#大久保利通

『攻撃の切っ先-大久保利通暗殺秘話』

…一度しかない人生を豊かにするか否かは、善き人との出逢いが大きい。…その意味では私は本当に善き人達との出逢いに恵まれていると思う。…わけても先達の人で、今も現役の活動をされている人達からは知的刺激と強い気を頂いている。…5月に名古屋画廊で私との二人展を開催した俳人で美術評論家の馬場駿吉さん(93才)、海外でも最も高い評価のある写真家の川田喜久治さん(92才)、…そしてアンドレ・マルロ-と親しく、『マルロ-との対話』他の著作でも知られる仏文学者の竹本忠雄さん(93才)。…竹本さんは八月に刊行予定の新フランス詩華集『幽憶』のランボ-の『太陽と肉体』の訳に併せて、私の版画『肖像考-Face of Rimbaud』(戸嶋靖昌記念館収蔵)が掲載される予定。刊行が楽しみである。……そして、わが国のシュリアリスム研究の第一人者で瀧口修造さんやアンリ・ミショ-とも親交が深かった鶴岡善久さん(89才)……etc。

 

その鶴岡さんを先日、船橋に訪うた。鶴岡さんの部屋はいまだに書籍の山で、壁には、私の個展の案内状が沢山貼られていて感動した。…その日は二時間ばかりの滞在であったが、国家とは、そしてそもそも天皇性とは何なのか、…その是非について、また川端三島谷崎大江健三郎梶井基次郎…の話に移り、最後は、この国の本来は在るべき軌道であったものを狂わせてしまった西郷隆盛農本主義大久保利通の富国強兵をスローガンとする、ドイツを規範とした政策の対立について意見を交換して、時間があっという間に過ぎてしまった。……大久保利通…欧化主義…、そして紀尾井坂の大久保が暗殺された現場の事が帰路の際に頭に残ったのであった。

 

 

周知のように、征韓論で敗れた西郷隆盛は鹿児島に下野し、明治10年2月から9月迄続いた西南の役で、故郷の城山で自刃して果てた。ここに於いて農本主義の可能性は無くなり、以後は大久保利通が牽引する富国強兵策によって、日本は本来の気質や精神の身の丈に合わない路線を狂歩する事となった。

 

…だが、その大久保は8ヶ月後に、政府の専制的な政治や富国強兵策などの不満を抱いた島田一郎ら6名の不平士族によって紀尾井坂の清水谷付近で暗殺された。…いわゆる『紀尾井坂の変』である。

………その暗殺現場のあった場所(ホテルニューオ-タニ前近く)を私は度々通っている。拙著『美の侵犯』や作品集『危うさの角度』刊行の為に出版社・求龍堂に打ち合わせに行く時に、私は好んでその道を通っていたのである。

 

…ある時から関心は、大久保を斬殺した島田一郎ら6名にも及び、谷中墓地に在るという彼らの墓を見に行った事があった。…しかし一万基は在るという広大な墓地で捜すのは不可能に近い。…だが、私には呼び寄せる力があるらしく、その時も私に吸い寄せられるようにして、墓地内で墓を案内する年輩の男性が何処からか不意に現れた。

 

…(大久保を斬殺した島田一郎達の墓を見に来たのですが、わかりますか?)と言うと(あぁ、わかるよ!付いてきな!)と言って歩き出した。案内のその男は急に振り向いてこう言った。(俺も30年以上、この墓地の案内をしているが、島田一郎達の墓を尋ねて来たのは、あんたが初めてだよ)と。

 

…そして前を歩きながら男は独り言のようにこう言った。(…あの島田一郎は確か鳥取藩だったな)と。…私は言った。(いえ、島田一郎は石川県士族です‼)と。………男は急に振り向いて、伝法な物言いでこう言った。(あれかぇ?お前さん…ひょっとして訳ありの人かい?)と。…(いえ、私は只の人間です。)

 

……かくして私は案内されて、その刺客6名の墓の前に立った。…そこは横山大観の墓裏の昼なお暗い場所であった。

 

…よほど私は不穏な凶事の気配が好きなのであろうか、…現場主義の私は大久保が災難時に乗っていた、血痕が生々しく残っている馬車を皇居三の丸尚蔵館で展示された時にも観に行っている。

 

そして先日、……梅雨入りの冷たい雨がしめやかに降る午前に、桜田門にある警視庁参考室に行き、暗殺時に島田一郎らが使った刀が展示されているので、事前予約を入れてそれを観に行った。

……大久保利通の乗った馬車が近づいて来た瞬間、刺客は先ずは馬の脚を斬り、次に馬丁を斬った後に、大久保を馬車から引きずり出して16ケ所を斬って斬殺した。

 

 

 

 

… (⭕注意・ここから以下は血圧の低い人や、10才未満のお子様は読まないようにお願いします。全て実際にあった話です。) ↓

 

 

 

大久保は暗殺される前日に前島密(郵便制度の父・当時内務省の官僚であった)にこう言ったという。…(昨夜、不思議な夢を視たよ。西郷と私が高い岩山の上で縺れ合いのように取っ組み合いをしながら、やがて二人とも下に堕ちてしまうのだが、自分の頭が割れて、脳みそがピクピクと動いているのを、もう一人の自分がじっと視ている、そんな夢を視たよ。)と。

 

明治11年5月14日、午前9時頃、内務卿大久保利通が刺客に襲われた‼という一報が赤坂仮御所に入った時に、真っ先に現場に駆けつけたのは前島密であった。…そして前島はそこで視たのであった。…大久保が前日に語った通り、柘榴のように切り裂かれた大久保の割れた頭蓋骨の中で、未だその脳みそがピクピクと動いている、その光景を。………私は警視庁のその展示室に在った刺客が使った刀の切っ先が4センチばかり欠損しているのを視た時に、大久保の頭蓋をも切り裂いた、日本刀の物凄い力を想像し、その大久保が語った予知夢のような不思議な話を思い出して戦慄した。

 

 

しかし、この予知夢のような話を分析すると、2つばかり、大久保の深層心理らしきものが見えてくる。

 

…1つは、暗殺前に島田一郎達から大久保宛に届いた暗殺予告の手紙の存在である。大久保は臆する事なく超然としていたというが、或る事が見えてくる…(私はあと10年はこの国の政治を牽引し、その後は後進にその職を渡す)と言った大久保は、その道が間近に断たれる危険性をその手紙から感じて、内心はその死を怖れていた事が見えてくる。

 

…もう1つは、もしその手紙の通り自分が暗殺されたならば、半年前に亡くなった盟友・西郷隆盛と、正に両雄相討ちの体となる…、という、恐怖と自負が入り交じった感情となり、それが間近に迫っている事による強迫観念となって、前島密から視た場合の予知夢的なものとなって現実化した、そのような事も見えてくるのである。

 

……展示室を見終えて警視庁を出ると、眼前には桜田門が雨に重く霞んで陰鬱に見えている。… (…そういえば、165年前に、正にこの前の広い道で水戸藩の浪士に大老の井伊直弼が暗殺されたな、…それをふと思い出した。……ある日、私の好きな作家で、史実を徹底的に調べる事で知られる吉村昭さんに警視庁から突然の問い合わせがあった。(桜田門外の変が在った場所を正確に知りたい)という内容である。…吉村さんは話した、(正にあなた達がいる警視庁の真ん前がその現場ですよ)と。

 

 

……唯のイメ-ジでなく、歴史の史実を知れば知るほど、現在に膨らみが見えて来て人生が面白くなってくる。…もっと知りたいという私の好奇心は、最近ますます強くなって来ているようである。……さぁ、次は何処に行こうか。

 

 

 

 

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『手塚治虫…そして、あの日あの時』

今までたくさんの映画を観て来たが、No.1は何れかと言われたら、その主題の壮大さ、先見性、つまり映画でしか現しえない可能性を多分に孕んでいるという点で、私は躊躇なく『2001年宇宙の旅』(監督スタンリ-・キュ-ブリック/原作ア-サ-・C・クラ-ク)に指を折る。…映画の権能を駆使した視覚による進化論、この映画はそう言っていいだろう。

 

…未だ美大の学生だった18才の頃、この深遠にして壮大な暗示性に充ちた映画を観ていた私は映画の2/3辺りで、自分に問題を突きつけた。…(自分がもし監督だったら、この映画のラストシ-ンをどのような映像にするのか?と)。

 

…私は自分が監督だったら、暗黒無限な宇宙空間の中にさ迷う胎児を漂わせて終わりにする!…そう思った。………………やがて映画のラストに来た時に、暗黒の彼方から小さな飛来物が現れて、それが次第にアップになった瞬間、果たして私が予見したのと同じ、宇宙空間にさ迷う、羊水の中で指をしゃぶりながら眼を閉じて眠る胎児が映った時は、体が熱くなった事を今も覚えている。……

 

 

この映画が出来る前の1965年に監督のキュ-ブリックから一人の日本人に(21世紀を舞台にしたSF映画の構想を練っており、その美術デザインに貴方の力を借りたい)というオファーの手紙が届いた。…しかしあまりに現状が多忙な為に、断りの手紙を書いた。

 

…そしてその3年後に『2001年宇宙の旅』が公開された時、映画を観たその日本人は参加しなかった事を生涯悔やんだという。……手塚治虫のよく知られた逸話である。…高度な想像力を持った人材としてキュ-ブリックも手塚治虫の事を高く評価していたのである。…手塚治虫の脳裡にはロボット、AI、…それら諸々の科学がやがては過剰に進化した結果、終には人間を不幸に至らしめる事が見えていたのである。

 

 

…最近は制作に没頭の日々であるが、六本木ヒルズで開催中の『手塚治虫/火の鳥展』の最終日に行って来た。…原画を観るのは、以前に東京国立近代美術館で開催された手塚治虫の原画展以来である。…やはり手塚治虫の原画は凄い、そして線に魂が入っていて至上に美しい。…表現の鬼と化したその直筆の原画からは、懸命に命を削るように描いている、鬼気迫る執念と気迫が直に伝わって来る。……そして会場で『火の鳥』の原画を観ながら、小学、中学生の時に当時、漫画家を目指していた自分の姿を思い出していた。…

 

 

そう、私は小学生の時に早々と漫画家になる事を決めていた。…勉強はそっちのけで、積み上げた漫画本の山に埋もれるように日々生きていた。…少年マガジンか冒険王だったかに漫画を描いて投稿した時に、選者であった石森章太郎藤子不二雄が私を一席に選んでくれて寸評が載った時はかなり興奮したのを覚えている。……ケント紙に墨汁をつけたペンをカリカリと走らせ、天井を見上げては空想に浸り、今思えば子供にしては早熟なスト-リー漫画を描いていた。(……宇宙船が飛来して地球に接近し、後にキリストとなる謎めいた生命体がパレスチナベツレヘムに怪しい光を放ちながら降りていく話。)……また、(ナチスが開発した「V2ロケット」がド-バ-海峡の上を飛来してロンドンを爆撃する場面から始まる二重スパイの話。これは二重スパイなので次第に話が混乱し、途中で筆を折ってしまった。………etc)

 

 

……高校一年の春であった。休み時間に他のクラスの生徒がやって来て教室の窓越しに(…北川君ていますか?)と言うので、(僕ですが、何か?)と言うと、その学生は(僕は中山といいます。君の噂を聞きました。実は僕も漫画を描いているのですが、友達になりませんか‼)。……そして私達はすぐ仲よくなり、熱に浮かれたように漫画熱に感染し、高校を出たら一緒に上京して漫画家になろう‼と話し合っていた。その時、手塚治虫の存在は正に天上の高みにあった。……『まんが道』(特に立志編)は、テレビ化もされた藤子不二雄の自伝的漫画作品であるが、彼らの出会いと正に同じであった。

 

 

…………しかし、私に突然の出会いが現れた。画家・佐伯祐三の作品を観て、電光石火、画家へと進路が一変してしまったのである。…佐伯の模写から油絵を描きはじめ、美大を目指して石膏デッサンにのめり込む日々が続き、中山君とは次第に疎遠になってしまったのであった。……美大に入ってしばらく経ったある日、高校の美術部の後輩から中山君の消息を偶然知ることが出来た。…彼は高校を卒業して直ぐに上京し、さいとうたかおと劇画界を二分する人気劇画家の佐藤まさあきのアシスタントになったという。…しかしその後の中山君の消息は不明である。彼の実家も引っ越してしまって探しようがない。

 

 

 

………かつて目標としていた手塚治虫、そして、その後に出会った佐伯祐三の作品を視ると今でも体が熱くなる。三つ子の魂百までではないが、今も制作に入る前は時に佐伯祐三の画集を開くことがある。…すると感性に電流が走りはじめ、熱くなって来るのである。

 

…今、アトリエの机の上に手塚治虫の2冊の漫画本がある。…連載途中で死去した為に遺作となった『ル-ドウィヒ・B』(未刊)、…楽聖ベ-ト-ヴェンの伝記漫画である。…その中に(僕にはもう時間がないんだ‼)という言葉がある。癌に冒され、死期が近いと覚った手塚治虫自身と完全に重なっていると思い、考えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

…私事になるが、私が学生時に学んだ銅版画の詩人といわれた駒井哲郎さんも、癌に冒されて以後は、作品全てが自画像と化していた。…岩礁のくりぬかれた洞窟は、朽ちた頭蓋骨と化し、舌癌ゆえに、描かれた岩場のそこは、まるで崩れた歯と同化しているが、最期の時期の何れの作品も、その集中力と達観ゆえなのか表現の深度が実に深い。

 

……表現者の最期、……手塚治虫のその最期の頁を開きながら、今回のブログを書きつつ、いろいろと考えてしまったのであった。

 

 

 

 

予告.……次回は一転して、西郷隆盛の盟友にして最大の対立相手となった大久保利通の、知られざる訳ありな話を書く予定です。……乞うご期待。

 

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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