保健室

『……みんな夢の中』

昨日の天気予報では関東も積雪か!?…という予報が出ていたので、雪が降ったら『コロナの上に雪ふりつむ』という抒情的なタイトルで今回のブログを書こうと考えていた。しかし雪は降らず、ひたすらに寒い雨が、今日は一日中降っている。……最近は寝床に入るのが早く、夜の10時頃にはもう夢の中である。夢の中はいい。亡くなった親しい人達も、未だ生ある親しい人達も、同じノスタルジアのあまやかな舞台の上でみな優しく、実に味のある微笑を私に返してくれる、共に活き活きとした謂わば望郷の住人達である。そして夢は毎夜、言葉では表せない不思議な空間に私を連れて行ってくれる移動サ―カスであり、果ての無い不思議な劇場なのである。だから毎夜、布団の中に入る瞬間が、夢の中に入っていく至福に満ちた至上の瞬間であり、その夢の中で出来るだけ愉しむ為に、昼の時間は、体力を温存している、そんな逆転した日々が最近は続いている。……そんな感じなのである。

 

……昨夜見た夢は、私の小学生時代(5年生の頃か)の夢であった。…クラスに目立って細く痩せた一人の病弱な少年がいた。その少年は気管支が弱く、朝も病院で毎朝診察してから登校するので、いつも遅刻ばかりしていた。その少年は授業中に時々教室からフッと消えるのであるが、先生も生徒もみな少年が何処に消えるのか知っていた。…少年は薬品の匂いがする白い部屋の保健室に自主的に行き眠っているのである。高窓から射してくる午前の光を浴びながら、少年は子供心に、自分の命がそう長くない事を予感していたらしい。だから保健室は少年にとって安らげる温室のようなぬくもりに充ちていた。……しかし、突然ある日から少年は、パッタリと保健室に来なくなった。……少年は光ある白い保健室から、別な場所に安息の場所を見つけたのであった。その少年がいる場所は、石炭やコ―クスを大量に仕舞っている暗い小屋―冬の厳しい降雪に備えて、雪国の学校の校舎の隅に在る、いわゆる炭小屋の、組んだ木々をよじ登った天井の高みに、安息の場所を見つけたのであった。まさに光から転じて、闇の中に少年は入っていったのである。暗い小屋の天井の隙間から微かに漏れてくる淡い光を見て、夢想に耽るのが、少年の唯一の愉しみとなっていった。

 

 

ある日、暗い炭小屋の天井そばの組んだ柱にもたれていると、突然ガタッという音がして一人の老人が入って来るのが上から見えた。……それは、学校で「小使い」と呼ばれていた、今でいう用務員をしている老人であった。その老人は普段は明るい顔で生徒に接していた為か「小使いさぁん」と慕われ、子供達を頬擦りしたりして人気がある老人であったが、炭小屋に入って来た老人は、別人のように暗い気配を漂わせていて、少年には少し不気味にさえ見えた。……その老人は、小屋の冷たい石上に座ったまま、まるで壊れた翁の人形のように動かない。老人は、まさか一人の小学生がこの暗い小屋の高みから、自分をじいっと観察している事など知る由もない。(少年と同じく、この冷たく暗い部屋が男にとっても安息の場所なのか?……それとも他に?)……普段と全く違う別な人格にさえ見える、眼下の老人を見て、小使いさぁんと呼ばれ、とりあえずは子供達から慕われているその男が、そう言えば、あまり人とは目線を合わせず、うつ向くのを癖にしているらしく、時おり虚ろな力の無い目を、何処を見るともなく浮かべる瞬間が度々あるのを少年は、ふと思い出した。………………………………その日からずいぶんの月日が流れた。そして、短い人生を送ると予感していた少年は早世する事なく、自分の小さい頃の記憶の一断片を夢見の中にふと浮かべる事となった。……そう、その少年とは私の事なのである。

 

……あれは確か小学5年生の頃であったか、確かに経験した校舎の隅に在った炭小屋でのその一景。その老人を見た天井高みからの記憶の断片。……どうして、そんな夢を見てしまったのかを考えていたら、直ぐに理由がわかった。その前日の夕方にテレビで観た菅総理の顔が、かつて遠い昔に見た小使いをしていた老人の記憶と、どうやら瓜二つに重なったらしいのである。菅(すが)かぁ……。菅、菅……、そう言えば昔にも同じ漢字の総理がいた事を思い出した。但し、すがではなく菅(かん)、確か菅直人……そういう名前であったかと記憶する。……今から10年前に起きた東北の大震災時の総理であったが、その時の国の対応もまた酷かった事を、この国の人々は決して忘れる事はない。先日のテレビ番組で、アメリカの新大統領となったバイデン氏が、東北の大震災時に早々と慰問の為に来日し、その親身に接する姿を見た東北の被災者達から今も熱い信頼をもって思われている事を知った。徒に支持するわけではないが、このバイデン氏は、リ―ダ―たる人物に必要な、人々の心の深部に届く、言葉(言霊)の強い力を持っている。……一方、当時、そのバイデン氏と同じ頃に東北の被災地を訪れた、当時の総理・菅直人という人に向けた被災地の人達の視線の冷たさ、鋭さは、当然とは言え記憶に強く残っている。「私が総理!!」とばかりに被災者達が沢山いる部屋に入った瞬間から、人々が彼に向けた無視の態度は徹底したものであった。さもありなん!とは言え、当の本人(菅直人)が、撮されているテレビカメラ越しに見せた顕な表情……「しまった、来るのではなかった!!」という、砂を噛むような、視線の定まらない表情を私は見て取り、この人のこの後の姿を直感的に予見して、10年前の当時のブログに早々と書いた。……昔からの読者の方は覚えておられるであろうか!?……その時に書いたブログのタイトルは『君は、お遍路に行くのか!』というタイトルであった。……私が予知、予見の直観が鋭く、それらがことごとく当たってしまう事は、このブログで度々書いているが、その時も、この砂を噛むような菅直人という、当時の総理の表情を見て、後日、この人は間違いなく頭を剃り、丸坊主になって「同行二人」と書いた笠と杖を持ち、四国の地を巡礼する姿がありありと浮かんだので、半ば予言断定的に私は書いたのである。あれはブログを発表した半年くらい後であったか、まさか私のブログを読んだ訳ではあるまいが、『君は、お遍路に行くのか!』のブログ通り、丸坊主になって四国へと旅立って行ったのであった。

 

 

 

 

……………………………………………閑話休題、……私がやむを得ずの外出時は、不織布のマスク2枚を重ねて出歩いている事は、以前のブログで書いたが、今朝のテレビで専門医が、それは大正解であり、出来ればそこまでの構えで考えてほしい旨を語っていた。そして、今回のコロナの完全な収束を本当に見るのは、ワクチンの可能性を入れても、まだ二年以上は先であるという旨を語っていた。私も同じ考えである。……この姿なき敵との不気味な戦いの本質は籠城戦である。読者の方々の必ずのご無事を、私は今日も念じている。

 

 

 

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