『もくづ塚』

 

年末にアトリエの片付けをしていたら、ガサリと1冊の本が棚から突然落ちて来た。…!?と思って手に取ると『乱歩-キネマ浅草コスモス座』(高橋康雄著)という本であった。(乱歩とは江戸川乱歩の事である。)開いて読み始めたら気になる章があったので、掃除はさておき読み耽ってしまった。その気になる章のタイトルは「もくづ塚」。

 

書き出しはこうである。………(昭和9年の春、乱歩は久しぶりに浅草に出向いた。(略)…土地の人らしい年配の男に出会ったので乱歩は道を訊いた。「慶養寺に行きたいんですが…」。

 

……この冒頭から私は忽ち掴まれてしまった。…年末のブログに登場した二人の人物。版画家小野忠重と、彼の家に入ったまま、以後その姿を現す事なく、この世から24才の若さで消えた(或いは消されてしまった)、才能ある版画家藤牧義夫の両名とその事件。…その限りなく黒と目されている小野忠重の墓が在るのが、乱歩が行こうとしているこの慶養寺なのである。

 

乱歩が寺に現れたのが昭和9年。この同年に藤牧は全4卷・全長60mに及ぶ大作『隅田川両岸絵巻』などを完成させ、小野が率いる「新版画集団」の中でも抜きん出た才能を発揮するという新境地を見せていた。正にこれから飛躍の勢いである。

 

しかし、翌、昭和10年9月2日の夜、藤牧は姉の太田みさお宅から、もう一人の姉の嫁ぎ先の中村てい宅に行く途中で、その中間の場所にある小野忠重宅に行き、家に入ったまま永遠に出る事なく、僅か24才という若さで、以後終に現れる事はなかった。

 

…姉の中村ていは、待っていた弟の藤牧が来ないので、騒ぎだして事件が明るみとなる。…小野は、さも藤牧が憔悴、絶望のあまり、涙ながらに小野の家を出てその足で隅田川に入水したかのような、リアリティも根拠すらない放言に終始し、新版画集団の連中も、主宰する小野への忖度と、才能ある藤牧への嫉妬も絡んでか、懸命な捜索もされないまま、この集団は解散する。

 

…さて、藤牧が消えて、それから僅か7ケ月後の昭和11年の3月に、小野は急に不審とも思える行動をとった。その時未だ26才であるというのに、…この慶養寺に小野は自分の墓を作ったのである。…そして藤牧はといえば、未だその死体はいっこうに発見されていないままである。昭和11年3月と云えば、その前の2月に2.26事件、そして5月には阿部定事件…と、時代は血生臭い不穏な気配を帯び始めた頃である。…そんな時に小野は、まるで何かに急かれるように、なぜ墓を作るなどという行為に突然意識が向かったのであろうか。……

 

 

…………江戸川乱歩が、この慶養寺に来た目的は、この寺に在るという「もくづ塚」という塚を見る為であった。本を読んでいくと興味ある記述が次々と拡がっていく。その文を少し拾おう。

 

(…乱歩が今、慶養寺を訪れたのは、最後の「藻屑物語」の采女、右京の二少年の悲恋物語への関心に端を発していた。徳川初期に起こった武士道的少年愛の事実を美しく綴ったものである。仮名草子の稚児(ちご)物語の作風と西鶴武道ものの作風との、ちょうど過度期に属するものである。…(略)…「実は『藻屑物語』の采女右京の墓があるのではないかと…」と乱歩は口ごもりながら聞いた。住職も珍しいこともあるものだといわんばかりに乱歩の顔をまじまじと見つめた。そんな珍客は初めてのことであった。「もくづ塚ならあります」住職は言った。(略)…雑草におおわれて、無残な姿であった。

 

………この文を読んでわかるように、もくづ塚のある慶養寺は、男色者における聖地のようなものでもあり、当時、古ギリシャや日本の古代からの同性愛文献資料あさりをしていた乱歩は、その収集目的で、この寺を訪れたのであった。

 

 

………読者の方は覚えておられるであろうか。

 

…年末のブログに掲載した、新版画集団の展覧会の集合写真で、小野が藤牧の肩に手を回し、あたかも好色な僧が、年少のまだ少年の面影すらある藤牧義夫を、自分の可愛い稚児の様にして写っている、一見して異様な1枚の写真の事を。

 

…そして検証の意味で、私の友人の画家で男色者のM氏に見せたところ速断で、この写真から直に自分達の側にいる人間特有の気配が伝わってくると証言した事を。

 

…アトリエの片付けをしている時に、まるで推理の促しのように棚から落ちて来た、乱歩について書かれた1冊の本。…読んでいて知った事実。…乱歩はこの後も数回、この慶養寺を訪れているのであるが、…すると、後にこの「もくづ塚」の事を随筆で書く為に寺を訪れている乱歩と、その後ろにある墓地に墓を作っている最中の小野忠重が同時期にいた可能性が見えてくる。

 

1月16日、私は、この事件に強い関心と推理を寄せているブックデザイナ-の長井究衛君と一緒に、浅草今戸にある慶養寺に行くべく予定を立てていた。その前夜にM氏(画家にして男色者)に、もしやの誘いのメールを入れると(私も行きます。小野の墓には興味がありますので)という返事。…いつもなら私単独で現場に行くのが常であるが、友人を誘ったのは他でもない、…なかなか見つからないという『もくづ塚』を、複数なら探しやすいという事と、藤牧が消えたほぼ直後と言っていい数ヵ月後で、何かを急ぐかのように僅か26才で墓を作った小野の深意解析について、長井君、M氏各々のご意見にも興味があったからである。

 

 

11時に待ち合わせして浅草の老舗の神谷バ-で昼食をとり、タクシ-で慶養寺へと向かった。(因みに私が寺に来るのは2回目である)。住職に来意を告げて、先ずはもくづ塚を探した。…気のせいか、歩く乱歩の影が木々の間や葉群らの影に幻のように過って見える。しかし…件の塚はなかなか見つからない。…彼ら二人は寺の奥に更に探索を拡げ、私は住職に寺の歴史を問うた。…住職は奥から江戸時代に画かれた絵地図を探して来て見せてくれた。…建物に道を塞がれている今と違い桁違いの巨大な寺院で、すぐ目の前が隅田川である。

 

 

…私は了解した。…乱歩や小野・藤牧の頃(昭和10年前後)は未だ寺は広大な敷地を有していたが、空襲、そして戦後の荒廃で、寺の敷地を貸したり、売却するなどして、その時に件の「もくづ塚」も破壊されてしまったのだと。…今の住職がもくづ塚の在所を知らないという事が、その証であろう。

 

 

…さて、次は小野の墓である。…この古刹慶養寺にはそれなりの墓地があって墓もあるが、歴史が古いので、何れの墓も朽ちたようにかなり古い。…そんな中で、小野の墓は薄いピンク色をした石で目立って新しく、裏側に「昭和11年3月再建 小野忠重」とだけ彫ってあり、普通なら刻してある筈の親や先祖の各人の享年月日が、この墓にだけは一切無いのが異様であった。……「再建」の文字の意味を住職に訊くと、この小野の墓の場所は江戸時代から小野の先祖が所有していたが、縁者の骨は再建の際に何らかの意図で一掃されてしまった可能性もあるという。…理由まではさすがに寺もわからないと言う。

 

 

…その日は暖かく汗ばむ陽気であったが、墓の前に立っていると、妙に重い冷気が時おり肌を撫でていく。…墓地全体に目をやると、何れの墓も肉親や縁者が立てた、死者を供養する卒塔婆が何本も立っているが、…ただ小野忠重の墓には一本も無く、花を供える花立てに花筒もなく、枯れた花すらも無いのが、無常の冬ざれとして映った。

 

……私達三人は墓の前で無言であった。………しかしこの墓には、小野以外に何かが、…いや誰かの存在した証しとおぼしき魂の一片が、今も確かにこの墓の暗いくぐもりの中にさ迷っているような、そんな気配をふと覚えたのであった。闇の中のもう一つの闇に。そして私は思った。………他でもない、もう一つの「もくづ塚」はここに在ったのだと。

 

 

 

…お詫び。ブログが本件で終始してしまいました。予定にあったダ・ヴィンチのモナ・リザ、次回に渾身の気持ちを入れて書きます。

 

 

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『新春第1弾-モナ・リザはいつ割れたのか⁉……Part①』

新年明けましておめでとうございます。先ずはブログを介しての年賀状から

このブログの連載も早18年以上が経った。書く材料が全く尽きる事なく、月に約2回のペ-スで書き進めて、あっという間の18年。……内容はともかくとして、文章量では長編の代名詞、紫式部『源氏物語』を越えてしまったように思われる。…私のブログが実に面白いというので、二つの出版社から本にしたいという申し出もあったが丁重に御断りした。…ブログは私の生きた証の徒然の記録なので、日々映りいく走馬灯のように読者の方々に気軽に楽しく読んで頂けたら、それでよいのである。拙著『「モナ・リザ」ミステリ-』(新潮社刊)や『美の侵犯-蕪村×西洋美術』(求龍堂刊)のように世に問うのと違い、極めて私的な随想的記述なのであるから……。

 

 

 

さて、では本文へ入ろう。

 

…………………元旦の朝に珍しいお茶を初めて呑んだ。お茶の名前は「上喜撰(じょうきせん)」。…この名を聞いて、あぁと思い出した方もおられるかもしれない。…そう、高校の日本史の授業で幕末に登場するお茶の名前である。1853年、浦賀に突如現れた四隻の黒船(蒸気船)に驚く世情と、当時のお茶の名前(上喜撰)を巧みに掛け合わせた狂歌「泰平の/眠りを覚ます/上喜撰/たった四はいで/夜も眠れず」。生来、好奇心が強い私は、この狂歌を授業で知った時に、(実に面白い、そして上手い‼)と感心し、…その上喜撰なるお茶をぜひ一度呑んで、幕末の味覚を追体験してみたいと思った。調べると、横須賀のとあるお茶屋で作っているらしい事はわかったが、しかしなかなか機会なく、日々の事に追われながら、…いつしか年月が流れていった。

 

……昨年10月の高島屋の個展に、美大の後輩になるサイトウノリコさん(版画家)が来られ、雑談の際に家が横須賀に在ると聞いた瞬間に、横須賀!?……上喜撰!!が閃き、サイトウさんに入手代行をお願いした。…そして年末の横浜の個展時に、サイトウさんがバッグに件のお茶『上喜撰』を携えて来廊された時は嬉しかった。…訊くと、横須賀にそれは無く、幕末にペリー率いる黒船が来航した浦賀まで探しに行って、ようやく入手出来たとの事。持つべきは善き友、そして善き後輩である。

 

 

上喜撰は煎茶で、説明書を読むと、徳川将軍家に献上していた当時のお茶の製法を今に遺しているらしい。…呑むと、若干の渋味があるが意外に口には優しく懐かしい香りがする。…狂歌の通り、試しに4杯呑んで寝た。…(たった四はいで夜も眠られず)とあったが、すぐに寝落ちしてしまい、あまりみる事の無い不思議な夢を見た。

 

好奇心、…確かに私は異常なまでにこれが強い。そして、それが本当はどうであったのか⁉…を自分の目と足で実際に確かめてみたいという確認欲求が強く、それがまた日々の人生を面白くしてくれてもいるのである。高杉晋作の辞世の句「面白きこともなき世を面白く」…を実践しているのである。

 

 

…………1968年から71年の長期にわたり、私の故郷の福井市を中心に県全体で69件の放火事件が発生した事があった。何故か3と8のつく日にしか犯人は放火しないので「三・八連続放火事件」と云われた事件である。私が夏休みで大学から帰省した時は、未だ事件は進行中であり、犯人はランダムに現れては県全体で放火を繰り返すので、正に神出鬼没であった。この事件に興味を持った私は図書館に行き、新聞に載っている事件の発生記事を全て表にし、地図も作って推理した。

 

神出鬼没⁉……犯人は意識してランダムに出没しているようだが、その犯人の潜在意識の深奥に、必ずや何らかの規則的なものが潜んでいると推理したのである。…絞りこんでいくと近郊の村の「春江町」という地名に辿り着いた。……そこから逆放射して地図上の全ての現場に黒い点を打っていくと、やや不完全ながらも次第に規則的な姿が透かし見えて来たのであった。…母に(この放火の犯人は春江町にいるよ)と告げて、私は東京に戻った。母は暇な息子の戯言をただ笑っていた。…放火はその後も1年近く続いたが、遂に警察が用いた逆探知器で火災現場近くの車内にいた犯人が捕まった。果たして、犯人は春江町在住の、自称画家であった。…火災現場に駆けつけた警察官同士の話を盗聴して愉しんでいた犯人を、逆探知器を使って逮捕したのである。

 

 

…………………昨年末のブログは特に反響が強く、ミステリ-の醍醐味を愉しんだ方がかなりおられたようである。…そのブログでも書いたが、版画家の藤牧義夫が昭和10年9月2日の雨降る夜に向島・小梅に住む版画家・小野忠重の家に入って以来、この世から完全に姿を消してしまった事件。…結論からいえば、この事件の全容は何ら難しい事はなく、もはや全て白日の下に明らかである。…問題は、何故、小野の家に誘われるように藤牧が行ったのかという事の背景と心理、…そしてこの事件の裏にある湿った陰花植物的な動機に今の私の関心は向かっている。

 

 

 

…次回のブログPart②は、

 

消えた、或いは消された藤牧義夫の謎、そこに意外にも、現実の江戸川乱歩が登場し、更なる闇へと入って行くのである。…そして後半は、拙著『「モナ・リザ」ミステリ-』も含めて、モナ・リザの顔に夥しく入っている亀裂の謎を解明すべく、ブログは進んで行くのである。

 

………次回『モナ・リザはいつ割れたのか⁉ …part②』……乞う期待。

 

 

 

 

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『1枚の写真が暴いた、或る未解決事件の内幕』

…わが国の幻想文学の頂点に立つと言っていい江戸川乱歩の名作『押絵と旅する男』は、浅草十二階(通称・凌雲閣・明治23年建立~大正12年の関東大震災で崩壊)を舞台にした怪しいまでの幻夢譚である。

 

「……あなたは、十二階へお登りなすったことがおありですか。ああ、おありなさらない。それは残念ですね。あれは一体、どこの魔法使いが建てましたものか、実に途方もない変てこれんな代物でございましたよ。……」と文中に書かれた浅草十二階について、乱歩以外には、芥川龍之介石川啄木谷崎潤一郎竹久夢二木下杢太郎川端康成室生犀星……他、多くの作家がその不気味な磁力を持った高塔について書いている。

 

……私が浅草十二階に取り憑かれたように興味を持ったのは、いつ頃からであろうか。…定かではないが、この人工の象徴的存在への愛着は異常に強い。(それは私が作り出すオブジェ制作への尽きない想いとも関係しているように思われる)……浅草十二階をネットで開けば、私のブログが出てくるし、1994年6月号に刊行された『太陽』の江戸川乱歩特集・「怪人乱歩・二十の仮面」では、私は『蜃気楼』と題して、浅草十二階への想いを熱く語っているのである。

 

…またこのブログの2018年2月25日『128年の時空を超えて』~3月8日の『魔所-〈十二階下〉』迄は、偶然出土した浅草十二階の遺構から私が赤レンガを入手する迄の導きのような話を書いているので、ぜひ、そのブログを先ずはお読み頂けたら有り難い。

 

………また、その想いを更に言えば、(もし浅草十二階のあの空間にタイムスリップ出来るとしたら、あなたは今、死ねますか⁉)という問いがあれば、躊躇なく(勿論死ねます‼)と応える私なのである。

 

 

…俄に初冬の寒い気配を見せ始めた今月のはじめ、…アトリエに帰ると、郵便受けに大きな小包が入っていた。封を開けると2冊の書籍が出てきた。…!?…と思って取り出すと、1冊は『浅草十二階幻想』、もう1冊は『浅草遠景館』と題する本が、丁寧なお手紙と一緒に入っていて、著者の名前が鷹岡志津さんと書かれていた。

 

 

 

 

 

…早速本を開いてみて驚愕した。浅草十二階、浅草を撮した貴重な絵葉書が各々満載してあり、読んでいくうちに臨場感のある明治の空間に引き込まれていくようで、忽ち私は驚喜した。…そして、著者の鷹岡志津という古風な名前から、この名前は筆名で本名は、というよりこの方は、度々私が体験する交感現象の極みで、過去の時空の彼方からの迎えであるか⁉…とさえ半ば本気で思ったのであった。

 

2冊を読み進めていくと、驚いた事に『藤牧義夫…雨の夜に消えた天才版画家』と題して、私が2020年・2月21日から書いた『墨堤奇譚』と題した連載ブログと重なる視点で、版画家・小野忠重の家に立寄った後に忽然とこの世から完全に消えてしまった(或は、何者かによって消されてしまった)藤牧義夫事件に考察を重ね、鋭い視点で彼女なりの推理が綴られていたのであった。…、また更に読み進めていくと、学生時の私が、小野忠重が私に対して放った礼儀を失した発言に対し、私と小野が一触即発の気配となり、傍にいた版画家の駒井哲郎さんが唖然としたという経緯も書かれていたのであった。

 

「…小野の目の奥に宿っていた昏い光を目の当たりにした北川はもしかすると、思いがけず藤牧失踪事件の真相の一端を垣間見たことになるのかもしれない。…果たしてあの雨の夜、小野は藤牧に対して同じ目をしたのだろうか。…あくまでも推察に過ぎないが、小野が若かりし日の北川に突如くってかかったのは、北川の姿がかつての藤牧の姿とオ-バ-ラップして苛立ったからではないだろうか。(中略)……「浅草に叔母がいる」という北川の言葉に小野が過剰反応したのは、長年心の奥底に抱え続けていた、(いつか藤牧失踪事件の真相が誰かに暴かれてしまうのでは)という恐れや不安が瞬間的にピ-クに達し、咄嗟に話の矛先を逸らそうとしたからではないかと筆者は考えている。……と続き、この若き天才を容赦なく踏みにじった存在への、筆者の強い怒りが綴られていく。

 

 

…ともあれ、1935(昭和10)年9月2日の雨の夜に、小野忠重の家から出た痕跡が無いままに、次に立ち寄る筈だった姉の家に現れる事はなく、この才能あり、前途に期待されていた若き天才版画家の行方は今なお判明しておらず、未解決事件として今にある。

 

…そして時を経て、小野忠重は、藤牧が小野などに預ける筈のない貴重な版木の上に自分の彫刻刀で彫りを行い、画商に藤牧義夫の版画と語って多数の版画を売り、美術館の調査で藤牧の真作ではないと判断されるに至っている。

 

 

…何故、小野は行方知れずとなった藤牧の木版作品の版木を持っていたのか?…小野は藤牧が行方知れずになった後に、藤牧が隅田川に自殺したと思わせるような発言を繰り返していたのか?……しかし、この事件は、駒村吉重『君は隅田川に消えたのか』や、大谷芳久著『藤牧義夫 眞偽』、『芸術新潮2011年1月号〈版画家Xの過剰なる献身』、失踪の謎に迫ろうとした美術評論家・州之内徹の慧眼な追跡調査があり、…また私のブログでの例外的な長文の推理、…そして最近では山田五郎YouTube『大人の教養講座』 等で、多くの人にその真相の閉ざされた闇が解明されるに至っている。…わけても私が読者の方々にご覧になる事をお薦めしたいのは、山田五郎さんのYouTube『オトナの教養講座』で扱われた藤牧義夫の謎の真相に迫る解明で、実にわかりやすく、かつ的確な解説で、この事件を取り上げており、事件の真相が次々に明らかにされていくのである。

 

…そう、この事件そのものはさほど難しいものではないと私は思う。…情況証拠、また次々と崩されていく小野の偽証発言への疑問符を持ってすれば、中学生でも構図が判る事件なのである。しかし、では事件発生に至る動機は何であったのか⁉…という心理だけが、今1つ不明のままであった。…〈才能への嫉妬〉、それが底辺にある事は間違いない。……二人の構図を語れば、藤牧は小野が率いていた「新版画集団」に所属していたが、一方では、石原莞爾宮沢賢治らが傾倒していた国柱会に所属しており右派の思想を持っていた。…一方の小野は、自分は左派と称していたが、左派のスパイ活動に深く関わっていた慧眼な州之内徹の発言(小野…?そんな奴はいなかったな‼)という証言で一蹴されている。…ある時までは私も思想的な対立が事件の根底の1つだと思っていた。…そして事件解明に関わった多くの人もそう思っていた節があった。

 

先述した鷹岡志津さんと、事件に関してメールで頻繁にやり取りをしていたのであったが、折しも個展開催中であったので、鷹岡さんは横浜に来られるという事になり、私はその日を楽しみに待っていた。…その数日前の事であった。…鷹岡さんから届いた『浅草遠景館』に載っていた藤牧義夫の写真を見ていて、1つの疑念がわいてきたのであった。

 

…端整であった藤牧の顔つきが昭和8年から、消えた昭和10年の2年間に一変しているのである。…これは忽ち、新版画集団の中でも突出して才能を開花させて來た藤牧の自信の現れだと思うが、…それにしても初期の、姉と撮した顔の、あたかも歌舞伎役者の女形(おやま)を連想させるような優男顔……。そしてこの世から消えてしまう年に撮された顔は、男として芯のある顔へと変貌している。

 

 

 

 

…小野が語っていた、藤牧は「飲まず食わずの痩せた苦行僧のような顔をしていた」…と違って、自殺を暗示したのとは真逆の力強い面構え、…それが頭から離れなかった。…ひょっとして、男色か!⁉…卒然と閃いたこの着想は、〈まさか〉…というより〈或いは!〉という方に傾いていった。

 

数日して画廊に鷹岡さんが来られたので、私達は近くのカフェでお互いの推理を出しあった。…まるでホ-ムズとワトソンのような感じで、推理がどんどん膨らんで形を成していく。私が〈男色説〉の推理を出すと、鷹岡さんは大きな声でアッと驚き〈実は長年気になっていた1枚の写真があるのです〉と話された。…それは新版画集団のメンバーの集合写真で、鷹岡さんの本にも載っていたのであるが、掲載したサイズが小さくて細かい事がわからない。…鷹岡さんは、スマホに入っているその画像を徐々に拡大していった。

 

 

…スマホの拡大した画像に現れて來たのは、右側に、集団組織のボス顔をした小野が左右の腕を、小柄な藤牧の肩に絡ませて、あたかも好色な僧侶が、最近入って來た若い青年を稚児のように私物化しているような、…そう思われても仕方のない、ある意味、不気味な写真であった。…画像がボヤけていて不鮮明かと思うが、ここに掲載しておこう。

 

 

…そして、この写真からは、藤牧の版木に自分の彫刻線を彫りこんでいった、小野の倒錯した妄執が、セクシュアルな合体の願望として見えても來たのであった。

 

私は友人を通して犯罪心理学の専門者に問い、この種の犯罪の類例が無かったか否かを知りたいと思った。…しかしそれよりも蛇の道は蛇(じゃのみちはへび)を知るにしくはない。…そう思って、私の知人で画家のM氏にこの集団写真を送信して、中央にいる小野と藤牧の二人を、主観を排して感じたままの感想を問うてみた。……私は友人の幅が広い。その友人の一人であるM氏は、男色家なのである。

 

…M氏はこう語った。(この写真を見た瞬間に、間違いなく私達の側の世界にいる人間の獣のような匂いが生々しく立ち上がって來た。…右側の男が左側の小さな青年に掛けている左右の手の動きは、間違いなく愛玩の手のそれであり、…私も経験があるが、右側の男の見えない肘は、小さな青年の背後にピッタリとくっついている。…そして、集団写真でありながら、これ見よがしに笑みを含んだような顔で男が写っているのは、この関係を誇示し、永遠に残しておきたいという願望だと思う‼…ただ青年は未だ男に応じての関係はしておらず、少し困惑した表情にも見て取れる。)……そう語ったのであった。……(有難う‼…とても参考になったよ‼)と言って、電話を切った時は、既に夜半を過ぎていた。…(やはり、蛇の道は蛇だったか!)…そう思った。しかし、男色関係の縺れで死へと至らせるに近い程の事例は過去に何かあったか⁉……〈いや、あった‼〉…という例を私はすぐに思い出した。

 

天才詩人のランボーをパリに呼び寄せた詩人のヴェルレ-ヌ。…二人は忽ち相愛の仲になるが、次なる時代へと表現を飛翔させるランボ-に対し、ヴェルレ-ヌの表現はその時代に留まるものであった。…この場合は本例と逆の立場になるが、ランボ-の求めから逃げ去ろうともがくヴェルレ-ヌは衝動的にランボ-に向けて2発の銃弾を発砲した、…そういうケ-スが1つ在った。

 
…藤牧が消えた後に、藤牧の作品の版木の上から、自分の線を重なるように彫刻刀で彫っていくという初動に視れた行為は、埋火のように暗く、なおも燃える執着の重なりでもあったのか⁉…初動はそれであり、年を経て、それを藤牧の版画と詐称して売ったのは、小野の金銭への執着であり、その軽率なミスが、後に私達が懐く数多の疑惑へと繋がる結果を生んでしまったと思われるのである。

 

…先述した鷹岡志津さんは、本人は笑って否定されたが、私には140年前の浅草十二階の螺旋階段の潜みから現れたなにものかの化身のように、なおも見えるのであった。…その鷹岡さんは、浅草十二階と浅草関連の貴重な絵葉書を各々1000枚以上、…そして1930年代の最も面白い時代に撮した魔都上海と巴里の絵葉書を各々、これも相当数コレクションされており、現在も新たな執筆に専念中である。…私を狂喜乱舞させてくれた、この2冊の本は実に面白く、私達を遠いノスタルジアの世界へと誘ってやまない。…もしこの2冊の本にご興味がおありの方は、アマゾンで購入が可能なので、ぜひのご愛読をお薦めする次第である。

 

 

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『年末…やはり12月は駆け回る日々』

…前回のブログでお知らせしたように、21日(日)迄、横浜の画廊で今年最後の個展を開催中。…しかしその間にぜひ観ておきたい個展が東京の2ヶ所で開催されているので観に行った。

 

1つは銀座ヒロ画廊で開催されている『浜田知明展・戦争の影/人間愛』である。浜田さんとも、お付き合いは長かった。…私の人生で関わった版画家はごく少数に限られており、先達の棟方志功さん、駒井哲郎さん、池田満寿夫さん、加納光於さん、そして浜田知明さんだけであり、いずれも日本の版画史に間違いなく残っていく人達である。

 

……この先達たちに学生時から早々と作品を賞賛された私は幸運な出会いに感謝しながらも、時に反論も交わし、実に多くの事をこの先人達から学び、糧として来た感がある。……久しぶりに拝見した浜田さんの作品はひたすら懐かしく、私には思い出す事が沢山込み上げて来た。浜田さんは、ご自身で考案された秘伝のインクの作り方を私に教えてくれただけでなく、浜田さんが住まわれている熊本県の美術館に、私の作品が収蔵される手配までして頂いた事があった。…作品(特に名作)は遺るからいい。作者はその中に永遠に生きている、…そう強く思った。

 

 

……もう1つは谷中の朝倉彫塑館で開催されていた『生誕100年ASAKURA Kyoko』展である。…朝倉響子さんは日本の彫刻界を牽引した朝倉文夫の次女で、姉は舞台美術家の朝倉摂さん。

 

…私の24才の初の個展の時に来られてからのお付き合いで、若輩の生意気な私を面白がり、夜半に電話をかけて来られて、長い時間、話し込んだ事も今は懐かしい想い出である。〈…詳しくは私のブログ(2020年8月1日付)に響子さんが登場するので、お読み頂けたら有り難い。〉

 

 

…響子さんは魅力的な低音で、実に切れ味の良い話し方をされる長髪の美しい人であったが、感性に日本刀を想わせる鋭さがあり、私はその人柄が好きであった。…今、響子さんはご両親の朝倉文夫ご夫妻、姉の摂さんと共に、谷中墓地の泉下で永遠の眠りの中にいる。

 

 

…さて15日は忙しい。…長年の我が友であり、映画の名プロデュ-サ-であった成田尚哉氏の遺作の数々を公開する映画特別上映ラピュタ阿佐ヶ谷で11月30日~12月30日迄開催中なので、ようやく時間が15日にとれるので観に行く事になった。

 

…当日は彼の代表作の一つである『櫻の園』が上映される。成田氏の企画によるこの映画は、1990年の「キネマ旬報」ベストテンの第一位になり、その年の賞を総なめにして、現代日本映画の名作として今も評価が高い。

 

…成田尚哉氏はまた優れた美術作品も沢山制作されており、彼の遺作集が来年に刊行予定なので、そのテクストを書く事になっている。

 

…その成田氏を以前に荻窪の会場アパラタスに連れて行き、私が間違いなく天才と評しているダンスの勅使川原三郎氏に、公演後にご紹介した事があったが、それもみな愉しい想い出、…そして、美しい幻である。

 

その勅使川原三郎氏の今年最後の新作アップデイトダンス『空耳』が15日の夜に、荻窪のカラス・アパラタスB2ホ-ルで開催される(公演の期間は12月13日~22日まで)。成田氏の遺作『櫻の園』を観た後で直行するので、この日はかなり慌ただしい。

 

 

…さて次回のブログは今年最後になるかと思うが、私の人生の中でも最大の事件と思われる不思議極りない、夢か現実かという事が、この12月のはじめに起きて、今も継続中なので、それを書く予定。

 

…12月に入り、季節は完全に冬である。…もはや日本の四季は無くなり、春と秋は朧と化し、死ぬ危険さえある酷暑と、酷寒の冬の二季となってしまった。…このブログを愛読して頂いている読者諸氏のご健康と更なる弥栄(いやさか)を祈念しながら、次回のブログ、…ぜひの、乞うご期待である。

 

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『横浜の支那人町に降る雪は、…幻のようでありました』

…思えば大学を出てから10回ばかり、山手町本牧…など転々と引っ越しを繰り返して来たが、いずれも横浜である。今の綺麗な無菌化した横浜と違い、不穏な怪しい気配がまだ横浜には充ちていて、幾つもの物語が交差していた感がある。

 

今や観光で賑わう〈みなとみらい21〉界隈は、綺麗になる前の赤レンガ倉庫が廃墟のように不気味に建っていて、引き込み線の線路にはペンペン草が生え、廃墟の裏には刺殺体が転がっていそうな危うい雰囲気が漂っていた。……私が本牧にいた頃は未だ米軍基地があって、日本人は立ち入り禁止なのだが、アトリエ裏の崖を登ってこっそりと基地内に入り、相模湾を航行する船を、柔らかな芝生の上に寝転びながら、のんびりと眺めていたものである。…つまりそうとう暇だったのである。…美術の作家と並行して私立探偵を職業にしようかと本気で考えていたのも、この頃であった。

 

一番長く住んでいたのは、山下公園そばの海岸通りの山下町で、30才から45才までの15年間。家を出れば目の前にすぐ横浜港が見え、背後には中華街があり、船の汽笛を遠くに聞きながら、自転車や徒歩でフラフラとしていたものである。当然何回か職務質問をされた事がある。国家も政治も権力なるものも、全て虚ろな幻に過ぎないと思っている私の事、警官の職業的勘から、この男は…何か怪しい!…と、思われたのかもしれないと、今は思う。

 

昼食は殆ど中華街であった。中華街の裏道りには暴力団の事務所があり、見ると、正面に巨大な額に入った一万円札が鉛筆で描かれていて、福沢諭吉の顔の場所には、明らかにその組の組長の顔が稚拙に描かれていた。

 

…また5階建ての怪しい古道具屋があって、商っている品は優れ物だが、廊下の壁の不自然な場所に固定されたマジックミラーが幾つも在って、来た客の多くが不審がっていた。…特に変なのは、いつも落ち着かない初老の店長の男以外は、店員はみな若い女性だけで、何故か顔ぶれがよく変わる。…そして戸口にはいつも貼り紙があってこう書かれていた。…〈求む女店員‼〉と。

 

 

 

「……この遠眼鏡にしろ、やっぱりそれで、兄が外国船の船長の持ち物だったという奴を、横浜の支那人町の、へんてこな道具屋の店先で、めっけて来ましてね。当時にしちゃあ、随分高いお金を払ったと申して居りましたっけ」

 

…この一文は江戸川乱歩の最高傑作『押絵と旅する男』の一節である。…横浜の支那人町(今の中華街)の古道具屋で兄が見つけた不思議な遠眼鏡(…自然の法則を超越した、我々の世界とどこかで喰違っている処の、別な世界を透き視してしまう望遠鏡)を兄が入手した処から始まる幻夢譚である。

 

 

 

 

 

兄はその望遠鏡を持って明治二十六年時の浅草十二階の高塔に上がり、浅草寺裏の観音堂裏手に在った一軒の覗きからくり屋に在った、押絵になった覗き絵の女性(八百屋お七)に恋慕してしまう処から始まる幻想文学の頂点に位置する小説である。

 

 

 

…私はこの小説が好きで、文中に出てくる横浜支那人町に、昔、乱歩がモデルとして着想したような古道具屋がないか探し回ったものである。

 

 

 

…さて、それから数十年が経ち、……過去の沢山の思い出が詰まった中華街に在る画廊で、縁あって12月1日から21日までの3週間、『記憶の十字路に射すヴィクトリアの光』と題したオブジェ中心の個展を開催する事になった。

 

…画廊の名前は1010美術。…オ-ナ-の方は倉科敬子さん。10年以上、この場所で企画展を運営されているというから正にプロである。

 

…ご縁ともいうべき不思議な導きによって開催する事になった今回の初の個展。…東京を中心に、名古屋、札幌、熊本、鹿児島、香川、京都、冨山、福井、千葉、金沢、…と今まで沢山の画廊で個展を開催して来たが、不思議な事に地元横浜での初の個展というのは、思えば不思議ではあるが、やはりご縁という〈導き〉なのであろう。…オ-ナ-の倉科さんとは波長が合うのか、お互いの話の展開が実に面白く、私は今回の個展が実に楽しみなのである。…アトリエからも近く、ほぼ30分で行けるので、出来るだけ在廊していたいと考えている。

 

30代の頃、…まさか後にこの中華街の中で個展を開催するとは知る由もなく歩いていたのだから、…人生とは本当に面白い。…私も度々画廊に行く事にしている今回の個展。……乱歩の小説に登場する謎の古道具屋を探し求めてさすらっている当時の私自身とすれ違うような…………、横浜中華街とは、そんな不思議感の漂う迷宮の町なのである。

 

 

 

 

 

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『夢の力-記憶は果たして遺伝するのか!?』

…急に寒くなったからではないが、最近、布団に入って本を読みながら次第に眠りへと落ちていく束の間の時間が、実に甘やかな気分になって愉しい。…夢の中では亡くなった懐かしい人達が笑顔のままに現れて、私達は談笑しているような幸せな気分になるが、…やがて靄が霞むように朧な姿になって、亡き人達は再び遠い所へと消えていく。

……また夢は時に、脳の潜在的な能力の深淵を垣間見せてくれるような、唯、不思議としか言い様がない事も見せてくれる。

 

………あれはたしか8年くらい前の事であった。…アトリエで夕方くらいまで、私はオブジェを作っていた。…あともう1歩で完成するという段階で、作品の中に入れる最後の詰めとも言うべき「何か」大事な物が何なのか遂に閃かず、私は断念して家路に就いた。…そして夜に夢を見た。

 

…その夢は明るい光を放ち、その光の真ん中に、私が昨日まで取り組んでいたオブジェがあり、…驚いた事に、作品は完成した姿となってそこに在るのであった。(……何だ‼出来ているじゃないか‼)…夢の中で私はそう声高に叫んだ。

 

…昨夜、閃かずにいたその箇所には、ネジくらいの大きさの小さな時計の部品が固定してあり、…それが実に絶妙な効果を呈していて、夢の中で私は満ち足りた気分になっていた。

 

 

…朝早々にアトリエに行き、私は或る物を必死になって探した。…夢の中に出て来たその小さな時計の部品は、確かにアトリエの中に在った筈、そう思いながら私はそれを探し始めたのである。…しかしその作業は困難を極めた。…アトリエの中には小さな部品(様々な物の断片)が3000以上はあり、それらは沢山の引き出しの中に無尽蔵に埋もれているのである。

 

…私は異常な記憶力があるらしく、夢の中に出て来たその部品の姿は目覚めてもなお、ありありと覚えていた。…探し始めてから三時間ばかり経った頃、奥の暗い引き出しまでも次々と開けて、或る引き出しの中を掻き分けると、その埋もれている底に、それは在った‼…(これだ!これ!!)…私は嬉々としながら、その小さな部品を掴み出し、オブジェのその箇所に固定して、遂に作品は完成したのであった。

 

……私は時に、美術に関するミステリ-や詩も書くが、絡まった推理が夢の中できれいに解れたり、また詩も夢の中で完成していて、早朝の目覚めの時に、それを携帯電話のメモに書き移す場合が度々ある。……………………夢の中で作品を作り出す。…その例としては、ポ-ル・マッカ-トニ-が夢の中でメロディ全体を完成させてしまっていた名曲『イエスタディ』の逸話は有名であるが、覚醒時の創るという緊張が解れた時に、創造の翼は夢の中で想像力の無限の可能性を呈してくるのであろうか。…創造するという行為は、覚醒している意識と、潜在的な無意識とのせめぎ合いのようなものであるが、時に夢の中の潜在光景がもの凄い可能性の拡がりを呈してくる事がある。

 

………これは夢の別な話であるが、夢の中で全く自分の知らない人達が現れて来て、私の方に実に親しげな笑顔を見せる。…すると私はえも言われぬ懐かしさがこみ上げて来て、彼らに対して微笑を返す。

 

…まるで内田百閒の名作『冥途』のような夕暮れの闇の中に見る生者と死者との交流のような感覚。その同じ夢を私は度々見るのである。…そして或る時、私ははたと思った。…これは亡くなった親(父か母のどちらか)の記憶が、私の中で遺伝子を介して映っているのではないか…と。

 

…記憶の遺伝ではなく、反応の遺伝は存在すると言われて来た。…しかし最近、哲学や心理学の仮説として扱われて来たにすぎなかった「記憶の遺伝」説が、近年の「後世遺伝学」の発展により、一部で限定的ながらも科学的な根拠が見えて来た段階にあるという。…私の場合はどうやらユングの「祖先の記憶」「集合的無意識」の考えと近いように思われるが、先のオブジェの例で書いたように、「記憶は埋もれているだけで、時に夢の力を援用すると、実は全てを覚えているのではないか⁉」という事が経験的に実証されもするのである。

 

 

 

「或る物を見て強い感動を覚えるという事は、…実は今の私と、遥か昔の遠い先祖の或る記憶とが、共振しているのである」という事を、小泉八雲は霊性について語った本の中で書いているが、真に私達の内なる夢の力には、常識という浅いものからは、かけ離れた計り知れないものがあるように思われるのである。

 

 

 

 

 

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『展覧会の緊急お知らせブログ・特別篇』

今回のブログは、コレクタ-の大湯祥蔵さんがご自身の膨大なコレクションの中から、私の作品のみを厳選して、この度、山梨の画廊(アートスペース夢)で展覧会を開催されるので、その緊急のお知らせである。…大湯さんのコレクション数は実に800点以上もあり、私の作品はその中の200点近くを収蔵されているというから驚きである。

 

大湯さんは2年前に、東京の本郷に在る画廊(ア-トギャラリ-884)でも、私の作品によるコレクション展を開催されているので今回で2回目である。…前回の展覧会の時、作品の掛ける高さや照明、配置に実に神経の行き届いた見事な展示をされていたので、今回の展示が実に楽しみである。

 

(蒐集という行為もまた、芸術における創造行為の一つである)という、眼識の高い先人が遺した言葉があるが、大湯さんの生き方を視ていると、その膨大なコレクションの全体像を通して、大湯さんの豊かな人生の輪郭が立ち上がってくるのを私は強く覚えるのである。自身の確かな眼を通して蒐集したコレクションの総体から視えて来るのが、他ならぬその人の深い肖像の映しなのである。…展覧会の会期は今月15日(土)~24日(月)迄。…大湯さんがご自身で作られた展覧会の案内状を以下に掲載しよう。

 

 

 

 

 

 

……高島屋での個展が終わって、10日が過ぎた。会期は3週間であったが、実に沢山の方との再会や新しい出逢いがあり、実に充実した個展であった。……その中でも特に忘れ難い人との出逢いがあった。それを書こう。

 
……画廊にその方(女性)が来られた時、私は佇まいの気配や美しさから、何か職人のようなお仕事をされている方だと直感した。…お話をすると果たして、蒔絵師をされている方であった。…〈蒔絵師とは、漆器や仏壇などに漆を接着剤にして金や銀の粉を蒔き、細密な絵や模様を描く職人の方をいう。〉輪島にお住まいの方で、先の能登半島地震に遭われ、また記録的豪雨による土石流により、お仕事の方も甚大な被害を経験されたのであった。…共に蒔絵のお仕事をされているご主人と(これから奮起して乗り越えていくには、そのそばに芸術作品を掛けて、その波動する強い力を受けながら乗り越えていこう)と話し合われ、今回の私の個展に来られたのだという。…初対面の方であったが、お話を伺うと、ご夫婦共に私の事をよくご存じのようであった。……そして会場で時間をかけて、一点のオブジェ作品を選ばれたのであった。

 

…コレクタ-の方から頂くお手紙の中に私の作品への感想として(部屋に掛けている作品からは強い波動がいつも伝わって来ます)というのを何通か頂いた事がある。…芸術作品たりえるならば、そこに強度なアニマを孕んでいなければならない…というのは、私が自らに課したカノン・規範であるが、その強度とは、私自身の資質の映しでもあるだろう。…とまれ、私はその蒔絵師の方から今回のお話を伺った事で、あらためて芸術の力とは何かを考える契機を頂いた事と併せて、今後更に深化する事への、励みともいうべき厳しい鞭を頂いたのであった。

 

 

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『熊がルネ・ラリックを観に来た話』

…秋が深まって来たというのに、熊は冬眠する気配もなく、13人が熊に襲われて亡くなっている。一方、秋田県で駆除された熊だけで既に1000頭以上を数えるという。…もはや熊と人との仁義なき全面闘争となって来た感がある。

そんな中、1頭の熊が秋田県仙北市の大村美術館にやって来たというニュ-スは少し私の気をひいた。…大村美術館…?はじめて聞く名前である。…熊が来るくらいなら、渋い日本画でも展示しているのかな?…と思って検索したら、ア-ル・デコ様式ルネ・ラリックのガラス作品を展示している個人美術館であった。

 

 

 

 

 

…(この熊は、危険を冒してまでもルネ・ラリックの作品が観たかったのか!?)…そう思って、私は息を呑み込んだ。そして思った。美術館にやって来たその熊は、その後で駆けつけたハンタ-によって撃たれてしまったのだろうか?

 

…もし撃たれたなら、…そしてハンターがその死骸に近寄って、硬直した熊の手のひらを開いた時、熊がしっかりと美術館の無料優待券を握りしめていたなら、それはそれで…悲しいものがある。

 

 

先月の10月19日に起きたル-ブル美術館のナポレオン関連などの王冠の宝石(155億円相当)が大量に盗まれた事件は、この美術館の警備の甘さが露呈してしまった感がある。

犯人(実行犯は2人、計4人組)は、長い梯子(機械式リフト)を使って階上に上がり、ガラス窓を割って侵入し、警備員(これも怪しい)を脅かしながら、短時間で現場から逃げ去ったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

…その一報が入って来た時、私は(白昼にル-ブル美術館で盗難⁉…ならばきっとあの場所から入ったな‼)…と思ったら、果たしてそうであった。…表のピラミッドの入り口付近は警官がいて警備が堅く、しかも来館した人々の長い行列でたくさんの人目がある。しかし裏側のセ-ヌ河に面した方のドゥノン翼館の奥の通りはいつも静かで、人影もあまり無い。

 

犯人は開館直後に侵入し、数分の犯行の後に現場からスク-タ-で逃走したという。…開館直後、すなわちあまりに白昼堂々の犯行ゆえに、その梯子が階上に延びていても、通行人はおそらく、美術館の作業中だと思うに違いない!犯人はその効果も考えて犯行に及んだに違いない、…そう推理していた。…すると、私のその気が喚んだのか、高島屋の美術画廊Xで個展開催中に面白い人物が画廊に現れたのであった。

 

…あれは個展が後半に入った頃であったか。…画廊のテ-ブルの椅子に座って書き物をしていると、30代らしい一組の男女が現れて作品を観はじめた。すると突然男性の方が私の作品を観ながら(カッコいい‼)という甲高い声をあげた。

 

…その後ろ姿から(作家だな)と思って近寄って話しかけると、その男性は(昨日ル-ブルから帰って来ました)と言う。??……事情を詳しく訊くと、その男性はAIの画像を動かして「動く写真」を作っている作家で、ル-ブル美術館の地下で10月に開催しているア-トフェアに出品して帰って来たばかりだと言う。

 

更に話を訊くと、その男性は10月19日の早朝の午前9時30分頃にア-トフェアの会場に行く為に、セ-ヌ河に面したル-ブル美術館の裏通りを歩いていると、地上にスク-タ-が2台あって人が数人おり、梯子が階上に延びていたので、(あぁ、朝早くから作業をしているんだなぁ)と思いながら、そこを通って、ル-ブル美術館の地下に入って行くと、たくさんの美術館職員が血相を変えて走り回っている光景が飛び込んで来たのであった。

 

…彼のスマホで撮影したその画像を見ると、確かに小走りに走るたくさんの美術館職員が映っていた。……私は言った。(すると君は、正に犯人が梯子を使って階上で宝石を盗んでいる最中に、その現場に通りかかったわけで、その場にもう少しいたら、宝石を抱えた犯人達が梯子(機械式リフト)から必死な姿で降りてくる場面に遭遇した事になるわけだ。…お手柄になるか、いやむしろナイフで刺されていた可能性が高いかもしれないね‼)

 

…事件後にル-ブル美術館の副館長が記者会見で次のように語った。…(強盗犯が侵入した窓を映す監視カメラは老朽化の為に映っていなかった)と。……………ル-ブル美術館内に展示されている作品数は実に3万5千点あるという。…その多くに監視カメラが設置されているというが、実情は、さぁどうであろうか。…仮に全ての作品に監視カメラを設置した場合、その監視カメラを随時チェックしているセンタ-は膨大な広さと人員が要り、現実的に不可能である。

 

私は以前に映画『ダ・ヴィンチコ-ド』を観ていて、主人公がひそかに語った或る台詞に注目した事があった。…何と、監視カメラの1/3がダミ-なのだという。…ル-ブル美術館の監視カメラが脆弱な事は以前から指摘されていたが、(監視カメラの多くがダミ-であった)とは、とても公に言えない話であり、苦肉の案として出た老朽化という言葉であったように思われる。

 

 

次回のブログは『記憶は果たして遺伝するのか!?』と題して、徒然なるままに私のあまりにも不思議な体験談を交えながら書く予定。ぜひご期待ください。

 

 

 

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『日本橋・高島屋美術画廊Xで個展開催中‼』

……11月3日(月)まで、日本橋高島屋本店6階の美術画廊Xにて開催している個展『逆さ文字/吊り下げられたブレヒトの七月の感情』の会期の半分が過ぎて、いよいよ後半に突入である。今回の個展は、新作オブジェ62点から成るが、密なる強度さと、各々の作品がいずれも高い完成度を孕んでおり、今まで開催して来た個展の中でも最も充実した内容になっているという確信がある。

 

三島由紀夫は、〈表現者において最も必要なものは批評眼である〉と語っているが、私は常にそれを自分に課してきた。…作品が「完璧である事」「隙がない事」「尽きない豊かな詩情性を孕んでいる事」……。そしてその眼をもって今回の作品を分析し、そのように確信したのである。

 

……毎日、遠方も含めて沢山の方が来られ、懐かしい再会や、不思議なご縁とも云うべき新鮮な出逢いがあり、会場にいて貴重な時間を過ごしている。会場に入ると、どの方も真剣に作品に向かわれ、作品が放つ「気」との真剣勝負の交感がすぐに始まり、張りつめた空気が会場を包むのである。………しかし時に、来場される方の姿がふと絶えた静かな無音の時がある。…その時も私には大事な時で、作者である私は、観者の客観的な視点を持って展示している新作のオブジェを分析し、それが次なる展開へと繋がるという、貴重な生産的時間を過ごしている毎日である。

 

…前回のブログでは二点の新作オブジェの画像を載せたが、今回もまた新作オブジェの画像をいくつか掲載しよう。…画像だと、オブジェが持っている微妙なマチエ-ルの差異や凄み、また立体ゆえの迫力ある存在感をお伝え出来ないのが残念であるが、雰囲気のようなものはお伝え出来るかと思う。

 

前回のブログの予告で、今回は、(記憶は遺伝するのか否か?)について語ろうと思っていたが、さすがに大事な個展の開催中なので、それについては予定を変えて次回のブログで存分に書く事にした。また先日起きたル-ブル美術館の宝石盗難事件に絡めて、ル-ブル美術館が実はひた隠しにしている二つの事柄(『モナリザ』と監視カメラ)についても衝撃的な事実を語ろうと思っている。

 

……では、今回の個展で展示している新作オブジェ画像の数点をここに掲載しよう。会期は11月3日(月)迄。……私は自分の個展を、美と詩神が舞う期限付きの解体劇場のようなものであると考えている。出来る限り沢山の方々にそれを目撃して頂ければ有り難いのである。………

 

 

「…遠い、遥かに手の届かない所で、その物語が秘かに息づいていることの…不思議。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『近づいてきた個展開催を前に、ふと思う事』

10月15日(水)から11月3日(月・祝)まで、東京日本橋・高島屋本店の美術画廊Xで開催される個展『逆さ文字-吊り下げられたブレヒトの七月の感情』が間近に近づいて来た。既にオブジェの制作は終わり、今は各々の作品に大事なタイトルを考える段階に入っている。作品総数は63点。今回は特に完成度の高い作品が揃ったと自分では覚めた分析をしているが、人々の反応は果たしてどうであろうか、…まもなく会場でそれが実際に確認出来るので、今から楽しみである。

 

………版画からオブジェへと制作方法が変わってから、より強く想うようになった事がある。…それは人はみな本質的に詩人であり、人は誰もが優れた想像力を持っているという確信である。…そして私の作品はその確信を元にして、美術という概念を越境して、…人々の想像力やノスタルジア(遠い郷愁)を紡ぐ感性を発火させ、独自なイメ-ジを膨らませる詩的な装置(視覚化された詩)でありたいという強い想いである。しかしこの想いはあくまで私の内面的なものであり、人に問うて確認出来るものではない。…そう思っていた。…しかし、その想いが実際に裏付けられた事があった。今までに二十近い数の大学や美術館で講演や講義をして来たが、数年前の春に、多摩美術大学の演劇舞踊デザイン学科での体験は忘れ難いものがある。…それを少し書こう。

 

その年の春、学科の学生とは初めての顔合わせになるので、私は自己紹介を兼ねて、自作のオブジェを一点持って行き学生達の前に出した。…学生は二十歳前後のもちろん日本の学生が多いが、その時は、ウクライナと中国からの留学生も入っていた。…私が箱からオブジェを出してテ-ブルに置くと、学生達からざわめきが起き、皆、席を立って間近で観ようと近くに寄って来たのであった。…そして、今迄に観た事のない私の作品表現の有り様を観て(懐かしいけど、何故か不思議な感覚が湧いてくる)という言葉が各人から期せずして出たのである。

 

…その時に見せた私のオブジェは、パリのビクトルユゴ-通りを舞台にした作品であるが、面白いのはウクライナと中国から来たその二人の留学生であった。…共に(パリのその場所は行った事はないが、何故か懐かしく、昔の自分の記憶がフラッシュバックするみたいに鮮やかに甦ってくる)と興奮ぎみに話してくれたのであった。

 

… 私の作品を観て、国を違えても共に甦ってくる、この共通した感覚とは何なのか⁉……、そういえば、現代美術を画廊の側から牽引された佐谷和彦さんの佐谷画廊で企画した展覧会『現代人物肖像画展』で、私の作品五点をまとめて購入したイギリスの画商も全く同じような感想を語ってくれた事があった。

 

…ともあれ、記憶を揺さぶり想像力を煽る作品(詩的装置)を作りたいという私の想いが予期せぬ形で確認出来た事は、以後の自分にとっての確信的な体験となり、更に集中的に、より制作の速度を早めて作るようになって来ている。

 

……この体験は、法政大学出版局からの執筆依頼で書いた『記憶と芸術-ラビルントスの木霊』(谷川渥・海野弘・萩原朔美他との共著)に詳しく書いているので、ご興味のある方はお読み頂けたら幸甚です。

 

 

…高島屋の個展では、毎回手の込んだ案内状(A4サイズ大の四つ折りリ-フレット・カラー版)を作っている。今回も作品を12点近く掲載した案内状を作っているが、私は一人ずつ宛名を手書きで書くので、さすがに400通書くのが限界である。…その案内状も先日発送したので、いよいよ、個展開催が迫っている事を実感しているところ。……今回はその案内状を開くと、私が書いた一枚の詩文が入っている。…その詩文をご紹介しよう。

 

「細い、きわめて細い垂直線が、物語の構造に深く関わって来るような詩的装置を作ること」/「作者と観者という主客関係が混在化してしまうような、強い揺さぶりのある装置を作ること」/……この二枚の紙片に書き連ねた文字から賽子がこぼれ落ち、非在の数字7が現れ、少年の顔をしたブレヒトが登場する。……ヴェネツィアの春雷がアドリアの夜を銀に染める前に天幕が上がり、絶対温度零度の静寂の中で、例えば『イプセンの〈切れた糸〉』がオブジェに変容し、一人称の呟きのように、今し物語が静かに始まる。

 

この詩文に登場する『イプセンの〈切れた糸〉』は、今回発表するオブジェの中の一点のタイトル。…イプセンという名前で先ず浮かぶのは「近代劇の父」と呼ばれる『人形の家』等の著者の名前。作品の中に操り人形があるので直感的に閃いたタイトルであるが、そのイプセンでも、匿名の人物がイメ-ジになってももちろん観る人の想像力の自由である。

 

 

…個展前であるが、その作品と、もう一点、『サン・ラザ-ルに流れる二つの時間-Paris』という作品の画像をここに掲載しよう。サン・ラザ-ルは私の好きなパリの知名で、私の写真集『サン・ラザ-ルの着色された夜のために』(沖積舎刊行)にも登場し、またモネの全12点の代表作『サン・ラザ-ル駅』にも登場する。

 

 

 

 

 

 

………次回のブログは、(はたして記憶は遺伝するのか否か?)…について、私の実体験の不思議な話を交えて書く予定。小泉八雲ユングニ-チェも登場します。乞うご期待。

 

 

 

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