デン・ハ―グ美術館

『世界の終わり―パンドラの箱は開いてしまったのか!?』

先日、コラ―ジュを主とした個展が盛況の内に終わった。……30年ばかり前に、オランダのデン・ハ―グ美術館で見た、額とガラスを外して見せる非常にセンスのある素描作品の展示方法を覚えていて、今回の個展で実験的に取り入れてみたが、その展示方法が日本では初めてであった事もあり、来廊された方は、直に間近で観るコラ―ジュの精緻な表相を堪能されたようである。今回の成果は今後の展示にも大きなプラスとなり、その意味でも手応えのある個展であった。

 

……さて、今回のブログは「パンドラの箱」である。絶対に触れてはいけないものを意味するパンドラの箱。まさか、これをタイトルにしてブログに書く日が来ようとは……。

自分が死ぬ時は何が原因で死ぬのだろうか?……やはり癌か?それとも脳梗塞、或いは急な心筋梗塞?ともあれ、それは個人的な私的物語の終焉にすぎない。……しかし、そこにまさか核による全人類的な全体死の可能性が現実味を帯びて参入して来ようとは。……これは私だけでなく、今、世界の多くの人々が俄に思い始めた考えでもあるだろう。

 

 

その危機の始まりは、しかしとうの昔に二人の人物が現れた時に始まっていた。その二人とは、人類最大の叡知と云われたアインシュタインと、原子爆弾を生み出したオッペンハイマ―

ことは、1939年、アインシュタインが、アメリカ大統領ル―ズベルトに宛てた、原子爆弾の開発を強く促す書簡から始まった。……アインシュタインは1930年頃に原子爆弾が作り出されるもとになる原子力エネルギ―の理論を考えついたが、ナチスドイツが核エネルギ―を使って新しいタイプの極めて強力な爆弾を作る事を懸念して、ル―ズベルトに原子爆弾の開発を促す親書を送るが、しかし後にアインシュタインはその事を生涯悔いる事になった。ナチス・ドイツ、すなわちヒトラ―は、アインシュタインがユダヤ人である事から、この理論を排除してV2型ロケット(世界初の液体燃料ミサイル)の開発にのめり込んでいた。……つまり、ナチスは原子爆弾の開発には全く着手していなかったのであるが、これはもちろんナチスドイツ崩壊後に判明した事。しかし、アメリカはマンハッタン計画と称して科学者、技術者を総動員して原子爆弾の開発を急ぎ、その計画を主導した人物がオッペンハイマ―なのである。

 

 

1945年7月16日、ニュ―メキシコの砂漠で人類最初の原爆実験が実行され成功したが、オッペンハイマ―自身が想定していた破壊力を遥かに超えた光景を目の当たりにして震え、「後戻り出来ない物」を作ってしまった事を痛感、……以後、理論を立ち上げたアインシュタインと、実際に作り上げてしまったオッペンハイマ―は生涯悔いる事になった。しかし、この悔いは私達が想像するよりも遥かに先を読んだものであった事が窺える。……彼ら二人の叡知は、その時点で、早晩に必ず訪れるに違いない世界の終わりの地獄的な光景を、誰よりも早く予見してしまったのであろう。……オッペンハイマ―は古代インドの聖典の一節を引用して「……我は死神なり、世界の破壊者なり」と吐露しているが、オッペンハイマ―でなくとも、アインシュタインの原子力エネルギ―の理論からは必ず原子爆弾は開発されるようになっており、人類は終には自滅への道を、とてつもない集合無意識なうちに、直進するようになっているのであろうと思われる。

 

 

周知のように1962年にキュ―バ危機がその最初の形で現れ、核弾頭が飛び交う核戦争寸前でソ連が引いた事によりギリギリで抑えられたが、今回の場合は、かつての帝国主義幻想に陶酔している一人の奥目の狂人の、狂いの深度如何によって、世界が……という緊張状態が続いている。察するに、この男の人としての器はそうとうに小さく、内面の闇はかなり深い。

……ロシアが劣勢、或いはNATOの今後によっては、プ―チンのエスカレ―ション抑止は効かない可能性も大である。 ……最後にアメリカとロシアの軍事力の具体的な比較数を掲載して、今回のブログを終ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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