レオナルド・ダ・ヴィンチ

『2023年夏/カタストロフの予感の中で』

暑い!というよりは、もはや熱い!……そう言った方がピタリと来る、この夏の異常な照り返しである。息をすると熱を帯びた空気が口中に入って来るという、今までに無かったような夏の到来である。私が子供の頃は、夏休みは心が弾む待望の時間であったが、今の子供達にとって、それはどうなのであろうか。

 

……昔の夏は確か32度くらいで(おぉ今日は凄い!32度もある!危ないから日射病には気をつけないと)と言ったものである。……はたして当時の誰が、数十年先の夏の気温が6度以上も上がる事など予測し得たであろうか。だから、その頃に生きていた人間が、タイムスリップして2023年の今に突然現れたら、この暑さの異常さにおののき、過去の時間へと忽ち逃げ去っていくに違いない。今はこの異常な中で皆が耐え忍んで生きている。……みんなが頑張っているから、この異常さは若干散っていられるのかもしれない。自然は容赦がないので、来年はもっと残酷な事になる事は必至であろう。…………

 

思い出せば、私は7、8才の盛夏の頃は、自転車に愛用の枕(心が安心するために)を乗せて、近くの緑蔭の濃い森に行き、その奥の風が涼しく舞っている神社の裏の小陰で長い昼寝を貪っていたものである。高校の野球部の練習中の掛け声や、白球を打つバットの乾いた音が遠くから気持ちよく響いて来て眠りと溶け込み、それが更なる昼寝を促していた。……何も私だけではない。子供達はその時点において皆がみな抒情詩人であったと思う。……しかし今、真昼の熱い時に外で昼寝などしたら自殺行為である。(オ~イ、大変だぁ!……子供が神社の裏で熱中症で乾いて死んでるぞ!!)になりかねない、それほどに夏の姿が変わったのであろう。

 

……数日来、かつて無かった激しい豪雨が九州を襲っている。九州には福岡、熊本、鹿児島に親しい友人がいるので心配である。しかし、前線の移動次第では関東も襲われる可能性があるので、明日は我が身の、容赦ない豪雨、猛暑の日々である。……この異常気象、日本以外に世界に目を移せば、北極の氷は溶け、凍土の地域も温度が上がって濁流となり、世界の各地で大洪水が起きているのは周知の通り。……「人類は間違いなく水で滅びる」と500年前に早々と予告したダ・ヴィンチの言葉が、ここに至って不気味に響いてくる。

 

 

このように世界が加速的に明らかな狂いを呈して来たのは、やはりあの時がその始まり、いや世界のバランスを辛うじて括っていた紐が切れた瞬間ではなかっただろうか。

 

………………2019年4月15日午後6時半。

 

……パリのノ―トルダム大聖堂が炎に包まれたあの日を境にして、世界は一気に雪崩れるようにしてカタストロフ(大きな破滅)の観を露にしはじめたと私は思っている。

 

 

……30年前にパリに一年ばかり住んでいた時、私は幾度も大聖堂の鐘楼に昇り、眼下のパリの拡がりを堪能したものであった。……その懐かしい大聖堂が真っ赤に燃える様を観て、ある意味、何れの聖画よりも、この惨状の様は美しく映ると共に、私は「これは、何か極めて美しく荘厳であったものの終焉であり、これから世界中に惨事が波状的に起こるに相違ない!」……そう直観したのであった。

神や仏といった概念を遥かに越えた、もっと壮大な宇宙の秩序を成している大いなる「智」から、奢れる人類に発せられた醒めた最期通達として映ったのであった。

 

 

 

 

 

……其れかあらぬか、大聖堂の炎上から半年後の2019年12月初旬、先ずはコロナが武漢から発生して世界中に蔓延、そしてロシアのウクライナへの一方的な道理なき侵攻、環境破壊が産んだ加速的な破壊情況、AIの出現による人類の存在理由の消去と感性の不毛へと向かう変質化の強制、……つまりはもはや形無しの情況は、かつての名作映画『2001年・宇宙の旅』に登場した、人工知能を備えたコンピュ―タ―「HAL9000」の不気味な存在が示した予告通り、アナログからデジタル、そしてその先の人心の不毛な荒廃から、一切の破滅へと、今や崩れ落ちの一途を進んでいる状況である。

 

 

 

……その惨状を美しい言の葉の調べに乗せて三十一文字の短歌へと昇華した人物がいる。今年の1月にこのブログで最新刊の歌集『快樂』を紹介した、この国を代表する歌人・水原紫苑さんである。………「ノ―トルダム再建の木々のいつぽんとなるべきわれか夢に切られて」。……この短歌が収められた歌集『快樂』(短歌研究社刊行)が、先月、歌壇の最高賞である迢空賞を授賞した。快挙というよりは、この人の天賦の才能と歩みの努力を思えば当然な一つの帰結にして達成かと思われる。

 

 

……フランスでの現地詠など753首他を含む圧巻のこの歌集には……「シャルトルの薔薇窓母と見まほしを共に狂女となりてかへらむ」・「眞冬さへ舞ふ蝶あればうつし世の黄色かなしもカノンのごとく」・「寒月はスピノザなりしか硝子磨き果てたるのちの虚しき日本」・「扇ひらくすなはち宇宙膨張のしるし星星は菫のアヌス」………と、私が好きな作品をここに挙げれば切りがない。

 

とまれこの歌集には、芸術すなわち虚構の美こそが現実を凌駕して、私達を感性の豊かな愉樂へと運び去って行くという当然の理を、短歌でしか現しえない手段で、この稀なる幻視家は立ち上げているのである。……人々はやはり真の美に飢えているのであろうか、この歌集は刊行後、多くの人達に読まれて早々と増刷になっている疑いのない名著であるので、このブログで今再びお薦めする次第である。

 

 

……先年は友人の時里二郎さんが詩集『名井島』で高見順賞および読売文学賞を受賞。また昨年は、ダンスの勅使川原三郎さんがヴェネツィアビエンナ―レ金獅子賞を受賞。……そしてこの度の水原紫苑さんが歌壇の最高賞である迢空賞を受賞と、一回しかない人生の中で、不思議なご縁があって知己を得ている表現者の人達が、各々の分野で頂点とも云える賞を受賞している事は、実に嬉しい善き事である。またこのブログでも引き続き紹介していきたいと思っている。

 

 

………………さて次回は、以前から予告している真打ちとも云うべき毒婦・高橋お伝が登場し、文豪谷崎潤一郎、そして私が絡んで、近代文学史の名作『刺青』の知られざる誕生秘話へと展開する予定。題して『2023年夏・ホルマリンが少し揺れた話』を掲載します。乞うご期待。

 

 

(お詫び)前回の予告では高橋お伝について書く予定でしたが、歌人の水原紫苑さんが受賞されたというニュ―スが飛び込んで来たので、急きょ予定を変更した次第です。

 

 

 

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『馬鹿が戦車でやって来る―張りぼてのロシア』

ウクライナに続々と侵攻して来るロシア軍の戦車、またそこに搭乗しているロシア兵の赤ら顔を見ていると、昔、1964年に公開された、ハナ肇主演の松竹映画の或るタイトルを思い出した。その名もズバリ、『馬鹿が戦車でやって来る』。……この映画の場合、戦車は(タンク)と呼ぶが、ロシア軍の戦車もその響きの方が合っている。……すなわち『馬鹿が戦車(タンク)でやって来る』。

 

そのロシア兵達のある映像を観た。……暴行・強姦・殺戮後に戦車の横で、強いウォッカ臭を吐きながら勝利のダンスに興じる兵士達の不気味な姿である。

 

 

 

「汝が母は汝に人を殺せと教えしや」、「汝が母は汝に人を切り裂けと教えしや」、

「汝が母は汝に鬼畜になれと教えしや」。

 

 

……その映像から私は直にゴヤが『聾者の家』と呼んだ自らの家の壁に描いた、『黒い絵』の連作を思い出した。ナポレオン戦争やスペイン内乱の後、人類に対する悲観的なヴィジョンを諦観、絶望の内に描いた普遍の絵画である。ゴヤは実際に悲惨な戦禍の様を目撃し、それを版画集『戦争の惨禍』に生々しく刻み、また最後の版画集『妄』では、人類のもはや処置なしの様を突き放した寓意性を持って表している。そこに表されている様は、しかしスペインだけでなく、日本における「西南の役」でも同様な残酷非道さは記録に残されており、戦争時に顕になるこの狂気は、人類全ての内面が抱える闇の普遍かとも思われる。

 

 

 

 

 

 

また、今のロシアの狂気は、かつての日本が大陸で行った侵略の様と重なっている事を忘れてはならない。満州という張りぼての傀儡国家を演出し、北へ、また南方へと進軍した際に行った侵略の際の惨殺、強姦の様は想像を絶して余りある。……その結果、戦地中国で快楽殺人に目覚めた流浪の男達、……小平事件の小平善雄、また731部隊で人体実験に加わった後の戦後間もなくに帝銀事件を起こした真犯人……等を野に放した。また、旧海軍が京都帝大の荒勝文策研究室に原爆の研究開発を委託した「F研究」には湯川秀樹達、日本精鋭の頭脳も参加していたのである。……そう、日本もアメリカに競るようにして原爆開発を行っていたのである。……歴史は結果論のみ年表の表に記載され、その過程の事実を封印するが、その封印を少しでも覗いてみれば生々しい腐臭がそこからは漂って来るに違いない。

 

中国では国民一人一人を表すのに使う言葉は「単位」であるという。また忠誠を誓わされている国民や兵士達の、個人の尊厳を越えた一律的に似通った顔や表情をする北朝鮮の人々の不気味さ、そして哀れさ。また、国営テレビのプロパガンダ放送のみで髄まで洗脳されてしまったロシアの年寄り達の、画一的なコピ―と化した姿は、かつてのナチスドイツのゲルマン国家主義に染められた様と変わらない。……プロパガンダ、そう、かつての日本もそうであった。

 

 

昨日、漫画家の丸尾末広の『トミノの地獄①』を読んでいたら、面白い頁に出くわした。日清戦争で戦死した陸軍兵士・木口小平(死んでも突撃ラッパを口から放さなかった)の忠誠心を教える為に書かれた戦前の文部省が児童用に出した「尋常小学修身書」の事が描かれていたのである。

 

「キグチコヘイハ/ テキノタマニアタリマシタガ、/シンデモ/ラッパヲ/クチカラ/ハナシマセンデシタ」。子供も読めるカタカナ文字の下には勇敢な木口小平の戦死した姿。……間違いなく弾で射ぬかれ即死した木口小平。その後の死後硬直現象を、死してもなお!に転ずる、このあざといまでのプロパガンダによって、軍国少年達の血潮は、おぉ!とたぎったに違いない。昔の単純さに比べ、今はリアルなフェイク画像が氾濫し、観てばかりいると、こちらのアイデンティティも危険なまでに揺らいで来よう。

 

 

大国が見せる強権は忠誠を誓わせてやまないが、やがてはそれに代わってAI(人工知能)が席巻して、人類から個の尊厳を喪失した無気力な人々が多数を占める時代が来るに違いない。もっともその前にプ―チンの狂いがいや増して、人類は遂に!……の瞬間が来る可能性も多分にある昨今である。……ならば、もっと私達のずっと後に来ると思っていた人類死滅の瞬間に立ち会える好機に自分がいる!!と腹をくくって、最悪の絶望、不条理の極みをも、プラス思考で迎えるに如くはない…か。

 

 

人類最大の叡知の持ち主と評されるダ・ヴィンチは、数多の人体解剖を行った後に手稿にこう記した。「結局、人間は死ぬように出来ている」と。ならば、その有機的な視点を拡めて次のように書く事も出来るであろう。すなわち……「結局、人類は滅びるように出来ている」と。

 

 

 

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『人形狂い/ニジンスキ―と共に』

満開の桜がいよいよ散りはじめた今日は、3月31日。……イタリアでは3月の事を〈狂い月〉と云うらしいが、それも終わって、いよいよエリオットが云った〈4月は最も残酷な月〉への突入である。アトリエの私の作業机の上には、何枚ものニジンスキ―の様々な写真が無造作に置かれている。これから、ニジンスキ―を客体として捕らえた残酷な解体と構築、脱臼のオブジェが何点か作られていくのである。

 

「われわれはヨ―ロッパが生んだ二疋の物言う野獣を見た。一疋はニジンスキ―、野生自体による野生の表現。一疋はジャン・ジュネ、悪それ自体による悪の表現……」と書いたのは三島由紀夫であるが、確かにニジンスキ―を撮した写真からは、才気をも超えた御し難い獣性と、マヌカン(人形)が放つような無防備で官能めいた香気さえもが伝わってくる。私はその気配に導かれるようにして、この天才を題材にした何点かの作品を作って来た。……版画では『サン・ミケ―レの計測される翼』、『Nijinsky―あるいは水の鳥籠』、オブジェでは『ニジンスキ―の偽手』という作品である。

 

版画では、彼の才能を操り開花させ、ダンスそれ自体を高い芸術の域に一気に押し上げた天才プロデュ―サ―、ヴェネツィアのサン・ミケ―レ島の墓地に眠るディアギレフとの呪縛的な関係を絡めた作品であったが、オブジェの方はニジンスキ―を解体して、全く別な虚構へと進んだ作品である。しかし、全てはあくまでもオマ―ジュ(頌)と云った甘いものではなく、客体化という角度からの、ある種の殺意をも帯びて。

 

……以前に、来日したジム・ダインは、拙作『肖像考―Face of Rimbaud』を見ながら、パリの歴史図書館とシャルルヴィルのランボ―博物館でかつて一緒に展示されていた時の私の作品への感想を語り、彼の作ったランボ―をモチ―フとした連作版画(20世紀を代表する版画集の名作)の創作動機を、ランボ―への殺意であった事を話し、私の創作動機もそこにあった事を瞬時にして見破った。……難物を捕らえる為には、殺意をも帯びた強度な攻めの姿勢が必要なのである。

 

 

 

 

 

 

 

ロダン作 「ニジンスキー」

 

 

 

……かつてスティ―ブ・ジョブズから直々に評伝を依頼されて話題となった、ウォルタ―・アイザックソンが書いた『レオナルド・ダ・ヴィンチ』を読んだ。……ダ・ヴィンチに関しては拙作『モナリザ・ミステリ―』(新潮社刊)で書き尽くした感があったので、以後は遠ざかっていたが、久しぶりに読んだこの本はなかなか面白かった。その本の中でダ・ヴィンチが書いた手稿の一節に目が止まった。『……そこで、動きのなかの一つの瞬間を、幾何学的な単一の点と対比した。点には長さも幅もない。しかし点が動くと線ができる。「点には広がりはない。線は点の移動によって生じる」。そして得意のアナロジ―を使い、こう一般化する。「瞬間には時間的広がりはない。時間は瞬間の動きから生まれる」。………………』     読んでいて、先日拝見した勅使川原三郎氏のダンス理論、そのメソッドを垣間見るような感覚をふと覚えた。

 

 

 

3月25日。勅使川原三郎佐東利穂子のデュオによる公演『ペトル―シュカ』を観た。ストラヴィンスキ―作曲により、ニジンスキ―とカルサヴィナが踊った有名な作品を、全く新たな解釈で挑んだ、人形劇中の悲劇ファンタジ―である。ニジンスキ―、そして人形……。先述したように、私は今、ニジンスキ―をオブジェに客体化しようとしており、また人形は、今、構想している第二詩集『自動人形の夜に』の正にモチ―フなのである。天才ニジンスキ―に、天才勅使川原三郎氏が如何に迫り、また如何に独自に羽撃くのか!?また対峙する佐東利穂子さんが如何なる虚構空間を、そこに鋭く刻むのか!?……いつにも増して私は強い関心を持って、その日の公演の幕があがるのを待った。

 

ちなみに、この公演はヴェネツィア・ビエンナ―レ金獅子賞を受賞した氏が、7月の受賞式の記念公演で踊る演目でもあり、その意味でも興味は深い。……「人形とは果たして何か!?」「人形が死ぬとはどういう事なのか!?」「踊る道化」「内なる自身に棲まう、今一人の自分……合わせ鏡に視る狂いを帯びた闇の肖像」……そして命題としての……人形狂い。私は彼らが綴る、次第にポエジ―の高みへと達していくダンスを観ながら激しい失語症になってしまった。言葉を失ったのではなく、観ながら夥しい無数の言葉が溢れ出し、その噴出に制御が効かなくなってしまったのである。

 

…… 開演冒頭から巧みに仕掛けられた闇の深度、レトリックの妙に煽られて、ノスタルジアに充ちた様々な幼年期の記憶が蘇って来る。……不世出のダンサ―というよりは、闇を自在に操り、視覚による詩的表現へと誘っていく、危うい魔術師と私には映った。……そして、かつて『ペトル―シュカ』を踊ったニジンスキ―にも、どうしても想いが重なっていく。翔び上がったまま天井へ消えたという伝説を生んだニジンスキ―もまた魔術師であった。……開演して一時間の時が瞬く間に経った。……そして私がそこに視たのは、生という幻の、束の間の夢なのである。人形狂い……ニジンスキ―。1911年の『ペトル―シュカ』と2022年の『ペトル―シュカ』。時代は往還し、普遍という芸術の一本の線に繋がって、今し結晶と化していった。

 

 

 

 

 

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『坂の上の歪んだ風景―熱海・代々木篇』

①熱海篇……司馬遼太郎の小説に『坂の上の雲』という、とてもロマンチケルな題名の作品がある。…確かに坂道は私達の詩情を煽って、たいそう穏やかで、春昼の浪漫的な夢想を誘う何かがある。しかし一方、永井荷風の『日和下駄』では、坂道を評して「坂は即ち地上に生じた波瀾である」と断ずるように書いていて穏やかではない。……確かに、坂はそういう一面も持っていて、時に坂は不穏に見える事がある。ましてや傾斜がきつい急坂は、いつか起きる凶事の予感を秘めて不気味でさえある。……その感の極まりが、先日の熱海の伊豆山中から崩れ落ちた土石流の惨事である。しかしこの惨事は、不法に大量の廃棄物を隠すために意図して盛り土を積み上げた悪質業者と、行政の指導の怠慢を突かれたくない県や市の責任転嫁に必死な様との、まさしく泥仕合で、つまりは集合的な人災の感は免れない。

 

……あれはもう何年前であったか?私はこの惨事となる現場を歩いた事があった。……頼朝関連の場所として、この崩落現場の上にある伊豆山神社に興味があり、後の現場となる盛り土があった道を通って神社に行き、正に崩れ落ちた坂道のあの場所を下って熱海駅に戻ったのであるが、傾斜がきつい坂道に奈落へと落ちるようにして点在する民家を見て、よくこういう場所に住んでいるな……と思ったのを記憶している。……あれは、熱海の海光町に住んでいた池田満寿夫さんが亡くなって、暫く経ってからの事であったかと記憶する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

②代々木篇……5月初旬に東京国立近代美術館で開催中であった『あやしい絵展』を観に行った。幕末から昭和初期までの病める側面をデロリと映した、妖美、退廃、エロティシズム…を一同に集めた展示でたいそう面白かった。熱心に観入っている観客をぬって、上の階に行くと『幻視するレンズ』展が開催中。やはり川田喜久治さんの『ラストコスモロジ―』連作の写真は圧巻であった。わけても、以前に川田さんから直接プレゼントして頂き、我がアトリエの壁にも掛けてある代表作『太陽黒点とヘリコプタ―』は実に怪奇にして玄妙なモノクロ―ムの結晶である。

 

次に常設の、靉光『眼のある風景』を観にいくも残念ながら展示されておらず、次なる岸田劉生の切通しの坂を描いた『道路と土手と塀(切通之写生)』(大正4年作)を観にいく。……実に不穏でミステリアスな坂道の描写で、紛れもなく近代絵画の秀作であるが、面白い符合があり、前述した永井荷風が、「坂は即ち平地に生じた波瀾である」と評したのと同じ年(大正4年)に、劉生は、それを強調したかのような視点でこの不穏な坂道を描いている点が面白い。

 

場所は道路開発中で切り崩されている最中の当時の代々木。……以前にこの現場を月刊誌『東京人』からの執筆依頼があって観に行く必要があり、劉生に詳しい、当時の京都国立近代美術館長の富山秀男氏に電話して場所を伺い訪れた事があったが、この坂はこの傾斜のままに現存する。

 

 

 

 

 

 

さて、この劉生の作品、暫く見ていると、画面下の道路を横断する黒い影(実際は電柱の影)が、何やら電柱に装うった怪しい人の気配のようにも見えて来ないだろうか?……この坂道の絵が不穏な気配を私達に直に伝えて来るのは、間違いなくこの黒い影の効果なのであるが、この絵をさらに怪しくしている点(劉生が意図的に仕掛けた)が、実はもう1つある。……それは画面上部左側の、塀と坂道の交わる消失点が微妙にずれており、更には先日の盛り土の惨事ではないが、不気味に不自然な僅かな盛り上がりがあり、その崩れそうな気配(気)が、この絵画を名作足らしめているのである。

 

 

 

 

 

 

……画面内に意図的に仕掛けられた異なる2つの遠近法、そして不穏な黒い影(シルエット)。この劉生の絵に最も近い近似値を他に探すと、たちまち私達はジョルジョ・デ・キリコの形而上絵画『通りの神秘と憂愁』(1914年作)へと辿り着く。…… (1914年、……期せずして、岸田劉生のあの坂道の不穏な絵と、正に同年時に、このキリコの絵は描かれたのである)。一つの画面に異なる複数の遠近法を仕掛ける事、また影(シルエット)による不協和音とでも言いたい不安な気配の屹立。……それは、近代に芽生えたモダニズム(近代主義)の精神や意識が産んだ具体的な一様態でもあるのだろうか?

 

 

 

 

 

 

……さて、ここに唐突にレオナルド・ダ・ヴィンチの名前が登場する。そして2004年に刊行した拙著『「モナ・リザ」ミステリ―』(新潮社)からの引用が登場する。

 

「……私は、今までの定説を否定するように「モナ・リザ」だからこそ必ず何か記しているに違いないという眼差しで、彼の遺した手稿の中に、それを追った。そして、遂に気になる一文に眼が止まった。それは昭和十八年に刊行された、今では古色を帯びた『レオナルド・ダ・ヴィンチの繪画論(翻訳書)』の中に在った。―109章の〈自然遠近法と人工的遠近法の混用について〉と題する中でレオナルドは、自然遠近法と人工的遠近法を一つの画面の中に混淆した場合、その絵は、〈描かれている対象が全部奇怪なものに見えてくる〉と記しているのである。これは音楽用語における「不協和音」と一致する。そのまま流せば素通りしてしまう、この記述。しかし私はこの一文に注視して、そこに「モナ・リザ」の絵を当て嵌めてみた。すると驚くべき事が透かし視えてきたのであった。

 

「モナ・リザ」の絵を今一度、見てみよう。手を組んだ女人像は私たちの視点と水平に描かれている。では、その視点のままに背景に目を移せばどうであろうか。…あきらかに背景は、上部から眼下を見下ろした俯瞰の光景として描かれている。つまり「モナ・リザ」には二つの異なる視点が、それと知れずたくみに混淆されているのである。レオナルドは記す。「自然遠近法と人工的遠近法を一つの画面の中に混淆した場合、その絵は、描かれている対象が全部奇怪なものに見えてくる」と。私たちが「モナ・リザ」を見て先ず最初に覚える印象は、美しさではなく、むしろ奇怪とでも云うべき不気味さである。しかし、それは私たちが共通して抱く主観というよりも、レオナルドの記述のとおりに解せば、それは前もって画家自身が意図したものという事になる。訳者はそれを「奇怪」と訳しているが、原書の言葉には如何なる解釈の幅があるのであろうか。残念ながら原書は入手不可の為、訳者を信じる他はないが、訳の幅はそれ程には無いのではあるまいか。ともあれ、私たちが「モナ・リザ」に対して抱く奇怪なる印象、それはあらかじめ画家がこの絵を描く際に秘めた一つの主題としてあった事は確かな事と思われる。果たして画家は「奇怪さ」を帯びさせることで、この絵に如何なるメッセ―ジを宿らせようとしたのであろうか。……」

 

拙著の記述はこの後も延々と続くのであるが、とまれ、ここで大事な事は、劉生はダ・ヴィンチからもかなりな事を学び、それを自己流に消化して自らの方法論の深部に取り込んでいるという事である。……モダニズム云々という、歴史を分断した直線的な切り方でなく、その深部に貫通する、美を美たらしめる為の思索の水流は、各々の時代の時世粧という変容を経ながらも、その本質の瑞々しさは変わらずに「今」を流れ続けているのである。

 

いや、次のように言い直すべきかも知れない。……すなわち、人類最大の知的怪物であるレオナルド・ダ・ビンチの透徹した認識の視座から視れば、近代はおろか現代までも、またその先までも、あらゆる物が彼の掌中に既にして、呪縛的なまでに包括されているのである、と。

 

 

 

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『細部に宿る美の密度』

ここ最近の台風、大雨の勢いは凄まじく、その被害は甚大で、自然が持っている底無しの不気味さが牙を剥いて私達に襲いかかっている。この不気味さは来年、更に勢いを増して私達に襲いかかってくる可能性は大である。遥か500年前に「人類は間違いなく水で絶滅する」とコ―デックス(手稿)に書き記した知の怪物―レオナルド・ダ・ヴィンチの醒めた洞察と断言が、ここに来ていっそうのリアルさを増しているのが気にかかる。……閑話休題、ふとある事に気がついた。日本中が水浸しの観がある中にあって、山形県だけが雨風をかすってほとんど無傷である事に気がついたのである。偏西風の流れと地勢学的なものが絡まって、かの山形県が今、平穏なイメ―ジとして、私の脳裡に在る。以前にこのブログで『山口県』と題して、山口県だけが、地震国・日本の中で地震が極めて少ないという事に気がつき、その事を書いたが、今回は山形県について先ずは書いてみたくなったのである。今、開催中の個展会場に来られたご夫妻と話をしていて、山口県から来られたというので、山口県が地震が少ないのでは!?という持論をしたら「よく気がつきましたね。山口県の人はたまに起きた震度1の地震で、もう大騒ぎしますよ」と言われた。極めてザックリと書くが、地下深くのプレ―トに独自な今一つの層があるのかも知れない。昔訪れた事のある、秋吉台と秋芳洞の特異な剥き出しの白い岩肌をいま思い出して、ふとそう思うのである。

 

……高島屋本店6F・美術画廊Xでの個展『盗まれた記憶―Francesco Guardiの郷愁に沿って』の会期がようやく折り返し地点に入ったが、日を増す毎に来廊される方が増え、二度三度来られる方も見受けられる。これからは遠方から来られる方も増えるので、嬉しく懐かしい再会も待っている。……前回のブログにも書いたが、今回の個展は今までで最高に高い完成度のある作品が数多く揃っているので、それを映すように画廊に来られた方は真剣勝負で作品と対峙し、長い時間をかけて作品が孕んでいるアニマ(霊性)と無言の対話をされている。私が以前から言っているように、作者は二人いる。私はその一人として作品を立ち上げたが、それをコレクションされた方は、以後、長い時間をかけてその作品との対話が続き、その度に異なる作品の変容してやまないイメ―ジを堪能しながら、その人の生が続いていく、つまりはもう一人の作者となっていくのである。今までに作り上げたオブジェ作品の総数は900点近くになるが、今、私の手元(アトリエ)に在るのは未発表も含めて僅かに10点くらいしか無く、コレクタ―の人達に作品が所有され、大切にされているという事は、作家として最高に幸せな事だと思っている。

 

以前に、美術画廊Xで作品画像の資料を作る必要から、新潮社の人とカメラマンが個展時に来廊され、作品撮影をされていた折りに、面白い感想を聞いた事がある。……私の作品を撮影する為にカメラで細部を追っていくと、その細部のどの部分にも凄みある表情があり、何か深い迷宮に入っていくような不思議な感覚を覚えて興味が尽きないというのである。そしてこのような体験は、他の作家の作品を撮影していた時には全く感じない新鮮な驚きであると言う。このような感想は、昨年に私の作品集『危うさの角度』を編集していく際にも、出版社の求龍堂の編集者の方から伺った事がある。……イメ―ジの強度こそが作品の生命であり、美はそれなくしてあり得ないという想いが強いが、その強度な感覚が、作品の細部にまでイメ―ジの執拗な浸透を促しているようにも思われる。しかし、この細部へのこだわりは私だけでなく、例えば、私がコレクションしているルドンの版画『ヨハネ黙示録……これを千年の間、繋ぎおき』に描かれた、とぐろを巻く蛇に拡大鏡を当てて見ると、正に眼前にいっそうリアルで巨大な蛇が立ち現れ、虚構が現実を凌駕して、正に芸術の芸術たる優位がそこにあるのを体験した事がある。幻視者ルドンの自作のイメ―ジへの確信と、この道を進むという信仰にも似た直線性の成せる成果を私はそこに覚えたのである。……その辺りの事を、今、発売中の月刊の美術誌『美術の窓』に『版画のマチエ―ル』と題して、駒井哲郎、私、ルドンについて書いているので、ご興味のある方はお読み頂けると有り難い。……さて、今回の個展、何れも自信作であるが、今回のブログの主題である『細部に宿る美の密度』の為に、何点かの作品の細部画像を掲載しようと思う。……この密度で総数80点以上の新作が展示されている今回の個展。ぜひご来場頂いて実際に作品の前に立ち会って頂ければ幸甚である。(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

〈掲載画像は全て作品の部分〉

 

 

高島屋・美術画廊X

北川健次〈盗まれた記憶―Francesco Guardiの郷愁に沿って〉

会期:10月16日(水)→11月4日(月・休)

会場:本館6階美術画廊 直通TEL (03)3246-4310

 

 

 

 

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『モナ・リザ異聞』

IPS細胞を使った世界初の治療をしたと主張していた森口尚史という男。共同通信社と読売新聞の軽卒な報道により一瞬間ではあるが、世の中が沸き立った。しかし次第にすべてが嘘である事が明るみになるにつれ、この森口という男の薄っぺらな顔がライトを浴びてクローズアップされてきた。「人は見た目で判断してはいけない」という言葉と「男の顔は履歴書」という言葉が対としてあるが、このインチキ中華料理店のオーナーのような顔をした男を見る限り、「人は見た目である程度判断できる」という事になろうか。また一方で、ノーベル医学生理学賞を受賞した京大の山中伸弥教授の相貌は「男の顔は履歴書」を裏付けるように、その表相からでさえ、密度のある知性が伝わってきて好感が持てる。

 

かくもレベルが異なって見える二つの顔を新聞で見比べていて、最近似たような事があったなぁとふと思い、ある事に思い至った。それはやはり新聞報道で知った、ダ・ヴィンチ作による「10歳若いモナ・リザ」の絵が出て来たという報道である。ポーズも同じで、炭素により年代検定の結果、ダ・ヴィンチ自身が「モナ・リザ」(ルーヴル蔵)より10年前に描いたものと専門家が断定したという。私は大笑いした。その専門家って誰なんだ!?・・・一度その御仁の顔を見てみたいものである。一見して知の密度がダ・ヴィンチとは異なる他者によって描かれた薄っぺらな顔。おそらくこの場合の他者とは、不肖の弟子であったサライあたりであろうが、使われた絵の具の炭素鑑定で同時代のものであった、故に本物・・・と云うが、、、ダ・ヴィンチの工房に居て弟子が師と同じ顔料を使って絵を描けば、それはダ・ヴィンチと同じ成分になるのは当然である。それに何より、この10歳若い「モナ・リザ」の絵は、6月まで日本の文化村ミュージアムで展示されていて、ダ・ヴィンチ周辺の絵と記されていたのと同一の物である。とはいえ、「専門家が判断した」と新聞の活字で表記されていると、たいていの人は自分の眼よりも、そちらの方に判断の重きを置いてしまうようである。変だと思いつつもそう思ってしまう。この類いを例えるならば、高価な医療機材を備えた病院の医師に似ているか。眼の前で高熱の患者がいたとして、自分は変だと思っても機材の方が「異常なし」と出た場合、そちらを信じてしまうようなものである。ちなみに、機材の精度が進むのと反比例して名医は減り、平均60点くらいの医者が増えているという。

 

さて、ダ・ヴィンチの専門家を自称する方々もおそらくは知らないであろう、ひとつの逸話をここに記そう。それはこのような話である・・・1452年4月15日、フィレンツェ近郊のヴィンチ村にレオナルド・ダ・ヴィンチは生まれた。そして数日して洗礼を受ける際に立ち会い人として、村の女達が10人ばかり同席した。幼な子である未だ生まれたばかりのレオナルドを見つめる女達の目、目、目・・・。私は以前に刊行したダ・ヴィンチ論を書く際に、この女達の名前までも古文書を追って調べた事があった。・・・そして女達の中に「モナ・リザ」という名前があるのを見つけた時に、何やら不気味な感慨にとらわれた。「モナ・リザ」・・・つまりは唯の、リザ夫人という女性が同席していただけの話なのであるが、私の感性は、そこに映像的な不気味さを供なって、何やらダ・ヴィンチの生涯における一種呪われたような運命をさえも見てしまったのであった。このささやかな逸話だけで、ひとつの短編が書けてしまうのである。

 

私の個展が休みなく続いているが、今年最後の個展が、10月31日より11月19日まで日本橋高島屋の美術画廊Xで三週間にわたって開催される。今はその制作も数点を残すばかりとなった。今回の個展のイメージの舞台はイタリアのパドヴァ近郊にあるブレンタ運河である。個展のタイトルは『密室論 – ブレンタ運河沿いの鳥籠の見える部屋で』。次回のメッセージはこれについて書こうと思う。

 

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『まるで・・・ミステリーの現場』

 

東京・渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで6月10日まで開催中の、『レオナルド・ダ・ヴィンチ – 美の理想』展を見に行った。目玉作品は日本初公開の《ほつれ髪の女》である。会場に入ると、先ずデューラーの木版画による「レオナルド・アカデミア」の幾何学紋章があり、私をふるわせた。デューラーはイタリア訪問でミケランジェロラファエロには会った事を記しているが、ダ・ヴィンチの名前だけは全く記していない。しかし日記の中で「私はイタリアに行き、遠近法を巧みに操って描く人に会いに行くのだ」と記している。この文は(自然・人工)の二つの遠近法を駆使出来た唯一の人物ダ・ヴィンチを指す。そしてデューラーの素描帖には、ダ・ヴィンチに直接会わなければ出来ない素描の写しが存在する。しかし、デューラーは意図的にそれを伏せている。何故か・・・!? 高階秀爾氏は、二人は会っていないとし、坂崎乙郎氏は間違いなく二人は密かに会っていたと推理している。私は坂崎氏と同じ考えである。

 

会場には《レダと白鳥》の写しや、《岩窟の聖母》、そしてダ・ヴィンチの《衣紋の素描》など数多くの作品が展示されているが、やはり圧巻は《ほつれ髪の女》である。霊妙深遠、まさに円熟期の至高点と云えよう。これは私見であるが、この作品は《モナ・リザ》を描いた次にダ・ヴィンチが着手した作品であると推察している。この作品は《レダと白鳥》の下絵である。《レダと白鳥》のオリジナル作品は行方不明であるが、弟子が描いたコピーの写し(本展に展示)が存在する。そこから推察するに、その表現世界は、官能を越えて妖しいまでに淫蕩的であり、ダ・ヴィンチの精神の暗部を映していて興味が尽きない。会場内には想像以上に貴重な作品が多く展示されており、美術史を越えて人類史上最大の謎めいた人物といえるダ・ヴィンチの創造の舞台裏に踏み入った感興があり、まるで上質なミステリーの現場として私には映った。会場出口のショップでは、拙著『絵画の迷宮』も多くのレオナルド本に混じって平積みで販売されている。係の方から拙著が好評で売れ行きがかなり良く、追加の注文をしているという話を伺った。作者としては嬉しい話である。

 

・・・会場を出て、一階のカフェに行く。待ち合わせをしていた毎日新聞学芸部のK氏と会う。この展覧会は毎日新聞社も主催に関わっていて、K氏は私の話を聞いて、それを新聞に掲載するのである。これは連載のため、何人かが登場する企画との由。私はK氏に一時間ばかり感想を話した。私の思いつくままの意見をK氏が素早く速記していく。そのK氏の指先を見ていて、・・・ふと、私の中で、今まで誰も気付いていない、故に誰も書いていない、ダ・ヴィンチの最後のパトロンであったフランソワ一世、そして彼が仕掛けて誕生した〈フォンテーヌブロー派〉という、短期で消えた危うい表現世界について、たちまち幾つかの推論と仮説が立ち上がってくるのであった。これは今考えている書き下ろしの本の最終章に使える。その為には、フランソワ一世という人物の仮面を剥ぐために、彼についての文献を漁る必要があるであろう。ダ・ヴィンチとフランソワ一世。その結び付きには、今一つの知られざる面があったに相違ない。ともあれ、本展はダ・ヴィンチの内面が透かし見える、ミステリアスな展覧会である。未だ御覧になっておられない方にはぜひお勧めしたい内容である。

 

 

追記:

6月2日(土)まで東京都中央区・八重洲にあるSHINOBAZU  GALLERYて『モノクロームの夢〜駒井哲郎を中心に』展を開催中。作家は駒井哲郎池田満寿夫加納光於・北川健次・浜口陽三ヴォルス他。黒の版画に拘った作家たちのなかなか見られない珍しい作品を数多く展示。又、東京・恵比寿にあるLIBRAIRIE6(シス書店)は、《動物》を主題にした不思議な切り口の展覧会を開催中。野中ユリ・合田佐和子他。私の作品は、《ヘレネの馬》の頭部彫像をミクストメディアで表現した作品が展示されています。詳しくは各ギャラリーのサイトを御覧ください。

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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