高槁お伝、谷崎潤一郎

『対岸の火事に非ず』

 

今回のブログは『毒婦・高槁お伝、遂に登場!』と題して、明治の殺人犯、高槁お伝谷崎潤一郎の奇妙な関係、また後年にそこに絡んだ私の奇妙な体験談について書こうと思っていたが、昨日の久しぶりに大きな地震で大地が激しく揺れたので気が変わり、現実の側に傾いた話を書く事にした。

 

……昨夜、日も変わろうとしている夜半、テレビを観ていたら急に、仙台と福島に地震警報が出た。そこには友人が何人かいるので「地震が来てもたいした事が無ければ善いが……」と、思っていたら、なんの事はない、直後、東北からの地震の連動で、この横浜もガタガタと揺れ始め、静岡辺りまでがかなり揺れた。オミクロン、ロシア軍のウクライナへの非道な侵攻、……そして昨夜の地震といい、ここに至って、現実が正に「負」一色に塗り変えられた観がある。

 

 

時代錯誤の帝国主義の復活妄想にその髄まで染まったプ―チンの采配の下、ロシア軍による軍事侵攻が続く昨夜、ウクライナのゼレンスキ―大統領が米連邦議会で行った支援要請演説の中で「真珠湾を思い出してほしい。1941年12月7日、米国の空はあなた方を攻撃した戦闘機で黒くなった」と話した時に、急にひんやりとするものがあった。現代と過去を思い重ねたのである。

 

……第二次世界大戦中のソ連軍は、1939年に宣戦布告無しに突然フィンランドを急襲し、また1945年8月9日に不可侵条約を突如破って実に157万人のソ連軍が満州に侵攻し、彼の地は生地獄と化した。それと同じく日本軍は米国に宣戦布告無しに突然、真珠湾を奇襲し、その成果で日本国内は沸いた。日清、日露からの軌道を外した狂気が更なる悪夢を紡ぐように人々は沸いたのである。……私は醒めた気持ちでそれを思い出していた。

 

 

そのソ連軍であるが、太平洋戦争終戦後3日目の8月18日に、北から千島列島東端の占守島に突如攻め入り、日本軍の戦車隊と激しく交戦した。この時の日本軍は作戦立てが巧みで、急襲されながらも、日本側の死者は600~1000名に対し、ソ連側の死者は1500~4000名であったという。日本は既に敗戦国であった為に、この局地戦は結局意味の無いものとなったが、姑息にもスタ―リンは、戦後に北海道占領を米国に要求、しかし当時のトル―マン大統領がこの要求を拒否した事で、ソ連の北海道占領は無くなった。もしそれを受け入れていたら……と想うと寒気が走る。しかし、その後で、なおもソ連は米国に対し、日本の分割統治を強く求めたがマッカ―サ―が拒否。この時点でもし別な道を行っていたら、日本は今の韓国と北朝鮮のように分断という悲劇の可能性も多分にあったのである。………日本列島を分断するフォッサマグナよろしく、北はソ連が、南は米国に占領されたとすれば、北の方では例えば、アルハンゲリ弘之スキ―とかアデリ―ナ政子……といった名前が……或いは。

 

しかし、敗戦直後の史実の中には、もう1つ「まさか!」という日本受難とも云える構想があった事を知る人は案外少ないのではないか。……まるで井上ひさしの書いたような非現実的とも映るその話とは、日本占領下のリスク分担という発想から出た構想であるが、つまり、以下のように戦勝した各国が、日本を各々に分けるのは如何か?という話である。

 

すなわち、ソ連が北海道と東北を。米国が本州中央を。そして中国が四国、そしてイギリスが西日本を分割するという話が実際に立ち上がっていたのである。……こう想うと、「日本」とは詰めて語ればもはや観念の中。……しかし、「私の国は私が守る」と言って危険な前線に行くウクライナの若者の映像を視ると、それを日本に置き換えた場合、もしロシアが、或いは中国が宣戦布告無しに突然攻め入って来た場合、もはや国としての体を成していないと諸外国から揶揄されているこの国において、「私の国は私が守る」という、国と自身のアイデンティティーが結び付いていないこの国は、果たしてそこに呈する姿や如何に…………である。……公海とは云え、津軽海峡を連日、日本を冷笑或いは煽るようにして、ロシアの軍艦が我が物顔で通過して行く。……ウクライナの事は対岸の火事に非ず、しかしそれをこの国に移し変えて見た場合、そこに見えて来るのは寒々とした、日本の素顔の実体なのである。

 

『国の根幹は教育である』と言ったのは、凶徒に刺殺された初代文部大臣の森有礼である。その根幹たる、この国の教育現場は理念を欠いて荒廃の一途である事は周知の通り。……かつて終戦直後の日本が、まるで死肉に集るハイエナの如く、四つの戦勝国によって分断される危機があったという重大な事実を多くの人が知らないのは、ひとえに教育の現場でそれを語って来なかったからである。

 

……なぜ教育の確たる現場で語って来なかったのか!?……理由は明白で、米国への小心な媚びへつらいと保身が生んだ忖度に他ならない。ギブミ―チョコと俄に輸入された、その出自の背景を理論的に教える事を欠いた(民主主義教育)によって、この国は根拠のない性善説と他国の力に依存する弱徒と化し、早75年が経過して、この国の不気味さは今や絶頂に達した観がある。……そして今や、この国の若者の多くは「誰でもいいから、相手が何者なのか知らなくてもいいから、ただただ繋がっていたい」という不気味な感性を持ち、持論を持って語る事を怖れる、ある意味、神経症と言っていいアバターと化した。……かつて日本であった土地の上に、ただただ生きて流離っている、凡そ1億2千万の人間が烏合の如くいる。……それが今の「にっぽん」の姿であると云えば、言い過ぎであろうか。

 

 

 

 

 

 

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