『谷中幻視行―part②』

蝉のかまびすしい鳴き声に、ようやく梅雨があけたかという感がある。しかし、七月の長雨にはもはや私達の知っている、あの梅雨の風情などはもはや無く、唯の異常な狂い雨である。テレビに映される最上川の凄まじい氾濫や、押し迫る濁流に退路を断たれて孤立する数軒の家の画像などを見ると、江戸期に詠まれた俳聖達の名作の句も、今読むと、緊迫した実況中継の一場面に見えて来るから恐ろしい。……「五月雨を/集めてはやし/最上川」(芭蕉) 「さみだれや/大河を前に/家二軒」(蕪村)。……蕪村にはまだある。 「春雨の/中を流るる/大河かな」  「さみだれや/名もなき川の/おそろしき」

 

……さて、前回の続きで墓地である。墓地はいい。生者と死者の魂の交感の場であり、やがて訪れる死への覚悟といったものが柔らかく固まってくる。……そして今日は前回の続きで、谷中の墓地に足を運んだ。この墓地は著名人の墓も多く、毒婦とよばれた高橋お伝、徳川慶喜、朝倉文夫、円地文子、鏑木清方、森繁久彌、立川談志、横山大観、長谷川一夫、渋沢栄一、色川武大…………と、きりがない。私の知っている人もこの墓地に四年前から眠っている。彫刻家朝倉文夫の次女で、舞台美術家の朝倉摂さんを姉に持つ、彫刻家の朝倉響子さんである。響子さんは、私が24才で開催した初めての個展に、関根伸夫さん達と共に来られ、その場で波長が合い、以来長いお付き合いをさせて頂いた年長の友であったが、今は朝倉文夫が夫妻で眠る大きな墓に姉の摂さんと一緒に眠っている。その一家を撮した趣のある写真があるので掲載しておこう。左が摂さん、真ん中が朝倉文夫、そして右が響子さんである。

 

 

 

 

……谷中の墓地は実に広い。私はずっと気になっていた、一警察官の過去に纏わる或る事を確認したい事があったので、高橋お伝の墓の側にある派出所を先ずは目指して行った。しかし、中に警察官がいなかったので、その前に、この墓地に眠っているという「島田一郎」という人物の墓を探したが、これがなかなかにわからない。墓の番号は事前に調べてわかっていたが、区域が甲乙丙各々に分かれている為に、これがなかなか見つからない。先ほど挙げた著名人と違い特殊な人物なので、もはやお手上げか……と思ったその時に、目の前に、墓の案内人とおぼしき年配の男性が、まるで待っていたかのように、すっと現れた。「おじさん、島田一郎の墓は知ってますか?」と問うと「あぁ、知ってるよ。じゃ案内するからついて来るかい?」と、私の先を歩き出した。……私が言う島田一郎とは、明治11年5月14日に大久保利通を紀尾井坂近くで暗殺した刺客六人の内の主犯で、西郷隆盛の心酔者である。……「俺もここで、墓を訪ねてくるいろんな人をずいぶん案内したが、島田一郎を訊いて来たのは、あんたが初めてだよ」と言い、「島田一郎は確か鳥取の藩士だったかな?……」と間違った事を言うので「いえ、彼は加賀藩士です」……と私。まだ墓は先らしく、「おたく、あれかい?……訳ありの人かい?」といささか伝法な口調で訊くので「いえいえ、ごく普通の一般人です!」と私。……目指す墓は、横山大観の墓の裏側の葉陰に、他の5人の実行犯と共にひっそりとあった。案内の人に礼を言って、私は暫し、ずらりと並ぶその六基の墓を見回し、紀尾井坂の変当時の光景を想像した。……以前に宮内庁内で、大久保利通が災難時に乗っていた実際の馬車が展示された時があったので見に行った事がある。島田達の暗殺計画は実に巧みで、先ず馬の脚を切り、次に馬車の馭者を刺殺してから、六人で大久保利通に斬りかかった。大久保の最期の言葉は「無礼者!!」であったという。……大久保が敷いたあまりに急速な欧化路線でなく、西郷が考えていた農本主義で、もしこの国が歩んでいたならば、全く別な、少なくとも精神的にはかなり豊かな日本があったかと私は思っているが、如何であろうか!?ともあれ、西郷と大久保という、この二人の巨人の相討ちによって、この国の歩みは歪みを呈していった事は間違いない。

 

 

 

 

 

 

 

……次に派出所前に戻ると、やはり中に警察官はいなかった。……仕方がない。まぁ、詳しく訊くのはまたの後日として、私は広い墓地をひたすらに眺めた。………………話は変わって、今から30年ばかり前に鎌倉の海岸近くで交わされた、或る二人の人物たちの会話に話が移っていく。一人は絵画の修復の名人Tと、今一人は画家のKである。KがTの作業場を夕刻に訪れると、未だ弟子達が残っていた。先生!……とTはKの事をよぶ。Kはそう言われるのはあまり好きではなかったが弟子達への立場を知っているので、そう呼ばせていた。……弟子が帰っていくや、TはKの目を見詰め、一転して「Kちゃん!!」と親しく呼んだ。二人は古くからの友人だったのである。Tは他に誰もいないのにKに向かってひそひそ声で「Kちゃん、いい物を見せてあげる!」と言うや、二階から2冊のアルバムらしき物を抱えて持って来て、おもむろに開いた。「どうせ家族の成長記録だろう」……Kがそう思って見ると、それは全頁が、墓地の至る所で展開する、昔の男女カップルの隠し撮りの写真、写真……であった。「どうしてこれが!?」と問うと、Tはその訳を話し始めた。…………ある日、Tが銀座を歩いていると前方からヤクザらしき男が歩いて来た。Tはその男に古い見覚えがあって、「まずい!」と思った。Tは中学時代に番長で、眼前から来るそのヤクザの男は、今と違い病弱ないじめられっ子であった。男もまたTの事を覚えていて、「ようTじゃないかぁ、久しぶりだなぁ」と言い「昔はずいぶん世話になったから、今度、御礼を送るよ!」と言って、住所を訊いて来たので、Tはそのままに教えた。……別れた後から「しまった」と後悔した。いわゆる御礼参りという仕返しを内実怖れたのであった。……しかしそれはただの杞憂で、後日送られて来たのは2冊のアルバムであった。「それがこれ!!」と言い、話すTは嬉しそうにKの顔を見た。そして、アルバムと一緒に入っていたヤクザの男が記した、アルバム入手前の或る男(つまり、その写真の撮影者)について書いてあった手紙の内容を詳しくKに話した。……話に拠ると、その撮影者は、谷中の墓地を巡察して不審者を取り締まる警察官であったが、その警察官自身があろう事か、カップルの秘事を隠し撮りする人物であった由。つまり絶対に捕まらない構図なのである。派出所を移って出世の話が来ても、その警察官は「いやぁ、私はここで……いいですからぁ」と言い、出世の話も拒んで、平の一警察官として生涯を終えたらしく、その退官記念に自身の生きた証し(?)として、写真を焼き増しして何冊かのアルバムにして遺したのだという。……「それが、これ!!!」と言い、回りに誰もいないのにKの耳許に近付いて小声で「Kちゃんにあげるから、気に入ったのがあったら5枚だけ選んで!!」と言ったので、Kもまた折角の話と思い、厳選してアルバムから5枚だけ選んだ。……この少年同士の悪巧みのような会話、ちなみに言えば、この話に登場するKとは、私の事である。……かくして私のアトリエの中にその写真5枚が今もあるのである。

 

 

 

 

 

 

……北原白秋に「墓地」という詩がある。「墓地は嗟嘆(なげき)の、愛の園、また、思ひ出の樫の森。/墓地は現(うつつ)の露の原、また幽世(かくりょ)の苔の土。/ 墓地は童の草の庭、また、あひびきの青葉垣。/墓地はそよ風しめじめと、また、透き明る日のこぼれ。」

 

……「また、あひびきの青葉垣」の垣根越しに、この警察官は生涯、シャッタ―を切りまくった訳である。……では、この詩に登場する墓地とは何処なのか!?……実は北原白秋は前述した、谷中墓地間近にある朝倉文夫の家(現在の朝倉彫塑館)の隣に家があり、その朝倉文夫の家の向かい隣に幸田露伴が住んでいた。……つまり、この詩に登場する墓地は谷中墓地の事であり、撮された男女の服装から察して時代的、時系列的に見ると、この警察官と北原白秋はほぼ同時期に、この谷中墓地で同じ空気を吸っていた観があるのである。……そしていつしか、もちろん名も知らぬ、この警察官の一生に私は強い興味を懐いている。……「窃視症」なる者は、勿論この男に限らずたくさんいて、それは文学にも深い陰を落としている。……川端康成、永井荷風、江戸川乱歩、寺山修司……。特に荷風の場合はそれが高じて、自分で男女の待ち合いの建物を作り、また川端康成の場合は、更に高じて、視線のエロティシズムは『みずうみ』などの作品に見る、危ういネクロフィリアにまで達している事は周知の通りである。また海外ではデュシャンやコ―ネルにもその例はあり、詳しくは拙著『美の侵犯―蕪村×西洋美術』(求龍堂刊)を読んで頂けると有り難い。……とまれ、私はまた折りを見て谷中墓地に行き、派出所で警察官に幾つか問う事があるので、このコロナ禍の中ではあるが、出掛けてみようと思っている次第なのである。

 

 

 

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『谷中幻視行―part①』

……二月頃から、アトリエに籠ってオブジェの制作の日々が続いている。しかし、発想の転換や充電も兼ねて、時折は行きたい所に出かけてもいる。ここ連日続いていた長雨がその日は止んだので、これ幸いとばかりに日暮里から下車して谷中への散策をする事にした。……日暮里は、「日暮しの里」という言葉が語源である。その名が示すように夕焼けが美しく、震災前までは、この高台からはかつては素晴らしい眺望が見えたらしい。蛍が出て、この地から根岸にかけては多くの文人墨客が住んでいた。

 

さて、日暮里駅を出て御殿坂を上がるその途中に、すぐに本行寺(別名・月見寺)という大寺がある。小林一茶も句を詠んだこの古刹には、先ずは目指す永井尚志(若年寄)の墓がある。幕臣中随一の切れ者であり、大政奉還の上奏文を書いた人物である。しかし、とてつもなく広い墓地なので、その場所がわからない。……「御免下さい」と言って寺内に入り、奥から出て来たご住職に問うと、塀沿いの最奥がその墓であるという。「永井尚志の子孫に、永井荷風と三島由紀夫がいますね」と言うと「そうです。この三人は繋がっています」との返事。「何故、永井の墓がこの寺にあるのですか?」と問うと、「この寺の開祖が初代江戸城を築いた太田道灌で、永井はその子孫になります」との答え。……と言う事は三島由紀夫、永井荷風の先祖が太田道灌に結び付く訳で、これは知られざる「ファミリーヒストリ―」として勉強になった。ちなみに言えば,藤原鎌足にそのルーツが辿り着く。……ご住職は、私の質問に響くものがあったのか、帰り際に茶菓子を「持っていきなさい」と言って手渡してくれた。……令和の今と隔絶して江戸・明治の時間が止まったままのような深い趣のある古刹である。

 

 

 

……その隣の寺が経王寺。幕末の上野戦争で彰義隊の分屯所があった場所であり、その史実を映すように、入口の山門には官軍が撃った弾痕がいくつか生々しく残ったままである。穴に指を入れると、中指が丁度すっぽりと入ったので、それから官軍が撃った弾の大きさが見えてくる。

 

さて、その隣が延命院。樹齢六百年という椎の木を見ながら本堂の方に進むと、目立たない右陰にひっそりと建つ古い墓が一つある。墓の主は「行硯院日潤聖人」。享和の初め頃に、江戸城の奥女中や商家の内義、その数およそ60人以上……を惑わし、祈祷と称してかなり淫らな色事に耽ったという悪僧、いわゆる延命院事件の主役、住職日潤の墓である。やがて寺社奉行の捜査が入って露見、後に死罪となっている。この事件は後に河竹黙阿弥の『日月星享和政談』で芝居にもなった由。……前回のブログに書いた怪僧ラスプ―チンや道鏡、また以前のブログで書いた鎌倉尼寺の尼ばかりを狙った怪僧と言い、困ったものであるが、まぁ話としては面白い。その墓をじっと見た後で写真を撮る。……「夕焼けだんだん」を下って、谷中銀座の蕎麦屋で、谷中の名物と言えば谷中生姜なので、生姜、海老の天麩羅が入った蕎麦を食べ、最も気になっていた次の場所へと向かった。

 

 

 

延命院と経王寺の間の路を石塀に沿って歩く。長谷川利行、いずみたく、橋本関雪……達が住んだ路を、その先、諏訪神社の方に私が目指す「太平洋美術研究所」があった筈なので、その跡地を目指して進むと、幻覚なのか、……「太平洋美術研究所」の看板がありありと見えて来たのには驚いた。……実は、この「太平洋美術研究所」、美大に入りたくても貯えがない家庭に育ったので、美大を諦めて、ここに入ろうかと真剣に考えていたのが16才の高校生の頃であった。あの頃は中村彜や佐伯祐三にのめり込んでいた時期である。…………しかし、この太平洋美術研究所は明治の初期は、黒田清輝の白馬会と洋画界を二分する存在であり、初期の学生に坂本繁二郎、朝倉文夫、川端龍子、後に中村彜、中村悌二郎、……長沼智恵子(後の高村智恵子)などが学んだ研究所であり、私の狙いはそれほど間違ってはいなかった。ただ、あまりに時代の読みを間違っていた。……なにしろ、東京の国立という地名を知らず、夏期講習会のチラシを見て、国立(くにたち)美術研究所を、「こくりつ」の研究所と思っていた、そんな具合なのであった。もうとっくに無いと思っていた建物が、まるで私を待っていたかのように、幻のように眼前に在るのを見て、私は感動してしまった。……もし親が美大行きを許可しなかったら、私は上京して谷中近辺に下宿をして、ここに来た可能性が多分にあったのである。玄関のチラシを見ると、「高村智恵子が描いたデッサンが二点発見さる!!」と書いてあり、私はしげしげと見入った。……そして、扉を開けて中に入ると、奥から絵描きらしい人が出てきたので、「実は、昔、ここに入りたかったのですよ!」と言うと、「今からでも入れますよ!」と親切に言ってくれて、「二階が雰囲気があるので、良かったらご覧になりませんか?」と言って二階に通された。扉を開けて驚いた。松本竣介も時おり来て描いていたという、戦前の面影を残したままの画室がそこにあったのである。

 

後で帰ってからじっくり森まゆみさんの本を読むと、果たしてその画室の事が書かれている文章を見つけた。……「古びた灰色の建物の中を、ギシギシいう木の階段を上り、そうっとドアを開けると、薄暗い画室で何人かがキャンバスに向かっていた。O.ヘンリ―の『枯葉』を思わせる、油彩の臭いが漂う独特の雰囲気がある場所である。」と書いてあった。……帰りに、もう1度、その絵描きらしい人が「良かったら、是非!……いつでもお待ちしていますので!」と言って、案内の要綱を詳しく書いたチラシを渡してくれた。……歩きながら私は考えた。……もしここに入っていたら、後の私の人生は果たしてどうなっていたであろうか。……ほんのちょっとのモメントや偶然で、人の一生なんて大きく変わってしまう。……だから人生は面白いのだと。

 

さて、私が次に向かったのは、今日の本命の谷中墓地である。……私は以前から、この墓地の中を自転車に乗って、時に風のように飄々と。また時に、周りの誰も知らないもう1つの全く別な顔をして鋭い目付きで人生を送っていた、一警察官の足取りを追っていた。それを今日は詰めに来たのである。……その為に、私は墓地の中に在る派出所にも行かなければならないのであった。

 

…………次回part②に続く。

 

 

 

 

 

 

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『ラスプ―チンの忘れ物』

……先日、谷崎の『細雪』や、川端の『雪国』などの翻訳で知られるサイデンステッカ―の著書『東京下町山の手』を読んでいたら面白い事を知った。幕末の1858年頃から感染が広まったコレラ(通称コロリ)は、当時、長崎港に停泊していたイギリスの船から広まった由。今年2月に新型コロナウィルスの感染者を多数乗せて、さ迷える幽霊船のように横浜港に長期停泊していたクル―ズ船と同じパタ―ンであり、やはりイギリスの船であった。まさに歴史は繰り返すを地で行く話である。……さて、その幕末のコロリの流行であるが、当時「試衛館」という剣術道場を経営していた道場主の近藤勇はハタと困ってしまった。コロリの為に入門者が途絶えてしまい経営が行き詰まってしまったのである。周りは次々と感染者が出て、死者が絶えないのであるが、不思議な事に、この道場の食客としてごろごろしていた、土方歳三、沖田総司、永倉新八、山南敬助……達、天然理心流の凄腕の連中(後に新撰組の原型となる)は全く感染する気配もなく、ただ、この後、どうやって食べていくか?……だけを憂いていた。あくの強い連中には、コロリ菌の方から避けていたような節がある。そして彼らは、徳川家茂の上洛警護をする幕府の「浪士組」募集に応募し、活路を求めて京都へと向かった。……やがて、京都でこの連中から暗殺される運命にあった、あくの強さと強烈なキャラを兼ね備えていた芹沢鴨(水戸藩浪士・後に新撰組初代筆頭局長)もまた活路を求めて運命の転げ坂を辿って、地獄へ引き寄せられるように京都へと向かった。……その後の顛末は読者諸兄のご存じの通りである。

 

…私は覚えている。……あれは私が18の暑い夏であった。美大に入った私は、ふと西陣織の職人にでもなろうかと思って大学の夏休み時に京都へと向かった。……しかし、駅に着いて私が直ぐに向かったのは何故か西陣ではなく、壬生であった。この地に残る新撰組発祥の地、彼らの宿舎(屯所)が今もそのままに遺る八木源之丞邸を見に行ったのである。その当時は今のような新撰組ブ―ムは未だ無く、訪れる人もさほど無く、また屋敷は非公開の為に門が閉まったままであった。……歴史好きな私は熱い感動のままに大きな屋敷の周りをぐるぐる廻っていた。……すると、門が突然開き、中から八木家の子孫とおぼしき初老の方が出てくるところに偶然遭遇した。一瞬閃くものがあり、「……私はまだ学生ですが、大学で幕末の歴史を頑張って研究しています!」と言った。(もちろん、美大に幕末史の講座などはない)……すると温厚そうなその方は「もしよろしおしたら中に入りませんか?」と気軽に言ってくれて、私を八木邸の中へと導いてくれた。〈私は肝心な時に、こういう人との導きのような出会いが実に多い〉……100年以上もずっと非公開の為ゆえか、広くて薄暗い屋敷の中は幕末の頃の空気がそのままに残っているような張りつめたリアルな気配に充ちていた。……「そこの火鉢、土方はんや沖田はん達が、寒い冬の日に囲んでいたそのまんまや言うてました」……幾部屋かを巡って離れに行くと「ここで、この文机に芹沢はんが躓いたとこを斬られたんですわ」。「この鴨居にも、こんな深う刀傷が付いてますやろ」……私は「…確か、お梅(芹沢の愛妾)も一緒でしたね」と言うと、ご当主の八木さんは手応えを覚えて熱が入ったらしく「可哀想にお梅さんは、たぶん沖田はんや思いますけど首をはねられましてな、昔はこの天井にそのお梅さんの血が噴き上げて、えろうぎょうさんかかってしもうて、まぁその後もずっとそんままでしたが、来た嫁がえろう気持ち悪がって、仕方おへんから弁柄(べんがら)で塗ってしもたんどす」。……「一緒にいた芹沢の仲間の平山(五郎・通称めっかちの平山)はんは斬られましたが、まぁ運が良かった言うんでしょうなぁ、野口、平間いう人は真夜中に芸妓と一緒にここから走って、畑の向こうに消えていったと聞いてます」。……私は深夜に畑の向こうに必死で逃げていく野口健司(のちに切腹)、平間重助、そして災難に巻き込まれた芸妓の必死な姿がリアルに透かし見えるようであった。…………さて芹沢鴨、この京都で暴れまくった性豪列伝に載るような男の名を聞くと、私はそのあくの強さから、したたかな免疫力のごときものを持ったタフな男の名をそれ以前の歴史の中に想い浮かべるのである。……奈良時代の女性の天皇「孝謙天皇」。その孝謙天皇が病に臥せっていた時に加持祈祷を行って接近し、その寵愛を受け、ついには「法王」の座にまで出世した男である。道鏡は女帝をたぶらかして皇位を狙った「日本三悪人」として平将門・足利尊氏と同列に並ぶが、いわゆる性豪列伝を代表する人物として今にその名を残している。

 

……しかし、道鏡の上を行く人物がロシアにいた。……ご存じ、帝政ロシア末期の祈祷僧……ラスプ―チンである。ラスプ―チンの生涯は前述した道鏡に似ている。ニコライ2世の皇后アレクサンドラと血友病の皇太子の治療と称して宮廷に入り込み、アレクサンドラの寵愛(愛人説が高い)を受けて、ロマノフ朝を影で操る怪僧となり帝政は乱れ、後に二月革命が起きて第二次ロシア革命へと至るのである。……退廃するロマノフ朝の皇族三人がラスプ―チンの暗殺を謀り、私邸に招き入れ、青酸カリ入りのケ―キを食べさせ、毒入りのワインも飲ませたがラスプ―チンが平然としているので、次にピストルで何発も撃ち込んだ。……ようやくぐったりとなったラスプ―チンを、近くの運河(氷が張って冷たい)に投げ入れた。やがて死体が上がって来て検死をして、再び驚いた。……なんと、ラスプ―チンの死因は意外にも溺死であった。…という事は、数発の銃弾を被弾してもまだ彼は死んでおらず、運河の冷たい水底でようやく溺れ死んだというわけである。……毒でも死なず、被弾しても死なない驚異的な抗体の持ち主ラスプ―チン。今のコロナ渦の時代に生きていたら、どのような姿がそこにあるのであろうか!?……突出した強力な抗体を持った人間の遺伝子を大量に殖やして新型コロナウィルスに対抗するという研究が進んでいると聞くが、もしラスプ―チンが今いれば、この化け物のような驚異的な生命力はかなり世界に貢献する事、大だと思うが如何であろうか。……今回は、現在サンクトペテルブルグの博物館に保管され一般にも公開されているラスプ―チンの性器のご紹介を持って、このコロナ渦関連のブログを終わろうと思う。……ちなみに女性たちが楽しそうに見学しているのが気にかかるが、もう1つ、ちなみにラスプ―チンの娘マリ―が父親の遺物のそれを返すよう博物館側に求めているという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『狂い梅雨―身辺雑記篇』

1……最近は夜の10時頃に床に就くせいか、朝の目覚めがずいぶん早くなり一日がたいそう長い。習慣になっている朝のBBCワ―ルドニュ―スを観ていたら「あぁ、これはもう遂に!!」と思わせるひんやりとしたニュ―スが飛び込んで来た。……シベリアが温暖化の為に気温が異常に高くなり遂に38.0Cを記録したという。かなり異常な事である。ために永久凍土が溶け始め、厚い氷の中に封印されていた、あのかつて猛威をふるったスペイン風邪のウィルスが目覚めて再びの活動が活発化する危惧を呈しているという不気味な報道。……何の事はない、新型コロナウィルスを軍隊に例えたら、終には組みやすい唯の一個師団程度にすぎないと思っていたら、それは唯の尖兵に過ぎず、その後に陸海空の強力な編成部隊が私達へのとどめの陣を成しているようなものか。もはや是非も無しである。……昨今、活動が俄に目立ち始めた巨大地震の予兆、サイクロン並の暴風雨、そして変種を繰り返すウィルスの執拗な終わり無き襲来。…………その中の地震に関してであるが、最近面白い事を知った。作家の森まゆみさんの著書『谷中スケッチブック』に拠ると、東京の谷中だけが、関東大震災の際に倒壊した家が全く無く、また高台にある為に火災の延焼もなく、唯一の被災無しの場所であったという。確かに谷中は寺が多く、寛永寺の歴代将軍の墓を始めとして墓地が多い。察するに巨大な岩盤が地下に在り、江戸時代から人々は谷中の安全性を見抜いていたのであろう。あぁ谷中!……独身の知人が一人谷中に住んでいるが、その顔が余裕しゃくしゃくに見えて来て仕方がない。

 

2. 新型コロナウィルスの恐怖が浸透し始めて来た3月のこのブログで、私は731部隊との関連について書いたが、それから日を追った4月に週刊文春(文春オンライン)が731部隊について言及し、多数の感染者(クラスタ―)が出た上野台東区にある永寿総合病院の創立者・倉内喜久雄院長がかつての731部隊の所属部員である事が書かれており、「731のDNA」が繋がっている事の不気味な因果因縁を想った。ちょっとした近現代版の怪談話のようであり、小泉八雲よりは岡本綺堂あたりが筆をとりそうな話である。……4月中旬頃に上野に出たついでに、かつて少女時代の一時期をこの地で過ごした樋口一葉の旧家跡を訪ねて台東区車坂辺りを歩いていたら、彼方に件の永寿総合病院の大きな建物が見えて来たので、反射的に踵を返すように戻った事がある。……その数日後に濱町にあるギャラリ―に予定があったので伺った時に、画廊主のHさんから、初老の或る人物を紹介された。Hさんは私のブログを読んでおられたらしく引き合わせてくれたのであるが、何とその紹介された人は、父親が731部隊の生き残りの隊員であり、表に出ていない終戦に至る迄の秘められた話の幾つかを生々しく伺う事が出来たのであった。そして想った。……歴史は途切れる事なく繋がっているのだと。

 

 

 

 

3.……コロナ禍が騒がれ始めた2月初旬の頃、私が真っ先に思った事は「皆が突撃するように、新型コロナウィルスのどしゃ降りの雨下を掻い潜って先ずは〈抗体〉を作れば良いではないか!弱き者は仕方がない、兎に角それが終息の為の最短の良策だ!」と思い、周りの友人達に話すと、「あなたの発想は無茶苦茶だ!!」と反対された。しかし、その後で私と同じ発想をした人物がいる事を知った。ご存じ、イギリスの首相―ボリス・ジョンソン氏である。彼の意見は議会で当然反対され、そしてその後に提唱者の本人自身が感染し、一時はかなり重態化した時は、迂闊な我が身をそこに重ね見る思いであった。……古くからの友人で、舞踏家の土方巽の食客でもあった濱口行雄君(輪島市在住)に、電話でその話をしたら思いっきり笑われて彼はこう言った。「それは、あなたの発想が農耕民族でなく、遊牧民の発想だからですよ」と。……さすがに反省し、そして思った。「では、どうして亡くなる人と、コロナウィルスに気づかずに治ってしまう人の極端な二分化が今回は起きるのか?と。基礎疾患がある人が亡くなる率が高いが、基礎疾患の無い人でも急変して亡くなる場合があるという。やはり免疫力の違いなのか……。免疫力の強さと、ではアクの強い人間との間に関連はあるのか否か?……その辺りについて、次回のブログでは、幕末のアクの強い男の代名詞的な存在として先ず浮かぶ、壬生浪士(後の新撰組)の初代筆頭局長芹沢鴨(せりざわかも)について考えてみたいと思っている、梅雨時の少し湿った私なのである。

 

 

 

 

 

 

 

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『永遠の気晴らし―勅使川原三郎・遊戯の精神』

「……生と死はそっくり瓜二つであり、いまにも触れ合い同化しそうでいて、平行線のように交わることなくすれ違い続ける。最終的には、いつかはこの世は滅び、自分はあの世に行くだろう。百閒にとっては、それまでの遅延として営まれるのがこの生なのである。」……内田百閒の名作『冥途』について、わが種村季弘氏が評した言葉である。この遅延という倦怠的な言葉に沿った先には、例えば「遊びをせんとや生まれけん」(梁塵秘抄)のように、人はつまりは遊びを、戯れをするように生まれてきたのではないだろうか、その証拠に、子供の遊ぶ声を聞くと、自ら体が動いてしまうではないか。……という想いとなり、それを継ぐかのように、明治を生きた高等遊民達の気ままなデカダンス、つまりは唯美主義的な自在な生きざまが、このコロナウィルス騒動で萎縮し閉塞している時には、いっそう生の一つの意味ある生き方として羨ましく、かつ生き生きと見えてくるから面白い。

 

……さて、このような重苦しい日常の濁りを払拭するかのように、度々このブログでも登場の機会がある、ダンスの勅使川原三郎氏の『永遠の気晴らし』と題した公演が昨日から(6月20日まで)、荻窪の会場、氏の創作発表の拠点であるカラス・アパラタス(TEL.03―6276―9136)で始まった。『永遠の気晴らし』……今までの公演のかなり練られたタイトルと異なり、一見意外とあっさりしたタイトルに映るが、こういうタイトルの時にこそ、むしろ氏の才気は爆発し、美は御しがたい絢爛を呈する事を私は知っている。果たして、序はシュ―マンの緩やかな曲から始まり、次にハ―ドな現代の激しいテンポのサウンドへと転調し、更に展開する幾様にも異なる音のマチエ―ルと対峙して、変幻自在に異なる身体の妖しいまでの動きを呈し、遂には観客の五官を鷲掴みにして美の酩酊へと誘い、最後は鮮やかな幕切れの闇となって終幕した。デュオとして踊った佐東利穂子さんも凄みある動きを次々に見せて、この傑出した才人の無限の引き出しの多さをあらためて想わせた。正に二人による真剣勝負の美とポエジ―の屹立の競演である。

 

……ダンスにおいては、始まりも無ければ終わりも無い……というのが氏のダンスメソッドであるが、しかし毎回の演出における確かなフォルムの立ち上がりと完成度の高さは他に類が無いと言っていいだろう。分野を越えて昨今の表現者達の作品を見ると、この最も重要なフォルム化への強い意志がまるで無く、故に作品としての存在感を獲得していない。フォルムの獲得こそ、芸術の必須な骨格なのであり、全てだと言ってもいいものである。ではそのフォルムとは何か!についてはまた後日に詳しく書く機会もあるかと思うが、ともかく私はそれを美の規範として作品に向かっている。私が公演の度に時間を見つけて、荻窪のこのアパラタスの会場に足を運ぶのは、氏のダンス表現にそれを多分に視る事が叶うからである。フォルムの無い作品は、決まったように艶が無い。私が強く求めるのは、この艶というものである。……今回のコロナウィルス騒動で、私達の多くが、自分の人生の一回性というものをヒヤリと強く自覚した筈である。しかし、私達はやがて死ぬ。間違いなく死ぬ。……ならば冒頭に立ち返るが、美という、生命の根源に迫り、揺さぶり、私達の生を鼓舞してくれる表現に出来るだけ接して、その一回性の生に豊かな彩りを添えたいものである。……ダンスの分野を越境して既に久しい、このアパラタスでの公演。まだ氏のダンスをご覧になってない方にはぜひお薦めしたい、ポエジ―と直で触れ合える公演、それが今回の『永遠の気晴らし』である。

 

 

……さて、私は10月28日から11月16日の3週間に渡って開催される、日本橋高島屋本店・美術画廊Xでの個展に向けて制作を粛々と続行中である。既に50点近くが完成しているが、アトリエに入るとその度に感覚が張り詰めて来て、私の生の最も充実した空間で「今」を生きている。ほとんど籠った日々なので、今回の公演で外出したのは本当に久しぶりである。『永遠の気晴らし』……私は久しぶりに強い「気」をもらい、またアトリエに戻って来たのであった。

 

 

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『追悼・クリスト氏に寄せて―佐谷和彦氏と共に』

先月の31日、歴史的な建造物などをまるごと布で包む壮大な表現活動で知られる世界的な美術家のクリスト氏が死去された。死因は不明との事であるが、来秋に予定されていたパリの凱旋門を包むプロジェクトは本人の希望で進められ、公開される由。……名実共に、現代美術史における最後の巨匠といっていい人であっただけに、その死は実に惜しまれるものがある。私事になるが、私のオブジェの中では一番大作にあたる2m以上はある『反称学―エル・エスコリアルの黒い形象』(佐谷和彦氏収蔵)を、クリスト氏が来日された折りに、打ち合わせで訪れた佐谷氏の自宅で眼が止まり、絶賛の高い評価を頂いた事があった。佐谷氏の自宅のコレクションル―ムは一つの優れた美術館であり、実に心地好い緊張感に充ちている。タピエス、デュシャン、クレ―、ジャコメッティ、エルンスト、そして瀧口修造、……。その作家達の作品が展示してある壁面に拙作の大作のオブジェもまた掛けられている。クリスト氏は、その部屋に入るや、私のオブジェに真っ先に眼が止まり、「この作品はいい、実にいい」と話し始め、作者の事をもっと知りたいというクリスト氏に、佐谷氏は丁寧に答えられた由。そして深夜、クリスト氏が帰った直後に、佐谷氏は実に興奮して事の顛末を私に電話して来られ、私もまた熱い気持ちで、それを受け止めたのであった。これから私はオブジェの新領土に分け入っていこうと思っていた、正にその出発点―原点にあたる作品だけに、クリストという、これ以上は無い審美眼を持った先達に評価されたという事は大きな自信となり、以後1000点近く産み出して来たオブジェ作品の創作力の原点に立つ人なのである。……その後、ジム・ダインという、私が最も影響を受けていた世界のトップクラスに立つ美術家に版画を高く評価された事で、全くぶれない、表現者としての独歩の道を私は歩んでいく事になるのであるが、その表現者としての矜持とも言うべき立脚点に立つ恩人と云える人がクリスト氏なのである。……亡くなられたという知らせを受けた後、私はコレクションの中に在るクリスト氏の作品(画像掲載)を久しぶりに出して来て長い時間、それに見入って時を過ごした。

 

…………クリスト氏から高い評価を得る契機を作って頂いたのは、先述した佐谷和彦氏であるが、氏の運営して来られた佐谷画廊は、クレ―やジャコメッティ展をはじめとして、この国の美術館の追随を許さない最高度のレベルの展覧会を最後まで開催実現して来た、今や伝説的な画廊である。その企画も、クレ―の遺族のフェリックス・クレ―氏や、クレ―財団と直に交渉して最高な質の展覧会を手掛けて来られ、例えばそのクレ―展は、観客数が会期の1ヶ月間で3万人を越え、美術館のそれを遥かに凌いでいる。またライフワ―クとなった『オマ―ジュ・瀧口修造展』は、氏が亡くなられてからようやく美術館でも遅れて企画展を開催しているが、何れも佐谷氏の後追いにすぎない。その『オマ―ジュ瀧口修造展』の最期の企画(つまり、佐谷画廊の最後の企画展)は、私の個展を考えておられたのであるが、企画半ばにして逝かれてしまった。その事の詳細は氏の最期の著作『佐谷画廊の三十年』の、馬場駿吉氏(美術評論・俳人・元名古屋ボストン美術館館長)との対談で語られている。佐谷氏が亡くなられた時、私はそれが一個人の死にとどまらず、この国の美術界そのものの牽引力が無くなり、一気に希薄なものになって行く前触れと予感したが、果たして私の予見した通りの散文的な奈落へと、今の美術界は堕ちていっている。

 

 

 

 

……「芸術は死者のためにもまた存在する」という名言を記したのは、ジャン・ジュネであったか、ジャン・コクト―であったか。とまれ、今、私はオブジェの制作を日々続けているが、作品が出来上がると、私を表現者の高みへと導いてくれた人達を想いだし、その人達の眼になって、自作を視る事が度々ある。佐谷和彦・……駒井哲郎・棟方志功・池田満寿夫・浜田知明・……また、土方定一・坂崎乙郎といった美術評論家や、生前に関わった文学の分野の種村季弘や久世光彦・諸氏。……そしてクリスト氏がその点鬼簿に新しく加わった。このコロナウィルスの騒動の中、生と死の境が曖昧になって来た今、死者と対話する事が何やら日増しに多くなって来たように思われるのである。

 

 

 

 

 

 

 

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『コロナ夜話―〈梅雨入りのその前に〉』

先日、木版画家の山中現さんとお茶の水駅で待ち合わせをして、一緒に聖橋にさしかかると橋上がたくさんの人群れで正に密な状態であった。しかも皆が空を熱心に見上げているので問うと、ブルーインパレスがまもなく飛来してくるという。見ると、蒼穹に白い曲線を描いて飛来してくる、その姿があった。医療従事者への感謝と激励を込めたパフォ―マンスとの由。閉ざした閉塞感漂う昨今にあって、それは一服の涼として心地好く映った。

 

 

 

 

知人宅で話をしていると、その人が思い出したように「そう言えば、先日、突然マスク(いわゆるアベノマスク)が届いた」と言って見せてくれた。手に取って見ると、確かにかなり小さいのには驚いた。女性でも小さく、どれくらい小さいかをわかりやすくタレントに例えて云うと、渡辺直美だと紐が耳に届かず、高橋英樹やコロッケだと、まぁ、唇が隠れるくらいか。……しかも、古びた臭い匂い。廃屋の湿った匂いにそれは近いか。

 

さて、そのマスクに関してであるが、トランプとプ―チンだけがマスクをしていないのは面白い共通点だと常々思っていた。。しかも新型コロナウィルスに二人とも何故か罹っていない。大国のリ―ダ―に課せられた強者としての演出は御苦労な事だと思っていたが、気合いなのか、自分が強者だという盲信が免疫力を生んでコロナウィルスをも弾いていたのかとも思ったりしたが、何の事はない、人前ではしていないが、裏では秘かにマスクを愛用しているというのがわかった。しかも、トランプは「ヒドロキシクロロキン」という免疫疾患治療薬を愛用している由。しかし、これがかなりの副作用のリスクがあるという。側近は危険だと言って止めさせる事に必死であるというが、まぁ本人が望むのであれば、それはそれで1つの貴重な、まさしく活きた臨床実験の好例にもなり、結果的にこの危機を突破する何らかの貢献に寄与するかもしれない。全身が既にして副作用の固まりのようなこのトランプという男の今後を、その意味で私は注視していこうと思っている次第である。ともあれ、トランプもプ―チンも、リ―ダ―としてのカリスマ性を演出する為に必死であるが、しかし、振り返って我が国に目をやると、本物の強度なカリスマ性を持った二人の人物がいた事に気付き、改めてその凄さに慄然とするのである。その二人とは、織田信長と上杉謙信である。

 

……信長と謙信には共通点が多い。先ずは戦の勝率が圧倒的に高い事。謙信は71戦中、61勝2敗8分け。一方の信長もまた高く、84戦中、58勝19敗7分けとその勝率は群を抜いている。また、戦の際に、大将たる者は家康や秀吉のように安全な位置で籠に乗り、回りを屈強な武将達が固めて挑むのであるが、信長と謙信だけは例外で、先陣の先頭に自分がいて真っ先に敵陣に斬り込んでいくというから素晴らしい!!。謙信は、毘沙門天(武運の神)が自分を守護しているという狂信的なまでの信念があり、信長に至っては、自分こそが絶対神であるという、これ以上はない信念を鎧として生きた人物である。歴史を絞って視れば、この二人だけが、真のカリスマ性を持ったリ―ダ―の条件というものを持っていると云えるのであり、その背景には、時代の緊張感の凄みというのが、その母胎となっているのかもしれない。

 

 

……さて、ここにチクと面白い画像があるのでお見せしよう。……この画像は山形県天童市の三宝寺が所蔵している「織田信長」の肖像画である。(原画は焼失して無いが、その焼失前に写した同様の絵が、三宝寺以外に宮内庁にも在る)……一見して、私達の知る線描の信長の画像と違うので、そのリアルさに驚かれ、かつ戸惑われるかとも思うが、この肖像画はルイス・フロイスと共に実際に信長に謁見した宣教師が正に同時代に描いた物で、実は織田家の御墨付きも得ている貴重な肖像画である。蛮社の獄(1839年)で刑死した文人画家の渡辺崋山辺りから、ようやく西洋画に迫るリアルな描写が我が国にも出て来るが、その前はご存じのとおり様式化された線描画であった為に、その迫真性が伝わって来ないのが難であった。しかし、この絵は実際に信長を見た、西洋のリアリズムを熟知した、宣教師にして画家であった人物が描いた物であるが故に、私達の想像力とイメ―ジの芯を突いてくる不気味な迫真性を帯びてはいないだろうか。……私がこの信長の肖像画の存在を知ったのは、ビエンナ―レ展に出品する為に打ち合わせで行った際に立ち寄った、近江八幡市安土町に在る「滋賀県立安土城考古博物館」を訪れた時であった。展示してあったのはコピ―であったが、一見して私は直感的に「この顔に間違いない!!」……そう確信した。私の中に詰まっている信長に関する知識(最も記述の信憑性が高いと云われる信長公記を主とした)と、ありありと照応するものを、この肖像画は多分に孕んでいる、……そう私は想ったのである。……コロナウィルスから転じて信長へと話が移ってしまったが、まぁ、自粛のこの時期、少しでも興味を持って頂けると、ブログの書き手として有り難いのである。

 

 

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『ヴェネツィアの水と夢』

……前回のブログで、コロナウィルス感染者ゼロの岩手県の不思議について書いたが、考えてみるとこの騒動の渦中にあって、現在もなお一人の感染者も出ていない岩手県の気丈とも云える異色な存在は、ある意味で死中に活を見るような一つの希望的存在であったような気がする。岩手県だけ何故感染者がゼロであるのかという謎は謎のままに、ある視点から見れば、新型コロナウィルスという敵にも死角のある事が、そこにうっすらと透かし見えたからである。……想えば、岩手はかつては平家の中央集権と離れて独自で強靭な藤原三代の栄華を咲かせた、正に独立自治の気概に富んだ地であり、また不思議な話に充ちた『遠野物語』の舞台でもあり、石川啄木、宮沢賢治、松本竣介……といった、私の好きな今だ色褪せないモダンな感性と豊かな詩心を持った特異な表現者を輩出した地でもあり、私はこの岩手という所が最近ますます好きになってきているのである。……さて、コロナウィルスは少しずつ最初の収まりを見せつつあるが、必ずや第二波が再び襲来する事は必至であろう。その時もなお岩手県が感染者ゼロを維持しうるのか否や、私は注目していたいと思っている。

 

……最近の私はかなり早起きになり、朝のBBCニュ―スを観るのが毎日の日課のようになっている。そのニュ―スで面白いものを観た。……恒例のカ―ニバルを途中で中止して、正に戒厳令の監視下にあるように観光客が絶えたヴェネツィアの運河の水が自浄作用が働いて綺麗になり、画面からは水中深くで生き生きと泳ぐ魚影の姿が映し出されたのであった。……今まで4回ばかりヴェネツィアを訪れた事があるが、運河の水はかなり汚く、夏の臭いは特にひどく、正に廃市の感があった。しかし画面に見るそれは人が絶えた事で生じた奇跡のように私には映った。…………その映像を観ていて、ずいぶん昔に見た或る夢の事を思い出した。…………廃市のように人が絶えた霧のヴェネツィア。その運河の水面を私が乗った黒いゴンドラが滑るようにして或る館の中に入っていく。……運河の水が異常に増した為に、この地の人の姿が全く絶えたのか、他は無人、唯私一人だけがゴンドラに乗っているのである。しかしゴンドラを操る漕ぎ手の姿もなく、ただ私を乗せたゴンドラが何かの強い磁力に引かれるようにして、嘗ての栄華を極めた或る館に滑りこんでいくのである。その暗い館に滑り入ると、全くの静寂の中、大きなガラスケ―スが何かの暗示のようにして対置して置かれていて、そのガラスの中を見ると、あろう事か、何故かダ・ヴィンチとミケランジゥロの素晴らしい素描が全くの無人の静寂の中で展示されているのであった。……私は陶然とした気持ちのままに、ただ、それらを眺めているという夢であった。……しかし、この夢は一種の予知夢であったらしく、時を経てやがて現実のものとなった。ロンドンの大英博物館の別館にあるルネサンスから近代迄の素描を集めた研究室で、日本からの美術の在外研修員として訪れた私は、夥しい数のダ・ヴィンチとミケランジェロの素描を白い手袋をはめたままに、じかに手に持って存分に見る事が叶ったのであった。ガラス越しと違い、自分の掌中にあるそれらは、不気味なまでの生々しい迫力を持って私に迫り、その体験から吸収した事は実に多いものがあり、著作の中でもそれを記した事があった。……さて話を始めに戻すと、人が絶えた事で生じた奇跡とも云える自然界の自浄作用で、この汚れた環境はかくも早く元に戻るのか!という驚きと、今一つの不気味がそこにあった。……もし、人類が絶えたら、長年の環境破壊によって、もはや死に体となりつつある地球の生成と死はその自浄作用によって……という、ある種の苦さと、然りという想いが交錯する感慨を私は抱いた。この想像の果てに辿り着くのは、ポエジ―の本質かと思われるが、その事を暗示してやまない、実に奇妙なものがそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『岩手独立共和国』

……思い返せば、新型コロナウィルスの感染者を多数乗せた、あのクル―ズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」が横浜港に寄港した2月初旬頃には、この新顔のウィルスなるものは未だ対岸の火事として映っていた感があった。それがポツポツと拡がりを見せはじめ、この新型コロナウィルスの恐怖はアッという間に拡がり、日本は、そして世界は一変した。自分には及ぶ事はないと誰もが最初は軽く高を括っていた感があったが、この侵犯力の凄さは、かつてのヒトラ―の出現とナチズムの席巻力とちょっと重なるものがある。ここ最近で20万部のベストセラ―となったカミユの名著『ペスト』は、ペストの恐怖を題材としているが、その実はナチズムの恐怖を現している二重の主題が在る事は周知の通りである。……その不気味さは時と姿を変えて、あたかも魔群の通過のようにして繰り返しやってくる。

 

 

 

 

さて、昨今の国内の騒動を見ていると、そのスケ―ルと人材の器の程は全く比較にならないが、構図に限ってみると、何やら幕末時の日本と重なるものがある事に気がついた。……ウィルスを、突然浦賀に来航した黒船に見立てると、その出現で右往左往する幕府が今の政府。その慌てぶりと無策ぶりに、例えば吉村洋文大阪府知事のように、各県が見切りをつけて自らが主張をし始め独自な舵取りを始める様は、外様の各藩から出て来た倒幕の志士にちょっと重なるものがある。そして、感染者がゼロの岩手に目をやると、全く外部の者が侵入出来なかった薩摩藩にちょっと重なるものがある。幕府からの間者や他藩から薩摩に侵入を試みた者は、二重三重に配置された国境警備の薩摩の腕利きの武士によって全員が始末されたのである。土佐を脱藩した後の2年ばかりの行動に謎が多い坂本龍馬は、一説によると、この薩摩に興味を持ち山越えをして入国を試みたが遂に果たせなかったという。ことほど左様に全く無風にして謎が多いのが薩摩藩であり、この度の全く感染者が出ない岩手県の不思議といささか重なるのである。ただ当時の幕府には先導者の勝海舟がおり、早々と議会制の導入を訴え大政奉還を誰よりも早く発案した大久保一翁といった先見の明を持った人材がいたが、今の政府は悲しいかな人物が皆無である点がだいぶ違う。また各県の知事においても、突出した人材が殆んど無いのが今の日本の現実である。……さて岩手、この全く感染者を出さなかった県に大いに関心を持つ私は、岩手県・盛岡市で画廊を経営しておられる下館和也さんにお電話をして、直接その謎について伺った。下館さん明るく笑いながら曰く「岩手の人は我慢強いですからね」という意表を突く答えが返って来た。う〜む、何かありそうだな……岩手の人しか共有していない何か秘密でもありそうな。……私は話の角度を変えて、「まるで岩手だけが独自な共和国のようで、かつての榎本武揚が北海道を新政府に対抗する為に、国際法に照らし合わせて諸外国に共和国の申請と認知を主張したのを思い出しますよ」と話すと、下館さんも榎本武揚のその構想の話を知っていて、「共和国と云えば、作家の井上ひさしさんが小説『吉里吉里人』で、それを主題にしたのを書いていますよ」と教えてくれた。……おぉそうであった。私はその本は読んでいなかったが、話の大まかな筋は知っていた。確か、東北の一寒村が、日本政府に愛想を尽かし、突然、この国からの独立を宣言する話であったが、その舞台が宮城と岩手の県境の架空の村であった由。この小説は映画化の構想はあったが実現されなかったらしい。思うに、今この小説を原本として今の日本に舞台を移し変えた映画を作れば、日本政府に愛想を尽かした国民のカタルシスに響くヒット作の可能性があるかと思うが、脚本を作るなら、やはり三谷幸喜あたりに指を折るか!?……ともあれ、下館さんは岩手の感染者ゼロの謎については言葉を曖昧にして真意を遂に語ってはくれなかったが、やはり何かあると私はますます睨んでいる。しかし情けないかな、いま脳裏に浮かぶのは「わんこそば」か「盛岡冷麺」の存在しかないのである。…………

 

 

 

 

 

 

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『冥土 in japan 』

……今回は物騒なタイトルから始まった。西洋では「Mement mori(死を想え!)」という警句があるが、日本語ではこれに似たような言葉はあまりない(少なくとも今は浮かばない)。……とまれ言葉は無くとも、この3月辺りから、新型コロナウィルスに扮した死神らしき者が私達の周りで死の舞踏を踊っている気配で、否応なくリアルに死を想う日々を過ごしている昨今である。この数ヵ月ほど、彼の世と此の世が実は地続きで、ほんのちょっとのモメントで死が隙間から覆い被さってくるという恐怖感覚を味わった事はなかった。それと昨今の地震の多発化が相乗して、この日本が何やら冥土へと斜めに滑り落ちていっているような、そんな暗くて不穏な「冥土in japan」なる日々である。

 

 

 

 

昔、まだ学生の頃の話であるが、神楽坂の友人宅にいた時に、その友達なる人が来た。その人はその世界では知られたパチンコの名人(つまりパチプロ)で、パチンコ店に行く時に決まって無一文の手ぶらで行き、帰りは稼いだかなりの現金を手に洋々と帰っていくという。……店に入るや、彼は床に落ちているパチンコ玉を1つ拾い、台を決めて静かに腰掛け、必ずその1発の玉でチュ―リップを開かせてから、プロの釘師と自分との闘いが始まるのだという。パチンコ台がコンピュ―タ化された今と違い、昔は名人と呼ばれる渡りの釘師がいて微妙に釘の角度を調節し、それをパチプロなる人がいて、両者の無言の闘いが行われていたアナログの時代だから、突き詰めれば一種の美学とも云えるものが成り立っていた(かと思う)。先日テレビで見たパチンコ狂いの客達は決まって貧相で、なんとも情けないに尽きる感があったが、想えばその時のパチプロなる男は一匹狼とも云える孤独な陰りがあり、今も記憶に何故か残っている。しかし機械化された今は、止める事が出来ない麻薬患者よろしく、自分の意思というよりは仕掛けられた店内の過剰な騒音などにより脳内モルヒネの分泌がパチンコ狂い達の弱い精神を突き動かし、自粛騒動の中を開いている店を求めて、あたかも薬中毒の患者のように延々と流浪しているのである。……「何もする事がないんだよ、いいんだよ俺は、パチンコさえ出来ればコロナで死んだっていいんだよ!ほっといてくれよ!!」歯が数本抜けた、そんな男達の(更に感染を増やす危険性が多々ある)姿を見ていて、ふと浮かぶものがあった。……何台ものパチンコ台、業者と共に彼らを無人の離島か、廃校になった學校の校舎に仮住まいさせ、お望み通り、パチンコ狂いに興じさせるのである。もちろん食事は有料で給される。しかし、彼らは入ったら最期、自分の意思で出る事は許されない。感染が収束するまでは各県の徹底した管理下におかれるのである。……収束後にテレビ局の人が取材でそこに入って行くと、そこにはウィルスにやられた悲惨な光景が映される。しかし彼らの顔を充たしているのは、病んだ脳からの命令とはいえ満足しきった至福に充ちた表情が浮かんでいた、……という結末である。

 

 

 

 

 

……最近、強く印象に残っている事がある。それは、日本と違い徹底した外出禁止令の中、死のリスクを背負いながら必死で医療に励む病院の医療関係者、患者達、……そして市民をあまねく励ます為に鳴らされた、パリのノ―トルダム聖堂から奏でられた、あの巨大な鐘の崇高なまでの響きであった。昨年の火災で自らも傷つきながら、荘厳に鳴り響くその音は、一神教の徒ではない私でさえも奮わせられるものがあった。……昔、パリに滞在していた時に聴いた、下宿の屋根裏部屋の天窓から聴こえてくるサンシュルピス教会の鐘の音、或いはブリュ―ジュで聴いたカリヨンの鐘……他、何れも聴覚に忍び入って来て内なる琴線を揺らし鼓舞してくれるものがあるが、やはり、ノ―トルダム聖堂のそれは圧巻であった。魂が天上的なるものとリンクして、精神がバネと化し力が湧いて来るのである。……文句なく美しい、そう思った。そして思った。日本の鐘はこういう場合、どう響くかと。例えば、テレビを観ていてそのノ―トルダム聖堂の鐘の響きに感動した寺の和尚がいて「よし俺も!……」と熱く思って鐘を鳴らしたら、どうそれは響くか!?……この比較は面白いと思った。西欧の乾いた気象の下で聞く硬質な鐘の音色は、天使の羽根の如く天上へと私達をして導いていくのであるが、日本の寺の鐘は、(除夜の鐘だけは過ぎ去る年を想って感慨深いが)むしろ逆効果であろう。精神を鼓舞するどころか、ゴ~ンと、湿った空気を抜けて響いてくるその鈍くて重い音は、限り無く冥土への誘いとして響いてくるに違いない。時期も時期。下手に鳴らすと、神経過敏な近隣の住人から「縁起でもない、何を考えているんだ!……不気味で気色が悪いからヤメロ!」と抗議が来ることは必至であろう。…単なる鐘の音のマチエ―ルの比較であるが、この発想は、そこに現実の新型コロナウィルスの問題を具体的に挟んでみると、はっきり違いが見えて来るのである。……そう、私は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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