日本橋高島屋本店、美術画廊X

『夢の漂流物』

昨年の夏のブログで私は、来年はもっと過酷な暑さの夏になるであろうと書いたが、果たしてその通りの、刺すような暑さの日々が続いている。あまり好きな言葉ではないが、もはや誰もが眼前の死の危険とリアルに戦っている「運命共同体」と化したかのようである。今のク―ラ―の機能では補い切れないような暑さが、「今、そこにある危機」として、近いうちにやってくるような予感がある。……さて、そのような中で、10月15日から開催される日本橋高島屋本店・美術画廊Xでの個展の為の新作の制作が、いま山場を迎えている。画廊の空間としては、おそらく日本で最大の広さがあると思われる美術画廊X。……今回で連続11回目となる、この企画展。最初にお話を頂き、打ち合わせに行った時に一目見て、私はこの空間が気にいってしまった。〈個展〉とは期限付きの緊張感に充ちた解体劇だと考えている私にとって、この空間はイメ―ジを展開する為の、厳しくも理想的な美の劇場として映ったのである。思えば、20年以上前に作っていたオブジェから比べると、最近のオブジェは明らかに一点一点が異なった世界を持ち、暗示性と象徴性が入り込んだ、イメ―ジの装置としての面が際立って来ていると私は分析している。美術の分野を越境して、もはやオブジェという言葉では括りきれない、名状し難い何物かを私は作り出しているという強い自覚を懐いているのである。……………さて、その制作であるが、起きている制作時の時とは別に、眠ってからも私は別な感覚の中で、どうやら表現を追い求めているらしい。つい先日には、こんな事があった。……アトリエで、或るオブジェ作品のイメ―ジの詰めをしていたのであるが、その最後の詰めがどうしても決まらない。……しかし、その夜にみた夢の中で、詰めとしての小さな「文字盤」が在るべき場所に完璧に配されており、眠りの中で、作品は完成されていたのであった。……目覚めた私は、その夢の中に出てきた文字盤を、記憶を追うようにしてアトリエの中で探した。私のアトリエには、オブジェに使う為の大小の部品およそ4000点以上が、分類された数々の箱の中に仕舞ってある。……確か、その小さな文字盤があった筈だと思いながら探すと、果たして、数多の箱の中の無数の部品の中に紛れこんでいるようにして、それがようやく見つかった。……部品は無数にある為にとても覚え切れない筈であるが、脳の中の潜在している記憶にはその全てが記憶されていて、私の睡眠時に、もう一人の私が覚醒して、制作の作業の続きをしているように思われる。……また、個展のタイトルや作品のタイトルも私はこだわる人間であるが、なかなか決まらなかったタイトルが、朝の寝覚めに、あたかも夢の漂流物のようにして、完璧な形で出来上がって流れ着いている時が度々ある。また、以前に文芸誌の『新潮』から依頼された書き下ろし執筆の時にも、目覚めている時には結び付かなかった、フェルメ―ルと『エチカ』の著者であるスピノザとの接点、そして、そこからの解釈が、夢の中で1本の線として直に結び付き、私はそこからの執筆が一気に進んだ時がある。……夢とは果たして、何であるのか。私は日々、頭の中で、オブジェ、コラ―ジュ、また新たな領域を求めていて、脳の中はグチャグチャであるが、眠りは、そして夢は、私の混沌を整理して、その奥から時として信じがたい夢の恩寵をもたらしてくれるのである。……制作の日々はまだまだ続く。個展を開催する度に新たな引き出しを開けて、全く別な感覚を開示する事は、表現者としての私の矜持である。……昨年、詩の分野において歴程特別賞を授賞した事も関係しているのかもしれないが、先日、詩の関係の出版社から話があり、来年に初めての詩集も企画出版として刊行される事が決まった。今までも折々に詩は書いて来たが、詩集としての刊行は正に的を得たタイムリ―な企画だと思う。また、私の写真家としての可能性を開いて頂いたギャラリ―サンカイビの平田さんの次なるプロデュ―スで、ミラノ出身の写真家の方との競作展も近々に打ち合わせが予定されている。……私の小さな頭の中で、ジャンルを越境して様々な事が、これから更に待ち受けているのである。夢の漂流物はその折々に静かな恩寵として、また度々流れ着いてくるように思われるのである。

 

 

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