井上ひさし、,吉里吉里人

『岩手独立共和国』

……思い返せば、新型コロナウィルスの感染者を多数乗せた、あのクル―ズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」が横浜港に寄港した2月初旬頃には、この新顔のウィルスなるものは未だ対岸の火事として映っていた感があった。それがポツポツと拡がりを見せはじめ、この新型コロナウィルスの恐怖はアッという間に拡がり、日本は、そして世界は一変した。自分には及ぶ事はないと誰もが最初は軽く高を括っていた感があったが、この侵犯力の凄さは、かつてのヒトラ―の出現とナチズムの席巻力とちょっと重なるものがある。ここ最近で20万部のベストセラ―となったカミユの名著『ペスト』は、ペストの恐怖を題材としているが、その実はナチズムの恐怖を現している二重の主題が在る事は周知の通りである。……その不気味さは時と姿を変えて、あたかも魔群の通過のようにして繰り返しやってくる。

 

 

 

 

さて、昨今の国内の騒動を見ていると、そのスケ―ルと人材の器の程は全く比較にならないが、構図に限ってみると、何やら幕末時の日本と重なるものがある事に気がついた。……ウィルスを、突然浦賀に来航した黒船に見立てると、その出現で右往左往する幕府が今の政府。その慌てぶりと無策ぶりに、例えば吉村洋文大阪府知事のように、各県が見切りをつけて自らが主張をし始め独自な舵取りを始める様は、外様の各藩から出て来た倒幕の志士にちょっと重なるものがある。そして、感染者がゼロの岩手に目をやると、全く外部の者が侵入出来なかった薩摩藩にちょっと重なるものがある。幕府からの間者や他藩から薩摩に侵入を試みた者は、二重三重に配置された国境警備の薩摩の腕利きの武士によって全員が始末されたのである。土佐を脱藩した後の2年ばかりの行動に謎が多い坂本龍馬は、一説によると、この薩摩に興味を持ち山越えをして入国を試みたが遂に果たせなかったという。ことほど左様に全く無風にして謎が多いのが薩摩藩であり、この度の全く感染者が出ない岩手県の不思議といささか重なるのである。ただ当時の幕府には先導者の勝海舟がおり、早々と議会制の導入を訴え大政奉還を誰よりも早く発案した大久保一翁といった先見の明を持った人材がいたが、今の政府は悲しいかな人物が皆無である点がだいぶ違う。また各県の知事においても、突出した人材が殆んど無いのが今の日本の現実である。……さて岩手、この全く感染者を出さなかった県に大いに関心を持つ私は、岩手県・盛岡市で画廊を経営しておられる下館和也さんにお電話をして、直接その謎について伺った。下館さん明るく笑いながら曰く「岩手の人は我慢強いですからね」という意表を突く答えが返って来た。う〜む、何かありそうだな……岩手の人しか共有していない何か秘密でもありそうな。……私は話の角度を変えて、「まるで岩手だけが独自な共和国のようで、かつての榎本武揚が北海道を新政府に対抗する為に、国際法に照らし合わせて諸外国に共和国の申請と認知を主張したのを思い出しますよ」と話すと、下館さんも榎本武揚のその構想の話を知っていて、「共和国と云えば、作家の井上ひさしさんが小説『吉里吉里人』で、それを主題にしたのを書いていますよ」と教えてくれた。……おぉそうであった。私はその本は読んでいなかったが、話の大まかな筋は知っていた。確か、東北の一寒村が、日本政府に愛想を尽かし、突然、この国からの独立を宣言する話であったが、その舞台が宮城と岩手の県境の架空の村であった由。この小説は映画化の構想はあったが実現されなかったらしい。思うに、今この小説を原本として今の日本に舞台を移し変えた映画を作れば、日本政府に愛想を尽かした国民のカタルシスに響くヒット作の可能性があるかと思うが、脚本を作るなら、やはり三谷幸喜あたりに指を折るか!?……ともあれ、下館さんは岩手の感染者ゼロの謎については言葉を曖昧にして真意を遂に語ってはくれなかったが、やはり何かあると私はますます睨んでいる。しかし情けないかな、いま脳裏に浮かぶのは「わんこそば」か「盛岡冷麺」の存在しかないのである。…………

 

 

 

 

 

 

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