横浜市民ギャラリー

『一期一会』

……1970年代、美大の学生の頃は川崎の溝の口に在った学生寮に住んでいたが、卒業した後は横浜の各所を転々とした。本牧、山手町、中華街と海岸通りに挟まれた山下町……10回ばかり転居したが、ずっと変わらず横浜に住んでいる。一方がざっくりと海であるという開放感と、無国籍風な如何わしさ、犯罪の臭いが漂う不穏な怪しさが性に合っているのであろう。昨今は横浜も小綺麗な街へと変貌してしまったが、私が転々としていた頃の横浜は、ノスタルジアの気配が色濃く充ちていて面白かった。その記憶の一隅に今は無い古色然とした桜木町駅が在り、そのすぐそばに横浜市民ギャラリ―が在った。……『今日の作家展』をはじめとして度々優れた企画展を発信し、東京や遠方からもたくさんの人が訪れていて活気に充ちていたのを今も懐かしく思い出す。しかし、いつしかその市民ギャラリ―も無くなり、記憶の中に幻のように今も在る。

 

 

桜木町駅

 

 

昔の横浜市民ギャラリー

 

 

1964年に開設された横浜市民ギャラリ―は、その後2度の移転を経て、2014年から新しく運営が始まった。場所も桜木町駅側から近くの丘の上へと移り、明治の頃は横浜港が眼下に映えて風光明媚を極めた伊勢山皇大神宮の側に今は在る。……その横浜市民ギャラリ―で、今月13日迄、『モノクロ―ム/版画と写真を中心に』と題した、ギャラリ―コレクション展が開催されている。……私の版画もコレクションされていて、80年代に作った版画『フランツ・カフカ高等学校初学年時代』と『死と騎士と悪魔』の二点が展示されている。他の出品作家は、一原有徳斎藤義重高松次郎宮脇愛子長谷川潔、……写真では浜口タカシ土田ヒロミ……など26人の作品が展示されている。私は個人的には、斎藤義重さん、一原有徳さん、高松次郎さんとは一期一会のご縁があったが、今日は一原さんと、写真の土田ヒロミさんについて書こうと思う。

 

 

 

『フランツ・カフカ高等学校初学年時代』

 

 

 

先ずは版画家として既に活動を始めていた26才の頃であったか、札幌でNDA画廊というのを開設している長谷川洋行という人から「個展をぜひ開催したいので、とにかく会いたい」という電話が入り、横浜、桜木町駅近くの喫茶店でお会いした。非常に熱く語られる方でその熱意に共鳴して、半年後の冬に開催が決まり、私は初めて札幌の画廊を訪れた。

 

時計台近くに在るその画廊は、大正時代に建てられた「道特会館」という石造のビルの中に在った。……薄雪が舞う中、画廊に入るとたくさんの来客で会場は埋まり、みな熱心に作品を観ているところであった。その人達は以前から私の版画のファンの方で、私を囲んで語らいが始まった。……すると突然ドアが開き、吹雪く外の雪と共に、ご年輩の男性の方が入って来た。その方は皆から尊敬を集めているらしく、その熱気が私にも伝わって来た。その人を長谷川さんから紹介され、「一原有徳」というお名前の人である事を知った。もちろん初対面ながら、その人は私が作者である事を知ると近寄って来られて開口一番、何とも言えない笑顔で「北川さん、私はあなたの作品が大好きなのです」と言われた。個展の初日に私に会う為に、はるばる小樽から札幌まで列車で駆けつけて来られたのだと言う。話を伺うと、郵便局に勤めながら、ひたすら制作に没頭する人で、版画の市場性から離れて独自な人生を悠々と歩まれている方と見た。この自在な生き方は、後年にご縁が出来た浜田知明さんとその高潔さにおいて重なるものがある。……長谷川さん、一原さん共に逝かれたが、その一原さんの大作を今回ギャラリ―で拝見しながら、こうやって共に作品が並んで展示されているのも、なんだか不思議な廻り合わせを視るようで、考えるところがあった。まさに一期一会であったが、一原さんと過ごした僅かな時間ながら、無性に懐かしく、その時の時間を幻のように思い出す事がある。……一原さんの信念をそのまま映したような、美しい黒が刻印された強度なモノタイプの作品群は、これからますます評価が高くなっていくと、ある種の断言を持って、私は強く思った。

 

写真家の土田ヒロミさんとは、ちょっと奇妙なご縁がある。(共に福井の出身)……土田さんとお会いしたのは、2011年の秋、福井県立美術館で開催中の私の個展の時であった。当時館長をされていた芹川貞夫さんに紹介されたと記憶する。……私は迂闊にも土田ヒロミさんは女性の写真家だとずっと思っていたので、全くイメ―ジと異なる年輩の男性であった事に先ず驚いた。話をしているとちょっと面白い符合が見えて来た。

 

……私は小学6年生の頃まで、福井大学工学部の塀の横に広がる森の気配に引かれ、足繁くそこに通う日々であった。森の横には小川も流れ、そこで感性を養ったと言ってもいいくらい、隠れ家のようにして遊んでいた。……今の作品に繋がるイメ―ジ舞台の原型がそこに在る。……マックス・エルンストも幼児期に近所に広がる黒い森が画家としての魂が羽化する場所であったと告白しているが、その感覚はよくわかる。……森の中には一軒の洋館があった。噂では大学教授の持ち物という事だが、それを鵜呑みにする私ではなく、何か不穏な気配をいつもそこに感じとっていた。………………土田さんと話をしたら、その森の事はよく覚えていて、あすこの森は何か異質な雰囲気があったと言う。私は嬉しくなった。更に話をして、面白い事がわかって来た。私が件のその森に入り、高い木の上に登ると、そこから大学工学部の実験棟の広がりが遥かに見えた。子供というのは何でも怪しいものと視てしまうので、その実験棟も暗く見え、大学とは仮の姿、夜な夜な何かの機械が不気味に唸る音を立てており、白衣姿の怪しい大人達の暗い影が動いているに違いない……と空想する日々であった。……しかし、私がその不穏な気配を感じとっていた7才の頃、土田さんは何と、福井大学工学部の学生として、その実験棟の中で研究する日々を過ごしていた事が話していてわかった。あの時、土田さんは塀を隔てたすぐ間近にいたのか!!……同じ森の記憶を持っている人に出逢ったのは初めてだけに、土田さんを前にして、何か遠い記憶が活性化して少し揺れた。……その土田さんの写真のタイトルは『砂を数える』という連作が出品されている。

 

 

……横浜市民ギャラリ―を出て、すぐ近くに在る『伊勢山皇大神宮』の石段を昇り、大きな鳥井の在る前に出た。かつて明治の頃は、この高台からは横浜港の絶景が見えたが、今は高層ビルの群立で海は全く見えないのはいかにも残念である。……一期一会は人との出逢いだけに在らず、風景も、そして時間もまたそうなのだと思った。

 

 

 

伊勢山皇大神宮

 

 

100年前の伊勢山皇大神宮

 

 

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