横山大観

『12月のMemento-Mori』

①……最近、以前にも増して老人によるアクセルとブレ―キの踏み間違いによる悲惨な事故(年間で約3800件!)が起きていて後を絶たない。私は運転免許が無いので詳しくはわからないが知人に訊くと、アクセルとブレ―キのペダルの形が似ていて位置が近いのだという。それを聞いた時、〈それではまるで、…こまどり姉妹ではないか!!〉私はそう思ったものであった。双子の姉妹のように瓜二つでは駄目だろう。

……せめて、「早春賦」を唄う安田シスタ―ズ(由紀さおり・安田祥子)くらいに見分けがつかないと駄目だろう。……そう思ったものであった。最近、その構造の見直しや改良が行われているというが、本末転倒、車社会になる以前にもっと早くから改良すべき、これは自明の問題であろう。とまれ、私達はいつ暴走車の被害者になるかわからない。毎日がメメント・モリ(死を想え)の時代なのである。

 

 

 

②12月に入り、いきなりの寒波到来であるが、ふと、先月に開催していた個展の事を早くも幻のように思い出すことがある。たくさんの方が来られたので、毎日いろんな話が飛び交った。今日は、その中のある日の事を思い出しながら書いてみよう。

 

……その日の午後に来廊した最初の人は、友人の画家・彌月風太朗君であった。(みつきふたろう)と呼ぶらしいが、些か読みにくい。私は名前を訊いた時に、勝手に(やみつきふうたろう)君と覚えてしまったので、もうなおらない。茫洋とした雰囲気、話し方なので、話していて実にリラックス出来る人(画家)である。彼は、このブログに度々登場する、関東大震災で消滅した謎の高塔「浅草12階―通称・凌雲閣」が縁で、お付き合いが始まった人である。ちなみに彼は私が安価でお分けした凌雲閣の赤煉瓦の貴重な欠片(文化財クラス)を今も大切に持っている。

 

 

(……ふうたろう君は、今、どんな絵を描いていますか?)と訊くと、(今は松旭齊天勝の肖像を描いています)との返事。私も天勝が好きなので嬉しくなって来る。松旭齊天勝、……読者諸兄はご存じだと思うが、明治後~昭和前を生きた稀代の奇術師・魔術の女王。小説『仮面の告白』の中で、三島由紀夫は幼い時に観た天勝の事を書いている。実は個展の前の初夏の頃に、私はプロマイドの老舗・浅草のマルベル堂に行って、松井須磨子と松旭齊天勝のプロマイドを求め店の古い在庫ファイルを開いたが、(お客さん、すみませんが今は栗島すみ子からしかありません)といわれた事があった。…ふうたろう君は(天勝の肖像は来年に完成します)と言い残して帰っていった。

 

 

 

③彌月君の次に来られたのは美学の谷川渥さん。この国における美学の第一人者で、海外でもその評価は高く、私もお付き合いはかなり古い。拙作に関しても、優れたテクストの執筆があり、拙作への鋭い理解者の人である。昨年もロ―マの学会から招聘されてバロックと三島由紀夫についての講演を行い、今回はロ―マで三島由紀夫に関しての彼のテクストが出版されるので、まもなく出発との由。……常に考えているので、突然に何を切り出しても即答で返って来る手応えのある人である。

 

……さっそく、(三島由紀夫のあの事件と自刃の謎について、いろんな人が書いているが、結局一番読むに値するのは澁澤(龍彦)じゃないですか)と私。(いや、もちろん澁澤ですね。澁澤のが一番いい)と谷川氏。(他の人のは、自分の側に引き付けすぎて三島の事を書いている。つまりあえて言えば、自分のレンズで視た三島を卑小な色で染めているだけ)と私。(全く同感、つまり対象との距離の取り方でしょ、そこに尽きますよ)と谷川氏。……今回はこの種の会話が画廊の中で暫く続いた。……そう、澁澤龍彦の才能の最も優れた点は、各々の書く対象に応じた距離の取り方の明晰さに指を折る。……そして谷川さんも私も、三島由紀夫の存在が魔的なまでに、〈視え過ぎる人の謎〉として、ますます大きくなって来ているのである。

 

 

④……その日の夕方に、東京国立近代美術館副館長の大谷省吾さんが画廊に来られた。……以前に書いたが、澁澤龍彦の盟友であった独文学者の種村季弘さんは、私に「60年代について皆が騒ぐが、考える上で本当に面白く、また大事な事は、60年代前の黎明期の闇について考える事、その視点こそが一番大事だよ」と話してくれたが、大谷さんは正にそれを実践している人で、著作『激動期のアヴァンギャルド・シュルレアリスムと日本の絵画―一九二八―一九五三』(国書刊行会)は、その具体的な証しである。昨年に私は大谷さんと画家・靉光の代表作『眼のある風景』(私が密かに近代の呪縛と呼んでいる)について話をし、それまで懐いていたいろいろな疑問や推測について、実証的に教わる事が大きかった。…画廊から帰られる時に、今、近代美術館で開催中の大竹伸朗展の招待券を頂いた。……以前にこのブログで、三岸好太郎の雲の上を翔ぶ蝶の絵と、詩人安西冬衛の「てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った」との関係についての推理を書いたが、収蔵品の質の高さとその数で群を抜いている東京国立近代美術館に行って、また何らかの発見があるのでは……と思い、個展が終了した後に行く事にした。

 

……1階の大竹伸朗展は圧倒的な作品の量に観客達は驚いたようである。描く事、造る事においては、我々表現者に始まりも無ければ終わりも無いのは当たり前(注・ピカソは七割の段階で止める事と言い残している)であるが、こと大竹伸朗においては、日々に直に実感している感覚の覚えかと思われる。……ジェ―ムス・ジョイスから青江三奈、果てはエノケンまで作者の攻めどころは際限がないが、同時代に生まれた私には、ホックニ―ラウシェンバ―グティンゲリー他の様々な表現者のスタイルがリアルに透かし見え、当時の受容の有り様が、今は懐かしささえも帯びて映ったのであった。しかしこの感想は、例えば観客で来ている修学旅行中の中学生達には、また違ったもの、……見た事がない表象、聴いた事がないノイズとしてどう映るのか、その感想を知りたいと思った。

 

……階上に行くと、件の靉光の『眼のある風景』と松本竣介の風景画が並んで展示してあり、また別な壁面には、親交があった浜田知明さんの『初年兵哀歌』があり懐かしかった。……私が今回、興味を持ったのは、ひっそりとした薄暗い壁面のガラスケ―スに展示してあった菱田春草の『四季山水』と題した閑静の気を究めたような見事な絵巻であった。咄嗟に、ライバルであった横山大観の『生々流転』、更には雪舟の『四季山水図』との関係を推理してみたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

⑤……昔、美大にいた時に、私と同じ剣道部にTがいた。Tは確か染織の専攻だったと記憶するが、演劇の活動もするなど、社交的な明るい人物であった。剣道部でも度々私はTと打ち合ったが、Tの剣さばきには強い力があった。……そのTが夏休みにインドに行くと言って私達の前から姿を消した。……しかし、夏休みが終わり後期が始まってもTは大学に現れなかった。……秋が終る頃に、大学にようやくTの姿があった。私達はTの姿、その顔相、その喋りを視て驚いた。Tは魂が抜けたように一変していたのであった。……ただ喋る言葉は「……虚しい、空しい……」の繰返しで、その眼はまるで生気を失い、虚ろであった。……Tがインドに行って一変した事は間違いないが、そこで何を視て人が変わってしまったのかは、当時の私達には無論わかろう筈がなかった。

 

……Tはまもなく大学を去り、故郷の高松でなく、京都に行った事だけが風の便りに伝わって来た。清水で陶芸をやるらしい……という噂が流れたが、それも根拠がなく、Tは結局、私達の前から姿を消し、今もその行方は誰も知らない。……Tがインドで視たもの、それは、この世と彼の世が地続きである事、つまり地獄とは現世に他ならない事の証を視てしまったのだと私達は推理した。……そして、インドという響きは、あたかも禁忌的な響きを帯びて私達は語るようになった。未だ視ていない国、しかし、そこに行っては危うい国、私達の生の果てまでも視てしまう国……として。

 

…………1983年に写真家・藤原新也の写真集『メメント・モリ』が刊行された時は、大きな衝撃であった。そして、その写真を通して、私はTが一変したその背景をようやく、そして生々しく知る事になった。………………個展が終わって間もない或る日、世田谷美術館から招待状が届いた。『祈り・藤原新也』展である。……私が美術館に行ったその日は、まもなく激しい豪雨になりそうな、そんな不穏な日であった。……(次回に続く)

 

 

 

 

 

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『降り積もる雪に想う』

大正五年の12月9日に死亡した夏目漱石は、翌10日に東京帝国大学病理学教室で長与又郎の執刀によって解剖された。長与はその後の講演で、漱石の脳を持参しながら「脳を今日持って参りましたが、夏目先生の脳はその重量に於いてはさほど著しく平均数を超過しておりませぬが廻転(しわ)はどうも非常に著しく発達している、特に左右の前頭葉と顧頂部が発達している・・・・云々」と語っている。

 

現在の東京大学医学部本館三階の南翼には、窓内が全て白布で覆われた部屋がある。医学部標本室である。私が初めてこの部屋を訪れたのは秋であった。構内の銀杏並木の黄が白布を通して透かし入り、室内がまばゆい金色に映えていた。ここの標本室には日本の近代史の暗部というべき標本がズラリと並んでいる。毒婦・高橋お伝の刺青の入った皮膚と◯◯部、阿部定が切り取った◯◯、日本において初めてマゾヒズムが裁判内で問われた某M女の皮膚(それには千枚通しで刺された無数の刺し傷がある)、・・・・等々。その部屋の一角に先述した漱石の脳の標本が「傑出頭脳」と称される参考例として、斎藤茂吉横山大観等々と共に(およそ50以上が)展示されている。私はホルマリンに白々と浮かぶそれらの脳を見ながら、「これが「それから」や「門」、これが「赤光」の創造の巣であったのかと・・・・奇妙な感慨にしばし耽ったのであった。

 

一般人と差別化された「傑出頭脳」は、なるほど学者たちにとって研究の対象としては興味深いものがあり、その研究は体系づけるようにして今日まで受け継がれているようである。しかしポジがあればネガの研究もあってしかるべきである。つまり犯罪者たちが、なぜ糸が切れたようにそれへと暴走してしまうのかという、その因子も又、脳に何らかの共通した証しが見てとれるのではないかと思うのである。しかし、私が聞く範囲に於いては、そういった暗い研究は行われておらず、又、その脳もポジの文化人のようには入手しにくいのであろう。とはいえ、昨今の閉塞した社会の映しがかつて無かったような犯罪を生み出している今日に在っては、この方面の研究にも本腰を入れてみる意味があるのではないだろうか?

 

先日、関東地方が雪で白く染まった日、私はアトリエで、3月初旬から森岡書店(東京・茅場町)で始まる新作個展のための作品を作りながら、窓外に降る雪を眺めて、数日前に私に殺人予告の手紙を送りつけてきた犯人の版画家Kの事を、ふと考えていた。そしてPCの遠隔操作で、やはり同じく殺人予告をして遂に逮捕された男、又、グアムの無差別殺人犯や、かつての秋葉原の無差別殺人犯・・・の事を思い、彼らの内に棲まう「魔」の正体について考えていた。共通して云えるのは感情をコントロール出来ず、衝動に走ってしまう、その制御力の無さと脳との関係について・・・つらつらと想いを巡らしていた。自分はこれ以上の筈と思いながら、それが現実には充たされないと、その責任を自分ではなく社会、あるいは他の個人に向けて牙をむく。ちなみに昨今、増加している「鬱病」は、不安な感情を司る偏桃体が血行不良により暴走するのが主たる原因である事は分ってきているが、犯罪へと至る人間の脳は、おそらく共通したもっと根深い部分にその因が共通してあるのではないだろうか・・・。

 

昨日、130年の歴史を誇る神田の「やぶそば」が火事になり、建物が焼け尽くした。この店は明治からの風情が残っており、私もしばしば、その度に違う面々と訪れた事があった。その中に先述した犯人もいた。その時は確か二人の詩人達もいたかと思う。明るく夢を語り、笑い声が時折、店内にも広く響いた。つまりは、・・・若かったのである。そして、その若さの内に巣食っている魔が、ゆっくりとその脳の中に瞳孔を開き始めている事など・・・おそらく本人も知る由もなく。

 

論旨が矛盾するようであるが、私達、表現者の内にもまた、別相ではあるが、魔が棲んでいる。しかし、そのデモニッシュなるものは飼いならさなくてはいけない。故に文体や方法論がその檻として必要になってくるのである。表現者たらんとするならば、いっそう〈意識的〉でならなければいけないのである。脳の負の部分も表現と絡めて対峙していけば、冒頭の漱石のように名作も又、生まれるのである。漱石の脳は病跡学でいうと、分裂症・パラノイア・同一性危機による精神障害・・・など10以上が診断されている。こうしてみると漱石や茂吉に限らず、「傑出頭脳」は対極のそれと同義にもなりうる。犯罪者は日常に牙を向けるが、私どもはそのエネルギーをアーティフィシャルなものへと向けて感性の切っ先を突きつける。その鏡面の向こうに映っているのは、あくまでも自分自身の姿なのである。こうしてつらつら考えてみると、〈芸術心理学〉の最も近い所に位置するのは或は〈犯罪心理学〉であるかもしれないという想いが立ってくるのであった。

 

アトリエの庭が白くなり、雪はその降りがいっそう激しくなってきた。少し積もるかもしれない。薄雪・・・ふと、その言葉から何故か〈プレパラート〉が浮かんできて、漱石の横に並んでいた茂吉の脳の一部が、薄くスライスされていた事を私は思い出した。それは茂吉が『赤光』の短歌の中で詠んだイメージと同じものであった。顕微鏡に脳の切片を入れて、その赤い照射を茂吉は美麗なまでに詠んでいるのである。— 美しい入れ子状の皮肉か。・・・・私は久しぶりに『赤光』が読みたくなってきた。

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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