谷崎潤一郎

『2023年夏―ホルマリンが少し揺れた話・後編』

①……前回のブログで、谷崎潤一郎が高橋お伝の陰部の標本と、横長の額に入ったお伝の全身に彫られた刺青の標本を観て、あの近代文学の金字塔『刺青』の構想が瞬時に閃いた!と断定して書いたが、それは私の直感が言わしめたものであり、どの研究書にもそのような大胆にして密な言及は書かれていない。しかし、オブセッション(妄想、強迫観念)とフェティシズム(物神崇拝)を資質の奥に持っていない人物は表現者たりえないと考えている私には、谷崎潤一郎のその時の昂りがリアルに見えてくるようなのである。

 

谷崎潤一郎は、高橋お伝という伝説の姉御肌の美女と遭遇した事で、泉鏡花が『高野聖』の中で登場させた、あの妖艶で煙るように薄い存在感の美女とは明らかに別種で存在感のある、想像力の原点に棲まう、残忍にして破滅的な女人の原形を獲得したように私には思われる。

 

……例えば周知のように、川端康成が永遠の処女性への不気味なまでの執着と、ネクロフィリア(死体性愛)的な本物の資質をもって日本の抒情を綴ったのに対し、谷崎潤一郎のマゾヒズム(被虐性愛)はその対極と考えられがちであるが、実は谷崎のそれは醒めた演技が根本にあった事に注意すべきであろう。

 

慧眼な洞察力を持った三島由紀夫は「……谷崎は大きな政治的状況を、エロティックな、苛酷な、望ましい寓話に変えてしまうのであり、俗世間をも、政治をも、いやこの世界全体をも、刺青を施した女の背中以上のものとは見なかったと語り、……… (今、三島の原文が見つからないので、この先は私の記憶だけで書くが、)……… 被虐的なマゾヒズム行為の深みに入れば入るほど、その対象者たるサディスティックな女性に対しての、冷徹なまでに醒めた蔑視の眼が氷のように注がれている事を見落としてはならない。……… 確かその意味の事を三島は書いているのである。

 

 

 

②……あれは何の雑誌であったか?…博物学者の荒俣宏が、「東京で一番怖い場所」と書いていた東京大学医学部解剖学標本室で、……あれはまた何年前であったか?…季節は確か初夏であったが、外の暑さに対して、その標本室の奥の部屋は、確か3階であったが、まるで地下室のようにひんやりとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オランウ―タンの死体標本を抱えながらT教授は私にこう語った。

「君はパリのあの学校で、本当に非公開のオノ―レ・フラゴナ―ルのエコルシェ(剥皮標本)を観れたのか!?」と。(ええ、観ましたよ、)と私。「たぶん君より数年前だったと思うが私は大学からの紹介状を持って学校に見学の許可を願い出たが、駄目だった。一体どういうやり方で君は入れたのかね」

 

…… (別に、秘策なんて無いですよ。従兄の画家のフラゴナ―ルとの共通点の、手技の早さの異常さへの私の関心、フランシス・ベ―コンの皮膚への破壊的な情動とオブセッションとの類似点への簡単な考察。その他を、便箋5枚ばかり書いて、私のオブジェ作品の写真画像数点を添えて、友人のパイプオルガニスト奏者に仏語に訳してもらい提出したら、暫くして許可されましたよ。

 

友人5人を連れて指定された日時に学校に行くと、校長は上機嫌で歓迎してくれて、エコルシェ全ての撮影も構わないと言って、貴重な図録と、畳くらいの大きさの『フラゴナ―ルの花嫁』のポスタ―もくれましたよ。私の人柄が通じたんでしょうかね)。

 

……するとT教授は真顔で「今、私はこのオランウ―タンの剥皮標本を作っているのだが、ここまでで3ヶ月もかかっている。それをあのフラゴナ―ルは、僅か3日で作り上げてしまうんだよ」……(ええ知っていますよ)と私。するとT教授は鋭い眼をしてこう言った。「…………奴(フラゴナ―ル)は、怪物だよ」。  ……. それからT教授が急死されたのは間もなくであった。私は思い出しながらふと思う。パリの学校も非公開だったが、この解剖学標本室も非公開。……そこにいる自分が可笑しかった。私はよほど非公開の場所に入るのが好きなのだなぁと。

 

 

 

③……そもそも、東京大学医学部内に、「解剖学標本室」なる物が存在する事を知ったきっかけは、推理小説家・高木彬光(1920~1995)のデビュ―作『刺青殺人事件』であった。

 

江戸川乱歩が絶賛したこの小説は実に面白く、夢中で読んでいると、件のその標本室の事が突然出て来て、一気に私を引き込んだ。

 

……その標本室には夏目漱石斎藤茂吉横山大観浜口雄幸円地文子…等の脳みそが傑出脳…として、ガラス陳列室の中に保管されている事を知ったのである。……以前にも書いたが、私は動くと光速よりも早い。……『刺青殺人事件』を置いて、私は読んでいたその場で東大に電話した。

 

 

「はい、東大五月祭本部です」。私は電話した主旨を述べ見学を申し入れた。……すると大学祭で浮かれている学生達がざわつき(何か変な人から、変な電話~)という声が聞こえて来たので、私は別な角度から後日電話する事にして切った。…………それから1か月後、見学を許された私は本郷の校舎内を歩いていたのであった。

 

高木彬光の小説の『刺青殺人事件』に、谷崎の『刺青』も登場し、導かれるように高橋お伝、また阿部定が切断した件の吉蔵のホルマリン漬けの局部標本までも偶然目撃する事になり、再び谷崎潤一郎の『刺青』のインスピレ―ションも、この薄暗い標本室から立ち上がった事も知った。……そして、この標本室での体験は、その後で作品にも生かされ、「イメ―ジを皮膚化する試み」として、数多くの作品が銅版画とオブジェの両面から産まれていったのであった。

 

 

④さて、実は4日前に不覚にもコロナに感染してしまい、今回のブログは初めて病床の中で書いている次第とあい成った。……シャ―ロック・ホ―ムズとワトスン両人に登場してもらい、阿部定が吉蔵を絞殺し、局部を切断して持って逃げた心理を、愛情の形と単に納める事なく、阿部定自身も気づかなかった潜在意識、無意識の領域へと掘り下げて彼らに推理してもらう予定でしたが、いかんせん書き手の私自身がもはや青息吐息。この辺りで筆を置きたいと思います。

 

 

 

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『2023年夏・ホルマリンが少し揺れた話』

……30年ばかり前にロンドンに住んでいた時に、度々訪れて観た大英博物館内の展示は忘れ難い。わけても私が特に興味を持ったのは、ジョンとポ―ルが合作した『HELP』の直筆の草稿の真横に展示されていたモ―ツァルトの直筆の楽譜であった。

 

先ず最初の音が置かれた途端、何の躊躇いもなく次の音が疾駆し始め、恐るべき速さで曲が紡がれていくのが直に伝わって来るのであった。最初の音が決まった瞬間に、実はその一音の中にその曲の全てが凝縮されているのであろう。……出だし、出だしが重要なのである。名作というのは全てこの出だしに、得も言われぬ艶がある。

 

 

……それは文芸でも同じである。一葉の『たけくらべ』、漱石の『草枕』、川端の『雪国』、三島の『金閣寺』……等々、名作と評されている作品はみな出だしが美しく、フォルムと作者の眼差しが既に鋭く、ぶれる事なく定まっている。しかし近代文学の中で、最も見事に練り尽くされた出だしは、どの作品かと問われれば、私は躊躇なく谷崎潤一郎の『刺青』に指を折るであろう。その出だしは次のように始まる。

 

それはまだ人々が「愚」と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように激しく軋み合わない時分であった。殿様や若旦那の長閑な顔が曇らぬように、御殿女中や華魁の笑いの種が尽きぬようにと、饒舌を売るお茶坊主だの幇間だのと云う職業が、立派に存在して行けた程、世間がのんびりとして居た時分であった。

 

女定九郎、女地雷也、女鳴神、当時の芝居でも草双紙でも、すべて美しい者は強者であり、醜い者は弱者であった。誰も彼も拳って美しからんと努めた揚句は、天稟の体へ絵の具を注ぎ込む迄になった。苛烈な、或は絢爛な、線と色とがその頃の人々の肌に踊った。…………………………

 

 

第一行の「愚」は、「おろか」と読む。間違っても「ぐ」と読んではいけない。……このおろかという言葉が持つ弛さの採用が、次第に刺青の鋭いエロティシズムへと移っていく伏線として緩急に鮮やかに効いている。

 

……谷崎潤一郎、25才にして、この『刺青』が処女作であるから、正に恐るべき天才である。この天才をいち早く発見して世に絶賛したのは永井荷風上田敏。とくに荷風は谷崎を「当代稀有の作家」と誉め称え「今一歩を進めるならば、容易に谷崎氏をしてボ―ドレ―ルポ―の境域を磨するに至らしむであろうと信じている」とまで書いている。

 

処女作にして名作の冠と眼識の高い先達からの評価を得た谷崎潤一郎。……今回のブログは、その名作誕生秘話と、その谷崎のインスピレ―ションを揺らして突き上げた或る女性の存在、そしてそこに絡んでくる私が綾なすトライアングルの話である。このブログも『刺青』から始まり、最後には『刺青』へと還って来る作りになっている。

 

 
……さて、その谷崎に波動を与えた導き人が、前々回の阿部定と並んで稀代の毒婦と称された高橋お伝。……実は、お伝が殺した相手の男の名前は、奇しくも阿部定が殺した相手の名前と同じく吉蔵であった。

 

……1995年に刊行された文芸誌『新潮』に、『水底の秋』と題した私の文章が載っている。それはヴェネツィアのムラ―ノ島のガラス工房を訪ねた話から始まり、本郷の東京大学医学部解剖学標本室を訪れた際の体験談へと移っていく話である。……その標本室は一般には非公開であるが、何故か私は、人柄の良さが効を奏したのでもあろうか、特別に見学が許され、時間の空いた時に度々訪れている。……都合5回ばかりは訪れたであろうか。しかし私はこの見学の際は、パリで非公開のフラゴナ―ルの戦慄すべき剥皮標本の見学を許された際も、5人ばかりの友人を誘っているが、この東大の解剖学標本室を見学する際も、友人に声をかけて誘っている。誘えばみな、好機とばかりにやって来た。

 

 

……思い出すままに書けば、土方巽夫人にして舞踏家の元藤燁子さんと、舞踏家の面々。國吉和子さん(舞踊研究/評論)、清水壽明さん(平凡社・『太陽』元編集長)、四方田犬彦さん(比較文化/映画評論)、中瀬ゆかりさん(新潮社出版部部長)、阿部日奈子さん(詩人)、それに廃墟専門に撮影している写真家、占星術師、画商……etc。こう書いてみると、本当に沢山の人をその度に誘っている事に改めて驚いてしまう。来る人も来る人である。皆さん好奇心の強い持ち主であり、眼の愉楽を好む人達なのであろう。

 
4回目に行った時は私一人であったが、その時に教授が手にして持ち去ろうとした、ホルマリンが入った硝子瓶の中の一物(切断された男子性器)を目敏く見つけて私は問うた。(それ、もしかして阿部定が切った物ですよね!?)と。……慌てた教授は(いや、これは或る突発事件で起きた標本です)と。……しかし、生殖器と睾丸が共に入ったそれは、確信するに足る裏付けがあった。……阿部定の調書記録にはこう書かれている。「……睾丸の付け根の一部だけを切り損ねたのを覚えています」と。……この一文、阿部定の執念を伝えて凄まじい。……突発事件、睾丸付きの生殖器のホルマリン漬けの瓶。……慌てて去って行く教授の手元のホルマリンがチャプチャプと揺れていた。……ちなみに5回目に来た時は、それはもう無かった。

 

 

……あれは3回目の時であった。……その時は、阿部日奈子さん、四方田犬彦さん達の時であったか。……私はオ―プンに誘うが、しかし秘めている事があった。……介錯人・山田浅右衛門によって斬首された高橋お伝。緒方洪庵の長男たち医者や軍医の立ち会いで解剖された高橋お伝の陰部(病理学の世界的権威・浅野謙次が実際にそれを診て書いた論文『阿傳陰部考』にその著しい特徴が記されている)と、全身に入っていたという『刺青』を視るのが、その日の主たる目的であり、私はそれを誰にも言わず、……ただ、その前に一人立ったのであった。……標本の各々にはもちろん、名前は記されていない。しかしその場所に在った三体の女性各々の陰部の標本を前にして、真ん中の特徴的な歪みを見せるそれが高橋お伝の物であるという確信が、様々な文献を読んだ記憶から私にはあった。

 

 

 

……………………さて、その時から20年ばかりが経った或る日、私は1冊の谷崎潤一郎に関する実に詳細な本(『谷崎潤一郎 性慾と文学』)を読んでいて、興味深い事実を知って驚いた。

 

……私が立ったその同じ場所に、若き日の谷崎潤一郎が110年前に立ち、高橋お伝のそれを熱心に凝視していた事を知ったのであった。……しかもその解剖学標本室には、長細い2mばかりの額に入った全身に画かれた刺青も、高々と掲げられているのであった。正に、日本近代文学に衝撃を与えた耽美的な名作『刺青』のインスピレ―ションの発芽がその瞬間に天才・谷崎潤一郎の脳裡に舞い降りて来たのであった。

 

 

 

 

(……次回は、コナン・ドイルの文体を模して、シャ―ロック・ホ―ムズワトスン医師に、阿部定事件と高橋お伝事件の2つの総括、……そして谷崎潤一郎が何故マゾヒズムを作品の主題にしたかの心理内奥に迫ります。……乞うご期待。)

 

 

 

 

 

 

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『2023年夏/カタストロフの予感の中で』

暑い!というよりは、もはや熱い!……そう言った方がピタリと来る、この夏の異常な照り返しである。息をすると熱を帯びた空気が口中に入って来るという、今までに無かったような夏の到来である。私が子供の頃は、夏休みは心が弾む待望の時間であったが、今の子供達にとって、それはどうなのであろうか。

 

……昔の夏は確か32度くらいで(おぉ今日は凄い!32度もある!危ないから日射病には気をつけないと)と言ったものである。……はたして当時の誰が、数十年先の夏の気温が6度以上も上がる事など予測し得たであろうか。だから、その頃に生きていた人間が、タイムスリップして2023年の今に突然現れたら、この暑さの異常さにおののき、過去の時間へと忽ち逃げ去っていくに違いない。今はこの異常な中で皆が耐え忍んで生きている。……みんなが頑張っているから、この異常さは若干散っていられるのかもしれない。自然は容赦がないので、来年はもっと残酷な事になる事は必至であろう。…………

 

思い出せば、私は7、8才の盛夏の頃は、自転車に愛用の枕(心が安心するために)を乗せて、近くの緑蔭の濃い森に行き、その奥の風が涼しく舞っている神社の裏の小陰で長い昼寝を貪っていたものである。高校の野球部の練習中の掛け声や、白球を打つバットの乾いた音が遠くから気持ちよく響いて来て眠りと溶け込み、それが更なる昼寝を促していた。……何も私だけではない。子供達はその時点において皆がみな抒情詩人であったと思う。……しかし今、真昼の熱い時に外で昼寝などしたら自殺行為である。(オ~イ、大変だぁ!……子供が神社の裏で熱中症で乾いて死んでるぞ!!)になりかねない、それほどに夏の姿が変わったのであろう。

 

……数日来、かつて無かった激しい豪雨が九州を襲っている。九州には福岡、熊本、鹿児島に親しい友人がいるので心配である。しかし、前線の移動次第では関東も襲われる可能性があるので、明日は我が身の、容赦ない豪雨、猛暑の日々である。……この異常気象、日本以外に世界に目を移せば、北極の氷は溶け、凍土の地域も温度が上がって濁流となり、世界の各地で大洪水が起きているのは周知の通り。……「人類は間違いなく水で滅びる」と500年前に早々と予告したダ・ヴィンチの言葉が、ここに至って不気味に響いてくる。

 

 

このように世界が加速的に明らかな狂いを呈して来たのは、やはりあの時がその始まり、いや世界のバランスを辛うじて括っていた紐が切れた瞬間ではなかっただろうか。

 

………………2019年4月15日午後6時半。

 

……パリのノ―トルダム大聖堂が炎に包まれたあの日を境にして、世界は一気に雪崩れるようにしてカタストロフ(大きな破滅)の観を露にしはじめたと私は思っている。

 

 

……30年前にパリに一年ばかり住んでいた時、私は幾度も大聖堂の鐘楼に昇り、眼下のパリの拡がりを堪能したものであった。……その懐かしい大聖堂が真っ赤に燃える様を観て、ある意味、何れの聖画よりも、この惨状の様は美しく映ると共に、私は「これは、何か極めて美しく荘厳であったものの終焉であり、これから世界中に惨事が波状的に起こるに相違ない!」……そう直観したのであった。

神や仏といった概念を遥かに越えた、もっと壮大な宇宙の秩序を成している大いなる「智」から、奢れる人類に発せられた醒めた最期通達として映ったのであった。

 

 

 

 

 

……其れかあらぬか、大聖堂の炎上から半年後の2019年12月初旬、先ずはコロナが武漢から発生して世界中に蔓延、そしてロシアのウクライナへの一方的な道理なき侵攻、環境破壊が産んだ加速的な破壊情況、AIの出現による人類の存在理由の消去と感性の不毛へと向かう変質化の強制、……つまりはもはや形無しの情況は、かつての名作映画『2001年・宇宙の旅』に登場した、人工知能を備えたコンピュ―タ―「HAL9000」の不気味な存在が示した予告通り、アナログからデジタル、そしてその先の人心の不毛な荒廃から、一切の破滅へと、今や崩れ落ちの一途を進んでいる状況である。

 

 

 

……その惨状を美しい言の葉の調べに乗せて三十一文字の短歌へと昇華した人物がいる。今年の1月にこのブログで最新刊の歌集『快樂』を紹介した、この国を代表する歌人・水原紫苑さんである。………「ノ―トルダム再建の木々のいつぽんとなるべきわれか夢に切られて」。……この短歌が収められた歌集『快樂』(短歌研究社刊行)が、先月、歌壇の最高賞である迢空賞を授賞した。快挙というよりは、この人の天賦の才能と歩みの努力を思えば当然な一つの帰結にして達成かと思われる。

 

 

……フランスでの現地詠など753首他を含む圧巻のこの歌集には……「シャルトルの薔薇窓母と見まほしを共に狂女となりてかへらむ」・「眞冬さへ舞ふ蝶あればうつし世の黄色かなしもカノンのごとく」・「寒月はスピノザなりしか硝子磨き果てたるのちの虚しき日本」・「扇ひらくすなはち宇宙膨張のしるし星星は菫のアヌス」………と、私が好きな作品をここに挙げれば切りがない。

 

とまれこの歌集には、芸術すなわち虚構の美こそが現実を凌駕して、私達を感性の豊かな愉樂へと運び去って行くという当然の理を、短歌でしか現しえない手段で、この稀なる幻視家は立ち上げているのである。……人々はやはり真の美に飢えているのであろうか、この歌集は刊行後、多くの人達に読まれて早々と増刷になっている疑いのない名著であるので、このブログで今再びお薦めする次第である。

 

 

……先年は友人の時里二郎さんが詩集『名井島』で高見順賞および読売文学賞を受賞。また昨年は、ダンスの勅使川原三郎さんがヴェネツィアビエンナ―レ金獅子賞を受賞。……そしてこの度の水原紫苑さんが歌壇の最高賞である迢空賞を受賞と、一回しかない人生の中で、不思議なご縁があって知己を得ている表現者の人達が、各々の分野で頂点とも云える賞を受賞している事は、実に嬉しい善き事である。またこのブログでも引き続き紹介していきたいと思っている。

 

 

………………さて次回は、以前から予告している真打ちとも云うべき毒婦・高橋お伝が登場し、文豪谷崎潤一郎、そして私が絡んで、近代文学史の名作『刺青』の知られざる誕生秘話へと展開する予定。題して『2023年夏・ホルマリンが少し揺れた話』を掲載します。乞うご期待。

 

 

(お詫び)前回の予告では高橋お伝について書く予定でしたが、歌人の水原紫苑さんが受賞されたというニュ―スが飛び込んで来たので、急きょ予定を変更した次第です。

 

 

 

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『1987年……阿部定が消えた夏・後編』

このブログは毎月2本、だいたい2週間に1本のペ―スで書いているが、前回のブログは阿部定に至る前の引っ張りが長かったせいか「後編を早く読みたい」との声を多数頂いたので、予定を早めて本日書く事にした。幸い、10月11日から開催される予定の高島屋(美術画廊X)の個展の制作も順調なので、忙中閑ありの気持ちで今日は暫し楽しんで書く事にしよう。

 

 

………………頭髪が伸びたので、昨日髪をバッサリと切りに行った。中年くらいの男性の美容師がカットをしている時に私が「阿部定という名前は知ってますか?」と突然問うと「あっ知ってますよ!」との答え。「では、その阿部定が愛人だった男性の局部を用意していた庖丁で切り取って逃げ去り、捕まった事件は知ってますか?」と問うと「え~マジですか?阿部定ってそんな事をやったんすか!」と驚いた。動揺したのかハサミをパチパチと動かしている。

 

…………どうやら〈ア・ベ・サ・ダ〉という名前の独特な毒のある響きだけは小さい時から覚えていたらしい。ナベサダ(ジャズの渡辺貞夫)でなく、阿部サダヲ(俳優)でもなく、やはりドスンと響く名前は阿部定に指を折る。阿部定という響きには毒がある。何か事件を犯さなくては収まらない濁った凄みがある。更に云えば、苗字の阿部よりも名前の定(サダ)の方に怨念の韻がある。阿部と定が絡んで暗い日陰にどくだみ草の花が咲く。

 

…………さてその阿部定。畳屋「相模屋」の末娘として神田に明治38年に生まれる。(阿部定は本名)。幼少時はお定ちゃんと近所でも呼ばれ、評判の美少女であったらしい。乳母日傘(おんばひがさ)の恵まれた環境であった。しかし14歳の時に慶應の学生に強姦されて以来、生活が一変して乱れはじめ浅草界隈を根城にした不良娘へと変貌。浅草の女極道「小桜のお蝶」と張り合ったりの乱行が目立つようになり、結局見かねた父親に勘当され、女街の世界に売られてしまう。

 

名前を吉井昌子、田中加代……などと、小林旭の名曲『昔の名前で出ています』のように変名しながら芸妓、娼妓、妾、仲居と流転した後に運命の男―石田吉蔵(料亭・吉田屋を経営)と不倫関係になる。やがて石田の妻の知るところとなり二人は出奔。……二子玉川、渋谷丸山町……などの待合や旅館を道行きのように転々と流れ、二人は漂着したように事件の現場となった東京都荒川区西尾久の待合『満佐喜』に逗留。……ひたすらの性愛に浸る時間を過ごした果てに吉蔵を絞殺して局部を切断し、それを持って逃亡。3日後に品川の宿で大和田直の偽名で潜伏中に逮捕される。時に1936年(昭和11年)5月16日、226事件が起きた3ヶ月後の世が政情不安の中での猟奇的かつ禁忌的な出来事に世の中が震撼し、かつ湧いた。

 

 

 

 

その後の裁判では、切断された吉蔵の局部のホルマリン漬けが法廷に登場し、裁判長から(これを見て、今、あなたはどう思いますか?)と問われ、阿部定は静かに、しかし張りのある声で答えた。(……とても懐かしい想いがします)と。

 

吉蔵を腰ひもで絞殺した後、部屋の額の裏に隠しておいた牛刀を取り出し定は局部を切断、現場の布団に血文字で「定吉二人キリ」と書いて失踪したこの事件。

殺された吉蔵はつまりはマゾヒストであったと処理され、定は法廷陳述の際に「あの人(吉蔵)は歓んで死んでいった」と語り、この吉蔵の抵抗なく従容と死んでいった事件が記されているが、果たしてどうなのか?……阿部定の動機と行為にばかり関心がいって語られているが、私には少し気になることがある。つまり、最期の最期に於いて何故吉蔵は抵抗しなかったのか?という事への疑問である。

 

 

 

……ここに1つ例を出そう。1948年に愛人の山崎富栄と玉川上水で心中自殺した小説家・太宰治の例である。どしゃ降りの雨で水かさが増す中、ようやく二人の水死体が上がった。二人は同意の上の心中と思われているが、死体は語るの言葉通り、そこには面白い現象が現れていた。

愛人の山崎富栄の死に顔は達成した満足感に充ちた顔であったが、一方の太宰は、水中の最期の時に至って、逃げ出そうともがき苦しんだ苦悶の相を浮かべながら死んでいたという。二人を縛った紐は何重にも固く結ばれ、あまつさえ、富栄の足が太宰の体をしっかりと絡めとり、逃げ出せぬまま苦悶の内に死んでいったと、現場を記録した伝聞にはある。

 

 

 

……もう1つ逸話を書こう。富栄は心中の前日に鰻屋に一人で行き鰻の肝焼を店にあるだけ注文して食べたという。

店の主人が不審に思ってこう訊いた。(お客さん、なぜそんなに鰻の肝ばかり食べるんだい?)と。富栄は静かにこう言ったという。(あした、ちょっと力の要る仕事があるのよ)と。

 

……私はこの逸話を知った時に背筋を冷たく走るものがあった。昔視た、交尾中の上に乗ったカマキリの雄を、下の牝が振り向くように雄の頭からパリパリと乾いた音を立てて食べはじめ、やがて跡形も無く雄を食い尽くしてしまった光景が甦って来たのであった。

 

 

……吉蔵は、その時、どういう想いで死んでいったのか?……机上の空論のように考えていても何も見えては来ない。蛇の道は蛇ではないが、阿部定、吉蔵に繋がるその筋の友人(輪島在住)に考えを訊く事にして電話を入れた。私の友人としては異色の存在に入るその男は西鶴の世界を地で生きているような性豪の徒であり、顔つきも吉蔵に似た艶のある男である。暗黒舞踏の土方巽ともかつて親交があったが、果たして何で食べているのか、私は今もって知らない。名前を出せないので仮にTとしておこう。

 

……私の質問にTは自らの実体験を重ねるように明るく答えてくれた。「連日の性愛で当然男(吉蔵)は放電し、その失っていく分、相手の女(阿部定)は充電し、無限連続のように艶を増してくるわけだよ。怖いよ女性性の心奥は(笑)。……そう云えば、以前に信州の旅館『大黒屋』という所で、痴戯のつもりで吉蔵のように女性に首を絞められた事があるが、頭が熱くなって思考が鈍るけど、その分脳内モルヒネが次第に溢れて来て、もうどうでも良くなって来るんだよ。今思えば危なかったね。

 

……その吉蔵という男に拍車をかけたのは、当時の軍の台頭によって時代が傾いていった世相とも関係があるんじゃないかな。……昔、君(私)が現場に行ったという岡山の津山三十人殺しの事件は確かその翌年だったよね。吉蔵と、その津山の犯人は刹那的になったという点で似ているんじゃないかな。」

 

 

…………先日、私は、出所後に阿部定が商っていたという台東区竜泉に在ったおにぎり屋『若竹』の跡地を訪れ、その足で三ノ輪駅から都電の荒川線に乗り宮ノ前駅で降り、現場となった待合『満佐喜』跡地を訪れた。

……現在その場所は、阿部定に入れ込んで活動中の女優、安藤玉恵さんの祖母が土地を買い取り、一部は駐車場になっていて昔日の面影は何もない。……ただ数ヵ月前に行った田端435番地の芥川龍之介の自宅跡地と同じく、その土地の記憶が語って来る物語りの余韻というものを私は現場跡から透かし取る事は出来た。……要するに、かつて起きた物語りに対する追憶の感覚と享受である。

 

 

……さて、本日のブログの終わりに来て、私が気にいっている逸話を1つ書こう。……待合『満佐喜』で阿部定事件が起きて世の中が騒然としている最中に、一人の好奇心の強い男性が現場となった『満佐喜』の女将に掛け合い、事件のあったその部屋を観に入った事があった。……新宿紀伊國屋書店を築いた創業者の田辺茂一氏である。田辺氏は、未だ凄惨な事件の余韻が生々しく残る部屋に一番乗りで入って満足気であった。……しかしその部屋の入り口で女将が静かに語った言葉で消沈してしまった。満佐喜の女将はこう語ったという。「この部屋を観に来られたのは、実は田辺様が初めてではありません」と。唖然とした田辺氏が「そいつは何処の誰だい!?」と慌てて訊くと女将は静かにこう言った。「殿方ではありません。和服を着た清楚な感じの物静かな御婦人でした」と。………………「怖いよ女性性の心奥は!」。そう私に語った友人のTの言葉がここでリフレインとなって響いて来る。

 

……とまれ、昭和史を駆け抜けた阿部定は、やがて消息を絶った。亡くなった愛人・石田吉蔵の眠る久遠寺(山梨県身延町)には、阿部定失踪後も命日には花束が届いていたが、それも1987年には絶えたという。

 

…………1987年……阿部定が消えた夏。

 

和服姿の彼女が去っていく、その老いた後ろ姿を追うように、浅草寺仲見世傍にある老舗の甘味処『梅園』。阿部定と吉蔵が事件の数日前に立ち寄ったというこの店の軒先に掛けてあった風鈴が、その時、風にそよいでチリリンとなったか否かは誰も知らない。

 

 

……さて前回にお約束した、もう一人の毒婦・高橋お伝と、文豪・谷崎潤一郎、そしてそこに絡んで来る私との不思議な巡り合わせのトライアングルを併せて書く予定でしたが、文章の流れから考えて後日に書く事にしましたのでご了承頂ければ有り難いです。……乞うご期待。

 

 

 

 

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『10月―新作オブジェの大きな個展、近づく』

……今日は9月24日。彼岸も過ぎて、日本橋高島屋本店6階の美術画廊Xで10月19日から始まる個展が少しずつ近づいて来た。……毎年連続して開催されて来たこの個展も、今年で14回目になる。今までに制作して来たオブジェの作品数は既に1,000点を越えているが、そのほとんどがコレクタ―の人達の所有するところとなり、今、アトリエに残っているのは僅かに30点くらいである。オブジェの前に制作していた銅版画も刷った枚数は5000点以上になるが、全てエディションは完売となっていて、手元には作者が保有するAP版の版画が少しあるだけで、これは表現者として実に幸せな事だと思う。感性の優れたコレクタ―の人達との豊かな出逢い、そして、手元に旧作が残っていないという事の自信が、次なる新たなイメ―ジの領土への挑戦の促しとなり、それらが相乗して、制作への集中力をさらに鋭く高めてくれるのである。

 

…………毎回、主題を変えて開催して来た今までの個展図録を通しで見ていると、自作に懐いているオブジェへの視点や構造、ひいては、この「語り得ぬ、物語りを立ち上げる装置」への想いが、次第に変わって来ている事に気付かされ、様々な感慨がよみがえって来る。……そして今回新たに制作した作品を見ていると、以前にもまして、象徴性や暗示性が増して来ているように思われる。

 

 

今回の個展のタイトルは『射影幾何学―wk.Burtonの十二階の螺旋』。新作オブジェ72点は全て完成し、今は、求龍堂から刊行される個展案内状の校正刷りのチェック段階に入っている。案内状作りは個展を象徴的に表す大事な仕事。まだまだ神経の張った日々が続くのである。

 

今回の個展に向けての制作が始まったのは3月の初旬であった。作品全てが完成したのは8月の末。……計算すると6ケ月で72点、1ヶ月で12点の計算になる。しかも1点づつに完成度の高みを自分に課して作って来たわけだが、不可思議な事に作って来たという実感がない。オブジェ、この限りない客体性を持った、不思議なる詩的装置を作るという事は、一種の憑依的な感覚によって集中的に成されているのかもしれない、……と振り返ってみてあらためて思うのである。

 

私が未だ20代前半の学生であった頃、私が信頼している美術評論家の坂崎乙郎さんや、池田満寿夫さんは、私の作品が放つものを直感的に読み取って、感性が鋭すぎて身が持たないのではないかと危ぶんだ事があるが、大丈夫、私はまだ生きている。……集中力と速度、これは私の表現者としての生来の資質なのであろう。だから制作のペ―スはコントロ―ルしていて、時折は興味ある場所に出掛け、気分転換を図っている。

 

 

……その気分転換を兼ねて、9月のある日、田端に在った芥川龍之介の家跡を訪れた。…高校生の頃から芥川龍之介は好きでよく読んでいて、昭和2年に自殺した芥川のその場所をいつか訪れてみたいと思っていたのが、漸く実現したのであった。折しも田端にある田端文士村記念館では、詩人の吉増剛造企画による芥川龍之介展が開催されていて、なかなか見応えのある展示内容であった。会場には芥川関連の貴重な写真や資料が展示されていたが、私が興味を持った写真は、出版記念会の席で向かい合って写っていた、芥川と谷崎潤一郎の姿であった。小説における筋の是非をめぐっての芥川vs谷崎の大論争は、近代文学史上で最も興味深い論争であったが、今、この二人の天才は仲良く、巣鴨の染井墓地横の慈眼寺に並ぶように眠っている。

 

私は昔、コロタイプで精巧に印刷された芥川龍之介の河童の墨絵(確か2mくらいの原寸大)を持っていた事があった。……芥川が自殺したその部屋に、死の直前に描いて放り投げてあった河童(自画像)の絵と自讚の言葉である。その言葉は今でも覚えている。「橋の上ゆ/きうり投げれば水ひびき/すなわち見ゆる/禿のあたま」である。……上ゆの「ゆ」は、からの意味。……橋の上から……である。その現物がないかと探したが会場になかったのは残念であった。

 

……会場を出て、2つ鉄橋を越えて、崖の石段を上がるとそこが芥川龍之介のいた家の跡である。……以前に池田満寿夫さんは、「芥川龍之介とビアズレ―は似ている。共に若い時期にはまるが、その後は熱病が引いたように関心が薄れていく。」と何かの折りに語っていて、上手い事を言うなと感心した事がある。……この二人は、若い時期の先鋭な感性に直で響いてくるものがあるのかもしれない。……夏目漱石はその逆。

 

 

 

 

 

……田端は、芥川龍之介以外にも室生犀星菊池寛野口雨情堀辰雄……などの文士が住み、大龍寺という古刹には正岡子規の墓がある。その墓の前に立ち、かつては漱石が、そして私が唯一、先生とひそかに呼んでいる寺田寅彦氏がこの墓の前に立った事を想い、時間の不思議な流れを思った。……そして、寺のすぐ前に、女優の佐々木愛さんが代表をしている劇団文化座(80年以上の歴史を持つ)があり、その劇団の人としばらく言葉を交わした。いつか機会を作って、是非この劇団の芝居を観てみたくなった。

 

 

 

 

……田端駅裏には田端操作場があり、かつては、佐伯祐三長谷川利行が、その生を刻むように画布に向かって筆を走らせた場所であった。…………半日ばかりの探訪であったが、この日は、過去へと往還出来た貴重な時間と体験になった。……しかし、開発は加速的に進み、風景はますます不毛と化している。……このような過去の豊かだった時代を偲び、体感できるのも、今後はもう不可能になって来るに違いない。……いにしえを訪ね、気分転換を兼ねて充電を図る事は、日本ではもう最後の時かとも思ったのであった。

 

 

 

……10月19日から始まる個展に関しては、順次このブログでも書いていく予定でおります。……さて次回は一転して、最近私の身近に起きた怪奇譚を書こうと思っています。……乞うご期待。

 

 

 

 

 

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『魂の行方―明治26年の時空間の方へ』

毎日人々がたくさん行き交う東京駅には、総理大臣の暗殺現場を示すプレ―トが2つあるが、今ではそれを知る人は少ない。……1つは、大正10年に東京駅丸の内南口改札付近で刺殺(即死)された原敬。もう1つは、昭和5年に東海道本線10番線乗り場ホ―ムで銃撃(後日死去)された濱口雄幸である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日の白昼に起きた安倍元総理大臣の暗殺現場の映像は悲惨なものであった。そして仰向けに横たわる安倍氏の姿は生々しいものであった。その様には、もはや誰も介入出来ない、取り返しのつかない、私達誰もがやがて各々に迎える死の瞬間を代弁して実況しているかのような、絶対の孤独な姿があった。……必死で甦生のマッサ―ジをする人、大声で救急車や近くに医者を求める人々。プロとは言い難い迂闊な失策をやってしまったSPと警官が抑え込んでいる犯人の姿。……その中で、画面に映る安倍氏の姿を観ていて、ふと、正に今、死に瀕したこの人の脳裡には果たして、何が浮かんでいるのかを想像した。(……自分の経験を基にして。)』

 

…………以前にブログでも書いたが、私は2回死にかけている。1回目は2才の時だからもちろん記憶にないが、病弱だった上に流行りの百日咳が悪化して危篤状態になった。(この世に縁が無かった私を憐れんで、棺桶の中に何を入れるかを両親が涙を流しながら相談したという。)しかし、運が良かったのかどうか、当時たまたま承認されたばかりの薬を注射して、奇跡的に死の淵から生還した事を後に母から聞かされた。……2回目は高1の時に体験した溺死に瀕した時である。突然、堰を切ったように水が口の中に大量に入って来た時の、かつて体験した事の無い苦しみの後は、一転して母の胎内に守られて羊水に浸っているかのような幸福感に充ちた感覚の中、天上から実に美しい光が射しはじめ、私は、あぁ何て幸せなんだろう、このままでいい……このままで、もういい……そう、ぎりぎりの意識が感じていた時、……突然救助の手に引き上げられ、先ほどの苦しみを今一度体験した後に、私は感覚が割れるように甦生した。これは、立花隆氏の著書『臨死体験』で、死の淵から生還した人々が語る、柔らかで至福感に充ちた光が射して来たという多くの証言と一致する体験である。

 

 

……人が亡くなる直前、最後まで機能しているのは〈聴覚〉であるという。だから、救急車や医者を求めて叫ぶ声は、彼の脳裡には、おそらく遠くの意味知らぬノイズとして、或いは別な世界のものとして聴こえていたのではあるまいか……。それを聴いているのは、もはや安倍晋三という直前迄の俗名を持った存在でなく、また憲政史上最長の総理職を勤めたという事も既に意味を持たない、ただの素に還元された無垢な魂、例えるならば産まれたばかりの素の意識として最期に聴いたようにも想われる。……或いは、銃弾の破片が心臓を直撃して、心肺停止の自力呼吸が出来ない為のショックにより、コンセントを急に抜くように、感覚も硬直して何もない無と化してしまったか。ともかくそこには絶対の孤独が透かし見えたのであった。

 

 

 

……話は変わるが、以前に井上ひさし氏の本を読んでいて興味深い箇所に出会った。……井上氏は学生時に上智大学で教えている神父に「先生、人は死ぬと天国に行くと言いますが、天国なんて本当にあるのでしょうか?」と質問した。すると神父いわく「天国があるかどうかは、死んだ人が生き返っていないので誰にもわかりません。しかし、天国があると思った方が愉しいではありませんか!!」と。私は神父のこの言葉に膝を打って食いついた。なるほどと!!…信ずる者は救われる、である。しかし、こうも考えた。天国、もしそれがあるとしても、そのイメ―ジとしてある世界はあまりに事も無く、ただけだるすぎて退屈の極みである。何より一番気に馴染まないのは、それが他者の考えた概念にすぎない事である。……信ずる者は救われるならば、私は自分だけの独自な考えで、死を現世からの別れとしてでなく、次なる新生が、その先に在ると考えよう!……そう考えるようになった。

 

……そして考えたのが、死ぬ瞬間に素と帰した魂を翔ばして、私が最も行きたいと熱望している明治26年の、東京は浅草の時空間に行く事である。……何故、明治26年に拘るかというと、度々私のブログに登場する浅草凌雲閣(通称浅草十二階)が、その少し前の明治23年に完成し、またこのブログに、これもまた頻繁に登場する天才女流作家の樋口一葉(本名.樋口奈津、時に夏子)が、『奇跡の14ケ月』と云われる『たけくらべ』『十三夜』『にごりえ』等の文学史に残る名作を書く前の、正に極貧の時に在り(明治29年に24才で肺結核で死去)、荒物と駄菓子を売る雑貨店を開いていて、朝靄の中で浅草花川戸、今戸橋近辺を仕入れに歩いている、正にその時空間に魂を翔ばして、朝靄の中を歩く樋口一葉の、その謎に充ちた顔を一瞬掠め視てから、次なる浅草凌雲閣へと魂を翔ばし、谷崎潤一郎江戸川乱歩達、数多くの文藝家がその異形なる塔にイメ―ジを触発されて小説にも度々登場した、その姿を仰ぎ見て、魂はその中の螺旋階段を一気に駆け抜け、屋上の展望階から明治26年の東京に魂を放射したいと、ひたすらそう考えているのである。

 

 
……先日、制作の合間を縫って、私の魂の帰すべき場所、明治の面影が僅かに透かし見える浅草の今戸橋、また待乳山聖天辺りを散策した。広重の描いた風情が残る、私の最も好きな場所である。浅草寺や仲見世は人で喧しいが、この場所はたいそう静かで涼やかであった。新生の時は先ずはここから始めよう。私はそう思った。

 

………………「新しい出発だ。窓をもう少しお開け、新生だ、ああ素晴らしい!」と臨終時に話して逝ったのは北原白秋である。白秋の魂もまた新生に向けて至福感の中で逝ったのか。

 

…………とまれ、私もまた死に臨して、白秋のようでありたいと考えているのである。……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『年の始めに……永井荷風と陽水』

新年明けましておめでとうございます。今年初のメッセ―ジをお送りします。…………12月後半は不覚にもA型のインフルエンザを患い、熱が下がったと思ったら次は悪性の風邪。医者からはひたすら安静に、と言われていたので寝床での読書三昧の日々が続いた。……読んでいたのは芥川龍之介『支那游記』、谷崎潤一郎『上海交遊記』、そして永井荷風『断腸亭日乗』……他である。以前のブログでも書いたが、私は自分が関心を持つと、何故か少し遅れてメディアがそれを話題にする事が度々あるが、年末のテレビで、読んでいたその芥川の『支那游記』を原作とした『ストレンジャ―~上海の芥川龍之介』の放送があった時は、あまりにタイムリ―すぎて面白かった。1920年代の魔都・上海をリアルに映像化した画像が出てきて、まるで私の為にこの番組を組んでくれたかのように愉しめたのである。……そして年が明けた2020年。除夜の鐘のゴ~ンという音の響きがまだ記憶に残っている時に、生き物の方のゴ―ンが狭いトランクの中に潜んで、日本を脱出した。シュミレ―ションを何回も重ねた後の脱出劇だというが、もし仮に検査係が「カミソリ」のような切れ者で、トランクに疑問を抱いて脱出直前で開いていたならば、……と、その姿を想像すると笑いが止まらない。一か八かの博打のようで、この事件、江戸時代の大奥の女が、惚れた歌舞伎役者に逢いにいく為に、籠に潜んで抜け出た江戸城からの脱出劇と発想は同じで、今も昔と変わらない。

 

 

 

 

……さて、正月の2日、先ずはアトリエの片付け、清掃からと思って作業を進めていると、卒然と神経に直に伝わってくる生々しい感覚を覚えた。自分でも意外だったのであるが、創作の衝動が急に立ち上がって来たのである。(この空間にそれらはいつからかおり、私に捕まるのを息を潜めて待っているかのようである。)……作る!というよりも何物かの強い力によって導かれ、引っ張られるように、次々に構想が浮かび、一気に様々な短編小説を綴るように作業台の上に10点近い生なオブジェ(勿論、最終的な完成形は後日になる)が、夕方、暗くなる頃には一堂に並んだのである。……それらを視ると、また新たな展開が来訪したかのように、かつて無かった世界が、そこに拡がっている。二年前に求龍堂から刊行された作品集『危うさの角度』で自作を振り返り確認出来た事であるが、制作に於ける攻める方法論が、より「客体」である事を志向するかのように、年々ありありと変わって来ているのである。……今、私の眼前にある10点近い新たな形は、彼方からやって来たように有機的な気配を未だ帯びており、私はその「名付けえぬ物」たちの生誕に立ち会う最初の観者のように、それらの新作を眺め観ているのである。

 

 

……『クレーの日記』や『ドラクロアの日記』は、美術の分野における画家の正直にして貴重な内面の記録であるが、文学の分野における日記の有り様は、各々の作家の複雑な資質を映して、正直あり、自白あり、隠し事あり……となかなかに一様では掴めない(という手強さがある)。三島由紀夫、山田風太郎、石川啄木、樋口一葉、正岡子規、武田百合子……等々。しかし、群を抜いた面白さという点では、やはり永井荷風の『断腸亭日乗』に指を折るかと思われる。世相の移りと荷風自身の内面との距離感が面白く、そこに時代特有な抒情やエロティシズムが絡んで、夕暮れの切ない陰影を孕んでいて面白い。……その『断腸亭日乗』を年末から年明けにわたって読んだのであるが、実は30年ぶりの再読になる。12月の鹿児島での個展の合間に訪れた文学館に再現されている向田邦子さんの書斎の蔵書の中に『断腸亭日乗』があるのを見つけ、「やはりツボを押さえているな」と思い、鹿児島の古書店で見つけて久しぶりに読み始めたのである。……再読してもやはり面白い。「秋の空薄く曇りて見るもの夢の如し。午後百合子訪ひ来りしかば、相携へて風月堂に往き晩餐をなし、堀割づたひに明石町の海岸を歩む。佃島の夜景銅版画の趣あり。石垣の上にハンケチを敷き手を把り肩を接して語る。……」といった抒情や男女の風情ある交わりがあるかと思えば、転じて、「去年大晦日の『毎夕新聞』に市ヶ谷富久町刑務所構内にて明治三十年来死刑に処せられし罪囚の姓名出でたり。左に抄録す。明治三十年より昭和十年まで四十年間に御仕置になりしもの六百余人なりといふ。 野口男三郎(詩人野口寧斎女婿臀肉斬取り犯人)・幸徳秋水(約九字抹消)・石井藤吉(大森砂風呂お孝殺し)・大米竜雲(鎌倉辺尼寺の尼を多く強姦せし悪僧)・ピス健(強盗)…………」と、物騒ながら何故か気を引く記述が続く。かと思えば、「十一月五日。百合子来る。風月堂にて晩餐をなし、有楽座に立寄り相携へて家に帰らむとする時を街上号外売の奔走するを見る。道路の談話を聞くに、原首相東京駅にて刺客のために害せられしといふ。余政治に興味なきを以て一大臣の生死は牛馬の死を見るに異ならず、何らの感動をも催さず。人を殺すものは悪人なり。殺さるるものは不用意なり。百合子と炉辺にキュイラッソオ一盞を傾けて寝に就く。」……といった、政治、世相に対岸の火事のごとき無関心の距離をとって、個人主義に徹し、それよりも身近にいる女性の存在の方に関心の揺れる重きを置く。…………と、この辺りで、そう云えば、この記述に似た冷めた眼差しの距離があったな……と思い、辿っていくと、井上陽水の初期の代表曲『傘がない』に行き着いた。「都会では自殺する若者が増えている/今朝来た新聞の片隅に書いていた/だけども問題は今日の雨 傘がない/行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ……」。……これが出た1972年当時は、若者の自殺が増え、川端康成のガス自殺があったりと不穏な世相であったが、その世相への冷めた視線と、個人に重きを置く切り口が斬新ということで、この曲は時代を映す名曲となったが、辿っていくと永井荷風にその先を見るわけであるが、井上陽水が荷風のこの日記を読んで閃いたのか、はたまた時代は廻る……といった時世粧の事に過ぎないのかは、勿論知るよしもない事である。とまれ、この永井荷風の『断腸亭日乗』、ご興味のある方にはぜひお薦めしたい、不思議な引力のある、読み応えありの書物です。

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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