福井県立美術館

『……大日本陸軍の闇がそこにはゴッソリと!!』

①……よく知られているように、江戸川乱歩は強度な「隠れ蓑願望」の持ち主であった。自分にまとわりついている社会的な属性を一切捨てて、見知らぬ町に隠れ家を見つけて住み、もう一人の自分として別な呼吸をして生きたいという、一種の変身願望である。私にもそれは多分にあって、時々遠方の地を歩きながら、隠れ家にむいたエリアを物色している時がある。

 

……最近気にいっている場所は谷中・初音町。…(はつねちょう)という響きが実にいい。森鴎外樋口一葉が愛した谷中の墓地からも近く、鴎外の『青年』の舞台としても登場する。必ずやいつか!……と思っていたら、この場所に先客がいるのを最近知った。その住人とは、……ゲゲゲの鬼太郎である。漫画にはこう書いてあった。

 

「……東京に、こんな古めかしいところがあるかと思われるような谷中初音町に……おばあさんと孫が、昔おじいさんが三味線を作った残りかすの猫の頭などを売っていたが、今時こんなものを買う人もない。そこで二階を人に貸したのだ。借りた人は鬼太郎たちである。……」 隠れ蓑願望の強かった水木しげるもまた、谷中初音町にアンテナがいっていたのかと思うと嬉しくなってくる。ともかくそこは、昔から全く時間が動いていない、停止した空間なのである。

 

 

 

②私の出身地である福井のギャラリ―サライ(松村せつさん主宰)では、10年前から隔年毎に私の個展が開催されている。今年はその開催年になり、4月1日から今月末まで開催中である。私は初日から3日間の慌ただしい滞在であったが連日画廊につめていた。……初日の夜は、福井県立美術館、そして福井市美術館の館長はじめ学芸員の人達が多数集まり、歓迎の宴を催してくれた。また3日目は、高校の美術部の後輩達がこれもまた小料理屋での宴を催してくれたりと、懐かしい人達との嬉しい再会の時間が流れていった。

 

中2日目は、福井新聞社編集局の伊藤直樹さんが記事の取材に来られ、私のオブジェの特質である「二物衝撃」と、観者の人たちの想像力の関係の不思議について話をした。伊藤さんは実に思考の回転が早く、話す事の核心を的確に汲み取る人なので、話をしていて実に手応えがあって愉しい。……また、画家のバルテュスとも個人的に親交が深く、近・現代版画の優れたコレクタ―であり、そして私の作品も多数コレクションされている荒井由泰さんが来られ、最近新しくコレクションされたという谷中安規の代表作「自画像」の版画(微妙に刷りが異なる珍しい二種類の版画)を見せてもらい勉強になった。

 

……ギャラリ―サライの松村さんは人望があるので、来客が実に多い。……その中で一人の男性の方が静かに語りかけて来られ、「北川さんは、戦時中に武生(福井県)に陸軍の中国紙幣の贋札工場が在ったのをご存知ですか?」と切り出して来られ、私の関心は一気に沸騰した。この魅力的な切り出しは「その話、じっくり聴かせて頂こうではないですか!」となって来る。……名刺を頂いた。見ると、先ほどの伊藤さんと同じ福井新聞社の論説委員の伊予登志雄さんという方であった。「北川さんのブログは毎回拝読しています。実に面白いので、あのブログは纏めてぜひ本にすべきです」と言われ、有り難いと思う。……それから、伊予さんが語られた話はどれも戦慄する内容の洪水であった。

 

……戦時中の「アメリカ本土を攻撃した風船爆弾」スパイのゾルゲ事件」「人体実験で知られる731部隊」「日本陸軍が作製した精巧な蒋介石の顔を印刷した贋札工場」「帝銀事件」……と、次々に伊予さんが話される大日本陸軍の闇、闇、闇の具体的な話。伊予さんは以前にその関係者や生存者に直接会って取材して来られたという経緯があるので、話の重みと迫真力が違う。そして、それらの実際の現物や資料が、神奈川県川崎市の多摩区東三田にある明治大学生田キャンパス内の『登戸研究所資料館』(この資料館の在る場所が、戦時中に実際の機密組織として様々な研究や活動をしていた場所)に保存されていて一般に公開されている事を教えて頂いた。……松本清張の『日本の黒い霧』『小説帝銀事件』など殆どの著書を読破している私としては、この伊予さんとの出会いは天啓であったと言えよう。

 

〈…………しかし、2年前にこのサライで個展があった時は、佐伯祐三について来客の方と話をしていたら、その隣にいた方が話に入って来て、実に佐伯について詳しく話され、「明日、北川さんに面白い本を持って来るので良かったら差し上げますよ!」と言われ、早速翌日にその方が来られて『二人の佐伯祐三』(馬田昌保著)という本を頂いた。いわゆる佐伯祐三にまつわる贋作事件、それに連座してのこの国の美術評論家の実態、福井の武生市が女性詐欺師に騙された話など、それまで切れ切れであった話がこの本で一気に繋がった。……私の気から発する何かがその人達を喚んでいるのか、ともかく不穏な話、興味深い話が何故か自ずと集まって来るのである。〉

 

 

 

③私はフットワークが実に早く、そして軽い。横浜に戻って直ぐに大日本陸軍の闇を書いた本を図書館で借りて来て読み、件の『登戸研究所』にさぁ行こうとして、ふと郵便受けを開くと伊予さんから詳しい資料が入ったお手紙が届いていた。正にこれから出発という、その絶妙なタイミングである。「今から行って来ます」と伊予さんにメールして電車に乗った。

 

小田急線の生田駅を下車して件の研究所を目指して坂を上がって行くと、まもなく大学構内に入る。……するとさっそく不穏な建物が出迎えてくれた。「弾薬庫」と呼ばれる暗い廃墟である。

 

研究所内に入ると係の方の説明があり、何室かに分けられた資料室があり、731部隊、スパイ養成所であった「陸軍中野学校」、特務機関、諜報・謀略活動……暗殺の為の腕時計…、贋札の実物、…等々、わけても私の注意を引いたのは、部屋の隅にさりげなく展示されていた帝銀事件の際に犯人が実際に使用したのと同じ型のスポイド、被害者の銀行員たちが呑まされて多数が毒殺された湯呑み茶碗であった。実に生々しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……敗戦と同時に「特殊研究」に関する書類や実験器具は焼却、埋設処分するなど証拠隠滅作業は徹底的に実施された由なので、この研究所内に原物がいろいろ展示されている事自体が奇跡に近いかと思われる。研究に関わっていた人達はGHQによって徹底的に尋問を受けたが、不思議にも実際に戦犯指名を受けた者はいないという。何故か!?……考えられる事は唯一つ、731部隊の隊長、石井四郎と同じく、当時のアメリカ軍に情報提供を条件に免責された可能性は大きいが、真相は遂に闇の中へ。………………今回は撮影して来た写真を掲載して終わりとしよう。とまれ百聞は一見に如かず。ご興味がある方は、この研究所見学をぜひお薦めしたいと思う次第である。

 

 

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『プラトリーノの遠い夏』

曇っているが蒸し暑い。じめじめした不快な夏が続いている。こういう時は、カラッと晴れた事を書こう。イタリアの七月の遠い日の事を書こう。

 

澁澤龍彦の『滞欧日記』(河出書房)を開くと、1981年7月15日の日付のある日には次のような一文がある。「・・・プラトリーノ荘の場所を万知子に聞いてもらったら、直ぐわかったので、さっそく車で行く。ボローニャ方面へ行く道で、山道にさしかかる。いい所だ。道にPratolinoの標識あり。道の右側に大きな門。運転手が番人を呼んで説明するが駄目らしい。チップを渡そうとしたが受け取らない。どうにも仕方がない。門だけ開けてくれて、ここから500メートルほど行ったところに巨像があるという。塀のくずれたところから広大な庭を覗き込むが、巨像らしきものは見えない。おそらく鬱蒼たる杉の林の中に隠れているのであろう。坂斉君の望遠レンズでのぞいてみたが、やはり見えない。・・・・・」

 

ここで澁澤が書いているプラトリーノ荘とは、フィレンツェの北方12キロほどにある旧メディチ家の別荘の一つ(20近くあった内の)である。そこに在る巨像とは「アベニンの巨人像」の事であり、イタリア半島の脊梁ともいうべきアベニン山脈を巨人に見立てたもの。ちなみにかのミケランジェロのイメージの中に巨人幻想のイメージがあるが、それはこの像を彼が見た事に拠るという。おそらく澁澤が訪れた日は閉園日であったのであろう。

 

私がそこを訪れたのは、澁澤の時から丁度10年後の奇しくも同じ7月15日の午後であった。広大な庭の中にメディチ家の壮麗な館が在り、杉林の中を行くと、やがて、とてつもなく大きな巨人像が見えて来た。しかし途中から立入り禁止の不粋な柵があり、2、30人ほどの観光客がうらめしげに巨人像を遠望している。見ると、巡察のパトカーが近くにあり、銃を持った二人の警官がまさに乗り込むところであった。ものものしい雰囲気の中、パトカーがゆっくりと動き始めた。人々がそれを目で追っている。私は柵の所から人々と同じように巨人像を眺めていたが、頭にふと閃くものがあった。(・・・今、パトカーが去って行ったという事は、・・・おそらくは30分間くらいはこの広大な敷地の中を巡るのであろう。・・・と、すれば、今こそはまさに好機ではあるまいか!!)

 

私は意を決して柵を乗り越え、その巨人像を目指して歩き始めた。背後に人々の驚きの声が聞こえるが、もはやそれは私の意の外である。真下に来て像を仰ぎ見ると、思った以上の大きさ、身震いする程の威圧感が私に降り注いでくる。500年以上前に作られたこの強度なイマジネーション。像の台座となっている巨岩の背後に廻ると、そこに小さな洞があった。察するに、かつてその暗がりの中に小舟を浮かべたルネサンスの貴婦人たちが恋人たちと共にそこから眼前の大きな池へと、優雅に滑り出して行ったのであろう。私はその暗い洞へと入った。するとひんやりとした冷気が私を包み、私は彼らと同化するようにして、ルネサンスの時の中へと遊ぶ想いがしたのであった。そこには不思議な気をもった風が吹いていた。

 

館の中を巡り、私は杉の林立する庭を歩いた。すると草むらの中に一枚のカードが落ちているのが目に入った。拾い上げると、真っ赤な色でAの文字が刷られている。その瞬間、まさに一瞬で作品のインスピレーションが立ち上がった。そして私は、その作品(オブジェ)に、その時から400年以上も前にこの場所を初めて訪れた日本人ー 天正遺欧使節と呼ばれた四人の少年たちのイメージを注ぎ入れようと思った。少年たちの名は、伊東マンショ千々石ミゲル中浦ジュリアン原マルチノ。そう、後に悲劇が彼らに待ち受けている事も知らずに、かつてこの地の全ての光景に目を輝かせた無垢な魂にフォルムを与えようと思った。そして、そこに今一人の少年である私を加え、その時間の時の長さの中にポエジーを入れようと、その場でたちまち閃いたのであった。タイトルは『プラトリーノの計測される幼年』にしよう。そしてイメージの立ち上げの初めに先ずは、このAの文字の記されたカードを、そのオブジェに入れようと思った。その夏の日から半年後に私は帰国して、その時の閃きのままにオブジェを作った。その作品は、今は福井県立美術館の収蔵となっている。

 

暑い夏が訪れる度に、私はそのプラトリーノの夏を思い出す。そして、まるで導きの恩寵のように、何故か場違いな場所に落ちていたAの文字の記されたカードの不思議について、私は遠い感慨に耽るのである。

 

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『福井へ ー 貴重な体験の旅』

2011年の秋に福井県立美術館で開催した個展以来、1年半ぶりに福井を訪れた。福井から車で40分ばかり行くと、昔日の良き面影を残す勝山市がある。そこに住まわれているコレクターの荒井由泰さん宅を訪れて、荒井さんが所有されている700点近い膨大な数の版画コレクションの中から、現在企画が進んでいる或る展覧会の為にお借りする作品を選ぶのが、今回の旅の目的なのである。荒井さんは数多くいるコレクターの中でも突出した鋭い感性を持つ炯眼(けいがん)の人である。そのコレクションはそのまま日本版画史にとどまらず、近代の西洋版画史の正統を映している。私の作品も50点以上持っておられるから、身近な心強い存在でもある。ちなみに画家のバルチュスとも親交があり、バルチュスも来日した際に勝山の荒井さん宅を訪れている。

 

私はコレクションの中から、じっくりと時間をかけて、ルドン駒井哲郎・サルタン他を選んだ。又、今回訪れた成果として、私の恩地孝四郎への認識が高まった事は、望外の収穫であった。恩地は版画に留まらず、美術における実験的なパイオニア精神の先駆者である。版画・詩・写真・評論と云った多角的な表現活動、・・・・思えばいま私が挑んでいる姿勢を、恩地は先人として生きたのであった。荒井さんの、それも実に深い恩地に対する眼差しから収集されたコレクションの膨大な作品を見て、私は教わる事が大であった。

 

夕刻に荒井さんのご好意で福井県立美術館まで車で送って頂いた。現在開催中の『ミケランジェロ』展(8月25日まで)を見るためである。この展覧会はこの後、上野の西洋美術館へと巡回するが、私はこれを見るのを楽しみにしていたのである。それが幸運にも時期が重なったのであった。昨年の秋に日本橋の高島屋で個展を開催していた折、芹川貞夫さん(当時・福井県立美術館館長)が来られた。『ミケランジェロ』展の開催の為に、フィレンツェにあるカーサ・ブオナローティ(ミケランジェロの館)を訪れ、ここに保存されている作品を選別して戻って来られる途次あった。芹川さんの選別ならば、かなり良質の展覧会になるであろう事を予感していた。

 

しかし会場に入って私は驚いた。普通、昨今の美術館の展示では、目玉作品を数点だけ集中して展示し、残りは同時代の画家の凡作を並べるのが多い。フェルメール展、ダ・ヴィンチ展しかり。しかし、会場に展示されている作品のことごとくが、ミケランジェロの作であり、わけても驚いたのは、カーサ・ブオナローティの秘宝であり、ルネサンスの一つの極でもある『レダの頭部の習作』が展示されていた事であった。私の予想を超える充実した内容である。私はかつて大英博物館の「素描研究室」に研究員の名目で入れてもらった折、ミケランジェロの素描を百点近く、直接見せてもらった体験があるが、ミケランジェロの素描の頂点と云っていい『レダの頭部の習作』は見れなかったが、遂にそれが果たせたのである。又、14歳頃に彫った『階段の聖母』、そして『天地創造』『最後の審判』他の凄まじい構想を示す数多の素描が展示されていて私を驚かせた。そして最後に、ほとんどの画集に載っていない、ミケランジェロ晩年の実に小さな木彫が展示されており、私の目を惹いた。この展示を見た後で、私の意見を聞くために待っていた新聞社のA氏と、学芸員室でその作品の主題について、興味深いミステリアスな推理をし合った。大阪の大学の研究者は、「奴隷」ではないかと云うが、私はそれが晩年の作であるところから、「磔刑」か「ピエタ」の説を語った。頭部のずり落ちたような傾きは、死によって筋肉を支える力を失くした様態のそれである。「奴隷」のような力はもはやここにはない。晩年に彼が執着した未完成作「ロンダニーニのピエタ」への伏線を私はそこに見る。しかし、それにしてもこの木彫は、今後もっと研究されるに値する質の物であると思った。ともあれ、現在、日本の美術館で開催されている展覧会としては最高にレベルの高いのがこの「ミケランジェロ」展であると思う。この質の内容は今後、実現がおそらく不可能なものであろう。美術ファンの方は必見の見応えのある展覧会である事を、私は確信を持って申し添えておこう。

 

夜、足羽川河畔にある常宿の旅館に泊まった。最上階の温泉の窓からは、秀吉が柴田勝家を攻める時に陣を張った、小高い足羽山が見える。その中腹には私の遠い親戚にあたるらしい橘曙覧(江戸末期の歌人)の資料館があり、麓には、女装して女風呂に入って捕まってしまった中学時代の友人Fの家が見える。デュシャンに心酔していたというFは、今どうしているのだろうか・・・・。目を左に転ずると幕末の横井小楠や由利公正の旧居跡があり、暗殺される10日前にこの足羽川を舟で渡った坂本龍馬の面影が立ち上がる。そして何より、自分の子供の頃からの様々な思い出が蘇る。さぁ、明日は東京の美術館の学芸員の方と合流して再び荒井さん宅を訪れるのである。秀れた先達の作家の作品を直接見れるという体験は、貴重な何よりの充電なのである。

 

 

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『シェイクスピアは別にいた』

新年早々におもしろい映画を観た。タイトルは『もうひとりのシェイクスピア』。200年以上前からささやかれていたシェイクスピア別人説(つまり、シェイスピアは仮の名で実作者は別人であった)に迫る第一級のミステリーの映画化である。私たちの知っている(と思っている)男、英国ストラトフォード出身のウィリアム・シェイクスピア(1564~1616)という人物は、実は読み書きの出来ない商人の息子。そんな男に、高等教育を受けなければ得難い学識や、宮廷生活、外国語にも通じていてはじめて執筆可能な芝居「マクベス」「リチャード三世」「ロミオとジュリエット」などの戯曲が書けるはずがない。ゆえに間違いなく作者は別にいたという推理の視点から始まり、文武に秀でた貴族エドワード・ド・ヴィア(オックスフォード伯)に実作者としての焦点が絞られていく。事実、この人物に冠せられたあだ名は「槍をふるう人(spear-shaker)」であるが、それを反対にすれば(shake-spear)、つまりシェイクスピアになる。他にもフランシス・ベーコン説など幾つかあるが、ともあれ、キューブリックの『2001年宇宙の旅』を私は〈視覚による進化論〉と評しているが、この映画はその意味で〈視覚による第一級のミステリー〉といっていいほどの面白さであり、ぜひお勧めしたい映画である。

 

私がシェイクスピア別人説に興味を持ったのは今から二十年以上前である。私のアトリエにはシェイクスピアのデスマスクとして伝わる石膏像があった。それはいわゆる私たちの知るあの有名な面相をしているが、もし別人説が事実であるとすれば、今私が持っているマスクは果たして何者なのか!?という事になり、マスク自体が更なる仮面性を持って入れ子状の無尽の謎が立ち上がって来た。その勢いのままに、ここに掲載したオブジェを一点作り上げたのである。画面ではよく見えないかと思うが、この二つのマスクは何本もの細いピアノ線で編むように結ばれており、全体の形状は、円というよりも横長の楕円状である。楕円は私が最も好む形であるが、それは、平面上の二定点からの距離の和が一定となるような点を連ねた曲線(長円)の事を言う。つまり、中心点(焦点)が二つ在るという意味で、それはシェイクスピア別人説の意味とピタリと重なるのである。オブジェという言葉は、日常的に人々は安易に使っているが、フランス語の本来の意味〈正面性を持って迫ってくるもの〉から深めて、私における意味は〈言葉で語りえぬものの仮の総称〉として存在する。その意味でもこのシェイクスピアというモチーフは恰好のものであり、私は個展で発表する作品ではなく、私的な作品としてこれを作ったのであった。別ヴァージョンとして、反対称と鏡を主題とした版画集の中に所収した銅版画を一点作っているが、ここに掲載したオリジナルのオブジェを実際に見た人はおそらく少ないであろう。この作品は制作した直後に、アトリエに作品購入の件で来られた福井県立美術館の館長である芹川貞夫氏の目に止まり、今は他のオブジェの代表作と共に美術館のコレクションに入っていて、私の手元には既に無い。

 

私がシェイクスピア別人説に興味を持ってオブジェを制作したちょうど同じ頃に、この映画の脚本を書いたジョン・オーロフと監督のローランド・エメリッヒは、やはり別人説に興味を持ち、封印された完全犯罪に挑むようにして、この度実現した映画化の準備に着手していたようである。日本でいえば、ちょうど関ヶ原の合戦の頃にシェイクスピアは円形劇場のグローブ座を建てているが、当時のロンドンの街並みがリアルに再現されていて目をみはるものがある。ロンドンはやはりミステリーがよく似合う。私は久しぶりにイメージの充電をした思いで、映画館を後にしたのであった。

 

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久しぶりに横浜を離れ、越後湯沢を経て、秋の深まりを見せる日本海側に出て富山の地を訪れた。今回で七回目となる私の個展が開催されているぎゃらりー図南に行くのである。今回の個展は『Muybridgeの緑の線上に沿って』。連続写真を撮影したマイブリッジへのオマージュを込めた連作を中心とした三十点近い新作の展示である。

 

ぎゃらりー図南は開廊して20年になる。オーナーの川端秀明氏は開廊当初から私の作品に興味を持たれ個展を開催したいという希望を抱いておられたが、東京の方の画廊と契約をしている作家だと思われていた由。しかし、八年前に友人の版画家A氏を通して打診があった際、私はハッキリと、自由な立場であり、唯、信念のある画廊、そして美意識の高い人物とのみお付き合いをしている旨をお話しした。版画家のA氏は私の信頼している人である。A氏のご紹介ならば確かな人であろうという直感を抱いていた。実際にオーナーの川端秀明氏に御会いしてみると、私はたちまち旧知のように打ち解けた。そればかりか価値観までも共通し、私はもっと早くに川端氏と出会っていなかった事を悔やんだ。そればかりではなく、第一回目の個展から数多くの作品が、この画廊のコレクターの方々にコレクションされて大成功をおさめたのである。回を重ねる度に私はコレクターの方々とも御会いする機会があったが、その方々のコレクションされている私の作品は数多く、昨年の秋に福井県立美術館で開催された個展の際には、〈個人蔵〉としての相当数の作品をお借りする事になり、私も美術館もずいぶんと助けられたのであった。作家の多くは発表の場を東京中心にのみ考えていて、結果として窮しているが、私の持論は、日本全国に何処に眼識の高い人がいるかわからない。そして、事実かなりの数で存在しているという事を、私は体験している。そしてそこには、実に素晴らしい出会いの数々が待ち受けているのである。

 

 

 

日時: 作成者: kitagawa | コメントは受け付けていません。

「『絵画の迷宮』が刊行されました。」

前々回のメッセージでお知らせした拙著『絵画の迷宮』が、遂に刊行されました。ご興味がある方はぜひ御一読下さい。ご購入は、全国の主要書店、あるいは地方にお住まいの場合はお近くの書店まで書名『絵画の迷宮』、著者名 – 北川健次、出版社 – 新人物往来社、を申し込んで頂ければ入手可能です。〈アマゾンでも可能。〉定価は750円(税込み)です。2004年に新潮社から刊行した拙著『「モナ・リザ」ミステリー』に、その後発見した衝撃的な新事実を書き加えた、云はば〈完全版〉が今回刊行した本です。登場するのは、ダ・ヴィンチフェルメールピカソダリデュシャンの計五人の芸術家。そこに夏目漱石三島由紀夫雪舟法然少年A(神戸連続殺人)、スピノザなどが多彩に絡み、美術論を越えてミステリー・紀行文としても楽しめます。本書は新聞や雑誌の書評でも多く取り上げられ、“我が国におけるモナリザ論の至高点”と高く評価されましたが、探偵が既に迷宮入りとなった完全犯罪を追いつめるように書き込んであり、私の文章の仕事における自信作です。

 

 

昨年末から、福井県立美術館の個展図録・写真集『サン・ラザールの着色された夜のために』・そして今回の『絵画の迷宮』と三冊の本が出た次第。続いて四月には、新人物往来社から久世光彦氏と私の共著『死のある風景』が単行本で刊行される為、現在ひき続き担当編集者と共に校正に入っています。この本は新潮社の「週刊新潮」で数年間連載し話題となったものを集めたもの。久世氏が御存命中に刊行された単行本に所収した内容とは別な文を集めて構成。こちらもご期待いただければ嬉しい限り。死のメチエとノスタルジーをヴィジュアル化すべく、私のオブジェや写真も多数入ります。

 

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『本が二冊刊行間近!!』

 

拙著『「モナ・リザ」ミステリー』が新潮社から刊行されたのは、2004年の時であった。美学の谷川渥氏や美術家の森村泰昌氏をはじめ多くの方が新聞や雑誌に書評を書かれ、“我が国におけるモナ・リザ論の至高点”という高い評価まで頂いた。しかし本を刊行してから数年して、私はとんでもない発見をしてしまったのであった。

 

今までの美術研究家たちの間では、ダ・ヴィンチは「モナ・リザ」と呼ばれる、あの謎めいた作品について何も書き記していない、というのが定説であった。しかし私は、あれほどの作品である以上、作者は必ずや何か書き記しているに相違ないとふんで、徹底的にレオナルドの手記を調べたのであった。評論家とは異なる画家の現場主義的な直感というものである。そして・・・遂にそれと思われる記述を、その中に見つけ出したのであった!!これはレオナルド研究の最高峰とされるパリのフランス学士院でも、未だ気付いていない画期的な発見であると思われる内容である。そして、その内容は驚愕すべき記述なのである。しかし、私の「モナ・リザ」の本は既に出てしまっている。私は発見した喜びと共に、本が出る前に何故気がつかなかったのかを悔やんだ。又、後日にもう一つの新事実までも「モナ・リザ」に見出してしまい、ますます完全版を出す事の必要を覚えていた。・・・それから七年が経った。

 

一冊の本が世に出るには、必ずそこに意味を見出してくれる編集者との出会いがある。私にとって幸運であったのは、歴史物の刊行で知られる出版社- 新人物往来社のK氏が、その発見に意味を見出し、たちまち刊行が決まった事であった。今回は文庫本である為に発行部数も多く、若い世代にも読者の幅が広がるので、刊行の意味は大きい。福井県立美術館の個展で福井のホテルに滞在している時、また森岡書店での個展の合間を見ては執筆を加えており、先日ようやく校正が終った。そして私は文筆もやるが写真もやるので、表紙に使うための画像をアトリエの中で撮影し、全てが刊行を待つばかりとなった。本の刊行は3月2日が予定されている。又、同社からは続けて四月に私と久世光彦氏との共著『死のある風景』も新装の単行本で刊行される事になっている。新潮社から出した時は、『「モナ・リザ」ミステリー』というタイトルであったが、今回は加筆した事もあり、タイトルを『絵画の迷宮』に変えた。とまれ、刊行は間もなくである。ご期待いただければ嬉しい。

 

 

 

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『この人、沖積舎・沖山隆久氏!!』

福井県立美術館での私の個展『鏡面のロマネスク』も、いよいよ25日(日)で終了する。7部屋もある展示会場を巡りながら、自分の作品と向き合って様々な想いが去来した。そして、自分があんがい多作家である事を知って驚いたのであった。私の初期の版画を一途に愛する方々もおられるが、私の展開はまぎれもなく、その質と幅を広め、今だに誰も予測のつかない方向へ向かっているという事を、私自身の内なる醒めた批評眼をもって確信できた事が、本展における私にとっての最大の収穫であった。

 

先日刊行された私の写真集の仕掛人である沖積舎の沖山隆久氏は、17年前に私の最初の銅版画集を企画刊行して頂いた恩人であり、先見の人である。はるばる福井の個展にも来られ、実際に数多の作品を御覧になった後に、私に「今度は北川さんのオブジェの作品集を作りますよ、それも近い内に!!」と言って、私を驚かした。しかし、沖山さんは今回の写真集も予告どおり僅か1ヶ月で刊行したように、有言実行の人である。間違いなく、私のオブジェの世界の特質に照準を合わせた、ミステリアスで創意に充ちた「奇書」が、刊行されるであろう。沖山さんのような慧眼の人が身近に在るという事は、表現者にとって心強い限りなのである。

 

今、私の手もとには、刊行されたばかりの写真集『サン・ラザールの着色された夜のために』がある。作品に沿った詩を書いてほしいと提言されたのは、沖山さんであった。私は打てば響く人間である。感性を削るようにして計72篇の詩を三日間で書き上げた。そして、その一篇づつが、全く自立したものとなっている。もし、沖山さんの提言がなかったら・・・。そう思う程に、この写真集は、他の写真家による写真集とは異なりを見せている。一月には、この写真集の限定版が50部のみ刊行され、各々に未発表のオリジナル写真が入る事になっている。そして、私はその写真を沖山さんに既に渡してある。さてそれがどのような仕上げとなって世に出るのか、今から、私は楽しみにしているのである。

 

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『写真集、遂に刊行さる!!!』

11月の24日に福井を訪れて以来、実に19連泊続いたホテル暮らしがようやく終わり、横浜へと戻った。福井にいる間は、展示、新聞の連載執筆、テレビ、ラジオの収録、講演、対談、そして画廊での新作展発表、さらには中学の同窓会、高校での講演etc、あっという間に過ぎた多忙な19日間であった。

 

 

 

 

 

福井県立美術館刊行による私の個展図録があまりに出来が良く、充実した内容になっているので、その事をメッセージに記したところ、全国から美術館宛に問い合わせや注文が殺到し、係の人が対応に追われている。係の人に伺ったところ、ひとりで5冊まとめて注文する人などもおり、在庫がかなり少なくなっているようで、作者としても嬉しい反響である。おそらく今のペースでいくと、個展が終了する今月の25日頃には完売の為に絶版となる事は必至であるだろう。

 

 

 

さて、予告で記したとおり、遂に私の写真集『サン・ラザールの着色された夜のために』が、出版社の沖積舎から刊行された。写真74点それぞれに詩を74篇書いているが、私はその詩の全てを三日間で書き上げた。今までにない集中力を出したために、書き終えた後はしばし放心状態であった。写真集であると同時に、独自な詩集としての新しい形も倶えている。帯には、「〈美の侵犯〉美術家:北川健次による、写真と詩が切り結ぶ夢の光跡!幻視のエクリチュール!!」の文が入り、写真家 ー 川田喜久治氏のテクストからの引用文が光彩を放っている。既に福井県立美術館の個展会場では先行販売され、一日で二十冊以上のペースで売れているという。限定五百五十部(内五十部はオリジナル写真入り特装版)と少ない部数の為、これもおそらくは二ヶ月で完売・絶版となるであろう。印刷は最先端の技術を使ったアミ点の少ない直刷りの為、極めて美しく、日本の印刷技術のレベルの高さを示している。私の、詩集としての最初の本でもある。御興味のある方はぜひ御購読頂き、写真と詩による、私の新しい表現世界を楽しんで頂ければと願っている。

 

 

限定五百部の普及版は定価が7140円(税込)。限定五十部の特装版は定価が31.500円(税込)で、未発表のオリジナル写真が1点、写真集に付いている。ご注文は直接、沖積舎まで。TEL.03-3291-5891。FAX03-3295-4730。注文の受付は毎朝9時より開始しています。

 

 

 

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『松平頼方って、誰だ!?』

今年の6月頃だったか、一人の老人から電話が入った。老人は次のように語った。「いやあ、あなたのご活躍は福井のT氏から伺いました。立派です。私は長年ニューヨークで生活し、最近日本に戻って、今は熱海の別荘にいます。実はあなたの作品を少しまとめて買わせて頂きたいのですが、明日あなたのアトリエに伺っても宜しいでしょうか!!」と。(ちなみにT氏とは、いわゆる福井の名士の名前であるが、私は面識がない。唯、その娘にあたるNさんとは小学校の同級生であり、美しい顔の利発な子であった。松平と名乗る人物と、そのT氏の家系から連想して、私は幕末の福井の名君、松平春獄公の直系を勝手に連想してしまった。・・・・まぁ、無理もない。)で、話は続く。「明日と云われても私にも都合があり、明日は予定が入っているから又、連絡しますよ。TEL番号を教えてください」と私。すると老人は急に引いて「・・・体が不自由だから、では東京の事務所のTELを」と云って番号を告げた。明日来たいと云う程の行動派が・・・体が不自由・・・??」。そして電話が切れた。数日して事務所にTELすると、電話は鳴るが誰も出ない。その後も・・・、又、その後も・・・誰も出ない。曖昧な事が嫌いな私は、さすがに不審に思い、新聞社にいる後輩にT氏のTEL番号を調べてもらった。電話をすると、聞こえて来たのは45年ぶりに聞く同級生の声であった。何という導き。美しく利発だった顔が浮かび上がってきた。

 

福井県立美術館の個展のために明日、横浜を離れるという前日に、美術家連盟という団体から送られてきたチラシが、ふと目についた。パラパラとめくっていると、ある女流画家が語る「寸借詐欺にご注意!!」という文があった。それを読むと、或る日、一人の老人から電話が入ってきて、「君の作品をまとめて買いたい!!」と云った由。その女流画家は喜び、老人の指定する日に、彼をアトリエに呼んだという。老人は10点近くの作品を買い取る話をしてから、次のように語った。「しまった、財布を落としてしまった。あぁ、熱海に帰る電車賃がない・・・」すかさず、その女流画家は2万円を渡し「どうぞ使って下さい」と云ったという。その後、老人からは何の連絡もないし、連絡先として知らされた東京の事務所にTELしても・・・誰も出ない。と、文は告げていた。私はこの記事が面白く、声を立てて笑ってしまった。そしてさんざん笑った後に・・・ふと気がついた。(熱海の別荘・・・? 東京の事務所・・・? 、老人・・・?)私はハタと気がついた。6月に電話を掛けて来た、あの男に間違いないと。

 

美術館の個展と併せて、福井のE&Cギャラリーという画廊で個展も行っている。初日にT氏の娘さんである同級生のNさんが友人を連れて画廊に来られた。実に45年ぶりの再会である。そしてNさんと友人の方は、その場で作品も購入して頂いたから嬉しさ倍増であった。あれも、これも考えてみれば、あの老人、松平頼方のお陰である。ちなみに、老人は「マツダイラ・ヨリカタ」と云っただけで、「松平頼方」は私が、思いのままに記したもの。でもまぁ、こんな漢字であろう。はたして、件の女流画家には何という名前で切り出したのか、知りたいものである。

 

「レディメイド」を美的な概念へと高めたマルセル・デュシャンは、形而上学と詐欺師の両面を併せた最高度の知的な表現者である。詐欺師は知的犯罪の極みであり、私は嫌いではない。出来れば、この老人に一度会ってみたいと内実思っている。どのような人生を経て、老人は今も生きているのであろうか・・・。ともあれ、私は記す。「再び出でよ、松平頼方!!」と。

 

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