画廊香月

『個展開催中―奥野ビルの謎が解けた!!』

前回のメッセ―ジでお知らせした通り、今月の25日まで、銀座1丁目9―8の奥野ビル6階の画廊香月で個展『立体犯罪学―密室の中の十七の劇場』が開催中である(注..日・水は休み)。会場の奥野ビルは昭和7年から存在しているというから、まもなく築90年になろうとしている。このビルの存在を初めて知ったのは、『日曜美術館』での、ドイツ文学者・種村季弘さんの特集の時であった。……番組の冒頭で、カメラが、このビル内の石の階段を這うように低く、ミステリアスなアングルで映し出されていく。すると、突然、階段の途中で唐突に立て掛けられた、額に入った版画が画面に映し出され、それを幕開けとして、三島由紀夫が最も高く評価していた知の巨人―種村季弘ワ―ルドの世界が一気に開かれていくという流れであったが、観ていた私は驚いた。……何故なら、その版画は拙作の『フランツ・カフカ高等学校初学年時代』であり、種村さんの愛蔵のコレクションだったのである。後日、種村さんにお会いした時に伺ったら、番組出だしのそのアイデアは種村さん自身が考案された由(ちなみに、この作品はカフカの翻訳でも知られる池内紀さんも書斎に愛蔵されている、80年代の代表作である)。……まぁ、それはともかくとして、その番組で、このタイムスリップしたような、帝都の面影を色濃く遺す奥野ビルの存在を知ったのであったが、後日に縁あって、美術家の池田龍雄さんからお話があり、そこで個展を開催する事になるとは、これもまた面白いご縁か。

 

……さて、この奥野ビルであるが、戦時中に何度も銀座は空襲爆撃に遭いながら、何故か、この奥野ビルだけが戦禍を免れ無傷のままに焼け残り今に残ったのだという話であるが、私にはその話に引っ掛かるものがあり、何故に空襲を免れたか……という事にずっと秘かな疑問を抱いていた。しかし、その疑問が解ける日が、今回の個展でやって来た。…………先日、デザイナ―で、私の作品の熱心なコレクタ―でもある久留一郎氏が画廊に来られた。久しぶりの再会なので話題がいろいろと飛び、やがて話がこのビルの話になった時、久留氏の口から、このビルの長い歴史の中であまり知られていない或る時代の事が明かされた。……彼の話に拠ると、このビルは戦時中には、築地の聖路加病院の看護婦たちが住む女子寮であったのだという。……かつては詩人の西条八十も棲んだというが、戦時中にそういう事があったとは意外であった。……その話を聴きながら私には、戦前のある秘話が浮かび上がって来たのであった。

 

……1934年(昭和9年)に、ベーブ・ルース、ルー・ゲーリック達、アメリカ野球のMLB選抜チームが日本を訪れ、沢村栄治らを擁する日本の野球チームとの親善試合が数回、場所を変えて行われた。そのアメリカチームの選手の中にモー・バーグという名前の捕手がいた(かなり格が落ちる二流の選手)。バーグは数試合に出ただけで突然、姿を消し行方がわからなくなったが、それを気にする者は誰もいなかった。……試合が行われている頃に、築地にある聖路加病院の最上階の見晴らしの良い屋上に一人の背の高い男が手にカメラを持ちながら立っていた。……モー・バーグである。彼は野球選手でありながら、今一つの顔は〈スパイ〉であった。バーグは、浅草寺、隅田川、富士山、筑波山……などの要所を基点に入れながら360度、一望に見渡せる広角の連続撮影でパノラマ写真を撮りながら、後に日米間の戦争を見据えての精確な撮影を秘かに行っていたのである。つまり、東京を始めとする、実に緻密な情報が、戦前からアメリカは入手していたのであるから、向こうが遥かに上手である。……私は今も築地の聖路加病院の近くを通ると、その秘話を思い出して、病院の最階上に眼を遣るのであるが、その秘話と絡め合わせると、銀座の奥野ビル近辺への爆撃を意図的に止めていた事が浮かび上がって来るのであった。聖路加の病院名は、新約聖書の福音書『ルカによる福音書』を書いたと云われる聖ルカに由来し、その建物は古くからキリスト教と密接な関わりがあるので、その病院で働く看護婦たちが住む、当時女子寮であったビルだけが戦禍を免れた事は想像に難くない……とも見えてくるのである。……ともあれ、様々な人達のドラマがあり、長い時間の澱が秘めやかに刻印されている、この奥野ビルで開催されている今回の個展『立体犯罪学―密室の中の十七の劇場』は、いかにもこの建物とリンクして、相応しいタイトルではないだろうかと思っている。……その個展が始まって、会期の三分の一が過ぎたが、まだまだ25日まで個展の日は続く。……そして遠方も含めて数多くの方々が観に来られて、様々な出会いの日々にもなっている。毎日が実に充実した日々がまだ暫く続き、その後は、10月からの日本橋高島屋の個展の為の、今度は一転してアトリエでの静かなる制作の日々へと移っていくのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

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『銀座・画廊香月個展PART②』

ずいぶん昔、まだ20代の頃に、犬山市にある「明治村」を訪れた事があった。広大な敷地の中に、移築した実際の漱石の家や帝国ホテルなどの貴重な遺構が数多く点在し、まさにタイムスリップの醍醐味があって、一日中、嬉々としながら過ごしたのであった。夕刻、明治村の閉門の時が来て出る時に、「もし、この広大な敷地の中の貴重な建物の中に、そっと人が潜んでしまったらどうなるか!」……その点の警備の事に興味が湧いて、係員に訊ねた事があった。係員の答は素晴らしかった。「閉門30分後になるといっせいに犬を放して潜伏者を見つけ出します」。

 

刑務所から逃走して向島の中に10日以上潜んでいるという男の話は、辞職に追い込まれた財務省の男や新潟県知事の弛んだ話よりもよほど面白く、私は興味を持って注視している。逃走者1名VS警官2000名。……品川区ほどの広さがあるという向島。その中で今もなお(尾道に泳ぎ渡ってしまった可能性もあるが)逃走劇は続いているのである。……未だ捕まらないという今回の報道を見て、私が思い出したのは、先ほど記した明治村の犬を放つという話であった。島民を向島の一ヶ所に集めて、性格の荒いド―ベルマンをいっせいに八方から放つと、さてどうなるか!?……それを私はいま想像しているのである。この向島には20年ばかり前に訪れた事があるから、この想像は1種のリアルさを帯びて浮かんでくる。

 

この向島には1000軒以上の空き家があり、その家々をチェックしている警官は、家のチェックが終わるとその家の目立つ場所に〈チェック済み〉の緑のシ―ルを貼って次の捜査に向かうという。……しかし、その緑のシ―ルを貼ってある家(既に捜査済み)に、そのチェック法を知ってか知らずか、逃走者が夜陰に乗じて密かに入ってしまったら、事は厄介である。……この逃走している孤独な男の、追い詰められた「眼差し」に、光眩しい西海道、春ことほぎの向島の空や海や緑陰は、はたしてどのように映っているのであろうか。……この男の脅える視線がそのままにカメラのレンズとなって風景を撮したら、その写真は犯意を映した陰りのマチエ―ルを帯びて、なかなかに面白い写真が出来そうな気もする。あぁ、そのような犯意を帯びた視線のままに、また撮影の旅に出たいと思う、春四月末の私なのである。

 

―さて、24日まで開催中の銀座・画廊香月での個展も後半に入った。連日、遠方からも個展を観にはるばる来られる方が多く、私の現在の表現世界をゆっくりと時間をかけて鑑賞されている。私が造り出すオブジェの表現世界。個々がこの世に一点しかないオリジナル故に、各々の作品をどなたがコレクションされていくのかを見届ける事は、私の表現行為における、ある意味での最終行為である。私は、その作品をこの世に立ち上げた。……そして、コレクションされた方は、これから後、その作品と長い時をかけて対話を交わし、様々なイメ―ジを紡いでいく、もう一人の紛れもない作者なのである。その意味で、個展の最終日まで、私の表現活動は続いているのである。……この個展の後は、6月から開催される郡山のCCGA現代グラフィックセンタ―での、版画を主とした大規模な個展。……また求龍堂から刊行される、私のオブジェ(近作を主とした)の作品集の打ち合わせ……と、多忙な日々が待っているのである。

 

 

 

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『コレクションも創造行為である』

画廊香月での三週間にわたる個展が先日、盛況のうちに終了した。作品をコレクションされた方の六割が画廊香月の知巳の方や、ふらりと画廊を訪れた方であった。つまり、私の未知の方が即断で作品をコレクションされたという事は、コレクターの層が大きく拡がったという事であり、表現者である私にとっての大きな自信となっていくものである。私とコレクターの方との関係は、作品のイメージを中心に置いた右と左の対の創造者同士であると思っている。人生は一度限りである。私は生ある限り、この関係を今後も大切にしていきたい。

 

アトリエでの静かな時間がようやく戻って来た。庭に出ると、葉群らの間から蜥蜴が銀の光を反射して、とても美しい。一年中で最ものどかな春の一刻である。フェルメール論の執筆の際に作った〈カメラ・オブスキュラ〉を久しぶりに取り出して来て窓外を見る。不穏な地震の気配は足下でなおも不気味に動いているが、迫り来るかもしれないカタストロフィーの予感を抱きつつも、レンズ越しに見る光景は、午前の静まりを映して事も無しである。

 

 

思潮社から荷物が届いた。開けてみると、野村喜和夫氏との詩画集『渦巻カフェあるいは地獄の一時間』が現れた。遂に本が出来上がったのである。装幀家・伊勢功治氏の高い美意識と、思潮社の藤井一乃氏の詩集における可能性の追求が徹底されていて実に美しい造本となっている。刊行を記念した展覧会が5月13日から一週間、茅場町の森岡書店で開催される。17日の6時からは野村氏と私との対談が予定されている。定員は50名で参加費は2000円。聴講をご希望される方は予約制なので、森岡書店或は、このオフィシャルサイトに早めに御申し込み頂ければ嬉しい。野村喜和夫氏は文学の角度から、そして私はヴィジュアルの角度から各々が天才詩人アルチュール・ランボーの表現世界と関わってきたわけであるが、今その二つが一つに結びついて「詩画集」という本のオブジェに結実した。その経緯を二人が語り、その後で野村氏の自作の詩の朗読もある。定員に達し次第〆切のため、ぜひお早めにお申し込みください。

 

詩画集の表紙の帯に記された文「詩のことばが写真とオブジェにからまりながら、どこまでも都市を彷徨い続ける。ランボーに魅せられ、ダンテに導かれた二人の作家による、現代版〈地獄くだり〉。」が示すように詩人の野村喜和夫氏とは、〈ランボー〉を通じて不思議な感性の共振がある。その共振と異和が揺れながら結晶となった、極めて美麗で、危うい毒が詰まった本である。

 

お申し込み:森岡書店

Tel: 03-3249-3456(13:00〜20:oo)/E-mail: info@moriokashoten.com

 

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『個展がまもなく終了』

画廊香月での個展も残り数日(27日まで)となった。今回の大きな成果は、今までに私の作品をコレクションされている方々に加えて、未知の方がかなりの数で、私の作品と直接出会い、コレクションされていっている事である。昨今の、存在感の薄い作品を作る作家が多い中で、「芸術は美と毒と深いポエジーを併せ持った強度なものでなくてはならない!!」という私の信条と、画廊香月のオーナーである香月人美さんの理念が一致しているせいか、この画廊を訪れた方の多くが、その事を理解しており、実に手応えのある個展になっている。今回の個展を勧めて頂いた先達の美術家の池田龍雄さんも時折、画廊に来られて成り行きを見守って頂いている。本当に有り難い事であるし、私は池田さんと御会いする度にとても良い波動を頂きプラスのエネルギーとなっている。昨年の秋から数え、七ヶ月で七回の個展を開催して来た。たいていの作家が、決められた、たった一つの画廊で二年に一回のペースで個展をやっている事を思えば、ギネス入りのようなペースで駆け抜けて来たわけであるが、この画廊香月での個展を節目として、しばらくは個展は行わない。「風林火山」ではないが、動く時は疾風のように駆け抜け、静まる時は無明に見る山影のごとく、全くの静まりの中へと私は入ってしまう。すなわち次に備えての、というよりも、次なる未知のイメージの領土に向かって行く為に、感性を研ぐのである。とは云え、個展は行わないが、五月は詩画集の刊行記念展(森岡書店)、六月は『名作のアニマ –  駒井哲郎池田満寿夫・北川健次によるポエジーの饗宴 』(不忍画廊)が続いて予定に入っている。

先日、早稲田大学の近くで、思潮社の藤井さん、装幀の伊勢さんと集い、詩画集に入れる作品の色校正の最終チェックを行った。実に美しい仕上がりで、今月末の完成が待ち遠しい。また不忍画廊では、六月の展覧会と合わせたように駒井哲郎氏の名作が集まり、池田満寿夫氏の作品は、普段はあまり見る事の出来ない、西脇順三郎氏との詩画集の名作『トラベラーズ・ジョイ』が展示される予定になっている。駒井・池田・両氏のポエジーの在りようは異なるが、各々に銅版画の権能において極を究めたものである。なかなか見応えのある、昨今に類のない展覧会になるであろう。

 

話は戻るが、画廊香月での展示は、香月人美さんのアイディアで、(壁面に、まるで映画などに登場するイギリスの館の壁面に夥しく掛けられた絵のごとく、)作品が全面に展示されている。私も以前から密かに一度はやってみたいと思っていたこの展示法を、遂に香月さんは断行し、今までになかった効果を上げてコレクターの方にも好評である。どの作家にも出来るという展示法ではないが、私の作品においては非常に画期的な良い効果を上げていることは確かである。そこから考えて、私のイメージの特質もまた見えて来ようかと思う。ともあれ、個展はしばらくは封印となる為に、まだ御覧になっておられない方には、ぜひ御覧頂きたい今回の個展である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『未知の方との出会いを求めて』

御覧になって頂いているこのオフィシャル・サイトは、個展を開催している地域以外の方から度々届く御手紙がきっかけに立ち上げられる事になった。それらの文面には、私の作品を見たいのだが地元には画廊が無い為にそれが叶わない。出来れば作品も入手したいし、折々の情報も知りたい・・・・という内容が数多くあり、その点と点が繋がっていないものを繋ぐものとして実現したのである。かつて版画集を刊行した時は、計七つの種類の版画集がいずれもだいたい三ヶ月くらいで全て完売となってしまった為に、版画集を入手出来なかった方がかなりおられる事をその後で知った。その方たちは限定版が全て絶版となった為に、15部のみのAP版の作品を個々に求められる事になるのだが、それもだいぶ残りが少なくなってきてしまった。個展以外では、このオフィシャル・サイトでの作品入手が可能であるが、このサイトを通して自由に作品をコレクションされる方が、最近増えてきているからである。

 

現在個展を開催中の画廊香月のオーナー香月人美さんは、前回のメッセージで記したとおり、美術家の池田龍雄さんからの御紹介でお知り合いになれたわけであるが、画廊で香月さんとお話をしていて、なかなかに人間として多彩であり、ギャラリストとしても逸材の人であるという事がわかってきた。人生は一度きりである。故に良き人との出会いは大事な意味があるのである。私は先達の池田龍雄さんに感謝しなければならない。画商とは企画一本で貫いている精神が骨太の画廊主のみを指すわけであるが、その本当の意味での画商が少なくなってきた。香月さんは勿論、この画商と云える数少ない人であるが、この人の強みは、その人間性の豊かさゆえに、全国からこの画廊を訪れる人が多いという事である。私が画廊にいると、そういう未知の方との出会いが多く、今回はいろいろな方を知る機会が一気に増えた。何しろ画廊を訪れる人が多く、人の絶え間がないのである。そして嬉しいのは、その方たちの求めているものと、私の作品が照応し、大作の銅版画『ドリアンの鍵』や一点物のオブジェがかつてない勢いでコレクションされていっている事である。ちなみに『ドリアンの鍵』は、〈二次元のオブジェ〉という言葉で私が表現している代表作であるが、最近この作品に対する評価が更に高まってきている事は、作者として嬉しい手応えを覚えている。

 

かつて池田満寿夫氏は「作者にとって最大の批評は、その作品がそれを賞賛する人にコレクションされる事である。」という名言を記しているが、これは至言である。それを証すように、初日の個展が始まる時間の前に地方から早くも画廊香月に来られた方があり、その場でまとめて四点の作品を購入された事は、この個展に際しての私の大いなる励みになっている。又、私が画廊に不在の時に来られた方がおられたが、後で香月さんから、その方が100点以上も私の版画やオブジェ、そしてコラージュをコレクションしている日本でも代表的なコレクターである事を知った。勿論、私にとっては未知の人である。最初に記したように、私の存じ上げない方も含めて、全国にはかなりのコレクターの方がおられるが、実際に個展が出来る機会は限られているので、このオフィシャル・サイトでの情報発信を続けながら、まだ出会ってはいない、しかし私の表現世界と感覚が直結する人たちとの出会いを求めて積極的にやっていきたいと思っている。安定を求めず、常に新しいイメージの狩猟場へと感性を動かしながら、表現者一本だけで生きているわけであるが、この崖っぷちに身を置く事でのみ、はじめて見えてくる絶景というものがある。そして、その凄まじい絶景の享受こそが、プロのみに体感出来る醍醐味であると思っている。表現者にとって〈安定〉こそは、メンタリティーの落ちる最大の敵なのである。

 

昨年の秋から八ヶ月で八回、毎月異なった個展を開催して来たが、五月には、思潮社から刊行される、詩人・野村喜和夫氏との詩画集刊行記念展があり、六月は東京の不忍画廊で『名作のアニマ ー 駒井哲郎・池田満寿夫・北川健次によるポエジーの饗宴』が予定されている。画廊香月での個展は残り二週間となった。自信作を集中的に展示した密度の濃い集大成的な内容になっているので、ぜひ御覧頂きたい今回の個展である。

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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