたのと重なるようにして、風に乗って東の海の方から汽笛の音が鳴り響いてきた。横浜港に停泊している全ての船がいっせいに新年を祝して汽笛を鳴らすのである。私はこの汽笛の音が好きであるが、この音を聞く度に想いだす一枚の古写真がある。それは明治初期に撮られた写真で、そこには、山手の坂を下りて港に行く際に渡る谷戸橋の上を歩く外国の婦人の姿と、その先を輪廻しをしながら駆けていく少女の姿が写っている。遠景に見えるのは寺院で、ヘボン式ローマ字の創始者で宣教師・医師であったジェームス・ヘボン先生の住居である。写真は本質的に静的なものであるが、この輪廻しする少女のように無垢な動的なものがそこに加わると、詩的な叙情性がリアルに立ち上って私たちを引きつける。この写真はキリコの代表作『街の憂愁と神秘』に似ているが、あの絵のような不穏さは全く無く、有島武郎の小説『一房の葡萄』のような永遠の「時」が封印されている。ヘボン先生の住居は今日では税務署に変わり、何とも風情が無くなってしまったが、それでも私はこの新年の汽笛の音を聞く度に、今も在る谷戸橋の上をはしゃぎながら駆けていく少女の姿が、まるで幻視のようにありありと想い浮かぶのである。

 

さて、今年は1月から半年間は個展を中心に、毎月なんらかの形で作品発表が予定されている。さらには4月にベルギーのブリュッセルで開催されるアートフェアーの出品依頼を受けたので現地に行く事になり、そのための制作も急遽入って来て慌ただしい。ただしこのベルギー行は往復の飛行機代と宿泊代は先方が出してくれるというので条件としては嬉しいが、ともあれ20年ぶりのベルギーである。又、6月はイタリア(主にミラノとフィレンツェ)に墓地の彫刻を撮影しに行くので、空を飛ぶ機会は増えるが、それを機に、また新たなイメージの領土を開拓していく気概は十分にある。昨年、個展に来られた初めてお会いする方々からもこのメッセージを楽しみにしているという話を伺い、かなりの数で読まれている事を知り、更に燃えようというものである。今年前半は個展とは別に、詩人の野村喜和夫氏との詩画集も思潮社から三月刊行の予定で進行しており、その刊行記念展も既に予定として五月に入っている。又、私の本も刊行が予定されており、追加の執筆も、作品制作とは別に書かなくてはいけない。毎回書くメッセージはその意味でも、予告としての有言実行の場であり、重要な意味がある。今年も話題を変えながら書き進めていきたいと思っているので、お付き合いを頂ければ嬉しい限りである。

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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