白川巽橋

『交尾を見ながら考えた事』

……「あぁかけすが鳴いてやかましい」と詠んだのは、詩人の西脇順三郎であるが、ここアトリエの前にある桜の樹の上では、先ほどから蝉がしきりに鳴いてやかましい。ジリジリと実にやかましい。あまり異常に鳴くのでさすがに見に行った。……見上げても樹の色に同化した蝉の姿はわからないが、鳴き声のする高みを注視すると、そこに蝉がいた。普段は行く夏を惜しむ抒情の風物として聴こえるが、それにしても今日の蝉の鳴き声は尋常でない。……夏の終わりに急かれたのか、雌を求めて必死に雄が鳴いているのである。

 

……すると別な樹の上から1枚の葉がハラリと落ちたかと思うや、急に風が吹いたようにその雄の側に流れてピタリと停まった。強さを誇示する鳴き声に誘われた雌が遊び女(あそびめ)のように翔んで来たのである。しかし、雄のすぐ横にくっつくのではなく10㌢ばかり間をとっているのは、お安くはないのよ!と言わんばかりの、雌なりの矜持か。見ていると、動かない雌に焦れた雄が下に下がり、次に雌の背後に忍び寄って、約束事のように交尾が始まった。けっこう長い時間、交尾が続き、時おりジジッ、ジジッ……というわけありな声を雄が発している。

 

その交尾中の雌雄の姿を見ていると連想が浮かんだ。……借金の返済を迫られている雌(もとは遊女、今は堅気の商家の妻)。その雌を力尽くで手籠めにしている豪商・穀田屋五兵衛(執拗なかつての男)……。場所は……京都、そうなるとやはり白川辺りが相応しいか。すると、私は雌のすぐそばに、どうしても健気で気丈な娘を配したくなった。……こうなってくると連想が止まらず、物語の一コマがありありと浮かんで来る。私はやはりこういう場面では、水上勉の小説『しらかわ巽橋』が相応しいと思い、記憶の中の登場人物たちの台詞をそこに重ねた。……祗園の一等地である白川巽橋の付近で、焼き鳥の屋台を引いて女手ひとつで娘島子を育てる、茶屋の女中上がりの勝代。……勝代は島子に言う、「〈男は女を喰いものにする動物や、負けたらあかん……うちらは、この世で、ふたりきりや。男を鼻であしらう女にならな、生きてゆけん〉」。すると島子が言う、「そうや、うちも出直しや」。

 

 

 

……私はなおも考えた。……私はそのような事を連想したが、ではこの蝉の交尾現場を見ながら、他の人はどう思うのかと。私の大学の後輩のS・H君(自称spiritual・artist いわき市在住)は、世界の万象全てをエロティシズムの視線で視てしまう特殊な能力というか、煩悩の持ち主なので、『O嬢の物語』的な禁忌、禁断のイメ―ジをそこに過剰に紡いで、おそらくは一人でうち震えるであろう。

 

また上智大学神学科を出て、暫くボロ―ニャ大学で教鞭をとっていたアベ―レ神父(A proposite del prete Abele)ならば、そこに神の荘厳を視て十字を切り、小説の神様と云われた志賀直哉ならば、人間の理性では御し切れない動物的な側面を、人間のどうしようもない業として描いた『暗夜行路』の如く、その微細な動きを容赦ない観察者の眼で写し取り、生の見立てをそこに重ね描くであろう。……要するに同じ事象でも、それは観る人の感性の違いで様々に異なって脳内で再び変容するのである。漱石が『草枕』の中で書いた「……ただ、物は見様でどうでもなる。レオナルド・ダ・ヴィンチが弟子に告げた言に、あの鐘の音を聞け、鐘は一つだが、音はどうとも聞かれるとある。一人の女も見様次第でいかようとも見立がつく。」と書いたように。

 

……これは表現作品を観賞する際に全て云える事である。……例えば、映画や演劇、ダンス、能、歌舞伎、音楽……などを観たり聴いたりする時に、会場に1000人の観客がいたとしよう。すると、その作品を観た観客は全て同じものではなく、各々の感性の違いによって実は脳内に映った異なったものを観ている事になる。……ここに、実は内的感動としての1000のかそけき孤独が各々に生まれるのであるが、しかし、劇場の暗い闇の中でその1000の孤独から派生した各々の熱い「気」のようなものが空間で不思議な〈交感〉を産み、そこに生まれる熱いものがエモ―ション(感動)となって、観る人達に相乗した感動をもたらし、その時にこそ、その作品も本当の作品となって立ち上がるのである。

 

……故にそれは、やはり実体験としてのライブ(生)でなければならないのである。(……但し、今私が云っているのは、あくまでも優れた表現作品にのみ云える事であって、凡な駄作は全くこの限りではない。)……また、美術、文芸の詩や小説などは、観賞享受の構造があくまで1対1の関係性ゆえに、作品との孤独な対話さらには観照は、ついに孤独な深化を極める事となる。……ここまで書くと、かつてオランダ・デン・ハ―グのマウリッツハイス美術館で観たフェルメ―ルの代表作『デルフトの眺望』の事を思い出す。この神性の宿りと云っていい美しい作品を観たプル―ストやゴッホ、ジャン・コクト―達が孤独ゆえの熱い感動を各々に文章で残しているが、私も熱い感動をそこに覚えたものであった。その感動とはつまり、いま自分が確かに生きている事の真の高揚感であったと云えるものであるが、この感動は孤独な一人であったからこそ生まれたものであり、もし連れがいたなら、この感動は薄まっていたに違いない。

 

 

なおも私は考えた。私の人生とは何であったかと。その答えの一つとして、想えば、私の人生は交尾ばかり観て来た人生であったのでは……というふうにも云えるだろう。犬や猫の交尾は誰もが見ている。……それに加えて私は蟷螂(カマキリ)の交尾を視、その交尾中に雌によって雄が頭から食べられているのを見た。乾いたパリパリというその音は今もありありと記憶にある。蜥蜴も見た。珍しいのは鶴の交尾であった。……これは正に寸秒で終わるアクロバティックな難易度の高いもので、私は鶴の雄に同情したものである。…そして、今見た蝉の交尾。…… 更に私は、そのものずばり『交尾』という題の小説を書いた梶井基次郎の事を思った。梶井がその小説を書いた現場が見たく、学生の頃に湯ヶ島の梶井が滞在していた宿にはるばる行った日の事を。

 

ふと樹の上を見やると、雌雄の蝉は何処かへと消えていた。あとには蝉の形の妙だけが残った。丁度、幼児の円く膨らませた掌を伏せて、そっと引くと、そこに蝉の幻の形が立ち上がる。そんな感じである。……すると高村光太郎の木彫りの名品『蝉』の事が頭に浮かんだ。光太郎は木彫りの彫刻の方が断然にいい。

わけても『蝉』は、『鯰』や『柘榴』と共にいい。……最近、高村光太郎の事が何故か気になって仕方がない。……高村智恵子が亡くなった後、酒に酔った光太郎が三河島の呑み屋で「智恵子は俺のこの手で焼いたんだ」と、独り呟き、またロダンに憧れ、はるばるパリに会いに行きながらも、実は会わずに、しかしまるで会ったかの如く装う光太郎の内なる矛盾と闇の深度に関心があり、そこが日本近代史の一つの切り口になると私は睨んでいるのである。…………………………そう思っている間に時間がずいぶん経ってしまったので、そろそろアトリエに戻らなくてはならない。……10月20日からの高島屋の個展に向けて、『聖セバスティアンの殉教』を私は今、制作中なのである。

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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