太田道灌

『谷中幻視行―part①』

……二月頃から、アトリエに籠ってオブジェの制作の日々が続いている。しかし、発想の転換や充電も兼ねて、時折は行きたい所に出かけてもいる。ここ連日続いていた長雨がその日は止んだので、これ幸いとばかりに日暮里から下車して谷中への散策をする事にした。……日暮里は、「日暮しの里」という言葉が語源である。その名が示すように夕焼けが美しく、震災前までは、この高台からはかつては素晴らしい眺望が見えたらしい。蛍が出て、この地から根岸にかけては多くの文人墨客が住んでいた。

 

さて、日暮里駅を出て御殿坂を上がるその途中に、すぐに本行寺(別名・月見寺)という大寺がある。小林一茶も句を詠んだこの古刹には、先ずは目指す永井尚志(若年寄)の墓がある。幕臣中随一の切れ者であり、大政奉還の上奏文を書いた人物である。しかし、とてつもなく広い墓地なので、その場所がわからない。……「御免下さい」と言って寺内に入り、奥から出て来たご住職に問うと、塀沿いの最奥がその墓であるという。「永井尚志の子孫に、永井荷風と三島由紀夫がいますね」と言うと「そうです。この三人は繋がっています」との返事。「何故、永井の墓がこの寺にあるのですか?」と問うと、「この寺の開祖が初代江戸城を築いた太田道灌で、永井はその子孫になります」との答え。……と言う事は三島由紀夫、永井荷風の先祖が太田道灌に結び付く訳で、これは知られざる「ファミリーヒストリ―」として勉強になった。ちなみに言えば,藤原鎌足にそのルーツが辿り着く。……ご住職は、私の質問に響くものがあったのか、帰り際に茶菓子を「持っていきなさい」と言って手渡してくれた。……令和の今と隔絶して江戸・明治の時間が止まったままのような深い趣のある古刹である。

 

 

 

……その隣の寺が経王寺。幕末の上野戦争で彰義隊の分屯所があった場所であり、その史実を映すように、入口の山門には官軍が撃った弾痕がいくつか生々しく残ったままである。穴に指を入れると、中指が丁度すっぽりと入ったので、それから官軍が撃った弾の大きさが見えてくる。

 

さて、その隣が延命院。樹齢六百年という椎の木を見ながら本堂の方に進むと、目立たない右陰にひっそりと建つ古い墓が一つある。墓の主は「行硯院日潤聖人」。享和の初め頃に、江戸城の奥女中や商家の内義、その数およそ60人以上……を惑わし、祈祷と称してかなり淫らな色事に耽ったという悪僧、いわゆる延命院事件の主役、住職日潤の墓である。やがて寺社奉行の捜査が入って露見、後に死罪となっている。この事件は後に河竹黙阿弥の『日月星享和政談』で芝居にもなった由。……前回のブログに書いた怪僧ラスプ―チンや道鏡、また以前のブログで書いた鎌倉尼寺の尼ばかりを狙った怪僧と言い、困ったものであるが、まぁ話としては面白い。その墓をじっと見た後で写真を撮る。……「夕焼けだんだん」を下って、谷中銀座の蕎麦屋で、谷中の名物と言えば谷中生姜なので、生姜、海老の天麩羅が入った蕎麦を食べ、最も気になっていた次の場所へと向かった。

 

 

 

延命院と経王寺の間の路を石塀に沿って歩く。長谷川利行、いずみたく、橋本関雪……達が住んだ路を、その先、諏訪神社の方に私が目指す「太平洋美術研究所」があった筈なので、その跡地を目指して進むと、幻覚なのか、……「太平洋美術研究所」の看板がありありと見えて来たのには驚いた。……実は、この「太平洋美術研究所」、美大に入りたくても貯えがない家庭に育ったので、美大を諦めて、ここに入ろうかと真剣に考えていたのが16才の高校生の頃であった。あの頃は中村彜や佐伯祐三にのめり込んでいた時期である。…………しかし、この太平洋美術研究所は明治の初期は、黒田清輝の白馬会と洋画界を二分する存在であり、初期の学生に坂本繁二郎、朝倉文夫、川端龍子、後に中村彜、中村悌二郎、……長沼智恵子(後の高村智恵子)などが学んだ研究所であり、私の狙いはそれほど間違ってはいなかった。ただ、あまりに時代の読みを間違っていた。……なにしろ、東京の国立という地名を知らず、夏期講習会のチラシを見て、国立(くにたち)美術研究所を、「こくりつ」の研究所と思っていた、そんな具合なのであった。もうとっくに無いと思っていた建物が、まるで私を待っていたかのように、幻のように眼前に在るのを見て、私は感動してしまった。……もし親が美大行きを許可しなかったら、私は上京して谷中近辺に下宿をして、ここに来た可能性が多分にあったのである。玄関のチラシを見ると、「高村智恵子が描いたデッサンが二点発見さる!!」と書いてあり、私はしげしげと見入った。……そして、扉を開けて中に入ると、奥から絵描きらしい人が出てきたので、「実は、昔、ここに入りたかったのですよ!」と言うと、「今からでも入れますよ!」と親切に言ってくれて、「二階が雰囲気があるので、良かったらご覧になりませんか?」と言って二階に通された。扉を開けて驚いた。松本竣介も時おり来て描いていたという、戦前の面影を残したままの画室がそこにあったのである。

 

後で帰ってからじっくり森まゆみさんの本を読むと、果たしてその画室の事が書かれている文章を見つけた。……「古びた灰色の建物の中を、ギシギシいう木の階段を上り、そうっとドアを開けると、薄暗い画室で何人かがキャンバスに向かっていた。O.ヘンリ―の『枯葉』を思わせる、油彩の臭いが漂う独特の雰囲気がある場所である。」と書いてあった。……帰りに、もう1度、その絵描きらしい人が「良かったら、是非!……いつでもお待ちしていますので!」と言って、案内の要綱を詳しく書いたチラシを渡してくれた。……歩きながら私は考えた。……もしここに入っていたら、後の私の人生は果たしてどうなっていたであろうか。……ほんのちょっとのモメントや偶然で、人の一生なんて大きく変わってしまう。……だから人生は面白いのだと。

 

さて、私が次に向かったのは、今日の本命の谷中墓地である。……私は以前から、この墓地の中を自転車に乗って、時に風のように飄々と。また時に、周りの誰も知らないもう1つの全く別な顔をして鋭い目付きで人生を送っていた、一警察官の足取りを追っていた。それを今日は詰めに来たのである。……その為に、私は墓地の中に在る派出所にも行かなければならないのであった。

 

…………次回part②に続く。

 

 

 

 

 

 

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