『光の旅人』

……ここに1冊の写真集がある。1932年から1935年の僅か数年間の短い間に写真雑誌『光画』に幻の夢見のような写真を連続的に発表しながら、突然、本人自身が幻のように消えてしまった写真家・飯田幸次郎の写真集である。浅草六区に住み、木村伊兵衛に人工着色の技術を伝授したのも飯田幸次郎であるが、忽然として、台頭しつつある写真の表舞台から消えてしまったのである。…………私がその写真家の存在を知ったのは昨年の秋であった。私のアトリエに毎月届く『がいこつ亭』なる私家版の薄い文芸冊子があるが、詩・映画評論・短歌・小説など多彩な内容が詰まっており、その質は高く私は毎回楽しみにしている。ある日届いたその冊子の中に、私の40年来の知人である中村恵一さんが「飯田幸次郎を発掘」と題して、その消えた写真家について詳しく言及してあり、なかなかに興味深かったのであるが、私はそこに掲載されていた飯田の二点の写真をみて、この写真家がただ者ではない事を直感した。……その数日後に、私は高島屋の個展に中村さんをお呼びして来て頂き、さらに、この幻の写真家―飯田幸次郎について詳しく教えて頂いた。……それによると、最初にこの人物に強い興味を持ったのは、写真評論で知られる飯沢耕太郎氏であった。そして、飯沢氏から中村さんは飯田幸次郎の消えた後の追跡調査を依頼されたのである。……しかし、中村さんの難航しながらも徹底した追跡によって、飯田幸次郎のその後の謎に光が当てられるようになり、今回の写真集が刊行されるに至ったのである。

 

「……看板と建物ばかりで、人の影すらもない、この写真。夜半にふとみた夢の中に、突然現れたようなこの光景。……パリの通りを描いたバルチュスの絵をふと連想したが、あの絵のようなマヌカンめいた人物たちは、ここにはなく、全くの無人……。まるで芝居の書き割りでもあるような。そして人間の視点からは僅かに外れた高みが呈する、不思議な静寂と懐かしさ、そして不安。……この不安は岸田劉生の『切り通し』にも通じる不穏と犯意があるが、やはり、画面を第一に領しているのは郷愁であろう。懐かしいが、しかし今まで見た事のない不思議な風景、不思議な時間。……そして死者たちが静かに佇んでもいるような…………。私は中村さんが飯田幸次郎の写真集を大変な苦労をされて刊行したというのを伺った時に、購入を申し出たのであるが、初版は私が最後ですぐに絶版になってしまったという。

 

 

飯田幸次郎「看板風景」1932年 

 

 

前回のメッセージでも書いたが、先日、川田喜久治さんの写真展を観に.東麻布にあるフォトギャラリ―「PGI」を訪れた。オ―プニングで沢山の来客であったが、私は一点一点、川田さんの表現世界の強度な暗部に入るべく、あたかも現代の『雨月物語』を読むような覚悟で集中して視入った。川田さんの写真には観る度にひんやりとする発見がある。…「美しい、そしてぞっとするような光景」……海外の美術館のキュレタ―達の多くもまたこのように高く評価している川田さんの写真世界は、その表象の皮膚が実に厚い。この厚さは、以前に川田さんと並べて書いたゴヤに通ずる厚さである。……ゴヤの中には、その後のシュルレアリスムや、更にはピカソまでが既に内包されていると鋭く指摘したのは、美術評論の坂崎乙郎や澁澤龍彦といった慧眼の人達であるが、私が川田喜久治という異才の人に視るのも、そういった意味の厚みであり、昨今ますます貧血と迷走の観を呈している写真の分野を尻目に、更には無縁に、川田喜久治さんの強靭な厚みが更に極まりを見せてくるのは必然であり、また事実でもあるだろう。……光の謎を直視している川田さんのみの独歩が、写真が未だ魔術的であった時代の韻を帯びて、現代の陰画の様を光を刈り込んで放射してくるのである。

 

私は前回、今回と続けて写真について記してきたが、この熱い想いは、数年ぶりとなる水都幻想の街―ヴェネツィアへの写真撮影行が控えているからなのかもしれない。また、今年に予定されている数々の画廊での個展、そして、6月から9月の長期にわたって、福島の美術館―CCGA現代グラフィックアートセンターで開催される予定の、大規模な私の個展が控えているからなのかもしれない。そう、つまり私は年始めから熱くなっているのである。……一昨年は中林忠良氏、そして昨年は加納光於氏、そして今年が私の個展と、この美術館では作家を密に絞って個展を開催しているが、これから、この個展に多くの時間を私は割いていく事になるであろう。出品作は私の版画を主として、近作のオブジェも出品する事になっている。……この個展については、折々にまた触れていく予定である。

 

 

 

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『君は初夢をみたか!?』

1月1日だけでなく、2日にみた夢も初夢というらしい。私が2日にみた夢は奇妙なものであった。私がかつて版画で度々モチ―フにしたバレエダンサ―のニジンスキ―が、どうも『牧神の午後』を踊り終えた後らしく、疲れて寝そべっている姿が現れたかと想うや、夢のカメラには次にポンペイの浴場が官能的に霞んで見え、次に噴火前のヴェスビオス火山がわずかに噴煙を不穏げに上げているのが、これまた薄く霞んで彼方に見えるという、……ただそれだけの、いささかの淫蕩、暗示に富んだ夢であった。以前のブログでも書いたが、私は美大の学生時にそれまで打ち込んでいた剣道をやめて方向転換し、何を考えたのか、熱心にクラシックバレエを学んでいた時期があるが、夢に出てきたニジンスキ―はその時の自分が化身した、ふてぶてしい姿なのであろうか。…………ともあれそんな夢をみた。

 

……正月5日は、映画『ジャコメッティ・ 最後の肖像』を観た。観て驚いた。昨年の夏に私はこのブログで、3回に分けてジャコメッティのこれが実像と確信する姿を直感的に書いた。それはこの国の評論家や学芸員、更にはジャコメッティのファン、信奉家諸君が抱いているようなストイックな芸術至上的な姿ではなく、殺人の衝動に駆られ、特に娼婦という存在にフェティッシュなまでの情動を覚える姿―その姿に近似的に最も近いのは、間違いなく、あのヴィクトリア時代を血まみれのナイフを持って戦慄的に走り抜けた〈切り裂きジャック〉である……という一文を書いたが、この映画は、まさか私のあのブログを原作としたのではあるまいか!!と想うくらいに、ピタリと重なる内容の展開であった。切り裂きジャックと同じく、〈女の喉を掻き切りたいよ!!〉と言うジャコメッティの犯意に取り憑かれたような呟き。……マ―グ画廊から支払われる莫大な額の画料のほとんどを、気に入りの娼婦とポン引きにむしりとられる老残を晒すジャコメッティ……。妻のアネットを〈俗物〉と罵り、自らは深夜にアトリエ近くの娼婦街を酔ったように虚ろにさ迷うジャコメッティの姿は、矢内原伊作の名著『ジャコメッティのアトリエ』の真摯な表層を一掃して、不可解な、その創造の神髄に更に迫って容赦がない。私の持論であるが、フェティシズムとオブセッション(強迫観念)、犯意、更には矛盾の突き上げが資質的に無い表現者は、創造の現場から去るべしという考えがある。芸術という美の毒杯は、強度な感覚のうねりと捻れから紡ぎ出される、危うさに充ちた濃い滴りなのである。……ともあれ、この映画はジャコメッティ財団が協力に加わっている事からも、かなり客観性の高い事実や証言に裏付けられたものとして興味深いものがある。

 

7日は、勅使川原三郎氏、佐東利穂子さんのデュオによるアップデ―トダンス『ピグマリオン―人形愛』を観るために、荻窪の会場―カラス・アパラタスに行く。……実は、昨年12月に両国のシアタ―Xで開催された、勅使川原・佐東両氏によるデュオの公演『イリュミナシオン― ランボ―の瞬き』の批評の執筆依頼をシアタ―Xから頼まれていたのであるが、極めて短い原稿量でありながら、これが意外に難航して年越しの作業になってしまった。私はかなり書く速度が速く、拙著『美の侵犯―蕪村×西洋美術』の連載時も、毎回二時間もあれば、直しなく一発で書き上げていた。しかし、勅使川原氏の演出・構成・照明・音楽・出演を全て完璧にこなすその才能に対しては、私ならずともその批評なるものの、つまりは言葉の権能がその速度に追いつかない無効というものがあって、私は初めて難渋して年を越してしまった。このような事は私には珍しいことである。最初に書いた題は『勅使川原三郎―速度と客体の詩学』、そして次に書いたのが全く異なる『勅使川原三郎―ランボ―と重なり合うもの』である。そもそも、このような異才に対するには、批評などというおよそ鈍い切り口ではなく、直感によって一気に書き上げる詩の方が或いはまだ有効かと思われる。……さて今回の公演であるが、毎回違った実験の引き出しから呈示される、ダンスというよりは、身体表現による豊かなポエジ―の艶ある立ち上げは、私の感性を揺さぶって強度に煽った。キリコの形而上絵画やフェリ―ニの映像詩を彷彿とさせながらも、それを超えて、この身体におけるレトリシャン(修辞家)は、不思議なノスタルジックな光景を彼方に遠望するような切ない抒情に浮かび上がらせたと思うや、一転して最後の場面で、『悪い夢』の底無しの淵に観客を突き落とす。その手腕は、〈観る事〉に於ける時間の生理と心理学に精通したものがあり、ドラマツルギ―が何であるかを熟知した観がある。とまれ、この美の完全犯罪者は、今年のアパラタス公演の第1弾から、全速力で走り始めたようである。

 

…………翌日の8日は、ご招待を頂き、歌舞伎座で公演中の『初春大歌舞伎』を観に行く。松本白鸚・松本幸四郎・市川染五郎の高麗屋―同時襲名披露を兼ねている事もあり、勘九郎・七之助・愛之助・扇雀・猿之助……と賑やかである。しかし私が好きな、九代目中村福助が長期療養中の為に観れないのは寂しいものがある。静かな面立ちに似合わないこの破天荒者の才が放つ華の光彩には独特の魔があって、他の追随を許さないものがある。……さてこの日、私が観たのは昼の部―『箱根霊験誓仇討』『七福神』『菅原伝授手習鑑』であった。『菅原伝授……』を観るのは今回が二回目である。伝統の様式美の中に如何にして「今」を立ち上がらせるかは、歌舞伎の常なる命題であるが、私はそこに脈々と流れる血と遺伝子の不思議と不気味を垣間見て、時としてこの華やいだ歌舞伎座が一転して暗い宿命の呪縛的な檻に見えてゾゾと想う時がある。三島由紀夫は「芸道とは、死んで初めて達成しえる事を、生きながらにして成就する事である。」と、その本質を見事に記しているが、確かに芸道とは、その最も狂気に近い処に位置しており、精神の過剰なる者のみに達成しえる業なのかもしれない。精神の過剰が産んだ美とは、西洋では例えばバロックがそれであり、この国に於いては、歌舞伎、すなわちその語源たる「かぶく―傾く」が、それに当たるかと想われる。精神、感性の過剰のみが達成しえる美の獲得、……それはこのブログの先に登場したジャコメッティ、それに勅使川原三郎についても重なるものがあるであろう。……さて、飛躍して結論を急げば、おそらく20年後の歌舞伎の世界にあって、これを牽引しているのは、松本幸四郎の長男、……今回襲名した市川染五郎(現在まだ12才)と、市川中車(香川照之)の長男―市川團子、つまり名人・三代目市川猿之助(現二代目市川猿翁)の孫あたりがそれであろうかと想われる。……遺伝とはある意味で残酷なものであり、才はそれを持って宿命へと変える。美におけるフォルム(形・形状)の問題とは何か。……それを考える機会とそのヒントを歌舞伎は与えてくれるのである。…………さて、今月の12日からは東麻布にあるフォトギャラリ―「PGI」で、写真家・川田喜久治さんの個展『ロス・カプリチョス―インスタグラフィ―2017』が始まり、私はそのオ―プニングに行く予定である。私は先に写真家として川田さんの事を書いたが、正しくはゴヤの黒い遺伝子を受け継いだ写真術師という表現こそ相応しい。唯の言葉の違いと思うと、その本質を見逃してしまう。シュルレアリストの画家たちの事を絵師という表現に拘った澁澤龍彦のこの拘りに、いま名前は失念したが、フランスのシュルレアリズム研究の第一人者もまた同意したことと同じく重要である。光の魔性を自在に操って、万象を川田喜久治の狙う方へと強力に引き込んでいく恐るべき術は、正に魔術師の韻にも通ずる写真術師のそれである。私はゴヤの最高傑作の版画『妄』のシリ―ズの何点かを、パリやマドリッドで購入してコレクションしているが、この度、川田さんから届いた個展案内状の写真を視ると、伝わってくるのは、写真の分野を越えて、世界を、万象を、暗黒のフィルタ―で透かし視たゴヤの変奏を想わせて尽きない興味がある。個展は12日から3月3日までと会期は長い。……ぜひご覧になる事をお薦めしたい展覧会である。

 

 

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『去年今年(こぞ・ことし)』

先だって、北朝鮮の兵士が南北の境界線を越えて韓国に逃げこんだが、被弾しながらも、脱走へと彼をして突き動かした最大の動機が、韓国から大音響で流れてくるK-POP 、J-POPを聴いてたまらなく魅了された事に拠るという。ジャン・コクト―かジュネのどちらの言葉であったかは忘れたが、「音楽には気をつけろ」という言葉がある。……これは聴覚から忍び入る音楽の力は、一瞬で感覚の中枢にある琴線を揺さぶり、理屈を越えて内面を激しく揺さぶる効力(場合によっては魔力)を発揮するという意味である。……そう、確かに音楽の力の持っている速度と浸透力はゲリラ的に凄まじいものがあるだろう。……例をあげれば、ジョン・レノンの名曲『イマジン』は、眼を閉じて想像さえすれば、国境さえも無くなるというコンセプトに、美しい韻律の音楽の力が相乗している為に、そのメッセージ力は大きく、静かに、そして確実に人心を動かす力を持っている。社会主義、資本主義を問わず国家の権力者達がこぞって忌み嫌うものこそが、この「イマジン」する事の力なのである。想えば自明な事であるが、国家というものの実質も、つまりは概念が産んだ幻想の産物に過ぎず、その砂上楼閣を崩すには「イマジン」の力をもって攻めるにしくはない。ジョン・レノンを撃った犯人とされるマ―ク・チャップマンとは別に、その場にジョン・レノンを確実に仕留める為に、プロの暗殺者がもう一人いたという説、……またそれを裏付けるかのように、暗殺現場のダコタハウスの入り口付近には、チャップマンが犯行に使用した銃(チャ―タ―ア―ムズ・38スペシャル弾用回転式、通称リボルバー)の、彼が実際に撃った五発の弾より多い数の弾痕が確認されている事、また犯行時に犯人のすぐ間近にいたダコタハウスのドアマンことホセ・サンヘニス・ペルドモという人物は、元CIAのエ―ジェントであったという事実は、チャップマン単独説に抗うかのように、何事かを暗示してなお余りあるものがある。閑話休題、……ようするにイマジン→想像する力、ひいては概念の力、更には観念の力というものは面白く、かつ不思議なものがある。……私達が具体的に体験するその一例として、大晦日から一瞬後に新年が来るわけであるが、あの新年が今来たという慌ただしい心と気持ちの切り替えには性急に強いられるものがある。……そして不思議な事に、つい先ほど数秒前であった12月31日の23時59分前が、いかにも大急ぎで去っていって色褪せてみえるから面白い。……しかし、新年は迎えたが、「時間」というもう1つの流れ、これまた観念の産物であるが、去年と今年という概念を繋げて貫くものが確かに在ると感ずるのも、また事実なのである。その事を詠んだ俳句がある。客観写生を理念としたホトトギスの俳人・高浜虚子の作「去年(こぞ)今年 貫く棒の 如きもの」が、それである。

 

話は変わるが、先日、あまりに蒼い空の美しさに誘われるようにふと思い立って、大田区馬込にある三島由紀夫邸を見に行った。事件から既に47年の歳月が流れているが、三島邸は時が止まったかのように凛とした気配を放って不思議なまでに鮮やかなままであった。門壁の表札には、故人の名を記した「三島由紀夫」の文字がゴチック体で掛かっている。今まで何度か訪れてみたいという衝動はあったが、何故か行かないままに時だけが過ぎていった。……自分が最もその美意識において影響を受けたという、その相手に対しては、何故か微妙な躊躇いというものがあるものである。思えば、私の先達の知人の多くが実際に三島と交際があり、その逸話の多くは直接的に聴かされていた。18歳の時に、三島美学を映した彼の戯曲の舞台美術をやれるのは自分以外にはいないという、根拠のない、しかし有り余る不遜な自信のままに三島由紀夫に手紙を書いて送ったが、果たせるかな、それと僅かにずれるようにして三島が自刃してしまったのは、私の人生に於ける、最初にして最大の無念な挫折ではあった。…………メモした住所をたよりに閑静な住宅街の中に入っていくと、一際大きな白亜の建物があり、それは容易に見つかった。……あの戦後史最大の事件が起きる日の午前に、一台の迎えの車がこの門前に止まり、この鉄の黒い門扉を開けて三島は静かに出て来て市ヶ谷の自衛隊駐屯地へと向かった。……それがまるで劇中の夢のような朧な感覚のままに、辺りは静かで、空の高みにはひと刷けの雲もない蒼穹の拡がりがあった。「人生は夢のようなものだと言うけれど、ひょっとすると、本当にそれは夢そのものなのかもしれないな」……三島の本質を理解していた澁澤龍彦は亡くなる直前に病床でそう語っているが、私は彼のこの言葉が最近はたいそう好きである。……とまれ、2018年がいま、眼前にある。私はまた新たなイメ―ジの領土を求めて歩いて行かなければならない。

 

 

 

 

 

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『12月のミステリー』 

〈今までの怨み、覚えたか!!〉…………まるで、吉良に刃を向けた浅野内匠頭か、はたまた横溝正史のどす黒い怨念因果小説を想わせるような凄惨な殺傷事件が冨岡八幡宮内で起きた。……この八幡宮、以前にも、誘拐された幼児が八幡宮境内の古井戸(現場は、たしか現在はセメントで埋めてある筈)に犯人に投げ込まれて亡くなっているが、その因縁話よりも、江戸時代に今の相撲興行のもととなった勧進相撲が行われて以来、冨岡八幡宮は相撲協会と互助なる密月関係を続けて来ただけに、昨今の貴ノ岩の事件と絡めて、なにやら一層の不気味さがある。昔、二十代の頃に、版画に使うリスフィルムというのを発注しに、江東区冬木にある工場に行く際に冨岡八幡宮の境内を通り、また帰りには度々、今回の殺人現場のすぐ真横にある赤い鉄製の橋上に佇んだり、境内にある歴代横綱の巨大な石に彫られた手形を度々見ていただけに、今回の凄惨な事件の報道画像を見て、同時になにやら懐かしくもあったのである。

 

……少年時を想い返せば、昭和30年代の頃はたいした娯楽もなく、経済の復興途上にリンクしてテレビ中継の大相撲の人気は熱狂的な渦中にあった。私の故郷の福井にも相撲巡業が来て、出来たばかりの体育館で興行相撲が行われた。相撲の黄金期―柏鵬時代がまさに始まった頃である。当時まだ小学3年生の頃であったが、興行相撲が体育館であった日の遅い午後、館内から聴こえて来るどよめくような喚声に突き動かされるようにして、私は体育館の周りを回りながら、何とかタダで相撲を観れる手段はないかと思案していた。……今でもそうであるが、どのような窮地でも必ずや突破口はある!!と考える前向きなたちなのである。そして遂に私は見つけたのであった。体育館のかなり上部に換気の窓が僅かに開いており、そのすぐ側に雨水が流れる排水筒が地上まで延びている。……「あれだ!……あれを伝って換気窓まで上がっていけば、まぁ後はなんとかなるだろう!」……少年の観たいという無垢な欲求は、恐怖に勝る。意を決した私は必死で登っていき、遂に窓の間近まで辿り着いた。……中を見ると、席の最上段にいる観客の後頭部がズラリと見えた。「……おじちゃん、お願いだから…中に入れて……」。掠れた子供の声に一人の男性が気づき振り向いた。まさかいる筈のない空中から小さな手を伸ばす私を見て驚くや、「―おぉ小僧、よく上がって来たなぁ!!」と言って、引っ張り上げて中に入れてくれ、私はご満悦の観客の一人と化したのであった。取組は関脇あたりから観れたので、お目当ての柏鵬の勝負はたっぷりと楽しめたのであった。…………昨今の白鵬などの唯の力任せの荒い相撲と違い、特に大鵬は、相手を余裕でふわりと受けながら懐の大きな器で次第に絞りこみ、ゆらりと倒していくという、正に横綱としての格の違いを見せてくれたが、何よりも相撲に華があり、頂点に立つ者としてのプライドと気品があった。白鵬も、かつては貴乃花を先達の目標として敬い、大鵬も自分を継ぐ力士として白鵬に目をかけていた感があった。……その白鵬の相撲が次第に変わってきたのは、大鵬が亡くなり、彼の優勝記録の32回を越えた辺りからかと思われる。……超然とした禅の境地を表す「木鶏(もっけい)」という言葉を引用して、70連勝のかかった大一番に敗れた名横綱の双葉山が打った有名な電報の一文、「未だ木鶏たりえず」という、神技への孤高な探求心からも遠く、今や相撲は、ガチンコ(本気の勝負)を欠いた、プロレスと変わらない唯の格闘技興行となった感があるのは、時代の流れとは云え、いかにも残念な事である。

 

ここに1冊の本がある。『泥水のみのみ浮き沈み』(文藝春秋刊)と題した勝新太郎対談集である。森繁久彌・瀬戸内寂聴・ビ―トたけし・三國連太郎……といった個性的な対談者が揃っていて、けっこう面白い。その中の三國連太郎との対談(1993年時)の中にオヤ?……と気を引く会話が載っていた。音に対する感性の話を三國連太郎が話している時に、勝新太郎が急に話題を変えて、隣室の相撲中継が気になり、勝(突然、付き人に)貴花田どうした? あっ、まだか。連ちゃん、相撲好き? 三國(好き好き。 勝(今、若花田だって。三國(やっぱり八百長ってあるんでしょ? 勝(ま、精神的にはね。勝ち越しちゃうと、ちょっとあると思いますね。三國(藤島部屋〈注-貴乃花の父親―元大関・貴ノ花が82年に設立した部屋〉はやらないんでしょ。勝(だから叩かれるね。三國さんにしても本当に映画を作ろうという人は叩かれる。だって困るもん、そんな人いたら、目をギラギラさせてだね、「この役はちょっと今日は中止にします。掴めませんから」なんて言ったら、みんなが嫌がるもの。俺なんかが出ても、みんな困るよね。〈勝―別室に相撲を見に行く。戻ってきて〉もうすぐ、貴花田〈注・今の貴乃花〉ですよ。三國(そりゃ、見なきゃ。(二人とも別室で相撲観戦) 勝(貴花田が出る直前に、ソファでいびきをかいて眠り始める) 三國(あれ、寝ちゃってる。……………… 今から20年前に出た八百長の話と、貴乃花のいた藤島部屋の相撲協会内での孤立化を匂わせる話。勝新太郎、三國連太郎、……社会の裏面を熟知しているこの二人の会話には、今にして読むと相撲界の今日に至る構図がうっすらと透けてくるものがある。今回の貴ノ岩の殴打事件、察するにガチンコ(本気の相撲)で白鵬を負かしてしまった貴ノ岩に対する、というよりも、その師匠・貴乃花への、これはどのみち起こるべくしていつかは起きた事件かと思われる。……結局一番、損な割を食ったのは、引退に追い込まれた日馬冨士と貴ノ岩であろう。モンゴル出身の貴ノ岩が、ガチンコにこだわる狂信的なまでにストイックな貴乃花部屋に入門してしまった事が、後の事件の伏線になった事は想像に難くない。……しかし、それにしてもパックリと開いた貴ノ岩(と思われる人物)の頭の傷口。私も撮影用の巨大なスクリ―ンの芯の鉄骨が落ちて来て頭部を激しく打ち、かなりの出血をした事があるが、自らの体験を話せば、頭部の肉は裂けやすく、意外に脆く、かつ出血が激しい。……さて、その貴ノ岩と云われる人物の顔を伏して頭部の傷口のみを撮した画像。その頭をゆらりと後ろにずらして顔をおもむろに上げれば、まさかの別人であったりすれば、これは、これで年末のミステリ―。ともあれ、12月という月は、本当に慌ただしく、かつ過ぎるのが速いのである。

 

 

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『新たなる表現の地平へ』

日本橋高島屋・美術画廊Xでの個展が盛況のうちに終了した。そして、多くの作品が縁という出会いを経て様々な人のコレクションに入っていった。これからは、その人達が作品との長い対話を交わしていく、もう一人の作者になっていくのである。…長かった個展が終わり、私はアトリエへと戻って来た。そして数ヵ月間にわたった制作の日々を思い出してみた。85点の新作を、およそ2日に一点の速度で次々と立ち上げてきたわけであるが、やはり私の制作速度はかなり早い方かと思う。だからであろうか、私は他の表現者でも、早い人の方を好む傾向が強い。わけても佐伯祐三は、今もなおその筆頭である。また27年前にロンドンの大英博物館で見た、モ―ツァルトの楽譜、そしてその横に並んで展示されていた、ジョンとポ―ルの『Help』の、凄まじい速さで書かれた楽譜を見た時の興奮は忘れ難い。また、詩人のランボ―をモチ―フとした私の二点の版画(今回の画像にその内の一点掲載。掲載本の左からジム・ダイン、ジャコメッティ、私、パブロ・ピカソ)が展示されている、フランス・シャルルヴィルのランボ―ミュ―ジアムで見た、象徴主義の天才詩人アルチュ―ル・ランボ―の詩『イルミナシオン』の直筆原稿を見た時の興奮は忘れがたい。まさしく天啓のごときインスピレ―ション、稲妻捕りの速度がそこからありありと伝わって来るのである。

 

今回掲載した画像の中に、舞踏会をモチ―フにした作品がある。画面下方の45度に開いたコンパスのような金属の断片を手にした瞬間に、たちまち舞踏会のイメ―ジが間髪を入れずに閃いて来て、一気に攻めるように作品が体を成して出来上がるのである。金具と舞踏会が何故、私の中で瞬時に結びつくのか、私自身にもわからない。ただ私の直感がインスピレ―ションを喚んで瞬時に二つを結び付け、『偏角45度から成る舞踏会の情景』という作品へと一気に形象化していくのである。そして、出来た作品を観た多くの人達が、この結び付きからインスパィア―して、一気にイメ―ジを拡げていくのを見ると、私のこの直感は独断にとどまらない普遍性を帯びて、人々の想像力を揺さぶる確かな装置と化しているのを、私は確かな実感を持って数多く見てきた。…この辺りの話を、個展会場に来られた、名古屋ボストン美術館の館長であり、また俳人でもある馬場駿吉さんにお話ししたところ、私の制作速度は、連句を作り上げていく集中した呼吸に重なるのではないか……という鋭い分析を頂いた。その時には、高崎市美術館・学芸員の堤淑恵さんも同席されていて、馬場さんの分析に興味をもって頷いておられたのが印象に深く残っている。……とまれ、個展は終わった。そして、私は毎日会場にいて、自分の現在形をまさぐり、次なる表現の地平を透かし求めていた。そして、次なる展開へと拡がる幾つかの確かなヒントを掌中に得た。来年は前半に既に幾つかの個展開催が決まっており、また10月からは日本橋高島屋での次なる個展も決まっている。更には、6月から9月までの長期に渡って、福島にある美術館での私の個展開催も決まり、またその前の2月にヴェネツィアでの写真撮影も入っている。……ただ、今は少しだけの休憩をとって、じっくりと読む事が出来ないでいた読書に浸りたいのである。読書、……これもまた豊かな充電とエッセンスの吸収になるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『作者は二人いる』 

日本橋高島屋本店6階の美術画廊Xで開催中の個展が27日で終了するが、かつてない手応えの中で、私は毎日会場に通いつめている。遠くは北海道や鹿児島の個展で知り合ったコレクタ―の方々をはじめ、画廊や美術館の学芸員、そして旧知のコレクタ―の方々が遠方からも駆けつけてくれて、今までの個展の中で最もクオリティ―の高い今回の個展を堪能されている。

 

多くの方々が、作者である私が会場にいるのに気づいて感想を言われていくが、先日来られた、日本美術史に詳しい方は、「今年観た展覧会の中で、運慶展とこの個展が最も見ごたえがあった」と率直な感想を真顔で語ってくれたのは、さすがに嬉しかった。制作の合間を縫って私も運慶展は観ているが、昨今の薄っぺらく浅い美術の在りように比べ、この濃密で奥深い運慶の強度な作品を観る観客の眼差しは真剣であった。……当然な事であるが人は皆、本物の芸術に出会いたいのである。

 

作品が優れているか否かの最もわかりやすい見分け方は、その作品の前で、どれだけの時間、観者が観ているかである。……つまり作品それ自体が持っている牽引力が、それである。運慶展の時の観客が作品を観る時間は確かに長く、皆、その時間の中で自分との内なる対話(観照)を交わしているのである。……そして私の作品を観る人々もまた長く、かつて見た事のない「不思議」に立ち会うように諸々の作品の前で、自分の肖像を映すようにして内なる対話を交わしている。……そして揃って人々が私に話す作品の感想は、「不思議な懐かしさを持っているが、しかし今まで全く観た事のない世界」という感想である。人は皆、誰もが実は素晴らしい想像力を持っている。そして、人々の記憶の深層には共通した記憶の分母(イメ―ジの心器)があると私は確信を持って思っている。

 

……人々が共通して持っている、共通してある記憶の原郷、……それをこそノスタルジアというのだと私は思っている。そのノスタルジアの核を揺さぶり、その遠い感覚を突いて立ち上がってくる想像力を顕在化させる装置を私は作っているのである。だから人々が私に語ってくれた感想は、その想いと見事に照応していることを、個展の会期中に確認する事が具体的に出来るのである。……画廊にいて、この世に一点しか存在しない作品が、何方に所有されていくのかを確認する事は、私の創造行為における最終行程である。私は作品をこの世に立ち上げた。後は所有した方々が自室に飾り、その作品との長く尽きない対話を自在に紡いでいくのであり、その意味でも、その人がその作品の活きた作り手、すなわちもう一人の作者になっていくのである。私はマチスが自らの芸術観に課した言葉―豪奢・静謐・逸楽を自分の作品にも課している。眼の至福、眼の逸楽をもって艶を帯びた「視覚によるポエジ―の顕在化」を追っているのである。……とまれ、今回の個展をまだご覧になっていない方々は、ぜひのご来場をお待ちしております。

 

 

(作品部分)

 

(作品部分)

 

(作品部分)

 

(作品部分)

 

 

 

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『大規模な個展始まる―PART②』 

今月の27日まで日本橋高島屋で開催中の個展が、ようやく半ばに入った。しかしまだ会期が半分以上あるので、これからどのような方々が来られるのか楽しみである。今回の個展では、会場の中にパルテノン神殿にあったギリシャ彫刻『セレネの馬』がインスタレ―ション的に、大きな三角定規、ダ・ヴィンチの布の素描、暗示的な14の数字……などと共に構成されて展示してあり、来廊者の目を驚かせている。私はこの、大英博物館所蔵の『セレネの馬』がたいそう気にいっており、版画やミクストメディアで作品化しているが、その見事な石膏像が7月にロンドンから届いたので、個展の為に展示したのである。巨大なのでかなりインパクトがあるが、今回の展示している数々の作品が放つ強い磁場と合わさって、会場に硬質な緊張感を醸し出している。…………個展の一日が終わり、夜にアトリエに戻ると、つい先月までアトリエを埋めていた作品が全て個展会場に運ばれてしまった為にたいそう静かである。……個性ある様々な役者逹が劇を演ずる為に舞台に行った後の、まるで静まりかえった楽屋のようである。その役者逹のほとんどがコレクタ―の人逹との幸福な出会いを経て、その人逹の元へと行き、私のアトリエにもはや戻ってくる事はない。……私はそのアトリエの中にいて、つい先月まで没頭していた制作の日々のことを思い出していた。

 

……制作は、今年の6月から始まった。6月から10月まで、およそ150日で85点。芸術を紡いでいくこの速度は相対的に計れないので、速いのかどうかはわからないが、美の先人逹の速度に想いを馳せると、私のこの速度に近いのはゴッホである。奇跡の二年と言われた最晩年の二年間、二日に一点の速度でゴッホは描いていたのである。……しかし、ゴッホより速いのが佐伯祐三で、一日に一点。フラゴナ―ルは三時間で一点の肖像画を仕上げていたという。……しかし、最も速いのはやはりミケランジェロが描いた、ロ―マ、システィ―ナ聖堂の天井画に指を折る。早く仕上げなくてはならないフレスコ画という事もあるが、畳3枚分の面積を彼は三時間で、最高度の表現世界を描いていたのである。昔読んだ宮城音弥氏の『天才』(岩波新書)によると、レンブラントの名作銅板画『三本の樹』は、女中が街に買い物に行って帰ってくる間に仕上げていたという。……ただ、速さと同時に大事なのは、いうまでもなく完成度の高さである。この2つは両刃の難しさがあるが、その2つを作品に孕ませていくところに作り手である事の、創る醍醐味がある。……池田満寿夫氏はかつて私を評して「異常なまでの集中力の持ち主」と書いてくれたが、池田氏自身も、版画集の最高傑作『スフィンクスシリ―ズ』を僅かに3週間で完成させている。……三島由紀夫が、その眼力を澁澤龍彦氏と共に最も評価していたドイツ文学者の種村季弘氏は、「美術の分野で、作品の完成度の高さでは北川健次を越える者はいない」と断言してくれたが、私はその言葉を自分に向ける常なる刃の切っ先として自らを追い込み、この「完成度の高さ」というものに自分を強いて制作している。……そして、その意識の緊張は、今回の個展でも、観者の人逹の感性に直に伝わっているように思われる。……とまれ、まだ個展は27日まで、暫く続いていくのである。

 

 

 

 

 

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『大規模な個展始まる』 

先日の8日から日本橋高島屋6階の美術画廊Xで、個展『鏡の皮膚―サラ・ベルナ―ルの捕らわれた七月の感情』が始まった(27日まで)。……この美術画廊Xの会場の規模は広く、平均した画廊のスペ―スのゆうに三倍以上の広さがある。……私は個展を開催する際には、その画廊空間を劇場に見立て、各々の空間に合った個展の主題を立ち上げるのであるが、この美術画廊Xはその意味で、例えるならば叙情詩ではなく叙事詩的な拡がりを持った主題が自ずと必要となってくる。この主題の切り替えは、プロとしての醍醐味であり、結果として今回の個展はオブジェ、ミクストメディア、コラ―ジュ他を含めて新作86点という、今までで最大の個展となったのである。また今回の個展は制作中から手応えを覚えていたが、私の作品の変遷をよく知っておられる来場者の方々から、今まで観た個展の中で、今回の新作の質が最も高く、また一点一点の作品が持つ完成度が最も高いという確かな感想を数多く頂き、個展会場にいて私は、大いなる手応えを覚えているのである。また普段なかなかお会い出来ない九州や北海道といった遠方のコレクタ―の方々も各々に遥々来られて、旧知を暖めあっているのであるが、私はこの事を毎回の個展における大事な楽しみにしているのである。……作品は、また新たな実験性と、完成度の高さを併せ持たねば、というなかなかに難しいハ―ドルをいつも自らに課しているが、とまれ今回の個展は、その視点からも自信作が多く、来場された時に、じっくりと愉しんで頂ければと願っている。……会期は27日までと長く、個展はまさに始まったばかりである。……作品はまたその多くがコレクタ―の人たちのコレクションとなって、その方々がもう一人の作者として長い対話を交わしていくのであるが、その意味でも、私は会場に在って、「作品」という私の直なる肖像の映しと暫しの対話を交わしてもいるのである。……この機会にぜひのご来場をお待ちしております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『強烈な火花―棟方志功』

どうやら記憶にも遠近法というのがあるらしく、出会った順番ではなく、その人の放つ個性の強度や印象の強弱で、記憶の中に存在の韻を各々に放っているようである。その遠近感でいくと、私の場合最も鮮やかな最前列にいる人物が二人いる。……勝新太郎棟方志功である。勝新太郎との面白い出会いについては以前のブログで書いたので、今回は棟方志功さんとの出会いについて書こうと思う。

 

私が銅版画を独学で作り始めたのは、美大の二年生の19才の時であった。『Diary-Ⅱ』という表現主義的な作品を作ったのは翌年の20才の時である。作り始めて二作目の版画『微笑む家族』という作品を私が住む神奈川の美術展に出して、神奈川県立近代美術館館長の土方定一氏の眼に止まり、美術館に収蔵されたという流れもあって、翌年、再びこの美術展にその『Diary-Ⅱ』を出品したところ、今度は版画部門で受賞した。賞金は当時の十万円。貧乏な美大生にとっては救いの神の賞金である。授賞式は展覧会の会場の神奈川県民ホ―ルであった。会場に着くと、受付の人から仰々しく私の名前を書いた名札を渡されたのであるが、その人が私を見て「あなたが北川さんですか!いや、もう審査の時が大変だったんですから!」と言って、審査時の事を詳しく話してくれた。版画部門の審査員は三人で、その中に板画家の棟方志功さんがおられたのであるが、私の版画が審査員達の前に現れた瞬間、棟方さんは急に席を立って私の作品の所にやって来て、係員から額に入った版画を奪い取るようにして床の上に置き、額のガラスの上から私の作品を掌で撫でまわし、「凄いなぁ、凄いなぁ……」と、あの特徴的なだみ声で呟きながら延々とその動作を続けた為に、審査が30分近く完全に止まってしまったのだという。…………棟方志功。この20世紀の日本美術を代表する巨人の名前はもちろん知っていたが、私はこの美術展の審査員に棟方さんが入っている事など全く知らなかった。しかも、その棟方さんが私の作品を見るや、そういう行動に出た事など、係員から言われるまで私が知るはずがない。……私は話を聞きながら、あの棟方志功の顔が浮かんで来たが、私の作品とその顔が今一つ、どうも結び付かないでいた。式の会場の中に行こうとすると、その係員の人が「今日、棟方さんが来られますので」と告げてくれた。

 

……授賞式が進んでいったが、しかし棟方さんの姿は会場に無かった。「まぁ、そういうものだろう」、私がそう思ったまさにその瞬間、会場にざわめきが走り、紋付き袴姿の棟方志功さんが、頭のてっぺんにかんざしをグサリと突き刺した奥様と同伴で突然現れ、そのまま壇上に上がった。確かにもの凄いオ―ラをこの人は放っていた。……挨拶の第一声は、今でもありありと覚えているが、「夫婦の枕は長まくら!!」であった。……つまり、式に遅刻した言い訳を、先ほどまで夫婦の愛の営みをしていたのだから、まぁ、そこは……と天衣無縫の表情で笑いながら話して、会場の雰囲気を一瞬で自分の話術に引き込んでいく。棟方さんは最初は上機嫌で笑顔であったが、版画部門の審査の話になるや表情が一変して鋭い口調になり、激しい怒りの表情へとそれは変わった。会場は一変して静かになり、ただ棟方さんの言葉だけが響いてくる。棟方さんの話でわかったのであるが、今回の審査で絶対に納得いかない不正があり、それを糾弾し始めたのである。棟方さんは私の作品を版画部門の受賞だけでなく、大賞に値する作品として強く推したのであるが、大賞は既に審査の事前に内々で決まっていたらしく、その受賞者は県の教育委員会関係の御曹司らしい事が、棟方さんの口からズバズバと明らかになっていく。最近よく話題に上がる「忖度(そんたく)」である。「北川さんのあの作品が、どうして大賞にならずに、そんな作品が大賞に決まるわけですか!!……そんな馬鹿な話がありますか。私はこんな馬鹿げた美術展の審査はもう絶対に今後やりません!!」。……棟方さんの怒りを込めた熱い語りはさらに続いたが、私の名前が何度も棟方さんから出てくる事に、私は自信へと繋がる熱いものが湧いてくるのを覚えていた。大賞の賞金は当時の100万円とパリ一年間の留学であるが、私は大賞よりも、遥かにもっと大きな、作家としての今後に繋がる大切な物をこの時に棟方さんから貰ったのであった。駒井哲郎氏からは既に評価を受けており、その後に出会う池田満寿夫氏や浜田知明氏、そして、パリで一緒に展示された、国際的な作家のジム・ダイン氏から受けた評価とはまた別なものが、棟方志功という人にはあるのである。当時まだ20才そこそこであった私に、しかし、この出会いと作品への評価はあまりに大きく、いま思い出しても貴重なものがあった。……式場の帰りに、私は棟方さんと握手を交わし、一緒にエレベーターに乗ったのであるが、この時に棟方さんの本領が発揮された。……棟方さんは、突然このエレベーターが欲しい!!、どうしても家に持って帰りたい!!と子供のような駄々を本気でこね始めたのであった。私は笑いながら、同乗している棟方さんの奥様を見ると、(またいつもの癖が始まった!)と呆れ顔であり、横にいた土方定一氏も爆笑されていた。……棟方さんは、その二年後に亡くなられたのであるが、私の作家への過程における巨きな恩人であり、今もその特異な存在の記憶は昨日の事のように煌めいて在る。……あの日、棟方さんと別れた数日後に、土方定一氏から一通の葉書が届いた。その手紙には、君はもうあのようなレベルの美術展ではなく、もっと高みの上を目指せ!!……という内容の文面が綴られていた。土方氏は、死後もまだ無名だった松本俊介を世に出す契機を作るなど、信じられる慧眼の人である。私はそれに従い、立体や大きな平面に混じって版画は画面が小さいので審査の上で不利である事は承知の上で、当時最大の難関であった現代日本美術展に応募し、ブリヂストン美術館賞を受賞したが、その時の審査委員長であった土方定一氏の強力な推薦があったときく。……とまれ、私は折に触れて、棟方志功という稀代の才能が産み出した作品を観る度に、あの日の貴重な、そして不思議な導きに充ちた〈一期一会〉という人生の妙を覚えるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

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『鏡の皮膚』 

日本橋高島屋・美術画廊Xで開催される個展が少しずつ近づいてきた。今回の会期は11月8日(水)から27日(月)迄であるが、新しいアトリエでの制作はいま正に佳境に入っている。今年で連続9回目、高島屋のこの個展だけで制作した作品数は、延べおよそ600点以上。それ以外の画廊で発表した個展の新作を合わせればかなりの数になる。……そして、作り出して来た全ての作品がコレクタ―の人達の収蔵に入っている事を思えば、間違いなく私は表現者として幸運な人生を歩いていると思う。……24歳で作家としてデビュ―した時に、私の個展の総指揮を担当された池田満寿夫さんは、「これからはコレクタ―の人達と共に歩む事、作品は今後も発表する際には若い人にも購入可能な価格にする事、作品が優れていれば間違いなく自ずから評価され上がっていくから。」というアドバイスを頂き、私は池田さんを信じて先達としての言葉に従った。そして24歳時の第1回目の個展で発表した版画は1点2万円で発表されたが、出品点数25点、エディションは各20部、計500点が1週間の会期中にすべて完売となった。この記録は今も破られていないという。……ニュヨ―クの池田さんからは祝電が届き、私はプロでやっていく自信を固めたが、はたして池田さんの予言どおり、その時に発表した作品の評価価格は、現在は10倍から20倍以上となり、今もコレクタ―の人達の愛蔵するところとなって大切にされている。作品は私の手元を離れて、その人達の各々の人生の中に深く関わっていっているのである。……後年もこの池田さんのアドバイスを私は守り続け、自分が版元となって版画集を8年間で七作次々と精力的に刊行したが、いずれも刊行して3ヶ月間くらいで全作が完売となった。……何より一番大事な事は、作品がコレクタ―の人達にコレクションされる事。……そして、自らを模倣せずに次々と新たな可能性に挑戦していく事。……版画からオブジェに制作の主点は変わったが、先達が遺し伝えてくれたこの言葉を、今も私は金科玉条のごとく守り続けているのである。

 

さて、高島屋の個展であるが、今回の展覧会タイトルは『鏡の皮膚―サラ・ベルナ―ルの捕らわれた七月の感情』である。……私はいつも個展の制作に入る前に、先ずは展覧会のタイトルを決める事から入っていく。言葉とそれらが孕むイメ―ジのあれこれをまさぐりながら、現在形の自分が、今、何処に在り、未生の新たな「語り得ぬ」もののアニマと姿が何であるかを、あたかも気象観測のような視点で、あたかも稲妻捕りのような素早さで絡め捕る事から始まるのである。……そして、タイトルが決まるや、私の視線は集中し、一気に制作に入っていくのである。高島屋の個展案内状は制作の着手が早いので、8月の後半にはもう形が出来上がっているが、私は案内状のデザインにも深く関わっている。……展覧会の案内状とは、その展示内容の表象であり、また象徴性をも孕んでいる伝達交感の大事な関係だと思うからである。……天才舞踏家の土方巽が、「新作の案内状を送った時から舞踏はもう始まっている。」と何かに書いていたのを読んで、確かに!!……と私は蒙を拓かれたのであったが、以来、私は案内状にはこだわりを持ち続けている。……高島屋美術部も同じ理念を持っているので、レイアウト、印刷の校正は徹底して臨んでおり、今度10月3日は、その三回目のチェックが予定されている。……ただ、案内状を発送するのは、私は会期初日の4日ばかり前に届くように送っている。会期が三週間と長いので、そこを考えての事である。だから、このメッセージでの早い時点でのお知らせは、とても大切な意味を持っているのである。…………アトリエで出来上がっていく新作のオブジェを見ながら、私はそこに自分の新たな現在形の姿を、ある種の驚きを持って見つめている。………………さて、次回のメッセージは、強烈なインパクトを持った棟方志功さんが初登場する予定。乞うご期待。

 

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