依代(よりしろ)

『兎は何処に跳ねるのか―2023年初春』

……大晦日の夜は、永井荷風の『日和下駄』を読みながら夜の9時半頃に寝床に入り、いつしか眠ってしまった。だから除夜の鐘を聴く事もなく、翌朝に目を醒ましたら、世間が2023年になっていたので、どうも年を越して新年を迎えたという感じが今一つない。むしろ何時もと同じく、地球がただ一回りしたというだけの自然な感じである。……

 

作品の制作は、次の展開に向けて常に始まっているので、年末も新年もない。12月末は、オブジェに使う硝子瓶の上辺を正確に平らにする為に、浅草の吾妻橋を渡った先にある硝子工房の八木原製作所に行き、八木原敏夫さんにお願いして1000度以上の高熱の火で硝子瓶を加工して頂いた。その熱する為の機械(装置)がまた面白く、感心する事しきりである。……八木原さんは医大の医療器具などの精密な硝子製品も含めて幅広く作っておられる超絶な技術の持ち主なので、その仕上がりは見事なものである。……6年前に知人の硝子作家の方から八木原さんをご紹介されて以来、私の中に眠っていた硝子への想いが一気に開いて、今はオブジェの中に、硝子がイメ―ジの変容の為に参入してくる事が多くなって来た。錬金術師の家のような工房の中で毎回交わす八木原さんとの会話から、次のイメ―ジへの閃きが出てくる事も多く、幸運な導きに充ちた八木原さんとの出会いは本当に有り難いものがある。

 

 

昨日(1月10日)は、鉄の作品の打ち合わせの為に、金属加工の超絶な技術を持っておられる田代富蔵さんと日暮里でお会いして二時間ばかりお話をした。田代さんはご自身がオブジェの作品を作って発表しておられファンも多く、私とはイメ―ジで交差する点もあるので、話がいつも具体的である。富蔵さんは昨年の秋からパリの坂道を主題にした連作を制作中で、話を伺っていて煽られたらしく、今、私の頭の中はモンマルトルの坂道を上がり下りしている次第である。

 

……荷風は名作『日和下駄』の中で、「坂は即ち地上に生じた波瀾である」と書いているが、誠に坂という作りはミステリアスな物語性を多分に秘めて静かに沈黙しているのである。

富蔵さんと、日暮里の御殿坂で別れた後、私はタモリの書いた『タモリのtokyo坂道美学入門』にも登場する富士見坂に行くべく、先ずはその手前にある諏方神社に立ち寄った。

 

 

……この辺りは高村光太郎古今亭しん生靉光幸田露伴北原白秋長谷川利行……等々、文人墨客が数多く住んだエリアで昔日の風情がまだ残っている。諏方神社に入って行くと、ふと気になる物があり、私の目はそこに注がれた。……神霊が依り憑く対象物として神社の至る所に下がっている、白い和紙で出来たあの物である。……今までさほど気にならなかった、あの白い和紙の作り物に何故か目がいったのである。

 

ご存じの方もおありかと思うが、この物は依代(よりしろ)と言い、神道に関する用語で、神霊がそこに寄り着く物を意味するらしい。日本では古代からあらゆる物に神や精霊、魂が宿ると考えられており、依代の最古のものは縄文時代の土偶に始まり、人々はその依代の形(かたしろとも云う)から、信仰と畏怖の念を直感するという。……「様々な物象に神が宿るという点では、以前に私が書いたフェルメ―ル論『デルフトの暗い部屋』(単行本『モナリザミステリ―』に所収』)に登場したスピノザの『エチカ』における汎神論(神は世界に偏在しており、神と自然は一体であるという考え)に或いは近いかと思う。」

 

 

 

私は既存の宗教とは一切無縁の人間であるが、その私をして、この依代なる物の一瞬にして崇高さ、さらには畏怖の念さえ立ち上がらせるこの造形センスの完成度の高さは凄いものが在る!と、その時につくづく感心したのであった。……この造形センスの上手さに比べたら、例えば70年代に流行り病のように美術界を席巻し消え去っていった、あの「コンセプチュアルア―ト」なるものの作家達の造形センスの無さ、更には、その自分の作品の意味付けを(表現力不足を補うかのように)喉を枯らしながら必死で喋っている往時の姿が一瞬過って、忽ち去っていったのであった。……彼らは必死で喋って、なおも何も立ち上がっては来なかった。意味を計り知ろうと真面目に絞る人もいたが、その姿には苦しいものが見てとれた。

 

……しかし、眼前に視る依代は無言にして神聖感を伝えて来る。……この明らかな差。私たち人間の内部に沈潜している、それはアニミズム的な原初性との共振なのか。……縄文時代に既にその造形の原形が出来ていたという話を知って、私は想像した。遥かに遠いその昔、ある人物が依代なる物を作るべく、その形象作りに挑戦している、その姿を。

 

…………現代の美術では、作品に意味付けをせんとして関係項、関係項(意味を解放し、人ともの、もの同士の相互関係を重要視する)とかまびすしいが、例えば、竜安寺の石庭は、遥か昔にそれを無言で現してなおも気品に充ちている。白砂に15個の石を置いて、洋々たる海原に浮かぶ小島を象徴したと云うが、その意味を越えて、私たちの内心と静かに観照し合う力がそこには在る。……何よりも先ずは、視た瞬間に観者の心を鷲掴みにしてしまう超越的な力がそこには在るのである。そして芸術表現とは、そのようなものであらねばならないと私は思っている。……「過去は常に今よりも新しい」…… 私は今、この言葉が一番気に入っているのである。

 

 

 

 

 

カテゴリー: Words | タグ: , , , | コメントは受け付けていません。

商品カテゴリー

北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
Web 展覧会
作品のある風景

問い合わせフォーム | 特定商取引に関する法律