野村喜和夫

『蝉が消えた晩夏、詩人ランボ―について書こう。』

このブログを始めてから早いもので17年以上が経った。内容はともかくとして文量的には『源氏物語』をとうに抜き、ひょっとするとプル―ストの大長編『失われた時を求めて』も抜いているのではあるまいか。……気楽に始めたブログであったが、今や生きた事の証し・痕跡を書いているような感がある。

 

……さて、今回は天才詩人アルチュ―ル・ランボ―の登場である。ランボ―との出逢いは私が16才の頃であったかと思う。…………自分とは果たして何者なのか、自分は将来何者になり得るのか、……等と自分にしか出来ないと思われる可能性を探りながら悶々と考えていた時に、「私とは他者である」という正に直球の言葉が16才の若僧アルチュ―ル・ランボ―(既に完成している早熟の天才詩人・20才で詩と縁を切り放浪、武器商人の後に37才で死去)から豪速球で投げられたのだから、これは一種の事故のようなものである。

 

……以来、ランボ―とは永い付き合いになってしまった。……19才の頃に始めた銅版画では、ランボ―の詩をモチ―フに銅板の硬い表面に荒々しく線描を刻み込み、やがてその表象はランボ―の顔をモチ―フに、その顔に穴を開けて抹殺するような表現へと成るに至った。(版画作品画像二点掲載)……その作品は、現代の最も優れた美術家であり、個人的にも影響を受けていたジム・ダインの評価する事となり、彼は私の肩に手をかけながら「俺も君と同じく、この生意気な若僧の面を抹殺する意図で版画の連作を作ったのだよ。この若僧が詩人のランボ―である事はその後で知った!」と、その制作意図をリアルに語ってくれたのであった。(……ちなみに彼のその版画は、ランボ―をモチ―フとした連作の版画集で、版画史に残る名作として高く評価されている。)

 

……ランボ―を標的として表現に取り込んでいる表現者は、しかし私だけではない。詩人の野村喜和夫氏やダンスの勅使川原三郎氏も然りである。その野村氏は、今年、氏が刊行した対談集『ディアロゴスの12の楕円』中で、ランボ―との永い関わりを私との対談の中で語っているが、私のようなビジュアルではなく、言葉という角度からのランボ―について言及しているのが面白い。……私はその対談の中で、版画でのランボ―との訣別を語っているのであるが、しかし、意識下の自分とは本当にわからない。……先日、10月11日から日本橋高島屋の美術画廊Xで始まる個展の為の制作が大詰めに来た、正に最期の作品で、アルチュ―ル・ランボ―の詩が立ち上がる直前の彼の異形な脳内を可視化したようなオブジェのイメ―ジが二点、正に突然閃いたのであった。

 

……私は一気にその二点を作り上げ、一点に『地獄の季節―詩人アルチュ―ル・ランボ―の36の脳髄』、次の一点に『イリュミナシオン―詩人アルチュ―ル・ランボ―の36の脳髄』というタイトルを付けた。…………作ろうと思って出来たのではない。……『グラナダの落ちる壺』という作品を作っていた時に、突然、光る春雷のように正しく瞬間的に閃いたのであった(作品画像掲載)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……ランボ―の詩編、『地獄の季節』と『イルュミナシオン』各々の仏文の原詩を、厚さ2ミリのガラスに黒で刷ったのを粉々に叩き割り、脳髄に見立てた『地獄の季節』『イリュミナシオン』各々のガラスのケ―スに詰めて、詩が立ち上がる直前のランボ―の脳内のカオス的な状態を可視化したのである。

 

……今夏の8月に東京芸術劇場で開催された勅使川原三郎新作ダンス公演『ランボ―詩集―「地獄の季節」から「イリュミナシオン」へ』は、ここ八年近く拝見して来た氏のダンス公演の中でも、生涯忘れ難い作品になるであろう。……ヴェネツィアビエンナ―レでの金獅子賞受賞以来、特に海外の公演が多くあったので、久しぶりの日本での公演である。……佐東利穂子アレクサンドル・リアブコハンブルク・バレエ団」、ハビエル・アラ・サウコ(ダンス)の都合四人から成る「ランボ―詩集」の、身体を通した開示的表現である。

 

……このブログでも度々書いているように、私は氏のダンス公演は何回も拝見(目撃)しているが、私をしてその公演へと熱心に向かわせるのは、ひとえに氏の表現がダンスを通して芸術の高みへの域を志向し、またそれを達成実現しているからである。…………例えば文学者というのは数多いるが、その文学を、更なる高みにおける芸術の表現達成域にまで至っているのは僅かに三人、泉鏡花谷崎潤一郎川端康成のみであると断じたのは、慧眼の三島由紀夫であるが、つまりはそういう意味である。

 

つまり、鴎外も漱石も、その他、数多の作家達の表現は文学ではあっても芸術の域には達していないと三島の鋭い批評眼は分析しているのである。……芸術へと到る為の、毒と艶のある危うさと、詩情、そして未知への領域へと読者を引き込む不気味な深度が、この三人以外には無いと三島は断じているのである。……………………舞台は正面に開かれたランボ―詩集の本を想わせる装置の巨大さで先ずは一瞬にして観客の髄を掴み、その詩集の頁の間から、飛び出す詩の言葉のように複数の演者が現れ、或はその頁の奥へと消え去り、詩人ランボ―の脳髄の中の迷宮が可視化され、次第にランボ―自身の短い生涯がそこに重なって来て、表現の空間が拡がりを見せて、最期のカタルシスへと見事な構成を呈してくる。…………満席の会場の中で、旧知の友である詩人の阿部日奈子さん、舞踊評論家の國吉和子さんと久しぶりにお会いする事が出来た。勅使川原氏の公演の時は、懐かしい友人との再会が度々あるのが嬉しい。

 

…………ランボ―、ニジンスキ―宮沢賢治中原中也、泉鏡花、サミュエル・ベケットブル―ノ・シュルツ、更には音楽領域のバッハモ―ツァルトシュ―マン、…………と彼のイメ―ジの引出しは無尽蔵であるが、しかし、彼におけるランボ―の存在はまた格別の観が私にはある。……ランボ―がそうであったように、御し難く突き上げてやまない、あたかも勅使川原氏自身の感性を映す鋭い鏡面のようにして、ランボ―の存在があるように、私には思われるのである。

 

 

…………さて、10月11日からの個展の出品作は75点に達した。今年の3月から9月迄の7ケ月間に集中して作り上げた全て新作である。校正を重ねた案内状も既に完成し、後は個展の初日を待つばかりである。

 

 

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『近況―春から続く展覧会の中で……』

4月24日にアップしたブログで、詩人の高柳誠氏からは新刊の詩集が、そして同じく詩人の野村喜和夫氏からは対談集(私との対談も所収)が送られて来た事はご紹介したが、先日は、いまパリに滞在中の歌人の水原紫苑さんが1月の2冊同時刊行に続いて歌集『快楽』を、そして美学の谷川渥氏が『三島由紀夫/薔薇のバロキスム』を、ちくま学芸文庫から刊行し、先日、西麻布でその刊行記念講演が開催され、私も出席した。

 

……ことほどさように、我が文芸の友人諸氏は健筆を振るってますます盛んに表現領域の開拓に意欲的であるが、……ふとその眼差しを美術の分野に転じれば、私と同じ頃に登場した版画家や画家はことごとく、その存在が薄墨のように目立たなくなってしまって既に久しい。全く発表しなくなったか、発表しても、小林旭のヒット曲「昔の名前で出ています」ではないが、同じパタ―ンの繰返し、或いは旧作を弄くっているだけで、その作家における「現在」が無い。特に版画の分野はそのほとんどが死に体のごとく、沈んだ沼の底のごとくである。しかし、その理由は判然としている。未開の版画にしか出来ない表現というのが実は多々ある筈なのに、既存の版画概念の範疇内で作り、複眼性、客観性を欠いた、つまりは批評眼が全く欠けている事に気づいていないのである。

 

「私は版画家だけにはなりたくない」と日記に記したパウル・クレ―の、その文章の強い意思の箇所に、銅版画を作り始めたその初期に鉛筆で線を強く引いた事を私は今、思い出している。…………私は、美術の分野では15年前に、自分が銅版画でやるべき事は全て作り終えたという発展的な決断の元、次はオブジェ制作に専念すべく意識を切り替え、既に1000点以上のオブジェを作り、文芸の分野では、詩作や美術論考の執筆をやら、そして写真も……と、分野を越境して制作しているので、その比較が俯瞰的にありありと見えてしまうのである。

 

私個人の展覧会に話を移せば、4月は1ヶ月間にわたって個展を福井で開催し、5月24日から6月12日迄は西千葉の山口画廊で個展『Genovaに直線が引かれる前に』を開催。……そして今月の10日から24日迄、日本橋の不忍画廊が企画した『SECRET』と題したグル―プ展で、池田満寿夫さん他6名の作家の作品と共に、私のオブジェや版画が多数出品されている。本展では、私のオブジェの中では大作と云える、イギリス・ビクトリア期の大きな古い時計を真っ二つに切断したオブジェ(画像掲載)や、銅版画『回廊にて―Boy with a goose』(画像掲載)も出品しているので、是非ご覧頂きたい。また詩も作品に併せて各々に書いているので、こちらもお読み頂ければ有り難い。……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、10月11日から10月30日迄の3週間にわたって、日本橋高島屋の美術画廊Xで個展を開催する予定で、現在アトリエにこもって制作が続いている日々である。その間にも充電と称して、ブログに度々登場する、不穏な怪しい場所、ミステリアスな場所へと探訪する日々が続いている。……こちらもまた追ってブログで書いて登場する予定であるので、乞うご期待である。

 

 

……さしあたっては湿気の多い病める梅雨なので、いっそそれに相応しい阿部定事件のあった荒川区尾久の現場跡にでも行ってみようかと思っている、最近の私なのである。

 

 

 

 

 

 

 

不忍画廊『SECRET』展

会期: 6月10日~24日 (休廊日:月曜・火曜)

時間:12時~18時

東京都中央区日本橋3丁目8―6 第二中央ビル4F

TEL03―3271―3810

東京メトロ銀座線・東西線・都営浅草線「日本橋駅」B1出口より徒歩1分

東京メトロ半蔵門線「三越前駅」B6出口より徒歩6分

http: //www.shinobazu.com/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『……新緑の今、アトリエで一人想う事。』

……この国の四季のうつろいの妙や風情が無くなって既に久しいが、考えてみると、今のこの時期が一年の内で最も気持ちの良い時期なのかもしれない。暑すぎず、寒すぎず、生きているには丁度良い。

 

…………5月が近づくと制作も集中と加速に入る時期だが、しかし充電も大事と思い、先日、二月公演に続いて歌舞伎座の『鳳凰祭四月大歌舞伎』に行って来た。

 

演目は坂東玉三郎片岡仁左衛門による『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』。一階席なので仁左衛門が間近に迫って来て演技をするのが面白い。眼前で江戸の粋が妖しい艶を帯びてリアルに揺れるのである。玉三郎はもはや円熟の極み。泉鏡花の『天守物語』の玉三郎を初演の時に観ているから、この天才が見せる折々の花を観て来た事になる。舞台はおよそ三時間。歌舞伎が放つ様式美と写実の混淆が視せる危うい虚構の華は、確かな充電となって、幕後にアトリエへと急いだ。……今日中にやるべき制作の続きがまだ残っているのである。

 

 

アトリエに着くと郵便受けにギッシリと小包が。……中を開けると二人の詩人から新刊の献呈本が届いていた。高柳誠詩集『輾転反側する鱏たちへの挽歌のために』(ふらんす堂刊行)と、野村喜和夫対談集『ディアロゴスの12の楕円』(洪水企画刊行)。お二方ともお付き合いは古い。特に野村氏とは共著もあり、今回の対談集には、私も対談者の一人として名を連ねている。タイトルに「楕円」の文字を入れているのは野村さんの機知である。……周知の通り、楕円という形の中には2つの中心点が存在する。それを対談という二人の関係、対峙する形に見立てているのである。

 

 

野村さんとは今まで2回対談をしている。1回目は雑誌の企画でご自宅の書斎。この本に載っているのは、東京.茅場町のビル内に在った森岡書店のギャラリ―で開催した野村喜和夫・北川健次詩画集刊行記念展『渦巻カフェあるいは地獄の一時間』時の記念イベントとして企画された対談で、初出は『現代詩手帖』に掲載されたものを再構成した内容である。

 

各々の方が発言してなかなか面白いが、わけても私が面白かったのは、詩人の阿部日奈子さんとの対談「未知への痕跡」である。阿部さんともお付き合いは古い。ヴィラ・グリュ―ネヴァルトという昭和初期建立の謎めいた洋館に住み、才媛にして明晰、その深さはなかなか捕らえ難く、静かな謎を秘めた詩人である。……もしご興味のある方は、書店もしくは以下に申し込んでご購読下さい。

 

 

「洪水企画」

神奈川県平塚市高村203-12-402   TEL&FAX-0463-79-8158
http//www.kozui.net/
価格.2420円(税込)

 

 

 

先日、東京・京橋のア―ティゾン美術館に行った後、日本橋に移転して特別展を開催中の画廊『中長小西』を訪れた。……この画廊の空間が放つ洗練された美意識の結晶深度、そして画廊のオ―ナ―の小西哲哉氏の感性の鋭さは、今日の美術界において別格の突出した存在であると断言していいだろう。送られて来た展覧会図録を見て、私は早く観たくなり展覧会初日に訪れたのであった。

 

……「その作品が優れているか否かは、その作品を茶室に掛けた事を想像すればすぐわかる」という考え方、見抜き方は、偶然にも私と小西さんの共通したものであったが、その事を映すように、移転して新装なったこの空間は、正に茶室のわびさびと今日のモダンを共有した感があり、その展示空間に棟方志功川端龍子山口長男村上華岳池大雅香月泰男……他二十名のジャンルを越えた作家の作品が、静かに、深い静謐な韻を漂わせながら展示されていた。

 

……中でも、棟方志功の巨大な版画が放つ引力は凄まじい。私事になるが、私が二十歳の時に作った銅版画『Diary』を棟方志功は一目見て絶賛し、当時美大生であった私は早々と作家として生きていく自信を氏から得たのであるが、この時の私の版画は表現主義的なものを帯びていた。おそらく棟方志功は私の作品の内に氏自身の感性の映しを視た事は想像に難くない。……その棟方志功こそ、わが国における最初の表現主義の体現者である事はもっと語られ、研究される必要があるであろう。(あまりにも棟方志功の版画は民藝運動の柳宗悦河井寛次郎らの域に組み込まれて語られる感があるが、時代や淘汰を越えて今、更に新しく、強いモダンな相を棟方志功の作品が放っている事に気づいているのは小西哲哉氏くらいであろう。)

 

 

…………画廊の中で、私は恐ろしい作品を視た。村上華岳の『風前牡丹圖』である。一方向から激しく吹く風に揺れながら耐える牡丹の花に配された朱色の滲み。そこに籠められた危うく魔的な何物かの気配、…………私は拙著『美の侵犯―蕪村×西洋美術』(求龍堂刊行)を書いている時に、蕪村が最も執着し、最も多く詠んだ花が牡丹である事を知ったが、その事を思い出したのであった。「牡丹散りて 打ちかさなりぬ 二三片」は有名であるが、私が華岳の絵から連想したのは「地車の とどろと響く 牡丹かな」、「牡丹切って 気の衰へし ゆうべかな」、「散りてのち 面影に立つ 牡丹かな」の三句であった。特に「地車の……」の句が放つ夏の真盛りの光の下の壮麗雄大にしてグロテスクな牡丹の描写は正に華岳のそれと照応する。……察するに、華岳は蕪村の俳句からその多くを吸収している事は間違いないであろう。

 

 

 

 

 

……この中長小西の展示は今月の29日(土曜)で、いったん終わり、次に継続して5月8日(月)から再開し、20日(土)迄の展示予定になっている。昨今の美術界、また表現者の作品は衰弱の感を見せて停滞堕落の一途であるが、芸術は何より強度であり、美術館や画廊は美の感性を鍛える観照の場であるのが本道である。……その意味でも、今回の展覧会は私が強く推す内容である。

 

 

画廊「中長小西」

東京都中央区日本橋3丁目8-13 華蓮ビル6F
TEL03-6281-9516
http//www.nakachokonishi.com/

 

 

 

 

 

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『詩人・ランボオと共に』

本郷の画廊・ア―トギャラリ―884での、作品集刊行記念展も盛況のうちに無事に終わり、また新しいコレクタ―の方々が出来て、実りの多い個展であった。この地は、樋口一葉、石川啄木、宮沢賢治などが住み、また谷崎潤一郎・竹久夢二・坂口安吾、大杉栄……達が数多く住んだ伝説の宿―本郷菊富士ホテル跡も近く、午前中は画廊の近辺を廻って古の文芸の生まれた背景を確認する面白い時間が持てる有意義な2週間でもあった。

 

その個展の合間に一日だけ画廊の休みの日があったので、横浜美術館で開催中の駒井哲郎展を観に行った。……先に観た友人達から、横浜美術館の展示の下手さ、ルドン・ミロ等のオリジナル作品が駒井哲郎の作品と直に並んで展示されている為に、駒井哲郎の作品が弱く見えてしまった……などという厳しいメールが届いていたので気になっていたが、ようやく観に行けたのであった。そして、友人達からの指摘がまぁ一面では当たっている事に頷きながらも、少し想うところがあった。……駒井さんがルドンやミロ、またクレ―などの作品に出会った時は、今ほどに彼らの作品情報も豊富な時でなく、また画集の印刷も鮮明でない時代であった。その時に駒井さんが見て直感した感動の純度の高さはいかばかりであったかと想う。この、内に荒ぶるものと無垢の精神を宿した、本質的に詩人の感性を多分に持った人は、憧れに似た想いで、彼ら西洋の芸術家の作品を前にして、熱く拝するような想いで接し、またそのエッセンスを得んとして、しかし憧れのままにその域を出る事なく試作したかと思われる。情報もまた黎明期の少ない中で、この不足は多分に表現者として豊かな揺れや解釈の誤解を生んで、駒井さん独歩の物語や表現の独自性を紡いでいき、例えば代表作『束の間の幻影』に結実していったのである。このような、不足な時代の情報への飢餓感は、他には、デュ―ラ―やゴッホに憧れながらも、しかしデュ―ラ―やゴッホには劣るとも、後に切通しの坂の玄妙な幻視を結晶化した岸田劉生に例を見ると同じく、現場主義的な推察がまた比較論的に必要なのである。それを一言で云えば、西洋の精神や感性の強度な硬質さに対し、岸田劉生や駒井さん、また諸々のこの国の表現者の感性はあまりに抒情的であり、ずばり駒井さんの感性の近似値を云えば、美術よりもむしろ文芸の方に近く、福永武彦あたりに着地するかと思われる。

 

……会場を廻って行くと、駒井さんの遺品が幾つか展示されていた。その中に駒井さん愛用の白い帽子があり、私は、あぁ、あの時に駒井さんの横にこの帽子があったというのを鮮明に想いだし懐かしかった。……あの時、それは確か7月の初夏の頃であった。美術館が作成した私の作品図録を開くと、『姉妹』という作品を作ったのは1973年、私が21才の未だ美大の学生の時であった。版画科の作品批評会なるものがあり、助手が「今日は駒井先生はお休みです」と言った。言った瞬間に私は(最早この場にいる意味無し)とばかりに席を立ち、教室から出ていった。残った学生達は唖然とし、他の2名の教授達は私の態度に憮然としたようであった。私は出来上がったばかりの『姉妹』を駒井さんはどう見て、どういう言葉が返ってくるのか、ただそれだけに関心があり、数日後に電話で駒井さんにその旨を話すと、その1時間後に世田谷の自宅から、私が待つ美大の教室に来てくれた。……駒井さんは作品を見て一目で気にいってくれて、手応えのある言葉を話してくれた。……しかしタイトルの話になって意見が別れた。「北川君、この作品のタイトルは何と言うのですか?」と尋ねられたので、私は「『姉妹』と付けようと思います」と話すと、駒井さんは「『姉妹』をやめて『双生児』にしなさい」と言う。「いや、もう決めていますから」と話すと、珍しく駒井さんはニヤリと唇を歪めて「北川君、私はタイトルは上手いのですよ」と、珍しく上からの目線で言ったので、私は「駒井さん、せっかくのお言葉ですが、タイトルなら私も少しばかり自信があります。やはり『姉妹』にします』!!」と、我が考えを通した。……その場所の、暗くて硝酸の臭いがする教室の駒井さんの横に、この帽子があったな……と懐かしく私はそれを眺めた。…………私が拒んだ『双生児』と、私が付けた『姉妹』には似て非なる距離がある。駒井さんの言語感覚が持っている、湿潤な、暗くて重い、つまりは日本の風土にそくした抒情性に対し、私の『姉妹』は非対称的な幾何学的配置で、硬質である事をオブセッションのように要する私の資質の映しであり、何よりも、この『姉妹』は三島由紀夫の小説『偉大なる姉妹』への挑戦として、異様なグロテスクさを孕みながらも、秘めた暗示性の刻印を意図した作品なのである。〈駒井先生!〉……といって、まるでカルガモの子供のように追随する学生や助手が、当時は数多くいたが、数十年とはいえ、生まれた時代が違う人に追随し、その影響下に沈むと、次なる時代に於ける表現者としてのリアリティ―が立たなくなる事を私は知っていた。そして自らを弟子と称する者達に「師を越えられぬ者は愚か者である」と手稿に厳しく記した、ダ・ヴィンチの洞察した言葉が在る事も既に私は知っていた。……私が銅版画の自作に「Comedie-de-soif」という文字(「渇きの喜劇」の意味)を稚拙なフランス語でギザギザと苛立つように刻んだ時に、駒井さんは「君はランボオを読んでいるのですか!?」と、すかさず静かに語りだして来たのも、また心の深部に響く手応えがあったが、しかし、表現者の先人ではあっても譲れないものは譲れない。駒井さんは、私の版画制作時の初期に於ける手応えのある人であったが、私は表現者の一人として醒めた距離を置いていた。駒井先生とは決して語らず、「駒井さん」という呼称を本人の前でも通し続け、駒井さん自身もそれを喜んでいた。……しかし、駒井さんよりも、またこのすぐ後に出会った棟方志功さんや池田満寿夫さんよりも、私は強く意識する人物がいた。銅版画史に残る世界的水準の名作と云っていい、天才詩人アルチュ―ル・ランボオをモチ―フとしたランボオの連作を版画集で刻んだジム・ダインという存在が私に於ける手強い牙城であり、遥かなる高みであった。私はジム・ダインのランボオの版画のポスタ―を室内に貼り、画集がインクで黒ずむ迄に読み返し、このジム・ダインなる天才の表現のエッセンスに迫るべく格闘する日々であった。そして、ランボオは私の表現者としての初期から近年に至る迄、その対象に迫る視点と技法は変わりながらも、長年にかけて挑むに足る牙城であった。

 

2008年の冬に、私のサイトに、フランスから突然のコンタクトが入った。Claude Jeancolasという人からである。……日本でも翻訳本が出ている、アルチュ―ル・ランボオ研究の第一人者で、20冊以上の著作が出ている人である。氏からのメール文には「ランボオをモチ―フとした美術作品を一堂に集めたアンソロジ―の美術書にあなたの作品も載せて、更に生地のシャルルヴィルに在るアルチュ―ル・ランボオ記念館で作品展を開催したいので、ぜひ出品して頂きたい。ちなみに東洋からの選出作品はあなただけであり、出品作家は他に、ピカソ、ジャコメッティ、クレ―、エルンスト、ミロ、メ―プルソ―プ、ジャン・コクト―、ジム・ダイン……である。」と書いてある。最後の方に書かれていたジム・ダインの名を見た時、私は重なるように意識していたランボオとジム・ダインが浮かび「もちろん、喜んで!」という返事を返した。その後に送られて来た、彼がテクストを書くための質問の数々は実に手応えのある文で、日本の美術評論家とは格段にレベルの異なる成熟した知性とセンスの高さを刻んだものであった。……私は各々の質問に丁寧に答え、最後に「アルチュ―ル・ランボオは私において既に客体である」と締めくくって返した。後日、パリのFVW EDITION社から刊行されたClaude Jeancolas氏著作の『LE REGARD BLEU D”ARTHUR RIMBAUD』には前述した作家達の作品と共に私の二点の作品も見開きで掲載され、実に緻密なテクストが各々に配されている。私について書かれたテクストの冒頭は「〈ランボオを理解出来るのは、私たち西洋人だけである〉といった思いを我々ヨ―ロッパ人はひそかに抱いていたが、北川健次の強度な作品は、その考えを覆してしまった」という記述から始まっている。私は永年共に歩いて来たランボオの生地シャルルヴィルの記念館を展覧会に合わせて訪れ、ランボオの生原稿の詩、そして、私が通り抜けて来た20世紀の美の先達の作品が掛けられている館内を学芸員の人に案内されて廻り、牙城として来たジム・ダインのランボオの版画の前を通り、私の二点のランボオの版画作品の前に来た。……メ―プルソ―プ、そしてマックス・エルンストの作品がその近くで展示されていた。

 

……その2年後の2010年、やはりClaude Jeancolas氏の企画で、今度は『RIMBAUD MANIA』と題した展覧会が、パリのマレー地区にある16世紀の遺構、パリ市立歴史図書館で開催された時に選出された美術家は、ピカソ、ジャコメッティ、ジム・ダイン、ジャンコクト―、そして私であり、各々のランボオ作品が展示され、パリの出版社「Paris bibliotheques」から作品集が刊行された。…………ランボオとの長い旅がこれで終わるかと思っていたら、その数年後に、20代からの牙城であったジム・ダインと対面するという機会が突然やって来た。名古屋ボストン美術館で開催されたジム・ダイン展に合わせて来日した本人に、館長をされていた馬場駿吉さんが引き合わせてくれたのである。私はランボオの作品ほか数点を持って会う事となった。ジム・ダインは、ランボオミュ―ジアムで展示されていた私の作品をよく覚えていると語り、私の肩に手をかけて「俺は、パリのセ―ヌ河沿いにある古書店で、この小僧(ランボオの事)の生意気な面構えを見て、作品で抹殺する事にしたのだ!天才詩人ランボオというよりも前に、この顔、この面の皮の厚い顔にたちまち触発されたのだ!!」と語ってくれた。20代の前半に、ジム・ダインのランボオ作品と出会い、そのポスタ―を壁に貼り、何とかその高みに上がりたいと希求して来た人物が、正に今、しかも近代の版画史に残る作品の制作時の秘話を直接本人から語られる日がやって来ようとは……。だから人生は面白い。私が、ランボオはもはや客体であると考え、イメ―ジを皮膚化する試みとしてランボオの顔の皮膜を突き破ったのと同じく、ジム・ダインはランボオの顔を抹殺する事にした。考えてみると、ランボオへの眼差しに於ける視点には近いものがある事を、私は彼自身の生な言葉から知ったのであった。ランボオへのオマ―ジュ、そして彼の詩のイメ―ジの中に溺れるようにして刻んだ版画、そして最後に至った客体としての皮膚化されたランボオの表象の顔。……ランボオとの旅は果たしてこれで終わりを遂げたのか!? ……しかし、私と同じく、ランボオに挑み、ランボオを捕らえんとして、表現者としての初期から意識して来た人物がまだ他に二人いる事を私は知っている。詩人の野村喜和夫氏と、ダンスの勅使川原三郎氏である。野村氏とは、共著での詩画集『渦巻カフェあるいは地獄の一時間』で共にランボオに迫り、勅使川原氏の場合は、『イリュミナシオン・ランボ―の瞬き』の公演の文章を今年の1月に書いた。自作とは別に今少し、ランボオとは歩みを共にする事になるかも知れないという予感がある。……さてもランボオとは一枚の鏡。私の折々の変遷を映し出す危うくも鋭い一枚の鏡なのかもしれない……と、今ようやくにして思うのである。

 

 

 

(左)北川健次 (右)ピカソ

 

 

(左)ジム・ダイン (右)ジャコメッティ

 

 

 

 

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『 お知らせ 』  

この国の各分野には様々な賞があるが、わけても特異な意味合いを持っている賞と云えば、例えば詩の分野における「歴程賞」がそうであろうかと思われる。この賞は、詩誌『歴程』が島崎藤村を記念して創設された賞であるが、この文学賞の他と違う点は、受賞対象が詩人だけに限らず、その表現がポエジ―を中核としたものであるならば絵画、建築、音楽、映画……もその対象になるという点が特徴的であり、他に比べてある意味、純度が高いように思われる。……私がこの賞の存在を知ったのは、1984年にマッキンリ―で遭難した登山家の植村直巳さんに対して、生前の1975年に〈未知の世界の探求〉という受賞理由で歴程賞が贈られる事になった時に、なかなか理念の高い評価をする良い賞だと思った事が始まりであった。とは云っても、金子光晴大岡信・吉岡実高槁睦郎吉増剛造……といったこの国の代表的な詩人諸氏の受賞者が名を連ねているが、それでも時として、1993年には画家の岡本太郎の全業績に対して歴程賞が贈られ、また宇宙飛行士で日本科学未来館館長の毛利衛さんが、日本宇宙フォ―ラム主任研究員の山中勉さんとの共同プロジェクトで行った「宇宙連詩」で、2011年に歴程特別賞を受賞するなど、選考基準は相変わらず開明的で幅が広く、なかなかに面白い。そして、その毛利衛さん達以来、7年ぶりとなる歴程特別賞が、先日開かれた選考会で、私が受賞する事が決まり、選考委員を代表して、詩人の野村喜和夫さんから審査経過と、私が賞を受けるか否かの確認も含めた連絡が入り、私は喜んで受諾する事にした。受賞理由は、私の表現者としての全業績に対してであるという。しかし、私はどんなに折々の作品が評価されたとしても、全て次なる作品の習作と切り換えて考えているので、全業績という言葉にピンと来ないのが、正直な実感である。……ただ最近の私は、もはや美術という狭い概念を離れて、ポエジ―を立ち上げる〈装置〉を作っているという強い想いを持って制作に臨んでいるので、ある意味、今までに受賞した美術の分野での賞より、遥かに手応えを感じているのは事実である。そして、更に突き進んで行こうとする気持ちに良い糧となった点では、今回の受賞は意義が深いと思っている。……私は油彩画に始まり、版画、オブジェ、コラ―ジュ、写真、美術評論と幅広く挑んでいるが、これを機に、かなり腰を据えて、詩作、そして一冊の言葉の磁場を秘めた不思議な『詩集』を刊行したいという想いが、ここに来て、かなり具体的な熱を帯びて来ているのである。

 

……さて、10月10日から日本橋の高島屋本店6階の美術画廊Xで始まる個展『吊り下げられた衣裳哲学』。制作は熱を帯びて次々に構想が膨らんで、遂に作品数が今までで最多となった。これからは、作品を額装したり、タイトルを付けていく次なる大事な作業へと今は移り始めている。……アトリエから会場の画廊へと移り、会期三週間という時間の中で、云わば虚構が現実を勝って展開する危うさの劇場がまもなく始まろうとしている。……重ねて乞うご期待という言葉を、ここに自信を持って申し上げる次第である。

 

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『再び、ベーコン登場』

神田の神保町の古本屋街を一日中歩いて帰ってくると既に夜半であった。TVのスイッチを入れ、着替えをしていると、TVの画面でも私と同じように服を脱いでいる男が映った。どうやらこれから踊るらしい。見るとその男は、俳優の田中泯氏であった。豊田市美術館で開催中のフランシス・ベーコン展の企画としての踊りがこれから映し出されるのである。以前に東京国立近代美術館で見たベーコン展では、大きなスクリーンに舞踏家・土方巽の「四季のための二十七晩」の映像が映し出され、私は企画者のセンスの妙を以前にこのメッセージ欄で讃えた事があった。土方は肉体の権能の極北にまで迫り、それは豪奢で、限りなく危ういまでに美的であり、さらに云えばベーコンの表現をも超えて肉体の闇の深部に迫真していた。さぁ、田中泯氏はどうだろう!?

 

踊りが始まって一分も経たない内に私は「これは、・・・・・違うな!!」と思った。上手い、下手ではない。では何が違うのか・・・?私は頭の中でそれを整理した。①これはコラボレーションでもなくオマージュでもない。②そもそもベーコンの表現を通して肉体(肉魂)の根源を開示しようとする事に難がある。③自身における舞踏家としての核が伝わってこない。④表現として足り得る為のフォルムがない。⑤田中泯氏の才能は、実は、その顔相の特異さ(役者としての)にこそあるのではあるまいか!?⑥⑦・・・etc. 私は見ていて途中から、この踊りの最後はおそらく〈完結〉として閉じずに散文的に分散するな・・・と予感した。はたして私の予感は当たり、踊り終えた田中氏自身の言葉の内にその事への言及があった。「踊っているうちに、自分が何処に行ってしまうのか・・・わからなくなってしまった」と云うのである。企画者の試みへの意欲は私は評価したい。しかし、ベーコンの表現と対峙しうる〈肉魂と傷の裂け口の闇〉の凄まじい体現者はおそらく今は皆無であろう。田中氏は、体のその重心ゆえに、あまりにも地上的であり、例えば勅使河原三郎氏は天上的であり、土方巽のごとき地上性と天上性とをあたかも奇術師のごとく併せ持つ怪物的な才能はもはや残念ながら無いのであろう。番組の最後で、田中氏はベーコンの晩年の作を評して、金と名声に負けた変節と語ったが、デヴィッド・リンチ氏はそこに表現の幅としての解釈を見せていた。私はデヴィッド・リンチ氏と同じ見方である。時代がベーコンに追いついたのではない。時代がベーコンの表現と重なってきて、まさにこの21世紀はグロテスクでオブセッショナルな様相を呈してきているのである。私は以前のメッセージでベーコンの絵画を正に「現代のイコン」と評したが、同じ事をここで再び記そうと思う。

 

・・・ところで,昨今の美術館は入場者を得るために(愛)とか(ハート)をテーマにした虚な企画が目立つが、私がもし企画者ならば真逆の企画—obsession(強迫観念)と美の問題を絡めた展示をやってみたいものである。13世紀初頭の、神への礼讃を描いたフラ・アンジェリコの『受胎告知』の巨大なコピーを入口の初めに見せ、次はダヴィンチの『大洪水』による人類死滅のヴィジョンから異端審問による処刑図を経て、時代は一気に19・20・21世紀に飛び、ゴヤゴッホムンクスーチンピカソジャコメッティダリベルメール、そしてベーコンと続き、そこには声無き絶叫のオンパレードが続く。西洋は個人の自我意識が確立しているから、人はその肉の皮膚の内から絶叫の声を放つ。さて・・・日本はと、振り返ってみると、そこに荒ぶるようなヴィジョンが無い事にふと気付く。この国においての〈孤独〉は、時代性の情緒の内に紛れて終には甘美なのである。

 

詩人・野村喜和夫氏との詩画集『渦巻きカフェあるいは地獄の一時間』の刊行を記念して開催された、私と野村氏との対談が、現在発売中の『現代詩手帖』八月号(思潮社刊)の巻頭に所収されているので、興味がおありの方はぜひ読んで頂きたい。書評も、「二人の作品は等価どころか、ひとつになって新たな世界を創り出すのに成功している」(中村隆夫氏評)、「詩画集のひとつの達成として興味深い。(略)ここでは視覚作品と詩が、その乖離自体をひとつのオブジェとして呈示してもいるのだ。」(田野倉康一氏評)、「互いの主体の強度は保たれ、作品はぶつかり合うことなく戦い、それが二人の作品の交差となって、この書物の緊迫した膨らみを象り・・・(松尾真由美氏評)など好評であり、売行きも好調で、普及本・特装本ともに近々に完売の可能性も見えてきているようである。

 

対談の中で野村喜和夫氏は「・・・そもそもコラボレーションというのは、詩と美術の場合は、言語表現と造形表現との闘争的な共存であるべきで、本文と挿絵、あるいは作品とキャプションという関係では全くない。」と語っているように、私たちの共同作業の出発点には先ず〈私たち自身への批評眼〉があった。それが読者の多くに正しく伝わっているのだと思う。前述した田中泯氏の踊りに対して〈・・・違うな!!〉と思ったのは、つまりはそこなのである。ベーコンに対峙して肉魂の闇に迫るには、田中氏はベーコンの絵に度々登場する〈こうもり傘〉や、〈不毛な部屋〉といった既存のイメージを援用せずに、自身が抱えている主題で自立したものをやるべきであったのではあるまいか・・・。観者はベーコンの絵画の自立性、田中氏の踊りの自立性を見て、まさに先の田野倉氏の言を借りれば、その乖離自体の中に観者各々が問題意識を立ち上げ、自問するのである。田中氏がこの企画において計った距離の取り方、その在り様を、私は〈・・・違うな!!〉と直観したのである。それにしても、田中氏はあまりにも熱演であり過ぎた。

 

かつて、舞台の下で撮影している若き日の写真家・細江英公氏に対し、土方巽は演じながら〈今、撮れ!!〉 〈今、撮れ!!〉というシャッターチャンスのサインを〈気〉で送っていたという。何という複眼!何という恐るべき余裕と集中力!!そう、演じ手ではない、もう一人の醒めたプロデューサー・土方巽が、実は観者たちの背後の暗部にいて、自身の舞踏の絵姿を一瞬ごとに鋭く冷静に見ているのである。高ぶるのはあくまでも観客であり、演じ手は、何処かで醒めていなくては、作品にフォルムは立ち上がらない。表現主義・現場主義におけるジャクソン・ポロックがその恰好の例である如く、又、我が国の能がそうである如く、カオス(絶対の混純)をカオスたらしめる為には、その作品(化)として支えるための見えない、しかし確かな支持体が要る。その支持体の本質をこそ、真の意味での〈様式美〉と云うのである。

 

ベーコンの絵画がグロテスクを超えて、ついにはイコンのごとく美しい聖性さえも帯びているのはそこであり、ベーコンの画家としての本能は、したたかにも、それを知っているのである。

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『次へ !!!』

不忍画郎での展覧会『名作のアニマー駒井哲郎・池田満寿夫・北川健次によるポエジーの饗宴』が盛況の内に終了した。三人の作品が一堂に会すという話題性や、読売新聞の文化欄で紹介されたことなどもあり、来廊者は1000人を超えた。画廊の展覧会としては、異例の数字である。昨今の美術の分野の内容の薄さに対し、私は「芸術は精神を突く強度なものでなくてはならない!!!」という理念がある。その私の理念と、不忍画郎の荒井裕史氏のプロデューサーとしての版画への想いが合致した今回の企画が、多くの人々に支持されたのだと思う。会期の三週間の間に何度も足を運ばれる方も多くおられ、手応えのある展覧会であった。

 

詩画集『渦巻きカフェあるいは地獄の一時間』(普及版)

23日(日)の産經新聞の朝刊の文化欄に、5月に刊行したばかりの、詩人・野村喜和夫氏と私の共著による詩画集『渦巻きカフェあるいは地獄の一時間』の書評が大きく掲載された。書き手は、多摩美術大学の教授で美術評論家の中村隆夫氏。私と野村喜和夫氏がコラボレーションの形でこの本に何を込めようとしたか、そして、詩とヴィジュアルとの絡みと相関性について実に的確に書かれており、書評の域を超えた鋭い言及が成されている。産經新聞のインターネット版にも載っているので、ご興味のある方はぜひ読んで頂きたい内容である。先日、版元である思潮社から連絡があり、詩集としては異例の売行きで、完売も既に視野に見えてきているとの由。普及本は1000部であるが、先月、茅場町の森岡書店で開催した詩画集刊行記念展の時に、50部だけ特別に特装本を作った。私のオリジナル写真作品1点と、オフセット+シルクスクリーン刷りのコラージュ作品1点と野村喜和夫氏の詩のフランス語訳の凸版刷りに氏のサインが入り、本の内側にも、私と野村喜和夫氏の署名が銀文字で入った豪華版である。しかし、思潮社と野村氏と私とで配分した為に、私の方で販売可能な部数は今は僅かに5部しか残っていない。定価は三点のオリジナル作品が入って52,500円(税込み)。御希望の方は、この私のオフィシャル・サイトに申し込んで頂ければ購入が可能である。但し、残部が少ないために完売し、絶版になってしまった場合は御了承されたし。

 

個展を含め、昨年の秋から毎月、展覧会を続けざまに開催して来たが、ようやく充電の時期に入る事になった。しかし、今秋の高島屋の個展をはじめ、美術館での作品展示、更には異なるそれぞれのテーマでの個展が来年の春まで、早くも幾つか企画が入っている。私が次にどのような表現世界を展開するのか予測がつかないのが楽しみであると、展覧会に来られる方の多くが語っている。私自身も又、その意味ではスリリングな中にいる。多くの作家は、自分への批評眼の欠如ゆえに、作品が全く変わらないマンネリという澱みの中にいる。私は次なるイメージの狩猟場を求めて新たな場に移る事を自分に課している。私は有言実行の人間である。楽しみにして頂きたいと思っている。

凸版製法により刷られた野村喜和夫氏の詩・直筆サイン入り

野村喜和夫氏の詩のフランス語訳の凸版の金属製型版

 

オリジナル写真(ドイツ製:ハ-ネミュ-レ社バライタ紙使用)

 

詩画集の特装本

(私のオリジナル写真1点・コラージュ1点・野村喜和夫氏の詩のフランス語訳の凸版刷      り・サイン入りの計3点入り)定価52500円(残部5部のみ)

 

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『A・ランボーと私』

昨今の、ただたれ流すだけのCMと違い、昔のコマーシャルにはニヤリとさせる機知があった。例えば、30年以上前であるが、フェリーニの映像世界を想わせる画像がCMで流れ、小人の道化師や火吹き男たちが怪しい宴を催している。そこに、十代で『酔いどれ船』『地獄の季節』『イリュミナシオン』の文学史における金字塔的詩を発表した後、詩を棄て、死の商人となってマルセイユで37歳で死んだ天才詩人アルチュール・ランボーの事が語られ、最後に殺し文句とも云えるナレーションが入る。すなわち「アルチュール・ランボー、・・・こんな男、ちょっといない!!」という文である。そう、アルチュール・ランボー、・・・こんな男、ちょっといない!!

 

18歳で銅版画と出会った私が、最初から重要な表現のモチーフとしたのが、そのアルチュール・ランボーであった。現在、版画作品として残っているのは、僅かに4点であるが、おそらく40点近い数のランボーの習作が生まれ、そして散失していったと思われる。アルチュール・ランボー研究の第一人者として知られるJ・コーラス氏が私の作品二点を選出し、ピカソジャコメッティクレーエルンスト達の作品と共に画集に収め、二度にわたるフランスでの展覧会に招かれたのは記憶に新しい。又、20代から先達として意識していたジム・ダインのランボーの版画の連作は、私の目指す高峰であったが、そのジム・ダイン氏からの高い評価を得た事は、私の銅版画史の重要なモメントであり、そこで得た自信は、今日の全くぶれない自分の精神力の糧となっている。つまり私はアルチュール・ランボーによって、強度に鍛えられていったともいえるのである。

 

18日まで茅場町の森岡書店で開催中の、野村喜和夫氏との詩画集刊行記念展では、私のランボーの諸作も展示され、野村喜和夫氏収蔵のランボーの原書や、氏の個人コレクションも展示されて、異色の展覧会となっている。会期中は4時半から8時迄は毎日、会場に顔を出しているが、17日(金)の野村喜和夫氏との対談も控えている。当日は6時30分から受付が始まり、7時から対談がスタートする。定員制のため50人しか入れないが、聴講を希望される方は、早めに森岡書店まで申し込んで頂きたい。

 

この展覧会があるので、野村氏とはよく話をする機会があるが、つい本質的な内容にお互いが入り込んでしまうので、なるべく対談の時まで入り込まないように自重している。ぶっつけ本番となるが、今からどういう話が展開していくのか、自分としても多いに楽しみにしているのである。とまれ、この展覧会、会期が短いが緊張感の高い展示となっているので、ぜひ御覧頂ければと思っている。

 

 

 

 

 

 

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『コレクションも創造行為である』

画廊香月での三週間にわたる個展が先日、盛況のうちに終了した。作品をコレクションされた方の六割が画廊香月の知巳の方や、ふらりと画廊を訪れた方であった。つまり、私の未知の方が即断で作品をコレクションされたという事は、コレクターの層が大きく拡がったという事であり、表現者である私にとっての大きな自信となっていくものである。私とコレクターの方との関係は、作品のイメージを中心に置いた右と左の対の創造者同士であると思っている。人生は一度限りである。私は生ある限り、この関係を今後も大切にしていきたい。

 

アトリエでの静かな時間がようやく戻って来た。庭に出ると、葉群らの間から蜥蜴が銀の光を反射して、とても美しい。一年中で最ものどかな春の一刻である。フェルメール論の執筆の際に作った〈カメラ・オブスキュラ〉を久しぶりに取り出して来て窓外を見る。不穏な地震の気配は足下でなおも不気味に動いているが、迫り来るかもしれないカタストロフィーの予感を抱きつつも、レンズ越しに見る光景は、午前の静まりを映して事も無しである。

 

 

思潮社から荷物が届いた。開けてみると、野村喜和夫氏との詩画集『渦巻カフェあるいは地獄の一時間』が現れた。遂に本が出来上がったのである。装幀家・伊勢功治氏の高い美意識と、思潮社の藤井一乃氏の詩集における可能性の追求が徹底されていて実に美しい造本となっている。刊行を記念した展覧会が5月13日から一週間、茅場町の森岡書店で開催される。17日の6時からは野村氏と私との対談が予定されている。定員は50名で参加費は2000円。聴講をご希望される方は予約制なので、森岡書店或は、このオフィシャルサイトに早めに御申し込み頂ければ嬉しい。野村喜和夫氏は文学の角度から、そして私はヴィジュアルの角度から各々が天才詩人アルチュール・ランボーの表現世界と関わってきたわけであるが、今その二つが一つに結びついて「詩画集」という本のオブジェに結実した。その経緯を二人が語り、その後で野村氏の自作の詩の朗読もある。定員に達し次第〆切のため、ぜひお早めにお申し込みください。

 

詩画集の表紙の帯に記された文「詩のことばが写真とオブジェにからまりながら、どこまでも都市を彷徨い続ける。ランボーに魅せられ、ダンテに導かれた二人の作家による、現代版〈地獄くだり〉。」が示すように詩人の野村喜和夫氏とは、〈ランボー〉を通じて不思議な感性の共振がある。その共振と異和が揺れながら結晶となった、極めて美麗で、危うい毒が詰まった本である。

 

お申し込み:森岡書店

Tel: 03-3249-3456(13:00〜20:oo)/E-mail: info@moriokashoten.com

 

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『年が明ける』

三方から除夜の鐘の音が響き始めたのと重なるようにして、風に乗って東の海の方から汽笛の音が鳴り響いてきた。横浜港に停泊している全ての船がいっせいに新年を祝して汽笛を鳴らすのである。私はこの汽笛の音が好きであるが、この音を聞く度に想いだす一枚の古写真がある。それは明治初期に撮られた写真で、そこには、山手の坂を下りて港に行く際に渡る谷戸橋の上を歩く外国の婦人の姿と、その先を輪廻しをしながら駆けていく少女の姿が写っている。遠景に見えるのは寺院で、ヘボン式ローマ字の創始者で宣教師・医師であったジェームス・ヘボン先生の住居である。写真は本質的に静的なものであるが、この輪廻しする少女のように無垢な動的なものがそこに加わると、詩的な叙情性がリアルに立ち上って私たちを引きつける。この写真はキリコの代表作『街の憂愁と神秘』に似ているが、あの絵のような不穏さは全く無く、有島武郎の小説『一房の葡萄』のような永遠の「時」が封印されている。ヘボン先生の住居は今日では税務署に変わり、何とも風情が無くなってしまったが、それでも私はこの新年の汽笛の音を聞く度に、今も在る谷戸橋の上をはしゃぎながら駆けていく少女の姿が、まるで幻視のようにありありと想い浮かぶのである。

 

さて、今年は1月から半年間は個展を中心に、毎月なんらかの形で作品発表が予定されている。さらには4月にベルギーのブリュッセルで開催されるアートフェアーの出品依頼を受けたので現地に行く事になり、そのための制作も急遽入って来て慌ただしい。ただしこのベルギー行は往復の飛行機代と宿泊代は先方が出してくれるというので条件としては嬉しいが、ともあれ20年ぶりのベルギーである。又、6月はイタリア(主にミラノとフィレンツェ)に墓地の彫刻を撮影しに行くので、空を飛ぶ機会は増えるが、それを機に、また新たなイメージの領土を開拓していく気概は十分にある。昨年、個展に来られた初めてお会いする方々からもこのメッセージを楽しみにしているという話を伺い、かなりの数で読まれている事を知り、更に燃えようというものである。今年前半は個展とは別に、詩人の野村喜和夫氏との詩画集も思潮社から三月刊行の予定で進行しており、その刊行記念展も既に予定として五月に入っている。又、私の本も刊行が予定されており、追加の執筆も、作品制作とは別に書かなくてはいけない。毎回書くメッセージはその意味でも、予告としての有言実行の場であり、重要な意味がある。今年も話題を変えながら書き進めていきたいと思っているので、お付き合いを頂ければ嬉しい限りである。

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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