土岐善麿

『魔所―〈十二階下〉』

前回のメッセージで書いた通り、私の手元にはいま、明治、大正時代を象徴する異形な高搭―浅草十二階(凌雲閣)の赤煉瓦が、ほとんど完全な姿で2つ、半分のが1つ、小さな欠片が1つ在る。……「浅草二丁目の建設作業中の現場の地中深くから浅草十二階の遺構が出て来た!!」という報道がネットや新聞で一斉に流れるや、沢山の人が現場に押しかけた。そして現場の人の好意により、運よくタイムリーに、出土した浅草十二階の煉瓦を入手出来た人達がいたという。しかし、ネットを読むと、配布された煉瓦の多くが、ショベルカ―で砕かれた為に小さな欠片であったらしい。……その煉瓦の配布が終了してから既に日が経ち、私が現場に行ったのはようやくの10日後であった。しかし、私の〈想ったものをこちらに手繰り寄せる念力の、尋常でない強さ〉がまたしても発揮されたらしく、奇跡的に、あたかも私の到来を何者かが待っていたかのように、工事現場の目立たない場所に、その時に降っていた流れるような春の雪にうっすらと埋まるようにして、完全な姿のままに在る赤煉瓦を私は見つけたのであった。そして、その内の完全な形状をした煉瓦はアトリエの医療戸棚の中に収まり、小さな欠片は『浅草十二階』というタイトルの美しい本と共に、本棚の中に収まっている〈画像掲載〉。明治20年代に撮られた十二階と瓢箪池の水の写真が美しく本の表紙に配され、その手前に原物の赤煉瓦の欠片を配した眺めは、まるで不思議なタイムスリップの妙がある。江戸川乱歩が名作『押絵と旅する男』の文中に書いた妖しい言葉「あなたは、十二階へお登りなすったことがおありですか。ああ、おありなさらない。それは残念ですね。あれは一体、どこの魔法使いが建てましたものか、実に途方もない変てこりんな代物でございましたよ。」という文を読むたびに「あぁ、自分はあまりに遅く生まれてしまった!!」という、過去の人達への羨望が少しは薄らいだのであった。…………祭りの後のように静かな日が過ぎたある日、私はふと、あの現場に再び行ってみたくなった。遺構は保存される事なく、工事を続行する為に、おそらく十二階の遺構はまもなく完全に閉じられて、128年前の明治の「気」と「時間」の中に永遠に封印される頃であろう。……そう想うと、矢も盾もなくなり、私は現場へと向かった。……現場に着くと果たして、工事は続行されてかなり進んでおり、先日見た遺構もほとんどが柵の中に隠され、わずかに1ヶ所を残すのみとなっていた。おそらく明日は完全に閉じられてしまうのであろう。ギリギリで間に合ったという感である。前回に見た時は、現場はシ―トで覆われていたが、今日は二人の作業中の人がいるだけで、埋める工事が着々と進んでいる。見ると、今日は珍しく地上から現場へと降りる梯子が掛けられている。……寒空の下、私はマスクをとって作業中の人に大声で声をかけた。

 

「すいません、文化財の仕事に関わっている者ですが、貴重な文化遺産が埋められてしまうので、ちょっと梯子を降りて間近で見せて頂けますか!?」……すると、「ああ、いいよ!!降りてらっしゃい」という嬉しい返答が返って来た!!……逸る気持ちで梯子を降り、私は浅草十二階の、深い時間の澱を湛えたその実物を間近で眺め、直に手で触れた。そのひんやりと湿気を帯びたザラツキの感触が、私の感覚を震わせる。想えば、雑誌『太陽』の江戸川乱歩特集でも、私は「浅草十二階」への思いを熱く書き、浅草に来る度に空の高みを仰ぎ見て、既に消えた非在の高搭―浅草十二階のまぼろしを幻影の内に何度、私は透かし見たことであろうか。……それが今、不思議な時間隧道の捻れを経て、私の眼前に在る事の不思議!!不思議なタイムスリップが現実に起きている事の奇跡!!。 ……作業員の方に伺うと、その方は先日の騒動の時に新聞社から取材を受けられたとの事。「凄い数の人が、数日間、ここに押し掛けて来たよ!」との由。その時にショベルカ―で砕かれた赤煉瓦の欠片が見物人に配布され、またたく内に無くなってしまったようである。見物人は、ネット越しに、この現場を熱心に見下ろしていたという。そして、私は改めて、自分の強運を思った。…………正面を見ると、良い状態のまま、赤煉瓦が露出している。私は「もうこの遺構が見れるのも最後だと思いますので、もし宜しければ記念に少し頂けますか!?」と問うと、「ああ、いいよ」と、その作業員の方(おそらくはこの現場の責任者のようである)は言われ、ハンマーで大きな形のままにザックリと取り出して、私に渡してくれたのであった。……かくして、最後の最後に私は本当に器の広い良い人と出会え、最後にまた1つ、赤煉瓦を入手する事が出来たのであった。……さようなら浅草十二階、さようなら、ノスタルジアに満ちた明治の人よ、その夢見のようなあやかしの時空間よ!!……浅草十二階の遺構の最後の姿を眼に焼き付けたその足で、私が次に向かったのは浅草―等光寺(歌人・土岐善麿の生家)であった。……等光寺、そこは歌人・石川啄木の葬儀が行われた寺である。……そして再び私は浅草十二階の現場に戻り、浅草花屋敷の裏側―知る人ぞ知る、かつて私娼窟が在った、通称「十二階下」と呼ばれた魔所を探訪して廻ったのである。

 

「十二階下」……そこは魔都上海の響きにも通じる魔所、……盛りの時は3000人以上の女達が蠢めいていた私娼窟、すなわち性の饗宴、狂いの場でもあったが、そこは同時に近代文学の発芽をも促した温床の場でもあった。黄昏時、浅草十二階の高搭がその巨大な影を不気味に落とす頃に、夜陰に紛れるようにして「十二階下」の魔所に通った若き文学者達は多彩を極めている。……谷崎潤一郎、川端康成、芥川龍之介、永井荷風、石川啄木、室生犀星、北原白秋、高見順、高村光太郎、金子光晴、江戸川乱歩、画家では竹久夢二……etc。わけても室生犀星は、上京するや、上野駅からこの「十二階下」に直行し、そのままに溺れていったという経緯がある。「……ふしぎに其処にこの都会の底の底を溜めたおりがあるような気がする。夜も昼もない青白い夢や、季節外れの虫の音、またはどこからどう掘り出して来るかとも思われる十六、七の、やっと肉づきが堅まってひと息ついたように思われる娘が、ふらふらと、小路や裏通りから白い犬のように出てくるのだ。……〈中略〉それが三月か四月のあいだに何処から何処へゆくのか、朝鮮かシナへでも行ったように姿を漸次に掻き消してしまうのだ。」(室生犀星『公園小品』より。…………まるで寺山修司の芝居のような、ミステリアスな艶と謎と危うい引力を、この十二階下は秘めている。

 

十二階下の魔窟に軒を並べている娼家の客となった犀星。……しかし、もっと顕な記述を遺しているのは石川啄木である。啄木は、暗号のように密かに綴った『ロ―マ字日記』(岩波文庫)の中で「……女の股に手を入れて手荒くその陰部をかき回した。」と記し、「微かな明かりに、じっと女の顔を見ると、丸い、白い、小奴そのままの顔が、薄暗い中にぽ―っと浮かんで見える。予は目も細くなるほど、うっとりとした心地になってしまった。」「若い女の肌は、とろけるばかりに温かい」と素直に精細に書き綴り、十二階下は奇跡的に「地上の仙境」であるとさえ記している。…………「浅草の/凌雲閣にかけのぼり/息がきれしに/飛び下りかねき」・「不来方(こずかた)の/お城の草に寝ころびて/空に吸われし/十五の心」・「函館の/青柳町こそかなしけれ/友の恋歌/矢ぐるまの花」……。私は石川啄木の墓のある函館の立待岬にかつて行った事があるが、何もない、ただ海風だけが荒く吹いている寂しい所である。

 

大震災が起きて数多の人心が絶望感に打ちひしがれている時に、目をぎらつかせながら被災地を野良犬のように駆け回っている者たちがいる。……盗人たちである。あれはもはや別な生き物かと思われるが、…………それと似たような危うい男が、関東大震災の直後に被災地を好奇の目を持って駆け回っていた事を知る人はあまりいない。誰あろうその人物とは、ノ―ベル賞作家の川端康成である。『文学』(岩波書店)の「浅草と文学」特集号の中で〈大正十二年九月一日に関東大震災が起こった時には、地震発生から二時間とたたぬ内に、彼(川端康成)は本郷駒込千駄木町の下宿から浅草の様子を見に行ぎ、浅草の死体収用所や吉原の廓内、本所の被服厰跡や隅田川河畔で無数の死体を眺め回った。〉とある。ここに記述はないが、川端と共に途中から行動を共にした人物がいるのを私は知っている。……芥川龍之介である。川端と芥川。……意外な結び付きに思われるかもしれないが、菊池寛が間にいる事を思えば直に結び付くであろう。〈類は友を喚ぶ〉ではないが、川端、芥川、共に最後が自死である事を思えばまた見えてくる事もある。浅草十二階の下には瓢箪池という大きな池があり、主に其処で溺死したのは、十二階下に棲まう未だ幼さを残す私娼たちであった。周知のように川端康成は目を通しての視姦、死体愛好の強度な癖を持っていた。『雪国』の中に登場する主人公の島村以外は、芸者駒子以下誰もが既にして死者である事は知られているが、『片腕』『たんぽぽ』他何れも、この世でなくかの世の話である。横光利一の葬儀の弔辞で川端は「僕は日本の山河を魂として君の後を生きてゆく」と語り、以後は日本の抒情歌を綴る事に専心した。かそけき抒情の花の下、その地中深くにはネクロフィリアの暗い根が不気味に息づいているのである。

 

…………アトリエに戻り、作業員の人から頂いた浅草十二階の赤煉瓦の表に付いていた土を洗い流していると、その一辺が黒く溶けたようになっているのが見えて来た。熱に強い煉瓦がこのように黒いとは……!? そして私はその黒ずみが、他でもない関東大震災時の猛火の惨事の様をありありと映す証しである事を理解した。……黒ずみは、煉瓦の内部にまで浸透し、その激しさを如実に物語っていて、この煉瓦は特に貴重な物と思われる。…………今、私が手にしている煉瓦のすぐ間近に、川端康成のあの烏のような眼があり、石川啄木がおり、そして私が唯一、先生とよぶ寺田寅彦(物理学者、俳人、随筆家)が、そして数多の文学者達がおり、そして消えていったのである。

 

 

 

 

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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