ジュリエットグレコ

『……まさか、パリで!!』

連休が明け、さぁこれからコロナ第9波に?……それとも一応の終息へ?の岐路に私達は今、立っているわけだが、ともあれ毎日響いていたあの悪夢のような救急車のサイレンがしなくなった事だけは慶賀である。……想えば長く息苦しい3年間であった。そして私達各々の運というものを実感する機会でもあった。

 

……さてこのブログも書き出してから早くも15年以上の月日が経った。内容の程はともかくとして、文量の多さでは最早『源氏物語』をとうに抜き、今やプル―ストの大長編小説『失われた時を求めて』に迫る勢いになってきた。…とはいえこれは私の謂わば「日記」、生きた証の夢綴りのようなもの。これからも気分転換のように気軽にお読み頂ければ何よりである。

 

昨今は加速的に凄まじいネット社会となり、無駄な情報やフェイク、仮想感覚が日常的に入り込んで来て、実に空虚でかまびすしい。……文豪永井荷風は明治期に早々と「便利さには何の意味や価値も無い」と看破しているが、その便利さを人類がしゃかりきに追った結果が、今、ここに殺伐とした精神の請求書となって私達の前に突きつけられている。……同じ価値観が人々(特に若い世代)を同じ方向へと向かわせ、人々から豊かな「個」の妙味を奪いさっている。

 

 

 

 

…最近は、寝る前に本を読みながら眠りに入っていく事が多い。しかし睡魔が急にやって来て本が落ちると顔に当たって危ないので、もっぱら文庫本である。それもバラバラな種類の本が寝床の横には積み上がっている。

 

……例えば最近は、『魔都上海』(劉建輝著)『岡本綺堂・近代異妖篇』『北原白秋詩集』『ジヴェルニ―の食卓』(原田マハ著)『創造者』(ボルヘス著)……といった具合。

 

 

昨夜、その中から原田マハさんの『ジヴェルニ―の食卓』を読み始めたら、冒頭は夜明け時の光が寝室に入り込んで来る描写から始まっていた。

 

「南に面した窓の鎧戸の隙間が、うす青い横縞を作っている。遠く近く、鳥のさえずりが聞こえる。/薄氷のような夜を溶かして、まもなく夜明けが訪れる。朝の光が部屋の中をたっぷりと満たすよりずっとまえに、ブランシュはあたたかなベッドを抜け出さなければならない。

 

…………以前に出した私の詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』に収めた『紙束』というタイトルの詩が同じ光の主題だった事を思い出し、原田マハさんの小説と私の詩の描写の比較をしてみたくなった。

 

 

『紙束』

「朝まだ来だというのに/光がすでに眩しい。紙束が温み 文字が温み/やがて室内が温む。/闇が全て消え去った頃に/呼び鈴が鳴り/レカミエ夫人の不意の帰還を告げるであろう。」

 

また同じ主題、同じタイトルで、私の第一写真集『サン・ラザ―ルの着色された夜のために』でもヴィジュアルでその時間帯の光を表すべく挑んでいる。(私のアトリエ内を撮した写真である。)……小説、詩、写真での各々の攻め方の違いが、少しでも伝われば有り難い。また同じ詩集中の『長い夜に』というタイトルの詩では、それより少し前の夜明け前の気配を書いているので、ここに写そう。

 

 

『長い夜に』

ギザルド通りを抜けて/サン・ミッシェルへと至る/一九九一年四月二日の午前二時の廻廊。/そのしじまにMary Ussellaは眠る。/暗室と化したパリの幾何学の庭で。/セ―ヌの波紋のように白布が流れ/午前の白い朝が目覚める前に。」

 

 

 

先日、横浜中華街にある画廊「1010美術」(倉科敬子さん主宰)から個展案内状がアトリエに届いた。平山健雄さんという方の個展で、ステンドグラスでは第一人者で、山口長男から学んだ人です、ぜひいらして下さいと、案内状に書いてあった。……山口長男は佐伯祐三とパリで深く関わった画家なので佐伯に関する何かが訊けるかもしれないと思い、久しぶりに横浜中華街の画廊を訪れる事にした。……中華街は、私が30才から15年間住んでいた山下町・海岸通りの真後ろにあり、思い出がある町である。……しかし久しぶりに訪れてみると、かつての油断をすれば消されかねないような怪しい気配や情趣は失せて、ただの観光地と化していて、人、人、人で溢れかえっていた。

 

 

 

 

↓同じ場所

 

 

 

中華街は知り尽くしているので、画廊の場所はすぐにわかった。……画廊主の倉科さんから、個展を開催しているステンドグラス作家の平山健雄さんをご紹介頂いた。……「この人からはいろんなお話が伺えそうである。」一目視てそう直感した私は、最初からいきなり本題の佐伯祐三に関する、山口長男が平山さんに語ったという貴重な逸話、またパリの教会のノ―トルダムやサントシャペル……の構造の違いなどについて質問した。平山さんの造詣は実に深く、私はその場の平山さんが語った何気ない話から、次回の個展のタイトルも一瞬で閃いたのであった。

 

……そして平山さんの現在のアトリエのご住所を訊いて驚いた。……15年以上続いているこのブログの中でも最も名作と評価の高い『未亡人下宿で学んだ事』というタイトルの、つまりは私が大学院時代に住んでいた横浜市港北区菊名町の住所のすぐ間近なのであった。つまり現在のお互いのアトリエも、歩いて行ける程にすぐ近くなのである。

 

…………更に話は続いて、私が1990年から1991年にパリに住んでいた場所の話になり、「…私はサンジェルマン・デプレ地区のギザルド通り12番地の最上階の屋根裏部屋に住んでいました。……マン・レイジュリエット・グレコの家が近く、天窓からはサンシュルピス教会の古い尖塔が見えました。家の通りのすぐ前には、いつも閉まっている真っ黒い重い扉のレズビアンバ―がありまして……」と話した瞬間、平山さんが突然「……レズビアンバ―!あった、あった!!」と大きな声を発したのには驚いた。

 

「…!?」と思って平山さんに訊くと、1976年にパリに渡りフランス国立高等工芸美術学校のステンドグラス科に入学して以来、幾つかした転居の中で、平山さんはそのレズビアンバ―の上の部屋に住んでいた女性の部屋に転がりこんで住んでいたのだという。そして、あの店の重く黒い扉は深夜になると静かに開くのだという。…………今、この画廊で向かい合って話している正にこの位置のままに、広いパリの中で、時代を隔てながらも、平山さんと私の住んでいた場所は向かい合い、そこを拠点に充電、研鑽の時間が流れていったという事がわかり、この偶然の妙にお互いが暫し何ともいえない感慨を抱いたのであった。

 

 

……出会いとは不思議なものであるが、特に見知らぬ異邦の国でのこの偶然がもたらした感慨は、アトリエに帰ってからもしばらく尾を引いたのであった。……近いうちに、私のアトリエのすぐ近くに在るという、平山健雄さんのステンドグラスの工房を訪れてみようと思っている。……まだまだ不思議な話の続きが出て来そうな予感がするのである。

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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