今までたくさんの映画を観て来たが、No.1は何れかと言われたら、その主題の壮大さ、先見性、つまり映画でしか現しえない可能性を多分に孕んでいるという点で、私は躊躇なく『2001年宇宙の旅』(監督スタンリ-・キュ-ブリック/原作ア-サ-・C・クラ-ク)に指を折る。…映画の権能を駆使した視覚による進化論、この映画はそう言っていいだろう。
…未だ美大の学生だった18才の頃、この深遠にして壮大な暗示性に充ちた映画を観ていた私は映画の2/3辺りで、自分に問題を突きつけた。…(自分がもし監督だったら、この映画のラストシ-ンをどのような映像にするのか?と)。
…私は自分が監督だったら、暗黒無限な宇宙空間の中にさ迷う胎児を漂わせて終わりにする!…そう思った。………………やがて映画のラストに来た時に、暗黒の彼方から小さな飛来物が現れて、それが次第にアップになった瞬間、果たして私が予見したのと同じ、宇宙空間にさ迷う、羊水の中で指をしゃぶりながら眼を閉じて眠る胎児が映った時は、体が熱くなった事を今も覚えている。……
この映画が出来る前の1965年に監督のキュ-ブリックから一人の日本人に(21世紀を舞台にしたSF映画の構想を練っており、その美術デザインに貴方の力を借りたい)というオファーの手紙が届いた。…しかしあまりに現状が多忙な為に、断りの手紙を書いた。
…そしてその3年後に『2001年宇宙の旅』が公開された時、映画を観たその日本人は参加しなかった事を生涯悔やんだという。……手塚治虫のよく知られた逸話である。…高度な想像力を持った人材としてキュ-ブリックも手塚治虫の事を高く評価していたのである。…手塚治虫の脳裡にはロボット、AI、…それら諸々の科学がやがては過剰に進化した結果、終には人間を不幸に至らしめる事が見えていたのである。
…最近は制作に没頭の日々であるが、六本木ヒルズで開催中の『手塚治虫/火の鳥展』の最終日に行って来た。…原画を観るのは、以前に東京国立近代美術館で開催された手塚治虫の原画展以来である。…やはり手塚治虫の原画は凄い、そして線に魂が入っていて至上に美しい。…表現の鬼と化したその直筆の原画からは、懸命に命を削るように描いている、鬼気迫る執念と気迫が直に伝わって来る。……そして会場で『火の鳥』の原画を観ながら、小学、中学生の時に当時、漫画家を目指していた自分の姿を思い出していた。…
そう、私は小学生の時に早々と漫画家になる事を決めていた。…勉強はそっちのけで、積み上げた漫画本の山に埋もれるように日々生きていた。…少年マガジンか冒険王だったかに漫画を描いて投稿した時に、選者であった石森章太郎と藤子不二雄が私を一席に選んでくれて寸評が載った時はかなり興奮したのを覚えている。……ケント紙に墨汁をつけたペンをカリカリと走らせ、天井を見上げては空想に浸り、今思えば子供にしては早熟なスト-リー漫画を描いていた。(……宇宙船が飛来して地球に接近し、後にキリストとなる謎めいた生命体がパレスチナのベツレヘムに怪しい光を放ちながら降りていく話。)……また、(ナチスが開発した「V2ロケット」がド-バ-海峡の上を飛来してロンドンを爆撃する場面から始まる二重スパイの話。これは二重スパイなので次第に話が混乱し、途中で筆を折ってしまった。………etc)
……高校一年の春であった。休み時間に他のクラスの生徒がやって来て教室の窓越しに(…北川君ていますか?)と言うので、(僕ですが、何か?)と言うと、その学生は(僕は中山といいます。君の噂を聞きました。実は僕も漫画を描いているのですが、友達になりませんか‼)。……そして私達はすぐ仲よくなり、熱に浮かれたように漫画熱に感染し、高校を出たら一緒に上京して漫画家になろう‼と話し合っていた。その時、手塚治虫の存在は正に天上の高みにあった。……『まんが道』(特に立志編)は、テレビ化もされた藤子不二雄の自伝的漫画作品であるが、彼らの出会いと正に同じであった。
…………しかし、私に突然の出会いが現れた。画家・佐伯祐三の作品を観て、電光石火、画家へと進路が一変してしまったのである。…佐伯の模写から油絵を描きはじめ、美大を目指して石膏デッサンにのめり込む日々が続き、中山君とは次第に疎遠になってしまったのであった。……美大に入ってしばらく経ったある日、高校の美術部の後輩から中山君の消息を偶然知ることが出来た。…彼は高校を卒業して直ぐに上京し、さいとうたかおと劇画界を二分する人気劇画家の佐藤まさあきのアシスタントになったという。…しかしその後の中山君の消息は不明である。彼の実家も引っ越してしまって探しようがない。
………かつて目標としていた手塚治虫、そして、その後に出会った佐伯祐三の作品を視ると今でも体が熱くなる。三つ子の魂百までではないが、今も制作に入る前は時に佐伯祐三の画集を開くことがある。…すると感性に電流が走りはじめ、熱くなって来るのである。
…今、アトリエの机の上に手塚治虫の2冊の漫画本がある。…連載途中で死去した為に遺作となった『ル-ドウィヒ・B』(未刊)、…楽聖ベ-ト-ヴェンの伝記漫画である。…その中に(僕にはもう時間がないんだ‼)という言葉がある。癌に冒され、死期が近いと覚った手塚治虫自身と完全に重なっていると思い、考えてしまった。
…私事になるが、私が学生時に学んだ銅版画の詩人といわれた駒井哲郎さんも、癌に冒されて以後は、作品全てが自画像と化していた。…岩礁のくりぬかれた洞窟は、朽ちた頭蓋骨と化し、舌癌ゆえに、描かれた岩場のそこは、まるで崩れた歯と同化しているが、最期の時期の何れの作品も、その集中力と達観ゆえなのか表現の深度が実に深い。
……表現者の最期、……手塚治虫のその最期の頁を開きながら、今回のブログを書きつつ、いろいろと考えてしまったのであった。
予告.……次回は一転して、西郷隆盛の盟友にして最大の対立相手となった大久保利通の、知られざる訳ありな話を書く予定です。……乞うご期待。