『山口画廊・山口雄一郎さん/私の個展に寄せて』

……美術の分野で、今では伝説的な人となった佐谷画廊の故.佐谷和彦さんは70年代の後半から90年代終わり迄、画商の立場から美術界を牽引した人である。その優れた企画力と実行力において他の追随を許さない突出した人物であった。企画したクレ―展は会期中に三万人以上が来廊し、ジャコメッティ矢内原伊作展、オマ―ジュ瀧口修造展など、その全ての展覧会が美術館クラスの質を誇り、本物を求める多くの人たちがそこに集まった。

 

 

……私がお付き合いをしたのは、80年代半ばからである。佐谷さんがコレクションされている私の巨大なオブジェ作品は、来日したクリストの眼に留まり賞賛を受けたが、またご自宅にも度々伺って様々な話をした思い出があり、それは私の大きな財産である。その佐谷さんが、他の画商と決定的に違うのは、毎回の展覧会で質の高いカタログを制作し、そこに佐谷さんの展覧会に寄せる意図が明瞭に書かれた文章が載っている事である。その文章も含めて幾冊もの著作があり、最期の本となった『佐谷画廊の三十年』(みすず書房)では、デュ―ラ―の『メレンコリアⅠ』の隠された謎をめぐって、佐谷さんと一緒に私も登場し、謎を推理する人物として書かれている。いろいろ思い出はあるが、…………思うに、この人は何よりも先ず矜持の人であった。画商という仕事にプライドを持ち、高い知的好奇心を持って、次々と挑むように企画を立ち上げ、その骨太の豊かな生涯を全うした。その生きざまは見事の一言に尽きる。……佐谷さんは画廊を閉じる際に私に「毎回の展覧会のカタログ作りは大変だったが、やっておいて本当に善かった。結局、画廊のやってきた仕事で生きた形で残るのは、そのカタログに書いた事だけだよ」と言われた事があった。確かにそうだと私は思った。そして、佐谷画廊の事を知りたい今の世代の人達が、その著作から多くを吸収しているという。…………佐谷さんの著作と、カタログを私は時々読みなおしてふと思うのだが、なぜ画商で、佐谷さんのように、自分が企画する展覧会について文章を書く人物がいないのか?それは自信であり、また一身に責任を負う事であり、ひいては画廊側からの具体的な発信の証しなのではないか?……これは最近特に思う素朴な疑問であった。

 

 

………………そんな折、昨年、一つの出逢いがあった。私が刊行した詩集を注文して来られた方の中に、その方がいた。……名前は山口雄一郎さん。……署名を書いてお送りした私の詩集に対し、なかなか鋭い感想が送られて来て、大いに興味がひかれるものがあった。「手応えのある面白い人」がいる!!……私は好奇心の強い人間なので、さっそく連絡を入れて、お会いする事にした。お会いして、その人が千葉で山口画廊というギャラリーを開いている事を知った。タイプは違うが、佐谷さんの事をふと思い出した。……「確かな言葉を持っている人」……私はそう思った。そして、2022年5月25日、つまり明日から私の個展『二十の謎―レディ・エリオットの20のオブジェ』が山口さんとの出逢いに端を発して開催される事になった。……. 誠に出逢いとは不思議なものである。

 

そして、展覧会の為に山口さんは長文(何と原稿用紙12枚!!)のテクストを書かれ、12頁から成るカタログ(冊子)、『画廊通信』が先日アトリエに届いた。……展覧会の案内状を掲載すると共に、このブログでは例外的であるが、山口さんが書かれたそのテクスト全文を以下に掲載する事にした。……私の無意識の部分をも鋭く書かれているので、ぜひお読み頂く事をお願いする次第である。

 

 

 

 

『画廊通信 Vol.229    コラージュ ── 異界への扉』

 

今回の案内状に載せた文中で、その極めてユニークな 作風を形容して「幻視のオブスクーラ」と記したが、これは字数の関係による無理な略語で、正確には「幻視の カメラ・オブスクーラ」と記すべきものである。邦語で は「暗箱」と訳されるカメラ・オブスクーラは、例のフェ ルメールが制作に用いたとされる事から、近年にわかに 人口に膾炙した感があるが、これに関連した作家自身の印象的な記述が有るので、ここにその一節を抜粋してみたい。以下は北川健次著「デルフトの暗い部屋」から。

 

あれはまだ私が小学校に入る前であったから、おそらく四、五歳の頃だったと思うが、今でも忘れられない 光景がある。それは雨戸の小さな節穴から午前の一条 の光が暗い室内にさしこみ、壁の一点に魔法のように 逆さまに映っていた庭の一隅の光景である。その小さ な楕円の形をした光の面には、濃緑色をした棕梠の葉 と薄黄色の小花、そして大小の淡い光の珠がぼんやりと映っていた。それを見た時、はじめは誰かが仕掛け た何やら遠い彼方の不可思議な映像を、透かし視てい るような気分であった。それが庭の光景であることに 気付いたのはしばらく経ってからのことである。しか しそれとわかっても、最初に覚えた不思議な感覚は消え去ることなく、むしろそれが既知のものであるがゆえに、虚と実のあわいを見るかのような捕えがたい謎 めいた印象となって、記憶の底に残っていった。その時の体験が、今日のカメラの原型となったカメラ・オ ブスクーラの原理であり、あのフェルメールが絵を描 く際に多用したといわれる装置の仕組みそのものであることを知ったのは、さらに時が経ってからである。

 

 

北川健次ーこの異能の美術家を知ったのはいつの事であったろう、今となっては最早定かではないのだが、一つ確かな事は知り得た当初から、既に北川さんは銅版画の急先鋒として、革新的な作品を次々と発表されていた事だ。フォトグラビュールを駆使したその斬新な腐蝕銅版は、比類なき独創性と高い完成度が相俟って、当時の版画界でも傑出したオリジナリティーを誇っていた。その卓越した銅版表現を起点として、コラージュへ、オブジェへ、写真制作へ、果ては詩作や美術評論へと、稀有の表現者は自らの領域を自在に広げつつ、八面六臂とも言える活動を展開されて現在に到る訳だが、そのボーダーを超えた幅広い表現の根底には、共通して或る特有の「匂い」が、まるで持続低音のように流れている。謎めいた不可解な幻妖とでも言おうか、見慣れた日常の裏 に潜むあの不条理の闇が、洗練された浪漫のあでやかな彩りの陰で、そこはかとない怪異を醸成する、それは言うなれば、不可思議な幻惑に満ちた「異界」の匂いなのだ。作家の体臭とも言えるそんな背理の匂いが、何処から来ているのかを推し量る時、考えるまでもなく上述の鮮烈な原体験が、ありありとその起端を語るだろう。或る朝に雨戸の節穴から、ゆくりなくも入り込んでいた小宇宙、それが薄闇に怪しく浮かぶ様を目撃した少年は、我知らず異界への扉を開いてしまったのだ。おそらくはそれから現在に到るまで、日常とは別次元としての異界は作家と共に在り、常に創作の源泉となって来たに違いない。それ故か、上に「怪異」と云う言葉を使いはしたけれど、それは決して邪悪な昏冥でもなければ、陰湿な妄念でもない、むしろ未知へのときめきに満ちた、めくるめくような魅惑を孕むものだ。

 

あの日少年の目覚めた「暗い部屋」は、そのまま「カメラ・オブスクーラ」の語源でもあるように、暗箱と云う魅惑の装置そのものであった。そして今、作家の手から作り出されたオブジェもまた、黒く塗られた箱の中の闇に、別次元の異界を映し出す。この鮮明に浮かび上がる沈黙の映像を見る時、私達はいつしか日常の裏側に広がる、見も知らぬ魔術の領域へと踏み入るだろう。言わば北川さんの仕掛けるオブジェとは、異界への扉を開く暗箱装置に他ならない。

 

 

近代の寓話 ── Tower of Babel

 

 

 

北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』絶賛発売中──この文言を作家のサイト上に見つけたのが、北川さんと面識を得る端緒となった、ちょうど一年ほど前の事である。以前からブログ等を拝読して、美術家にあらざるような文才に、常々感銘を受けていた折りでもあり、遂に詩集が出たかと雀躍して、早速注文を入れたと云う訳だ。程なく届いたサイン入りの詩集(丁寧なお手紙も添えられていた)は、正に期待通り、昨今の詰まらない詩人など軽く凌駕する内容であったから、過分にも私はこんな感想をしたためて、作家宅へとお送りした。

 

「今回詩集を拝見して、言語表現においても、美術表現 と全く変わらない世界を展開されている事に、改めて目を瞠る思いでした。以前からブログのエッセイは時折読ませて頂いておりましたが、特有の謎めいた雰囲気と、確固とした論理の相俟った文章には、いつも魅せられております。絢爛たる語彙の響きと、不可解なアフォリズムの綾なす世界、そこから鮮やかに喚起される『謎』そのものの魅力に、北川さんの視覚表現と共通する美学を感じております。なお、遅ればせながら作品集も拝見致しました。解体された無数のエレメントを知的に(もち ろんその根底には鋭い詩的直観が有ると思いますが)再構成し、そこにタイトル=詩的言語をぶつける事によって生起する、濃厚な意味を帯びつつも決して解き得ない謎、ここにはコラージュの本質を成すデペイズマンの、磨き抜かれた究極の具現が在ると思いました。それが通常のコンセプチュアル・アートの陥りがちな、脆弱な知的遊戯に終わる事なく、常に豊潤な浪漫の香りを帯びて いる事に、美術表現としての尽きない魅力を感じます」

 

 

Muybridgeの背面の肖像

 

 

 

と云う具合で、顧みれば未だ作品の一つも持たざる身で、誠に僭越な物言いであったが、それから3 週間ほどを経た或る午後、一本の電話が入った。「北川健次です」と云う不意の一言を耳にした驚きは、きっとお分かり頂ける事と思うが、今度ぜひ話をしたい、と云う更なる一言は、私にとっては最早、事件とも言えた。但し、その時は折しも銀座の永井画廊における個展の最中で、直後にはお茶の水のギャラリーにおける個展、更 には日本橋高島屋・美術画廊Xの個展も控えられて、作家自身多忙を極めておられたので、実際にお会い出来たのは秋口に入った頃である。雨の中を軽装で現れた先鋭の美術家は、あの謎めいた作風からは意外とも思えるような、至って快活で飾らないお人柄であった。たぶん私と会って、買い被りを後悔された事と思うのだが、何せ私にとっては千載一遇のチャンス、是非ともお願いしたいと展示会を申し込んで、目出たく今回に到ると云うのが概ねの経緯である。以降も幾度かお会いする機会があり、当店までお越し頂いた事もあって、その度にお話をさせて頂きつつ驚嘆した事は、その広範に及ぶ比類なき博覧強記と、そこから導出される鋭利な推論の面白さである。言うまでもなくそれは「絵画の迷宮」や「美の侵犯」と云った著作に結晶されているのだが、その謦咳に直に触れ得た経験は、正に至福の感興に満ちたものであった。そしてそんな豊饒の土壌が有ってこそ、あの絢爛たるイメージの交錯を生み出す、コラージュの鮮やかな策略が可能になるのだと、密かに首肯したのであった。

 

初期の銅版画から近年のオブジェに到るまで、多岐に亘る表現を展開しつつも、一貫して作家が自らの手法として来たのが、即ち「コラージュ」である。換言すれば北川さんの創作とは、コラージュの多彩なヴァリエーシ ョンであると言っても過言ではない。現在は、画面に何かを貼り付ければ何でもコラージュと称しているが、これはむしろパピエ・コレに近いもので、本来のコラージュとは似て非なるものだ。その歴史を遡れば、90数年前に刊行された一冊の奇書に辿り着くのだが、これが当時としては実に奇妙な絵本で、古い挿絵本や博物図鑑から切り取った図版を、何の脈絡も無しに貼り合わせて作られたものであった。タイトルは「百頭女」、作者は気鋭のシュルレアリストとして名を馳せていたマックス・ エルンストである。この面妖な書物に付けられた「コラージュ・ロマン」と云う副題から、その魅惑に満ちた歴史が始まった訳だが、同様に前掲の手紙に記した「デペイズマン」と云う言葉も、アンドレ・ブルトン(『シュルレアリスム宣言』の著者)が同書に寄せた緒言で用いたことから、美術用語として定着したものだ。この発端から見ても、コラージュとデペイズマンは切り離せない概念である事が分かるのだが、試みにデペイズマンを定義すれば、このようになるだろうか──無関係な要素を自由に組み合わせる事によって、思いも寄らない意外性を生み出し、受け手に混乱・困惑を齎す方法。即ちコラージュとは、デペイズマンの実践に他ならない。

 

以降コラージュは「アッサンブラージュ」や「フォトモンタージュ」、更には「ボックスアート」へと派生してゆく事 になるのだが、北川さんは長年に亘る創作過程の中で、それら全てを自家薬籠中の物とされているので、ここでは「コラージュ」と云う言葉のみで統一したい。思えばこの「本来の」コラージュを、北川健次と云う作家ほど純粋に追求し、徹底してその可能性を拓き続けた人は居ないだろう。今一度繰り返せば、先の手紙に「ここにはコラージュの本質を成すデペイズマンの、磨き抜かれた究極の具現が在る」と記したのだけれど、これは決して大仰な物言いではなく、むしろ「磨き抜かれた」の前に「生涯を懸けて」と入れるべきだったと、今はそう考え ている。かつて偶然に作られた暗箱の闇で異界に遭遇した少年は、後年「コラージュ」と云う幻惑の魔術を駆使して、日常に慣れ親しんだイメージを大胆に錯乱し、あたかも金属を自在に変成させるあの錬金術のように、世界の要素をことごとく組み換えて、新たな奇想に満ちた異界を現出させる、類例なきカメラ・オブスクーラの製作者となった、この正に「生涯を懸けた」一人の美術家の足跡こそが、そのままコラージュの行き着いた究極の地を提示するのである。以下は北川さんのブログから。

 

それにしてもコラ―ジュという技法は、尽きない不思議に充ちた技法であると、あらためて実感している。ピカソやエルンスト達が多用したこのコラ―ジュは、20世紀美術が生んだ、エスプリと謎を孕んだミステリアスな技法である。異なったイメ―ジの断片を、同一空間に配置転換する事で立ち上がる、イメ―ジの化学反応。それは夜に視る夢のように、何処か懐かしいノスタルジアをも秘めている。(中略)……コラージュこそが私の紛れもない原点であり、これこそが表現における最深の秘法、イメ―ジの錬金術なのである。

 


イカロスになろうとした少年の話

 

 

 

まだまだ語りたい事はある。北川さんの詩や評論について、ボックスアートについて、錬金術について等々。しかし、もう紙面も尽きるようである。それに、意味の撹乱を第一義とするコラージュを前に、これ以上の長広舌も不用であろう。後は暗箱の中に仕掛けられた、絢爛たる魅惑の魔術に、存分に身を委ねて頂くのみである。

(22.05.08)    山口雄一郎

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『幻と共に―成田尚哉追悼展』

人と人との縁というのは、人生という舞台において最も不思議なものであり、時に運命とさえ思える事がある。……そして、それはある日、突然何気なくやって来る。成田尚哉さんとの出逢いもそうであった。

 

……今から25年ばかり前、渋谷でオブジェの講座が開設され、講師として喋っていた時があった。受講生は40人ばかりで女性が多い。ある日、そこへふらりと1人の男性が現れた。……成田尚哉さんである。一見寡黙な中に、意志の強さと、なんとも言えない優しさと懐かしさが伝わって来るその独特な気配から、何かをやっている人だなと直感した。訊くと映画のプロデュ―サ―との事。映画の仕事をしながら更に美術の世界に入ってきたその動機に興味が湧き、この日の講座は主に成田さんとの話に終始した。

 

…話題があちこちに飛び、……昔、私が学生の頃に横浜の大倉山にある「精神文化研究所」という建物が放つ怪しい気配に惹かれ見に行くと、白昼のその暗い建物内から、全裸の少年が突然逃げて来るように飛び出して来て私と目が合うと、少年は怯えたように踵を返して裏の梅園に消えて行った。あすこは怪しい……と言うと、成田さんは、強く共鳴し「その場所は僕も知っています」と言う。『1999年の夏休み』という映画を撮った時に、そこでロケをした事があり、連日、怪我人が何故か続出するので撮影を早く切り上げたという。……その映画は観た事があった。女優の深津絵理が「水原里絵」の名前でデビュ―した作品で、不思議な韻と透明さに充ちた記憶に残る映画だった。「そうか、あの作品は成田さんが作っていたのか」。……すぐに気が合い、講座の後で成田さんとお茶をして、それからの親しく永いお付き合いが始まった。

 

……キネマ旬報ベストワンを受賞した『櫻の園』をはじめとして、『海を感じる時』『ヌ―ドの夜』『遠雷』………、日活のロマンポルノから文芸まで、日本の映画史に遺したその実績は幅広く、確かな足跡を刻んで来た成田さんであったが、察するに、映画という集団による表現でなく、あくまでも成田尚哉個人の内に棲まう、もう1つの可能性の引き出しを、人生という一回性において出し切りたいのだという強い思いが伝わって来た。……果たして、講座で彼が作る作品はどれも完成度が高く、既に成田尚哉独自の美意識に充ちていた。

 

しばらくして、私は成田さんはもはや個展をするべき時だと思い、自由が丘、渋谷、そして銀座の画廊を彼に紹介して個展が開催された。更に私は、もっと作品に適した画廊をと思い、下北沢の画廊『スマ―トシップ・ギャラリ―』を紹介した。この画廊の山王康成さんと成田さんは波長が合い、画廊企画での個展が始動した。作品が映える空間を得た成田さんは水を得た魚のように集中して制作するようになり、作品世界は加速的に深化して、もはや美術の分野においても一級のレベルと言っていい高みに達していった。……映画という虚構の世界で構築して来た裏付けが、彼が作り出すコラ―ジュやオブジェの作品に鮮やかに投影され、作品は過剰なバロックの鈍い光と、ロマネスクな透かし視る奇譚の妙味が合わさった独自な世界を立ち上げていった。……しかし、その達成の速度は異常なまでに早く、迫り来る何かを予感していたかのようであった。………………そして、2020年、9月11日、肝臓癌で成田さんは逝った。

 

成田さんの死は、朝日新聞の死去した人を報ずる一面でも写真入りで載り、右側に成田さん、左側にジュリエット・グレコの死去の記事が同じ文量で大きく扱われ、その喪失の重みが新たに浮かび上がった。また『映画芸術』では彼の死を惜しんで特集号「成田尚哉を送る」が組まれた。……「晋書」に「人は棺を蓋うて事定まる」という言葉があるが、それが本当である事をあらためて実感した。…………アトリエで制作をしている時、ふと「あぁ、いま成田さんが来てくれているなぁ」と感じる時がある。このアトリエの中で、私の作品に使う夥しい数の様々な断片や道具、また制作途中の作品を見ながら、「まるでプラハの錬金術師の工房ですね」と笑いながら語り、興味深く見ていた時の姿を今もありありと思い出す。

 

 

今日、私は下北沢で13日から開催される成田さんの遺作展の展示作業に行き、久しぶりに成田さんの作品の数々と再会した。……机の上に並べられた展示前の作品画像。追悼展の案内状に書いた私の成田さんへの思いを、このブログの最後に掲載しよう。……願わくば、このブログを読まれた方が、会期中に一人でも多く画廊に行かれて、作品をご覧になられる事を乞い願うばかりである。

 

 

 

 

永遠に消えない幻を求めて −成田尚哉のために

 

「うつし世はゆめ、夜の夢こそまこと」と云ったのは江戸川乱歩であるが、一昨年の九月に逝去した成田尚哉ならば何と云うであろうか。あの含羞と憂いを含んだ優しい微笑を浮かべながら、さしずめ「うつし世も、夜の夢も共に幻・・・・」とでも云いそうな感じがする。しかし、この問いへの答は遂に返っては来ない。

 

映画の分野で数々のヒット作を企画・製作して確かな足跡を残した成田が、人生の後半に至って映画と共に没頭したのはオブジェとコラージュの制作であった。その集中の様は凄まじく、短期間のうちに完成度と深みは高みへと昇華していった。尽きない表現への衝動とイメージの蓄積は既にして濃密に仕込まれており、作品の数々はそのひたすらなる放射と結晶であった。その成田が最後に主題としたのが「天使」であった。天使とは神の使者を指すが、クレーが晩年に挑んだ天使像と同じく、成田にあっては、更なる飛翔への願望、或いは死の予感がそこに在ったかとも思われる。そして彼の天使は、無垢の装いの内にエロティックな煩悩、悪徳の埋み火の残余を残し、クレーがそうであったように堕天使の相を宿して、あたかもそれは成田自身の肖像のようにも想われる。

 

成田がオブジェと並行して挑んだのは、乳色の薄い皮膜に封印したイメージの重なりであった。それは美術の分野に於いて類の無いコラージュの技法で、彼が情熱を注いだ映画のスクリーンにむしろ通じている。リュミエール兄弟以来、映画の作り手は総じて夢想家であると私は思っている。世界が、物語が、目の前の闇にありありと見え、手を伸ばせば掴めそうな万象の映りがそこに在る。しかしそれに触れる事は出来ない。灯りを点ければ万象の映しは全て霧散し、残るのは薄く透けた乳白色の幕だけである。故にその幻は永遠に美しい。成田が生涯を賭して追い求めたのは、その幻の刻印ではなかっただろうか。

 

「うつし世も、夜の夢も共に幻・・・・」。含羞と憂いを含んだ成田尚哉の確かな声が一瞬立ち上がり、やがて幻のように・・・・静かに消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スマートシップ・ギャラリー

 

 

 

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『馬鹿が戦車でやって来る―張りぼてのロシア』

ウクライナに続々と侵攻して来るロシア軍の戦車、またそこに搭乗しているロシア兵の赤ら顔を見ていると、昔、1964年に公開された、ハナ肇主演の松竹映画の或るタイトルを思い出した。その名もズバリ、『馬鹿が戦車でやって来る』。……この映画の場合、戦車は(タンク)と呼ぶが、ロシア軍の戦車もその響きの方が合っている。……すなわち『馬鹿が戦車(タンク)でやって来る』。

 

そのロシア兵達のある映像を観た。……暴行・強姦・殺戮後に戦車の横で、強いウォッカ臭を吐きながら勝利のダンスに興じる兵士達の不気味な姿である。

 

 

 

「汝が母は汝に人を殺せと教えしや」、「汝が母は汝に人を切り裂けと教えしや」、

「汝が母は汝に鬼畜になれと教えしや」。

 

 

……その映像から私は直にゴヤが『聾者の家』と呼んだ自らの家の壁に描いた、『黒い絵』の連作を思い出した。ナポレオン戦争やスペイン内乱の後、人類に対する悲観的なヴィジョンを諦観、絶望の内に描いた普遍の絵画である。ゴヤは実際に悲惨な戦禍の様を目撃し、それを版画集『戦争の惨禍』に生々しく刻み、また最後の版画集『妄』では、人類のもはや処置なしの様を突き放した寓意性を持って表している。そこに表されている様は、しかしスペインだけでなく、日本における「西南の役」でも同様な残酷非道さは記録に残されており、戦争時に顕になるこの狂気は、人類全ての内面が抱える闇の普遍かとも思われる。

 

 

 

 

 

 

また、今のロシアの狂気は、かつての日本が大陸で行った侵略の様と重なっている事を忘れてはならない。満州という張りぼての傀儡国家を演出し、北へ、また南方へと進軍した際に行った侵略の際の惨殺、強姦の様は想像を絶して余りある。……その結果、戦地中国で快楽殺人に目覚めた流浪の男達、……小平事件の小平善雄、また731部隊で人体実験に加わった後の戦後間もなくに帝銀事件を起こした真犯人……等を野に放した。また、旧海軍が京都帝大の荒勝文策研究室に原爆の研究開発を委託した「F研究」には湯川秀樹達、日本精鋭の頭脳も参加していたのである。……そう、日本もアメリカに競るようにして原爆開発を行っていたのである。……歴史は結果論のみ年表の表に記載され、その過程の事実を封印するが、その封印を少しでも覗いてみれば生々しい腐臭がそこからは漂って来るに違いない。

 

中国では国民一人一人を表すのに使う言葉は「単位」であるという。また忠誠を誓わされている国民や兵士達の、個人の尊厳を越えた一律的に似通った顔や表情をする北朝鮮の人々の不気味さ、そして哀れさ。また、国営テレビのプロパガンダ放送のみで髄まで洗脳されてしまったロシアの年寄り達の、画一的なコピ―と化した姿は、かつてのナチスドイツのゲルマン国家主義に染められた様と変わらない。……プロパガンダ、そう、かつての日本もそうであった。

 

 

昨日、漫画家の丸尾末広の『トミノの地獄①』を読んでいたら、面白い頁に出くわした。日清戦争で戦死した陸軍兵士・木口小平(死んでも突撃ラッパを口から放さなかった)の忠誠心を教える為に書かれた戦前の文部省が児童用に出した「尋常小学修身書」の事が描かれていたのである。

 

「キグチコヘイハ/ テキノタマニアタリマシタガ、/シンデモ/ラッパヲ/クチカラ/ハナシマセンデシタ」。子供も読めるカタカナ文字の下には勇敢な木口小平の戦死した姿。……間違いなく弾で射ぬかれ即死した木口小平。その後の死後硬直現象を、死してもなお!に転ずる、このあざといまでのプロパガンダによって、軍国少年達の血潮は、おぉ!とたぎったに違いない。昔の単純さに比べ、今はリアルなフェイク画像が氾濫し、観てばかりいると、こちらのアイデンティティも危険なまでに揺らいで来よう。

 

 

大国が見せる強権は忠誠を誓わせてやまないが、やがてはそれに代わってAI(人工知能)が席巻して、人類から個の尊厳を喪失した無気力な人々が多数を占める時代が来るに違いない。もっともその前にプ―チンの狂いがいや増して、人類は遂に!……の瞬間が来る可能性も多分にある昨今である。……ならば、もっと私達のずっと後に来ると思っていた人類死滅の瞬間に立ち会える好機に自分がいる!!と腹をくくって、最悪の絶望、不条理の極みをも、プラス思考で迎えるに如くはない…か。

 

 

人類最大の叡知の持ち主と評されるダ・ヴィンチは、数多の人体解剖を行った後に手稿にこう記した。「結局、人間は死ぬように出来ている」と。ならば、その有機的な視点を拡めて次のように書く事も出来るであろう。すなわち……「結局、人類は滅びるように出来ている」と。

 

 

 

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『世界の終わり―パンドラの箱は開いてしまったのか!?』

先日、コラ―ジュを主とした個展が盛況の内に終わった。……30年ばかり前に、オランダのデン・ハ―グ美術館で見た、額とガラスを外して見せる非常にセンスのある素描作品の展示方法を覚えていて、今回の個展で実験的に取り入れてみたが、その展示方法が日本では初めてであった事もあり、来廊された方は、直に間近で観るコラ―ジュの精緻な表相を堪能されたようである。今回の成果は今後の展示にも大きなプラスとなり、その意味でも手応えのある個展であった。

 

……さて、今回のブログは「パンドラの箱」である。絶対に触れてはいけないものを意味するパンドラの箱。まさか、これをタイトルにしてブログに書く日が来ようとは……。

自分が死ぬ時は何が原因で死ぬのだろうか?……やはり癌か?それとも脳梗塞、或いは急な心筋梗塞?ともあれ、それは個人的な私的物語の終焉にすぎない。……しかし、そこにまさか核による全人類的な全体死の可能性が現実味を帯びて参入して来ようとは。……これは私だけでなく、今、世界の多くの人々が俄に思い始めた考えでもあるだろう。

 

 

その危機の始まりは、しかしとうの昔に二人の人物が現れた時に始まっていた。その二人とは、人類最大の叡知と云われたアインシュタインと、原子爆弾を生み出したオッペンハイマ―

ことは、1939年、アインシュタインが、アメリカ大統領ル―ズベルトに宛てた、原子爆弾の開発を強く促す書簡から始まった。……アインシュタインは1930年頃に原子爆弾が作り出されるもとになる原子力エネルギ―の理論を考えついたが、ナチスドイツが核エネルギ―を使って新しいタイプの極めて強力な爆弾を作る事を懸念して、ル―ズベルトに原子爆弾の開発を促す親書を送るが、しかし後にアインシュタインはその事を生涯悔いる事になった。ナチス・ドイツ、すなわちヒトラ―は、アインシュタインがユダヤ人である事から、この理論を排除してV2型ロケット(世界初の液体燃料ミサイル)の開発にのめり込んでいた。……つまり、ナチスは原子爆弾の開発には全く着手していなかったのであるが、これはもちろんナチスドイツ崩壊後に判明した事。しかし、アメリカはマンハッタン計画と称して科学者、技術者を総動員して原子爆弾の開発を急ぎ、その計画を主導した人物がオッペンハイマ―なのである。

 

 

1945年7月16日、ニュ―メキシコの砂漠で人類最初の原爆実験が実行され成功したが、オッペンハイマ―自身が想定していた破壊力を遥かに超えた光景を目の当たりにして震え、「後戻り出来ない物」を作ってしまった事を痛感、……以後、理論を立ち上げたアインシュタインと、実際に作り上げてしまったオッペンハイマ―は生涯悔いる事になった。しかし、この悔いは私達が想像するよりも遥かに先を読んだものであった事が窺える。……彼ら二人の叡知は、その時点で、早晩に必ず訪れるに違いない世界の終わりの地獄的な光景を、誰よりも早く予見してしまったのであろう。……オッペンハイマ―は古代インドの聖典の一節を引用して「……我は死神なり、世界の破壊者なり」と吐露しているが、オッペンハイマ―でなくとも、アインシュタインの原子力エネルギ―の理論からは必ず原子爆弾は開発されるようになっており、人類は終には自滅への道を、とてつもない集合無意識なうちに、直進するようになっているのであろうと思われる。

 

 

周知のように1962年にキュ―バ危機がその最初の形で現れ、核弾頭が飛び交う核戦争寸前でソ連が引いた事によりギリギリで抑えられたが、今回の場合は、かつての帝国主義幻想に陶酔している一人の奥目の狂人の、狂いの深度如何によって、世界が……という緊張状態が続いている。察するに、この男の人としての器はそうとうに小さく、内面の闇はかなり深い。

……ロシアが劣勢、或いはNATOの今後によっては、プ―チンのエスカレ―ション抑止は効かない可能性も大である。 ……最後にアメリカとロシアの軍事力の具体的な比較数を掲載して、今回のブログを終ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『コラ―ジュの珍しい個展始まる』

今月2日から17日(日)まで、東京・本郷のア―トギャラリ―884で個展『秘苑/フロ―リアンの夢の夜に』が始まった。……今回の個展は、30点以上のコラ―ジュ作品の展示を主とした今までになかった珍しい内容で、他にオブジェ3点、版画2点、写真3点の合わせて40点近い作品を展示している。

 

今回は新しい試みとして「美術表現は、マチエ―ル(表層の画肌)が全てである」という持論を具体化すべく、作品を額とガラスから外し、コラ―ジュの手技、その表層のリアリティをお見せしたく、直で視てもらえる展示方法になっている。なので、来廊された方は、普段観る事の出来ない直の作品をすぐ近くで観て、今までと違う新たな感想を話される方が多い。作品をコレクションされた方には個展が終わり次第、額装してお渡しするのであるが、今回の珍しい展示法の試みはなかなか好評である。

 

今回の個展は、タイトルに「秘苑」の文字がある如く、また時期が時期であるためにひっそりと、秘めた感じで開催しようと思い、個展のDMを遠方の方にはお出ししてなかったのであるが、ご覧になった方が発信している情報が伝播しているのか、個展の事を知った遠方の方も来廊され、今回の珍しい試みの個展を堪能されている。

 

……それにしてもコラ―ジュという技法は、尽きない不思議に充ちた技法であると、今あらためて実感している。ピカソやエルンスト達が多用し開示したこのコラ―ジュは、20世紀美術が生んだ、エスプリと謎を孕んだミステリアスな技法である。異なったイメ―ジの断片を、一つの同一空間に配置転換する事で立ち上がるイメ―ジの化学反応。それは夜に視る夢のように、何処か懐かしいノスタルジアをも秘めている。……十二面体の幾何学的な夢。あるいは書かれなかったロマネスク異聞。そして視る度に異なって映る水晶幻想……。コラ―ジュは視覚で綴るポエジ―の叙述、そして観者が記憶の遠近法を駆使して垣間見る夢の技法なのである。……そして今回の個展を開催してあらためて想う。……コラ―ジュこそが私の紛れもない原点であり、これこそが表現における最深の秘法、イメ―ジの錬金術なのだと。

 

 

 

 

北川健次展『秘苑/フロ―リアンの夢の夜に』

 

ア―トギャラリ―884

東京都文京区本郷3―4―3 ヒルズ884 お茶の水ビル1F・TEL03―5615―8843

2022年4月2日(土)~4月17日(日)

11時~18時 月曜日(休み)・最終日は16時まで

〈JR・丸ノ内線・千代田線各.「お茶の水駅」より徒歩5分〉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『人形狂い/ニジンスキ―と共に』

満開の桜がいよいよ散りはじめた今日は、3月31日。……イタリアでは3月の事を〈狂い月〉と云うらしいが、それも終わって、いよいよエリオットが云った〈4月は最も残酷な月〉への突入である。アトリエの私の作業机の上には、何枚ものニジンスキ―の様々な写真が無造作に置かれている。これから、ニジンスキ―を客体として捕らえた残酷な解体と構築、脱臼のオブジェが何点か作られていくのである。

 

「われわれはヨ―ロッパが生んだ二疋の物言う野獣を見た。一疋はニジンスキ―、野生自体による野生の表現。一疋はジャン・ジュネ、悪それ自体による悪の表現……」と書いたのは三島由紀夫であるが、確かにニジンスキ―を撮した写真からは、才気をも超えた御し難い獣性と、マヌカン(人形)が放つような無防備で官能めいた香気さえもが伝わってくる。私はその気配に導かれるようにして、この天才を題材にした何点かの作品を作って来た。……版画では『サン・ミケ―レの計測される翼』、『Nijinsky―あるいは水の鳥籠』、オブジェでは『ニジンスキ―の偽手』という作品である。

 

版画では、彼の才能を操り開花させ、ダンスそれ自体を高い芸術の域に一気に押し上げた天才プロデュ―サ―、ヴェネツィアのサン・ミケ―レ島の墓地に眠るディアギレフとの呪縛的な関係を絡めた作品であったが、オブジェの方はニジンスキ―を解体して、全く別な虚構へと進んだ作品である。しかし、全てはあくまでもオマ―ジュ(頌)と云った甘いものではなく、客体化という角度からの、ある種の殺意をも帯びて。

 

……以前に、来日したジム・ダインは、拙作『肖像考―Face of Rimbaud』を見ながら、パリの歴史図書館とシャルルヴィルのランボ―博物館でかつて一緒に展示されていた時の私の作品への感想を語り、彼の作ったランボ―をモチ―フとした連作版画(20世紀を代表する版画集の名作)の創作動機を、ランボ―への殺意であった事を話し、私の創作動機もそこにあった事を瞬時にして見破った。……難物を捕らえる為には、殺意をも帯びた強度な攻めの姿勢が必要なのである。

 

 

 

 

 

 

 

ロダン作 「ニジンスキー」

 

 

 

……かつてスティ―ブ・ジョブズから直々に評伝を依頼されて話題となった、ウォルタ―・アイザックソンが書いた『レオナルド・ダ・ヴィンチ』を読んだ。……ダ・ヴィンチに関しては拙作『モナリザ・ミステリ―』(新潮社刊)で書き尽くした感があったので、以後は遠ざかっていたが、久しぶりに読んだこの本はなかなか面白かった。その本の中でダ・ヴィンチが書いた手稿の一節に目が止まった。『……そこで、動きのなかの一つの瞬間を、幾何学的な単一の点と対比した。点には長さも幅もない。しかし点が動くと線ができる。「点には広がりはない。線は点の移動によって生じる」。そして得意のアナロジ―を使い、こう一般化する。「瞬間には時間的広がりはない。時間は瞬間の動きから生まれる」。………………』     読んでいて、先日拝見した勅使川原三郎氏のダンス理論、そのメソッドを垣間見るような感覚をふと覚えた。

 

 

 

3月25日。勅使川原三郎佐東利穂子のデュオによる公演『ペトル―シュカ』を観た。ストラヴィンスキ―作曲により、ニジンスキ―とカルサヴィナが踊った有名な作品を、全く新たな解釈で挑んだ、人形劇中の悲劇ファンタジ―である。ニジンスキ―、そして人形……。先述したように、私は今、ニジンスキ―をオブジェに客体化しようとしており、また人形は、今、構想している第二詩集『自動人形の夜に』の正にモチ―フなのである。天才ニジンスキ―に、天才勅使川原三郎氏が如何に迫り、また如何に独自に羽撃くのか!?また対峙する佐東利穂子さんが如何なる虚構空間を、そこに鋭く刻むのか!?……いつにも増して私は強い関心を持って、その日の公演の幕があがるのを待った。

 

ちなみに、この公演はヴェネツィア・ビエンナ―レ金獅子賞を受賞した氏が、7月の受賞式の記念公演で踊る演目でもあり、その意味でも興味は深い。……「人形とは果たして何か!?」「人形が死ぬとはどういう事なのか!?」「踊る道化」「内なる自身に棲まう、今一人の自分……合わせ鏡に視る狂いを帯びた闇の肖像」……そして命題としての……人形狂い。私は彼らが綴る、次第にポエジ―の高みへと達していくダンスを観ながら激しい失語症になってしまった。言葉を失ったのではなく、観ながら夥しい無数の言葉が溢れ出し、その噴出に制御が効かなくなってしまったのである。

 

…… 開演冒頭から巧みに仕掛けられた闇の深度、レトリックの妙に煽られて、ノスタルジアに充ちた様々な幼年期の記憶が蘇って来る。……不世出のダンサ―というよりは、闇を自在に操り、視覚による詩的表現へと誘っていく、危うい魔術師と私には映った。……そして、かつて『ペトル―シュカ』を踊ったニジンスキ―にも、どうしても想いが重なっていく。翔び上がったまま天井へ消えたという伝説を生んだニジンスキ―もまた魔術師であった。……開演して一時間の時が瞬く間に経った。……そして私がそこに視たのは、生という幻の、束の間の夢なのである。人形狂い……ニジンスキ―。1911年の『ペトル―シュカ』と2022年の『ペトル―シュカ』。時代は往還し、普遍という芸術の一本の線に繋がって、今し結晶と化していった。

 

 

 

 

 

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『対岸の火事に非ず』

 

今回のブログは『毒婦・高槁お伝、遂に登場!』と題して、明治の殺人犯、高槁お伝谷崎潤一郎の奇妙な関係、また後年にそこに絡んだ私の奇妙な体験談について書こうと思っていたが、昨日の久しぶりに大きな地震で大地が激しく揺れたので気が変わり、現実の側に傾いた話を書く事にした。

 

……昨夜、日も変わろうとしている夜半、テレビを観ていたら急に、仙台と福島に地震警報が出た。そこには友人が何人かいるので「地震が来てもたいした事が無ければ善いが……」と、思っていたら、なんの事はない、直後、東北からの地震の連動で、この横浜もガタガタと揺れ始め、静岡辺りまでがかなり揺れた。オミクロン、ロシア軍のウクライナへの非道な侵攻、……そして昨夜の地震といい、ここに至って、現実が正に「負」一色に塗り変えられた観がある。

 

 

時代錯誤の帝国主義の復活妄想にその髄まで染まったプ―チンの采配の下、ロシア軍による軍事侵攻が続く昨夜、ウクライナのゼレンスキ―大統領が米連邦議会で行った支援要請演説の中で「真珠湾を思い出してほしい。1941年12月7日、米国の空はあなた方を攻撃した戦闘機で黒くなった」と話した時に、急にひんやりとするものがあった。現代と過去を思い重ねたのである。

 

……第二次世界大戦中のソ連軍は、1939年に宣戦布告無しに突然フィンランドを急襲し、また1945年8月9日に不可侵条約を突如破って実に157万人のソ連軍が満州に侵攻し、彼の地は生地獄と化した。それと同じく日本軍は米国に宣戦布告無しに突然、真珠湾を奇襲し、その成果で日本国内は沸いた。日清、日露からの軌道を外した狂気が更なる悪夢を紡ぐように人々は沸いたのである。……私は醒めた気持ちでそれを思い出していた。

 

 

そのソ連軍であるが、太平洋戦争終戦後3日目の8月18日に、北から千島列島東端の占守島に突如攻め入り、日本軍の戦車隊と激しく交戦した。この時の日本軍は作戦立てが巧みで、急襲されながらも、日本側の死者は600~1000名に対し、ソ連側の死者は1500~4000名であったという。日本は既に敗戦国であった為に、この局地戦は結局意味の無いものとなったが、姑息にもスタ―リンは、戦後に北海道占領を米国に要求、しかし当時のトル―マン大統領がこの要求を拒否した事で、ソ連の北海道占領は無くなった。もしそれを受け入れていたら……と想うと寒気が走る。しかし、その後で、なおもソ連は米国に対し、日本の分割統治を強く求めたがマッカ―サ―が拒否。この時点でもし別な道を行っていたら、日本は今の韓国と北朝鮮のように分断という悲劇の可能性も多分にあったのである。………日本列島を分断するフォッサマグナよろしく、北はソ連が、南は米国に占領されたとすれば、北の方では例えば、アルハンゲリ弘之スキ―とかアデリ―ナ政子……といった名前が……或いは。

 

しかし、敗戦直後の史実の中には、もう1つ「まさか!」という日本受難とも云える構想があった事を知る人は案外少ないのではないか。……まるで井上ひさしの書いたような非現実的とも映るその話とは、日本占領下のリスク分担という発想から出た構想であるが、つまり、以下のように戦勝した各国が、日本を各々に分けるのは如何か?という話である。

 

すなわち、ソ連が北海道と東北を。米国が本州中央を。そして中国が四国、そしてイギリスが西日本を分割するという話が実際に立ち上がっていたのである。……こう想うと、「日本」とは詰めて語ればもはや観念の中。……しかし、「私の国は私が守る」と言って危険な前線に行くウクライナの若者の映像を視ると、それを日本に置き換えた場合、もしロシアが、或いは中国が宣戦布告無しに突然攻め入って来た場合、もはや国としての体を成していないと諸外国から揶揄されているこの国において、「私の国は私が守る」という、国と自身のアイデンティティーが結び付いていないこの国は、果たしてそこに呈する姿や如何に…………である。……公海とは云え、津軽海峡を連日、日本を冷笑或いは煽るようにして、ロシアの軍艦が我が物顔で通過して行く。……ウクライナの事は対岸の火事に非ず、しかしそれをこの国に移し変えて見た場合、そこに見えて来るのは寒々とした、日本の素顔の実体なのである。

 

『国の根幹は教育である』と言ったのは、凶徒に刺殺された初代文部大臣の森有礼である。その根幹たる、この国の教育現場は理念を欠いて荒廃の一途である事は周知の通り。……かつて終戦直後の日本が、まるで死肉に集るハイエナの如く、四つの戦勝国によって分断される危機があったという重大な事実を多くの人が知らないのは、ひとえに教育の現場でそれを語って来なかったからである。

 

……なぜ教育の確たる現場で語って来なかったのか!?……理由は明白で、米国への小心な媚びへつらいと保身が生んだ忖度に他ならない。ギブミ―チョコと俄に輸入された、その出自の背景を理論的に教える事を欠いた(民主主義教育)によって、この国は根拠のない性善説と他国の力に依存する弱徒と化し、早75年が経過して、この国の不気味さは今や絶頂に達した観がある。……そして今や、この国の若者の多くは「誰でもいいから、相手が何者なのか知らなくてもいいから、ただただ繋がっていたい」という不気味な感性を持ち、持論を持って語る事を怖れる、ある意味、神経症と言っていいアバターと化した。……かつて日本であった土地の上に、ただただ生きて流離っている、凡そ1億2千万の人間が烏合の如くいる。……それが今の「にっぽん」の姿であると云えば、言い過ぎであろうか。

 

 

 

 

 

 

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『一期一会』

……1970年代、美大の学生の頃は川崎の溝の口に在った学生寮に住んでいたが、卒業した後は横浜の各所を転々とした。本牧、山手町、中華街と海岸通りに挟まれた山下町……10回ばかり転居したが、ずっと変わらず横浜に住んでいる。一方がざっくりと海であるという開放感と、無国籍風な如何わしさ、犯罪の臭いが漂う不穏な怪しさが性に合っているのであろう。昨今は横浜も小綺麗な街へと変貌してしまったが、私が転々としていた頃の横浜は、ノスタルジアの気配が色濃く充ちていて面白かった。その記憶の一隅に今は無い古色然とした桜木町駅が在り、そのすぐそばに横浜市民ギャラリ―が在った。……『今日の作家展』をはじめとして度々優れた企画展を発信し、東京や遠方からもたくさんの人が訪れていて活気に充ちていたのを今も懐かしく思い出す。しかし、いつしかその市民ギャラリ―も無くなり、記憶の中に幻のように今も在る。

 

 

桜木町駅

 

 

昔の横浜市民ギャラリー

 

 

1964年に開設された横浜市民ギャラリ―は、その後2度の移転を経て、2014年から新しく運営が始まった。場所も桜木町駅側から近くの丘の上へと移り、明治の頃は横浜港が眼下に映えて風光明媚を極めた伊勢山皇大神宮の側に今は在る。……その横浜市民ギャラリ―で、今月13日迄、『モノクロ―ム/版画と写真を中心に』と題した、ギャラリ―コレクション展が開催されている。……私の版画もコレクションされていて、80年代に作った版画『フランツ・カフカ高等学校初学年時代』と『死と騎士と悪魔』の二点が展示されている。他の出品作家は、一原有徳斎藤義重高松次郎宮脇愛子長谷川潔、……写真では浜口タカシ土田ヒロミ……など26人の作品が展示されている。私は個人的には、斎藤義重さん、一原有徳さん、高松次郎さんとは一期一会のご縁があったが、今日は一原さんと、写真の土田ヒロミさんについて書こうと思う。

 

 

 

『フランツ・カフカ高等学校初学年時代』

 

 

 

先ずは版画家として既に活動を始めていた26才の頃であったか、札幌でNDA画廊というのを開設している長谷川洋行という人から「個展をぜひ開催したいので、とにかく会いたい」という電話が入り、横浜、桜木町駅近くの喫茶店でお会いした。非常に熱く語られる方でその熱意に共鳴して、半年後の冬に開催が決まり、私は初めて札幌の画廊を訪れた。

 

時計台近くに在るその画廊は、大正時代に建てられた「道特会館」という石造のビルの中に在った。……薄雪が舞う中、画廊に入るとたくさんの来客で会場は埋まり、みな熱心に作品を観ているところであった。その人達は以前から私の版画のファンの方で、私を囲んで語らいが始まった。……すると突然ドアが開き、吹雪く外の雪と共に、ご年輩の男性の方が入って来た。その方は皆から尊敬を集めているらしく、その熱気が私にも伝わって来た。その人を長谷川さんから紹介され、「一原有徳」というお名前の人である事を知った。もちろん初対面ながら、その人は私が作者である事を知ると近寄って来られて開口一番、何とも言えない笑顔で「北川さん、私はあなたの作品が大好きなのです」と言われた。個展の初日に私に会う為に、はるばる小樽から札幌まで列車で駆けつけて来られたのだと言う。話を伺うと、郵便局に勤めながら、ひたすら制作に没頭する人で、版画の市場性から離れて独自な人生を悠々と歩まれている方と見た。この自在な生き方は、後年にご縁が出来た浜田知明さんとその高潔さにおいて重なるものがある。……長谷川さん、一原さん共に逝かれたが、その一原さんの大作を今回ギャラリ―で拝見しながら、こうやって共に作品が並んで展示されているのも、なんだか不思議な廻り合わせを視るようで、考えるところがあった。まさに一期一会であったが、一原さんと過ごした僅かな時間ながら、無性に懐かしく、その時の時間を幻のように思い出す事がある。……一原さんの信念をそのまま映したような、美しい黒が刻印された強度なモノタイプの作品群は、これからますます評価が高くなっていくと、ある種の断言を持って、私は強く思った。

 

写真家の土田ヒロミさんとは、ちょっと奇妙なご縁がある。(共に福井の出身)……土田さんとお会いしたのは、2011年の秋、福井県立美術館で開催中の私の個展の時であった。当時館長をされていた芹川貞夫さんに紹介されたと記憶する。……私は迂闊にも土田ヒロミさんは女性の写真家だとずっと思っていたので、全くイメ―ジと異なる年輩の男性であった事に先ず驚いた。話をしているとちょっと面白い符合が見えて来た。

 

……私は小学6年生の頃まで、福井大学工学部の塀の横に広がる森の気配に引かれ、足繁くそこに通う日々であった。森の横には小川も流れ、そこで感性を養ったと言ってもいいくらい、隠れ家のようにして遊んでいた。……今の作品に繋がるイメ―ジ舞台の原型がそこに在る。……マックス・エルンストも幼児期に近所に広がる黒い森が画家としての魂が羽化する場所であったと告白しているが、その感覚はよくわかる。……森の中には一軒の洋館があった。噂では大学教授の持ち物という事だが、それを鵜呑みにする私ではなく、何か不穏な気配をいつもそこに感じとっていた。………………土田さんと話をしたら、その森の事はよく覚えていて、あすこの森は何か異質な雰囲気があったと言う。私は嬉しくなった。更に話をして、面白い事がわかって来た。私が件のその森に入り、高い木の上に登ると、そこから大学工学部の実験棟の広がりが遥かに見えた。子供というのは何でも怪しいものと視てしまうので、その実験棟も暗く見え、大学とは仮の姿、夜な夜な何かの機械が不気味に唸る音を立てており、白衣姿の怪しい大人達の暗い影が動いているに違いない……と空想する日々であった。……しかし、私がその不穏な気配を感じとっていた7才の頃、土田さんは何と、福井大学工学部の学生として、その実験棟の中で研究する日々を過ごしていた事が話していてわかった。あの時、土田さんは塀を隔てたすぐ間近にいたのか!!……同じ森の記憶を持っている人に出逢ったのは初めてだけに、土田さんを前にして、何か遠い記憶が活性化して少し揺れた。……その土田さんの写真のタイトルは『砂を数える』という連作が出品されている。

 

 

……横浜市民ギャラリ―を出て、すぐ近くに在る『伊勢山皇大神宮』の石段を昇り、大きな鳥井の在る前に出た。かつて明治の頃は、この高台からは横浜港の絶景が見えたが、今は高層ビルの群立で海は全く見えないのはいかにも残念である。……一期一会は人との出逢いだけに在らず、風景も、そして時間もまたそうなのだと思った。

 

 

 

伊勢山皇大神宮

 

 

100年前の伊勢山皇大神宮

 

 

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『アンダルシアのロバ』

……私はロバが好きである。あの哀しみを含んだ目、荷駄を運ぶ為の、ひたすら働く事を宿命付けられたあの小柄な体形。『ピノキオ』や『ブレ―メンの音楽隊』や、寓話『ろばを売りに行く親子』にも登場するロバは、哀愁やノスタルジアを具現化した…何か特別な生き物のように思われる。

 

 

しかしロバを観たくてもたいていの動物園にはなかなかいない。珍しくロバが観れる動物園がある事を知ったので、さっそく出掛けてみた。……その場所は私のアトリエから近い川崎の高台にある『夢見ヶ崎動物公園。』……名前の「夢見ヶ崎」という言葉が何やら意味深なので気になり調べてみると、果たして、動物園裏側には寺が五つも建ち、墓地や川崎の空襲で亡くなった人達を祀る巨大な慰霊塔があり、しかも実際に自殺者が最も多い事で知られる関東でも指折りの心霊スポットの由。

 

しかしその日の私にそれは興味が無く、唯ひたすらにロバ、ただそれだけが目的であった。……寒い日だとロバは小屋から出て来ないというので、電話を入れて確認してから観に行った。…………園内の日陰の暗くて寒い所にそのロバはいた。久しぶりに観る哀愁を含んだ何物かがそこにいた。……そして眼前のロバを観ていると遠い記憶が甦り、かつて訪れたアンダルシアの日々を私は思い出していた。

 

 

 

1990年の晩秋から翌年の秋迄の1年間、生活の拠点はパリであったが、その間に私は4回、スペインを訪れている。その中でも特にアンダルシアは忘れ難い場所である。2回目の春にスペインを訪れた時、私はマドリッドから南下してアンダルシアグラナダセビリアを10日間ばかり訪れた。グラナダのアルハンブラ宮殿ヘネラリフェ、大聖堂は定番であり、勿論私も訪れたが、その日の目的は、グラナダの郊外にあるカルトゥハ修道院であった。バロック様式の粋を極めた宮殿のような大伽藍も見事であるが、私はここでしか観れない異端審問の残虐極まる実録の様を描いた絵画を観たかったのである。

 

アルハンブラ宮殿を遠望に視る、ジプシ―の巣窟のあるアルパイシンの丘でタクシ―を拾い、私は件の場所を目指した。覚えたての暗記した言葉で運転手に「quiero ir a la Monasterio de la Cartuja」(カルトゥハ修道院に行きたい)と言うと、「entiendo!」(了解だよ!)の返事。私はあっさり通じた嬉しさで、言わなくてもいい言葉でヨイショした「me gusta granada la mejor de espana!」(私はグラナダがスペインで一番好きなんだよ)と。…これがいけなかった。この剽軽な運転手はよほど嬉しかったのか、突然高い奇声をあげたかと思うや、それこそ車で混みあったグラナダの道を、アミダくじの中を車で時速300Kmでとばすようにうねりながら、猛スピ―ドで走り続けたのであった。私はやはりスペインのカダケスの細い断崖の道をダリの家を目指してボンネットバスで揺られながら行った時に、堕ちれば谷底という体験をした事があるが、その時と同じく「今日死ぬのか!」という恐怖を味わったのであった。ともあれ、郊外にある修道院へはアッという間に着いたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は軽装であり、手にした旅のガイドブックは澁澤龍彦『ヨ―ロッパの乳房』ただ1冊であった。この本の中でアンダルシア、特にグラナダについて語っている事の本質は、この土地特有の「永遠」という感覚の覚えである。……この地に流れている悠久の感覚。流れ去る時間の哀しみ、その中に刹那、私達は生き、死んでいく、その永劫の中に在る事のポエジ―。そして、終には美しき忘却との合一。…………その哀しみの中にロバがいる!……美術史上の絵画の中でロバが登場する作品が幾つあるか、ふと想った。……ゴヤ、ピサロ、ピカソ、ルノア―ル等……が次々に浮かんだが、私が一番好きな作品は、ミロの初期の代表作『農園』の中に登場するロバである。……この作品を所有していたヘミングウェイは「この絵には、スペインに行ってその土地で感じる全てと、スペインから遠く離れていて感じる全てがある。誰も他に、こんなに相反した二つのものを同時に描きえた画家はいない。」と書いているが、この短い言葉の中にこの絵の魅力の本質が全て書かれている。……その絵『農園』の中の、画面右寄りに小さくロバが描かれているのである。

 

 

ミロ『農園』

 

 

ゴヤ『カプリチョス』

 

 

 

……ピサロやルノア―ルを除けば、ロバを描いているのは皆、スペインの画家である。しかも皆、ロバの本質をよくとらえている。……ロバ、ロバをこの地で視てみたい!……そう思い詰めるように、このグラナダの坂を上がり降りしていると、人気の絶えた或る石段の上で、私の気持ちが通じたように、ロバが1頭繋がれたままの姿でいるのに遭遇した。近寄ってみても私を恐がるでもなく、ロバは自身の運命を知っているかのように黙ったままであった。周りはあくまでも静かで無人であった。……すると急に石段の下から泣き叫ぶ少年の声がしたかと思うと、小さな子供たちの集団が上がって来た。視ると、仰向けに倒された少年の両手を左右の少女が引っ張ったまま笑いながら石段を上がって来るのである。一段ごとに少年の頭、体が石段にぶつかり、少年は泣き叫んでいる。それを子分のような数人の少女達が面白がってついてくる。グラナダの一場景と言えばそうであるが、まるでスペインの映画監督ルイス・ブニュエルダリの合作映画『アンダルシアの犬』の一場面みたいだなと思った。残虐な場景も、描きようによっては美しい詩情と化す。……かくして、そのロバとグラナダの子供達の一幕の場景は、私の中で永く記憶に残る事となった。

 

とまれ、その1年間で私はスペインに4回行ったわけであるが、帰国直前、イギリスからパリを経由して帰国するのであったが、スペインへの想いは高まって、最期は、イギリスからパリに入り、その夜の夜行列車で私はグラナダへと向かったのであった。……スペインを離れる時、いつも決まってその度に彼の地に、私は重大な忘れ物をしてきたような想いに駆られて仕方がない。……それを、先日観たロバから卒然と思い出したのであった。……忘れ物とは何か?……私にはまだその答えが見えていない。

 

 

 

 

 

 

 

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『……ブログの連載、十二年目に突入!!』

……ふと来し方を思い返すと、このブログの連載も12年近く続いている事になる。……早いものである。今まで『未亡人下宿で学んだ事』や名優勝新からこっぴどく説教された『勝新太郎登場』など、たくさんの自称名作のブログが生まれて行き、未知の人達とのご縁も増えていった。ネットの拡散していく力である。……多くの読者に読まれている事はなによりであるが、時折、意外な角度からオファ―が来て驚く事もある。

 

……以前のある日、電車に乗っていると突然フジテレビのニュ―ス番組制作部から電話が入り、『モナリザ』の古い写し絵が発見されたので、今夕、ダ・ヴィンチについて番組の中で自説の推理を自由に喋って欲しいという話が飛び込んで来た。訊けば私のブログを毎回読んでおり、また私の本の読者でもあるという。……この写し絵(推察するに弟子のサライが描いた)に関しては私も興味があったので快諾して自説を喋った。……また先日は、TOKYO・MXTVから連絡が入り、これもまたダ・ヴィンチについて、樋口日奈(乃木坂46)やAD相手に番組の中で喋って欲しいので、市ヶ谷のソニ―ミュ―ジックビルに来て欲しい……という突然の話。これは私の日程が合わず、代わりに知人のダ・ヴィンチ研究家のM氏を紹介したが、さぁその後どうなったであろうか……。

 

……また、最近、二つの出版社から、私の今までのブログから抜粋してまとめた本を刊行したいという話を各々頂いたが、これは私のブログに対する趣旨とは異なるのでお断りした。樋口一葉日記や作家達の戦中日記と同じく、私的な備忘録―生きた証しであり、また読者の日々の気分転換になれば……という思いで書いているので、このままが一番いいのである。

 

 

しかし、そういった角度とは違う、このブログへの反響といったものもある。……というのは、昨年に刊行した私の第一詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』を私のサイトで購入出来る方法を載せたところ、購入希望者が一時期ほぼ毎日のようにあり、合わせて200冊以上、署名を書いてお送りする日々が続いたが、さすがに最近は落ち着いていた。

 

……しかし、何故か2週間くらい前から再燃したように詩集の購入を希望される方からの申し込みがまた入るようになり、この2週間で新たに40冊ちかい数の申し込みがあり、詩集の見開きに黒地に銀の細文字でサインを書き、相手の方の署名・日付も書いてお送りする日々が続いている。

 

……しかしなぜ突然、詩集の購入希望者が再燃するように増えたのか知りたくなり、申し込み書に連絡先が記してあるので、失礼ながら謎を解きたくなり数人の方に伺った。……その理由はすぐにわかった。前回のブログに載せた『ヴェネツィアの春雷』(『直線で描かれたブレヒトの犬』所収)の詩を読まれて気に入り、また併せて書いた私の詩に於ける発想法が面白かったというのである。……現代詩はわからない、ピンと来ないと思っていたが、こと私の詩に関しては、その言葉の連なりに酔う事が出来、自分の中から直に自由なイメ―ジが沸き上がり、もっと読んでみたくなったのだという。……かつての中原中也や宮沢賢治がそうであったように、書店を通さない直に購入希望者を募るという方法はアナログ的ではあるが、よりその人達とのご縁が生まれる可能性に充ちており、私はこの方法が詩集のような少部数の出版には合っていると思う。

 

 

 

 

 

……では最後に、第一詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』に入っている詩の中から、三点ばかり、今日はこのブログでご紹介しよう。(詩集には八十五点の詩が所収)……先ずは、前々回のブログに登場した、私が泊まったヴェネツィアのホテル『Pensione Accademia』の真昼時の裏庭に在った日時計を視ながら着想した詩。

 

 

 

『アカデミアの庭で』

日時計の上に残された銀の記憶/蜥蜴・ロマネスク・人知れず見た白昼の禁忌/水温み 既知はあらぬ方を指しているというのに/ヴェネツィアの春雷を私は未だ知らない

 

 

『光の記憶』

光の採取をめぐる旅の記憶が紡いだ仮縫いの幻視/矩形の歪んだ鏡面に映るそれは/永遠に幾何学するカノンのように/可視と不可視との間で見えない交点を結ぶ

 

 

(……この詩は、写真作品の撮影の為にパリやベルギ―、オランダを駆け回った時の記憶を再構成して書いた作品。)

 

 

『割れた夜に』

亀裂という他者を経て/アダムとイブと/独身者は花嫁と重なって/アクシデントに指が入る。/コルセットに感情を委ねて/少し長い指が犯意と化す。/四角形の夜/あらゆる罪を水銀に化えて/アクシデントに指が入る。

 


 

(作品部分)

 

(……この詩は、20世紀美術の概念をピカソとパラレルに牽引した謎多き人物マルセル・デュシャンの代表作『彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも』から着想した詩。周知のように、未完であったこの作品を運ぶ途中に、トラックの運転手の荒い運転により発生した偶然の予期せぬ事故で硝子の表面に扇情的な美しい亀裂が入り、この作品の最終の仕上げが他者を経て完了したという逸話がある。……私の思念していた「アクシデントは美の恩寵たりえるのか!?」という自問を詩の形に展開したもの。)

 

(作品裏側)

(作品全体)

 

 

 

……さて次回のブログは一転して、舞台はスペインへ。旅人というよりも異邦人と化した私の追憶『アンダルシアのロバ』を書く予定です。乞うご期待。

 

 

 

 

 

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