『かくもグロテスクなる二つの深淵 ― ゴヤ×川田喜久治』

ゴヤ

……ここ最近の私のブログは、イタリアやパリを舞台にした内容だったので、このコロナ禍で海外に行けないために、良い気分転換になって面白かった!というメールを何通か頂いた。とは言え私が書く旅の話は、善き人々にお薦め出来るような明るいガイドブックではなく、不思議な話や奇怪な話を扱った実体験、云わば『エウロ―ペの黒い地図』といったものであろうか (※エウロ―ペは「ヨ―ロッパ」の語源)。しかし、だからこそ面白いと人は言ってくれる。まぁ、それに気をよくした訳ではないが、今回はスペインからこのブログは始まる。

 

 

………………………………………………その時、私が乗った飛行機は南仏の上空を飛び、ピレネ―山脈を越え、一気にスペインへと入った。今まで緑の豊饒に充ちていた大地の色が、突然、荒涼とした赤へと一変する。「ピレネ―を越えたら、そこはもうヨ―ロッパではない」という言葉が頭を過る。眼下はもはやバルセロナである。

 

バルセロナ、……ここに来るには、1つの旅の主題というものを私は持っていた。この地に古くから伝わる呪文のような言葉「……バルセロナには今もなお、一匹の夢魔が逃れ潜んでいる。」という言葉の真意を掴む為に、ともかく現場を訪れなくては!という想いで、私はこの地に来たのであった。……ちなみに夢魔という特異な怪物は、深夜に女性の寝室に忍び入り関係を持つが、その女性が宿した子供は天才になる」という伝承がある。……参考までに『夢魔』という絵を描いた画家ヘンリー・フュ―スリ―の作品をあげておこう。

 

 

 

 

 

 

……美術史を俯瞰して観ると、スペインは特異な立ち位置にある。ルネサンスの影響やそれ以後の繋がりを絶って、謂わば単性生殖的にこの国からは、特異な美の表現者が輩出しているのである。ピカソダリミロガウディ ……。私は特異なその現象と、この呪文めいた言葉に何らかの関連を覚え、地勢学、地霊との絡みも合わせて、この現場の地で考えてみたかったのである。そして、その中心にガウディを配し、夢魔の潜み息づいている場所を暗いサグラダ・ファミリア贖罪聖堂に見立て、1ヶ月ばかりの時をバルセロナで過ごした。……結論はそれなりに出し、幾つかの文藝誌や自著の中にそれを書いた。しかし、私はあまりに近代から現代に焦点を絞り過ぎていた観があったようである。……アンドレ・マルロ―の秀逸な『ゴヤ論―サチュルヌ』の最終行「……かくして近代はここから始まる。」という暗示に充ちた一文を加えるべきであった。……それをマドリッドのプラド美術館に行き、ゴヤの『黒い絵』…画家が晩年に描いた14点からなる怪異と不条理と謎に充ちた連作を目の当たりにして、それを痛感したのであった。1つの極論を書くならば、ピカソ、ダリ、ミロ、ガウディ……といった画家のイマジネ―ションの原質は、ゴヤのそれから放射された様々な種子に過ぎなかったと、今にして私は思うのである。一例を挙げればピカソの『ゲルニカ』をゴヤの『黒い絵』の横に配せば、私の言わんとする事が瞭然とするであろう。その深度において『ゲルニカ』は、『黒い絵』に遠く及ばない。ダリ然り、ミロ然り、ガウディ然り……である。極論に響くかも知れないが、しかしゴヤの『黒い絵』の前に実際に立った人ならば、私の言わんとする事に首肯されるであろう。ゴヤを評して「……かくして、近代はここから始まる。」と書いたマルロ―の視座がプラドに到ってようやく実感出来たのである。ことほどさようにゴヤは重く、何より強度であり、そのメッセ―ジに込めた、この世の万象を「グロテスク」「妄」「不条理」とするその冷徹な眼差しは、近・現代を越えて遥か先、つまりこの世の終末までも透かし視ているのである。……私は、このプラドでの体験を経て、ゴヤが晩年の『黒い絵』と同時期に描いた、その主題が最も謎とされている銅版画集『妄―ロス・ディスパラ―ティス』のシリ―ズを欲しいと思った。しかし、他の版画はスペインにあっても、『妄』のシリ―ズは無かった。……そして先のブログで書いたパリのサンジェルマン・デ・プレに移って間もなく、私は近くにある版画商の店で、まるで導きのようにして『妄』の連作版画の内の七点を購入したのであった。私はゴヤの凄さと、その深度を知ってからは、数年間は熱に浮かされたようなものであった。……しかし、現代の表現者の中に、しかもこの日本で、その遺伝子と言おうか、ゴヤに通じる存在を知ったのは、これもまた導きであろうか。……その存在こそが、写真術師―川田喜久治氏なのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

川田喜久治

……写真術師・川田喜久治氏の事を知ったのは、北鎌倉にある澁澤龍彦氏の書斎であった。私は氏の写真集『聖なる世界』に初めて接し、その深い黒のマチエ―ルに驚嘆し、かつて私も訪れた事のある、ボマルツォの怪異な庭園や、このブログでも書いたイゾラ・ベッラの奇想なバロックの世界の危うさと妖しさ、それらが深部に精神の歪んだグロテスクの相を帯びて、写真集の中に見事に封印されているその様に、言葉を失った。そして、写真という妖かしの術が持つ可能性の一つの極をそこに視たと直観した。

 

それ以前には、暗黒舞踏の創始者―土方巽を被写体にした細江英公氏の写真集『鎌鼬』を第一に推していた私であったが、川田氏の『聖なる世界』は、それを揺るがすに十分な強度と艶を持って現れたのである。……写真集『鎌鼬』は、種村季弘氏の紹介で面識のあった土方巽夫人の元藤燁子さんから初版本を頂いており、私は帰宅してから『鎌鼬』を開き、その日に目撃した川田喜久治氏の作品との異なる黒について想い、幾つかの考えが去来した。

 

……川田喜久治氏の写真作品を強引ではあるが一言で言えば、ポジ(陽画)にして、その内実に孕んでいるのはネガ(陰画)で立ち上がる世界であると言えようか。誰しも経験があるかと思うが、白黒が反転したネガフィルムに映っている世界は何故あのように不気味なのであろうか。見知っている親しい筈の家族も不気味、風景も、群像もみな不気味である。ある日、私は川田氏にその話をした事があった。……想うに、世界の実相とはあの不気味さに充ちた世界(まさに異界)であり、光は、世界のその実相を隠す為に実は在るのではないか?……という話である。

 

……さて、その川田喜久治氏の個展が今、東麻布の写真ギャラリー『PGI』で、まさに開催中(4月10日迄)である。タイトルは『エンドレスマップ』。……先日、私は拝見したのであるが、このコロナ禍の時期を背景にして観る氏の作品は、正に光によって刻まれた黙示録、しかも、様々なプリント法を試みた実験の現場としても画廊は化している。個展のパンフに記された川田氏の文章「………それぞれのプリントから表情や話法のちがいを感じながら、魂の震えに立ち止まることがあった。寓話になろうとする光も時も、共鳴する心と増殖を始めていたのだ。いま、寓話の中の幻影は、顔のない謎へと移ってゆく。」

 

……この自作への鋭い認識を直に映した、今、唯一お薦めしたい貴重な展覧会である。

 

 

 

川田喜久治作品展『エンドレスマップ』

会期2021年1月20日(木)―4月10日(土)

日・祝休館 入場無料

11時~18時

会場・『PGI』東京都港区東麻布2―3―4 TKBビル3F

TEL 03―5114―7935

 

日比谷線・神谷町駅2番出口から徒歩10分

大江戸線・赤羽橋駅から徒歩5分

南北線・麻布十番駅からも可能。

 

 

 

 

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『巴里・モンマルトルの美しき姉妹』

……1月末に完成した私の第一詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』の反響が大きく、驚いている。今までも新潮社や求龍堂その他から著書は何冊か出しているが、今回はそれらとはまた違った手応えなのである。……私が詩も書いている事を知る人達は、なかば予想されていた事かもしれないが、しかし、まさか本格的な詩集を本当に出すとは!!…といった感が伝わって来て面白い。また、先のブログで詩集の購入法を詳しくお知らせした事もあり、未知の方々も含めて、アトリエに毎日、購入申込みを希望される人からの書留便が届き、銀色の手書きの署名を入れた詩集を梱包して発送する日々が続いている。……正に映画『郵便配達夫は二度ベルを鳴らす』の文藝版である。……また、詩集を献呈した方からも毎日のように手紙やメールでの感想が届き、正月の年賀状の如く既に束になって積み上がっている。何より嬉しいのは、献呈のお礼といった儀礼でなく、実際に詩集を丁寧に読まれており、その上での具体的な作品をあげて、その感想を書かれている事がなにより作者として嬉しいのである。

 

……頂いた感想の共通した点を挙げれば、私のオブジェと同じく、一瞬でその人工美の虚構の世界に引き込まれる事、そして言葉の転移がイメ―ジを連弾的に紡ぎ上げ、そこに酩酊を覚える、……といった意見が実に多い。この人達の感想は実に正鵠を射るものであり、他の詩人はいざ知らず、私の場合は、オブジェの方法と詩作の方法には通奏低音のように重なるものがある。沢山頂いた感想のお手紙の中で私がわけても意識したのは、30年以上の旧知であり、この国の最も優れた詩人の一人である阿部日奈子さんからの、具体的に好きな詩を五作列挙された内容であり、それらの五作は私もまた同感のものであった。……さすがの洞察という思いで阿部さんにお電話をした。……阿部さんは更に考えを述べられ、私の今回の詩集から連想する作品として、川端康成の『掌の小説』を挙げられた。『掌の小説』は川端が40年余りにわたって書き続けてきた、実に短い掌編小説122編を収録した作品集で、1篇づつがこの世の危うい断片世界を切り取って、鋭い方解石の結晶のように開示して視せた珠玉の小説集なのである。……私は実に手応えを覚えたのであるが、次なる第二詩集の為の詩作を強く意識したのは、この時であった。

 

……さて、今回のブログでは、詩集の中から1篇を選び、作者による自作解説をしてみようと思う。ポーはその『詩論』の中で、作者が自作解説をするのは意味のある試みであるが、多くの作家がそれをしないのは、内実の見栄であり気取りであると書いている。私は見栄とは無縁であり、一気に書き上げた詩を改めて分解して語る事に、今、自身で興味を覚えている。……今回、分解する詩は詩集の中の『ニジンスキ―頌』と題する詩である。

 

 

 

「ニジンスキ―頌」

 

作られた秘聞、ニジンスキ―の偽手。/弓なりに反った十本の指に二本のネジを固定し/小さなレンズを左右に配し/加乗して肖像を描けば軸足が動く。/指は鳥の趾足のままに細く/42と8の数字を穴に嵌め込み/オブジェをオブジェのままに/犯意と化せば/偽手は手鎖を解かれて本物となる。/ニジンスキ―、或いは擬人法、/モンマルトルの安息の夜に。/

 

 

 

 

……以上である。先ずは第1行から一気に虚構に入る(かなり強引に)。本来ならば「義手」であるが、ここでは私が作った「偽手」という造語が書かれる事で、ニジンスキ―という存在自体が実際のニジンスキ―から逸脱して擬人的に立ち上がる。2行から4行までは、私のオブジェ作品『ニジンスキ―の偽手』の、記憶による制作過程の記述である。加乗は過剰とニュアンスが重なり、「軸足が動く」の動詞形に転じて次の行に移る。「指は鳥の趾足のままに細く」の行は、ニジンスキ―に纏わる伝説の叙述➡ニジンスキ―の死後、高く宙に浮き、鳥人の異名のあった稀人のその遺体を解剖した時、彼の足の骨格は人のそれではなく、鳥の趾足(しそく)の形状に寧ろ近かったという興味深い伝説を記述。「犯意と化せば…………本物となる。」は、実作のオブジェに、ポエジ―と不穏なリアリティ―が入ったところで制作を完了するの意。「ニジンスキ―、或いは擬人法、」は、この詩の主題そのもの。

 

 

……さて、問題は、何故この最終行で唐突にモンマルトルの地名が出て来るか?……である。モンマルトル、この場合は直にモンマルトル墓地を指すが、ニジンスキ―の墓がモンマルトル墓地に在る事を知る人は或いは少ないかと思う。しかし、たとえ知らなくても、読者は私の気持ちが入った息の発語から、何かの暗示をそこに覚えると思う。意味の叙述ならば散文に任せれば良いのであるが、詩の本意と醍醐味は、暗示とその享受の様々な拡がり―多様性にあると私は思っている。……つまり詩は意味で読むのでなく、アクロバティックな直感の織りで読むのである。正しい解釈などなく、読者の数だけ、詩は想像力を立ち上がる言葉の装置として在ると私は思っている。他の詩人はいざ知らず、少なくとも私の詩は、そこに自作のオブジェとの近似値を視るのである。

 

 

 

 

 

 

 

……さて、モンマルトル墓地が出たので、今回のブログの最後は、かつて体験した或る日の出来事を書いて終わろうと思う。

 

 

…………あれは、いつの年であったか定かではないが、たしか季節が春へと向かう頃、その日、私はサクレ・ク―ル寺院の人混みを離れて坂道を下り、次第に人影が絶えていく方へと進み、ラシェル通りという所の緩やかな階段を上がって、モンマルトル墓地の中央入り口へと辿り着いた。……パリの墓地は訪れる人が少ないため、殺人や強姦、窃盗などが最も多い危険区域であるが、それをおしてもこの墓地に来たのは、敬愛するドガや、モロ―、フ―コ―、ハイネ、……そしてニジンスキ―の墓を観る為であった。……しかし、薄日のさす遅い午後のこの墓地は、全く人気というものが絶えたように無人であった。驚いた事に、ニジンスキ―の隣の墓が深さ3m以上も掘られていて、ぽっかりと巨大な暗い穴がそのままで、墓掘り人夫の影さえも無かった。。……ドガの墓を視ようと思い、地図を頼りに歩いていくと、急に背後で少女の悲鳴に近い声が一瞬した。振り向くと、しかしそこに人影はなく、ただしんとした墓地の静まりがあるだけであった。空耳か……と思った瞬間、苔むした低い墓石の影から一人の少女が突然のように躍り出た。少女と見えたのは間違いで、……身長が1mくらいのその人は、かなり歳を重ねた小人の老婆であった。しかも、歪な面相を帯びていて、まるでゴヤの絵にでも出て来そうな「グロテスク」で奇怪な人形のような造りであった。娼婦のような真っ赤な短いスカ―トがアンバランスに生々しい。……しかし驚きはまだあった。……暗い墓の陰から、今一人の同じ面相の小人が躍り出て来たのであった。……二人は小人の双子だったのである。そして、先ほどの悲鳴はその一人が、ぬかるみの為に転倒したものと想われた。……まるでシャ―ロック・ホ―ムズの映画の冒頭にでも出て来そうな、しかも、シンメトリー(対称性)を愛する私の作品の構図そのままに二人は並んで、私の方をじっと見つめ、恥じらいと、妙な誘いの表情を浮かべたままにじっとそこにいるのであった。

 

 

……好奇心が強く、不穏な方に傾き易い私は、一瞬妄想した。……この双子の老婆の誘われるままに、もしついて行ったならば、間違いなく明日は無いな……と。『浴槽の花嫁』など「世界怪奇残酷実話」の著者で知られる牧逸馬の熱心な読者であった私は、巴里に実際に起きた不気味な奇譚を数多く知っている。……私は、なおも見ている二人を背にそこを離れて、墓地の出口へと歩き始めた。……振り向くと、二人の姿は墓石の並びに隠れたのか、もはや姿は掻き消えていた。……坂を下り石段を踏みながら、私は彼女達の家は何処なのかを推理した。……そして想った。あの双子の小人の家は、最初に現れた、あの墓石の湿った暗い底なのだと。………………風が湿りを帯びて来た。どうやら雨気が流れてくるらしい。……ふと気がつくと、ゴッホの弟のテオが住んでいた建物を示すプレ―トが目に入った。ゴッホはパリの最後をこの場所で過ごし、死地のオ―ヴェルへと向かっていった。……そう想った瞬間、何故か背筋が一瞬寒くなった。

 

 

 

 

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『サン・ジェルマンの2つの話―Paris』

…昨日、二つの見応えのある写真展を観た。渋谷の文化村ザ・ミュ―ジアムで開催中の『写真家ドアノ―/ 音楽/パリ/』展と、東麻布のPGIで開催中の『川田喜久治/エンドレスマップ』展である。川田喜久治さんの写真について語るのはかなりな力業が要るので、近いうちにブログでじっくり書くとして、今日はドアノ―から、このブログは始まる。ドアノ―は大戦後のパリを撮した「記録」の人である。記録は、その記録の域を出る事は難しいが、時として記録の域を越えた「奇跡的な瞬間」を結晶のように撮してしまう事がある。

 

 

 

 

 

…………ここに1枚の写真(1947年撮影)がある。パリ6区、サンジェルマン・デ・プレ教会を背に、無心に犬と戯れる一人の若い女性(二十歳前後か)。繊細さと、ぶれない矜持を内に秘めた、なんとも魅力的な姿である。ドアノ―は、この光景が放つ「何か」に惹かれてシャッタ―を押した。無名の若い女性と、通りすがりの写真家の一瞬の交差が、この瞬間を奇跡に変えた。……まだ無名のこの若い女性は、数年後にその才能を一気に開花させて、世界的にも最高峰のシャンソン歌手ジュリエット・グレコへと羽化していく。……そして昨年の10月に93歳でその栄光に充ちた生涯を終え、背景に写っているサンジェルマン・デ・プレ教会で葬儀が行われた。……しかし、この写真に撮られた瞬間、この女性は自分の運命をもちろん知らず、撮したドアノ―自身も知る由もない。ただ、カメラのレンズだけが、この一瞬を定着させ、グレコの生涯の時間と運命を凝縮して刻印したのである。……パリは、このような伝説とその名残が、物語りを綴るように至る所に息づいている所なのである。次の話も、同じくサンジェルマン・デ・プレ地区に纏わる話である。

 

……前回のブログで、30年前に、イギリスに拠点を移す前の半年間、パリに滞在していた事を書いた。その時の私の宿は、12 rue Guizard(パリ6区・ギザルド通り12番地)の6階の屋根裏部屋であった。サンジェルマン・デ・プレ教会からも近く、リュクサンブ―ル公園も近い場所に在る、数百年はゆうに経つ古い建物。まるで蜥蜴の舌先のように歪に摩滅した螺旋の石の階段を息を切らして昇っていった最上階に、私の部屋があるのである。しかし、天窓からはサンシュルピス教会の鐘楼が間近に見え、時おり、重く響く鐘の音が、飛翔する天使の羽根を想わせて響いてくるのであった。

 

……スペインから引っ越して来たのは、1990年12月の28日, ……パリは薄雪に覆われていた。私は灰白色の厳寒の街を毎日歩きながら、高揚した気分の中で、美術や文藝に向かっていく自分の為にイメ―ジの充電に励んでいた。……しかし、疲労が祟ったのか、ある日、急に重度の風邪をひき、薬局に行く体力もなく、部屋でただひたすら寝込み、空腹と衰弱の中でかなり危ない数日を過ごしていた。「ひょっとして……死ぬのか?」…そんな想いさえ真剣に過るようになっていた。……そんなある時、ふと寝床の先を見ると、天窓から射し込む四角い光の面が床に突き刺さるように鋭く映り、それが次第に寝ている私の方に移動して来るのが見えた。……唯の光であるのに、私にはその光が何やら魔的な「何物か」の化身のように思われ、私は初めて光というものに恐怖した。……そのくっきりと映えた光の面は次第に近づいて来て、遂に寝ている私の頭から腹部迄を鋭く照射し、部屋の奥へと移って、やがて消えた。光を全神経で、正に犯されるようにまともに浴びる。その間、私は何か得体の知れないものと明らかに交感しているのを感じとっていた。……そして信じられない奇跡が起きた。光をまともに浴びたその日の午後から、嘘のように熱が引き始め、気力が次第に戻って、私は階段を伝って外に出て、とりあえずの食事をした。正に生き返る心地であった。……その翌日であったか、私は何故か急に本格的に写真が撮りたくなり、セ―ヌの岸辺やル―ヴルに行き、彫刻を撮影するなどして、次第に写真という世界の妙に惹かれていった。誇張なく言えば、写真家としての私の出発は、正にあの時の光の受容から導きのようにして始まったのであった。……(この辺りの私の体験は、後日、写真評論家の飯沢耕太郎さんが詳しくテクストに書いている。)

 

 

 

 

 

……私が住んでいたギザルド通りは、僅か50m近い短い通りである。小さな古い店だが、ミシュランに載るム―ル貝の美味しい店があり、前の黒塗りの店は、男子禁制のレスビアン嬢達が深夜に集う妖しい店である。このラテン地区に近いエリアはリルケやマンレイ等が住んだ場所であり、亡くなると建物の所にそれを記したプレ―トが掛けられる。……「番地は忘れたけれど、写真家のエルスケンが、確かこのギザルド通りに住んでいた筈」……そう教えてくれたのは、パリで知り合ったマガジンハウスの元編集者のS女史であった。編集者だけになかなかに詳しい。……しかし、この通りにそれを示すプレ―トは無かった。……何かの間違いだろう。写真集の名作『セ―ヌ左岸の恋』はもちろん私も知っていた。しかし、その内にその事は忘れていき、半年後の夏に、私は拠点をロンドンに移す為にパリを去り、その年の暮れに日本へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

……帰国すると、そのエルスケンが度々私の前に現れる事となった。……帰国して間もなく何気なくテレビ を観ていると、エルスケンを特集したドキュメンタリ―が流れていて、病(確か癌であったか)で死にいく病室のエルスケンの姿がそこにあった。……それから2年後の春に、渋谷の文化村のザ・ミュ―ジアムで『エルスケン写真展』が開催されたので観に行った。どういう訳かエルスケン続きである。……会場内に貼られたエルスケンの詳しい略歴を見て、私は驚いた。……そこに記されていた住所は、12 rue Guizard、私が住んでいた、あの同じ建物であった。オランダから無銭旅行でパリに着いたエルスケンに余裕のある金はない筈。ならば住むのは一番安い、あの屋根裏の部屋では?……興味を持った私は、会場内にあった図録にそれを追った。……それとは、エルスケンが自写像で、ひょっとして部屋も撮しているのでは……と思ったのである。はたして予感は当たり、図録最後のエルスケンの自写像に写っていた背後には、私が慣れ親しんだ、そして死にかけもし、後に写真へと導かれた、(屋根の傾斜の為に奧に行くにしたがって高さが低くなる)、あの思い出のある部屋に、私は数年ぶりに導かれるままに再会したのであった。……『セ―ヌ左岸の恋』の名作がプリントされ、エルスケンの主要な人生を彩った、あの部屋に私もまた住んでいたのか!その想いは何故か切ない感慨となって溢れて来た。…………そして、図録に書いてあったエルスケンの亡くなった日を知って、また私は驚いた。……〈死亡日.1990年12月28日。〉……私がパリに着き、初めてあの屋根裏部屋に入った、正にその日に、エルスケンが亡くなっていたのであった。

 

……日本では無計画に次々と旧居を壊し、その跡形も無くしてしまう。そこに人と人とのドラマを繋ぐ時間の繋がりは何も無い。しかし、石で出来た街―パリは、建物だけは残り、ただそこに住んだ人々が次々と人生のドラマを綴って消えていくのである。あのジュリエット・グレコが佇んだ場所に写っている石段は今も在り、教会も在り、そしてエルスケンが住み、その40年後に私が住み写真に目覚め、そして今は誰か別な住人が住み、皆、次々と死んでいき、ただ石の硬い建物だけが人生のドラマを紡ぐ舞台のようにして、次なる人を静かに待ち受けている。……このようにブログを書いていると、また写真を撮りに異邦の地へと旅立ってみたくなる。……今、このアトリエにはジュリエット・グレコの歌声が響いている。その声を聴きながら、しばし昔日の想いに酔ってみようと思うのである。

 

 

(前回のブログでご紹介した私の第一詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』の反響が大きく、読まれた方々から連日、お手紙やメールで実に嬉しい感想を頂いている。また、前回のブログを読まれた方々から詩集を購入されたいという申込みが連日アトリエに届き、以来毎日、購入された方々への署名書きと詩集の発送に追われていて、作者として大きな手応えを覚えている。

……前回のブログで予告したモンマルトルの不気味な話は、今回、紙数の関係で次回のブログに延期する事になってしまったが、次回は、私の詩集の中からニジンスキ―について書いた詩を自作分析する試みからブログを始めたいと思っている。……また限定出版の為に詩集の在庫が少なくなって来ているので、購読をご希望される方は、前回のブログの購入方法をお読み頂けると有り難いです。……次回のブログのタイトルは『モンマルトルの美しき姉妹―Paris』。乞うご期待です。

 

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『Isola Bellaの白い孔雀』

この度のコロナ騒動で具体的に判明した事が一つある。それは、世界とはすなわち私達個々の内なる幻想・幻影の映しに他ならず、世界はあたかも回り舞台に描かれた下手くそな書き割りの絵、茶番、虚像で成り立っているという事である。世界はかくも脆く、故に夢見のように儚い悲喜劇とせつなさに充ちている。このせつなさの先に、詩人の西脇順三郎が云ったポエジ―と諧謔が在り、この世を全て移動サ―カスと見れば、フェリ―ニの詩情に充ちた映像のように俯瞰的に面白く、妙味を持って世界が裏側(繕いだらけの張りぼて)から見えて来る。……少なくとも世界とはそのように私には映っている。……ならば、窮屈な今を離れて、少し前の旅の記憶について今日は書こうと思い立った。

 

……今から30年前、1年間の間であったが、ゆっくりとヨ―ロッパを巡る旅に出た事があった。旅の前半の拠点はパリであったが、その間にスペイン、イタリア、オランダ、ベルギ―……と廻り、後半は拠点をロンドンに移し、ミステリ―の生まれた舞台…暗い霧の中に在って、ひたすらイメ―ジの充電に浸る日々であった。……その様々な旅の記憶の中で、今日のブログに書きたいのは、ミラノからスイスへと行く途中にあるマジョ―レ湖の事である。今の渇いた殺風景な日本から、せめてイメ―ジを翔ばすには、たっぷりと水気を含んだ広大な湖こそ相応しい。

 

 

 

 

マジョ―レ湖へと私を導いたのは2冊の本(ゲ―テの『イタリア紀行』と澁澤龍彦の『ヨ―ロッパの乳房』)であった。ミラノからスイスに向かう列車に一時間ばかり乗り、ストレ―ザという駅で下車。緩い坂道を下って行くと正面に「珠玉の美しさ」と云われた広大な湖が見えて来る。その湖畔には、夢の中にでも出てきそうな巨大なホテル「グランドホテル・ディ・イル・ボロメ」(画像掲載)が在る。ヘミングウェイがこのホテルに泊まり『武器よさらば』を執筆した場所としても、ここは知られている。

 

 

 

 

湖畔に来ると数艘のモ―タ―ボ―トがあり、中央に見えるイゾラ・ベッラ島、また近くの島を廻る旅人の為に漁師たちが舟を動かすのである。……メインであるイゾラ・ベッラ島は、今もミラノに住む貴族・ボッロメオ家の所有であるが、かつてナポレオンも泊まったという巨大な宮殿は見学が可能であり、夥しい数の貝殻で造られたグロッタの部屋や、庭に出ると真昼時の光を浴びた広大なバロックの庭園や、頂上の高みに白い一角獣を配した彫像群が在り、雪をいだいた連峰を遠くにみるマジョ―レの湖面に映えて美しい。

 

……私は、この島のレストランから郵便が出せる事を知り、澁澤龍彦夫人の龍子さんに昔のマジョ―レ湖を撮した葉書に感動のままに文字を書いた。……「澁澤氏の『ヨ―ロッパの乳房』の描写のままに実景もまたあまりに美しく、氏の文が誇張なく綴られた、誠に1篇の詩である事を痛感しました。私はここに来て、実景と文章における距離の計り方を知り、何かを掴んだように思います。この経験は得難いものとなりました。必ずや帰国してから活きると思います。明日、またミラノに戻ります。」……記憶では、およそ、そのような内容の手紙であったかと思う。……帰国してから活きる、この予感は当たり、文藝誌の『新潮』に書いた、フェルメ―ル論やピカソ・ダリ・デュシャンを絡めた書き下ろしの中編をはじめ、文章を書く機会が多くなっていくのであるが、私はこの島での僅かな滞在ではあったが、何かエスプリと艶のごときものを掌中に収め獲た旅となった。

 

……さて、このイゾラ・ベッラ島には、この島の美しさを具現化したような白い孔雀がバロックの庭に優雅に遊び、私をして非現実の世界へと軽やかに誘った。……今、この孔雀の事を思い出しながら、このブログを書いているのであるが、その意識とは別に、先ほどから脳の中の何処からか突き上げてくるものがあり、たちまちそれは四行の短い詩文となったので、忘れないうちにこのブログの中に記しておこう。

「イゾラベッラの白い孔雀は/真夜中にその羽を広げる。/マジョ―レの湖面に/幻の満月を映すように。」

……オブジェの制作の時も同じであるが、それ(イメ―ジの胚種)は、向こうから突然やって来て、私はそれをあたかも釣り上げるようにして立ちあげるのである。今、マジョ―レ湖の旅の記憶を思い出すままに書いていると、突然、詩が出来上がったのであるが、〈旅人〉〈その記憶〉という立ち位置は、何か自在に表現へと向かわせるものがあるようである。とまれ、この度のコロナ騒動が収まったら、このマジョ―レ湖とイゾラ・ベッラ島への旅は、ぜひお薦めしたい旅なのである。……次回は、パリ編のモンマルトル墓地で私が体験した非現実的な話を書きたいと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

……さて、以前から予告していた私の第一詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』が沖積舎から刊行された。11月の高島屋の美術画廊Xでの個展が好評のうちに終わるや、すぐに頭を切り換えて、オブジェの作り手から言葉の人となり、12月の末には最後の詩の原稿を書き上げた。1月初めに社主の沖山隆久さんに原稿を渡し、その月末に詩集は完成したのである。恐るべきその速さ!……私も沖山さんも生き急いでいるのである。詩集は550部の限定出版であり、既に多くの詩人や、また私の関係者の方に献呈した為に、詩集の残部は早くも残り90冊を切ってしまった。

 

……かつての中原中也や宮沢賢治が行った詩集の販売方法を受け継ぐわけではないが、購入をご希望される方は、3000円(内訳・詩集価格2750円〈税込み)+送料込み)を、現金書留で下記の私の住所にお送り頂けると、詩集の見開き頁にその方のお名前を銀で直筆して日付を書き込み、お手元にお送りします。……なお、安全と確実さを期したいので、文字は崩し書きでなく読める形、また万が一の不明文字の確認の為に電話番号の記載をよろしくお願いいたします。

 

現金書留の送り先: 〒222―0023 横浜市港北区仲手原1―21―17 北川健次
なお、販売部数が少ない為に完売・絶版になりましたら現金書留は返却致します。また、完売のお知らせは、すぐにこのブログでお知らせします。

 

 

 

 

 

 

 

 

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『……みんな夢の中』

昨日の天気予報では関東も積雪か!?…という予報が出ていたので、雪が降ったら『コロナの上に雪ふりつむ』という抒情的なタイトルで今回のブログを書こうと考えていた。しかし雪は降らず、ひたすらに寒い雨が、今日は一日中降っている。……最近は寝床に入るのが早く、夜の10時頃にはもう夢の中である。夢の中はいい。亡くなった親しい人達も、未だ生ある親しい人達も、同じノスタルジアのあまやかな舞台の上でみな優しく、実に味のある微笑を私に返してくれる、共に活き活きとした謂わば望郷の住人達である。そして夢は毎夜、言葉では表せない不思議な空間に私を連れて行ってくれる移動サ―カスであり、果ての無い不思議な劇場なのである。だから毎夜、布団の中に入る瞬間が、夢の中に入っていく至福に満ちた至上の瞬間であり、その夢の中で出来るだけ愉しむ為に、昼の時間は、体力を温存している、そんな逆転した日々が最近は続いている。……そんな感じなのである。

 

……昨夜見た夢は、私の小学生時代(5年生の頃か)の夢であった。…クラスに目立って細く痩せた一人の病弱な少年がいた。その少年は気管支が弱く、朝も病院で毎朝診察してから登校するので、いつも遅刻ばかりしていた。その少年は授業中に時々教室からフッと消えるのであるが、先生も生徒もみな少年が何処に消えるのか知っていた。…少年は薬品の匂いがする白い部屋の保健室に自主的に行き眠っているのである。高窓から射してくる午前の光を浴びながら、少年は子供心に、自分の命がそう長くない事を予感していたらしい。だから保健室は少年にとって安らげる温室のようなぬくもりに充ちていた。……しかし、突然ある日から少年は、パッタリと保健室に来なくなった。……少年は光ある白い保健室から、別な場所に安息の場所を見つけたのであった。その少年がいる場所は、石炭やコ―クスを大量に仕舞っている暗い小屋―冬の厳しい降雪に備えて、雪国の学校の校舎の隅に在る、いわゆる炭小屋の、組んだ木々をよじ登った天井の高みに、安息の場所を見つけたのであった。まさに光から転じて、闇の中に少年は入っていったのである。暗い小屋の天井の隙間から微かに漏れてくる淡い光を見て、夢想に耽るのが、少年の唯一の愉しみとなっていった。

 

 

ある日、暗い炭小屋の天井そばの組んだ柱にもたれていると、突然ガタッという音がして一人の老人が入って来るのが上から見えた。……それは、学校で「小使い」と呼ばれていた、今でいう用務員をしている老人であった。その老人は普段は明るい顔で生徒に接していた為か「小使いさぁん」と慕われ、子供達を頬擦りしたりして人気がある老人であったが、炭小屋に入って来た老人は、別人のように暗い気配を漂わせていて、少年には少し不気味にさえ見えた。……その老人は、小屋の冷たい石上に座ったまま、まるで壊れた翁の人形のように動かない。老人は、まさか一人の小学生がこの暗い小屋の高みから、自分をじいっと観察している事など知る由もない。(少年と同じく、この冷たく暗い部屋が男にとっても安息の場所なのか?……それとも他に?)……普段と全く違う別な人格にさえ見える、眼下の老人を見て、小使いさぁんと呼ばれ、とりあえずは子供達から慕われているその男が、そう言えば、あまり人とは目線を合わせず、うつ向くのを癖にしているらしく、時おり虚ろな力の無い目を、何処を見るともなく浮かべる瞬間が度々あるのを少年は、ふと思い出した。………………………………その日からずいぶんの月日が流れた。そして、短い人生を送ると予感していた少年は早世する事なく、自分の小さい頃の記憶の一断片を夢見の中にふと浮かべる事となった。……そう、その少年とは私の事なのである。

 

……あれは確か小学5年生の頃であったか、確かに経験した校舎の隅に在った炭小屋でのその一景。その老人を見た天井高みからの記憶の断片。……どうして、そんな夢を見てしまったのかを考えていたら、直ぐに理由がわかった。その前日の夕方にテレビで観た菅総理の顔が、かつて遠い昔に見た小使いをしていた老人の記憶と、どうやら瓜二つに重なったらしいのである。菅(すが)かぁ……。菅、菅……、そう言えば昔にも同じ漢字の総理がいた事を思い出した。但し、すがではなく菅(かん)、確か菅直人……そういう名前であったかと記憶する。……今から10年前に起きた東北の大震災時の総理であったが、その時の国の対応もまた酷かった事を、この国の人々は決して忘れる事はない。先日のテレビ番組で、アメリカの新大統領となったバイデン氏が、東北の大震災時に早々と慰問の為に来日し、その親身に接する姿を見た東北の被災者達から今も熱い信頼をもって思われている事を知った。徒に支持するわけではないが、このバイデン氏は、リ―ダ―たる人物に必要な、人々の心の深部に届く、言葉(言霊)の強い力を持っている。……一方、当時、そのバイデン氏と同じ頃に東北の被災地を訪れた、当時の総理・菅直人という人に向けた被災地の人達の視線の冷たさ、鋭さは、当然とは言え記憶に強く残っている。「私が総理!!」とばかりに被災者達が沢山いる部屋に入った瞬間から、人々が彼に向けた無視の態度は徹底したものであった。さもありなん!とは言え、当の本人(菅直人)が、撮されているテレビカメラ越しに見せた顕な表情……「しまった、来るのではなかった!!」という、砂を噛むような、視線の定まらない表情を私は見て取り、この人のこの後の姿を直感的に予見して、10年前の当時のブログに早々と書いた。……昔からの読者の方は覚えておられるであろうか!?……その時に書いたブログのタイトルは『君は、お遍路に行くのか!』というタイトルであった。……私が予知、予見の直観が鋭く、それらがことごとく当たってしまう事は、このブログで度々書いているが、その時も、この砂を噛むような菅直人という、当時の総理の表情を見て、後日、この人は間違いなく頭を剃り、丸坊主になって「同行二人」と書いた笠と杖を持ち、四国の地を巡礼する姿がありありと浮かんだので、半ば予言断定的に私は書いたのである。あれはブログを発表した半年くらい後であったか、まさか私のブログを読んだ訳ではあるまいが、『君は、お遍路に行くのか!』のブログ通り、丸坊主になって四国へと旅立って行ったのであった。

 

 

 

 

……………………………………………閑話休題、……私がやむを得ずの外出時は、不織布のマスク2枚を重ねて出歩いている事は、以前のブログで書いたが、今朝のテレビで専門医が、それは大正解であり、出来ればそこまでの構えで考えてほしい旨を語っていた。そして、今回のコロナの完全な収束を本当に見るのは、ワクチンの可能性を入れても、まだ二年以上は先であるという旨を語っていた。私も同じ考えである。……この姿なき敵との不気味な戦いの本質は籠城戦である。読者の方々の必ずのご無事を、私は今日も念じている。

 

 

 

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『速度について今日は語ろうの巻』

菅という、うつむいて喋る人の覇気の無い顔を観ていたら、少しく想う事が湧いて来た。「先の総理に難題を丸投げされて巧みに去られ、この爺さん、さぞや大変だろうな…」「船頭多くして船山に登るか!」……「では他に、この国で差し迫ったコロナ禍の難題を迅速に乗り切れる人材は具体的に誰がいるのか?……答は…否!」「この後ろ向きで歩く亀のような、スピ―ドの無さは何なのか?」「小心とさえ映る論理性を欠いたこの喋りは何なのか?」……そして想う。歴代の総理の姿とは、つまりは私達自身の姿に他ならず、農耕民族特有の、曖昧さ、明確な主張を顕にしない喋り方、不徹底、明晰さの欠如、……それらを映したあからさまな姿なのだと。……こう書くとコロナ禍でピリピリされている何人かの読者は、或いは反発されるかもしれないが、近視眼でなく、この国の歴史を通史的、俯瞰的に視てみると、それがよくわかる筈である。猛烈な速度で従来の通念を断ち切り、革新的な事を断行出来た人材は、私の知る限り……二人しかいない。……それは中世の織田信長と、近世では江藤新平に指を折るだけである。剃刀と云われた大久保利通でさえ、江藤の頭の切れ味から見るとやや鈍い。この信長と江藤に共通するのは、珍しく、ほとんど奇跡的に西洋人に近いと言っていい合理主義的な資質であり、何より思考の在り方が論理的であった。

 

 

全てを西洋の方が良いとは言っていないが、やはり彼らはその意識の成熟度において、大人としての論理性を多くの人達が持っている。……わかりやすい例を挙げると、街頭でのインタビュ―の際、決まって彼、或いは彼女達は自分の言葉を持っており、安易に与しない独自の意見を語り、そこにエスプリさえ効かせたエレガントかつ粋な言葉を付け加えて、最後に自信に溢れた笑みを返す。そして、その返答の返しが早く、他者に通じる鍛えられた論理性を持っている。……これに比べて曖昧さを尊しとするわけでもあるまいが、日本でのインタビュ―の返しはどうか。…成人式の帰りらしい女子は語る「私的にはぁ、なんて言うか、そんなんありっかな、なんてちょっぴり思ったりしてぇ……」「あれぇ、質問何だったっけ?」……新橋の街頭で男性は語る「会社でみんな言ってるんですけど、今回の緊急事態宣言、あれちょっと遅すぎるんじゃないすかぁ、」そこへ訊いてもいないのに幾分酔った感じの別な男性が横から割って入り「テレワ―クになったら、あれよ、ずっと家にいるから、カミサンとしょっちゅう喧嘩だよ。どうしてくれるの、え?」……………………………………………………。

 

 

……しかし、信長も江藤新平もやり過ぎた。その迅速さ、その徹底ぶりが周囲から孤立化し、信長は本能寺で炎と化し、江藤は佐賀の乱で処刑、晒し首になって無惨な死を遂げた。西洋的な合理主義や、断行のやりすぎは、この国では自身の孤立化を産み、遂には馴染まず、悲惨なまでに浮いてしまうのである。……私達(いや私は別だ)が政治家に対し苛立つのは、何処かで期待しているのだと想う。歴史を通して視ると、期待が如何に虚しく、非常時に人材が出る筈もないという事を痛感し、今は確かな身の回りの防御を固める方が大事かと思う。マスク、手洗い、いろいろ皆がやっているが、そこの完全な徹底はしかし無理である。変種化したコロナウィルスは昨年の1.6倍の感染力で私達の身近に迫っているが、敵は想像を越えて、かなり強かで容赦がない。年末からの一気の感染増大は、変種化した感染力と比例しており、イギリスなどのロックダウンした国と同じ曲線を描いている点から考えると、未だ全く先が読めない。……私は先日、パルスオキシメ―ター(肺炎の早期発見と脈拍数を測定するのに有効)を購入し、加湿器も新たに備えた。しかし、心掛けても感染してしまったら、もはや運命として、かつてコロリで逝った広重や、スペイン風邪で逝ったクリムトやエゴン・シ―レに続くだけ、是非も無しである。……表現者として、自分の可能性の引き出しを全て開けてから死ぬ事、これは私が30代に自分に課した事である。……版画、オブジェ、コラ―ジュ、写真、美術評論の執筆……他いろいろとやって来たが、最後に未だ残っているのが、私の詩人としての可能性の開示である。その私の第一詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』が、先日印刷が終わり、今は製本の段階にあり、今月中に完成する予定である。……今回は、コロナ禍の話から転じて、表現者の創る、或いは描く速度について書く予定であった。ちなみに佐伯祐三が、20号のキャンバスで1枚の作品を仕上げるのに要する時間は僅かの40分であり、晩年のクレ―は1日に3~5点(しかも、いずれの作品も完成度が高い!!)仕上げている。いずれも脅威的であるが、私の場合は、閃いて瞬間的にそのインスピレ―ションを組み伏す時間はだいたい4秒くらいである。……その創造の原点と、閃きの速度についての舞台裏を書くつもりであったが、もはや紙数が尽きてしまったようである。……これについては、またいつか書く事にしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『2021年―最初に想った事』

……何事も無いかのように、いつものように地球がゴロリと回り、当たり前のように2021年の年が明けた。日本海側は大雪だというのに、ここ横浜の空は風は強いが、しかし抜けるような青空である。……この、事も無しのような蒼い空を見ていると何かに似ているなと思い、すぐに気がついた。映画『男はつらいよ』シリ―ズのラスト場面に決まって出てくる青空を連想したのである。もしあのラストが、どんよりとした曇り空だったら、あの映画は全て台無しになる。大団円の為には、あの嘘のような青空と、畳み込むような音楽がいいのである。…………さて、元旦に相応しく、陽を浴びようと思って近くにある古刹・妙蓮寺の広い境内を歩いていると、たくさんの御神籤(おみくじ)が紐に結んであるのが目に入った。コロナ禍が影響しているらしく、いつもよりたくさん結んであるように思われる。そのたくさんのおみくじを見ていると、面白い言葉が目に入った。「医師をえらべ」、そう書いてあった。……おぉ確かにそうである。どの医師に出逢うか、或いは選ぶかで、生と死がアミダくじのように分かれ道に立っている。いざというときに悔いが残らない為、普段からの情報収集的なシミュレ―ションは大事な事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれは確か、昨年の1月末頃であったか、イギリスのクル―ズ船『ダイヤモンド・プリンセス号』からコロナの患者が出た時は、未だ対岸の火事の様相であった。それがジワジワと感染が国内に拡がり、第1波、2波、そして年末から現在の第3波の加速的な感染爆発を見ていると、まるでコロナウィルスに不気味な殺意、さらには冴えた戦略的な意思が息づいているかのように見える時がある。……そして、その波状的な容赦のない攻撃性の様を想うと、以前に読んだ『戦艦大和ノ最期』(著者・吉田満)で書かれていた、米側がとった実に周到な戦略に重なるものを私は覚えた。

 

大和の世界最大という巨砲46センチ砲を誇る日本海軍は、アメリカの攻撃網の中にすっぽりと最早入っているというのに、大艦巨砲主義に依りながら進んで行った。時代は既に軍艦の大鑑主義から戦闘機による航空優位主義へと移っていたという自明の分析もなく。……そこに雲間から先ず現れたのが、米の戦闘機100機による攻撃であった。しかし、間もなくして敵機は去り、静けさが訪れる。これがいわゆる第一波。大和の乗組員達はまだ戦気があった。だが、対軍艦用の自慢の46センチ砲は全く役に立たず、戦闘機に対する対空射撃の威力は乏しかった。……直ぐに次は電撃機131機が雲間からどす黒い塊となって襲来、大和の左舷のみを集中的に破壊する作戦をとった。これが第2波。…………そして、一時間くらいの時が経ち、次に雲間から飛来したのは、予想を遥かに超える、合わせて386機(戦闘機180、電撃機131、爆撃機75)の襲来であった。……もはや容赦のない殺戮というよりも、それは屠殺に近い惨状であったという。かくして乗組員3332人のうち生存者は僅かに276人。……この時間差的に襲来する波状攻撃の様が、私にはコロナウィルスの様相とダブって見えるのである。

 

……そして、政府と東京都、さらには他の知事達との対立の様、つまりは同じ方向を共に視ていない統一感の無い様を想うと、かつてそうであった、海軍と陸軍との対立的構図がそこに重なり、ひいては白骨街道と云われ、戦死26.000人、戦病死30.000人以上の死者を出した、この国の無策の様を表す代名詞、インパ―ル作戦を思い浮かべるのである。……情けないまでにバラバラ、これではとうてい勝てる筈が無い。……以前に友人の一人が私に、「このコロナ禍は敵の姿が見えない、第三次世界大戦のようなものですよ」と語った事があった。私はその時はピンと来なかったが、或いはそれくらいの自覚と気構えで暫くはいた方が良いのかと、ふと思う。……しかし、こちらが出来るのは残念ながら攻めではなく、防備の徹底しかないのが現状である。

 

……ちなみにマスクと云えば、1枚を付けるという事を誰もが概念的、横並び的に連想し、ほとんどの人が1枚しか付けていない。マスク即ち1枚…という発想は、風邪やインフルエンザへの、あくまでも予防的な対処法である。しかし、コロナウィルスの大きさはそれより遥かに微小である。……よって私は、どうしても出掛ける用事のある場合、最近はマスクを2枚付けて出掛けている。……防御力の自主的な増強である。思っている程に息はそれほど苦しくはなく1枚の時と大差は無い。……昔は「袖振り合うも多生の縁」という、豊かな言葉があった。それが今や「袖振り合うも多少のウィルス」になってしまった。しかしシャレている場合ではない。人心が疑心暗鬼となり、孤立化する世の中になってしまった。……しばらくは、名実共に寒い冬が続きそうである。 (次回に続く)

 

 

 

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『さらば、2020年!!』

……年末の某日、急に故郷の名産である越前がに(雄)やセイコガニ(雌)が食べたくなり、築地の場外市場に行った。市場内にある水産専門の斎藤商店は越前蟹を商う唯一の店。行ってみて驚いた。例年より倍以上の高騰で、しかも身が薄く痩せている。今年は大漁の筈なので、高騰の理由を主の斎藤さんに訊くと、コロナ禍の影響で帰省出来ない人が多いので、地元から発送する需要がかなり多いのが原因という。ならば蟹は1月中旬頃に出直すとして、手ぶらで帰るのも寂しいので、老舗の「松露」で九条ネギ入りの玉子焼き(秘伝のダシがよく、玉子焼きはこの店が一番美味しいと思う)を買い、鮭の専門、昭和食品で超辛口紅鮭を買う。昔ながらの製法で塩漬けして半年以上冷蔵したこの塩鮭は、焼いていると塩が吹いて来て白くなる絶品で、塩分の過剰摂取はもちろん体に悪い。しかし体に悪いというのは、何故か美味さに繋がっているから始末が悪い。……大晦日まではまだ日があるのに、市場の人出は既に多い。雑踏を縫うように歩きながらふと思う。……この人達は知っているのであろうか?昔、この築地場外市場が全て築地本願寺の地所であり、人々で賑わうこの場所が全て墓場と寺であった…という事を。

 

 

日本画家の鏑木清方の代表作に『一葉女史の墓』という名作がある。私と同じく樋口一葉を慕う鏑木清方が、一葉亡き後、この築地本願寺の墓地(つまり今の築地場外市場の場所)を訪れ、一葉の墓を写して画いた名作である。……清方の絵の着想の元となったのが、やはり樋口一葉を慕う泉鏡花が書いた『一葉の墓』という随筆で、当時(明治30年代)のこの築地本願寺辺りが実に淋しい場所であった事が伝わってくる哀惜に充ちた名文である。(ちなみに墓地は関東大震災で壊滅的に被災した為に、この墓地に在った樋口一葉の墓は「明大前」の築地本願寺和田掘廟所に、また琳派の酒井抱一や赤穂義士の間新六の墓は、築地本願寺の境内内にひっそりと移されている。)……当時と今の違い、築地場外市場が墓地であった事を示す地図を掲載するのでご覧頂きたい。〈昔日と変わっていないのは通りを渡った先にある割烹・新喜楽〈芥川・直木賞の選考会場で知られる〉だけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

年末の某日、……来年1月20日頃に刊行予定の私の初めての詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』の原稿が全て完成したので、神田神保町にある文芸・美術図書出版社・沖積舎の社主、沖山隆久さんと細かい打ち合わせをする。沖山さんは私の初めての版画集、初めての写真集を次々と企画出版された方で、今回の初めての詩集が三つ目の企画になる。つまり、私の版画、写真、詩における表現者としての生き方において、導きを作って頂いた恩人なのである。詩は今までも折りに触れて発表して来たが、「詩集」となると、また別なものがあるのである。

 

……神保町での打ち合わせを終えて、次に向かったのは、竹橋にある東京国立近代美術館であった。美術課長をされている大谷省吾さんにお会いして、今日は近代日本美術史にまつわる幾つかの疑問についての自説を語り、そして大谷さんの分析を伺うのである。……先月の高島屋の個展に大谷さんが来られた際に、私は北脇昇について書かれた実に詳細に考察された大谷さんのテクストを頂き、個展の時に読み耽っていた。知の考察は鋭く深ければ深いほど、ミステリアスな妙味の深度も更に増していく。先に東京国立近代美術館で開催された『北脇昇展・一粒の種に宇宙を視る』は、近代日本美術史、特にシュルレアリスム絵画の日本における受容と展開を研究対象とされている大谷さんの企画によるものであるが、私はこの展覧会を観て、北脇昇について今まで語られていたのが、北脇昇とシュルレアリスムとの関係のみで、それが北脇においては一つの角度からでしかなかった事を知り、北脇への解釈がこの展覧会で一変したのであった。つまり、私達が既知として知っていると思っている近代美術史を含めた様々な事が、実は多面体の一面でしか無かった事を痛感したのである。〈……以前に、慧眼で知られるドイツ文学者の種村季弘さんは私に「皆は1960年代以降の事ばかり騒いでいるが、本当に面白いのは、むしろその前夜、暗い黎明期の胚種の頃だという事を誰も気づいていない」という、実にものの見方のヒントとなる発想法を伝えてくれた事があった。……私が発想の源に比較文化的な視点を置くようになったのは、実にこの種村さんと芳賀徹(比較文学者)さんからの影響が大きい。〉

 

……いろいろと話を伺っていて、大谷さんの最大の関心事が画家の靉光である事を知り、私は大いに共振した。私もまた同じだからである。……靉光……近代日本美術史上、最も鋭く、幅の広い表現力を持ち、最も捕らえ難い画家と云えるこの画家の頂点にして、近代日本の呪縛的な絵画、謎めいたブラックホ―ル的な作品『眼のある風景』は、シュルレアリスムの影響からも逸脱して聳える一つの巨大な謎かけの「門」である。……この絵の眼球に息づく、僅か二刷毛で描かれた緑の描写に幾度、溜め息をつき、唸って来た事であろうか。その靉光、高村光太郎、松本竣介、佐伯、ロダン…等について話し、時間はあっという間に経ってしまった。…帰り際に大谷さんから、コロナ禍で開催が叶わなかった展覧会の図録『無辜の絵画―靉光、竣介と戦時期の画家』(国書刊行会)を頂いた。近代という謎を多分に孕んだ靉光への、私なりの推理が、あらためて始まったようである。

 

 

 

 

 

〈部分〉

 

 

 

……竹橋の美術館からアトリエに戻ると、郵便受けに手紙と小包が届いていた。開けると、手紙は詩人の野村喜和夫さんからで、野村さんの詩集『薄明のサウダ―ジ』が第38回現代詩人賞(日本現代詩人会主催)を受賞された事を伝えてくれる内容であった。野村さんは詩に関わる賞のほとんど全てを受賞している人で、詩の可能性を広める為にジャンルを越境して果敢に挑んでいる姿勢が私の最も共感するところである。私とはランボ―を主題とした詩画集『渦巻カフェあるいは地獄の一時間』(思潮社)の共著があるが、いずれまた何か新たな閃きが湧いた時に、野村さんと組んでみたいという考えを抱いている。この国のほとんどの詩人達は、ささやかな得手の領域(巣箱)で甘んじているが、野村さんは全くそういった閉じた所が無く、むしろ次の予測が全く読めない人なので、それがいつも私における、楽しみの一つなのである。……小包を開けると、美学の谷川渥さんから届いた『文豪たちの西洋美術―夏目漱石から松本清張まで』と題する新刊書であった。先月の高島屋での個展の最終日に谷川さんが来られた時に「近々、新刊書が出るので送りますよ」と言われていたので、楽しみにしていた本なのである。……日本近代文学の文豪達は、どんな作品(西洋の美術作品)に触発されて来たか!?を切り口とした、今までになかった斬新な角度からの鋭い記述が満載である。……文豪と西洋の画家との組合せ。妥当もあれば意外な結び付きもあり、既存の解釈がぐらついてくる知的快楽に充ちている。コロナ禍で籠る事が多い昨今であるが、そういう時に、ぜひ気軽に読まれる事をお薦めしたい本である。

 

 

……さて、コロナ禍に終始した2020年もいよいよ後僅かである。来年はいよいよ正念場。世界はウィルスに押し切られるのか!?、……それともワクチンが想像以上に効いて、土俵際の見事なうっちゃりで、収束へと向かわせられるのか!?……不気味な気配を孕んだまま、今し地球がゆっくりと回っている。……読者の方々の平安と無事を祈りつつ、今年最後のブログを終わります。

 

 

 

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『今、世界はあたかも泥の舟と化して……』

ずいぶん間が開いた久しぶりのブログ掲載になってしまった。あまり途切れるのが長いと「遂に北川もコロナでは……!?」と思われた方も或いは……。しかし、どっこい、私はまだ元気に生きています。とは言え、今後さすがに2ヶ月近くブログの更新がなかったら、まぁその時は私が昇天したと思って下さって間違いないでしょう。……しばらく更新が無かったのは、来年早々に刊行される予定の詩集の為に、詩の原稿を専らに書いていたからである。毎年12月は、さすがに来年の新しい作品展開に向けての、頭の切り替え、充電に使われるのであるが、今年の年末は詩作に耽る日々。いささか生き急ぎの感があるかもしれない。版画、オブジェ、コラ―ジュ、写真、評論……と螺旋状に切り開いてやって来たが、私がまだ集中して開けていない自分の可能性の引き出しは、純粋の言葉だけによる「詩」の領域、……そして1冊の詩集の刊行なのである。今までは小だしに書いて、写真集『サン・ラザ―ルの着色された夜のために』(沖積舎刊)の掲載した各々の写真の横に、写真作品と併せて載せる為に、90点の詩を3日間(つまり1日に30点の速度で詩を書き上げていく!)で書き上げたり、作品集『危うさの角度』(求龍堂刊)の中に入れる詩を書いては来たが、まとまった1冊全てが詩文で構成された詩集というのは初めての挑戦なので、また別な力が入るというものである。2年前に詩の分野の賞―歴程特別賞なるものは頂いたが、この受賞理由は、私の今までの全業績に対して……というものだったので、今回の詩集刊行への挑戦は、とにかく別物なのである。その詩作に没頭している間にふと世間を見やると、世界はコロナウィルスの凄まじい感染によって、まるで泥の舟、……あり得ない、しかし沈まないという予見の裏付けが無い様相を呈している。……18世紀中葉からイギリスで起きた産業革命は、加速的かつ致命的に自然を破壊して、今や人心までも荒んだものに変え、地球は断末魔の様相を呈しているが、地球サイド、豊かだった自然界、動物界から見れば、地球にとっての破壊的なウィルスは、私たち人類に他ならない。……聞いた話であるが、もし人類が絶滅しても地球にとって全く損失はないが、仮に蜜蜂が全て死滅したなら、地球の生態系がかなり壊滅的に狂う……という話は、なんとも暗示的である。今年の春に、人々が行動を控えた時、例えばヴェネツィアの濁ったアドリアの海が透明度をいや増して、魚が元気に泳ぐ姿を見たが、何やら近未来的な人類消滅後の地球の清んだ光景を透かし視るような思いであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

……さて今回は、私の友人の一人である久留一郎君について書こうと思う。久留君はデザインの分野ではかなり知られた実績のある人であるが、その美的な感性を、彼がかつて住んでいた神保町の部屋で、私はありありと目撃した事があった。古い面影を漂わせた神保町の街の佇まいはそれだけで惹かれるものがあるが、その街の闇に溶け込むようにして、ある黄昏時に彼の部屋を訪れた事があった。……下町の何処にでもありそうな小暗い印刷工場(だったか?)の中に入り、暗い階段を彼に導かれるままに上がって行くと、突然目の前に広がっていたのは、完全なる美意識の映し、喩えるならば、そこだけがパリの一室、例えばリラダン男爵の舘の一室ではないかと見紛うような眩惑の気配をその部屋は漂わせていた。洗練された調度品といい、積まれた書籍の内容といい、何かの魔法にかかったような気持ちであった。そのダンディズムの薫り漂う部屋に私のオブジェ作品『ヴェネツィア滞在時におけるアルブレヒト・デュ―ラ―に関する五つの謎』(作品画像は、拙著『危うさの角度』に掲載)が掛かっていて、実に調和していたのを思い出す。……しかし、3・11の激しい地震の揺れをもろに受けて部屋は倒壊し、その部屋の耽美に充ちた印象の記憶は、残念ながら私の記憶の中に今も消えない鮮やかな眩惑性を帯びて、ひっそりと息づいている。(後で聴くと、彼は私の作品を抱えてその部屋から避難したようである。)閑話休題、今、私はリラダン男爵の名前を挙げたが、その夢幻の世界と近似値的に近いポーの世界を彼は幼年の時から熱愛している一人である。……そしてコロナ禍の今、彼は一念発起してネットによる画像配信によるポーの世界への頌(オマ―ジュ)の開示を立ち上げた。……それに関して私も協力する事となり、ゲストクリエイタ―としてコラ―ジュ『モ―リアックの視えない鳥籠』という作品を提供した。その私の作品の中には一見してポーらしきものは無い。しかし、作家にして名書評家でもあった故・倉本四郎氏(『鬼の宇宙誌』『妖怪の肖像』などの名著多数)は、私の作品を評して、私を「ポーの末裔」と呼んだ事があり、私を面白がらせた。今では伝説的な画商として語られる故・佐谷和彦さんも私を同じように評した事があり、偶然とはいえ面白い。その倉本さんは一言にして本質を語る卓見の人であった。…………これは私見であるが、オマ―ジュにポーの肖像を画く事はむしろ容易(たやす)いし、ある意味、それは既存のポーのイメ―ジに寄り掛かった借景であり、安直であると私は視る。……ポーの世界とは、その表裏に於いて繋がり、或いは地下で通底し密接しておれば良いので、私は彼にそのような作品を提供した。彼の今回の試みにはフランス文学者にして、日本におけるシュルレアリスム研究の第一人者、巌谷國士氏も久留一郎君の為に長文を書いている。今回のコロナ禍の中にあって久留君は最も精力的にポーに挑んでいるが、その姿はなかなかに考えさせられるものがある。一つの試みとして私はこの挑戦の行く末に密かな興味を持っているのである。……ご興味のある方は、ぜひ彼のサイトを開かれて、ご覧になる事をお薦めする次第である。

 

 

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『記憶の謎―迷宮の無限回廊』

3週間に渡って日本橋高島屋本店・美術画廊Xで開催された個展『直線で描かれたブレヒトの犬』が終わり、今は初めての詩集の刊行が企画されている為に、詩を書き下ろしている日々である。思い返せば、個展時は毎日会場に行き、新作の〈今〉の姿を静かに考えたり、様々な人との嬉しい再会があり、また新たな人達との出逢いがあって、実に手応えのある展覧会であったと思う。……ともあれ、ご来場いただいた皆様に心よりお礼申しあげます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……個展会場にいると様々な人が来られるので、これが実に面白い。Mさんはその中でも異風の人であったかと思う。画廊Xの受付の人に「彼(私の事)、大学が一緒なんですよ」と言う声が耳に入って来たので振り向くと、そのMさんが私の前にやって来てマスクを外し「私の事を覚えていますか?」と問うので、私は「申しわけないですが、全く覚えていません。でも貴方だってそうでしょ?」と言った。するとMさんは「いや、北川さんの事は強烈に覚えていますよ!…だってあなたは入学式の時に学生服を着て来たので、最初からかなり存在感が強かった!」と言う。私が学生服を?……全く覚えてない話であるが、言われてみるとそんな事もあったような気も少しする。私の忘れていた自分の記憶の一部を、私でない他人が所有しているという事は、ちょっと風が吹くような感覚である。(……私が学生服姿で大学の入学式に現れた?)……まぁ、これをわかりやすく例えれば、実践女子大の着飾った華やかな入学式に、1人だけ鶴見の女子高のセ―ラ―服姿で荒んだ顔の娘が現れたようなものか。……そんな事あったかなぁと思う自分と、いやこれは、Mさんが懐いている私のイメ―ジが独走して紡いだ錯覚ではないかと思う、もう一人の自分がいる。……過去の一つの事象に対して立ち上がる、異なる断定と懐疑、また別な角度からの予想外の解釈が現れて、そこに短編のミステリ―が誕生する。一つの事象に対して複数の証言者が全く違った物語を展開する。……それを膨らますと、何だか芥川龍之介の『薮の中』、またそれを題材にした黒澤明の『羅生門』のようである。

 

写真家のエドワ―ド・マイブリッジが3台のカメラを使って撮影した、一人の女性が椅子から立ち上がった数秒間の動作を正面、右側、やや背後の三方から同時に撮した写真があるが、視点の違いから、同じ瞬間なのにかくも違って見えるから面白い。記憶もそうである。人が懐かしいと思って記憶している或る場面とは、つまりは一つの角度からの光に充ちた光景に過ぎず、違った角度から見れば、それは何と闇に包まれた別相なものである事か。ことほど左様に記憶とは覚束無い、つまりは脳の不完全な営みが産んだ幻影のようなものなのである。……先ほどの入学式の記憶をもっと解体すると、そもそも私は本当に美大に行ったのか?……もっと言えば、そう思っている実の自分は、未だ幼年期に故郷の神社の木陰で涼しい風をうけながら惰眠をむさぼっている、少し永い夢見の少年のままでいるのではないだろうか?……荘子が詠んだ『胡蝶の夢』、更には王陽明の詩にある「四十余年、瞬夢の中。/而今、醒眼、始めて朦朧。…………」或いは更に現実を離れて、唯心論の方へと、想いは傾いても行くのである。

 

 

 

 

……さて、今まで書いて来た事「記憶とは何か?……その不確実性が生むミステリアスな謎の無限回廊」を映画化した名作がある。アラン・レネ監督、脚本アラン・ロブグリエによる『去年マリエンバ―トで』が、それである。…私が、美術をやるか、或いは映像、文芸評論、……それとも舞台美術の何れに進むか!?その進路に迷っていた頃に観て自分の資質を知り、先ずは、銅版画の持つモノクロ―ムの冷たく硬質な、更に言えば強度な正面性を孕んだ表現分野に没入して行く事を促してくれた、決定的な出逢いとなった作品なのである。……この映画に軸となる一本の定まった筋は無い。文法的に言えば、文章が成り立つ為の規則―統語法(シンタックス)が外されている為に、それを観た観客は謎かけを提示されたままに、冷たい幾何学的な硬い余韻のままに映画館を去る事になるが、しかし想像する事の妙が次第に立ち上がって来て痛烈に忘れ難い印象を、私達の内に決定的に刻み込んでくる。……アラン・ロブグリエは映画化に先立ち四本の脚本を作り、それをバラバラにした後で繋ぎ合わせるという実験的な手法を用いた。「①現在、②Xの回想〈Xにとっての主観的事実〉、③Aの回想〈Aにとっての主観的事実〉、④過去〈客観的事実➡Mの視点〉の四本である。……ちなみにこの映画を、シュルレアリスムに深く関わった詩人の瀧口修造は「私における映画の最高傑作」と高く評している。画像を一点掲載するので、そこからこの映画の気配を感じ取ってもらえれば何よりである。

 

 

 

 

この映画『去年マリエンバ―トで』に、ダンスの勅使川原三郎氏が果敢に挑戦するという報が入って来た事は、最近に無い鮮烈な驚きであった。かつて観たあの難物に、最近ますますその才を発揮している佐東利穗子さんと共にデュオで挑む!!……氏の公演は三十年前から観始め、およそ七年前からは殆ど欠かさず集中的に観ており、このブログでも機会をみては度々書いて来たが、今回の公演はまた別な昂りもあり、今から公演が待たれて仕方がない。題して「去年『去年マリエンバ―ドで』より」。「……二十世紀は二人の怪物を産んだ。ジャン・ジュネニジンスキ―である」と書いたのは鋭い予見の人でもあった三島由紀夫である。私はそのニジンスキ―の伝説的なバレエの舞台に立ち会えなかった事を後悔し、長い間、嘆息をついていたのであるが、勅使川原氏のダンスを知ってからは、その嘆きも何時しか消えた。……送られて来た今回の公演の案内状には、「記憶ほど怪しいものはない。交わらない視線上の女と男」という一行と共に、以下のような一文が記されていた。「……私にとって記憶とは、頭脳で操作する遠近法ではなく、不確かに記録した身体内に置き去りにされた消えつづける煙のようなものを物質化する遊戯のようです。遊戯としての記憶と希薄な身体とが時間をさかのぼりさまよい途方にくれる。螺旋状に女は蒸発しつづけ男は常に決して勝てないゲ―ムをつづける。…………勅使川原三郎」

 

会場・シアタ―X(東京・両国)
会期: 2020年12月12日(土)・13日(日)・14日(月)・15日(火)

詳しいお問合せ : KARAS(カラス)  TEL03―5858―8189

 

〈チケットの取扱〉

チケットぴあ・イ―プラス

シアタ―X 〈電話予約・03―5624―1181〉

 

 

 

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北川健次詩集『直線で描かれたブレヒトの犬』
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