『ヴェネツィアの水と夢』

……前回のブログで、コロナウィルス感染者ゼロの岩手県の不思議について書いたが、考えてみるとこの騒動の渦中にあって、現在もなお一人の感染者も出ていない岩手県の気丈とも云える異色な存在は、ある意味で死中に活を見るような一つの希望的存在であったような気がする。岩手県だけ何故感染者がゼロであるのかという謎は謎のままに、ある視点から見れば、新型コロナウィルスという敵にも死角のある事が、そこにうっすらと透かし見えたからである。……想えば、岩手はかつては平家の中央集権と離れて独自で強靭な藤原三代の栄華を咲かせた、正に独立自治の気概に富んだ地であり、また不思議な話に充ちた『遠野物語』の舞台でもあり、石川啄木、宮沢賢治、松本竣介……といった、私の好きな今だ色褪せないモダンな感性と豊かな詩心を持った特異な表現者を輩出した地でもあり、私はこの岩手という所が最近ますます好きになってきているのである。……さて、コロナウィルスは少しずつ最初の収まりを見せつつあるが、必ずや第二波が再び襲来する事は必至であろう。その時もなお岩手県が感染者ゼロを維持しうるのか否や、私は注目していたいと思っている。

 

……最近の私はかなり早起きになり、朝のBBCニュ―スを観るのが毎日の日課のようになっている。そのニュ―スで面白いものを観た。……恒例のカ―ニバルを途中で中止して、正に戒厳令の監視下にあるように観光客が絶えたヴェネツィアの運河の水が自浄作用が働いて綺麗になり、画面からは水中深くで生き生きと泳ぐ魚影の姿が映し出されたのであった。……今まで4回ばかりヴェネツィアを訪れた事があるが、運河の水はかなり汚く、夏の臭いは特にひどく、正に廃市の感があった。しかし画面に見るそれは人が絶えた事で生じた奇跡のように私には映った。…………その映像を観ていて、ずいぶん昔に見た或る夢の事を思い出した。…………廃市のように人が絶えた霧のヴェネツィア。その運河の水面を私が乗った黒いゴンドラが滑るようにして或る館の中に入っていく。……運河の水が異常に増した為に、この地の人の姿が全く絶えたのか、他は無人、唯私一人だけがゴンドラに乗っているのである。しかしゴンドラを操る漕ぎ手の姿もなく、ただ私を乗せたゴンドラが何かの強い磁力に引かれるようにして、嘗ての栄華を極めた或る館に滑りこんでいくのである。その暗い館に滑り入ると、全くの静寂の中、大きなガラスケ―スが何かの暗示のようにして対置して置かれていて、そのガラスの中を見ると、あろう事か、何故かダ・ヴィンチとミケランジゥロの素晴らしい素描が全くの無人の静寂の中で展示されているのであった。……私は陶然とした気持ちのままに、ただ、それらを眺めているという夢であった。……しかし、この夢は一種の予知夢であったらしく、時を経てやがて現実のものとなった。ロンドンの大英博物館の別館にあるルネサンスから近代迄の素描を集めた研究室で、日本からの美術の在外研修員として訪れた私は、夥しい数のダ・ヴィンチとミケランジェロの素描を白い手袋をはめたままに、じかに手に持って存分に見る事が叶ったのであった。ガラス越しと違い、自分の掌中にあるそれらは、不気味なまでの生々しい迫力を持って私に迫り、その体験から吸収した事は実に多いものがあり、著作の中でもそれを記した事があった。……さて話を始めに戻すと、人が絶えた事で生じた奇跡とも云える自然界の自浄作用で、この汚れた環境はかくも早く元に戻るのか!という驚きと、今一つの不気味がそこにあった。……もし、人類が絶えたら、長年の環境破壊によって、もはや死に体となりつつある地球の生成と死はその自浄作用によって……という、ある種の苦さと、然りという想いが交錯する感慨を私は抱いた。この想像の果てに辿り着くのは、ポエジ―の本質かと思われるが、その事を暗示してやまない、実に奇妙なものがそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『岩手独立共和国』

……思い返せば、新型コロナウィルスの感染者を多数乗せた、あのクル―ズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」が横浜港に寄港した2月初旬頃には、この新顔のウィルスなるものは未だ対岸の火事として映っていた感があった。それがポツポツと拡がりを見せはじめ、この新型コロナウィルスの恐怖はアッという間に拡がり、日本は、そして世界は一変した。自分には及ぶ事はないと誰もが最初は軽く高を括っていた感があったが、この侵犯力の凄さは、かつてのヒトラ―の出現とナチズムの席巻力とちょっと重なるものがある。ここ最近で20万部のベストセラ―となったカミユの名著『ペスト』は、ペストの恐怖を題材としているが、その実はナチズムの恐怖を現している二重の主題が在る事は周知の通りである。……その不気味さは時と姿を変えて、あたかも魔群の通過のようにして繰り返しやってくる。

 

 

 

 

さて、昨今の国内の騒動を見ていると、そのスケ―ルと人材の器の程は全く比較にならないが、構図に限ってみると、何やら幕末時の日本と重なるものがある事に気がついた。……ウィルスを、突然浦賀に来航した黒船に見立てると、その出現で右往左往する幕府が今の政府。その慌てぶりと無策ぶりに、例えば吉村洋文大阪府知事のように、各県が見切りをつけて自らが主張をし始め独自な舵取りを始める様は、外様の各藩から出て来た倒幕の志士にちょっと重なるものがある。そして、感染者がゼロの岩手に目をやると、全く外部の者が侵入出来なかった薩摩藩にちょっと重なるものがある。幕府からの間者や他藩から薩摩に侵入を試みた者は、二重三重に配置された国境警備の薩摩の腕利きの武士によって全員が始末されたのである。土佐を脱藩した後の2年ばかりの行動に謎が多い坂本龍馬は、一説によると、この薩摩に興味を持ち山越えをして入国を試みたが遂に果たせなかったという。ことほど左様に全く無風にして謎が多いのが薩摩藩であり、この度の全く感染者が出ない岩手県の不思議といささか重なるのである。ただ当時の幕府には先導者の勝海舟がおり、早々と議会制の導入を訴え大政奉還を誰よりも早く発案した大久保一翁といった先見の明を持った人材がいたが、今の政府は悲しいかな人物が皆無である点がだいぶ違う。また各県の知事においても、突出した人材が殆んど無いのが今の日本の現実である。……さて岩手、この全く感染者を出さなかった県に大いに関心を持つ私は、岩手県・盛岡市で画廊を経営しておられる下館和也さんにお電話をして、直接その謎について伺った。下館さん明るく笑いながら曰く「岩手の人は我慢強いですからね」という意表を突く答えが返って来た。う〜む、何かありそうだな……岩手の人しか共有していない何か秘密でもありそうな。……私は話の角度を変えて、「まるで岩手だけが独自な共和国のようで、かつての榎本武揚が北海道を新政府に対抗する為に、国際法に照らし合わせて諸外国に共和国の申請と認知を主張したのを思い出しますよ」と話すと、下館さんも榎本武揚のその構想の話を知っていて、「共和国と云えば、作家の井上ひさしさんが小説『吉里吉里人』で、それを主題にしたのを書いていますよ」と教えてくれた。……おぉそうであった。私はその本は読んでいなかったが、話の大まかな筋は知っていた。確か、東北の一寒村が、日本政府に愛想を尽かし、突然、この国からの独立を宣言する話であったが、その舞台が宮城と岩手の県境の架空の村であった由。この小説は映画化の構想はあったが実現されなかったらしい。思うに、今この小説を原本として今の日本に舞台を移し変えた映画を作れば、日本政府に愛想を尽かした国民のカタルシスに響くヒット作の可能性があるかと思うが、脚本を作るなら、やはり三谷幸喜あたりに指を折るか!?……ともあれ、下館さんは岩手の感染者ゼロの謎については言葉を曖昧にして真意を遂に語ってはくれなかったが、やはり何かあると私はますます睨んでいる。しかし情けないかな、いま脳裏に浮かぶのは「わんこそば」か「盛岡冷麺」の存在しかないのである。…………

 

 

 

 

 

 

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『冥土 in japan 』

……今回は物騒なタイトルから始まった。西洋では「Mement mori(死を想え!)」という警句があるが、日本語ではこれに似たような言葉はあまりない(少なくとも今は浮かばない)。……とまれ言葉は無くとも、この3月辺りから、新型コロナウィルスに扮した死神らしき者が私達の周りで死の舞踏を踊っている気配で、否応なくリアルに死を想う日々を過ごしている昨今である。この数ヵ月ほど、彼の世と此の世が実は地続きで、ほんのちょっとのモメントで死が隙間から覆い被さってくるという恐怖感覚を味わった事はなかった。それと昨今の地震の多発化が相乗して、この日本が何やら冥土へと斜めに滑り落ちていっているような、そんな暗くて不穏な「冥土in japan」なる日々である。

 

 

 

 

昔、まだ学生の頃の話であるが、神楽坂の友人宅にいた時に、その友達なる人が来た。その人はその世界では知られたパチンコの名人(つまりパチプロ)で、パチンコ店に行く時に決まって無一文の手ぶらで行き、帰りは稼いだかなりの現金を手に洋々と帰っていくという。……店に入るや、彼は床に落ちているパチンコ玉を1つ拾い、台を決めて静かに腰掛け、必ずその1発の玉でチュ―リップを開かせてから、プロの釘師と自分との闘いが始まるのだという。パチンコ台がコンピュ―タ化された今と違い、昔は名人と呼ばれる渡りの釘師がいて微妙に釘の角度を調節し、それをパチプロなる人がいて、両者の無言の闘いが行われていたアナログの時代だから、突き詰めれば一種の美学とも云えるものが成り立っていた(かと思う)。先日テレビで見たパチンコ狂いの客達は決まって貧相で、なんとも情けないに尽きる感があったが、想えばその時のパチプロなる男は一匹狼とも云える孤独な陰りがあり、今も記憶に何故か残っている。しかし機械化された今は、止める事が出来ない麻薬患者よろしく、自分の意思というよりは仕掛けられた店内の過剰な騒音などにより脳内モルヒネの分泌がパチンコ狂い達の弱い精神を突き動かし、自粛騒動の中を開いている店を求めて、あたかも薬中毒の患者のように延々と流浪しているのである。……「何もする事がないんだよ、いいんだよ俺は、パチンコさえ出来ればコロナで死んだっていいんだよ!ほっといてくれよ!!」歯が数本抜けた、そんな男達の(更に感染を増やす危険性が多々ある)姿を見ていて、ふと浮かぶものがあった。……何台ものパチンコ台、業者と共に彼らを無人の離島か、廃校になった學校の校舎に仮住まいさせ、お望み通り、パチンコ狂いに興じさせるのである。もちろん食事は有料で給される。しかし、彼らは入ったら最期、自分の意思で出る事は許されない。感染が収束するまでは各県の徹底した管理下におかれるのである。……収束後にテレビ局の人が取材でそこに入って行くと、そこにはウィルスにやられた悲惨な光景が映される。しかし彼らの顔を充たしているのは、病んだ脳からの命令とはいえ満足しきった至福に充ちた表情が浮かんでいた、……という結末である。

 

 

 

 

 

……最近、強く印象に残っている事がある。それは、日本と違い徹底した外出禁止令の中、死のリスクを背負いながら必死で医療に励む病院の医療関係者、患者達、……そして市民をあまねく励ます為に鳴らされた、パリのノ―トルダム聖堂から奏でられた、あの巨大な鐘の崇高なまでの響きであった。昨年の火災で自らも傷つきながら、荘厳に鳴り響くその音は、一神教の徒ではない私でさえも奮わせられるものがあった。……昔、パリに滞在していた時に聴いた、下宿の屋根裏部屋の天窓から聴こえてくるサンシュルピス教会の鐘の音、或いはブリュ―ジュで聴いたカリヨンの鐘……他、何れも聴覚に忍び入って来て内なる琴線を揺らし鼓舞してくれるものがあるが、やはり、ノ―トルダム聖堂のそれは圧巻であった。魂が天上的なるものとリンクして、精神がバネと化し力が湧いて来るのである。……文句なく美しい、そう思った。そして思った。日本の鐘はこういう場合、どう響くかと。例えば、テレビを観ていてそのノ―トルダム聖堂の鐘の響きに感動した寺の和尚がいて「よし俺も!……」と熱く思って鐘を鳴らしたら、どうそれは響くか!?……この比較は面白いと思った。西欧の乾いた気象の下で聞く硬質な鐘の音色は、天使の羽根の如く天上へと私達をして導いていくのであるが、日本の寺の鐘は、(除夜の鐘だけは過ぎ去る年を想って感慨深いが)むしろ逆効果であろう。精神を鼓舞するどころか、ゴ~ンと、湿った空気を抜けて響いてくるその鈍くて重い音は、限り無く冥土への誘いとして響いてくるに違いない。時期も時期。下手に鳴らすと、神経過敏な近隣の住人から「縁起でもない、何を考えているんだ!……不気味で気色が悪いからヤメロ!」と抗議が来ることは必至であろう。…単なる鐘の音のマチエ―ルの比較であるが、この発想は、そこに現実の新型コロナウィルスの問題を具体的に挟んでみると、はっきり違いが見えて来るのである。……そう、私は思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『…………面影や』

私は今、静かに思い出している事がある。……あれは確か30年ばかり前であったか。鏑木清方の文庫本『こしかたの記』を携え、遠い明治の面影を探して、かつての築地明石町界隈をぷらぷらと散策していた事があった。午後になりたまには寿司でも食べようと思い、築地市場では美味で知られる「寿司清」に向かった。暖簾をくぐろうとした時、中から小柄な女性客が出て来て危うくぶつかりそうになった。……瞬間、その人は私を見てにっこり微笑み、続いて番組の制作スタッフらしき重い器材を持った数人が後に続いて、慌ただしく去っていった。刹那に見たその女性は明るい華を持った美しい人であったが、何より頭の回転の良さがその顔に出ている、気取りのない、気さくな善き人として記憶に長く残った。

 

……先日、コロナウィルスで亡くなられた、女優の岡江久美子さんの30年前の姿がそこにあった。

 

 

 

 

あの時の、あの人が……と想うと、この世もまた無常の彼岸のように想われて来て、全てはなにやら幻のように映ってくる。……人は、どういう亡くなり方をするかは誰も自分で決められるものではないが、少なくともこういう亡くなり方は最も似合わない人であったかと思う。そしてその不条理な残酷さを前にして、いま私達の眼前に蔓延っている、このコロナウィルスが、私達の想像を遥かに越えて、不気味でかつ手強い相手であるかを私は改めて痛感したのであった。……そして、岡江久美子さんや志村けんさんの死へと至った経過を詳しく知るにつれ、体調に違和感を感じたその初期こそが既に生死の分かれ目であると強く思った。「しばらく様子を見ましょうか。」……たいていの医者は決まり文句のようにそう言うが、国がその方針として重要なPCR検査に重きを置いていなかった事にそれは起因している。国は、過去の教訓を活かして患者の段階別に手際よく捌いていったドイツの賢い知恵と、その実行力を謙虚に學べと言いたいのである。以前に私の作品のコレクタ―でもある医者の方から伺った話であるが、「病院」の看板を掲げていても、そのかなりの数の医者は誤った判断を下しがちなので、あくまでも自分の運命は自分が決める覚悟で、けっして医者の判断に対して受け身にならず、事前から確かな情報を集めていた方が良いですよ、とアドバイスされた事があった。今回の場合のように、もし様子を見ずに、その場で強引にPCR検査とCTスキャンでの肺炎のチエックをして事態に処していたら或いは……と考えると悔いが残るが、私達は亡くなられた人達が身を挺して伝えてくれた貴重な教訓として、これを活かしていかなければならない。岡江さんが亡くなられた直後辺りから、国も方向を変えて、漸くドライブスルーや歯医者も検査が出来るという風にその可能な検査数が増して来ている事は良い事である。……とは言え、あまりにこの国は動きが遅く、その不徹底さは目に余るものがある。ともあれ、このコロナウィルス、短絡的に甘く捉えるのではなく、長期戦覚悟で処していった方が確かかと思われるのである。

 

 

「面影」と題して


面影の  日向に咲きし  沈丁花


振り向けば  過去みな全て  彼岸かな

 

 

 

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『731の悪い夢』

……前回のブログから2週間が過ぎた。その間にドイツや韓国は、国のリ―ダ―達の迅速な戦術と確かな指導力によって医療体制に余裕が出て来ているようである。一方の日本はと云えば、ご存じのように政府首脳のあきれ果てた後手後手の失策、更には無策と、「船頭多くして舟山に上る」の言葉の通り指導者の陣頭指揮のまずさ故に、今や緩やかに沈み行く「泥の舟」と化している感がある。日本では、2月から10日単位で死者の数を見ると、不気味な右肩上がりで確実に増え続けているのが現状である。終息からは遥かに遠く、危機は更に増していると思った方が確かなようである。

 

 

 

……さてここに来て、今回の新型コロナウィルスの感染源を武漢の市場から出たコウモリでなく、武漢のウィルス研究所から漏れた可能性があるという説が俄に再浮上している。しかし、これを率先して言っているのがアメリカのトランプ大統領だから、世間は「どうせ近づいた大統領選挙の為の発言だろう」「トランプの発言は当てにならない」と流す傾向があるが、もしこれが先のオバマや、かつてのケネディ辺りが言ったとしたらどうだろう。もう少し真顔で、世界の眼は武漢のウィルス研究所発生源説に注視するかと思われる。研究所側は必死で否定しているが、新型コロナウィルスの発症者の第一号は研究所の職員から出たという説があり、また武漢の市場ではそもそも食料とするコウモリはいないという説、……武漢ウィルス研究所のセキュリティ―管理の甘さからかつて2度、危険な失態があり、アメリカやイギリスから危険性を度々指摘されていたと書かれたワシントン・ポストなどの記事を読むと、あながち根拠のない説と一掃するのは如何かと思われる。

 

 

 

 

……ウィルス研究とは、様々なウィルス発症に対抗する研究である一方、もう一方では人類を破滅へと導く兵器開発にもなりえる。……かつて第二次世界大戦期に日本陸軍に存在した731部隊(関東軍防疫給水部本部……生きた人体による実験細菌兵器の開発を行った日本軍の秘密部隊)がそうであったように。この731部隊に関しては、膨大な記述を要する故にとてもブログでは書ききれないので、もし興味のある方は、森村誠一『悪魔の飽食』松本清張『小説帝銀事件』、読売新聞にかつて掲載されたGHQ帝銀事件に関する秘密文書公開(この記事によって、犯人とされた平沢貞通でなく、実際の真犯人はかつて731部隊にいた人物の単独犯説へと大きく傾いていく)、これらを時系列順に沿って読まれる事をぜひお薦めしたい。(忙しい方はネット検索でもある程度の事が見えてくる)……上記の2冊は731部隊をキ―ワ―ドとして一本の線で不気味に繋がっており、後のベトナム戦争時における枯葉剤作戦へと拡がっていくのである。……とまれ「事実は小説よりも奇なり」であり、このかつての事実を知ると、安易な性善説などぶっ飛んでしまう事、必定である。今回のブログの結論になるが、今年の3月にアメリカの研究チ―ムが発表したゲノム研究の結果によると、いま感染を拡げている新型コロナウィルスには遺伝子操作が成された足跡は見つからなかった由。つまり、人為的にウィルスが造られたのではない一つの証となり、武漢の市場なり、ウィルス研究所なり、何れかの場所から自然発生した可能性が大となるが、もし人為的な遺伝子操作があったとしたら、実はこれが恐ろしい。つまり、極めて残虐にして悪魔に魂を売った、帝銀事件の真犯人の如き知的怪物の不気味な影が見えてくるのである。ここから先は、かつては映画や小説の近未来的な想像の域であったが、それが現実のものとなる不気味な可能性を今回の感染騒動は如実に指し示してもいるのである。……ともあれ今は1日も早い終息へと向かう事を祈るのみである。

 

 

 

 

 

 

 

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『……あたかも陰陽師!?』

富山のぎゃらり―図南での個展が先月の29日に無事に終了した。初日の14日に富山に行き、翌日の夕方に東京へと戻ったのであるが、富山駅で新幹線に乗る前に私は「個展が終了する29日迄は、富山にコロナ感染者が絶体に出ないように!!」と強い念を発して、帰途についた。その後、富山は持ちこたえているかのように感染者が出る事なく、私が念じた29日まで持ちこたえた。「富山に感染者が出るとしたら30日ですよ!」……私は、ぎゃらり―図南の川端秀明さんはじめ、予め何人かにそう予言していた。……果たして翌日の30日に、耐え忍んでいた何かが崩れるように富山に感染者が出始め、今もその数が増えている。 …………2月にも似たような事があった。版画家の重野克明君は、年下の版画家の中で唯一私が評価している異才の人である。その重野君から四人展のご案内状を頂いた。掲載されていた重野君の作品は、驢馬(ろば)を描いたモノクロ―ムの淡彩素描で、何とも面白く気になった。かつてアンダルシアのグラナダの坂道で見た、哀愁を含んだ驢馬の姿が思い出されて懐かしい。……画廊に行くと四人の作品がたくさん展示してあったが、ただ重野君の作品だけが独自性が感じられ、わけても、その驢馬の作品はますます私の気を引いた。重野君の作品は人気があるので、ファンが多く売約のシ―ルが各々に貼られていた。しかし、不思議な事に驢馬にはまだ売約の印が無い。案内状に載せただけに作者にとっても自信作の筈である。私は観ていて「この驢馬の作品は私の所に来る運命にあるな!」と直感した。私は思ったら動くのが速い!……さっそく重野君に電話を入れて作品の交換トレ―ドを申し出ると、重野君は「もし最終日まで残っていたら是非!」と喜んで言ってくれた。電話を切った直後に、私は静かに、しかしかなり強い念を発した。……重野君いわく、やはりあの驢馬の作品が一番人気があり評価が高いとの由。私もそう思う。今まで拝見して来た重野君の作品の中でも特に出色の作品である事は間違いがない。……そして長い会期が終わった後に、私は重野君に電話を入れた。やはりあの作品は、会期を通して最も人気があるのに、不思議と購入者が現れず残ってしまったという事で、重野君にとっても今までにない経験であるらしい。……かくして驢馬の作品だけが残り、近々に私のアトリエにその作品がやって来る事になった。直感はやはり現実の形になったのである。……念ずれば確実に叶う!……こういう事は、今までも実にたくさんあり、枚挙にいとまがない。……昨年末にブログでも書いたが、芥川龍之介の上海の紀行文を読んでいて、今は消えてしまった魔都上海に想いを馳せていたら、1週間後にNHKのTVで、その芥川龍之介の紀行文を下敷きにした番組が放送され、私は妖しい魔都上海の映像をたっぷりと愉しんだ。……また、2月~3月にかけてブログの連載で版画家・藤牧義夫の謎の失踪事件の事を熱く書いたら、これもすぐに『新・美の巨人たち』で藤牧義夫の特集が放映された。……時空間を自在に交感して私が飛ぶ。或いは向こうからそれは突然やって来る。

 

 

 

 

…………思い返せば、私が12才の時に、突然夢の中で、女性が浴室の風呂の中で幼児を絞殺している凄まじくもリアルな映像が30秒ばかり映った事があった。……何とも残酷な嫌な夢だったな……と生々しい記憶のままに床から出て、その日の朝の七時のニュ―スを見て、私は驚いた。……何とTVの画面でハンカチを手に第一発見者として泣いているその女性こそ、つい数時間前の夢の中に出て来た女性であり、中学生であった私は、心底凍りついたのを今もありありと覚えている。その女性は家政婦であり、名前を出せば誰もが知っている某芸能人夫妻の留守中の未明に起きた、浴室での幼児殺人事件として、当時かなり話題になった戦慄的な事件であるが、時系列に辿ってみると、事件は世田谷上野毛で起きたのであるが、何故か遠方の福井にいた私の脳の中に、実況中継のように映し出されてしまったのである。……犯人の家政婦側から見た、幼児の苦しみ溺れ死ぬ姿、次に映ったのは、意識が消えていきつつあるその幼児の眼から見えた、家政婦の鬼畜と化した凄まじい形相、かと思えば、カメラがメチャクチャに撮したかのような、浴室の天井や壁のタイルのフラッシュに映し出される映像。……家政婦は第一発見者として、「当日夜に窓の外を不審な男が歩いているのを見た」「長男が激しく泣いているのを聞いた」などと最初は証言していたが、幾つもの矛盾点を追及されて同日の午後に自白した由。……何故、私の脳がそれを受像してしまったのかは不明であるが、それ以来、違う場所で起きている事をリアルタイムに察知したり、また予知的な事や、想っている事が現実化するといった事は数知れず起きており、長きに渡って続けているこのブログでも、その事は度々書いて来た。昔はそれを不思議に思っていた時期もあったが、今は「あぁ、また起きたな」という、もはや日常の当たり前の感覚になっている。……この直感力が一番向いているのは制作の時である。……以前に、美術家の加納光於さんは「あなたが、そういう能力を持っている事は、最初に出会った時から気付いていました」と語り、坂崎乙郎さんや池田満寿夫さんは、私の異常な集中力や神経の鋭さを危ぶんだ。…………話を移せば、例えばジャンコクト―やマックス・エルンスト、ダリにもこういった予知や透視の力があったという。有名な話では、ミレ―の『晩鐘』の絵を見たダリが、「この絵の手押し車の布の中には、死んだ子供が描かれている」と突然語りだし、興味を持ったル―ヴル美術館がエックス線で調べたところ、果たしてダリが透視した通り、晩鐘に祈りを捧げる農夫妻の姿を描いただけと解釈されていた、その夫妻の脇に描かれた小さな手押し車の布の描写の下から、塗り隠された幼児の死体が現れたのであった。その絵が描かれた直後に、絵を見た友人が「不吉過ぎるので死体は消した方がいい」という忠告を受けたミレーが、それを隠す為に描き足した布を透かして、ダリの眼には、見える筈のない幼児の姿が見えてしまったのであるが、これに関して書かれた翻訳書があるので、ご興味のある方はぜひ読まれたし!!。

 

 

……今回はコロナウィルスから発して、例の731部隊について書く予定であったが、筆が滑ってしまったらしい。ともあれ、今朝のニュ―スでは、マスクの効能が実証された事を香港大学から発表された事と、免疫力の強化には黒ニンニクをお薦めする事を書いて、今回はおしまいとしよう。……次回も引き続き、乞うご期待。

 

 

 

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『富山にて個展開催中!!』

3月14日(土)から29日(日)まで、富山のぎゃらり―図南にてオブジェを中心とした個展を開催中である。今回で8回目、2年に1度というスパンで開催しているので、画廊のオ―ナ―の川端秀明さんとのお付き合いは、早いもので今年で16年になる。……16年前、川端さんが東京に来られて初めてお会いした時の事は今も鮮明に覚えている。私は極めて直感型の人間なので、お話しを伺う前の座席に座る瞬間に「あっ、私はこの人とは強いご縁があるな!」と直感した。果たしてお話しを伺うと、私の作品に対し強い評価を持って頂いている事、また美術界全体に関する考えや批評が一致する事、そして何よりも私の個展を開催したいという強い想いが熱く伝わって来て、私は嬉しかった。その熱意の強さは、70、80年代の美術界を画商としての切り口から牽引して来られ、今では伝説的な人物として語られる、故・佐谷和彦さんの強い「気」と重なるものがある。画商と作家という関係を越えて、気が合い、本音で語り合える人間としての関係を私は何よりも最優先にしているのである。……16年前と云えば、私は版画集を自分の企画で毎年刊行している時であり、また表現の幅が版画にとどまらず、オブジェ、コラ―ジュ、写真、執筆……と拡がりを見せ始めていた頃なので、正にタイムリ―な時にお付き合いが始まったのであった。……初日の早い午後に画廊に着くと、あいにくの雨にも関わらず、コレクタ―の人達が次々に来られ、気にいった作品を決めていかれる。或る女性の方は30点くらいの展示作品の中から僅か10秒足らずで作品を複数、コレクションに決められ私を驚かせた。……新型コロナウィルスの影響を懸念して人出が危ぶまれた今回の個展であったが、川端さんが言われた「本当に強い作品は、こういう時にあっても関係がなくぶれない。」という言葉を裏付けるような手応えを私は実感として強く覚えた。確かにこういう時こそ、作品の真価が問われ確かめられる時なのであると、私は実感したのである。翌日は、富山の医学の分野では著名な方で、私の作品を多数持っておられるコレクタ―の方が遠方から来られて、私が考案した独自な技法で制作した珍しい作品を即決で購入された。……その方は90歳になられるが、好奇心と行動力に富んだ方で、つい最近もタンザニアに行かれた話をされて私を驚かせた。その先生いわく、健康の秘訣は、尽きない好奇心とプラス思考、この二つに極まるという。私も全く同感である。……90歳のこの方から10代の学生の人までと、男女に関係なく私のコレクタ―の方は実に幅が広い。その全ての感性に向かって、私の作品が持っているイメ―ジを紡ぐ装置としての何物かがあまねく放射し、それを各々の人が、各々の感性に即したリアリティ―を持って享受されるのだと思う。……初日の夜、小説『螢川』の舞台になった河畔の瀟洒な小料理屋の座敷で、川端さんご夫妻のおもてなしを頂き、富山の冬の味覚を頂いた。川端さんご夫妻に感謝しながら、暫しの時間、話は八方に跳んで実に愉しい時間を過ごす事が出来、記憶に深く残っていく思い出を胸にして、翌日の夕方に私は横浜へと戻ったのであった。

 

……さて、今日はブログの余話として、私の作品について少し記そうと思う。先ずは作品の画像を何点か掲載しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「行く春を近江の人と惜しみける」 ……よく知られた松尾芭蕉の句であるが、芭蕉の数ある中でも私が最も好きな作品である。……句意は、春光の麗らかに打ち霞む琵琶湖の湖上に、去りゆこうとする春の情緒がたゆとうている。自分はこの近江の国の人と共に、心ゆくばかりに惜しんだことだ。……という芭蕉が意図したイメ―ジが伝わって来て、自らの内にある「近江」➡「琵琶湖」➡「寂とした永遠の彼方への遠望と、そこに絡まる切ない記憶の断片のリアルな立ち上がり」……へとイメ―ジが自動記述的に拡がっていく。……行く春、近江、惜しむ の三つの言葉が連関作動して、人々が内実、豊かに誰もが持っている想像力に火がつくのである。この句の場合の骨頂は「近江」である。これが近江だからこそ、人は行く春に、蘆原に霞む琵琶湖が立ち上がって来て、内なる記憶、美しくも切ない既視感がその底から少し遅れながら相乗的に沸き上がってくるのである。……もし、これが近江でなく、例えば丹波、津軽、日高、佐世保……つまり、近江以外であったら、そこに何もイメ―ジは立ち上がって来ず、惜しむという感覚は沸き上がっては来ない。実にデリケ―トな線上に、この「近江」という言葉が在るのである。…………数多(それこそ無限に)ある言葉の中から瞬時に、必然的に「決め言葉」を引き出して来る営み、……このイメ―ジの紡ぎ方が、実は私のオブジェの制作メソッドと重なってくるのである。ただ、自分一人の良し悪し、好みに留まらずに、同時に観者の人々の普遍をも立ち上げる事が己に強いられており、私はその緊張のびしびしと迫りくる豊かな強度の中で、正しく瞬時にして、「人々の想像力を立ち上げる装置」としての様々な「物語の断片」を速攻で組み込んでいくのである。……そして、そこに「ポエジ―へと繋がる見立」と「マチエ―ル」と、「文脈の異なる組み合わせ故のバイブレ―ション」が合わさって、夢見のような感覚へと直に誘うのである。私の作品を観た人達が揃って口にする言葉―「何故か無性に懐かしいが、しかし今まで全く観た事がない不思議な世界」という一致した感想を聞く度に、私はさらに誰も分け入った事がない、観照としての次元に達した何物か、語り得ぬ表現の高みに更に達したいという強い想いが出てくるのである。もはや美術のジャンルを越境したと考えている私が、厳しくも範としているのは、「考えるは常住のこと/席に及びて間髪を入れず」と語った、芭蕉のこの言葉なのである。

 

 

 

 

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『もう1つの智恵子抄』

 

 

前々回に連載したブログを書く際に、私は向島に4回ばかり取材をしているが、その延長先にある玉ノ井(私娼街)の現在を見るべく足を延ばして訪れてみた事があった。ご存じ永井荷風の名作『墨東綺潭』の舞台になった所である。現在は、その時代の面影は気配としてしか残っていないが、迷宮のように狭く入り込んだその残夢の中に入りながら荷風の後ろ姿を追っていくと、そこに混じって玉の井を訪れた何人かの作家や芸術家の姿も透かし見えて来て面白い。その人物達の名前をあげると以下の通り。……徳田秋声、檀一雄、太宰治、高村光太郎、武田麟太郎、サトウハチロ―、尾崎士郎、高見順……と賑やかである。……これらの名前を見て、一瞬(!?)と意外さを感じる人物は、おそらく高村光太郎ではないだろうか。あの、運命的な愛と別れを切実と詠んだ智恵子抄の作者と玉の井は、いかにも似つかわしくないように思われる。……しかし光太郎は来た。それも頻繁に、詩までも残して。詩の題は、そのものズバリ『けもの』である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

けもののをんなよ/限りのない渇望に落ちふけるをんなよ/盲人のしつこさを以てのしかかるをんなよ/海蛇のやうにきたならしく/ぬかるみのようにいまはしいをんなよ/けれど、かなしや/お前をまたも見にゆくのは/さばかりお前がけものなるゆえ/いまはしいゆえ/  「けもの」

 

……この淫蕩な感覚は、留学先のパリで覚えたデカダンス故と光太郎は云うが、果たして……。

 

そんなにもあなたはレモンを待っていた/かなしく白くあかるい死の床で/わたしの手からとった一つのレモンを/あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ/トパァズいろの香気が立つ/その数滴の天のものなるレモンの汁は/ぱっとあなたの意識を正常にした/あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ/わたしの手を握るあなたの力の健康さよ/あなたの咽喉に嵐はあるが/かういふ命の瀬戸ぎはに/智恵子はもとの智恵子となり/生涯の愛を一瞬にかたむけた/それからひと時/昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして/あなたの機関はそれなり止まった/写真の前に挿した桜の花かげに/すずしく光るレモンを今日も置かう/  「レモン哀歌・智恵子抄より」

 

 

……以前から気になっている事があった。それは智恵子が狂いへと至る原因である。資料や文献を読むとみな判で押したように、その原因が実家の破産と貧困がそれであると云う。そして、光太郎の淫蕩な生活ぶりが智恵子との出逢いでピタリと止んだと、これもまた判で押したように書いてある。しかしある時、智恵子が狂った大きな原因は光太郎のあいも変わらぬ女性遍歴にあるという話を聞いた事があった。また、光太郎の意のままに智恵子は型に嵌められていき、智恵子は自らが「人形」と化す事でそれに応えた観があるという興味深い話を先日、伺った。……女性の権利獲得を主張した「青鞜」の中心人物、平塚らいてうとの関わりも深かった高村智恵子と、もう一人の異なる智恵子の間に亀裂へと至る相克がここにある。……そうしてみると、「智恵子抄」は愛の刻印と喪失の絶唱から、悔恨、懺悔の唄へと一変して変貌を見せてくる。……光太郎の晩年は岩手の山口村に独居して、蛔虫と極寒の過酷な生活に入るが、「掘立小屋を作って住んだのは、自分が悪いことをしたから水牢に入るような気持ちであった」と告白している事をそこに重ねれば、私の疑問も解けてくる。……人はイメ―ジで一面的に他人を括りがちであるが、なかなかに複雑な屈折がそこに在り、本人ですら自らを御せないものがある。高村光太郎とは、その代表のような人物であるかと思われる。

 

福永武彦の『高村さんのこと』というエッセーに「……高村さんが彫刻家を以て任じておられるのは明らかだった。ロダンのことが話に出るたびに、日本の芸術家は伝統がないために、三十年は遅れている……と言はれた。」とある。また壺井繁治は「彼(光太郎)の魂を、パリは近代的な魂に入れかえてくれたのである。彼がロダンに傾倒し、ロダンを通じて彫刻の真髄を悟ったというのもパリであり、……」という一文があるように、高村光太郎はロダンに心酔し、会う為に父親の高村光雲が旅費を出し、パリへと留学させている。……しかし光太郎は、ロダンに会うのを目的としながら、何故かロダンに会っていないのが気にかかる。……光太郎はしかし詩の中で「やがてロダンは静かに言った、カリエエルさん、あそこにいる娘さんのうなじはまるでマリアのやうですね」と。……また後庭のロダンをしのんで作った詩句として「悪魔に盗まれさうなこの幸福を/明日の朝まで何処に埋めて置こう。」……といった言葉の刻みがあるなど、まるでロダンに会ったかのやうで紛らわしい。ロダンに会ったのは、その時にパリに留学していた、夭折した友人の彫刻家・荻原守衛だけである。……光太郎はロダンの後ろにあるルネサンス、ゴシック、近代の法則を洪水のように一気に受容する事で、自分の背後にあった日本の彫刻の伝統が一度に瓦解する恐れを抱いて臆したのであろうか?……ともあれ、ブロンズにおいては光太郎以後もこの国に傑作が登場する事は遂に無く、光太郎に於いての傑作は木彫の小品「蝉」「蓮根」「白文鳥」「鯰」「桃」であり、ブロンズの「手」はロダンに遠く及ばず、ロダン以後の正統は残念ながらブランク―シに指を折る。……高村光太郎がもしロダンに会っていたなら、以後のこの国の分野に面白い可能性もあったかと思われるが、光太郎という分水嶺、或いは胚種は、成果をあげる事なく奇妙な立ち位置のまま、囚われたイメ―ジのままの一面性を背負っているのである。

 

……さて、玉ノ井を一巡した後、私は文人達が愛でた向島の百花園、白髭神社を経て、玉ノ井から私娼街が移った「鳩の街」(120軒以上の娼家があった)を訪れた。ここの一廓はまだ建物にその名残があるが、開発の為に正に壊されて消えていく直前に私は出くわした。……何と、私の目の前に在るその貴重な時代の証言とも云える建物のタイルが職人達によって運ばれていく現場に遭遇したのである。……以前のブログで浅草十二階の煉瓦(画像掲載)を入手した時は現場工事の親方に「すいません、文化財の仕事に関わっている者ですが!」と言って、十二階の遺構の前に立ち、大きな煉瓦の塊を二つ入手したが、今回は、「すいませんが、昭和史の建築を研究している者ですが!」というと、解体工事の、一見こわもての監督はあっさり「あぁ、いいよ持っていっても」と言ってくれたので、永井荷風『春情鳩の街』や吉行淳之介『原色の街』の舞台となった私娼館のタイルの貴重な塊をまたしても入手出来たのであった。言ってみるものである。……浅草十二階の煉瓦は、江戸川乱歩ファンや十二階の建築愛好家にとって垂涎の遺物であるが、早晩、この私娼館のタイルは昭和史を語る遺物として価値が上がるのは必至かと思われる。……かくして、美術家にして時空探偵でもある私のアトリエに、またしても不思議な「物」が加わったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『高村光太郎の、……その前に』

前回のブログの反響はかなり大きく、たくさんの読者の方から「面白かった!!……もっと続きが読みたい!」といった内容のメールが続々と届いて嬉しかった。自分でも久しぶりに書いた連載であったが、まぁあれで、あの実録に基づいたミステリ―は書き尽くしたかなという感がある。書けばもっと続くのであるが、そうしていては切りがない。何しろ書きたい話が他にもたくさんあるのである。……想えば、このブログも10年以上書き続けて来たが、幾つか思い出すブログとしては、……砧の撮影所でふとした成り行きで出会い、最後には私を役者志望の貧乏学生と勘違いして延々と役者の心得を熱く説教してくれた名優・勝新太郎との数奇な出会いを書いた『勝新太郎登場』、また、未亡人下宿で聴いた森進一の歌「襟裳岬」から始まり、次第に新古今和歌集の藤原定家へと話が移っていった『未亡人下宿で学んだ事』の2話に続く渾身の作であったかと思う。……さて今回は、予告では『もう1つの智恵子抄』であったが、不気味なコロナウィルスについて、先にちょっと書こうと思う。

 

 

 

……先日、体が少し鈍って来たのでジムに行こうと思ったが、ふと「密閉してあるジムこそ危ないな!」と、頭のセンサ―が作動したので行くのを止めた。するとさっそく翌日の午後に「千葉のジムからコロナウィルスの患者が連鎖発症」の報道がありホッとした。世はあげてコロナウィルスで、もはや世界がパニックである。今までにない不気味な猛威を見せているというが、はたしてそうか!?…………調べてみるとかなり上手の先輩がいた。1918年から1919年にかけて世界的に流行したご存知の「スペイン風邪」がそれである。なんと感染者5憶人、死者5000万~1憶という桁違いの猛威であり、当時は第一次世界大戦の最中であったが、徴兵できる成人男性が減った為に、世界大戦の終結が早まったというから凄まじい。日本だけでも死者は39万人、アメリカで50万人以上が亡くなっている。このスペイン風邪は約1年間の長期に渡り世界的に猛威を振るったというから、今回のコロナウィルスの終息もまだまだ先が読めないのが現状である。……このスペイン風邪で、画家のエゴン・シ―レやクリムト、またアポリネ―ル、日本では劇作家の島村抱月、画家の村山塊多などが亡くなっている。(ちなみに、私が好きな松井須磨子は島村抱月の後を追って自殺)。………………

スペイン風邪以前の日本の話では、1858年(安政5年)に流行ったコレラ(短期間でアッという間に逝くので別名コロリと言われた)も凄まじく、江戸だけでも死者が10万人(一説によると23万人ともいう)を越え、浮世絵師の歌川広重はこれで亡くなっている。その後にもコレラは度々流行ったのであるが、歴史の逸話としては、もし文久2年(1862年)に第3期のコレラが流行らなかったら、かの「新撰組」は生まれなかった可能性が高いという説がある。……江戸の試衛館(天然理心流の剣術道場で道場主は近藤勇、他に食客で土方歳三・沖田総司・永倉新八・斎籐一・藤堂平助……たち猛者がいた)が、流行りのコレラで入門者が激減し、今回と似た黒字倒産の危機に瀕していた。そこに同じ食客の山南敬助が、幕府の官費による浪士組設立の話を持って来た。江戸で浪士を募り、彼らを使って不穏な京都の治安を守るのが目的という。……この案を幕閣に仕掛けたのは庄内藩の志士・清河八郎。しかし清河は稀代の仕掛人、……実は幕府の官費で集めた浪士をもって幕府を倒す浪士隊を作るというのが、その考えの底にあった。浪士は300名ばかり集まり京都に行くのであるが、近藤勇達はこの話に応じて道場を閉鎖し、第2の転職人生を託す事になる。文久2年のコレラの流行が無ければ、近藤達は江戸と多摩の道場暮らしで平凡に人生を終えた可能性が高いから人生は面白い。彼等に元々の政治的な思想などは無く、まぁ時代の流れに後ろからやむなく押されたにすぎない。……清河八郎のような山師は私は好きであるが、少しやり過ぎた感がある。……京都に着くや、壬生の宿舎で本来の目論見を演説でぶちまけたのであるが、同席した幕府の役人や浪士の殆どがパニックのまま解散して江戸に戻る。そして近藤勇たち試衛館の連中と、何故か芹沢鴨の一派だけが京に残り、会津藩から資金を得て、京の治安を守る新撰組が俄に少人数から誕生した次第。……一方の清河は江戸に戻るが、佐々木只三郎(後の龍馬暗殺の実行犯)によって、赤羽橋近くの路上で白昼に暗殺されてしまう。……(ふと気がつくと、私はコロナの話から幕末の逸話に話が移ってしまっているので、軌道を戻そう。)……つまり、コロナウィルスはスペイン風邪に比べると規模は全く小さいのに、世はあげて人類死滅のごとき騒ぎであるが、この原因は、ネットやSNSの普及、そして世界経済の連鎖性により、明らかに世界が狭くなっている事、また同じ情報の反復受信や、様々な意見の洪水で、脳がそのCapacityを越えて、情報パニックともいうべき一種の集団ヒステリーが連鎖的に起きているのは明らかである。……全く知らないという事もある意味恐いものがあるが、映像を通して見えすぎてしまう……というのも、実体の原寸を越えて投影された暗すぎる巨大な幻想を生んでしまう。……とまれ、もしこのブログが前置きなく突然発信が途絶えた時は、私が不運にもコロナウィルスに罹ってしまったと思って頂けると有り難い。……無事な場合、次のブログは『もう1つの智恵子抄』、更には『阿部定異聞』etcなどと続く予定です。……引き続き乞うご期待。

 

 

 

 

 

 

 

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『墨堤奇譚―隅田川の濁流の中に消えた男④』 – 完結編

………さて、ここに一枚の地図がある。藤牧義夫が消える運命の日となった、昭和10年9月2日の藤牧の足取りを時系列順に追って記した地図である。画面最左(D)の自分の下宿を出発した藤牧は、画面最右(A)に住む姉の太田みさおの家に行き、俄に降り始めた雨の中を画面左下(C)に住む、もう一人の姉、中村ていの家に向かうと言って、みさおの家を出た。そしてAからCの途上にある小野忠重の家(B)に立ち寄ったところで、藤牧義夫の姿は完全に消滅してしまい、以後その姿を見た者は誰もいない。……その距離を地図から計算すると下宿を出て姉の太田みさお宅(A )を経て小野の家までがおよそ4600m、藤牧がこの日の最後に行こうと考えていた姉の中村ていの家までの距離は約6000mとなる。……小野が語っている藤牧の姿、「飲まず食わずの苦行僧の狂熱におそわれて、小柄な彼の頬骨は高くなるばかりだった。それ以来、私たちの視界から失われた。おそらく、どす黒い隅田の水底に、藤牧の骨は横たわっていると、いまも友人たちは信じている。」という言葉からは真逆の、藤牧義夫の壮健な姿が、この距離の数字から見えてくる。

 

 

 

 

……小野の言葉は更に続く。「……しかし私には、最後の別れがしみついている。昭和10年の9月に入る早々だった。藤牧が現れて、浅草の部屋を引き払った、といい、大きな風呂敷包みを二つ、ドサリおいて、これを預かってくれという。それまで身辺にあった版画の一やまと、あまり多くもない彼の読み物、どれの図版の裏にも彼の鉛筆画の残る、村山知義の表現派やダダの本、「アトリエ」誌のプロ美術特集号などをぶちまけた。そして聞き取りにくい小声で、私や新版画集団の友人に対してすまなかったとか、有り難かったとか、繰り返す。気がつくと頬に光るものが見えたが、それが胸にこたえるほどの、こちらの年でなかった。彼が去って、しばらくして、これから行くと言っていた浅草の姉の家から「来ない」と知らせがあって、ハッと気がついたのである。……(中略)……捜査願いも空しかったという言葉で、仏壇を見ると、位牌には、彼の法号と命日が、私の家から消えたその日をのこしていた。」

 

……小野は、藤牧がいかに自分を信頼していたかを強調したかったのであろうが、この文で大きな墓穴を掘っている。藤牧義夫は尊敬していた父親の影響で、宮沢賢治や高山樗牛、創作版画の先達だった山本鼎らも会員であった国柱会(満州事変の指揮をとった石原莞爾を擁する)―つまりは右傾化した思想の持ち主であったが故に、小野が(藤牧が最後に置いて行ったと)語ったような、云わば左翼青年が読むような表現派やダダの本を読む筈がない。逆にこれは後に判明するのであるが、小野は、自分が一時はプロレタリア運動に挺身した過去を持つと語り、偽装した経歴を積もらせていくのであるが、彼自身の自宅の本棚にあったのを安直に書き並べた事は想像に難くない。〈小野は藤牧義夫の下宿を訪れるような親しい仲で無かった事が、ここから透かし見えて来よう。〉……小野が語る、自分はかつての左翼の闘士であったという経歴の嘘を見破ったのは、自身が一時は左翼の闘士であった実際の過去を持つ州之内徹氏である。小野証言に疑いの眼を深めていった州之内氏は推論する。「どちらが正しいか。(中略)いずれにしても、どちらの記述も彼(藤牧義夫)のノイローゼを強調しているのは、その後に来る彼の失踪(自殺)の理由をそこに求めようとするからではあるまいか」。……小野は記す。「…………それ以来、私たちの視界から失われた。おそらく、どす黒い隅田の水底に、藤牧の骨は横たわっていると、いまも友人たちは信じている」と。

 

 

……言葉には、言霊(言葉に内在する霊力)というものが必ず宿る。これは不思議な、しかし確かな事である。言霊という言葉は和歌などの調べを想わせる美しい響きがあるが、一方で〈内なる邪〉も宿す。今一度、小野の文を読むと、そこから伝わって来るのは、失った友への哀悼の情では決して無く、ギラリと光る、それこそ濁った情念のようなものがある。……仮に親友が隅田川に投身したとするならば、友が迷うことなく成仏する事を願い、水底に沈む友のイメ―ジに清冽なものを覆って黄泉へと送るのが、当然の心情ではあるまいか。間違っても、「どす黒い水底」、「藤牧の骨」と云った死者を汚すような言葉は使わない。………………とまれ、藤牧義夫の姿はその夜をもって消失し、また下宿からは、彼の版画の貴重な版木がことごとく一夜にして消えた。……藤牧義夫の版画の明らかな贋作が、あたかも秘かに生産工場が在るかのようにして続々と出てくるのは、藤牧義夫の姿が消えてからおよそ40年後の事である。」

 

 

 

近代版画の歴史から次第に藤牧義夫は忘れ去られていったが、その作品が持つ表現力の素晴らしさに最初に注目したのは、画廊かんらん舎の社主・大谷芳久氏(当時まだ20代後半)であった。前述したが大谷氏はまだ日本で注目されていなかったヨ―ゼフ・ボイスの個展を開催し、また青木繁の素描展を開催するなど、慧眼にして行動の人である。藤牧義夫版画の素晴らしさを何とか世に知らせたいという大谷氏の真摯な情熱に対し、当時、藤牧義夫に関する唯一の窓口であり、あまつさえ藤牧の師匠とさえ、いつの間にか呼ばれるようになっていた小野が「個展を開催するならば」として渡した数多の藤牧版画は、そのことごとくが贋作(それも明らかに失くなった筈の実際の藤牧義夫の版木に加筆彫り込みをしたという異常さ)であった。それが一括購入した先の東京国立近代美術館からの指摘で判明する事となり、以来、大谷氏は10年以上の歳月を要して『藤牧義夫眞偽』(学藝書院刊行)と題する、真作と贋作の違いを完璧に精査した文献を出版し、この国の主たる美術館に収蔵されている。……その慧眼の大谷芳久氏と州之内徹氏が時に強力な連携を組み、事件の真相に迫っていく白熱する過程は、前述した駒村吉重氏の著書『君は隅田川に消えたのか―藤牧義夫と版画の虚実』(講談社刊行)に詳しい。そして、私のこのブログの詳細な記述も、駒村氏、大谷芳久氏、州之内徹氏の著書、更には大谷氏からの直接の聞き取りに依り書かれている。

 

……このブログで連載の形を取るのは、以前に書いたジャコメッティの件以来であろうか。そして長きに渡った藤牧義夫に関するこの連載もようやく終わろうとしている。しかし、ここに至って私は自問する。……かくも情熱を持って(しかも、向島、浅草の各々の現場跡に何度も取材し)書かしめているのは、果たして何であるのかと。駒村氏の実にスリリングな著書を読み、その詳細を知った事の驚き。或は、この事件の謎を人生の最後に取り組み、かなり追い詰めながらも不慮の急死により、その執筆が途絶えてしまった州之内徹氏の無念への想い……。そして藤牧義夫の更なる評価を希求し、逆に不実なものを徹底して断じようとする大谷芳久氏の真摯な情熱。……その全てから発して、このブログは書かれたのであるが、……私自身が40年以上前の美大の学生の時に、実際に小野忠重に会っていたという事実が、やはり大きいかと思う。

 

…………あれは確か22才の頃であったか。……その部屋には、銅版画の詩人と云われた駒井哲郎氏と私、……そして小野忠重と他に何人かがいた。私は自作の銅版画を卓上に並べ、駒井氏との貴重な話に熱中し、傍の小野には申し訳ないが全く無関心であった。それを敏感に察したのか、小野は次第に肩を震わせ始め、苛立っているのがあからさまに伝わって来た。……どういう経緯でそう言ったのかわからないが、突然私の口から「浅草に叔母がいる」という言葉が口に出た。……正にその瞬間であった。「俺ぁ、お前の作品が嫌いだな!!!」と小野は私に鋭い怒声を浴びせたのであった。卓上に並べた私の作品は、駒井哲郎棟方志功土方定一、そして坂崎乙郎……といった美術の分野を代表する先達たちから既に高い評価を受けていた作品であり、22才の若僧に過ぎないとはいえ、私にも強い自信と当然の自負があった。小野の怒声に私もまた怒りを持って鋭い声で返し、その場に異常な緊張が走った。正に殴り合いの寸前であった。見ると、無頼できこえた駒井氏でさえも驚きの顔を呈していたのを今もって覚えている。〈……その時に私は見てしまったのである。〉―もし駒井氏や余人が傍にいなかったならば、間違いなく私に飛び掛かって来たに相違ない、あの男の自分でも御し難いような内なる獣性を帯びた、その瞳孔の奥に光るもう一つの異様な〈気〉を。〈浅草に……叔母がいる〉……私は何かに促されるようにして、どうしてその言葉を発してしまったのであろうか、今もってそれはわからない。しかし、その言葉を発した瞬間に小野が速攻で切れた事は間違いのない事である。そして、この〈浅草〉〈叔母〉という2つの言葉は、駒村吉重氏の著書『君は隅田川に消えたのか』に何度か出てくる言葉でもあったが、小野が私に示したあからさまな敵意の真因が何に依るものであるのかは、今もってそれはわからない。……ただ、年月を経ても私の記憶の内に、あの小野が瞬間に見せた敵意を孕んだ私への、刺すような眼孔の鈍い光だけはありありと今も覚えている。……人は、一体どうなればあのような〈眼〉が出来るのであろうか。

 

……その謎を解くべく、今回のブログは綴られて来たように今は思う。……後の版画の歴史に鮮やかな一頁を間違いなく残したに違いない藤牧義夫。その彼が24才の若さでその生を終える瞬間に、脳裡に去来したものは果たして何であったのか。……そして、いや、だからこそ私は結論として今想う事がある。州之内徹氏が死の直前に綴った最後の文章「……失踪した藤牧義夫がこの水の底に沈んでいるという説もあるが、私は信じたくない。」と書いて、小野忠重が引っ張ろうとしている「隅田川に自死して消えた」という方向への強い懐疑を示したが、この一点だけが州之内氏と私の推理が異なる点である。……私は断言するが、藤牧義夫は、間違いなくこの隅田川の水底に沈んでいると。そして、その現場は、藤牧義夫が故郷の館林に帰る度に乗っていた東武伊勢崎線が隅田川を通過して、北十間川と接する水門の真下近く、……前回のブログで永井荷風と交差した不気味な黒い影、『断腸亭日乗異聞』に登場したその暗い男が向かった隅田川河畔の向島寄りの水底に藤牧義夫は眠っていると私は想う。

 

 

最後に後日譚を記そう。……藤牧義夫の墓は館林の故郷に在るが、当然ながらその墓の中に藤牧の遺骨は無い。……一方、小野忠重は今、何処にいるのであるか。……小野は小梅の自宅が空襲で焼かれた後に杉並の方に移ったと聴くが詳しくは知らない。……では今は何処に!?小野は1990年の10月に81才で亡くなっている。そして、その墓は浅草の慶養寺という寺に在る。私はその寺を訪れた事があった。今でこそスポ―ツセンタ―の巨大な建物によって隅田川の景観は全く見えないが、かつてはその寺からは、そして墓地からは隅田川の流れが見えた事と想われる。……その寺の在る場所は対岸に向島が、そして、丁度右斜め45度の対岸には、今し書いた東武伊勢崎線の鉄橋と、その下の水門とその水の面が見えるのである。樋口一葉、幸田露伴、永井荷風たち文人が……鮮やかな美文で綴ってきた隅田川の景観は、今は無い。ただ、隅田川の流れだけが今も、とうとうと流れているのである。(終)

 

 

追記.……私が関心を持つと少し遅れてメディアが、その主題を取り上げるという現象は度々このブログでも書いて来た。近い例では前述したジャコメッティの話がそうである。私はブログで、今迄のジャコメッティのイメ―ジを取り除き、娼婦に翻弄される、およそ今迄のストイックな巨匠の姿を覆して書いた。するとその半年後に『ジャコメッティ最後の肖像』という映画がジャコメッティ財団の監修で日本でも上映されたが、それは私のブログを台本にしたかのように、私が記した正にそのままのジャコメッティの姿の提示であり、矢内原伊作で築かれたイメ―ジはあっけなく覆った。創造の舞台裏、それを私は直観的に視てしまうらしい。……そして今回の藤牧義夫に関しても同じような現象が起きた。駒村氏の著書に登場する藤牧義夫研究家の和田みどりさんから先日連絡が入り、今月の29日(土曜)の『美の巨人たち』(テレビ東京・夜10時~)で藤牧義夫を取り上げるという。〈大谷芳久氏が出演される由である。〉何というリアルタイムであろうか。……この番組のプロデュ―サ―が、ある程度掘り下げて、藤牧義夫の実像とその作品の独自性を観せてくれるのを今は祈るのみである。なお、次回のブログは『もう一つの智恵子抄』を書く予定。知られざる高村光太郎と智恵子の実像が鮮やかに、そしてショッキングに立ち上がります。……乞うご期待。

 

 

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